こんにちは、ランマニアです。
さて、昨日は今シーズン前半最大の目標であった富士登山競走に出走してきました。
残念ながら、結果としては山頂コースのワースト記録で凡走となってしまいましたが、これはもう7月上旬に感染症に罹ってしまった時点で予期された結果であったなと、半ば予想通りの展開ではありました。
7月8日の試走時から体の異変を感じ、疲労とは明らかに違うしんどさの中試走を終え、帰宅後は案の定夜中に発熱。
受診もせず、熱も測らなかったですが、おそらく体の痛みから38度は軽く超えていた印象。
これが3日ほど続き、自分としては珍しく風邪症状でも走れないほどのしんどさ。
結局9日から5日間の完全休養となり、その後もしばらく微熱が続き、試しに走った30分と60分のジョグではキロ6分を切るのがやっと。
つまり、発熱後1週間でもまともに走れない状態が続いていました。
次の1週間は熱こそありませんでしたが、体のだるさと、それ以上にちょっとした意識障害、「何をするのも考えるのも億劫な感じ」がずっと続き、走るための体力こそ徐々に回復したものの、強度を上げて走るために「頑張る」ことがかなり難しい状況でした。
その週末に、試しに1kmを8割程度の力で走ってみましたが、3分40秒で1本走るの精一杯。
この週の終わりに本番が控えていたため、これは完走自体も危ういかもな、と嫌な予感はしていたのですね。
そんな状態でしたが、どうにか通常のジョグのペースは平常モードに戻り、完走できるかどうかギリギリ微妙なところまでは回復して当日を迎えました。
しかし、頭がぼーっとする感覚は最後まで抜けず、とにかく「疲れることはやりたくない」気持ちが相変わらず残っていて、スタートラインに立ってもなかなかモチベーションが上がらない状態で号砲を待つ状態でした。
しかし、毎年恒例の宮下選手の「エイエイオー」をやっているうちに、「笑うから楽しい」状態になり、どうにか頑張れそうかな、という前向きな気持ちが芽生え始めました。
スタートすると、アップの時に感じただるさはひとまず消え、キロ4分くらいのちょっと速いジョグ感覚のペースならなんとか維持できそうな感覚は得られました。
富士山に正対する前の唯一の下り区間は気持ちよく走れ、この負荷ならどうにか3時間以上は体を動かし続けられるかな、と少し気持ちに余裕が出てきました。
その後始まったロードの登り区間。
いつもならこの区間でかなりペースを上げていくのですが、今回はいつ体調が悪化するかわからなかったので、ストライドを狭め、ピッチを一定にしてできるだけ努力度が上がらないように慎重に走り続けました。
トレイルが始まる馬返しの通過は57分台。ベスト記録時よりも3分ほどの低下で済んだのは意外でした。
ここからトレイル区間が始まり、一歩一歩の負荷もかなり高まります。
いつもなら走って登る区間も、今回はあえて歩行。
もう記録は追わず、完走だけを目指して、ひたすら自分の体調と対話をしながら淡々と登り続けました。
途中緩やかな登りは軽く脚が動き、だいぶ余力が残っている実感もあり、この調子で五合目をひとまずクリアしたいな、と。
五合目の通過は1時間46分台。
自己ベストからは程遠いペースですが、単純に2倍したタイムがフィニッシュタイムになることが多い後半のコース特性から、3時間30分なら今日の体調なら十分かな、と。
五合目から先は比較的走れる傾斜であるため、通常なら割とプッシュして攻めていくのですが、ここもとにかく温存して歩き続けました。
六合目から七合目までは延々とつづく砂礫サーフェスの九十九折。
ここは例年、淡々と地面を見ながらトラクションのかかる部分を探して、無駄に消耗しないように地道に足を進める非常にタフな区間です。
正直、ランマニアが最も嫌いな区間ですが、タイムを狙うにはここは走る必要があります。
しかし、今回は絶対に体力を消耗してはいけなかったため、ここも徹底的に歩きました。
そのおかげか、この時点でもまだだいぶ脚には余裕があり、この時点でどうにか山頂まではいけるのではないかと、少し見通しが持てるようになりました。
ようやく砂礫区間が終わり、通常であれば比較的登りやすく感じる岩場区間。
ここから先は、一つの岩場を登るたびに山小屋が現れ、100m程度ですが走れる区間が存在ます。
元気な時は、このリズムが好きで、走っては登り、登っては走るを淡々と繰り返せるのですが、今回はこの区間から徐々に体に異変が起き始めました。
急な岩場ではこれまで以上に大腿部の最大筋力がものを言うのですが、登るたびに次第に脚が動かなくなっていきました。
通常では感じないような脚の重さで、ちょうど発熱時にジョグをした時に全く脚が動かなった、あの感覚に似ていました。
やはりこの程度の負荷がかかってくると、感染症の影響が出始めるのだなと、徐々に完走が危ぶまれてきました。
