12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日で2024年も終了です。

シーズンは4月始まりのため、ランマニア的には年の切り替わりがシーズン終了ではないので、トレーニングやランニングに関しては別段ここで区切りをつける理由はありません。

しかし、11月に大きなマラソンレースを2つ終え、その後ぐだぐだにならずに12月のトレーニングをしっかり積めた上で、1月からのロード&駅伝シーズンを迎えられると言う点では、ここで一区切りつけて1月からフレッシュな気持ちでレース期間を迎えると言うのも悪くはないかな、と思ったりもします。

今述べたように、正直12月はどうなってしまうのか若干の心配はありました。

と言うのも、一月に2レースものマラソンを、そこそこの好タイムで走った後にダメージが残っていないはずもなく、疲労や不調に陥るだけならまだしも、故障などをしてしまうと1月からの駅伝&ロードを全て棒に振ってしまいかねないリスクがありました。

なので、12月に関しては、日々自身の体調や脚の疲労状態を注意深く監視して、少しでもおかしければまとまった休みを入れるつもりではいました。

しかし、終わってみると、3週目の週末に連戦となったバーティカル最終戦と入間市駅伝でも比較的良い結果が得られ、大きな不調に陥ることなくトレーニングを継続することができました。

V GAMESの最終レースとなった吾妻山登山競走では、本レースと年間ランキングでも年代別1位になることができました

Xの方では何度も言及しましたが、トータルの走行距離が伸びたことで、一度の練習やレースからのリカバリーがだいぶ改善され、大きなダメージを受けにくくなり、回復しやすくなったことが一つの要因として考えられました。

その結果、マラソンのようなかなりの負荷のかかるレースが入っても、強度を抑えた練習を継続していくことで、体の状態も緩やかに回復していくことが実感されました。

12月の練習もおおよそ予定通り実施することができ、計画していた負荷をかけることができたと思います。

12月は、再び一旦VO2Max中心に負荷をかける月として、レースも含めて4週連続でVO2Maxの強度に揃えました。

12月に関しては、1月の駅伝やロードレースに備えて一度強度を上げて、5kmや10kmのレースペースに耐えうる体に戻そうと考えていました。

11月はマラソンを2本に加え、ロング走も1回入れており、10月まで遡ってもハーフマラソンやロングトレイルなどで、脚や体にかかる負荷が大きなダメージとして残るものとなっていました。

一方、VO2Maxの強度で3km程度ならば、そこまでの負荷はかからず、10〜11月ほどのダメージは残らないだろうと考えていました。

実際、1kmあたり3分20秒〜10秒くらいのペースで走っても、呼吸は猛烈に苦しくなるものの脚の疲労はほとんど残らず、無理なく4週続けることができました。

12月は最後にロング走を入れましたが、それ以外は全てVO2Maxインターバルを入れました

一方、今月もトータルで450kmを走ることができ、これは2024年では一月あたりの最長走行距離で、30日間走行距離で435kmと小の月換算でも目安としていた距離に届きました。

この結果、年間4800kmを超え、おそらく大学を卒業して以降では最も距離を踏んだ1年となったはずです。

今年は年間4800kmを超え、400kmを超えた月も8回あり、安定して練習を継続できました。

そうした練習の積み上げは、1年間を通してのレース結果にもだいぶ反映された印象で、目標としていたV GAMES JAPANの年代別年間ランキング1位とバーティカル日本選手権年代別1位という、長期間にわたって安定した走力を維持する必要のあるタイトルの獲得につながったと考えています。

また、それと両立してマラソンにおいても安定した成績を残せたことも同様の理由を考えています。

現時点では今シーズンの取り組みが比較的良好に反映された2024年となりました。

ここまでの結果には十分満足していますが、今後、1、2月の駅伝&ロードに加え、3月に控えている板橋シティマラソンまで安定した結果を残せて初めて今シーズンのトレーニングとその成果が完成すると思っています。

そのためには、とにかくまずは故障をしないこと。そして欲張らずに、余裕を持って日々の練習を着実にこなしていくことが重要だと考えています。

第44回つくばマラソンに出場しました

こんにちは、ランマニアです。

今月二度目のマラソンレース、つくばマラソンに出場してきました。

今年から松本マラソンが陸連コースとなり、二週間前には数年来の念願叶って松本でマラソンレースを走ることができました。

ただし、初マラソンから毎年のようにエントリーしてきたつくばマラソンとも時期が重なってしまい、当初はどちらかで記録を狙えればいいと思い、2レースともエントリーしておいたのですね。

その結果、今週のつくばマラソンは、マラソンレースからわずか二週間後にもう一度マラソンレースを走るという、異例のスケジュールとなってしまいました。

ただでさえ二週間ではマラソンの疲労は抜けるはずもなく、また松本のコースは非常にダメージが大きいアップダウンの激しいコースだったため、正直このつくばマラソンはジョグに毛が生えた程度の走りしかできないものと想定していました。

実際レース当日も、レースの日とは思えないほど寝起きが悪く、車で移動中も睡魔に何度も襲われ、松本の疲れがまだまだ残っている印象でした。

また、レース当日の調子のバロメーターとも言えるトイレ問題も、疲労の影響からかなかなか腸が動き出さず、スタート30分前になってようやく済ますことができた状態でした。

こうしたネガティブな情報ばかり蓄積していたため、スタートエリアで待機中も全くモチベーションの上がらず。

やはり二週間に二度のマラソンレースは無謀だよな、とかなり後ろ向きな気持ちで号砲を待っていたのですね。

スタートエリアは陸連登録で記録申請をしていたため何とかAエリアの第1ウェーブスタートが叶いました

スタートしても,松本のような軽やかな脚の動きは全くなく,42km走り切るだけの余裕を持って走ると体感的にはジョグのような速度感にまでペースが落ちてしまう印象でした。

過去何度もマラソンを走っていると,スタート時の体調や脚の感覚で大体その日の結果が予想できてしまうものですが,今回は典型的な「ダメな日」のそれでした。

初めの1kmの通過を確認すると,3分56秒。

通常興奮して脚がよく動いてしまう入りの1kmはたいてい少し速すぎるラップになるものですが,その中でこのラップはあまりにも遅すぎて軽くショックを受けたほど。

「こりゃ本当にダメだわ」と早々に覚悟を決め,今日はとにかく最後まで文字通り「走り切る」ことを目標に,下方修正することにしました。

この「いつまでも走っていられる努力度」を常に意識しながら,脚の疲れ具合と努力度だけに細心の注意を払いました。

ちょっとでも無理にペースを維持しているような感覚があればすぐに緩め,脚の疲労を感じればさらにペースを下げる,という準備をしながら集団の後方につきました。

そして,入りの1km以降はもう時計を見るのをやめました。

1km毎に「ペースが落ちた」だの「ちょっと持ち直した」だの,いちいち考えるのはエネルギーの無駄ですし,その都度ペースを微増させたり落としたりするのもかなりのエネルギーロスにつながります。

そうした中で,ラップ計測用のマットを通過する際にだけオフィシャルのタイマーが目に入ります。

5kmは19分40秒台。

相当に遅いですが,しかし一方ではこんなにジョグみたいな感覚で走ってもキロ4は切ってるのか,と少し心の余裕が出たのも事実。

今日は最後までこのペースで走ればいいや,と気持ちも楽になりました。

そのままその集団の後ろで風を避けながら10kmの通過。39分10秒台。

思ったよりもペースが悪くないことに気づき,ようやく気持ちも前向きになってきました。さらに,ノーアップでスタートしたせいか,ここへきて脚の動きもむしろ良くなってきているのを感じました。

そして,ここで「今日は30kmからペースアップをする。そのために,30kmまでは可能な限り温存する」というレースプランが頭に浮かび,ここからの20kmは最後の12kmを走るための温存区間だと言い聞かせるようにしました。

気温が低かったこともあり,給水も22kmまでは手をつけず,淡々とこのキロ3分50秒台の努力度を維持し続けました。

ハーフは1時間22分台後半。

松本マラソンよりも遅い通過でしたが,松本はこの時に「山の神」をやり終えてかなり脚にきていたことを考えると,今日は信じられないほど脚はノーダメージ。

とはいえ,マラソンの「残り半分」は実はようやく「スタート」なので,まだまだアクセルを踏んではいけません。

ここからペースアップして過去何度失敗したことか。

20〜30kmこそ,マラソンでの「温存区間」なのですね。

27kmすぎの1度目の折り返し地点は駅の近い沿道の応援が大きくなるところ。自然とペースが上がってしまいがちですが,ここはまだ我慢です。

1回目の折り返し地点が近づくと,沿道の応援がものすごく,ついついペースが上がってしまいますが,とにかく30kmまでは力を抜かなければ,とあえてストライドも抑えてリズムを整えます。

ところが,走行しているうちに,遥か遠くに見えていた「2時間45分集団」が次第に近づいてきていました。

全身の力を抜いて,ピッチをしっかり整えることで,むしろペースは上がっていたのです。

これは今回のマラソンで初めて体験した現象で,後で思い当たったのは,もしかするとこれが厚底カーボンシューズのアシストなのではないか,と。

力んで無理に前へ進もうとするよりも,力を抜いて接地で得られたエネルギーを殺さないように自然に足を前に出すだけで,かなりアシストが得られるのではないか,と。

この感覚を身につけてから,努力度は変わらないものの,むしろペース自体は次第に上がりつつあり,ついに迎えた30km地点ではすでにその集団に追いついてしまいました。

この集団について行っても45分で行けるなら,もうここでいいかな,と一瞬よぎりましたが,気づくと集団の先頭に立ってしまっていたため,「もう行ってしまえ」とペースは抑えずにそのままのリズムで走り続けました。

