どうしたら箱根を走れたか

こんにちは,ランマニアです。

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて,今年のお正月は久しぶりに箱根駅伝を割とちゃんと見て,青山学院大学の驚異的な走りに興奮していました。

箱根駅伝マニアではないランマニアでも,ここまでの3大駅伝を連覇していて,10000mのベストタイム27分台の選手が3人もいる駒澤大学のアドバンテージはそうそう揺るがないだろうと思っていた中での,圧倒的勝利。

1区,駒澤大学がトップで襷をリレーした際には「ああ,これでもう駒澤の独走優勝確定だわ」と呟いてしまったほどです。

かつてランマニア自身も箱根駅伝を本気で目指していたこともあり,自分にとっても人ごとではない駅伝ではあったのですが,ここ数年はようやくその想いも徐々に薄くなってきて,そろそろ「箱根走りたかったな」気分からも卒業かな,と思い始めていた中で,久々に勝負に引き込まれた箱根駅伝となったのですね。

そんな中,先ほどあるツイート(今はポストですか)が目に留まり,「そうそう,そうなんだよ。それはずっと考えてたんだよ」と共感しかない内容が書かれていて,思わずこんなタイトルのブログを書きたくなってしまいました。

そうなんです。「自分も走りたかったぁ」「でも,どうにもならなかった」

これ本当に,大学を卒業してからずっと思い続けてきた心境で,やっぱり一生続いちゃうのかなぁ,と。

では,自分自身の場合,どうしていれば箱根に出られたのか。

これについても,ちょうど先日も同じことを考えていたところで,うちでも話していたところだったのですが,一応自分の中ではある結論には到達していまして。

ランマニアは,中学,高校と長距離一筋で部活に取り組んでいて,過去のブログでも紹介ましたが,特に高校時代は自分自身が長距離に対してその後の競技人生を決めたと言っても過言ではないほどの重要な3年間を過ごしました。

当然,それまではなんとなくイメージしていた「箱根駅伝」というものに対して,ある程度具体的に「目標」として意識できる程度にはなっていたのがこの頃です。

もっというと,もう走ることを一生続けていきたいし,なんならそれに関連した仕事に就きたいとも思い始めたのもこの高校時代だったのですね。

しかし,そうした目標があったものの,当時のランマニアはあまりにも陸上が楽しすぎて,もう生活全てを陸上に捧げてしまっていて,将来の進路や陸上以外のことについては何も考えずに毎日走り続けていた状態でした。

もう走ることだけをして生きていきたい。それができるのは今しかない。

みたいなことを,当時考えていたのを思い出します。

なので,多くの長距離に取り組んでいる高校生と同様,3年生でも11月の高校駅伝の県予選までは部活を続け,そこから受験勉強を始める,というスタイルをランマニア自身も採ることになります。

当時もセンター試験は1月中旬。私立大の試験も2月上旬ということもあり,受験勉強を一切していなかったランマニアにとっては,約2ヶ月ちょっとで大学入試を迎えなければならないという,圧倒的に無謀な挑戦を強いられることになります。

もちろん,それは織り込み済みで競技を続けましたし,正直「当然浪人だよね」という気持ちはありました。

自分が在籍していた高校は,「4年生高校」と言われるほど浪人生を多数輩出していましたから,浪人すること自体,今ほど抵抗のない状況だったのですね。

それでも,一応は受験をしたわけですが,やはり箱根駅伝への憧れは明確にありました。当然,箱根に出れそうな私大を中心に受験をしました。その中には,のちに自分にとってこの時が分かれ道となってしまった「慶應大学」も入っていました。

そして,当たり前のように2ヶ月の勉強で私大にそうそう受かるはずもなく。

しかし,自分のセンター試験の結果でも合格できそうな大学が一つだけありました。

あらかじめ長距離のコーチから誘いのあった,結果的に自分の母校となるある国立大学です。

ただし,この大学は国立大学ですから,当然箱根駅伝出場の可能性は限りなく少なくなります。

実は,この大学は当時の10年前の記念大会で箱根駅伝出場を果たしていて,ランマニアが入学する年がそれ以来の記念大会となる年に当たっていました。

せっかく現役で大学に入れるかもしれない。10年前は箱根駅伝に出場している大学。そして再び記念大会と重なる年。

そんなことを考えて,色々な思いはありましたが,結局この大学を受験することにしたのですね。そして結果的に入学に至ることになります。

毎年年末には母校でささやかな練習会と忘年会を開いています。当時のままの建物も・・。

そうして迎えた,初めての箱根駅伝予選会。

ランマニアは1年生ではありましたが,現在の 20km PBでもある,1時間4分58秒(当時は 20km)でフィニッシュしました。

しかし,残念ながらチームは予選回突破とはならず。事実上,自分自身の箱根駅伝挑戦は,この時に終了してしまいました。

そして先述した通り,この年は10年ごとの記念大会の年。当然,予選会通過の枠も拡大され,通常であればランクインできなかった大学もいくつか入ってきました。

その中でも国立大である「筑波大学」,そしてランマニアも受験した(落ちた)「慶應大学」の予選会突破は大いに話題となりました。

そして,当時,この結果を見て色々と複雑な思いを抱いたのを思い出します。

当時のランマニアの記録は,今ですらかすりもしない記録ですが,このタイムでも予選会総合95位。

箱根出場を果たした筑波と慶應の選手の中では,5番目とか8番目とかの記録でした。

そうなんです。

「どうしたら箱根を走れたか」

ランマニアにとってのこの答えは,「ちゃんと勉強していれば」ということだったのです。

もちろん,慶應大学に入るなど(しかも現役で),そう簡単なことではありません。

部活をやりながら現役合格を目指すなど,当時ほぼ無理なことだったと思っています。

しかし自分にとって,本当に箱根を走りたい気持ちがあったのなら,記念大会という状況も加味して,本気で合格を狙うという方法もあったのではないか,と,これは何年経っても考えてしまう事実なのですね。

とはいえ,選択した母校での生活や出会った仲間たちを思えば後悔はなく,むしろ今の今まで競技を続けられているのも,この大学を選択したからに他ならず,もし自分自身が箱根駅伝を走っていたら,果たしてここまで競技を続けていかというとそれも疑問です。

箱根は走れなかった。学生競技も猛烈に消化不良に終わってしまった。

それが結果的に細々と今も競技を続けられている理由である気がしています。

その後,「学連選抜」システムの誕生。この時も「ああ,自分らの時にこれがあったらなぁ」と,やっぱり未練は消えず。

何年か前に筑波が出た時や,学連選抜で慶應の選手が走った際も,やっぱり「おれも・・」みたない気持ちになったり。

まあ,結局何年経ってもなんだかんだで当時を思い出すわけで。

そうした中で,今日見つけたポスト「一生続くような気がする」は,なんだか猛烈に自分に刺さるフレーズだったのですね。

2023年を振り返る

こんにちは、ランマニアです。

今日は休みをもらって、近場の丘陵地帯で緩やかなトレイルを走ってきました。

冬場は日が短く、一日の使い方を計画的に考えないとあっという間に日が暮れてしまいます。

今日のように貴重な平日休みは、あれもしたいこれもしたいと欲張ると何もできずに暗くなって残念な気持ちになってしまうこともよくあります。

特に、半日かけて山に出かけてしまうと、移動時間で大半が割かれ、せっかくの休日が数時間の山登りで終わってしまうことになり、この時期の山練や登山はあまり好きではないのですね。

