3月振り返り そして次の1年へ

こんにちは、ランマニアです。

今シーズン最後のレース、多摩湖駅伝が終わってから10日間。次のシーズンに向けての休養期間を置いていました。

1月以降はレースが続き、故障明けのため序盤のレースはトレーニングの代替的な位置付けでしたが、それでも負荷はそれなりにかかっていたため、絶対的な練習量はだいぶ不足していたのがわかります。

もともと故障明けで走行距離が減っていた10月以降ですが、1月以降もレース続きでフルを走るには無謀なほど距離が足りていませんでした。

3月は、板橋シティマラソンに向けてそれなりに距離を踏みつつ、一方では疲労を抜かなければならない難しい状況で、結果的にそのどちらも成し得なかったと言わざるを得ません。

1月から続いた10km駅伝シリーズと、2月の深谷ハーフの疲労は想像以上に残っており、マラソンを迎えるには、もう一月ほど猶予が欲しかったところです。

そもそも論として、本来故障をしなければ11月のつくばにピークを持っていく予定だったことを考えれば、スケジュール的に3月のマラソンに合わせようとしたこと自体にやはり無理があったなと。

当ブログでも再三触れましたが、とにかく6月の足底筋膜炎があまりにも痛すぎて、練習ができていない体で騙し騙しレースに出るのがやっとの状態だったわけで。

そんな状態で体を仕上げるには、あまりにも期間が足りなさすぎたというのが現状です。

ただ、シーズン最終盤ではレースがそこそこ刺激となり、最後の板橋や多摩湖駅伝などでは、今シーズン入れたことのなかったゾーンにかなりの刺激が入り、1月以降は満遍なくあらゆる強度の「トレーニング」を取り入れることができたのも事実です。

とはいえ、今シーズンもう少し余裕があれば、マラソンペースでのロング走をもう少し入れておきたかったのですが、それが0に終わってしまいまったのは誤算でした。

最後の最後の板橋でようやくそれが叶いましたが、練習で一度もやらずにいきなり本番では、当然結果など残せませんね。

さて、今シーズンは兎にも角にも、転職1年目で生活スタイルが大幅に変わったこと、それに伴ってトレーニング環境をどう整えるかに苦心した一年となりました。

一年を振り返ると、故障で走れない期間が過去最大になったという異例の事態もありましたが、それ以前に仕事が変わり大幅に生活スタイルが変化したことが、あらゆることに影響したなと実感しています。

まず、通勤時間が片道で約3倍になったということですね。

往復にすると、昨年までより約2時間ほど余計に時間を奪われることになりました。

この絶対的に変えられない状況の変化があり、どこにトレーニングの時間を取り入れるかというのがいまだに解決しきれていない大きな課題となっています。

最終的には往復の通勤経路で4.5km〜6kmほど走る区間を設け、平均して1日で10km程度距離を踏めるようなスタイルに落ち着きはしました。

昨年度は、故障でこれ以上距離を伸ばす機会がありませんでした、明日から練習を再開した後は、平日に1日は20km程度走る日を確保したり、LTやVO2Maxに刺激を入れるような練習も取り入れたりする工夫をして、もうワンランク上のトレーニングサイクルを維持できる生活スタイルを目指したいと思っています。

今シーズンはとにかく、新しい職場、全く新しい業務に体が慣れるのに相当な時間とエネルギーがとられ、過度なストレスもかかったことから、年間を通して練習を継続できただけでもひとまず及第点だったのかもしれません。

来シーズンは、まずは今年度よりは仕事に対する慣れは進み、精神的な余力を持ってトレーニングを続けられるはずです。

昨年度は仕事に慣れるのに心理的に一杯一杯で、走っていてもなかなか走る方に集中を維持できない状態がしばらく続きました。

その分、来年度はメンタルのリソースをだいぶ練習のほうに割り振ることができると思われ、もう少し練習のボリュームから改善できるのではないかと期待しています。

そうした見通しから、次のブログでは来シーズンの年間の予定を改めて整理して報告しようと思います。

1月振り返りと奥むさし駅伝出場

こんにちは、ランマニアです。

気がつけば1月も最終週を迎え、今月の練習をまとめる時期となりました。

先月末から、夏に痛めた足底筋膜炎が再発しかけ、今月は新年早々10日ほどのレストを余儀なくされました。

いつもはそこそこ走る年始ですが、今年はその分ウォーキングに当てて練習に変えました。

毎年年始を過ごす松本で、今年は極寒のなかウォーキング(雪中行軍!)