この辺りからは,もう「SEIKOタイマー」もほとんど確認せず,自分の努力度と脚の疲労だけに注意を向けながら,残りの距離との兼ね合いを考えていました。

大通りから急坂を上って筑波大学への県道に入る35km過ぎでも,過去最も元気に急坂を上ることができました。

筑波大学構内に入って37km地点。

流石に脚の動きが鈍くなってきて,これはペースダウンしてきたかな,と思い,このあたりからようやく努力度を明確に上げていきました。(後から知りましたが,実は最後の5kmは最もペースが上がっていました)

40kmを通過。ここで初めてタイムを意識しました。

どうやら最後の2.195km次第では,2時間43分台も狙えることがわかったからです。

しかし,何度も走ったつくばマラソンです。この先に控えている「ラスボス」,最大の難関のことは常に頭に入れながらここまで走ってきています。

ラスト1.5km地点にある,跨道橋のアップダウン。

距離にしておおよそ200mの急な上り。ほとんど終わってる脚でこの坂を登るのはどのレベルのランナーでも相当な苦痛となります。

もうここは正直「気合い」で乗り切るしかないのですが,それでもその後まだ1kmも残っています。

ラスト1kmは苦痛との戦いです。

松本マラソンほどのしんどさはなかったものの,どんな走りをしても,マラソンの最後の1kmは同じようなしんどさはあります。

フィニッシュが近づけば近づくほどキツさは二次関数的に増加していきます。沿道からは「後ちょっと」と言われますが,全然「ちょっと」じゃないわけで。

競技場に入り,最後の直線で2時間43分10秒台。

スタートの時点では全く想像もしていなかった高記録に,自身でも驚きの結末でした。

ラスト1kmが楽な人はいません

終わってみれば,2017年東京マラソン以来の2時間45分切りを達成。

しかも,マラソン2週間後の「再マラソン」という暴挙に出た中で,という自分でも予想していなかった結果です。

完全に脚が終わった松本マラソンからわずか2週間。本来は,どちらかをDNSする予定でした。

いろいろ考えましたが,一つは4月以降総走行距離が伸び,だいぶ回復力が上がってきたこと。

そしてもう一つは,やはり厚底シューズの恩恵かな,というところです。

確かに,Adios Pro3の衝撃吸収性能は驚くほど高いですし,かなり大腿部を使って走れるため,ふくらはぎのダメージがほとんど残らないのですね。

大腿部は筋肉が大きいのでその分回復も早く,2週間でもどうにかマラソンが走れるほどには回復したのだと考えています。

とはいえ,2週間で2本は基本やってはいけない「暴挙」なので,今回は例外中の例外ということで,2度とやるつもりはありません。

一方,やはり総走行距離の増加はマラソンレースそのものや,長いスパンで見たリカバリー力にもかなり効果をもたらすことがわかり,今後も無理のない程度に距離を伸ばしていこうと考えています。

いずれにしても,ようやく以前のようにマラソンのレースを楽しめるほどに走力と体力が戻ってきて自信がついたのと同時に,まだまだ記録にチャレンジできる体であることにも気づけ,まずは一安心といったところです。

松本マラソン2024に出場しました

こんにちは、ランマニアです。

今シーズン最初のマラソンは松本マラソンから。

前回のマラソンは、3月の板橋シティマラソンでしたので約8ヶ月ぶりのマラソンレースとなりました。

強風の中ペース配分の難しかった荒川沿いのコース

板橋は完全フラットコースではありますが、なんと言っても遮るもののないだだっ広い河川敷コースのため、今年のように強風が吹くと記録を狙うのはかなり難しくなるコースでした。

最低でも2時間40分台では行きたかったところでしたが、終盤大失速してしまい、51分台の凡走となってしまいました。

2017年の東京マラソン以降、しっかりとマラソンを走り切るレースから遠ざかっていて、記録を狙った前回の板橋でもラスト10kmで脚が終わってしまいました。

さて、そうした中で今シーズンはここまで3レースのマラソンにエントリーしています。

先日の松本。11月23日のつくば。そして翌年3月の板橋です。

一応本命は、コース的には(天候は別として)最も走りやすい板橋に設定していて、今月の松本とつくばは練習のつもりで出る予定です。

特に、松本は獲得標高300m以上の特殊コースなので、正直ここは全くあてにしておらず、松本の景色を楽しむ程度に出走するつもりでいました。

そんなファンランの予定で出走した松本マラソンでしたが、結果は想定外の好記録で、やはりマラソンは入れ込みすぎないのがちょうどいいのだなと、再認識したレースとなりました。

スタート〜5km

松本マラソン最大の特徴は、通常のマラソンレースでは考えられないアップダウンが繰り返されるコース設定にあります。

スタートして初めの5kmも延々とつづく下り坂で、とにかく気持ちよく駆け下っていけるちょうどいい傾斜の坂です。

朝の気温は3℃。今シーズン一の冷え込みで、久々にこの寒さを味わいましたが、マラソンにはちょうどいい気温

今回、中盤にある「山の神区間」と呼ばれる急激なアップダウン区間のために序盤は温存する予定でしたので、コースを通して大体1km4分ペースを維持するつもりでレースプランをイメージしていました。

なので、初めの5kmは急な下りを考慮すると大体3分40秒〜50秒くらいで行ければいいかな、と全く力を込めずに脚が勝手に進む感覚を意識して走り続けました。

5kmの通過は19分ちょうど。設定ぴったりの通過でした。

5km〜15km

今回に限らず、マラソンは15kmまではアップのつもりで走ることから、この区間はちょうど体が温まってきてとても快適に走れる時間帯です。

本コースにおけるこの区間は、3kmほど薄川沿いの道を緩やかに上った後、折り返して8km近く緩やかに下り続ける最も快適に走れる区間です。

ついつい調子に乗ってペースを上げてしまいそうになりますが、ここはとにかく我慢です。

初めの5kmでかなり貯金ができていましたので、キロ4にかかってしまっても全く問題ないと、楽な気持ちで走ることに徹しました。

この10kmは39分30秒と、ここもキロ4ペースよりも速くまとめ、再び「貯金」を積み上げることができました。

6km〜8kmまでは薄川沿いを緩やかに遡っていく上りコース。折り返すとしばらく快適な下りが続きます

15km〜20km

そして15km地点からの5kmは、本レース最大の目玉「山の神区間」と称する、コース最高地点まで一気に駆け上がる急勾配区間。

一月前に試走をした際、マラソンコースとしては考えられない急勾配の上り坂で、果たしてここでレースペースを維持できるのかとても想像することができませんでした。

最高点を過ぎると今度は急な下り坂が約1km近く続きます。ここで大腿四頭筋に大きなダメージを受けました

しかし、たまたま5km地点からずっと一緒になったランナーが全く同じペースで走れていたため、この坂区間も後ろについていいリズムで上っていくことができました。

ピッチを狭め、できるだけ出力を抑えて上りましたが、思ったよりもペースは落ちず、最大でも1km4分10秒までのペースダウンで止めることができました。

また、上った分下り坂もかなり長く、結果的にこの区間も19分49秒でまとめられ、中間点を前にかなり精神的に余裕を持てたのは大きかったです。

20km〜30km

通常この区間は最後の12kmをしっかり走り切るための「タメ区間」と位置付けており、今回もここでは絶対無理をしないと決めて臨んだ重要な区間です。

中間点は1時間22分37秒と、ちょうど2時間45分ペース。このままキロ4を維持すれば、48分台は余裕ですし、あわよくば47分、46分台も見えてきて、だいぶ気持ちも楽になりました。

ただ、この区間も全くの平坦な部分は少なく、前半は上り基調、後半は下りもありつつ急勾配の上りも存在し、決して楽に「タメ」られる区間ではありませんでした。

また、山の神の下りでやられた大腿四頭筋のダメージがペースの維持を困難にし、若干努力度が上がってきた印象です。

本来、もう少し楽にこの区間を終えたかったのですが、繰り返されるアップダウンと大腿部のダメージで、だいぶエネルギーを使ってしまった感覚を得ました。

この10kmは39分40秒と、かろうじてキロ4を切るペースを維持できましたが、その努力度は序盤の10kmとは明らかに違っていて、脚が止まりつつあるのが自分でもわかりました。

30km〜40km

そしていよいよ、マラソンレースにおける最重要区間、30km以降に突入です。

ここまでにどれだけ余力を残しているかで、そのレースの結果が概ね決まると言っていいでしょう。

言ってみれば、30kmまではマラソンレースの前座に過ぎず、この12kmでどれだけ脚を動かせるかが記録を左右するのですね。

今回のレースでは、やはり中盤の山の神が大幅に効いてきており、30kmを通過した時点で「あと12kmもあるか」とやや気が遠くなる感覚を抱いたのは事実でした。

とはいえ、ピッチを狭め、それまでのリズムはまだまだ維持できたことから、なんとかキロ4を維持することだけを考え、無理に力を入れないようあえてリラックスするよう努めました。