冬の、キンキンに冷えた空気の中落ち葉を踏み締める音だけを聞きながらトレイルを走るは好きなんですけどね。

そういうことなら、近くの丘陵(狭山丘陵)でも十分味わえるのではないか、と朝イチで2時間ほどゆっくりと冬の山道を堪能してきました。

標高の低い都市部の丘陵地帯は、夏には虫の集中砲火を浴びますから、近場を走るには冬は最適でした。

さて、冷えたトレイルをのんびり走りながら、今日は今年1年を思い返していました。

今年は、なんと言っても7月の自身初の世界選手権出場があり、4月から7月はほぼトレイル練に時間を割いていた時期でした。

ひどい走りになったものの、海外遠征の楽しさを存分に味わえた世界選手権

この時期は、ここまで頻繁にトレイルを入れたのも初めてというほど、毎週のようにトレイルに向かい、山を走る力を少しずつ高めていきました。

元々長い距離は困難な事情があるため、本番は全く歯が立たなかったとはいえ、それでも12時間ものトレイルを走り切れたことは、自分にとっての一つの財産にはなりました。

ただ、そのレースも含め、今年は国内で3レースほどでた「スカイレース」は全て惨敗し、改めて長い距離のトレイルレースは自分にとってなかなかのハードルであるなと感じました。

補給の重要性を甘くみたびわ湖バレイスカイレースでは人生初のハンガーノック状態となり、自力下山が不可能な状況にまで陥りました。

8月の嬬恋でも事実上の途中棄権。5月の上田もフィニッシュ後2時間も起き上がれなくなるほどのダメージを受けました。

何度チャレンジしても惨敗する上田スカイ

世界選手権も含め、このスカイレースという競技は、自分の適性がある一方、走行時間が長すぎることで現在の自分の体の状態では太刀打ちできない現実もあります。

今年は、2度のDNF状態を経験し、正直来年の参戦は今は迷っているのが正直なところです。

一方で、今年度から始まったバーティカルの国内シリーズ「VGAEMES Japan」においては、最終的に総合10位に入り、Over48の年代別では2位にランクインすることができました。

最終戦のポイントが2倍になることから、数ポイント差で10位に食い込むことができたVGAMES

以前にも書きましたが、ランマニア的には疲労症状が顕在化する前に終えることができる「短距離型トレイル」はおそらく自分のスイートスポットであり、登り適性と年齢の割に高いVO2Maxとで、割と上位で戦える種目となっているのは間違いありません。

特に、「竜王」や「びわ湖バレイ」のように、「走れる急坂」は最も自分に適性があり、この区間が長いレースほど(烏帽子スカイランなど)、同年代の選手に対してアドバンテージが得られる気がしています。

バーティカルが得意でスカイレースが苦手な理由

山を走るのは好きですし、練習でも取り入れたいと思ってはいますが、スカイレースまでは長過ぎて対応できず。そうなると、60分以内で終了するバーティカルは、来年以降自身のトレイル領域での主戦場にしても良いのかもしれないと思っています(3時間越えする富士登山競走も例外的に)。

そして、今年後半以降、例年と少し変えてみたことが、トレイルレースを極力控え、陸上練習を集中的に取り入れるというものです。

例年、10月以降はトレイルレースのハイシーズンで、志賀高原や烏帽子などほぼ毎週のようにトレイルレースが入る状況が続いていました。

これはこれで楽しいのですが、一方で、長いスカイレースが入るとどうしても疲労回復に時間を取られ、インターバルや閾値走など、高い強度の練習を取り入れる余裕がなくなってしまっていたのですね。

ジョグだけでもある程度の力は維持できるのですが、この歳になると最高強度付近の力がどんどん衰えていくため、10年前と比べて意識的にこの辺りの練習を入れていかなければ取り返しのつかないことになっていくことに気づき始めていました。

10年前には何もしなくても維持できていた力が発揮できなくなってきたここ数年

なので、今年は世界選手権が終わって以降、トレイルレースは必要最低限にし、週末の練習をしっかり確保しようと意識しました。

9月に一旦故障で離脱しましたが、この効果を体感できたのは、この12月に久々にロードレースを走った時でした。

ギリギリ呼吸のキツさを我慢できつつ、脚は力強く動かし続けることのできるハーフマラソンは、自分にとって好きな種目の一つなのですが、今年久々にこの種目で手応えを掴むことができたのですね。

久しぶりにロードレースの楽しさを実感できた所沢シティマラソン

タイム的にはピーク期の1時間12分台には遠く及びませんでしたが、この非常に起伏の激しいコースで15分台(平地なら13分台から14分台)で走れたことから、40代前半の頃の最も強かった時期にかなり近づけた気がしました。

また、2週後の駅伝ではフラット5kmの単独走において16分46秒と、久々に16分台で5kmを走ることができ、練習やピーキング次第、またトラックであればもう一度16分30秒以内では走れるのではないかという手応えを感じることもできました。

ここ数週間の練習で、解糖系やVO2Maxの顕著な衰えを感じてやまないのですが、それでもまだまだチャレンジできそうな感覚は得ているところです。

そして、何より今年は大きな故障で長期離脱をすることなく、練習を継続できているのがとても大きいです。

通勤時に練習を入れるパターンが定着し、その中で走行距離を調整し、練習を分割することで脚へのダメージをだいぶ防ぐことに成功している気がします。

本当であれば平日にもう一日高強度の練習を入れたいところですが、間違いなく故障のリスクは跳ね上がると思われ、ひとまず欲張らず週末対応で継続していくのが無難でしょう。

ということで、2023年は久しぶりにロードを走る楽しさ、練習を継続することの楽しさを味わうことができ、近年スカイレースに偏りがちだったライフスタイルを、もう一度陸上寄りに戻したい意欲が出てきた年でした。

来年は、いよいよ50歳となります。

ですが、自分としてはいよいよここから再挑戦という気持ちが強く、トラックからマラソンまで楽しめる実力を取り戻していきたいと思っています。

明暗を分けた嬬恋と竜王

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週までは2週連続のトレイルレース(厳密にはスカイランニング)に出場してきましたが、先々週は登りと下りのあるスカイレースで、翌週は登りだけのバーティカルでした。

初めのスカイレースは、嬬恋スカイランのスカイリッジ40km ±2700mに対し、バーティカルは竜王の4.5km +1000mと、全く違うカテゴリーと距離特性の種目でした。

そしてその結果も、スカイが最後はDNFに近い酷いレース展開であった一方、バーティカルはかなり手応えを感じる過去最高順位と、はっきりと明暗が別れたのですね。

嬬恋スカイランの、スカイリッジ。登りと下りのを繰り返すのがスカイレースの特徴です

JSAのスカイランニングジャパンシリーズを転戦している人や、世界選手権を一緒に走ったランナーからすると、なぜこれほどまでにスカイとバーティカルで成績が大きく変わるのか、理解に苦しむだろうな、と思います。

世界選手権では日本チームでは完走した中で最下位でしたし、嬬恋にしても先日のバーティカルの順位から比べると、あまりにも結果が悪すぎます。

しかし、当の本人はというと、この結果には全く疑問を感じておらず、むしろ当然こうなるであろうなと、完全に想定内の成績なのですね。

ジャパンチームでも最下位だった世界選手権

古くからこのブログを読んでいる方や、Xのフォロワーさんならご存知だと思いますが、ランマニアは学生時代の慢性疲労症状が完治しておらず、練習やレースにおいてかなりの影響を受けている状態です。

特に、距離や走行時間が伸びれば伸びるほどその影響は顕著になり、本来の各種有酸素能力や持久的能力からすると、あまりにも走れなさすぎることで、よく周囲から疑問を持たれます。

