富士登山競走に参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は今シーズン前半最大の目標であった富士登山競走に出走してきました。

残念ながら、結果としては山頂コースのワースト記録で凡走となってしまいましたが、これはもう7月上旬に感染症に罹ってしまった時点で予期された結果であったなと、半ば予想通りの展開ではありました。

7月8日に試走に出かけ、その夜に発熱。以降の症状から、おそらく今流行りの感染症であったかと。

7月8日の試走時から体の異変を感じ、疲労とは明らかに違うしんどさの中試走を終え、帰宅後は案の定夜中に発熱。

受診もせず、熱も測らなかったですが、おそらく体の痛みから38度は軽く超えていた印象。

これが3日ほど続き、自分としては珍しく風邪症状でも走れないほどのしんどさ。

結局9日から5日間の完全休養となり、その後もしばらく微熱が続き、試しに走った30分と60分のジョグではキロ6分を切るのがやっと。

つまり、発熱後1週間でもまともに走れない状態が続いていました。

次の1週間は熱こそありませんでしたが、体のだるさと、それ以上にちょっとした意識障害、「何をするのも考えるのも億劫な感じ」がずっと続き、走るための体力こそ徐々に回復したものの、強度を上げて走るために「頑張る」ことがかなり難しい状況でした。

その週末に、試しに1kmを8割程度の力で走ってみましたが、3分40秒で1本走るの精一杯。

この週の終わりに本番が控えていたため、これは完走自体も危ういかもな、と嫌な予感はしていたのですね。

当日の朝。いつもはこの光景を見て気持ちが最高に昂るのですが、今回は全く走りたいと思えず・・・

そんな状態でしたが、どうにか通常のジョグのペースは平常モードに戻り、完走できるかどうかギリギリ微妙なところまでは回復して当日を迎えました。

しかし、頭がぼーっとする感覚は最後まで抜けず、とにかく「疲れることはやりたくない」気持ちが相変わらず残っていて、スタートラインに立ってもなかなかモチベーションが上がらない状態で号砲を待つ状態でした。

ついに一人になってしまった宮下さんのエール。しかしここで元気をもらい、どうにか気持ちも前向きに。

しかし、毎年恒例の宮下選手の「エイエイオー」をやっているうちに、「笑うから楽しい」状態になり、どうにか頑張れそうかな、という前向きな気持ちが芽生え始めました。

スタートすると、アップの時に感じただるさはひとまず消え、キロ4分くらいのちょっと速いジョグ感覚のペースならなんとか維持できそうな感覚は得られました。

富士山に正対する前の唯一の下り区間は気持ちよく走れ、この負荷ならどうにか3時間以上は体を動かし続けられるかな、と少し気持ちに余裕が出てきました。

その後始まったロードの登り区間。

いつもならこの区間でかなりペースを上げていくのですが、今回はいつ体調が悪化するかわからなかったので、ストライドを狭め、ピッチを一定にしてできるだけ努力度が上がらないように慎重に走り続けました。