その後、順調に距離を伸ばし、1月の3週目にはLTペース(低下していたので、以前ではマラソンレースペース)で1.6kmを3本ほど走れるほどには戻ってきました。

ただ、まだ遠慮なく接地し、足裏の筋を使ってはずむように走るのは怖いので、ジョグの延長のようなフォームで走るのが精一杯な状態です。

そんな中で今日(29日)予定されていた奥むさし駅伝も、正直レースペースで走って痛みが再発するのではないかと、かなり不安感を残しながらのレースとなりました。

4年ぶりに開催された奥むさし駅伝

この奥むさし駅伝、実は数年間の休止期間を経て再開された、実はかなり歴史のある駅伝です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/奥むさし駅伝競走大会

2003年に再開される以前の旧「奥武蔵駅伝競走大会」は、第1回大会が1952年と古く、第1回大会の高校の部優勝校は、実は母校だったりします。

ランマニアが高校時代も、全国高校駅伝の県予選と並んでチームを挙げて取り組む割と重要な駅伝として位置付けられていました。

埼玉県内の高校生にとっては、大きなレースだったのですね。

そのころの奥武蔵駅伝は、全国高校駅伝出場校や箱根駅伝出場大学が複数出場し、さらには県内の強豪実業団チームも多数出場するかなりの名物駅伝でして、さしずめ駅伝版天皇杯のような様相を呈していました。

そんな、ランマニアにとっては思い出深いこの奥武蔵駅伝が、国道の開通に伴い1999年に一旦廃止(休止)されます。

しかし、折しも駅伝ブームに後押しされ、2003年に「奥むさし駅伝」として復活を遂げ今に至るのですね。

出場チームは、この20年間一度も変更していません。

大学時代の陸上部のメンバーで、途中からそのお子さんが参加するようにはなりましたが、基本は不変のメンバー構成です。

なので、メンバーの年齢も、48、23、49、48、51、48と、とんでもないことになっています。

もう大学時代から30年の付き合いになりますね。

そんな我がチームですが、4年前の19回大会まで、実は一度の繰り上げスタートも味わっていません。

割と厳し目の設定である奥むさしの繰り上げ基準ですが、毎年どうにか回避できていたのですね。

しかし、今回、ついに5区から6区への関門で初の繰り上げを経験することになりました。

まあ、この年齢集団でよくここまでやってきたなと思います。

ついに(繰)の記載がついてしまった、今年の奥むさし駅伝。

個人的には、とにかく故障を再発させないことが最優先課題で、走行後も痛みが出なかったのは安心しました。

今月の練習がしょぼすぎる中で、LT近いペースで10km走るのはかなり無謀な行為でしたが、最後までキロ3分30秒台後半のペースを維持しつつ、足を痛めることなく終えらたのは結果オーライでした。(本当はそれではいけないのですが)

今回、年始のウォーキングも練習距離として計上しました。

今月はウォーキングを入れた結果走行距離はそれほど落ちなかったのですが、一旦戻しかけたLT能力はまた元に戻ってしまいました。

特に、駅伝のような距離を全開で走るにはVO2Maxもそこそこ戻しておかなければ、「エンジンの回転数」が頭打ちになってしまうような感覚があるので、脚に余裕があるのにペースが上がらない、というもどかしい状態が続きます。

今日の駅伝もそうでしたね。

今日の駅伝でだいぶLT域に刺激は入れられましたが、もう少しじっくりトレーニングを積み上げたいところです。

実は、来週も同じ10km程度の駅伝に出るのですが、今回入った刺激がどの程度効果を上げるか試したいところです。

今回はキロ3分40秒弱のペースでも結構息が上がってしまったので、次回はキロ3分35秒台をある程度余裕を持って走れればと思います。

3月にフルを予定している中で、この走行距離はいかんですね。

2月は最終週に「ふかやシティハーフ」という、かなり狙っているレースがあります。

12月の所沢シティマラソンのような「練習」ではなく、そこそこの本番仕様で走ろうと思っているため、今日と来週の駅伝は、ある意味LT強化の位置付けです。

絶対的な走行距離は足りていませんが、その中でハーフをどこまで走れるか試してみたい気がしています。

それには兎にも角にも「故障をしない」というのが最低限の条件になります。

2月は継続した練習が鍵となりそうですね。

12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は第一週にハーフに出場した以降はレースもなく、久々に練習に集中しようと考えていた一月でした。

ところが、ハーフマラソンは前半を抑えて入ったことで、比較的終盤まで体力が持ってしまい、思いのほか体力を使い切ってしまう走りになりました。

レースは上手く走れた方がダメージも大きく、その後の疲労も抜けにくくなる傾向がありますね。

数年ぶりに出場したハーフマラソン。思いのほか、出しきれてしまいました。

今月は週末ごとにLTペースの練習と、ロングジョグを取り入れようと思っていたのですが、ハーフの疲労が思ったよりも抜けず、翌週はロングジョグのみ、2週後にようやくLTクルーズインターバルと25kmのジョグを取り入れるのがやっとでした。