一番目立つ成績は、ハーフマラソンがそのタイムなのに、なぜマラソンはその程度なの?ということですね。

同じ理屈で、スカイレースでも同様な状態が起こります。

バーティカルではしばしば一桁順位に食い込む一方で、距離の長いスカイレースになると一気に順位を落とす、ということも。

5月に40kmのトレイルレースで棄権をしたのもこれが原因ですね。

なので、世界選手権の55kmなどは、大袈裟でなく、完走はほぼほぼ無理だと思っていたため、自分にとっては限りなく奇跡に近い結果でした。

繰り返しますが、とにかくこの影響は、走行時間や距離が伸びれば伸びるほど顕著になります。

バーティカルが得意なのは、登りが強いのではなく、単純に時間が短いからなのです。スカイが苦手なのは、下りが苦手なのではなく、時間が長いからで。

距離が30kmを超えるようなスカイレースでは、疲労症状がてきめんに現れます

このことについては、初期の頃のブログに詳細に書いてあります。興味のある方は参考にしてください。

この2つの記事では「神経系(脳)」の疲労について仮説を立てています

このような、筋を長時間にわたって何度も収縮させる運動を続けると、当然筋肉は疲労します。また、筋収縮のためのエネルギーが徐々に減っていき、最後は枯渇します。

通常、特に健康上問題のないランナーであれば、走りのパフォーマンスの低下は、これらによって引き起こされます。

筋の物理的ダメージかエネルギーの枯渇、また筋繊維の酸化によってももしかしたら走運動が困難になるかもしれません。

ところが、何らかの要因で、筋を収縮させるための電気刺激を発生させる神経系、そのスタート地点は脳にありますが、そこがダメージを受けていると、筋などの抹消組織よりも先に神経系が機能不全を起こすことが、ある程度わかってきました。

これについては、先日Xで 竹井尚哉さんがかなり詳しく解説してくれていました。

ランマニアが学生時代に患ったのは、おそらくオーバートレーニングによるこれであると思われ、以降、長距離種目に対してかなりのハンデを追うことになったのですね。

しかし、竹井さんも言及している通り、この疲労は短距離走ではあまり発現しないとのこと。

これで、今回のランマニアのスカイランニングでの結果にもある程度説明がつきます。

短時間で、しかも比較的速筋繊維が動員されやすいバーティカルにおいてはそこそこの結果が残せ、ほぼ遅筋繊維と有酸素能力を使い続けるスカイレースでは終盤の疲労症状が猛烈に悪化するという現象についてです。

4月からそこそこの距離を走り込み、トレイルの距離も伸びてきたことから、ある程度の有酸素能力や山耐性はできてきたはずです.

なので、世界選手権で55kmを走った後でもそれほど脚のダメージ、肉体的なダメージは残っておらず、練習の効果は実感できました.

それでも、神経系の疲労にはどうしても勝てずに、レース終盤は走ることもできないほどの疲労感に襲われていました.

筋のダメージやエネルギーの枯渇ではなく、神経系が機能しなくなってしまった状態.ここが改善しない限りは、距離の長いスカイレースで満足いく結果を残すのはなかなか難しいだろうなと感じています.

なお、このような神経系の疲労は、努力度とも密接に関係していると考えていて(努力度≒神経系の電気信号の強さ、と考えています)、長い時間を走るには、できるだけ努力度を抑えてペースを維持することが重要であるとも思っています.

筋の出力を上げるには電気出力を上げる必要があり、それこそが「努力度」ではないかと仮説を立てました

一方、ジョグを通して長い距離を走り、心・血管系、呼吸器系、さらにはミトコンドリアなどを適応させていけば、同じペースで走るにも努力度を抑えることができることは変わりありません.

なので、神経系の機能不全があったとしても、長距離能力を高めることは、速く走る為のアプローチとしても変わりはなく、実際、過去そのアプローチでマラソンで2時間40分を切るところまでは到達することができたのですね.

そして、逆に短期決戦で終わるバーティカルなら、まだまだ上位と張り合える力は発揮できることがわかり、現在の状態でも十分競技を楽しめることはできそうだなと感じます.

今年、世界選手権とその後の比較的疲れていた状態で走った嬬恋のレースでは、正直、この体の状態でこの競技を続けるのはかなり厳しいのではないかと思ったのは事実です.

あまりのしんどさに「引退」の二文字もよぎった今年の嬬恋

とはいえ、やれないこともない、というのも事実であり、つまるところ「やるか」「やらないか」なのですね。

今シーズンのスカイレースは、残すところあと1試合(びわ湖バレイ)。

若干走時間が短いとはいえ、かなりの難コース。それまでのトレーニングでどこまで対応できるかを試してみたいと思っています。

なお、明後日は久々のトラック5000mへ出場します。

「短期決戦」ですし、主な強度はVO2 Maxレベルなので、現在の持久的能力のベンチマークとして参考にしたいと思います。

長距離ランナーとしての地力の引き上げを目指して

こんにちは、ランマニアです。

世界選手権から2週間が経ち、そろそろあのレースやイタリアでの生活の記憶も次第に薄れてきた頃です。

帰国後しばらくは時差が戻らず、毎日眠くて仕方がない日々が続きましたが、先週あたりからようやく生活のリズムも戻ってきて、練習にも影響がでない状態になってきた印象です。

そんな昨日は、久しぶりにVO2 Maxに刺激を入れる1kmのインターバルを行いました。

先月のテーマはこのVO2Maxの向上(というか、少しでも元に戻す、といった程度ですが)で、本数は少ないですが、3週連続で1kmのインターバルを取り入れ、徐々に3分15秒前後のペースに余裕が出てきた状態でした。

世界選手権で2週ほど空いてしまい、昨日はそれ以来のインターバル走でした。

脚の疲労はそれほどなかったため、アップの段階で3本はやりたいな、と思っていました。

これまでは山練習の合間にインターバルを入れてきたため、どうしても疲労が残った状態で、3本目は難しい状態でした。

昨日は休養は十分だったため、久しぶりに3本できそうな脚の状態だったというわけです。

結果、3本とも3分16秒前後で走ることができ、体感的にもこの辺りが現状のVO2Maxなのかなと実感したところです。

正直、随分落ちたな、といった感じです。

2016年〜2017年にかけて、40代で最も速く走れていた時期があったのですが、この頃は1500mが4分15秒、5000mが15分50秒、ハーフが1時間12分台、マラソンが2時間39分台と、今にして思うと最強時代でした。

この頃の1kmのインターバルは、調子がいいと3分02秒、3分00秒、2分59秒と、今とは比べ物にならないほどのスピードでこなしていました。VO2Maxよりも若干速いペースでしたね。

体に最高強度の負荷をかけて、呼吸器系、循環器系を維持しようという意図があったように思います。

ところが、この後故障をして数ヶ月ジョグしかできない時期が続き、結果的に復帰はしたものの、次の時には同じスピードで1kmを走れなくなっていました。

どんなに頑張っても1kmで3分5秒が切れない。インターバルだと3分10秒くらいかかってしまうようになりました。

そこからさらに3年ほど経過したのが、現在。

インターバルでは3分15秒がやっと。自分の中では、この1kmのインターバルが持久的能力のベンチマークとなっているのですが、確実に衰えていくのを実感することとなりました。

確かに、練習の中心がジョグですし、定期的にVO2Maxの練習は入れてはいません。解糖系の練習なんてほぼ皆無です。

なので、衰えていくのは当然なのですが、実は7年前の最速だった頃も、特にそうした練習は入れてませんでした。

今と同じような練習でしたが、もともとの地力のようなものであれくらいの能力は維持できていたように思います。

昨日のインターバルも、7月に再開してからもう4回目となるのですが、タイムはほとんど変わらず。

以前も久しぶりに取り入れた際は、確かに若干衰えたな、と感じても、1、2回走ればすぐに元に戻っていました。3分10秒くらいは頑張れば出せていたのですね。

それが、昨日は3分10秒など到底出せそうにないほど、しんどく感じてしまいました。

確実に能力的な衰えを実感する状態でした。

X(旧Twitter)のプロフィール欄にあるように、自身の目標は、トラックやロード、スカイランニングなど、場所や距離を選ばず長距離種目をできるだけ速く走ることです。