試走時の馬返し画像。今回は57分台の通過。ベスト記録時は54分台だったので体調が悪い中ではまずまずのペース。

トレイルが始まる馬返しの通過は57分台。ベスト記録時よりも3分ほどの低下で済んだのは意外でした。

ここからトレイル区間が始まり、一歩一歩の負荷もかなり高まります。

いつもなら走って登る区間も、今回はあえて歩行。

もう記録は追わず、完走だけを目指して、ひたすら自分の体調と対話をしながら淡々と登り続けました。

試走時の五合目画像。今回は1時間46分台の通過。単純に2倍すると3時間30分前後。

途中緩やかな登りは軽く脚が動き、だいぶ余力が残っている実感もあり、この調子で五合目をひとまずクリアしたいな、と。

五合目の通過は1時間46分台。

自己ベストからは程遠いペースですが、単純に2倍したタイムがフィニッシュタイムになることが多い後半のコース特性から、3時間30分なら今日の体調なら十分かな、と。

五合目から先は比較的走れる傾斜であるため、通常なら割とプッシュして攻めていくのですが、ここもとにかく温存して歩き続けました。

ランマニアの最も嫌いな七合目までの砂礫区間。ここは通常走りますが、今回は徹底的に歩き通します。

六合目から七合目までは延々とつづく砂礫サーフェスの九十九折。

ここは例年、淡々と地面を見ながらトラクションのかかる部分を探して、無駄に消耗しないように地道に足を進める非常にタフな区間です。

正直、ランマニアが最も嫌いな区間ですが、タイムを狙うにはここは走る必要があります。

しかし、今回は絶対に体力を消耗してはいけなかったため、ここも徹底的に歩きました。

そのおかげか、この時点でもまだだいぶ脚には余裕があり、この時点でどうにか山頂まではいけるのではないかと、少し見通しが持てるようになりました。

七合目から先は傾斜が一気に増し、岩場区間が始まります。

ようやく砂礫区間が終わり、通常であれば比較的登りやすく感じる岩場区間。

ここから先は、一つの岩場を登るたびに山小屋が現れ、100m程度ですが走れる区間が存在ます。

元気な時は、このリズムが好きで、走っては登り、登っては走るを淡々と繰り返せるのですが、今回はこの区間から徐々に体に異変が起き始めました。

急な岩場ではこれまで以上に大腿部の最大筋力がものを言うのですが、登るたびに次第に脚が動かなくなっていきました。

通常では感じないような脚の重さで、ちょうど発熱時にジョグをした時に全く脚が動かなった、あの感覚に似ていました。

やはりこの程度の負荷がかかってくると、感染症の影響が出始めるのだなと、徐々に完走が危ぶまれてきました。

正直、「早くやめたい」という気持ちになって来たのもこの頃でした。

通常なら走れる山小屋の平坦区間。今回は八合目以降走れなくなりました。

八合目を過ぎると、本格的に脚が動かなくなり、山小屋区間も走ると言うより休息区間と化し、とても走れる状態ではなくなりました。

残り3.7km。

この表示からが本当に長く、自分の今の体調と残りの過酷さから登り切る自信がなくなってきましたが、もうここまできて後には引けません。

とにかく無駄に力を使わず、ゆっくりでいいから登り続けることだけを意識して、いつもよりだいぶペースを落として足を進めました。

岩場の後には再び砂礫区間が続く八合目エリア。ここから先、後続のランナーに一気に抜かれ始めます。

八合目区間は、いつまで登っても常に「八合目」が続くとてもしんどい区間です。

色々な八合目があり、登っても登っても「八合目」なのですね。

そして、序盤にあったような砂礫区間もここで復活します。

酸素もだいぶ薄くなってきて、脚も動かなくなってきての砂礫区間は本当にタフな区間で、ここでついに立ち止まる時間が出てきてしまいました。

後続のランナーにも続々と抜かれ始め、メンタルも落ちてきます。

試走時に上から撮影した九合目以降の最大の急登。今回は20分近くかかってしまいました。

上を見ると、九合目の鳥居。そしてその上に見える最後の鳥居とフィニッシュ地点。

ここから距離にして1km前後。累積は200m程度。

普段なら駆け上がれる距離ですが、今回はもう九十九折りごとに立ち止まり、ふらふらになって朦朧としてきている意識を整えてから登らなくてはならない状態でした。

もう山頂は確認できるのに、本当に登りきれないかもしれない、と何度も思って立ち止まる有様。

その間、ラストスパートに入ったランナーたちに豪快に抜かれ続け、気持ちも続かなくなってきました。