残り7kmで迎える空港内エリア、スカイパーク区間。微妙なアップダウンに削られていく感覚です。写真は2月に試走した際に撮影

空港エリアに入るとまもなく35km地点を迎えます。

この直前5kmはしばらく上り基調で、次第に脚が動かなくなってきた中、スカイパークに入ってなだらかな下りが始まります。

当初、このスカイパークの区間は最も走りやすいエリアだと思い込んでいましたが、実際ダメージを負った脚でここを走ってみると、細かいアップダウンが残りのエネルギーを徐々に削っていき、フィニッシュが近づけば近づくほどしんどさが倍増していく感覚で、ペースも次第に落ちていきました。

この最後の7kmは、自分が想像している以上に余力を残していなければまともに走れない区間で、スカイパークに入る前の緩やかな上り区間で脚を使ってしまうと、公園内で立ち止まってしまうことも十分あり得るコース特性となっていました。

この10kmは40分30秒と、ついにキロ4を超え、一気にペースが落ちていきました。

40km〜フィニッシュ

残り6kmが気が遠くなるほど長く、どうすれば走り切れるか本当に想像できないほどでしたので、40km通過時は、実際もう脚は終わった状態でした。

ここからは、ペースを維持する意義をどれだけ持ち続けられるかが重要で、肉体的には限界点を過ぎている中、心理的にそれをどうコントロールして、残りの2.195km、如何に脚を動かし続けられるかが鍵となります。

40km通過が2時間38分30秒でしたので、仮に10分かかっても48分台は可能と考え、気持ちがいっぱいいっぱいにならないよう努めました。

今のペースさえ維持すれば、47分台は見えてくるだろう、と言い聞かせ、とにかく同じリズムを刻み続けました。

ところがなんと、ここから再び上りが始まります。

まるで夢の中で走っているように動かそうと思っても脚は動かず、体感的にはすでにジョグのリズム感とスピード感に陥っていました。

また、小刻みな直角コーナーがいくつかあり、その度に脚が攣りそうになります。

こんなにきついラスト2.195kmもそうそうないと思われ、松本マラソンの難易度の高さは伊達ではなかったと、最後まで思い知らされました。

ラスト1kmを切ったあたりで、背後からやけに重量感の感じられない足音が聞こえてきて、すぐに女子のトップだということがわかりました。

並ぶまもなくあっさりかわされ、惜しくも女子のトップに勝つことはできませんでした。

最後の直線で、時計は47分に変わったばかり。

思ったよりも善戦できていたことを知り、最後はどうにかスパートもかけられ、47分台には余裕を持って滑り込むことができました。

久しぶりにマラソンを走り切った充足感を味わいながらフィニッシュラインを通過しました。

秋晴れと紅葉が素晴らしいフィニッシュエリア。更衣室は大きなドーム内なので雨天時も快適だったはず

後ほど速報結果を知ることになり、記録は2時間47分43秒。総合順位29位、50代の年代別順位は1位という結果でした。

記録は自身のキャリアの中では平凡ですし、自己ベストよりも8分ほど遅いタイムでしたが、この特殊な松本のコースで最後までどうにか大崩れせずに走り通せたこと。

さらには約8年ぶりに2時間50分を切れたこと。

そして、公認マラソンレースでは過去最高順位の29位と年代別1位という結果には、正直自己ベストを更新した時に匹敵する喜びと満足感が得られたのは事実でした。

50代になって間もない自分にとっては、この年代別カテゴリーは最も有利な条件ではありましたが、逆に今しか取れないタイトルでもあるので、目標にしていた年代別優勝を達成できたことは今回松本マラソン最大の収穫だったと思います。

“シティーランナー“牛山さんから21分遅れでとどめられたのも、地味に嬉しかった点

ところで、今回走りながら大きな手応えを感じられ、終盤まで勝負をし続けられた要因は以下の2点だと思っています。

①この半年間の総走行距離が大幅に増加したこと

4月から10月までの直近6ヶ月で、月400kmを超えた月は5回。

一方、板橋シティマラソンの直前6ヶ月で、月400kmを超えた月は1回と、その差は歴然としています。

この差を感じ始めたのはちょうど10月に毎週レースが続いた時期に、レースを走っても比較的回復が早く、以前であれば1週間前に距離走を行うと大抵レースを失敗していたのが、先月はハーフもそこそこ走れて、その後も疲労が速やかに回復していった経験からでした。

今回の松本も、やや賭けに近かったですが、1週前に距離走を入れていたので、その影響が出ずに42kmを走り切れたのには驚きました。

1km4分ペースで走行中も、脚に来る衝撃、ダメージが心なしか軽い感じがして、脚の強靭さが増している感覚も得られました。

これは間違いなく総走行距離が増えたことが要因だと思われ、4月からの取り組みが実を結んだものと考えています。

②想定ペースを抑えたこと

今回、コースの特性から初めから記録は追わず、如何に最後までペースを維持できるか、大崩れずにタイムをまとめられるかを目標にレースに臨んだことから、設定ペースのようなものを考えず、とにかく体感にのみ従ってペースを組み立てました。

なので、距離表示ごとにペースの増減に一喜一憂することもなく、その時の脚の疲労度だけに注意を向け、「だいたいこれくらいの疲労感ならあと⚪︎kmは走れるかな」ということを常に考えて走り続けました。

板橋の時は、どうしても過去の自分の記録と比べてしまい、「最低でも1km⚪︎分は維持しなければ」というプレッシャーを常に感じてペースを組み立てていたのは事実です。

えてしてそういう時はだいたいレースを失敗するもので、強風という条件がなかったとしても、板橋では良い走りはできなかったと考えています。

今回の松本マラソンでは、初めから記録は諦めていたので、その心構えがむしろ結果的に良い方向に影響したのでしょう。

マラソンはロード種目の中で最も苦手な種目であるため、これまでも失敗することが多く、今日のようにしっかり走り通せる機会もそうそうありません。

ただ、最後までエネルギーを残しながら、ある程度のペースを維持し続けることができれば、これほど楽しい種目もなく、今回は久々にロードレースの楽しさ、マラソンの面白さを味わえたレースとなりました。

苦手ではありますが、工夫次第ではまだまだ記録を狙うことも、キロ3分台で勝負することも可能であると考えているので、今後もある程度マラソンにはこだわっていきたいと思います。

10月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

レース月間だった10月もあっという間に過ぎ去り、終わってみれば4レース全てに出場したハードなひと月となりました。

当初、志賀高原エクストリームトレイルの負荷がかなり高そうだったため、びわ湖バレイスカイランは回避する予定でしたが、せっかくの日本選手権でタイトルを取りたいという気持ちが高まり、結局強行日程で出走することになりました。

そんな10月は、第一週の高島平ハーフマラソンからスタートしました。

久々の公認ハーフマラソンでかなりモチベーションも高まり、調子もまずまずではありましたが、残念ながらレース前にトイレをしっかり出すことができず、途中二度のトイレ休憩によってタイムは過去最低のものとなってしまいました。

ロスタイムを除けば、1時間14分台も見えていたレースだっただけに、公認記録として残せなかったのは残念でした。

久々の公認ハーフに出走し快調にペースを維持しましたが、無念のトイレ休憩で終了

続いて第二週は、スカイランニング協会が設定しているバーティカルのシリーズ戦、VGAMES の公式戦、烏帽子スカイラン。

烏帽子のバーティカルコースは、序盤から比較的走れる傾斜の続く、バーティカルとしてはやや距離の長めのレースで、自分としては参戦以降得意としているコースです。

今回は、年間シリーズの総合ポイントにも関わるレース、さらにはマスターズ部門では数少ないポイント対象レースということで、個人的には失敗したくない大事なレースとして位置付けていました。

結果は、ベスト記録には及ばなかったものの、トップから7分30秒差の総合7位、マスターズ部門でも年代別1位となり、ひとまず年間シリーズのポイントを確保することができました。

バーティカルは自分でも得意に感じている種目なので、目標が達成できて満足感は高かったレースでした。

走れる登りと最後の絶景は、このレースが個人的に最も好きなバーティカルレースの理由です

そして第三週は一転、最も苦手な長距離レース、志賀高原エクストリームトレイルのロング55kmです。

55kmという距離は、昨年の世界選手権で走って以来の長い距離で、スカイランニングでは「SKY ULTRA」のカテゴリーに位置します。

なぜこの最も苦手としているレースを走ろうと思ったかは、今回はこのロングコースが、スカイランニング協会の全日本選手権、SKY ULTRA部門に設定されていたことと、このエクストリームトレイルのコースが、紅葉で色づいた静かな志賀高原を淡々と走れるのが楽しかったからです。

季節的にも、標高的にも、まず暑さは気になりませんし、多少寒くても走ってしまえばちょうど良い体感温度となることから、スカイレースの中でもこのレースは最も好きなコースだったのですね。

ただ唯一の懸念は、55km、累積2850mもの本格スカイレースを、ほとんど山練習をしないで果たして走り切れるのだろうか、ということでした。

結果的には、ペースを抑えることで体力的には全く問題なく走り切ることができましたが、最大のトピックスは、最初の登山道が終わってゲレンデに入る木製の階段で、前方向に豪快に転倒してしまったことでした。