7年前はそれがいい形でバランスよく実現できていて、あの状態が理想であると言えます。

とはいえ、故障もせず、体調も落とさず、1年間ずっといい状態で走り続けるのはなかなか難しいと思っているので、今はひとまず故障だけは避けながら、年間通してそこそこの調子を維持したいと考えています。

その中で、トラックやロード、スカイランニングにおいて、そこそこのパフォーマンスを発揮していければと思います。

そのためには、やはり長距離ランナーとしての地力を高め、それを維持することが重要と考えています。

具体的には、長く走る力、速く走る力、これを少しでも高めることですね。

長く走る力は、ここ数ヶ月である程度戻せてきたように思います。しかし、速く走る力は、もうここ何年かトレーニングとして取り入れてきていませんでしたので、意図的に実施しなければならないと思っています。

もう年齢も年齢なので、どこまでスピードを戻せるかわかりませんが、マスターズ最強の利根川さんが、あそこまでスピードを戻せているのを見ると、トレーニング次第でまだまだやれそうな気はしています。

また、ここからどこまで長距離ランナーとしての能力を戻していけるか、挑戦すること自体が楽しみなわけですね。

いずれにしても、故障をしてしまうと全てが振り出しに戻ってしまうので、そこだけには細心の注意を払いながら、再び次の目標に向けてステップを踏んでいこうと思います。

残り1週間

こんにちは、ランマニアです。

いよいよ人生初の海外レース、初の世界選手権まで残り1週間となりました。

出場が決まった4月から約4ヶ月間、走行距離55km、累積標高差4100mという未知なるコースの踏破に向けて、やれる準備はしてきたつもりです。

走行距離も獲得標高も、どちらも完走した経験はなく、実際体がどのような状態になってしまうのかいまだに想像もつきませんし、それを走り通すにはどうすれば良いかも正直わかっていませんでした。

しかし、確実に言えることは「山を長く走ることに慣れること」であり、そのための準備をするしかないと考えて4月からの練習を組み立てました。

4月は、自宅から最も近い山に毎週のように通い、「山を走る頻度」をあげました。

ゆっくりでもいいし、短時間でも、獲得標高も低くても、とにかくなんでもいいので毎週山を走る、ということを目標にひと月を過ごしました。

4月は自宅から最も近い飯能の山々へ向かい脚を慣らしました

続いて5月は、ちょうどスカイランニングのジャパンシリーズが開幕する月でしたので、そのレースも含めて近場のレースにもエントリーし、本格的にロングコースのトレイルを走る機会を確保しました。

秩父で行われた40kmレースでは、疲労とペース配分のミスとで完走できなかったのは痛かったですが、たまたま最終週にTwitterの有馬さんにお誘いいただき、Zakiさんと共に走ることのできた箱根外輪山トレイルが自分にとって大きな自信となりました。

というのも、このトレイルコースは47kmで累積3600mと、自分自身の最長距離トレイルとなったにも関わらず、練習自体もまだ2ヶ月程度しか継続していなかった中で、どうにか完走できたからでした。

自分にとって大きな自信となった箱根外輪山トレイルの完走。
休みを入れることとペースを落とすことの重要さを身をもって体感しました。

結果的に、このあと今日に至るまで、この日の練習を超える距離と累積標高を走ることはできていないため、このタイミングで一緒に練習をしていただいた有馬さんとZakiさんには正直大感謝なのですね。

本来であれば、この5月に出来上がりつつあった「山を走る脚」を使って、6月はもう一度長距離トレイルを走っておきたかったのですが、珍しく走ることに影響する程度の風邪を引いてしまい、予定では50km近くまで走るはずだった奥武蔵ロングトレイルのコースで、30kmDNFとなってしまったのですね。

しかもレース日を間違えるというしょうもないやらかしをし、いろいろ残念なロングトレイルとなりました。

とはいえ、5月はかなり無理をした感があったため、この6月を控えめに過ごせたことは、のちのちリカバリーの効果を上げるためには良い方向に機能したかなと思っています。

風邪で走れなくならなかった場合、7月のトレイル練と合わせるとかなり脚に負荷がかかってしまったであろうことは、容易に推測できます。

事実、今月は初めて予定外の休みを入れるほどの脚の違和感を感じ、山練のダメージが看過できないものとなってきてはいました。

幸い、走行不能な「故障」にまでは発展していませんが、6月に無理をしていたら、あるいはどうなっていたかわかりません。

暑さを避けて敢行した富士登山では、ロード登りで踵の痛みが生じ、その後の練習に対して慎重になりました。

おそらく、アキレス腱周囲炎になりかけた状態だったと思いますが、2日後に行った1kmのVO2Maxトレーニングではむしろ痛みは発生せず、日常の通勤ジョグでの方が若干違和感が多く出る状態でした。

ですので、おそらくそれほど症状は重くない感じはしていて、最悪痛くても走れる状態で当日を迎えさえすればどうにかなるかな、とどちらかというと現状維持を意識して練習を続けることにしました。

5月に箱根外輪山を完走したとはいえ、実際には55km累積4000m超えを余裕を持って走るには到底練習は足りていなかったため、最低限この7月はトレイルの頻度を確保したかったのは事実です。

そこで、今月は3度のトレイルを入れましたが、最後は松本の北アルプスへいき、可能な限り実戦に近いシチュエーションで山を走ることにしました。

北アルプスの常念岳を含むトレイルは、コース特徴が本番に酷似していて、
レース当日の初めの20kmをシミュレーションできる絶好のトレイルコースでした。

山を走る分には踵の痛みも出ず、最悪このまま当日を迎えてもなんとかなるかな、というある程度の見通しを持つことはできた印象です。

結果的に、そこから1週間経った今日に至っても重症化せず、今日は予定通りインターバルを行いましたが、痛みも出ずに無事終えることができました。

人生初の日の丸入りのユニフォーム。誰でも買えるとはいえ、やっぱりテンション上がります。

ということで、この4ヶ月を振り返ってみましたが、ほぼ計画通りのトレーニングを継続でき、当日走れなくなるような故障も今のところ発生せず、自分の中ではやれることはやったかなと。

もちろん、当日のコースを考えればまだまだ練習は足りていないのですが、最も重要なのは「計画したトレーニングを故障なく遂行すること」だと思っているので、「過ぎたるは及ばざるが如し」を防げたと思って、現時点では満足しています。

レースは現地時間の30日(日)6:30AMスタート。出国は26日夜で、現地には27日の昼前に着く予定です。

この土日は最後の週末となるため、遠征の準備は明日までに終えておきます。

SJS年間順位が確定しました

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週のびわ湖バレイスカイランを持って、今シーズンのスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)も閉幕しました。

昨シーズンから本格的に「コンバインド」(VKとSKYを連日で走る)に挑戦し、年間を通して両種目でのポイント獲得を目指してきました。

昨シーズンは、後半戦、就職活動のためVKのみの出走になり、それが結果的に好結果につながり、VKの年間順位で総合10位、40代では6位に入ることができました。

https://drive.google.com/file/d/125RqF5fi4ZfvBMJSGTZo_7jBcwTiva8D/view?usp=drivesdk

最終戦のびわ湖がポイント2倍になることもあり、そこで一桁順位で走れたのが大きかったです。

昨年の経験から、今年こそ全5戦のコンバインドを達成し、VK、SKYの両種目で総合順位を狙いたいところでした。

ところが、5月の上田の開幕戦から体調管理に失敗し、VKの無得点、SKYの途中棄権という予想外の開幕となってしまいました。

あまりにも体調が悪すぎた今年の上田

しかし、そこから新しい仕事、新しい職場においてどう練習を組み込むかを模索した結果、通勤と週末を利用したトレーニングパターンがある程度かたまり、6月の東京バーティカルでは久々に会心の走りをすることができました。

