10月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月、9月と走ることを封印してましたので、久しぶりの月間振り返りとなりました。

10月は色々あり、まとめたいことは山ほどあるのですが、ひとまず時間がないので10月のトレーニングとその内訳を簡単に報告します。

10月は基礎体力や脚の耐性を築き上げるための初歩段階として、ジョグをひたすら続けました。

実は、9月の中旬あたりから、様子見で1km、2km、最終的には6kmほど走れるようになっていたのですが、そこはあくまでトレーニングを積むためのリハビリ期間として設定していたので、走行距離として扱いませんでした。

もちろん、本来ならそこも記録してしっかりと距離管理をすべきですが、9月まではまだこのまま足が快復していく手応えを感じられなかったため、無理をしない意味でも記録はしていなかったのですね。

結果的に、今となっては完治に向けて足は変化していたのですが、当時は何度もぶり返す痛みに治せる自信を失っていたというのもあります。

なので、「これならもう大丈夫だろう」と確信を持てた時点で「トレーニング再開」と定義していたのでした。

それが今月に入っての練習です。

ほぼ毎日通勤時のランニング、週末のまとまったジョグ、というのを数週間繰り返し、終盤はトレイルのレースで長めの距離を走りました。

平均すれば、ほぼ1日あたり10km程度のジョグしかしてませんし、ウィンドスプリントも一本たりともしていません(電車に間に合うようにダッシュもしてません)。

そうした状況で、トレイルがどれほど走れるかかなり不安でした(特に志賀高原)が、どうにかセカンドベスト、それもわずか4分遅れで済ませることができたのは、大きな自信になりました。

結局、疲労を溜めずに、当日のペース配分さえ間違えず、補給をしっかり行えば、ジョグだけでかなりパフォーマンスを発揮できることに気付いたわけです。

練習再開後、トータル200km程度の走行距離で望んだ志賀高原エクストリームトレイル32km

昨日までの烏帽子スカイランにおいても、とにかく無理な負荷を体にかけず、コンディションを整えることのほうが、ハードなトレーニングを積んで体を壊すよりもはるかに良い結果が残せることを、改めて実感したのでした。

最後の2週でトレイル率が急増しましたが、練習回数として3回だけがトレイルです。

8月はほぼ練習皆無で、9月も本当に散歩程度のジョグ。10月にようやく練習らしくなってきましたが、それでも日数的には20日ほど。

こんな練習で、相当走力は落ちただろうな、と感じていましたが、昨日の烏帽子スカイレースの終盤のロードでは、一時、キロ4分ちょうどくらいのペースで巡航できるほど脚もよく動くようになっていました。

確かに、バーティカルでの呼吸のキツさは尋常ではなく、レース翌日に呼吸筋が筋肉痛になる程換気能が落ちている印象でしたが、そこを除けば、レースとして楽しめる程度には走力が戻ってきた感覚は得られました。

今年5月以来の月間300km超え。日々のジョグは行き帰りの通勤で分割されるため、体への負担は軽かったです。

さて、先週から2週連続で長めのトレイルを走ってしまい、サーフェスは比較的柔らかかったとはいえ、筋へのダメージは相当なものが残りました。

一月単位で見れば300km程度ですが、先週からのトータルでは週100kmほどに急増していますので、このタイミングは故障などが起こるリスクの高い時期だと考えます。

11月はそろそろロードでも距離を伸ばす予定であることから、今週は数日休養を入れ、筋の損傷を回復させなければなりません。

特に、筋痛が激しい時はフォームも制限され、思わぬ故障を誘発するため「走れても走らない」選択が重要となります。

いずれにしても本命レースは2月以降ですので、10月はようやくリハビリ終了、11月からトレーニング開始、でもその前に一旦休もう、くらいの気持ちでゆとりを持っていこうと思います。

志賀高原エクストリームトレイル JSA日本選手権(ミドル)に参加してきました

こんにちは,ランマニアです。

昨年は「就活」で参加できなかった志賀高原エクストリームトレイルに,二年ぶりに出走してきました。

早いもので,このレースに初めて参加したのは2018年で,そこからもう4年が過ぎてしまいました。

昨年は未出走ですが,それ以外は全てミドル(32km D±2000m)に出走し,今回のレースで4度目の参加となりました。

このレースは日本スカイランニング協会の日本選手権に位置づけられているということもありますが,それよりも本コースが関東近辺では屈指の「エクストリーム(極限)」なコースであることが,ランマニアが毎年参加している理由です。