かなりの勢いで転倒したので、左腕と胸部、そして両大腿部と膝を強打し、あまりの痛みにしばらく動けなくなるほどでした。

特に、左大腿部の痛みは尋常ではなく、着地と膝の屈曲ができないほどの痛みで、一瞬リタイアが頭をよぎりました。

しかし、骨折をしたわけではないと思うと、とにかく痛みさえ堪えれば走れると判断し、結局その後40km以上も痛みを堪えて走り通すこととなりました。

最終結果は、ほぼ目標タイムでは走れたものの、マスターズ部門では4位となり、残念ながら入賞を逃すことになりました。

それでも、骨折等の大怪我にはならずに、どうにかSKY ULTRAのコースを完走できたことはある程度の自信となりました。

毎年期待通りエクストリームな天候になる志賀高原。コースの美しさは随一です。

本来ならここで10月は終える予定でしたが、この志賀高原でメダルが取れなかったのが相当に悔しく、打撲の痛みもなんとか回復したこともあり、直前で第四週のびわ湖バレイに参戦することにしました。

このびわ湖バレイのバーティカルも、以前から得意としているコースで、今回このコースがバーティカルの日本選手権となったことから、なんとかタイトルを取りたいという気持ちが高まっていたのですね。

志賀高原の疲労はあったものの、脚が動く限り、呼吸が一定のきつさを超えないように、ギリギリのラインで走り続け、どうにか年代別の1位となることができました。

タイム的にはもう少し伸ばしたかったところでしたが、最後はライバルの選手とのデッドヒートとなり、久しぶりに吐きそうになる程追い込めたので、レース内容としては満足できました。

びわ湖バレイスカイランの最大の目玉はフィニッシュ後のこの絶景。さらに帰りは楽ちんゴンドラで帰れるという、だいぶ甘んじバーティカルなのがついついエントリーしてしまう所以です。

終わってみれば4レースに出走した10月でしたが、月あたりの走行距離もこれまで通り400kmを超え、30日間走行距離も420km台と、レース月間ではありましたが安定して練習を継続できました。

初の3ヶ月連続400km超えを達成。明らかに回復力の高まりを感じ、4週連続レースを実現できたのもこの走行距離の賜物だったと思われます

レースは最初のハーフマラソン以降は3週連続トレイルレース。

ここは、スカイランニングに取り組んでいるとどうしてもレースが立て込む時期になってしまうため、このトレイル月間をどうトレーニングに結びつけるかですが、今回は2戦あったバーティカルではLT系やVO2Max系に刺激を、スカイレースでは有酸素系とエネルギー代謝系に刺激を入れられたかと思っています。

トレイル率が高くなった10月ですが、ハーフも走ったため、総じてLT系に刺激が入ったと思われます。

今月も、毎日のトレーニングは通勤経路を走りにあて、概ね10マイルは走るように意識しました。

正直、もうそろそろこの距離を超えても問題はなさそうですが、睡眠時間の確保と夕食の時間を考えるとどうしてもこの距離までが限度かなと思います。

平日のベースは2部練での10マイルジョグ。体力的には18kmにまで伸ばしても大丈夫そうですが、現状のライフスタイルでは限界かもしれません。

さて、11月はいよいよマラソンレースが始まります。

とは言っても、記録を狙うというよりはトレーニング的な意味合いと、レース自体を楽しみたいという目的で出場するレースです。

来週の松本マラソンは、義理の両親がいる地元。

年に数回訪れる松本の地を、マラソンレースで走れるというのが今から楽しみです。

そして、その二週間後は2年ぶりに出走するつくばマラソンです。

つくばは、マラソンを始めた頃は毎年のように自己ベストを更新するような走りやすいコースで、ここのところはずっと距離走代わりに走っていました。

松本の二週後ということで、おそらく万全ではないでしょうが、できればコースの良さを活かして久々に2時間40分台では走っておきたいとは思っています。

富士登山競走に参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は今シーズン前半最大の目標であった富士登山競走に出走してきました。

残念ながら、結果としては山頂コースのワースト記録で凡走となってしまいましたが、これはもう7月上旬に感染症に罹ってしまった時点で予期された結果であったなと、半ば予想通りの展開ではありました。

7月8日に試走に出かけ、その夜に発熱。以降の症状から、おそらく今流行りの感染症であったかと。

7月8日の試走時から体の異変を感じ、疲労とは明らかに違うしんどさの中試走を終え、帰宅後は案の定夜中に発熱。

受診もせず、熱も測らなかったですが、おそらく体の痛みから38度は軽く超えていた印象。

これが3日ほど続き、自分としては珍しく風邪症状でも走れないほどのしんどさ。

結局9日から5日間の完全休養となり、その後もしばらく微熱が続き、試しに走った30分と60分のジョグではキロ6分を切るのがやっと。

つまり、発熱後1週間でもまともに走れない状態が続いていました。

次の1週間は熱こそありませんでしたが、体のだるさと、それ以上にちょっとした意識障害、「何をするのも考えるのも億劫な感じ」がずっと続き、走るための体力こそ徐々に回復したものの、強度を上げて走るために「頑張る」ことがかなり難しい状況でした。

その週末に、試しに1kmを8割程度の力で走ってみましたが、3分40秒で1本走るの精一杯。

この週の終わりに本番が控えていたため、これは完走自体も危ういかもな、と嫌な予感はしていたのですね。

当日の朝。いつもはこの光景を見て気持ちが最高に昂るのですが、今回は全く走りたいと思えず・・・

そんな状態でしたが、どうにか通常のジョグのペースは平常モードに戻り、完走できるかどうかギリギリ微妙なところまでは回復して当日を迎えました。

しかし、頭がぼーっとする感覚は最後まで抜けず、とにかく「疲れることはやりたくない」気持ちが相変わらず残っていて、スタートラインに立ってもなかなかモチベーションが上がらない状態で号砲を待つ状態でした。

ついに一人になってしまった宮下さんのエール。しかしここで元気をもらい、どうにか気持ちも前向きに。

しかし、毎年恒例の宮下選手の「エイエイオー」をやっているうちに、「笑うから楽しい」状態になり、どうにか頑張れそうかな、という前向きな気持ちが芽生え始めました。

スタートすると、アップの時に感じただるさはひとまず消え、キロ4分くらいのちょっと速いジョグ感覚のペースならなんとか維持できそうな感覚は得られました。

富士山に正対する前の唯一の下り区間は気持ちよく走れ、この負荷ならどうにか3時間以上は体を動かし続けられるかな、と少し気持ちに余裕が出てきました。

その後始まったロードの登り区間。

いつもならこの区間でかなりペースを上げていくのですが、今回はいつ体調が悪化するかわからなかったので、ストライドを狭め、ピッチを一定にしてできるだけ努力度が上がらないように慎重に走り続けました。