3週後は疲労がぶり返し、土曜のLT走はDNFで、翌日30kmのジョグを取り入れるのがやっとでした。

ダニエルズのTペースは、ランマニア的にはLT2相当で換算しているため、現時点では大体3’30”/km程度のペースでの練習となります。

そして、やはりハーフを走ったあとのダメージは大きかったようで、その後のLT走や、ロングジョグを継続しているうちに、9月まで発症していた足底筋膜炎が若干ぶり返し気味になってしまいました。

あの時ほどひどくはないものの、チクッとする特有の痛みが現れたのと、ジョグでもそれが軽快していかない様子から、このまま続けると再び悪化して数ヶ月コースになってしまう予感がしました。

なので、本来もう少し距離を伸ばしたかったのですが、今月終盤は芝生で60分程度のジョグを繰り返すだけとなり、月間としては300kmをわずかに超えるにとどまりました。

30日間で僅かに300kmを超える程度にとどまりました。

また、今月の目的であったLTペースでまとまった距離を走る、と言うのも、ハーフマラソンが大体それに近かった以外では、一度の練習機会にとどまってしまいました。

LT走の練習は、もう一回くらいは入れておきたかったところです、

とはいえ、ここ数ヶ月ではかなりロードの練習ができ、レースとはいえ、LT近いペースで一定時間走り続けることができました。

ここまでまとまったロードの練習も久しぶりで、いわゆる「陸上競技」として長距離・マラソンのための脚仕様に徐々に変わってきた印象です。

ただ、今の足底筋膜炎の状態だと、少しまとまって休まなければいつぶり返してもおかしくない状態なので、最低1週間、状態によっては2週間は休まなければならない感じです。

来週もLT走の一環でハーフに出る予定でしたが、今回は回避して治療に専念したいと思います。

2022年を振り返ると、今年は生活も変わり、故障も繰り返して、競技の方が低調に終わった1年になりましたね。

年齢的にも疲労やダメージからの回復が、かなり遅くなってきている印象を受け、色々と転換期にきている気もしています。

これまでと同じような練習を続ければ、故障もしやすく、疲労からの回復も遅れてきそうな予感がしています。

今回のように、故障のわずかな予兆を見逃さずに、一旦休みを取り入れるという柔軟な対応も必要になると考えられます、

数ヶ月の離脱になるよりは、1週間、2週間程度のブランクなら大したことはなく、むしろいい休養になる、くらいの心理的な余裕が必要なんだろうな、と思います。

来年は、1年を通して安定して練習を継続し、レースが少しでも楽しめるような状態を維持していこうと思います。

11月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

少し遅れましたが、11月の振り返りです。

先月はなんといっても数年ぶりのフルマラソン完走と、その翌週のスカイレースがあり、疲労との兼ね合いで、練習量自体はかなり低下した月となりました。

一度フルを完走すると、どうしてもリカバリーの期間が長くなります

10月が故障明けのの割に無理をしてしまったため、ある意味11月はそれほど無理をしたくなったというのもあります。

フルは自己ベストに比べればだいぶ遅く、サブスリーがやっとの走りでしたが、それでもLT1程度の強度で30kmは走っているので、脚や体へのダメージは相当なものがあったと思います。

本当は翌週レースというのはかなりリスクの高いスケジュールでしたが、負荷のかかる場所の違うトレイルということもあって、どうにか無事に両レースを終えることができました。

ただ、そのあとは3日休んだものの、体のだるさや日中の眠気などはしばらく続き、先週あたりからようやく体の調子が戻ってきた印象です。

総走行距離が少ない中でその5分の1がMペースというのはやや負荷の掛け方にリスクがありました。

故障が明けたのがトレイルシーズン真っ只中だったこともあり、本来もう少し基礎的な脚力を戻してからレースに復帰すべきでしたが、半ば強引にレースを重ねてしまったため、総力が戻らぬまま疲労だけが溜まっていく状態が続きました。

予定では11月が終わった時点で、ある程度の脚作りが終わっている予定でしたが、疲労で練習が積めず、思ったよりも走力が戻らぬまま12月を迎えてしまいました。

11月は211km程度。12月はもう少し距離を重ねたいところです。

今月は、明日4日にまずは所沢シティマラソン(ハーフ)があります。

今回もレースでありながら、公認でもなく記録も狙えないコースでもあり、練習のつもりで走るレースになります。

絶対的な練習のボリュームが足りていないため、この状態であまり速いペースで20kmも走るのもリスクが高いので、明日は3’40”~50”程度のペースを一定距離守れればいいかな、と思っています。

10月、11月と、トレイルやフルを走る中で、割と幅広い強度のトレーニングが行えているので、一度落ちた力も幅広く戻りつつありますが、絶対的な持久的能力はまだまだ本来の力の1段階か2段階ほど下のような感覚です。

ピラミッドで言うと最下層の最も重要な基礎が十分できていない状態ですね。

12月、1月とちょくちょくレースは入りますが、高強度の練習はレースのみにして、他はできるだけ強度低め、時間長めを意識していこうと思います。

つくばマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

昨日は5年ぶりにつくばマラソンを走ってきました。

5年前は、ちょうど東京マラソンでフルのPBを出した年で、この時も今年と同じ故障明けで練習がままならず、友人のペースメーカーに徹し、サブ3ペースのイーブンペースを維持したレースとなりました。