しかしもうやるしかないので、ひたすら苦痛と向き合い続けます。

このレースに参加した人なら誰もが待ち望むこの光景。この最後の石段が、今回は本当に登れず・・・

そしてついに訪れたその瞬間。待ち望んだこの景色。

最後の鳥居とそこに続く数十段の石段。何度登ってもこの瞬間は大いなる喜びに包まれます。

しかし、今回は本当にここからが地獄。

信じられないほど、この石段が登れません。数段登っては止まり、もう目の前にフィニッシュラインが見えているのに立ち止まる。

これほどまでのしんどさは試走を含めて、ちょっと経験がありません。

本番ではここにフィニッシュラインがあります。今回はフィニッシュと同時に右手の石段の下に倒れ込みました。

しかし、最後は気力を振り絞りフィニッシュ。

フィニッシュと同時に、もう立っていることもできず、フィニッシュラインのすぐそばで横になってしまいました。

体に力が入らず、頭もクラクラして、正直何もできない状況でしたが、今回出場したチームノルケインの撮影が最後にあったため、空元気を振り絞ってポーズをとり、惨めな姿を動画に収めてもらいました。

どうにか立ち上がり、山小屋の前まで辿り着き、そこのテーブルでしばらく横になって寝ていなければならないほど体調は最悪でした。

ああ、これは下山できるのか?と本気で心配になる程、「今日は富士山なんかに登ってはいけない体調」であることをはっきり自覚しました。

遠くに見える小さなつぶつぶは登ってくるランナーたち。最後はこの傾斜です。

まさに「頭を雲の上に出す」標高の富士山頂。

今回のレースでは、八合目以降標高が3000mを超えたあたりから、急激に体がしんどくなりました。

五合目まではどうにか症状は抑えられていたのですが、高負荷と低酸素の両方が組み合わさると急速に体に異変が起き始めたのが特徴的でした。

通常、風邪を引いたり熱が出ても、1日2日休んで練習を再開する自分が、5日も休んだことが異例でしたし、その後もしばらく走れなかったのも明らかにおかしかったです。

そうした中で、なんとか富士登山を完走できるほどには回復し、悪いタイムなりに走りきれたことはひとまず回復には向かっているのだろうと、一方では安心した要素にもなりました。

今回実は、知っているエリートランナー数人が、不調というには明らかにおかしいほどのタイムの落ち込みを見せたランナーがいました。

うち一人は「風邪をひいていた」と話していたようなので、あるいは自分と同じ感染症に罹っていたのかもしれません。

とはいえ、体調管理も含めレース当日のパフォーマンスは全て自己責任ですから、まあ、今回はそこらへんの詰めが甘かったということでした。

結果的には楽しく終えられた今年の富士登山競走。来年はしっかり挽回したいと思います。

とはいえ、今回はチームノルケインという貴重な出走枠で走らせてもらい、多くの仲間とレースを共有でき、最終的には楽しくレースを満喫することができました。

Xのフォロワーさんともレースの話題で盛り上がり、やはり完走した者にしかわからないこのレース特有の魅力と魔力を、改めて共感できたのも良い機会でした。

今回のように、少しでもコンディションが悪ければ覿面にレースに影響するタフなコースを攻略するのは、並大抵のことではありませんから、今回のように痛い目に遭うとまた来年も、と克服するモチベーションが高まるのですね。

タイムは過去最低でしたが、大会全体を通して残ったインパクトは過去最高のものになったことを考えると、体調不良をおして参加した甲斐はあったなと、最終的には前向きに捉えることができました。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は小の月ということで、月当たりの走行距離は今年度で最も少なくなりました。

というより、先月は31日あったとはいえ440kmも走れていたので、この30日間はかなり距離が抑えられた印象です。

今年度は初めて月400kmを割りました

その要因はとにかくレースが続いたこと。

5月下旬に経ヶ岳バーティカルリミットに出場し、思いのほかしっかりと走れただけにそのダメージが残り、6月に入っても若干距離が踏めずにいました。

最後まで出し切れた結果、ダメージが尾を引きました

そして2周空けてのバーティカル競技、HOTAKA SKYRUN。

走行中の脚の重さから、おそらく経ヶ岳のダメージが抜け切れていない印象で、その中でも最低限の走りはできたものの、徐々に回復が間に合わなくなってきた感覚を得ていました。