試走時の馬返し画像。今回は57分台の通過。ベスト記録時は54分台だったので体調が悪い中ではまずまずのペース。

トレイルが始まる馬返しの通過は57分台。ベスト記録時よりも3分ほどの低下で済んだのは意外でした。

ここからトレイル区間が始まり、一歩一歩の負荷もかなり高まります。

いつもなら走って登る区間も、今回はあえて歩行。

もう記録は追わず、完走だけを目指して、ひたすら自分の体調と対話をしながら淡々と登り続けました。

試走時の五合目画像。今回は1時間46分台の通過。単純に2倍すると3時間30分前後。

途中緩やかな登りは軽く脚が動き、だいぶ余力が残っている実感もあり、この調子で五合目をひとまずクリアしたいな、と。

五合目の通過は1時間46分台。

自己ベストからは程遠いペースですが、単純に2倍したタイムがフィニッシュタイムになることが多い後半のコース特性から、3時間30分なら今日の体調なら十分かな、と。

五合目から先は比較的走れる傾斜であるため、通常なら割とプッシュして攻めていくのですが、ここもとにかく温存して歩き続けました。

ランマニアの最も嫌いな七合目までの砂礫区間。ここは通常走りますが、今回は徹底的に歩き通します。

六合目から七合目までは延々とつづく砂礫サーフェスの九十九折。

ここは例年、淡々と地面を見ながらトラクションのかかる部分を探して、無駄に消耗しないように地道に足を進める非常にタフな区間です。

正直、ランマニアが最も嫌いな区間ですが、タイムを狙うにはここは走る必要があります。

しかし、今回は絶対に体力を消耗してはいけなかったため、ここも徹底的に歩きました。

そのおかげか、この時点でもまだだいぶ脚には余裕があり、この時点でどうにか山頂まではいけるのではないかと、少し見通しが持てるようになりました。

七合目から先は傾斜が一気に増し、岩場区間が始まります。

ようやく砂礫区間が終わり、通常であれば比較的登りやすく感じる岩場区間。

ここから先は、一つの岩場を登るたびに山小屋が現れ、100m程度ですが走れる区間が存在ます。

元気な時は、このリズムが好きで、走っては登り、登っては走るを淡々と繰り返せるのですが、今回はこの区間から徐々に体に異変が起き始めました。

急な岩場ではこれまで以上に大腿部の最大筋力がものを言うのですが、登るたびに次第に脚が動かなくなっていきました。

通常では感じないような脚の重さで、ちょうど発熱時にジョグをした時に全く脚が動かなった、あの感覚に似ていました。

やはりこの程度の負荷がかかってくると、感染症の影響が出始めるのだなと、徐々に完走が危ぶまれてきました。

正直、「早くやめたい」という気持ちになって来たのもこの頃でした。

通常なら走れる山小屋の平坦区間。今回は八合目以降走れなくなりました。

八合目を過ぎると、本格的に脚が動かなくなり、山小屋区間も走ると言うより休息区間と化し、とても走れる状態ではなくなりました。

残り3.7km。

この表示からが本当に長く、自分の今の体調と残りの過酷さから登り切る自信がなくなってきましたが、もうここまできて後には引けません。

とにかく無駄に力を使わず、ゆっくりでいいから登り続けることだけを意識して、いつもよりだいぶペースを落として足を進めました。

岩場の後には再び砂礫区間が続く八合目エリア。ここから先、後続のランナーに一気に抜かれ始めます。

八合目区間は、いつまで登っても常に「八合目」が続くとてもしんどい区間です。

色々な八合目があり、登っても登っても「八合目」なのですね。

そして、序盤にあったような砂礫区間もここで復活します。

酸素もだいぶ薄くなってきて、脚も動かなくなってきての砂礫区間は本当にタフな区間で、ここでついに立ち止まる時間が出てきてしまいました。

後続のランナーにも続々と抜かれ始め、メンタルも落ちてきます。

試走時に上から撮影した九合目以降の最大の急登。今回は20分近くかかってしまいました。

上を見ると、九合目の鳥居。そしてその上に見える最後の鳥居とフィニッシュ地点。

ここから距離にして1km前後。累積は200m程度。

普段なら駆け上がれる距離ですが、今回はもう九十九折りごとに立ち止まり、ふらふらになって朦朧としてきている意識を整えてから登らなくてはならない状態でした。

もう山頂は確認できるのに、本当に登りきれないかもしれない、と何度も思って立ち止まる有様。

その間、ラストスパートに入ったランナーたちに豪快に抜かれ続け、気持ちも続かなくなってきました。

しかしもうやるしかないので、ひたすら苦痛と向き合い続けます。

このレースに参加した人なら誰もが待ち望むこの光景。この最後の石段が、今回は本当に登れず・・・

そしてついに訪れたその瞬間。待ち望んだこの景色。

最後の鳥居とそこに続く数十段の石段。何度登ってもこの瞬間は大いなる喜びに包まれます。

しかし、今回は本当にここからが地獄。

信じられないほど、この石段が登れません。数段登っては止まり、もう目の前にフィニッシュラインが見えているのに立ち止まる。

これほどまでのしんどさは試走を含めて、ちょっと経験がありません。

本番ではここにフィニッシュラインがあります。今回はフィニッシュと同時に右手の石段の下に倒れ込みました。

しかし、最後は気力を振り絞りフィニッシュ。

フィニッシュと同時に、もう立っていることもできず、フィニッシュラインのすぐそばで横になってしまいました。

体に力が入らず、頭もクラクラして、正直何もできない状況でしたが、今回出場したチームノルケインの撮影が最後にあったため、空元気を振り絞ってポーズをとり、惨めな姿を動画に収めてもらいました。

どうにか立ち上がり、山小屋の前まで辿り着き、そこのテーブルでしばらく横になって寝ていなければならないほど体調は最悪でした。

ああ、これは下山できるのか?と本気で心配になる程、「今日は富士山なんかに登ってはいけない体調」であることをはっきり自覚しました。

遠くに見える小さなつぶつぶは登ってくるランナーたち。最後はこの傾斜です。

まさに「頭を雲の上に出す」標高の富士山頂。

今回のレースでは、八合目以降標高が3000mを超えたあたりから、急激に体がしんどくなりました。

五合目まではどうにか症状は抑えられていたのですが、高負荷と低酸素の両方が組み合わさると急速に体に異変が起き始めたのが特徴的でした。

通常、風邪を引いたり熱が出ても、1日2日休んで練習を再開する自分が、5日も休んだことが異例でしたし、その後もしばらく走れなかったのも明らかにおかしかったです。

そうした中で、なんとか富士登山を完走できるほどには回復し、悪いタイムなりに走りきれたことはひとまず回復には向かっているのだろうと、一方では安心した要素にもなりました。

今回実は、知っているエリートランナー数人が、不調というには明らかにおかしいほどのタイムの落ち込みを見せたランナーがいました。

うち一人は「風邪をひいていた」と話していたようなので、あるいは自分と同じ感染症に罹っていたのかもしれません。

とはいえ、体調管理も含めレース当日のパフォーマンスは全て自己責任ですから、まあ、今回はそこらへんの詰めが甘かったということでした。

結果的には楽しく終えられた今年の富士登山競走。来年はしっかり挽回したいと思います。

とはいえ、今回はチームノルケインという貴重な出走枠で走らせてもらい、多くの仲間とレースを共有でき、最終的には楽しくレースを満喫することができました。

Xのフォロワーさんともレースの話題で盛り上がり、やはり完走した者にしかわからないこのレース特有の魅力と魔力を、改めて共感できたのも良い機会でした。

今回のように、少しでもコンディションが悪ければ覿面にレースに影響するタフなコースを攻略するのは、並大抵のことではありませんから、今回のように痛い目に遭うとまた来年も、と克服するモチベーションが高まるのですね。

タイムは過去最低でしたが、大会全体を通して残ったインパクトは過去最高のものになったことを考えると、体調不良をおして参加した甲斐はあったなと、最終的には前向きに捉えることができました。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は小の月ということで、月当たりの走行距離は今年度で最も少なくなりました。

というより、先月は31日あったとはいえ440kmも走れていたので、この30日間はかなり距離が抑えられた印象です。

今年度は初めて月400kmを割りました

その要因はとにかくレースが続いたこと。

5月下旬に経ヶ岳バーティカルリミットに出場し、思いのほかしっかりと走れただけにそのダメージが残り、6月に入っても若干距離が踏めずにいました。

最後まで出し切れた結果、ダメージが尾を引きました

そして2周空けてのバーティカル競技、HOTAKA SKYRUN。

走行中の脚の重さから、おそらく経ヶ岳のダメージが抜け切れていない印象で、その中でも最低限の走りはできたものの、徐々に回復が間に合わなくなってきた感覚を得ていました。

走行中の脚の動かなさの割にペースはかなり良く、バーティカルとしてはベストに近い走りができました。

そして今年度序盤のレースとしては、かなり重きを置いていたトラックレースである、関東マスターズ選手権の5000mと1500m。

久々のトラックレース、そして40代最後のトラックレースということで、それなりに手応えを感じて終えたいレースではありました。

5000mも1500mもここ数年では最も冴えない記録となりましたが、久々にトラックレースの楽しさを感じられた選手権でした。

結果は、5000mが16分55秒で1位、1500mは4分38秒でM45の3位と、選手権としては十分楽しめる結果となりましたが、記録が思いのほか振るわず、悔しさの残るレースとなりました。

とはいえ、今にして振り返ると、だいぶレースが立て込んでいて、その中で全開走行を強いられるトラック種目とあっては、その影響は無視できなものであったなと。

トレイルレースのダメージは、もう少し速やかに回復してくれると思っていましたが、特に経ヶ岳のラストはマラソンのラスト並みの努力感であったことを考えると、そう侮れないダメージだったと考えます。

そうした中でしたので、練習の絶対的なボリュームも若干薄くなり、今月は初めて疲労で週末の高強度練習を一回飛ばすことになりました。

レストの日数が1日増えたことで400kmに届かなかったというのと、週末の高強度練習を一週飛ばしたことも疲労の影響が出た月でした。

とはいえ、今月もバリエーションに富んだ練習が組めたことは事実で、今のうちに刺激を入れておきたかったVO2MaxとLTには、かなりの時間を割けたような印象です。

特に、関東マスターズの1500mは久々に「もうこれ以上スピードを上げられない」という限界速度で3分以上走行したわけですので、図らずも解糖系〜VO2Maxと神経系に対して、普段入れられない刺激が入ることになりました。

今月も高強度の練習を最低限取り入れることができました

レースが続いて、そろそろ練習を続けていては疲労が回復しきれなくなってきている感覚はありますが、今年度走行距離が増えたことで、ジョグを継続しているうちに調子が戻ってくる感覚が得られるようにもなりました。

次のレースは、いよいよ7月下旬の富士登山競走、前半戦の重要レースとなります。

疲労を積み上げないよう常に練習を7割から8割程度の力で終わらせることを意識して、調子を維持していこうと思います。

HOTAKA SKYRUN MAEHO VKに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

富士登山競走前のトレイルレース(スカイレース、バーティカルレース)も今回のHOTAKAが最後となります。

もう一戦、菅平も検討しましたが、少し距離が長いのとスケジュールの関係でそちらは回避。

あとは山練と試走を入れて当日に合わせる予定でいます。

さて、そのHOTAKA SKYRUNですが、実はこのレースは初出場。

数年前に武尊山に登山をした際、この山域の素晴らしさを知り、さらにここでレースが行われることにもなり、いずれは走ってみたいと思い続けていたレースでした。

4年前に登山で訪れた武尊山。岩場の多いテクニカルなルート。

当然、2日目のスカイレースが本命で、そちらへの出走も検討しましたが、今シーズン前半は富士登山競走がメインですし、あまり無理して調子を崩したくなかったこともあり、今回も初日のバーティカルだけにエントリーしました。

5月の上田、2週前の経ヶ岳と、今シーズンはバーティカルで比較的良く走れていて、今回のMAEHO VKも5.5kmで累積1000mと、上田にそっくりなコース設定であったため、ここまでの戦略を踏襲して、堅実に走りたいところでした。