今回は、その時よりもさらに練習はできていない状態で、そもそもフルのレースを走って良い状態かも微妙な状況でした。

まず、本格的に練習を再開したのが10月になってからで、練習期間としては、延べ一月半ほど。

日々の練習は平均すると10km程度。走行時間は60分。

最大の走行距離は、トレイルを除くと20kmが最長という状態でした。

練習を再開してレースを迎えるまでのトータルの走行距離は、おそらく400kmを超えるか超えない程度。

10月はトレイル以外はただのジョグのみ、300km程度の走行距離でした。

こんな状況でしたから、もう今回のつくばは一定のペースで長い距離を走り切る「距離走」の扱いで十分だと考えたわけです。

そもそも42kmである必要もなく、キロ4分半で30kmも走れればトレーニングとしてはもう十分だったのですね。

なので、スタート前から気分的には楽なものでした。

アップもしないし、初めの10kmくらいまではのんびり走って終盤に備えれば良い、というゆったりとした気持ちで。

想定通り、スタートして10kmまでは、本当にただのジョグで、脚が動くままにただ走るだけ、といった感じです。

ノーアップでしたから、5kmまではなんとなく脚が重く、10kmくらいでようやく自然に脚が前へ前へ動いていく状態になりました。

ペースとしては、意識をしなくても1kmあたり4分20秒〜25秒くらいを維持できました。

10kmを過ぎたあたりでの脚の状態、体のしんどさから、今日はまずまず調子がよさそうだということにも気づき、ハーフまではしっかりこのペースを維持した後は、脚の状態次第でペースアップを検討しても良いかな、と思い始めました。

ところが、あまりにも脚が良く動くので、中間点まで我慢できず、20km手前あたりから徐々にペースが上がり始めました。

中間点までは我慢に我慢を続けて1km4分25秒ペースを維持。
中間点を通過したところから、スイッチを切り替えました。

それでも、中間点を過ぎたあたりで、ちょうど目指していた1km4分10秒台ペースを維持できそうなペーサーが追い抜いていき、そのランナーについていくことにしました。

この人のペースがドンピシャハマってしまい、25kmまでは自分で意識しなくてもペースを上げることができラッキーでした。

30kmすぎでもう一度ペースアップし、サブスリーを狙おうかと思っていたところ、やはり、気が急いてしまい、30km手前あたりから再び徐々にペースが上がり始めてしまいました。

ついていたペーサーも離れてしまい、30kmすぎからいよいよ一人旅が始まりました。

ちょっと早いかな、と思ったものの、もうこのペースでいくしかないと覚悟を決め、1km4分一桁台を維持することにしました。

ラスト10km。

まだ残りは長いな、と思いつつも、このペースを維持するだけを考え、とにかく「精神的に無理をしない」ことを心がけ、あくまでジョグの延長の意識でペースを維持。

それでも、流石に37kmすぎで脚の動きが鈍くなり、倦怠感との戦いになりました。

それまでの努力度とは明らかに様子が変わり、「精神的に無理」をしながらペースを維持し続けました。

完全に脚は止まっていましたが、サブ3というニンジンがぶら下がっている状態では、かなりメンタルの力で苦痛を抑え込むことができました。

1km毎のキロ表示を通過するたびに時計を確認すると、このペースを維持すれさえすればサブ3は確実だな、という状態になっていました。

40km通過。

フルを走った人なら誰でも知ってますが、ラスト2kmというのは本当にきつい瞬間です。

たった2kmがなぜあれほどきついのか。

まあ、体は40kmの時点で既に終わってるんですね。最後の2kmはほぼメンタルの力で無理やり走っている状態です。

そして迎えたつくばマラソン名物、最後の跨道橋。

ラスト1kmで登場するまさしく「ラスボス」。

たった数十mなのに、この坂が登れない。脚が止まる。そんな急坂です。

しかし、今年はこの坂の手前に大きなサプライズが用意されていました。

ランマニアがフルマラソンを始めた今から10年以上前から、つくばマラソンを含む茨城県のマラソン大会には必ず登場していた、あの「ロッキーおじさん」が、まさかの復活を遂げていたのです。

メディアでも取り上げられていた、一度は「引退」を表明していたロッキーおじさん。

41km、しかもラスボスの手前。

復活して登場するタイミングとしては、もうこれ以上ない条件の場所でした。

ここで元気をもらい、いよいよラスト1km。

もう全く動かない脚も、サブ3の目標を目前にすれば、なんとしても動かさねばならず、残りの距離が短くなればなるほど辛くなる体と闘いながら、どうにか競技場に帰還。

5年ぶりのフルマラソン完走。5年ぶりのサブスリーの喜びを噛み締めようと、最後のゲートが見えたその瞬間。

設置されていた大型デジタル時計の数字は、

3:00:00

え?