走行中の脚の動かなさの割にペースはかなり良く、バーティカルとしてはベストに近い走りができました。

そして今年度序盤のレースとしては、かなり重きを置いていたトラックレースである、関東マスターズ選手権の5000mと1500m。

久々のトラックレース、そして40代最後のトラックレースということで、それなりに手応えを感じて終えたいレースではありました。

5000mも1500mもここ数年では最も冴えない記録となりましたが、久々にトラックレースの楽しさを感じられた選手権でした。

結果は、5000mが16分55秒で1位、1500mは4分38秒でM45の3位と、選手権としては十分楽しめる結果となりましたが、記録が思いのほか振るわず、悔しさの残るレースとなりました。

とはいえ、今にして振り返ると、だいぶレースが立て込んでいて、その中で全開走行を強いられるトラック種目とあっては、その影響は無視できなものであったなと。

トレイルレースのダメージは、もう少し速やかに回復してくれると思っていましたが、特に経ヶ岳のラストはマラソンのラスト並みの努力感であったことを考えると、そう侮れないダメージだったと考えます。

そうした中でしたので、練習の絶対的なボリュームも若干薄くなり、今月は初めて疲労で週末の高強度練習を一回飛ばすことになりました。

レストの日数が1日増えたことで400kmに届かなかったというのと、週末の高強度練習を一週飛ばしたことも疲労の影響が出た月でした。

とはいえ、今月もバリエーションに富んだ練習が組めたことは事実で、今のうちに刺激を入れておきたかったVO2MaxとLTには、かなりの時間を割けたような印象です。

特に、関東マスターズの1500mは久々に「もうこれ以上スピードを上げられない」という限界速度で3分以上走行したわけですので、図らずも解糖系〜VO2Maxと神経系に対して、普段入れられない刺激が入ることになりました。

今月も高強度の練習を最低限取り入れることができました

レースが続いて、そろそろ練習を続けていては疲労が回復しきれなくなってきている感覚はありますが、今年度走行距離が増えたことで、ジョグを継続しているうちに調子が戻ってくる感覚が得られるようにもなりました。

次のレースは、いよいよ7月下旬の富士登山競走、前半戦の重要レースとなります。

疲労を積み上げないよう常に練習を7割から8割程度の力で終わらせることを意識して、調子を維持していこうと思います。

HOTAKA SKYRUN MAEHO VKに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

富士登山競走前のトレイルレース(スカイレース、バーティカルレース)も今回のHOTAKAが最後となります。

もう一戦、菅平も検討しましたが、少し距離が長いのとスケジュールの関係でそちらは回避。

あとは山練と試走を入れて当日に合わせる予定でいます。

さて、そのHOTAKA SKYRUNですが、実はこのレースは初出場。

数年前に武尊山に登山をした際、この山域の素晴らしさを知り、さらにここでレースが行われることにもなり、いずれは走ってみたいと思い続けていたレースでした。

4年前に登山で訪れた武尊山。岩場の多いテクニカルなルート。

当然、2日目のスカイレースが本命で、そちらへの出走も検討しましたが、今シーズン前半は富士登山競走がメインですし、あまり無理して調子を崩したくなかったこともあり、今回も初日のバーティカルだけにエントリーしました。

5月の上田、2週前の経ヶ岳と、今シーズンはバーティカルで比較的良く走れていて、今回のMAEHO VKも5.5kmで累積1000mと、上田にそっくりなコース設定であったため、ここまでの戦略を踏襲して、堅実に走りたいところでした。

しかし、経ヶ岳の快走から若干疲労が抜けずにいて、練習中もなんとなく脚のだるさが気になる状態がレース前からありました。

さすがに、経ヶ岳ほどのパフォーマンスは発揮できる感覚はなく、疲労がありながらも大崩れしないで最後まで走り通す戦略でレースに臨みました。

標高1000m付近のレース会場は快適そのものでアップもサッカーグランドを利用して気持ちよく走れました。

今回のコースは、最初の1kmほどがロード登り。続いてやや背丈の長い芝のゲレンデ登り、大きめの石が混じるダートコース、その後再びゲレンデ登りと、4km地点まではトレイルではなく走れる登りが続くコースです。