何度も試走を行った東京バーティカルでは、ペース配分がガッチリはまったレースとなりました

一桁順位こそ逃しましたが、毎回どうしても勝つことのできなかった同世代の最強バーティカルランナーに僅差で先着することもでき、かなり嬉しかったのを覚えています。

ところが、このレースの前後に痛みが出始めていた、足底筋膜炎の症状がここから悪化の一途を辿ることになります。

この時は数週間で回復すると楽観的になっていましたが、結果的に今シーズンを大きく左右する大きな故障となってしまいました。

数日休んでは練習を再開し、痛みがひいたと思えばまた悪化させを繰り返し、誤魔化しながら出走したのが、東京バーティカルと対になるSKYの関東シリーズである嬬恋スカイランでした。

予想だにしなかった難コースに打ちのめされた嬬恋スカイラン

レース当日は調子も良く、中盤まではかなり良い順位で戦えていましたが、終盤補給を怠ったためか急激な体調悪化に見舞われ、大きく順位を落とすことになりました。

最終盤に待っていた登り区間で終戦となってしまいました。

そして、このレース以降、足底筋膜炎の痛みに悩まされることになります。

まず、最も楽しみにしていた富士登山競走のDNS。

八月も全く走れず、9月の蔵王にも結局間に合わず、こちらもDNS。

この時点で、まだ足に痛みが残っていたため、正直今シーズンはもう終わったと思っていました。

9月の下旬あたりから数kmずつ走り始め、10月の半ばでもまだ10km走るのがやっとの状態でした。

そんな中で、久々のレースとなった志賀高原エクストリームトレイルに出場しました。

トレイル練のつもりで出走したエクストリームトレイルでしたが、まさかのセカンドベスト

当初は、11月のびわ湖バレイに向けてのトレイル練再開のつもりで走る予定だったエクストリームトレイルでしたが、序盤から控えめに入ったことで、予想外の好走となりました。

久しぶりにトレイルを走ったため、脚へのダメージはそれなりにありましたが、序盤を抑えてゆっくりと走り切ったためか、思ったよりも疲労は残らず、翌週の烏帽子スカイランはどうにか最低限走れる状態では臨むことができました。

両レースとも、大した走りはできませんでしたが運よく14位に入ることができました。

VKでは、自身の力を過信し、前半から突っ込んでしまった結果、終盤は見るも無惨な走りとなりましたが、出場選手の関係でどうにか14位に入り、久々にポイント獲得となりました。

SKYも、マイペースを貫き、後半のロード区間も無難に走った結果、こちらも14位でポイント獲得。

シリーズ戦最終盤で、残すはポイントが2倍になるびわ湖を残すだけとなりました。

ところで、今シーズンは例年毎年のように参加していたつくばマラソンが再開され、そちらにもエントリーしていたのですね。

ここは、びわ湖に備えてロングジョグのつもりで走るつもりでしたが、走ったところで調子に乗ってしまい、結果的に後半の20kmはキロ4分の距離走を行うことになりました。

まあ、当然疲労は一気に溜まりましたね。

中盤以降、気持ちよくロードを快走してしまった5年ぶりのつくばマラソン

そして迎えた最終戦。

先日報告した通り、まさかの4レース連続14位というギネス並の結果で今シーズンのスカイレースを終えることになりました。

びわ湖テラスの景色は最高でした

そして、最終戦の結果を待って、SJSの総合順位も決定しました。

https://drive.google.com/file/d/1nk2XIUuAUYd9KKpV30_9KOQjce2Sssam/view?usp=drivesdk

VK部門は総合20位。年代別は今年から5歳ごとに細分化されたため、M45で2位という結果となりました。

40代の強豪ランナーたちと別カテゴリーになったおかげで、部門別2位になれたのは正直嬉しかったですね。

https://drive.google.com/file/d/1nrFrSvkPq4U31igYlTRLGy9q-cswAJJD/view?usp=drivesdk

SKY部門は総合25位。年代別は、こちらもM45になったことで3位というありがたい順位をもらえました。

こうして、故障やら不調やらでポイントすらつかないかと思われた今年のシリーズも、どうにか最低限の結果を残して終えることができました。

ただ、今年のシリーズ通して言えることですが、今回はどのレースも出場選手が若干寂しい感じはしました。

以前は、ワールドクラスで活躍している「あの」男性選手や、VKでは圧倒的な強さを誇っている「あの」女性選手もシリーズ通して出場していたSJSでしたが、いつしか彼らの主戦場が別の場所になっていったように思います。

それは、ここ数年トップクラスの選手がSJSから流出していってしまっているなぁと、薄々感じてはいました。

昨年度鮮烈デビューを果たした「あの」ユーチューバーさんも、今年は別のところで活躍されましたし。

確かに、あるところでトップを極めると、もうそこには留まりたくない気持ちはあるのでしょう。

このSJSは一つの到達点、通過点なのかもしれません。

そういう意味では、ここは若手の登竜門的な存在であり、これからもどんどん新しい若い選手が挑戦する場になっていくのかもしれません。

それは、自分たちのようにトップクラスではない平凡ランナーにとってはそこそこの順位争いができる、楽しいシリーズになることは間違い無いのですが、一方で、真の一流選手がチャレンジし続ける「挑み続ける価値あるレース」とはなっていない気もして、そのあたりに寂しさは感じるのですね。

ランマニア的には、まだまだここでチャレンジしたい気持ち満々ですし、シニアの部で世界選手権を目指したいなんて割と真面目に考えたりもしています。

来年度は、上位を独占している40代集団をもっともっと脅かす、若い選手たちがたくさん参加してくれることを期待しています。

隔日練で見えてきたこと

こんにちは、ランマニアです。

大きな山場だった上田スカイレースもどうにか無事走り終えることができ、ひとまず腰を据えてじっくり体力を戻そうという気分になってきたところです。

やはりどんなレースでも、競技会が控えていると気持ちは昂りますし、万全でない時ほど焦りが出てくるものです。

さて、4月下旬に練習を再開してからここまでずっと続けていることがあります。

それは「隔日練」です。

今年に入って繰り返されるふくらはぎ痛からの練習再開では、徐々に距離やペースを伸ばしていくいわば「漸増型再開法」(勝手に作った造語です)を取り入れてきましたが、これがどうもふくらはぎの「再生」にあまり良い感じがせず、4月からはちょっと別のアプローチで体力を戻す方法を取りれてみたのですね。

別に、特段たいした取り組みではないのですが、要は単純に「1日おきに練習する」という方法です。

トレーニングの効果を規定する要素としては、主に「強度(ペース)」「時間(距離)」「頻度(単位時間あたりの練習回数)」があると考えていますが、今回はそのうちの「頻度」を落とすことに着目して練習を再開しようと考えました。

というのも、これまでは「強度」と「時間」を徐々に増やすということしか頭になく、この「頻度」という観点を全く考えていなかったからなのです。

疲労させた組織の回復にはどうしても時間がかかるため、どんなに強度の低い練習をしたとしても、筋繊維を使ってしまった以上は一定の時間休ませる必要があるのは当然のことです。

特に、現在の状態のように損傷からの「再生」の途中にある筋繊維であれば、その回復のための時間は普段よりも多く必要であるでしょうし、何よりランマニアはそこそこの「老体」ですから、昔のような「食って寝れば治る」ような若々しい筋肉の状態でもないことから、「回復の時間」を意識して確保しなければならないと考えを新たにしたのですね。

なので、以前なら、30分走ってまた翌日30分、とかをするくらいなら、45分走って翌日はまるまる休養、というようなパターンに変更をしてみたのです。

昔なら低負荷の練習を毎日続けているうちに「そういえば治ってる」みたいなことがほとんどでしたが、最近はまるまる一日休むような時間がないと、筋の再生が間に合っていない感覚を感じていました。