一瞬何が起こったのかわからず、考える気力もなく、うっすらと頭に浮かんだのは

「そういえば、スタート地点を通過するまで、タイムロスがあったっけ・・・」

という3時間前の記憶。

1km毎にチェックしてきたサブ3ペースは、完全に「ネットタイム」のそれだったのですね。

フィニッシュ後、がっかりはしたものの、ただ「騙されて」いなければ終盤ここまでペースを維持できなかったことを考えれば、まあ「嘘も方便」だったわけで、ポジティブに考えました。

こうして5年ぶりのつくばマラソンは幕を閉じましたが、個人的にはかなり収穫の多いマラソンレースとなりました。

・4月に長野マラソンを棄権して以来失っていたロードレースへの自信を取り戻せた

・最低限の練習でもサブスリー(ネット)を達成することができた

・「完全ネガティブスプリット」でフルを走り切ることができた

・現在の実力に合わせたペース設定で走ることで、フルでもその時点の実力を発揮できることに気づけた

などです。

最近は、トレイルがメインとなっていて、もうロードレースは楽しめないのかもしれない、と弱気になっていました。

そんな中で、今回のフル完走は、もう一度ロードレースでも勝負してみたいと、かつてフルマラソンでベスト記録を出すことに全力を注いできた頃の気持ちを、再び思い出させるレースとなったことは間違いありませんね。

10月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月、9月と走ることを封印してましたので、久しぶりの月間振り返りとなりました。

10月は色々あり、まとめたいことは山ほどあるのですが、ひとまず時間がないので10月のトレーニングとその内訳を簡単に報告します。

10月は基礎体力や脚の耐性を築き上げるための初歩段階として、ジョグをひたすら続けました。

実は、9月の中旬あたりから、様子見で1km、2km、最終的には6kmほど走れるようになっていたのですが、そこはあくまでトレーニングを積むためのリハビリ期間として設定していたので、走行距離として扱いませんでした。

もちろん、本来ならそこも記録してしっかりと距離管理をすべきですが、9月まではまだこのまま足が快復していく手応えを感じられなかったため、無理をしない意味でも記録はしていなかったのですね。

結果的に、今となっては完治に向けて足は変化していたのですが、当時は何度もぶり返す痛みに治せる自信を失っていたというのもあります。

なので、「これならもう大丈夫だろう」と確信を持てた時点で「トレーニング再開」と定義していたのでした。

それが今月に入っての練習です。

ほぼ毎日通勤時のランニング、週末のまとまったジョグ、というのを数週間繰り返し、終盤はトレイルのレースで長めの距離を走りました。

平均すれば、ほぼ1日あたり10km程度のジョグしかしてませんし、ウィンドスプリントも一本たりともしていません(電車に間に合うようにダッシュもしてません)。

そうした状況で、トレイルがどれほど走れるかかなり不安でした(特に志賀高原)が、どうにかセカンドベスト、それもわずか4分遅れで済ませることができたのは、大きな自信になりました。

結局、疲労を溜めずに、当日のペース配分さえ間違えず、補給をしっかり行えば、ジョグだけでかなりパフォーマンスを発揮できることに気付いたわけです。

練習再開後、トータル200km程度の走行距離で望んだ志賀高原エクストリームトレイル32km

昨日までの烏帽子スカイランにおいても、とにかく無理な負荷を体にかけず、コンディションを整えることのほうが、ハードなトレーニングを積んで体を壊すよりもはるかに良い結果が残せることを、改めて実感したのでした。

最後の2週でトレイル率が急増しましたが、練習回数として3回だけがトレイルです。

8月はほぼ練習皆無で、9月も本当に散歩程度のジョグ。10月にようやく練習らしくなってきましたが、それでも日数的には20日ほど。

こんな練習で、相当走力は落ちただろうな、と感じていましたが、昨日の烏帽子スカイレースの終盤のロードでは、一時、キロ4分ちょうどくらいのペースで巡航できるほど脚もよく動くようになっていました。

確かに、バーティカルでの呼吸のキツさは尋常ではなく、レース翌日に呼吸筋が筋肉痛になる程換気能が落ちている印象でしたが、そこを除けば、レースとして楽しめる程度には走力が戻ってきた感覚は得られました。

今年5月以来の月間300km超え。日々のジョグは行き帰りの通勤で分割されるため、体への負担は軽かったです。

さて、先週から2週連続で長めのトレイルを走ってしまい、サーフェスは比較的柔らかかったとはいえ、筋へのダメージは相当なものが残りました。

一月単位で見れば300km程度ですが、先週からのトータルでは週100kmほどに急増していますので、このタイミングは故障などが起こるリスクの高い時期だと考えます。

11月はそろそろロードでも距離を伸ばす予定であることから、今週は数日休養を入れ、筋の損傷を回復させなければなりません。

特に、筋痛が激しい時はフォームも制限され、思わぬ故障を誘発するため「走れても走らない」選択が重要となります。

いずれにしても本命レースは2月以降ですので、10月はようやくリハビリ終了、11月からトレーニング開始、でもその前に一旦休もう、くらいの気持ちでゆとりを持っていこうと思います。

