こんにちは、ランマニアです。
本来ならこの時期はレースも頻繁にあり、それについての話題や感じたことなどをどんどん書いていければよかったのですが、こんな状況になってしまうと、下手をすると「ランマニアの練習日記」みたいなとてもつまらない内容の繰り返しになりそうで、正直頭を悩ませています。
そんな中でもTwitterは話題の宝庫で、毎日のようにああだこうだ議論を重ねられるのは大変参考になります。
さて、今日の話題もTwitterがきっかけで思い出した学生時代の思い出。
ランマニアは、中学から陸上を始め、以来この年までずっと「競技として」続けているのですが、高校時代から大学までが体を壊さず最も練習が充実していた時期だったのですね。
高校も大学も、トレーニングの負荷や強度は今よりも格段に高く、週にインターバル、ペース走、レぺ、ロングジョグなど、ほとんどのタイプの練習が組み込まれていて、今では考えられない練習をしていました。
当然、試合のない時期は調整をする必要がないので、とにかくいつも脚の疲れは多少なりとも残った状態で練習を継続することになるのですね。
そうすると、もう毎回の練習でムキになって走ることなど無理なわけで、とにかくランマニアが通常の練習で意識していたのは「本気を出さない」ということでした。
練習中は常に頭の中に「いざとなれば休養を入れて、本気を出せばこれくらいで走れるから」という目安のようなものがあり、「調整もしていない練習なのだから、これくらいで走っていればいいんだよ」的なことを考えて練習をこなしていたのを覚えています。
当時はまだ、「練習でできないことは本番でもできない」的な指導が多くまかり通っていて(幸いランマニアの周辺にはそういう人はいませんでしたが)、そういう話を聞くたびに「なわけないだろ」と高校生の分際で生意気に思っていたわけですね。
いくら「勘違い高校生」のランマニアでも、試合前は練習量を落として調整し、それにより本番はだいぶ脚が軽くなることくらいは経験上理解していましたし、試合当日はかなり緊張して「体感的にも脚が軽くなる」こともうすうす気づいていました。
ですから、試合当日のコンディションは、そうでない時の練習時に比べ遥かに良好で、むしろ「試合でできないことは練習でもできない」くらいに思っていたのですね。
結局、大学に入ってもその考えは常に頭にあり、先輩や仲間からはよく「なんで練習であんなに死んでんのに試合でこんなに速く走れんだよ」とよく言われたものです。「本番に強いランマニア」とかも言われましたが、いやいやそんなの当然でしょ、試合は調整するんだから、といつも思ってましたね。
これは長距離に限らず、他のスポーツでも同じだと思うのですが、トレーニングを行えば当然疲労して、一時的にパフォーマンスが十分発揮できない状態になるわけですね。その疲れをとって筋や神経系を回復させ、その状態を維持して試合当日を迎えると思うのです。
その原理を理解していれば、「練習で出来ないことは、云々」な話にはならないと思うのですが、まあとにかく当時は真夏の炎天下の中「水を飲むな」で200m×10とかをやらされていた時代でしたから(ランマニアは人生で唯一、中1の時のみ顧問が決めたメニューを行なっていました)、そういうことは日本の「部活」文化にも浸透しやすい考え方だったのでしょうね。