この「走れてしまう」登り区間は、どのレースでもオーバーペースになりがちな部分で、今回もウェーブスタートで後ろから迫られる焦りから、若干ペースが上がってしまった感覚は得ていました。

また、疲労感がずっとあったため、楽をするとすぐにペースが落ちるのではないかという不安から、若干努力度を上げながら走り続けた印象です。

画像で見えるよりかなり急な上り坂。富士登山競走のリハーサルとしては絶好のコースでした。

それでも、これまでの2戦と同様、呼吸のキツさを指標として、大体50分から60分間走り続けることを念頭にキツさをコントロールし、勾配が急になるゲレンデの終盤はストライドを狭めてしっかりと歩きで登って行きました。

1回目のゲレンデ終盤はこのような砂礫が多い急勾配の斜面。つま先を地面に刺す感覚で力が抜けないよう気をつけます。

この時点でもまだもう一度ゲレンデ登りがあり、さらにその先に本格的トレイルが始まります。

元々脚のだるさがあった中で、さらにこの時点でもかなり脚を使った印象があったため、正直この段階では次のセクションで後ろからくるライバル選手には追いつかれると予想していました。

しかし、この後次のゲレンデまでにあるつなぎのロードでは思いのほか走れたため、まだまだ力は残っていることを確認できました。

2度目のゲレンデまでにもう一度ロードがあります。ここはしっかり走らなければなりません。

そして2度目のゲレンデ登り。

ここの傾斜は一度めのゲレンデよりも若干緩く、時折走りを混ぜながら、リズムよく登ことができました。

ただ、このゲレンデからは山頂も見え、肉眼での標高差に圧倒されることから、まだまだ抑えなければならないと気持ちを切り替えました。

帰りに下りながら撮影した2度目のゲレンデ。距離は長くとも若干傾斜は緩やか。遥か彼方に先程のロード区間が見える。

ゲレンデ登りが終わると、いよいよ最終局面であるトレイル区間が始まります。

ようやく山レースらしくなってきますが、ここまでですでに4km。

残り1.5km、岩場を含む急斜面トレイルを一気に駆け登ります。

ようやく始まったトレイル区間。後方に見えるのがフィニッシュ地点である前武尊山山頂

もう結構脚には来ていて、トレイルの急登では止まってしまう予感がしていましたが、いざ山に入ると思いのほか脚は動き、力強く斜面を登れ、時には走りも入れることができ、今までのような終盤ペースがガタ落ちする感覚は最後までありませんでした。

標高が2000mに近づき、呼吸もかなりキツくなってきましたが、それでも脚は動かそうと思えばしっかり動き、鎖場も腕の力を使うことで脚を休ませながらリズミカルに登っていくことができました。

よじ登り区間があるのもスカイランニングでは当たり前。鎖はどちらかというと下りで必須でした。

ラスト500mの表示の時点では流石にもう肉体的には限界が近づいていて、後は気持ちでどこまで登り続けられるかというところでしたが、ここからは例の4月から継続している200mのレペの感覚を思い出し、苦しいながらも体を動かし続けるという状態に頭を切り替えました。

先週にはVO2Maxペースでの練習をしていたこともあり、呼吸が上がってキツくなってもそのまま脚で押していける状態は健在で、最後の緩斜面は走り通してフィニッシュすることができました。

「前」とつくだけあり地味な前武尊山山頂。標高は2000mを超え、ひんやりとした空気は快適でした。

タイムは手元の時計で52分台。

前年大会の優勝者、宮原さんが48分台だったのでかなりの好タイムに気をよくしましたが、下山後に知ったところでは今年の優勝は47分台、2位も48分台とかなりのハイレベルな争いだったようです。