1からやり直し

こんにちは、ランマニアです。

8月上旬に練習ツイートをしてから約2ヶ月間、Twitterもブログもせず,完全に雲隠れしていました。

もしかしたら,ランマニア競技やめたか?と思われていたかもしれませんが,実際一時的にはそれくらいの気持ちで休まないといけないな,と思っていたのは事実です。

というのも,今回の故障は本当に快復が悪く,何もせず休んでいても一向に痛みが引いていかない日々が長い間続いていたのですね。

通常,これまでの故障であれば(足底筋膜炎でも)目安として1週間丸々休めば,だいぶ痛みが引いていったのですが,今回かなり焦ったのは,1週間走らず過ごしていても患部の痛みが全く変わらなかったことです。

一時期は,もうこのまま走れなくなるんじゃないか,とかなり先行きを心配して、メンタル的にやられた時期もありました。

ではなぜ,今回の故障はここまで長引いてしまったのか。

振り返ると,いくつか思い当たることがあります。

①6月に痛みに気づいたあと数週間,レースも含めかなり走ってしまった

②痛みが引いた後の休養期間が十分でなかった(最大2週間入れた時もありましたが,結果的に3週間の休養が必要な故障だった)

③そもそも治りにくい足底筋膜炎

④老化による回復力の低下

この辺りが自分なりに思い当たったところです。

①については,故障のかなりの早期に休みを入れたつもりでした。事実,あの頃(6月上旬)は1日の休みで軽快する幅も大きく,これならすぐに復帰できるな,と感じていました。

しかし,せっかく快復した患部をしっかり休ませずに,長めの距離を走ったりレースに出てしまったことが,損傷部分をさらに深く,広範に傷つけてしまった印象があります。

②は、これも当初1週間丸々休めば大体の故障は痛みが軽くなるため,その状態で数km走る分には全く問題なかったのですが,今回の故障は,①と③の理由から,ほんの数km,もっといえば数百m走っただけで故障が悪化する時期もあったほどでした。ここでせっかく治した患部の炎症がまた最初の状態に戻ってしまい,そこから改めて快復させるために同じだけの時間が必要になってしまう,それを何度か繰り返してしまったことが長引いた原因でした。

ここまでの状態が,6月下旬から8月中旬まで続き,少しよくなったと思って走り始めてまた元に戻る,を二月近く続けてしまったことになりました。

そして,そこから3週間ほど完全に走ることから遠ざかり,中途半端に走ってしまったりしないよう,自分が競技者であることを一時的に忘れて生活しようと考えました。

Twitterやブログで近況報告や記録をつけてしまうと,ついつい走ってしまうので,それも一切やめ(読むのも),生活の中に走るという気配を全て消し去ることにしました。

走れていた頃やレースのことを考えてしまうと,どうしても「再開すること」が目標になり「治すこと」を忘れてしまうからですね。

ただ,これについては,今年に限っては,転職したてでまずは仕事に集中してそれに慣れるという意味では,むしろそれは必要な時期ではあったと前向きに考えました。

これほどまでに長い間まともに走らなかったのは人生で二度目くらいだったので,まあそれなりにしんどい時期ではありましたが。

9月の中旬から,ようやく土日に少しだけ走ってみて,翌日の患部の様子を確認しました。

痛みが変わらないようではダメなので,走っても次の日にはさらに良くなっているかどうかが重要な基準でした。

もう大丈夫,と思って走り始めても,翌日か2日後辺りにまた再発するというのを繰り返していたので,少し走れたくらいではまだツイートするのはやめようと思っていて,とりあえず,10km程度まで走れるようになるまでは「復帰」という言葉を使うのは控えていました。

2週間前から,毎日1〜3km程度走っても悪化しなくなり,先週からは通勤時のランニングを再開することができました。

そして先週の木曜あたりから通勤時の往復にランを入れられるようになり,トータルで10km走れるようになったことから,この土日は2日とも芝生を中心に60分のジョグを入れることができました。

足底筋膜炎は完全に痛みが引くのに1年ほどかかるため,練習が再開できても数ヶ月は違和感が残ります。ただ,走行中に痛みがなく,朝起きた時の一歩目の痛みが悪化していなければ練習を続けても問題ないので,連日10kmの練習がここまで続けられれば,「もう復帰と言って差し支えない」だろうと判断したのですね。

いやここまでくるのに本当に長かったですが,一時期はもう二度と走れないのではないか,と思っていたことを考えると,今はこうして毎日走ることが日常になり,週末には60分のジョグができるようになったことで,とにかく復帰できたことの喜びの方が遥かに大きい状態です。