正直、「早くやめたい」という気持ちになって来たのもこの頃でした。
八合目を過ぎると、本格的に脚が動かなくなり、山小屋区間も走ると言うより休息区間と化し、とても走れる状態ではなくなりました。
残り3.7km。
この表示からが本当に長く、自分の今の体調と残りの過酷さから登り切る自信がなくなってきましたが、もうここまできて後には引けません。
とにかく無駄に力を使わず、ゆっくりでいいから登り続けることだけを意識して、いつもよりだいぶペースを落として足を進めました。
八合目区間は、いつまで登っても常に「八合目」が続くとてもしんどい区間です。
色々な八合目があり、登っても登っても「八合目」なのですね。
そして、序盤にあったような砂礫区間もここで復活します。
酸素もだいぶ薄くなってきて、脚も動かなくなってきての砂礫区間は本当にタフな区間で、ここでついに立ち止まる時間が出てきてしまいました。
後続のランナーにも続々と抜かれ始め、メンタルも落ちてきます。
上を見ると、九合目の鳥居。そしてその上に見える最後の鳥居とフィニッシュ地点。
ここから距離にして1km前後。累積は200m程度。
普段なら駆け上がれる距離ですが、今回はもう九十九折りごとに立ち止まり、ふらふらになって朦朧としてきている意識を整えてから登らなくてはならない状態でした。
もう山頂は確認できるのに、本当に登りきれないかもしれない、と何度も思って立ち止まる有様。
その間、ラストスパートに入ったランナーたちに豪快に抜かれ続け、気持ちも続かなくなってきました。
しかしもうやるしかないので、ひたすら苦痛と向き合い続けます。
そしてついに訪れたその瞬間。待ち望んだこの景色。
最後の鳥居とそこに続く数十段の石段。何度登ってもこの瞬間は大いなる喜びに包まれます。
しかし、今回は本当にここからが地獄。
信じられないほど、この石段が登れません。数段登っては止まり、もう目の前にフィニッシュラインが見えているのに立ち止まる。
これほどまでのしんどさは試走を含めて、ちょっと経験がありません。
しかし、最後は気力を振り絞りフィニッシュ。
フィニッシュと同時に、もう立っていることもできず、フィニッシュラインのすぐそばで横になってしまいました。
体に力が入らず、頭もクラクラして、正直何もできない状況でしたが、今回出場したチームノルケインの撮影が最後にあったため、空元気を振り絞ってポーズをとり、惨めな姿を動画に収めてもらいました。
どうにか立ち上がり、山小屋の前まで辿り着き、そこのテーブルでしばらく横になって寝ていなければならないほど体調は最悪でした。
ああ、これは下山できるのか?と本気で心配になる程、「今日は富士山なんかに登ってはいけない体調」であることをはっきり自覚しました。
まさに「頭を雲の上に出す」標高の富士山頂。
今回のレースでは、八合目以降標高が3000mを超えたあたりから、急激に体がしんどくなりました。
五合目まではどうにか症状は抑えられていたのですが、高負荷と低酸素の両方が組み合わさると急速に体に異変が起き始めたのが特徴的でした。
通常、風邪を引いたり熱が出ても、1日2日休んで練習を再開する自分が、5日も休んだことが異例でしたし、その後もしばらく走れなかったのも明らかにおかしかったです。
そうした中で、なんとか富士登山を完走できるほどには回復し、悪いタイムなりに走りきれたことはひとまず回復には向かっているのだろうと、一方では安心した要素にもなりました。
今回実は、知っているエリートランナー数人が、不調というには明らかにおかしいほどのタイムの落ち込みを見せたランナーがいました。
うち一人は「風邪をひいていた」と話していたようなので、あるいは自分と同じ感染症に罹っていたのかもしれません。
とはいえ、体調管理も含めレース当日のパフォーマンスは全て自己責任ですから、まあ、今回はそこらへんの詰めが甘かったということでした。
とはいえ、今回はチームノルケインという貴重な出走枠で走らせてもらい、多くの仲間とレースを共有でき、最終的には楽しくレースを満喫することができました。
Xのフォロワーさんともレースの話題で盛り上がり、やはり完走した者にしかわからないこのレース特有の魅力と魔力を、改めて共感できたのも良い機会でした。
今回のように、少しでもコンディションが悪ければ覿面にレースに影響するタフなコースを攻略するのは、並大抵のことではありませんから、今回のように痛い目に遭うとまた来年も、と克服するモチベーションが高まるのですね。
タイムは過去最低でしたが、大会全体を通して残ったインパクトは過去最高のものになったことを考えると、体調不良をおして参加した甲斐はあったなと、最終的には前向きに捉えることができました。