年間通して参加しているトレイルレースの中でも屈指のエクストリームなコース設定です。

本大会を運営されている「北信濃トレイルフリークス」さん自らが,「終盤の絶壁(サンバレースキー場)」や「避けることのできない泥濘区間」,「ほとんど晴れない天候」などをそのエクストリームな理由にされていますが,ランマニアの中で最もエクストリームなのは,他のトレイルレースでは決して体験することのできない「志賀の山々」の真っ只中を全身で浴びながら走れることだと思っています。

ランマニアの嫌いなものベスト3に入るゲレンデ下りも,この絶景を前にしたら嫌とは言ってられません。

真のエクストリーマーになるには,やはり55km D±2800mのロングコースを走らなければならないのでしょうが,正直ランマニア的には今回のミドルで相当にお腹いっぱいになってしまうため,その一端を垣間見るに過ぎないと言ったところでしょう。

それでも,それなりのトレイル経験がなければこの32kmのミドルコースを完走するのも至難の業でして,それだけに,今回のような「練習不足」の状態で出走するのは相当なリスクを伴うものでありました。

一定の練習を積んでいなければ何が起こるかわからないのが志賀高原

今年は,6月中旬以降足底筋膜炎の快復に時間がかかり,山練はおろか通常のランも2ヶ月近く行えない状態が続いていました。

ようやく9月中旬に練習を再開して以降も,本当に軽い数kmのジョグを続ける毎日で,3週間前にようやく10km,2週間前から20kmがやっと走れるようになったばかりの状態でした。

トレイルはロードとは違う能力を使うということはわかっていましたし,過去にはランがほとんど0でも山歩きだけで対応できた経験もあるにはありましたが,今回のコースの恐ろしさを過去幾度も経験している身としては,やはり「こんな練習」で走り切れるかどうかは本当に出たとこ勝負といったところでした。

昨年の上田スカイレースは,国内最難関コースでしたが山歩きだけで乗り切った経緯があります。ただし,今年は山すら一月以上登っていませんでした。

なので,今回出走するにあたっては,

①とにかく急な登りは全て歩き,走れる区間も軽いジョグで通す

②脚が終わったり,故障が再発したときは即リタイアする

を念頭に,確実に完走することを目標にして臨みました。

スタート後すぐのゲレンデは緩やかな登りが続きます。

昨年より,スタートはJSA日本選手権組は別スタートとなり,今年も一般よりも3分まにスタートとなりました。

ところが,昨年豪華メンバーだった日本選手権ミドルは,今年わずか13人の出走にとどまり,寂しいスタート風景となってしまいました。

それでも,女子も含め強豪ぞろいのメンバーですから,ランマニアのように初めはゆっくり走る,みたいな感覚で行くと,スタート後すぐに最後尾に追いやられてしまうのですね。

そんな状況で当然焦りも出てくるのですが,初めの横手山までの累積500m近い登りでは絶対に脚を使っていけません。

少しでも努力度が上がりそうになる勾配になれば,すぐに歩行に切り替え,軽いジョギングくらいの感覚が続く程度にペースを抑えて登り続けました。

横手山リフトまでがちょうど25分。歩いた割には思ったより早く到達できました。

JSAの集団からはどんどん離されますが,とにかくここはまだまだ序盤も序盤,始まってもいないくらいの感覚で,横手山の山頂を後にし,思ったよりも脚を使わずに山岳区間に入って行きました。