しかし、経ヶ岳の快走から若干疲労が抜けずにいて、練習中もなんとなく脚のだるさが気になる状態がレース前からありました。

さすがに、経ヶ岳ほどのパフォーマンスは発揮できる感覚はなく、疲労がありながらも大崩れしないで最後まで走り通す戦略でレースに臨みました。

標高1000m付近のレース会場は快適そのものでアップもサッカーグランドを利用して気持ちよく走れました。

今回のコースは、最初の1kmほどがロード登り。続いてやや背丈の長い芝のゲレンデ登り、大きめの石が混じるダートコース、その後再びゲレンデ登りと、4km地点まではトレイルではなく走れる登りが続くコースです。

この「走れてしまう」登り区間は、どのレースでもオーバーペースになりがちな部分で、今回もウェーブスタートで後ろから迫られる焦りから、若干ペースが上がってしまった感覚は得ていました。

また、疲労感がずっとあったため、楽をするとすぐにペースが落ちるのではないかという不安から、若干努力度を上げながら走り続けた印象です。

画像で見えるよりかなり急な上り坂。富士登山競走のリハーサルとしては絶好のコースでした。

それでも、これまでの2戦と同様、呼吸のキツさを指標として、大体50分から60分間走り続けることを念頭にキツさをコントロールし、勾配が急になるゲレンデの終盤はストライドを狭めてしっかりと歩きで登って行きました。

1回目のゲレンデ終盤はこのような砂礫が多い急勾配の斜面。つま先を地面に刺す感覚で力が抜けないよう気をつけます。

この時点でもまだもう一度ゲレンデ登りがあり、さらにその先に本格的トレイルが始まります。

元々脚のだるさがあった中で、さらにこの時点でもかなり脚を使った印象があったため、正直この段階では次のセクションで後ろからくるライバル選手には追いつかれると予想していました。

しかし、この後次のゲレンデまでにあるつなぎのロードでは思いのほか走れたため、まだまだ力は残っていることを確認できました。

2度目のゲレンデまでにもう一度ロードがあります。ここはしっかり走らなければなりません。

そして2度目のゲレンデ登り。

ここの傾斜は一度めのゲレンデよりも若干緩く、時折走りを混ぜながら、リズムよく登ことができました。

ただ、このゲレンデからは山頂も見え、肉眼での標高差に圧倒されることから、まだまだ抑えなければならないと気持ちを切り替えました。

帰りに下りながら撮影した2度目のゲレンデ。距離は長くとも若干傾斜は緩やか。遥か彼方に先程のロード区間が見える。

ゲレンデ登りが終わると、いよいよ最終局面であるトレイル区間が始まります。

ようやく山レースらしくなってきますが、ここまでですでに4km。

残り1.5km、岩場を含む急斜面トレイルを一気に駆け登ります。

ようやく始まったトレイル区間。後方に見えるのがフィニッシュ地点である前武尊山山頂

もう結構脚には来ていて、トレイルの急登では止まってしまう予感がしていましたが、いざ山に入ると思いのほか脚は動き、力強く斜面を登れ、時には走りも入れることができ、今までのような終盤ペースがガタ落ちする感覚は最後までありませんでした。

標高が2000mに近づき、呼吸もかなりキツくなってきましたが、それでも脚は動かそうと思えばしっかり動き、鎖場も腕の力を使うことで脚を休ませながらリズミカルに登っていくことができました。

よじ登り区間があるのもスカイランニングでは当たり前。鎖はどちらかというと下りで必須でした。

ラスト500mの表示の時点では流石にもう肉体的には限界が近づいていて、後は気持ちでどこまで登り続けられるかというところでしたが、ここからは例の4月から継続している200mのレペの感覚を思い出し、苦しいながらも体を動かし続けるという状態に頭を切り替えました。

先週にはVO2Maxペースでの練習をしていたこともあり、呼吸が上がってキツくなってもそのまま脚で押していける状態は健在で、最後の緩斜面は走り通してフィニッシュすることができました。

「前」とつくだけあり地味な前武尊山山頂。標高は2000mを超え、ひんやりとした空気は快適でした。

タイムは手元の時計で52分台。

前年大会の優勝者、宮原さんが48分台だったのでかなりの好タイムに気をよくしましたが、下山後に知ったところでは今年の優勝は47分台、2位も48分台とかなりのハイレベルな争いだったようです。

昨年であれば2位のタイムでも、今年は5位の入賞ラインにギリギリ滑り込むのがやっと。

数年前は宮原さんが44分台という異次元の速さで登っていたことを考えると、去年は全体的にコンディションが悪かったのかもしれません。

とはいえ、これまで一度も勝てなかったJSAのメンバーにも初めて勝つことができ、過去の記録を見ると52分台はかなりの上位の記録であったため、今回疲労を感じながらも今持てる力を全て出し切れ、5月から感じていた走力の向上も改めて実感できたレースとなりました。

50分切りは異次元の速さなので今回の記録であれば大満足です。

5月から続いたバーティカルシリーズもひとまず今回で一区切りです。次回は7月の本番、富士登山競走になります。

富士登山競走は、コース特性としては紛れもなくバーティカルなのですが、距離と累積標高差、そして到達標高どれもがあまりにも桁違いですので、これまでのような感覚では全く歯が立たないのですね。

走行時間もほぼマラソンですから、練習としては今後少しロング走なども入れなければならないと感じています。

昨年よりも有酸素能力は高まったと実感していますし、解糖系もだいぶ使えるようになった印象ですから、それらをもう少し長時間継続できる能力を高めていく必要があると考えています。

その前に、来週は40代最後のトラックレースとして、5000mと1500mが待っています。

ちょっと疲労がありますが、久々のトラックレースを存分に楽しみたいと思います。

年代別ではなく総合で5位に入ったバーティカルレースは今回が初でした。

経ヶ岳バーティカルリミットに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は6年ぶりに経ヶ岳バーティカルリミットというトレイルレース(スカイレースとは謳っていませんが、事実上その基準は満たしている)に出場してきました。

6年前に初出場した際は、この「バーティカル」という名称と、登って下る単純コース、さらには距離が21kmという、コースの見た目の印象から割とスピードレースになると勝手に想像してしまったことで、オーバーペースで半分も行かないうちにエネルギーを使い果たしてしまった苦い思い出があるレースです。

この時は、山頂に到着する前からすでにオールアウトしかけ、帰りの下りでは走ることもできなくなり、フィニッシュ後は2時間ほど立ち上がれなくなってしまったほどでした。

そんな印象のあまり良くないバーティカルリミットですが、今回は比較的練習が積めていることと、登りの走り方が当時よりも熟練してきたこと、さらには7月の富士登山競走のコースのように序盤は長いロードが続いてから登山コースが始まるという共通性から、この時期には最適なレースだと考えたのですね。

ちなみに、レース後の表彰式では同じように「富士登山競走の練習」と位置付けている選手も数人いて、やはり同じことをイメージできるようなコース設定であったことがわかります。

そうしたこともあり、6年前の苦い思い出がありながらも、今回のバーティカルリミットはエントリーしてからずっと楽しみにしていたレースとなりました。

今回はJSAのエリートランナーが招待選手として集結。これもテンションが上がる要因の一つでした。

スタート時の天候はほぼ快晴。やや風が強いものの気温も低く、快適なコンディション。

前回も天気は良く、またスタート地点の公園も気持ちの良いところで、レースの過酷さがありながらもなんとなく楽しい雰囲気のある良いレースの一つです。

今回のレースプランは、とにかく勝負は折り返してから。なんなら、トレイルを下り切った最後のロード4kmで勝負する、くらいの気持ちで、序盤から前半の登りまでは絶対に努力度を上げないで走る、というもの。

失敗すると大変しんどくなるコースなため、珍しくスタート時は緊張をし、オーバーペースになりそうだったため、スタート直後はとにかくリラックスして努力度はマラソンのペース感覚で走り続けました。(レースタイムも大体マラソンと同じ)

スタートから4kmはこのような雄大なロード区間。とにかく呼吸が上がらないように。

調子もかなり良かったのと、ここ数週間、週末の高強度練習でもいいペースで走れていたため、このロード区間は登り勾配であったにもかかわらず、楽にキロ5分台前半のペースを維持できました。

ロード区間が終わった後のダート林道も力強く走れ、余力を残して登山道に入っていくことができました。

登山道は、いきなり急登が始まりますが、普段走っているJSAのバーティカルコースに比べれば標準的な傾斜で、時折走りを織り交ぜながら余力を持って登っていけるちょうどいいコースでした。

6年前の画像。傾斜は急ですが、両手でよじ登らなければならないほどの斜面はありません。

ここから4.5kmで累積1000m以上を登っていくわけですので、絶対に無理をしてはいけません。

6年前は、これを登り切れば事実上終わりだ、という意識がありかなり力を込めて登り続けてしまった記憶があります。

その結果、登りが終わる前に脚が終わってしまい、帰りの下りで走る体力がなくなってしまいました。

なので、いつでもペースが上げられる、なんなら走りに変えることもできる、というくらいの余力を残しながらリズムよく登りを歩き続けました。

途中数人を抜かし、最終的に追いついたランナーがペースを上げたため、その方(コグラン・リチャードさん)に山頂手前の分岐点までついていくことになりました。ここで引っ張ってもらったことが、結果的にオーバーペースを防ぐことにつながった気もしています。