今後のレースプランはまた別に紹介することにして,ひとまずは練習復帰の報告がてら,2ヶ月以上ぶりのブログ投稿になりました。

7月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

ランナーとしてはこの故障はできれば避けたかったのですが、およそ3年ぶりに足底筋膜炎になってしまい、ここ一月練習を休むことになりました。

この故障、過去には左足1回、右足1回と発症し、今回が3回目。

前回は、ロングトレイルのレースを走った後に、ろくに休まずLTインターバルをガンガン入れているうちに、足底が限界に達したパターン。

その前の右足は、アウトソールに硬い補強の入ったナイキのシューズを履いたことが原因で痛めたもの。

どちらも、なかなか治らずに、完治におよそ1ヶ月を要したのを覚えています。

特に、前回の左足の時は、通常の土踏まずにとどまらず、踵部分にまで腫れと痛みが転移し、かなりの重症になってしまったことで、本当に苦労しました。

それに比べると、今回は土踏まずの踵付近の一部分だけに痛みがあったのみで、割と軽症なのかもしれないと、少し甘く見ていたのですね。

そもそもの気づきは6月に入ってすぐ、東京バーティカルの前日あたりに感じた違和感が最初でした。

あの時はまだ、走ることで悪化するほどではありませんでしたし、練習も上手くこなせていてその成果を発揮したい思いもあり、そのままレースに参加しました。

その後数日休み、痛みも軽くなったところで翌週も嬬恋のスカイレースで、ここは距離もかなり長かったのですが、あまりに痛めば途中で止めることも考えながらレースには参加しました。

本来ならここで休む予定だったのですが、急遽この翌週に職場でリレーマラソンに誘われてしまい、今にして思うと、ここで硬いサーフェスをハイペースで走ったことで、かなり傷が広がってしまったように思います。

ただ、この時も数日休めば良くなると思い、3日ほど休んだ後から練習を再開し、その翌週にトレイル練を入れたところでいよいよ痛みが繰り返されることがわかり、ここでようやく「故障」を受け入れて休むことにしました。

そもそも、この足底筋膜炎がいつも厄介なのは「痛いなりに走れてしまう」ことなのですね。

例えば、同じく何度も繰り返しているふくらはぎの肉離れなどでは、一旦ピキッとやってしまうと、歩くのも痛く、我慢して走ろうものなら走行中にどんどん痛みが増していき、すぐに走れないほどの痛みに発展してしまいます。

ところが、この足底筋膜炎は、朝イチでは痛みがあるものの、その日一日を過ごしているうちに次第に痛みが軽快し(温まると痛みを感じなくなる特徴があり)、夕方には「走れるかもしれない」となってしまうのが、大きなトラップなのです。

走行中も、肉離れのような耐え難い痛みではなく、なんとなくむずむずするような、ちくちくするような、我慢できなくはない程度の痛みしか感じません(そもそも痛みとして自覚できない場合も)。

しかし、そうやって走っているうちにも、知らず知らずのうちに微細な断裂は進み、翌朝の痛みがその前日よりも増している、という自分でも「なぜ?」と思うような経過を辿ることがしばしばです。

今回もまさにその経過をたどり、初めは富士登山競走も出走する予定でしたから、数日走っているうちに気づくと痛みが増していて、これは完全に走るのをやめなければ痛みは消えない、と気づくまでに時間を要してしまったのですね。

今月は、そのような「試し走り」を繰り返しただけの1ヶ月になってしまい、もう練習というよりは近所を散歩した程度でした。

最終的には、走行中や歩行中の痛みはほとんどあてにならないため、朝イチで感じる痛みから快復の程度を判断することにし、朝の時点で少しでも痛い場合は走るのをやめておくという基準で練習を再開することにしたところです。

そうした基準で考えれば、練習の再開はもうそろそろ大丈夫だろう、という所まで来ていて、昨日は久々にのんびり登山などしてみました。

昨日はひと月ぶりに山へ出かけました。相模湖を望める石老山。この山域はヤマビルが多数いて、生まれて初めて取りつかれました。

まあとにかくこの足底筋膜炎は治りが悪く、重症、軽症など問わず、だいたいひと月くらいはみないといけないのだな、と改めてこの故障の厄介さを痛感したところです。

もうこうなってしまったらジタバタしても仕方がないので、とにかく痛みがなくなるまでは走ることを控え(本当に少し走っただけでも治りが悪くなる)、もう一度走れるようになるのを気長に待とうと思います。

「温まると痛みが引く」というのがトラップで,走っても悪化しないから走って良いわけではないことに気づくのが遅れました。
数年ぶりに月間100kmを下回りました。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月くらいの感覚でいた今週の暑さですが、実はまだ6月だったのですね。