エクストリーム名物,どろんこ区間

横手山から寺子屋峰までの山岳区間は,ミドルコースの第2セッションともいうべき区間です。

一般的なトレイルレースでよくあるような急激な登りや下り,岩場やシングルトラックなどバラエティに富む景色を楽しめる区間となっています。

体力的にもまだまだ余裕があり,標高2000m弱の文字通り「天空」を走れるスカイレースらしい区間です。

この区間を楽しみたいがためにこのレースに出走するといっても過言ではないほど,この区間はスカイランナー好みのコースになっていると思います。

晴れさえすれば,このような絶景を浴びながら天空の稜線を走り続けられる区間が存在します。

この第2セッションはまだまだ序盤ですが,最初のハイライトが赤石山です。

割と樹林帯や笹藪の多い山岳区間にあって,珍しく視界がひらけ、山頂から下界を望めるピークとなります。

赤石山山頂から大沼池を振り返る。まだ疲労も軽い段階で最も楽しめる時間です。ここまでで累積1000m。

ここまでくると,だいたい累積標高が1000mとなり,登り区間の約半分が終わったことになります。

時間としては2時間前後なので,だいぶ走った気になりますが,体力的には半分以上残していなければ終盤大変なことになります。

初期の頃は,何度かここで飛ばし過ぎて終盤動けなくなったことがありました。

この後,横手山以来最もハードな登りが続く,寺子屋峰までの直登区間をクリアすると,一の瀬エイドへ4km、一気にゲレンデを下って行きます。

寺子屋峰で累積1250m程度。水平距離もまだまだ13km程度ですから、ここで脚が動かなくなってきているときは相当やばい状態です。

今回は抑えに抑えたため、一の瀬までのゲレンデ直滑降も比較的楽にこなせました。

一の瀬までのゲレンデ下りはおそらく下り勾配が最大となっている区間です。ここでかなり脚がやられるので注意が必要です。ランマニアはゲレンデ下りが大嫌いです。

ところで、今回もう一つ意識したのが、エネルギー切れを防ぐということです。

前回の嬬恋スカイランでは終盤血糖値が大幅に低下したような感覚(ハンガーノック)を味わい、危うく動けなくなりそうになった経験をしました。走行時間が4時間を超えてきたあたりで、補給をろくにしていなかったことが原因だったと思いますが、今回はその経験を踏まえて、かなり早い段階(70分程度)で一度200キロカロリーほど、さらに2時間経過後にもう200キロカロリーほど補給しました。

その一環で、一の瀬エイドでも普段は食べないお饅頭をひとついただき、もう一つを携行することにしました。

これは後々かなり効きました。

一の瀬エイドから先が実際の後半戦です。風光明媚な区間が続く一方で、確実に脚は終わりに近づきます。

初出場だった時は、この一の瀬エイドまできたらもう残りはわずかだと思っていました。

累積標高も残すところ600m程度ですし、距離も10数km。景色も綺麗で、最後は楽しみながらゴールかな、と、甘々な考えで走り続けたのを覚えています。

個人的には、一の瀬エイドから先が最終の第3セッションと捉えていて、ここをどうまとめるかが最終タイムに最も影響すると思っています。

特に、「ジャイアントスキー場」「サンバレースキー場」の2大ゲレンデまで脚を残しておき、いかに走り続けるか、走れないまでも止まらずに歩き続けるかがタイムの短縮に大きく影響します。

一の瀬エイドからジャイアントスキー場までの山岳区間は、高低差がないものの、斜面に申し訳程度に取り付けられたシングルトラックを走る区間があり、ここで意外と脚を使わされてしまい、知らず知らずのうちに溜まった疲労に気づいた頃に、第一の難関、ジャイアントスキー場を迎え撃つことになります。

初めて見た時は、誰でも「まじかー!」と叫ぶと思いますが、残念ながらここで累積100m近く一気に登らされるのです。

しかしここを越えると、蓮池、エイド、琵琶池、といったん平和な時間が久しぶりに訪れます。

ジャイアントスキー場を登った後にこうした時間が来るので、初出場だと、これでもう終わりだろう、と誰しも勘違いするはずです。

ジャイアントスキー場を後にすると、紅葉に色づく快適なロードや湖畔を走る区間、気持ちの良い緩やかな遊歩道が続き、いよいよゴールが近付いたことに気付かされます。いや、勘違いさせられます。

少々マニアックな例えをすると、少年の頃やり込んだRPGで、最後のボス戦でHPとMPを使い切り、もうゲームクリアだと思ってそのまま進んでしまったような、あの感覚です。