そんなことで、30分走ったら翌日休み。山を走っても翌日休み。次は45分に伸ばしたところで一旦翌日休み。

このような流れで練習を継続してきました。

練習再開後から今日までの練習内容。都合により隔日になってないところもあります。

4月24日からランを再開してからここまでですが、走行距離的には概ね105kmほどです。

日数にして20日間。20日で105kmですから、いわゆる「月間走行距離」的には相当少ない距離ですね。

しかし、今日は久しぶりに90分もの時間をそこそこのスピードで走ってみたところ(16km強)、特に終盤ばてたり、距離的にしんどい感覚を感じたりすることもなく、快適に走ることができました。ふくらはぎへの負担もそれほど大きくなく。

これはやはり「一度に走る時間を確保」して、「回復に当てる時間も十分確保」してきたことが大きかったと考えています。

もちろん、この先もこんなペースで練習をしていく予定ではありませんが、筋の状態が万全でなく、健全な状態と同じ負荷をかけた場合の回復に時間がかる時期では、

「故障が再発しない程度のかけられる負荷」をかけ、「筋繊維が元に戻るかそれ以上の回復を果たせるだけの時間を確保」することが、結果的に確実に走力を戻していけるのではないかと考えたのですね。

さて、今のところこの方法で練習を継続してきて、ひとまずふくらはぎは大丈夫そうです。もう一週くらいこの隔日ペースで練習を続け、脚の状態と相談してその翌週くらいから練習の頻度も上げていければと思っています。

ちなみに、この1日おきの練習にすると、「練習する日」が「特別な日」になってくるので、「練習するのが待ち遠しくなる」というこれまで感じたことのないような感覚を得られたのはちょっとしたメリットでした。

上田バーティカルレース【検証編】

こんにちは、ランマニアです。

さて、前回報告したレース結果とそれまでの練習内容から、なぜ今回はこのような想定外の結果になったかという話。

いきなり結論から言いますと、

  • スカイランニングの特異性にアプローチできた
  • 慢性疲労症状が落ち着いていた
  • スカイレースのペース配分と栄養補給を意識した

この三つに行きつきました。

順に説明します。

スカイランニングの特異性にアプローチできた

これはもうこの「スカイランニング」という競技種目がマラソン・長距離種目に必要な能力を応用できる部分に加えて、特異的な能力が必要な種目であり、その部分にアプローチをして準備してきたから、という考えに至っています。

はい、自分で書いていながらよくわからない表現になってしまっているので、めちゃくちゃ大雑把な図で説明すると、

厳密なデータがあるわけでなく、概念的な模式図だと思ってください。

この3種目に必要とする能力は、概ねこんなイメージで考えています(あくまで自分が走りながら感じている感覚的な印象です)。

簡単に言えば、純粋に前に進むだけの持久的運動であるマラソン・長距離種目は、ほとんどがその「一定ペースをできるだけ長く維持する力」に依存している状態だと考えていて、一方で変化に富む山岳地帯を走るトレイルランニングではそれ以外にもいくつかの影響要因があるということですね。

特に、マラソンや長距離種目で走る場所には存在しないような「急な坂道」「登山道」をできるだけ速く、長く走るためには、もちろん持久的種目に必要な有酸素系の能力は必須なのですが、それに加えてもっと絶対的な「筋パワー(収縮速度も加味した筋力)」なども必要になってくると考えています。

それが上のグラフで示したグレーの部分で、登り一辺倒の「バーティカル」ではその割合がとても多くなってくると推測しています。

(ちなみにこのパワー系の筋力は速筋系の筋繊維が関係しているので、あまり鍛えすぎると筋肥大が起こりやすく、それがトレイルランナーの大腿部が太い原因なのではないかと思っています(もちろん脚が細くて速い人もいます。おそらく走り方やもともと持っている筋繊維のタイプによる違いだと思われます)。)

つまり、この上田までの3週間はほとんどランは入れなかったものの、山歩きやトレランはそこそこの頻度で入れた結果、ランの練習だけでは鍛えることのできないグレーの部分(スカイランニングに特異的な部分)をトレーニングする機会が確保され、また副次的ではあるものの、長く山を歩き続けることで、青や緑の部分も最低限維持するだけの刺激を入れることができたものと考えられます。

特に、単なる「山歩き」でさえ、歩行時の心拍数は下りを除けば120を超えることもザラで、これを3時間も4時間も続ければそれなりのトレーニングになることは容易に想像がつきます。

これが一つ目の「スカイランニングの特異性にアプローチできた」ということの根拠です。

ちなみに余談ですが、以前記事にした「クロストレーニング」の有効性に関連して、トレイル練習はランの走力を上げるか?という「命題」をこのグラフから考えてみると、個人的には「なし」だと考えます。

やはり、トレイルを走ってみればわかると思いますが、とにかく山では同じサーフェスが1分たりとも続かず、一定の「走る」という動作を安定して確保することが難しいからです。「走ること」は「走ること」でしか鍛えられないものがあると考えていますので、同じ60分のジョグをするなら山で走るより平地のロードや緩やかなクロスカントリーで行った方が、間違いなく効率も効果も高いと考えています。

また、急な山道を駆け上がるとそれなりに苦しく、平地のインターバルなどの代わりになるのではないかと思われがちですが、実際には使っている筋や筋力の発揮の仕方が違いますし、何より心拍数の上がり方も違います。もしVO2MaxやLTなどを鍛えたいのであれば、これも間違いなく平地で一定時間負荷をかけた方が効率も効果も高いと考えています。

ただ、故障明けや休養明けで1から基礎体力を身につけていくときなどに、いきなり平地でインターバルをやるようなことをするよりは、芝生でのファルトレクなどと同様、呼吸器・循環器系に刺激を入れたり、糖代謝や無酸素性の代謝能を鍛える目的で、トレイルやバーティカルを走るというのは「あり」だと思っています。

一方、逆のアプローチとして平地で鍛えた有酸素代謝能力やVO2Max、LTなどは、トレイルランニングにも応用することができると考えています。なぜなら、これらの力が影響する割合は、長距離・マラソンよりもトレイルランの方が少ないと考えているからです(先程のグラフ参照)。

それほど頻繁に山へ通わずとも、いきなりトレイルを走ってそこそこ速く走れるのはそのためだと思っています。

なので、話はそれましたが、スカイレースやバーティカルを速く走るには、①平地の長距離・マラソン用のトレーニングで徹底的に青や緑を鍛える、②山に通ってグレーの部分を鍛える、というアプローチが最も効率が良いのではないかと考えています。

今回の経験から痛感したのは、トレーニングの「分業制」

一見、山を速く走りたければできるだけ山に通う方が良さそうに思われますが、ここは鍛える要素によって「分業」したほうが効率が良いと思うのですね。

今回上田でそこそこ走れたのも、昨年取り組んだランのトレーニングで、青や緑の部分の「ため」が残っていた(有酸素系の能力はそこそこ維持されるため)ところに、山通いでグレーの部分が鍛えられたことが大きかったのかな、と思っています。

慢性疲労症状が落ち着いていた

さて、好走できた二つ目の要因です。

これは自分自身に特有な問題なのですが、今回はとにかく「疲れていなかった」というのが想像以上に良い結果をもたらした、ということです。

もともとランマニアは慢性的な疲労症状を抱えていますので、少しハードな練習を積んでしまうとそれによって引き起こされた疲労が、パフォーマンスにかなり影響してしまうのですね。

なので、「ハードな練習を重ねて走力を高めるか」「そこそこの練習で体調を維持するか」を天秤にかけて、どっちのメリットの方が上回るかを常に考えながらトレーニングする必要があります。

今回は、かなりの長い期間まともな練習ができなかったことで、結果的に慢性疲労症状が悪化することなく、とてもいいコンディションでレース当日を迎えることができたと考えています。