山頂の手前にかなり激しいアップダウンがあり、往復するだけでかなり消耗します。

山頂手前では、折り返してきたトップランナーたちとすれ違うのですが、この時点で9番目。思ったよりも順位が良く、元気が出ました。

大体の印象ですが、トップの松本選手とはおよそ20分差くらいかな、と感じていました。

フィニッシュ後、記録がちょうど20分差だったことから、帰りの下りは同じくらいのペースで行けたのではないかと考えました。

さて、折り返して登り返しもクリアして、分岐から復路専用ルートで一気に下っていきます。

この帰りのルートは急坂が少なく、かなり気持ちよく下りを走り通すことができます。

岩場もほとんどなく、足場は柔らかいシングルトラックで、温存した脚でガシガシ下っていきました。

6年前の画像。時折急坂はあるものの、足場は柔らかな土でつい調子に乗ってぶっ飛ばしたくなります。

トレイルの下りは約6km。最後のロードが4kmですので、決して短い下りではありません。

でも、ついつい飛ばせてしまうトレイル下りが気持ち良すぎて、久しぶりに下りを攻めて走りました。

しかし、思ったよりもトレイル区間が長く、ちょうど下りが半分ほど終わったあたりで脚の動きが悪くなりました。

ふくらはぎにも軽い痙攣が起こり、足捌きも若干怪しくなってきました。

そうこうしているうちに、振り戻した足のつま先が石に引っかかり、リカバリーが効かず、豪快にヘッドスライディング。

柔らかトレイルだったため、本当に運よく無傷ですみましたが、これが岩場だったりトラバースだったりしたら、おそらく無事ではすまなかったほどの大転倒でした。

その後も相変わらず脚の動きは悪く、それでも下りは続きますので、必死に脚を動かしてトレイルを下り続けます。

トレイル区間ラスト1kmあたりでも、再び石に躓き転倒。

この時は十九折のカーブ地点で横に転び、木と斜面に激突。まあ、これくらいのことはよくあるので、この時も少し痛いくらいですみました。

転倒したところは、写真にあるような柔らかいシングルトラック。危ない転倒でした。

そうこうしているうちに、なんとかトレイル区間も終わり、最後のエイドを通過していよいよ勝負どころと考えていた最後のロード4km区間。

しかし、当初考えていたよりもはるかに脚は残っておらず、ギリギリ最後まで持つかな、という微妙な疲労度でした。

それでも、下りはキロ3分台を維持し、途中で緩やかな登が1kmほど続きましたが、そこでも気持ちを切らさずにペースを維持し、最後まで走り続けることができました。

最後、フィニッシュ地点までの歩道から公園内のロード区間までの1kmは脚を攣りながらの厳しい走り。

フィニッシュ地点の公園までの歩道から公園内のロードに入るあたりでは、もう完全に脚は終わっていて、痙攣を繰り返しながら無理やり脚を動かす状態でした。

しかし、順位は一つ上げ、8番手でフィニッシュできることや、タイムもかなり良かったため気持ちも高揚し、脚の状態に反して会心の走りでフィニッシュラインを走り通すことができました。

6年前失敗した難コースをようやく克服できた実感を持てました。

最終結果は、6年前の記録を14分ほど上回る2時間40分03秒。

転んでなければ40分を切れただけに、ちょっと惜しい感じもしましたが、それも実力のうちですので、結果には満足です。

順位も、先頭から21分差の8位ですから申し分なし。

年代別は、JSAと違って入賞者を除くため、おまけのように優勝をいただき得した気分です。

できれば、宮川さん、牛田さんの次に入って40代総合3位に入りたかったのですが、一人強力な40代選手が3位に入っていて、全く勝負になりませんでした。

また、7位の選手はなんと50代。

JSAには参戦していない選手たちにもまだまだ強い選手はいるものだな、とここへきて新たな世界を知った気分になりました。

50代目前にして表彰台の一番高いところに立たせてもらったのはいいご褒美になりました。

今回も、前回の上田バーティカルと同様、山練習はほとんど入れずに臨んだトレイルレースでした。

昨年の経験から、とにかくロード、平地の練習でしっかりと地力を高めて、揺るぎない走力を身につけることでトレイルにはある程度応用できると感じていました。

今回も、週末ごとの主にLT走ではかなり手応えを感じていて、ロード区間だけでなく、トレイルの急登でもかなり余力を持ってペースを維持できることができました。

トレイルレースの強度では、以前からLTが重要な要素であると感じていてそこを中心に鍛えてきました。

また、昨年度のマラソン練習から月間あたりの走行距離も微増し、直近2ヶ月は月間400km程度を維持できていたことから、通常のジョグでもあまり疲れにくくなっていることに気づきました。

こうした、特に派手な練習や山練を積んでいなくても、少しずつ負荷量や強度を上げ、それを継続することで、結果として走力が向上する過程は、変化は地味ですが確実なものであると改めて実感しました。

ここまで、幸い大きな故障をせずに練習を継続していますので、ここからも急激に練習量や負荷量を増やさずに、無理なくやれることを安定して続けていこうと思っています。

入賞者に贈呈される手作りの和紙賞状。このレースの魅力の一つですね。

4月振り返りと上田バーティカルレースについて

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は毎年恒例のスカイランニングレース、上田バーティカルの猿飛佐助コース(5kmで累積1000mのバーティカル)に出場してきました。

バーティカルとしては3年前の2021年が初めての挑戦で、今年でこのコースは4回目の挑戦。

序盤から急登が続くこのコースは、ランマニア的には最も苦手なコースの一つであったのですね。

2021年は、故障の影響で山歩きばかりをやっていたせいか、記録は53分50秒の今日までのベストタイム。

それ以降は、風邪を引いたりオーバーペースになったりで、まともに走れたことのなかったとても相性の悪いバーティカルレースでした。

今回は、昨年の反省をもとに、とにかくスタートから1kmのロード区間でのオーバーペースに気をつけることを最初の目標にして、慎重にレース運びをするイメージを持ってスタートしました。

上田のシンボル太郎山。直登すれば累積700mほどですが猿飛佐助コースは一旦下らされるため累積1000mにも及びます

10秒ごとの時間差スタートで一人ずつ走り始めるこのレースは、後ろに行くほどより速い選手が控えています。

昨年、V Gamesのランキングで10位に入ったランマニアの後ろには、強豪選手が6名ほどしかおらず、スタート直後にぶち抜かれるのは目に見えています。

今回は、すぐ後ろがOver48で最後までランキング1位を争った今井さん。

彼の方が実力的には圧倒的に上ですし、まして上田のコースは彼が得意とする急登続き。

当然勝てるわけがないため、今回の作戦としてはすぐに追い抜かれた後、そのまま行けるところまでついていく、というものでした。

案の定、トレイルに入ってすぐに追い抜かれ、彼のペースに合わせてペースを維持しました。

スタートは10秒おきの時間差スタート

ここで気づいたのが、例年自分のペースはかなりのオーバーペースだったということ。

今井さんのペースは思ったよりも楽に維持でき、呼吸も大体ハーフマラソンを走る時の感覚です。

走行時間は大体1時間ですから、呼吸のキツさはハーフのレースを走るくらいを目安にする必要がありました。

そのペースを維持して、累積が400mから500mに差し掛かったあたりで勾配もだいぶ急になってきました。

この辺りから同じ努力度で登っていると、徐々に今井さんに引き離されていく状態になりました。

ああ、流石にバーティカルのスペシャリストはこういうところが違うんだな、と一歩一歩の登る速さの違いを実感しながらとにかく自分のペースを維持することにしました。

その後に控えていた斜度40度の「壁区間」で、圧倒的な差をつけられここで勝負あり。

最終的につけられた差は40秒。

昨年よりも2分、PBよりも20秒以上速く走った自分でも敵わない52分台でフィニッシュされてはどうしようもなかったですね。

それでも、このコースで40秒差にとどめられたことは大きな自信になりましたし、今井さんのペースメイクを知ることができ、今後のバーティカルレースにも大いに活かせる体験をさせてもらいました。

フィニッシュ地点の山頂は快適そのもの。しばらくのんびり過ごしました。

さて、そんな今回のレースでしたが、山の練習を特段取り入れたわけではない中でのPB更新というのは、この年齢にあってかなり嬉しい体験です。

陸上競技に比べると、どちらかというと自分の能力的には未開の地であるバーティカルの種目において、特異性の高い練習をしたわけではなく、走力の持久的トレーニングをしての記録更新というところに、今回の手応えを感じた要因があります。

先月は主にLTと解糖系を中心にトレーニングを積みました

4月は毎週のようにLTレベルに刺激を入れる練習を取り入れ、練習の終わりには必ず200mの高出力走を入れました。

今日のレースで、急登をプッシュしている感覚が、ちょうどその200mを走り切る直前の感覚に似ていて、力の入れ方や出力の出し続け方に、どこか慣れた感覚を得ながらレースを進めている印象を持ち、苦しいながらもぐいぐいと押せる感覚も得ていたのですね。

斜度40度の壁のような斜面を登り切った後に、やや緩やかなシングルトラックに変わり、なんとしてでも走りに移行したいという苦しい局面でも、毎週入れていた200mのラストの感覚を思い出しながら腕をしっかり振って脚を前へ持っていくことができました。

もちろん、この200mのインターバルの効果が得られたのも、それ以前にマラソントレーニングのためにしっかりと距離を踏んできた数ヶ月の下積みがあるのはいうまでもありませんし、4月は一定期間の総走行距離がかなり伸びたことも走力の向上につながったものと考えています。