なんとも言えない達成感。もうやりきったぞ、という脱力感のまま、エンディングを見ようとその場を去ろうと、愚かにもHPをそのままに帰路につこうとするあの感覚です。

しかし、ここは志賀高原、エクストリームトレイルなのです。

GPS時計を持っている人は、もう一度確認してみてください。累積標高がまだ300mほど残っているはずです。

このまま終わるはずはないのです。

姿を現したラスボス、サンバレースキー場。我々にとってはまさに死の壁、「デスバレー」です。

ランマニアも初めて出場してこの場に立った時には目を疑いました。

ここまで散々登り続けてきて、もうあとは小刻みなアップダウンがあるくらいだろう、と勝手に思っていたんですね(実はコースマップの高低差の図ではこの壁は分かりにくくなっている)。

実際に坂に、いや壁に取り付いてみればわかりますが、ここまで登ってきた勾配の中では群を抜く急勾配です。

もちろん、登山道にはこれよりも急な岩場はありますが、ここまで長い距離を登り続けさせられる急登は他にはありません。

脚が終わっている人は、途中で登れなくなるんじゃないかと心配になる勾配です。

実際の視界にはこのように映ります。エリートはここを走って登れるので信じられません。

今年も、序盤からここを意識して脚を温存してきたこともあり、前回のPBを出した時と同様、ここでもなんとか歩き続けることはできました。

このサンバレーをクリアすると、だいたい累積150mくらい。残りの累積標高はいよいよ100m少しとなります。

ここから先は、いったん下った後に少し長めの歩行区間が続きます。

この歩行区間の中に2度ほど急な登りがあり、残りの累積標高をだいぶ稼ぐことになります。

ここが歩けるのは正直助かりますが、タイムを狙う人たちには大きなロスになることは間違いありません。

歩行区間が終わるとラスト3.5km。湿原の向こうに見える小高い丘が最後の上りです。きついですが、ここまでくると気合ですね。

歩行区間を終えると、もうあとは3.5km、走り切るだけです。登り区間もいくつかありますが、脚が残ってさえいれば、出し惜しみせず突っ走ってもなんとかんるでしょう。

今回は、序盤の温存と、そしてこまめな栄養補給が効いたせいか、このラスト3kmで珍しく「スパート」をかけることができました。

トレイルでも終盤まで脚を残し、今回のように脚を動かし続けることができれば、だいぶタイムを短縮できるものと思われます。

序盤抑えたとはいえ、結果的に最後まで走り切ることができ、大幅なタイムロスはありませんでした。

ゴールタイムは、4時間34分で、一昨年の自己ベストからおよそ4分遅れに止めることができました。

今回、走行中は常に呼吸の苦しさを感じ、標高が高いところで走り続ける能力が前回よりもだいぶ低下している印象で、その分の遅れだったと思います。

この辺りは、もう一度LTやVO2Maxを鍛えて、戻すことでだいぶ改善されるように思いました。

とにかく、序盤からペースを抑え、ジョギングを続ける感じ、ハイキングを続ける感じで走り続ければ、この一月の練習程度でも十分トレイルは走れることがわかりました。

当然、最低限のジョグを続ける期間は必要ですが、当日はオーバーペースとエネルギー補給に気をつけさえすれば、脚は意外と持つものだと改めて実感できました。

逆にいえば、どんなにトレーニングを積んでいても、ペースを間違えたり、補給をおろそかにしたりすれば、簡単に失敗するのがトレイルであると感じたのも事実です。

いずれにしても、長く苦労した故障期間が明け、またこうしてレースに参加でき、脚の痛みもなく走り通せただけで、今回は満足でした。

1からやり直し

こんにちは、ランマニアです。

8月上旬に練習ツイートをしてから約2ヶ月間、Twitterもブログもせず,完全に雲隠れしていました。

もしかしたら,ランマニア競技やめたか?と思われていたかもしれませんが,実際一時的にはそれくらいの気持ちで休まないといけないな,と思っていたのは事実です。

というのも,今回の故障は本当に快復が悪く,何もせず休んでいても一向に痛みが引いていかない日々が長い間続いていたのですね。

通常,これまでの故障であれば(足底筋膜炎でも)目安として1週間丸々休めば,だいぶ痛みが引いていったのですが,今回かなり焦ったのは,1週間走らず過ごしていても患部の痛みが全く変わらなかったことです。