確かに、今回山を走ってみて、いつもはもっと足のだるさを感じることが多く、億劫でしんどい感じがしていたことを思い出しました。この差は大きかったと思っています。

つまり、「トレーニング効果ー疲労の程度=当日のパフォーマンス」という概念を用いると、今回はそのバランスが以下のようなイメージで、結果的に発揮できたパフォーマンスに大きな差が出なかったものとみています。

今回はトレーニング効果は少なかったものの、トレーニングによる疲労の程度も軽かった。あくまで概念図。
発揮できるパフォーマンスは、トレーニング効果が疲労の程度によって相殺されたものと考えると、残った部分(赤)がレースでのパフォーマンス、という考え方。

このようにして考えると、トレーニングによって得られるパフォーマンスが微々たるものでも、疲労の程度も小さかったため、結果的にトレーニングを積んだ時と同じくらいのパフォーマンスが発揮できたものと推測されます。

ペース配分と栄養補給を意識した

最後はスカイレースに限って言える要因、ペース配分と栄養補給についてです。

一昨年同じスカイレースを走った時は、とにかく前半からぶっ飛ばしてしまい、最後は本当に倒れる寸前でゴールというかなり危ない状態に陥ってしまいました。

今回は、ふくらはぎの状態もよくなかったこともあり、とにかく序盤から慎重に、ペースを抑えてレースを進めたのですね。

具体的には「息が上がらない程度」という目安、心拍数で言うと「140を超えない」という目安を守りながら走りました。

この上田のコースは、走り通すと通常5時間近くはかかるコースです。

フルマラソンですら3時間程度ですから、よくよく考えれば相当なペース配分を考えなければならないことが分かりますよね。

例えば、フルを走るときに序盤から「ハアハア」息が上がることってあるでしょうか。

そんな状態で初めの10kmを走ろうものなら、もう30km手前でどうなるかは想像つきますね。

スカイレースも全く同じで、最近ようやくこのことに気付いたのですが、初めの1時間で「ハアハア」言ってたら、もう確実に撃沈します。

呼吸が上がる、と言うことは、それだけ多くのエネルギー(糖分、グリコーゲン)を使ってしまっていると言うことですから、終盤に使える栄養を無駄に消費してしまっていることになります。

スカイレースは、序盤からいきなり急な登りが始まります。なので、息が上がるのは当然、と以前なら考えていたのです。

しかし、これが大きな落とし穴。

4時間も5時間も走る中で、マラソンならこんなことはありえない。そう考えたときに、いくら急な上りでも、絶対に息を上げて走ってはいけない、と言うことに昨年のエクストリームトレイルあたり(10月)から気づきました。

なので、今回も序盤の登りから無理に走らず常に呼吸の状態に注意を払い、苦しくならないように慎重に登っていったのですね。

こう言うところもゆっくり登り呼吸を上げない(ていうか道じゃないよね、これ)

また前半、唯一気持ち良く走れる尾根伝いの区間があるのですが、そこでもペースは極力抑えました。

前半の尾根道はかっ飛ばしたいのを我慢してゆっくりとジョグ。一昨年は調子に乗ってのちに地獄を見ることに。

とにかく、このことを意識したことで終盤のペースダウンを最小限に防ぐことができ、およそ1時間余りの記録更新につながったと考えています。

そしてもう一つは栄養補給です。

この重要さに気づいたのも昨年のエクストリームトレイル。

実はトレイルランニングを始めて10年近くになりますが、つい最近までランマニアはほとんど補給をしないで走る人でした。

自分では補給食を持たずにエイドだけで軽く食べる程度。

もともと陸上競技から入った人なので、「レース中に食べる」と言う感覚にいまいち抵抗があったのですね。

しかし、昨年のエクストリームトレイルで補給食を摂りながら走って驚きました。

最後まで急な登り坂でしっかりと脚が動くのですね。

特に、比較的序盤(レース時間の3分の1くらい)から食べ始めると調子がいいように感じました。

今回も、レース開始後100分あたりから食べ始め、あとは30分毎に何かを口にするようにしました。

なぜ栄養の摂取がトレイルレースで重要なのかと言うのは、これだけでものすごい文章量になりそうなので別の機会に記事にしようと思います。

と言うことで、今回の上田バーティカルレースを想定外の結果で終えられた要因を振り返ってみました。

実際に振り返ってみると、意外としっかりとした根拠があることに気づき、むしろ「想定内」の結果であった気もしてきます(故障が悪化しなかったことは本当に大きな想定外でしたが)。

今回の検証で今後のトレーニングに関して参考にしたいのは、とにかく「一度高めた有酸素能力の力を信じて、その後一旦は疲労を抜く期間を設定した方が良い」と言うこと。

ランマニアの場合は、慢性疲労がパフォーマンスに大きく影響してしまうため、欲張って練習量を確保するよりは、一度追い込んだ後にはしっかりと休む期間を設定して、疲労を抜いてしまった方が結果的に高いパフォーマンスを発揮できる気がしています。

レベルは全く違いますが、あの日本選手権で優勝した伊藤選手にしても、おそらく故障期間中のリフレッシュが大きく影響したのではないかと考えています(あれだけの期間練習を休むと言うのは、エリートランナーなら尚更意図的にやるのは難しいはず)。

そして、強度の高い練習も、そんなに高頻度で取り入れなくてもある程度は力を維持できと考え、故障や調子を崩すことを考えると、疲れているときに無理してやるほどのことではない気もしてきます。

今回「あの程度の練習」で走れてしまったことで、「やりすぎないこと」の重要性に気づけたようにも思います。

とはいえ、今回の結果はそれ以前の「しっかりやり込んだ時期」に裏付けされたものである可能性もあり、「やらなければならない時期」もしっかり存在していることも考えなければならない気もします。

クロストレーニングとしての山登りはどの程度ランニングに応用できるか

こんにちは、ランマニアです。

ふくらはぎ損傷後の休養期間、とりあえずの2週間が終わろうとしています。

今回の痛みはだいぶ軽かったため、もう1週間の時点で歩いても小走りしても何ともない状態でしたが、これまでの教訓から、しっかり治すためにもさらにもう1週間余裕を見て休養を入れていました。

実はこの2週間、全く何もしていなかったかというとそうでもなく、3日に一回くらいの頻度で山登りを入れていました。

痛めたふくらはぎの部分を指で押して、痛めた場所の痛みがどれくらいかを毎日確認しながら、慎重に進めてきました。

山登りの場合、普通に歩けばふくらはぎに大きな張力はかからず、急な登りも大腿部や臀部を使って階段を登るように登れば、ふくらはぎへの負担をだいぶ軽くすることができます。

一番危ない下りに関しても、つま先でブレーキをかけることは絶対にやめ、やや尻もちの危険性が高まりますが(実際にコケた)、踵でブレーキをかけながらゆっくり下るようにしました。

こんな感じで山歩きを続けていたところ、患部の「指圧テスト」の痛みもほとんど消えてきました。

しかし、これまでの経験から、これはあくまで痛めた場所が「治りつつある」だけなので、ここでいきなり元の練習に戻すと100%もう一度やってしまうのは明らかです。

できればアスファルトを避け、しばらくは芝生の上を踵着地で慎重に走った方がいいかもしれません。とにかくふくらはぎの組織が完全に元に戻るまでは、ロードのジョグは極力控えようと思っています。

ところで、この2週間多くの山々をめぐる中で、これくらいのハイキングは、果たして長距離ランニングの走力の維持にどれくらい役になっているのだろう、と色々考えていました。

まず、行っている動作は「歩き」もしくは「階段(のような場所の)登り」ですから、平地を走るランニングフォームとは大きくかけ離れているので、多分「走る」ための筋肉にはほとんど役に立っていないと感じます。