この数ヶ月は大きな故障もせず、安定して走行距離を積み上げられました。

このようにして、特にバーティカル用の練習をしたわけではなかったのですが、6月以降のトラックや10月のロードレースに向けて、長距離種目の記録向上の鍵を握るLTと解糖系のトレーニングを継続したことが、結果的に山のレースにも応用できたという事実が、ここ数年間仮説を立てて取り組んできたことが結果として身を結んだことに、ささやかながら喜びを感じたのでした。

割合としては微々たるものですが、解糖系を刺激する練習を定期的に入れたことの体の変化は決して少なくありませんでした。

さて、実は今年度このスカイランニングシリーズはバーティカルのみの出走となります。

昨年度は距離の長いスカイレースでだいぶ失敗をしたのと、体へのダメージが大きすぎることを懸念して、今年度はバーティカルに専念することにしました。

明日のスカイレースにも出走はしませんし、次のレースは5月25日の経ヶ岳バーティカルリミット(実は下りがあるので純粋なバーティカルではないのですが)になります。

前半戦の大きな目標は7月の富士登山競走となりますが、それまでに山レースを入れつつも、ベースは平地での陸上競技トレーニングを継続しながら走力を高めていくアプローチで臨もうと思っています。

板橋Cityマラソンに出場しました

こんにちは、ランマニアです。

10月から5ヶ月にわたって準備を進めてきたマラソンレース、板橋Cityマラソンに出場してきました。

2017年に東京マラソンを走り、現在のベスト記録を樹立して以降、しっかりと準備をして走るマラソンは実に7年ぶり。

7年の歳月は本当に長く、当時42歳だったランマニアも気づけば49歳。

この間、コロナ騒動があったり、自分自身では転職を経験したりと本当にさまざまなことがありました。

コロナ騒動で各地のマラソンレースが中止に追いやられ、自身の興味関心もスカイレースなどに移っていたこともあり、正直なところ、もう一度マラソンでPBを狙おうというようなモチベーションが次第に薄れていっていたのは事実でした。

しかし、X界隈やMGCなどでの多くのランナーの活躍を見るにつけ、「おれはこのまま終わってもいいのかな」ともう一度マラソンをしっかり走ってみたいという欲のようなものが出てきたのですね。

このブログでは何度も繰り返してきましたが、正直ランマニアはレース時間の長くなるマラソンはかなりの苦手種目です。

それは、慢性疲労症候群がもはや持病となってしまっているため、他の長距離種目に比べるとその影響が甚大なマラソンは、余程の体調でなければしっかりと走り切ることができないからなのですね。

一方で、マラソンのトレーニングはどうしても絶対的なボリュームと負荷が必要になってきます。

当然疲労が溜まりやすく、当日の調整の難易度は5000mやハーフとは比べ物にならないほどの難しさになります。

そんな中で、全てが噛み合った2017年東京マラソンの記録を更新することは、自分の中でほぼ不可能だと考えていたのですね。

しかし、多くの自分と同世代のランナーが2時間35分前後で走っていたり、また、この7年で大幅に進化したシューズの影響もあり、自分ももう一度やれるのではないかと考えるようになってきました。

ダメかもしれないけど、チャレンジしてみるか、と今年度はこの板橋に照準を合わせてトレーニングを積んでいくことにしました。

しかし、7年前と違い、とにかくほとんどの練習において当時のようなペースで走れなくなっている自分がいました。

VO2Maxのインターバルは1000mで10秒ほど遅くなっていました。

LTはそれでも維持できていましたが、ロング走もキロ3分50秒のペースが以前ほど楽ではなくなっていました。

それでも、7年前の東京の前に比べると、明らかにトレーニングが積めた期間は長かったですし、走行距離も圧倒的に今年の方が多く達成できていました。

これにスーパーシューズの補助を受け、疲労をしっかり抜けばあるいは当時と同程度のペースを維持できるのではないか、という淡い期待を抱いて今日の当日を迎えたのでした。

当日の朝は風もなく暖かい穏やかな絶好な気候条件。しかしこの後強風が吹き荒れました

スタートは、想定外のBエリア。ただ、オーバーペースを防ぐにはちょうどいいと前向きに捉え、走り始めます。

しかし、前のランナーが想定以上にペースが遅く、大渋滞が発生していました。

流石にこのペースに付き合っていると、ただでさえロスのあるスタートに加え、ペースを戻すまでに大幅な時間がかかってしまいます。

仕方なく、サイドから徐々にペースを上げていき、自分のペースを維持できるエリアまで順位を上げていきました。

5kmまでは風もなく快調に走れました。

アディオスプロ3の推進力は想像以上で、相当楽に走っていてもキロ3分45秒くらいを維持できていて驚きました。

しかし、10km過ぎから徐々に向かい風が強くなり、ペースは落ちるのを覚悟で集団の後ろに回ることにしました。

それでも一人先頭になってしまうことも多く、かなりの強風にさらされながらペースを維持する状況が増えてきました。

結果的に、今日の強風の条件では記録は諦め、もっと思い切ってペースを落としても良かったなと、レース後に振り返っていたところです。

この辺りの柔軟性に欠けたことが、今日の失敗の一つ目です。

とはいえ、やはりペースはかなり落ち、もう5kmを18分台でいくには風が強すぎる状況になっていました。

折り返しまでは思ったよりも早く到達した印象で、残りの脚の状況を考えると終盤ペースを上げられるのではないかと思えるくらい余裕を残して中間点を過ぎました。

厚底シューズの推進力と衝撃吸収力は想像以上で、ハーフまでをかなり楽にこなすことができました

しかし、ここに大きな落とし穴が待っていました。

折り返すと急激に追い風に変化したため、集団のペースが一気に上がりました。

振り返ると、この20kmから25kmまでのラップが2番目に良く、ランマニアが以前から気を付けていた「20kmから30kmは一旦休む」という鉄則を、奇しくも破ることになってしまったのですね。

この時は、かなりの追い風だったため、それほど脚は消耗しないだろうと楽観的に考えていましたが、この後の展開を考えると、ここでのペースアップは絶対にしてはいけなかったと確信しました。

それでも、この段階ではまだまだ余裕があり、30kmからいよいよ本気を出していくか、と考えられるほどでした。

誤算だったのは、この後25km過ぎから再び猛烈な向かい風区間が待っていたこと。

ここでかなり消耗してしまって、28km過ぎで明らかに脚の動きが悪くなっているのを自覚しました。

当然、もうこの時点で記録は諦め、早々にペースを落として完走を目指すことにしました。

もうキロ4を超えてでも走り続けられれば、終盤止まったり歩いたりするよりは遥かに記録が良くなることは経験済みです。

35kmまでの10kmは明らかに体への負荷は下げ、堅実に2時間40分台を狙うことに切り替えました。

ところが、最大の誤算は、今まで経験したことのない38kmからの大失速でした。

これまで、35kmを過ぎて一定ペースを維持できていれば極端にペースが落ちることはありませんでした。

しかし、今日は38km過ぎで自分でも自覚できるほど、突然体がおかしくなり、それまでのキロ4分台のペースが一気に辛くなりました。

残り4kmを残し、ついにジョグですら厳しくなりたびたびある気が入るようになってしまいました。

いや、今日は絶対歩くまい、と思っていたのですが・・・。

もうこうなるとほとんどレースからは撤退と同じ状況です。1km走るのも続かず、時々歩いてエネルギーを貯めては走り出すという展開。

変更した2時間40分台という目標もほとんど難しくなり、最後までトボトボと歩くような速さでジョグをしてフィニッシュを迎えました。

フィニッシュ後はお決まりの「気持ち悪くなる」状態で、せっかくの露店は楽しめませんでした

38km過ぎの失速はなんだったのか。

推測としては、これまでのマラソンでは体験したことのないような強い向かい風の影響だったのではないだろうか、ということですね。

これはスカイレースの登りと同様、自分では意識していないところで風の抵抗に対処するためかなり糖分を使ってしまい、本来最後までペースを維持するための貴重なグリコーゲンが枯渇してしまったのではないかということです。

通常ならキロ4分超のペースでは有酸素性の糖代謝はそれほど使われないはずなのですが、向かい風で気付かぬうちに強度が高まってしまい、キロ4ペースを維持するために最低限必要な糖分が終わってしまった、と。

フィニッシュ後はめまいがひどく、貧血様の症状が出ていて、さらには昼にピッツァを食べた瞬間から徐々に気持ち悪さが回復したことから、血糖値の急激な低下は疑わしいところでした。

初めは食欲がなく絶対食べれそうになかったピッツァも、無理して食べているうちに元気が回復しました

とはいえ、今日は風がなくても2時間45分がせいぜいいいところで、7年前の39分など到底無謀な記録です。

なんだか、この7年間の時間の長さ、残酷さを感じ、帰りは少し寂しい感じがしてきたのも事実です。

でも、まあやるかやらないかと言われれば、「やる」一択なんですね。

チャレンジすることは誰にでも平等に与えられた権利です。

同世代のランナーで、まだまだ記録を伸ばし続けている強者も山ほどいる中で、簡単に諦めてはいけないのですね。

40代最後のマラソンは厳しい現実を突きつけられた示唆に富むレースでしたが、一方ではまだやらなければならない課題も見つかりました。

今回の板橋はあくまで通過点と考え、来シーズンはやりきれなかったトレーニングを重ねて、もう一度チャレンジをしたいと思います。