一時期は,もうこのまま走れなくなるんじゃないか,とかなり先行きを心配して、メンタル的にやられた時期もありました。

ではなぜ,今回の故障はここまで長引いてしまったのか。

振り返ると,いくつか思い当たることがあります。

①6月に痛みに気づいたあと数週間,レースも含めかなり走ってしまった

②痛みが引いた後の休養期間が十分でなかった(最大2週間入れた時もありましたが,結果的に3週間の休養が必要な故障だった)

③そもそも治りにくい足底筋膜炎

④老化による回復力の低下

この辺りが自分なりに思い当たったところです。

①については,故障のかなりの早期に休みを入れたつもりでした。事実,あの頃(6月上旬)は1日の休みで軽快する幅も大きく,これならすぐに復帰できるな,と感じていました。

しかし,せっかく快復した患部をしっかり休ませずに,長めの距離を走ったりレースに出てしまったことが,損傷部分をさらに深く,広範に傷つけてしまった印象があります。

②は、これも当初1週間丸々休めば大体の故障は痛みが軽くなるため,その状態で数km走る分には全く問題なかったのですが,今回の故障は,①と③の理由から,ほんの数km,もっといえば数百m走っただけで故障が悪化する時期もあったほどでした。ここでせっかく治した患部の炎症がまた最初の状態に戻ってしまい,そこから改めて快復させるために同じだけの時間が必要になってしまう,それを何度か繰り返してしまったことが長引いた原因でした。

ここまでの状態が,6月下旬から8月中旬まで続き,少しよくなったと思って走り始めてまた元に戻る,を二月近く続けてしまったことになりました。

そして,そこから3週間ほど完全に走ることから遠ざかり,中途半端に走ってしまったりしないよう,自分が競技者であることを一時的に忘れて生活しようと考えました。

Twitterやブログで近況報告や記録をつけてしまうと,ついつい走ってしまうので,それも一切やめ(読むのも),生活の中に走るという気配を全て消し去ることにしました。

走れていた頃やレースのことを考えてしまうと,どうしても「再開すること」が目標になり「治すこと」を忘れてしまうからですね。

ただ,これについては,今年に限っては,転職したてでまずは仕事に集中してそれに慣れるという意味では,むしろそれは必要な時期ではあったと前向きに考えました。

これほどまでに長い間まともに走らなかったのは人生で二度目くらいだったので,まあそれなりにしんどい時期ではありましたが。

9月の中旬から,ようやく土日に少しだけ走ってみて,翌日の患部の様子を確認しました。

痛みが変わらないようではダメなので,走っても次の日にはさらに良くなっているかどうかが重要な基準でした。

もう大丈夫,と思って走り始めても,翌日か2日後辺りにまた再発するというのを繰り返していたので,少し走れたくらいではまだツイートするのはやめようと思っていて,とりあえず,10km程度まで走れるようになるまでは「復帰」という言葉を使うのは控えていました。

2週間前から,毎日1〜3km程度走っても悪化しなくなり,先週からは通勤時のランニングを再開することができました。

そして先週の木曜あたりから通勤時の往復にランを入れられるようになり,トータルで10km走れるようになったことから,この土日は2日とも芝生を中心に60分のジョグを入れることができました。

足底筋膜炎は完全に痛みが引くのに1年ほどかかるため,練習が再開できても数ヶ月は違和感が残ります。ただ,走行中に痛みがなく,朝起きた時の一歩目の痛みが悪化していなければ練習を続けても問題ないので,連日10kmの練習がここまで続けられれば,「もう復帰と言って差し支えない」だろうと判断したのですね。

いやここまでくるのに本当に長かったですが,一時期はもう二度と走れないのではないか,と思っていたことを考えると,今はこうして毎日走ることが日常になり,週末には60分のジョグができるようになったことで,とにかく復帰できたことの喜びの方が遥かに大きい状態です。

今後のレースプランはまた別に紹介することにして,ひとまずは練習復帰の報告がてら,2ヶ月以上ぶりのブログ投稿になりました。