ゼロではないでしょうが、「走る」練習に比べれば、走動作を行う筋肉、筋力の維持はほとんどなされていないものと推測します。

次に、ちょっと曖昧ない表現ですが「心肺機能」についてはどうでしょう。

ハイキング中、色々なシチュエーションで心拍数を見ていたのですが(手首の簡易型のため精度はたかが知れてますが、以前付けていた胸バンド方式も大差なしなので、あくまで参考程度に)、登りや下り、歩きや小走り、そして運動時間によってもだいぶ心拍数の変動が見られるのですね。

で、この登山中と、比較するために普段走れてたころのトレーニング中のだいたいの心拍数を一覧にしてみました。

  • 登山道登り歩行→110〜120
  • 登山道登り小走り→120〜140
  • 登山道走行時間2時間以上→160〜170
  • 平地ジョグ→120〜135くらい
  • 平地LT(LT2)走→180以上
  • 平地VO2MAX→190前後

というのがだいたいのところです。

スカイレースなどでは、心拍が150を超えてくると若干オーバーペース気味(バーティカルならレースペース)という判断をしていて、確かに3時間4時間走り続けるには150以上の心拍数ではエネルギーがなくなってしまいそうな感じです。

そして、この一連の心拍数を見ていると、多分登山道のような急な坂道を歩きで登り続けた場合の、呼吸器系・循環器系に与える負荷は、だいたい平地のジョグかそれ以上のものがあるのではないかと推察しています。

なので、この2週間、3日に一度の登山でしたが呼吸・循環器系への負荷だけを考えれば、ジョグをするのとあまり変わらないくらいの運動をしていたのではないかと実感しています。

もちろん、動きが全く違いますし、「走る」際の最も大きな特徴である「地面への着地衝撃」というものがまるで違うので、単純に「ジョグと同じ運動」をしたとは言えません。

それでも、最低限呼吸器系と循環器系だけには刺激を入れることができ、それがひいてはエネルギー代謝系の維持にもつながっていたと期待したいところです。

余談ですが、先程の心拍数一覧を見ると、登山道を一定時間走り続けた場合(つまりトレイルランニングですが)、心拍が170近くまで上がることがあります。

これは、平地のLT走とまではいきませんが、おそらく自分の感覚としてはマラソンペースくらいの負荷はかかってそうな印象は持っています。

もちろん、1時間そこら山を走ったところでそれほど心拍数が上がるわけではありませんので、ここまで上げるにはそれなりの時間(2〜3時間)は走らなければなりませんが、平地のロードをマラソンペースでガシガシ走って鍛えるよりは、ダメージを最小限にして同じようなトレーニングができるのではないかと思った次第です。

そんなことで、明日、明後日あたりからいよいよランを再開しようと思うのですが、この「登山クロストレーニング」がどの程度ランの再開に影響するのかを、実際に走ってみることで検証してみようと思います。

(※水泳でいいじゃん!という声が聞こえてきそうですが、ランマニアは大の水泳嫌いです)

歩くことから学べること

こんにちは、ランマニアです。

前回の記事には色々と心配や励ましをいただきまして、大変ありがたく思います。

まあ変な話、こんなこと(詳細は伏せますが)で仕事ができなくなるくらい余裕はある、てことなのかもしれません。

本当に明日生きていけるかどうかわからないほど切羽詰まっている状態なら、もうやるしか選択肢がないわけで。(Twitterでは2歳の娘さんを看取ったとか家がないとか想像を絶する苦境を乗り越えている方がたくさんいますからね)

さて、専門機関の先生(推測にお任せします)には、積極的に運動はしなさい、と言われているので、今週は走れないながらも「積極的に」運動を続けてきました。

幸い、ふくらはぎの状態は今年に入って痛めた4回のうちで最も軽症で、日常生活では全く痛むことはありません。2月に痛めた際は、歩いているだけで痛んできたので(だからこそ練習の再開なんてとんでもなかった)、あの頃がいかに重症だったか後になって気づきます。1月は、階段を降りる際に痛みがあったのに、その状態でジョグを続けていたのも論外です。

今回はひとまず2週間ほど様子を見ようということで、3日に一回くらいの頻度でハイキングを入れてみました。

日光を浴びながら新緑の中を歩くのも(普通は走ってしまうので)新鮮な感覚です

普段なら結構なスピードで飛ばせてしまうような平坦なトレイルや下りも、「あえて」歩くことで、さまざまな気づきが得られます。

実は5月に予定されている上田スカイレースは、今の所「歩き」で参加しようと考えているのですが、少し歩くスピードを上げれば、ギリギリ制限時間に間に合うのではないかと考えているのですね。

それを試したく、昨日は少し長めのトレイルを歩いてみました。(上田は累積3000もありますが、昨日は1900なので少し条件は違うものの、歩行距離としては同じくらいの26km)

これくらいの長さのトレイルを歩いてみて一番大きな気づきが得られたのは、とにかく想像以上に「歩くのは楽」ということ。

歩きでの疲労度、脚への衝撃の少なさは、走ることに比べて圧倒的でした。

序盤はこれくらいの急登が延々と続くのですが、歩きであれば思いのほか疲れは軽く

普段は走っているような比較的急な登り、岩肌なども、ペースはさほど変わらない程度のスピードで歩いてみると、走るのよりも圧倒的に疲労は少ないです。

もし走る場合には、どちらかというと下腿を使って登っていくのですが、歩きだと大腿部をしっかり使って登っていけます。

もちろん、走る場合と全くの同じスピードというわけにはいきませんが、走ろうとしても走れない急登もあることから、果たしてどれくらいの差がつくかは疑問です。

だとすれば、より脚力を温存できる歩きスタイルでややペースを上げて登っていった方が、終盤のペースダウンを避けられるのではないかと思いました。

実際、2年前に出走した上田スカイレースでは、最後に累積1000近い山を登らされるのですが、そこで完全に脚が終わってしまい、本当に数歩歩いては休む、を繰り返しながら地獄のような苦しみを味わった経験があります。

勾配が違うので単純な比較はできませんが、昨日は1900の累積を重ねた後で、そこから1000mの登りを登れるかと言われたら、おそらく2年前の上田よりは余裕を持って登れたと思います。

つまり、歩いて登るのと走って登るのとでは疲労度にここまでの違いが生まれてしまうのだなぁと、身をもって実感したところです。

「山を走る」という行為が、自分が考えていた以上に疲労を生じさせていたことに改めて気づきました。(これは今後練習メニューを組み立てる上で、安易に山練を取り入れてはいけないことの気づきにもなりました)

上田スカイレースは、メインの山「太郎山」を2度も登ることになります。ちなみにバーティカルはこれを1回登って終わりです。

2年前の上田では、このような感覚は全くなかったため、1回目の太郎山からそこそこのペースで駆け上がり、その後もペースを落とさず走り通してしまったため、累積3000mに脚が耐えきれなくなってしまったのですね。

結局、序盤は上位につけていたのに、最終的には6時間近くもかかってしまい下位に沈みました。

これは下りにも言えることで、昨日は平坦な道やなだらかなくだりも我慢して歩き通したため、ほとんど脚には衝撃がなく、最後まで脚はよく動きました。

とても26kmも歩いたとは思えないほどの余裕でした。

スカイレースは、実はくだり区間を走り通すことで意外と脚がやられてしまい、次に待ち受ける登りに対応できなくなる、ということは結構頻繁に起こります。

下り区間のペースが思ったよりも終盤の登りに影響すると考えています。

とはいえ、上田のコースを全て歩き通すと、おそらく関門には間に合わなくなるので、どの程度までランを混ぜるかは、当日の脚の状態と相談だと思います。

山レースのいいところは、マラソンなどと違って「歩くこと」も想定されているレースだというところでしょうか。

そういう意味では、むしろ平坦なロードレースよりも融通のきく種目なのかもしれません。