暑い中走るのが好きなランマニアにとって、今週のこの暑さの中走れずに、昼休みに散歩をするのはささやかな楽しみでした。

というのも、先週那須にトレイル練をしに行った際の疲労状態がかなりピークに達していて、このまま練習を継続してもますます調子を落としていくだろうな、と感じたこと。

さらには、今月上旬にわずかな痛みを感じていた右足の足底腱膜炎が膠着状態になってしまっていたこと。

これらのことが重なったことで、今週はもう完全レストにすることにしたのですね。

先週の那須のトレイル練で幾度もつまずき(うち1回は転倒)、疲労の状態がピークに達していることに気づきました。

今月は、第1週からほぼ毎週レースで、そのたびに足底腱膜炎が悪化しないよう、レース後に連続レストを入れていました。

レースで悪化することもなければ、痛みが増すこともなく、なんとか練習は継続できたものの、このサイクルを4週続けたことで、今月の走行距離は激減してしまいました。

「連休」が目立つ6月となりました。

一方で、今月は2回のトレイルレースとトレイル練習を入れたため、走行距離に占めるトレイルの割合が急激に高まりました。

3割がトレイル。半分が嬬恋ですが。

また、LTペースや解糖系を使う練習もそこそこ取り入れたので、見た目の走行距離よりも、思いのほか脚への負荷がかった月だったのかもしれません。

とはいえ、5月は久々に400km近く走ったこともあり、この6月はレースを中心に据えて、あまり無理はしないよう意識していた月でもありました。

7月には富士登山競走という「大物」が控えており、ここで一旦体をリフレッシュさせておく必要があったのも事実です。

6月は今年最低の月間走行距離となりました。

通勤方法が変わり、荷物を背負ってアスファルトを走ることで、どうしても脚への負荷がかかりがちで、今回の脚底腱膜炎も少なからずそれが影響してそうでした。

練習の継続の仕方も今なお模索中で、毎日無理をしすぎずに、かつ週の中でそこそこ追い込む日を確保するのはなかなか難しいのですが、どうにか故障を回避しながら安定して練習を継続する方法を見つけたいところです。

5月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

4月から職場が変わり、4月は過去ないほど体調が悪く、レースや練習も失敗続きで今年はどうなることかと思われましたが、5月は終わってみれば久しぶりに計画通りの練習をこなせた理想の月となりました。

今月は、上田バーティカルの前に風邪をひいて体調を壊した以降は、徐々に調子が上向き、結果的に中盤以降は3週間以上好調を維持して練習を継続することができました。

ここ2週間ほどは、脚の疲れを自覚することはほとんどなく、先週、先々週は、週末の予定の関係で2週連続で7日間練習の週が続いたものの、調子自体はほとんど落ちずに維持できました。

体調がいい時は、練習での負荷が増しても好調を維持することができるので、久しぶりに練習をしながら体調をコントロールできている実感が得られていました。

今月はトレイルレースと山練を入れた影響で、トレイルランの割合が増えましたが、そのほか、あらゆる速度域での練習を組み込むことができ、総走行距離を維持しながらもそれぞれの代謝能を刺激できる程度の練習をバランスよく組み入れることができました。

久しぶりにR〜Eの幅広い練習を取り入れることができた5月

特にトラックレースに特化させるわけではないので、最低限トレイルレースで勝負でき、たまに出場するトラックレースでもそこそこ走れる程度に、有酸素能力を維持できればと思っています。

6月は、2つのトレイルレースと1つのリレーマラソンに出場するため、おそらく総走行距離は今月よりも低下しそうな気がします。

そう言う意味で、5月はできるだけ距離を踏んでおきたかったと言うのもあります。

一昨年12月以来400kmに迫る月間走行距離になった5月

ここ数年でも月間400kmを超えることは非常に稀であり、今月は自分にとっていかに距離を踏んだのかがわかります。

これも、現在の勤務状態と通勤形態から、平日にどう練習時間を確保するかと言う課題に対して、ある程度対応できるようになってきたことが大きかったと思います。

さて、6月は先ほどの通りレースが続く月となります。特にトレイルレースは大腿部へのダメージが大きく残る種目なので、一度出走するとしばらくまともな練習ができなくなります。

そうした中で6月はどんなテーマで練習を組み立てるかが鍵となりそうです。

現実的には、レース続きの中で距離を両立させることは難しいでしょうし、VO2Max域やLT2域を追えば故障のリスクが高まりそうなので、200m前後のスピードを高める練習がちょうどいいかも知れません。

ここを怠ると、いざVO2Maxインターバルをやろうとしても全くスピードが出ず、LTテンポ走みたいな(良くてCVインターバル)練習になってしまうことがままあります。

7月にはVKのラスボス的存在「富士登山競走」が控えていますので、それまでにVO2MaxやLTインターバルに抵抗なく取り組める体づくりをすると言う意味では、一旦スピードを上げるのもいいかも知れません。

バランス良く取り組めた5月。6月はR域の割合をもう少し増やそうかと思います。