昨年であれば2位のタイムでも、今年は5位の入賞ラインにギリギリ滑り込むのがやっと。

数年前は宮原さんが44分台という異次元の速さで登っていたことを考えると、去年は全体的にコンディションが悪かったのかもしれません。

とはいえ、これまで一度も勝てなかったJSAのメンバーにも初めて勝つことができ、過去の記録を見ると52分台はかなりの上位の記録であったため、今回疲労を感じながらも今持てる力を全て出し切れ、5月から感じていた走力の向上も改めて実感できたレースとなりました。

50分切りは異次元の速さなので今回の記録であれば大満足です。

5月から続いたバーティカルシリーズもひとまず今回で一区切りです。次回は7月の本番、富士登山競走になります。

富士登山競走は、コース特性としては紛れもなくバーティカルなのですが、距離と累積標高差、そして到達標高どれもがあまりにも桁違いですので、これまでのような感覚では全く歯が立たないのですね。

走行時間もほぼマラソンですから、練習としては今後少しロング走なども入れなければならないと感じています。

昨年よりも有酸素能力は高まったと実感していますし、解糖系もだいぶ使えるようになった印象ですから、それらをもう少し長時間継続できる能力を高めていく必要があると考えています。

その前に、来週は40代最後のトラックレースとして、5000mと1500mが待っています。

ちょっと疲労がありますが、久々のトラックレースを存分に楽しみたいと思います。

年代別ではなく総合で5位に入ったバーティカルレースは今回が初でした。

経ヶ岳バーティカルリミットに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は6年ぶりに経ヶ岳バーティカルリミットというトレイルレース(スカイレースとは謳っていませんが、事実上その基準は満たしている)に出場してきました。

6年前に初出場した際は、この「バーティカル」という名称と、登って下る単純コース、さらには距離が21kmという、コースの見た目の印象から割とスピードレースになると勝手に想像してしまったことで、オーバーペースで半分も行かないうちにエネルギーを使い果たしてしまった苦い思い出があるレースです。

この時は、山頂に到着する前からすでにオールアウトしかけ、帰りの下りでは走ることもできなくなり、フィニッシュ後は2時間ほど立ち上がれなくなってしまったほどでした。

そんな印象のあまり良くないバーティカルリミットですが、今回は比較的練習が積めていることと、登りの走り方が当時よりも熟練してきたこと、さらには7月の富士登山競走のコースのように序盤は長いロードが続いてから登山コースが始まるという共通性から、この時期には最適なレースだと考えたのですね。

ちなみに、レース後の表彰式では同じように「富士登山競走の練習」と位置付けている選手も数人いて、やはり同じことをイメージできるようなコース設定であったことがわかります。

そうしたこともあり、6年前の苦い思い出がありながらも、今回のバーティカルリミットはエントリーしてからずっと楽しみにしていたレースとなりました。

今回はJSAのエリートランナーが招待選手として集結。これもテンションが上がる要因の一つでした。

スタート時の天候はほぼ快晴。やや風が強いものの気温も低く、快適なコンディション。

前回も天気は良く、またスタート地点の公園も気持ちの良いところで、レースの過酷さがありながらもなんとなく楽しい雰囲気のある良いレースの一つです。

今回のレースプランは、とにかく勝負は折り返してから。なんなら、トレイルを下り切った最後のロード4kmで勝負する、くらいの気持ちで、序盤から前半の登りまでは絶対に努力度を上げないで走る、というもの。

失敗すると大変しんどくなるコースなため、珍しくスタート時は緊張をし、オーバーペースになりそうだったため、スタート直後はとにかくリラックスして努力度はマラソンのペース感覚で走り続けました。(レースタイムも大体マラソンと同じ)

スタートから4kmはこのような雄大なロード区間。とにかく呼吸が上がらないように。

調子もかなり良かったのと、ここ数週間、週末の高強度練習でもいいペースで走れていたため、このロード区間は登り勾配であったにもかかわらず、楽にキロ5分台前半のペースを維持できました。

ロード区間が終わった後のダート林道も力強く走れ、余力を残して登山道に入っていくことができました。

登山道は、いきなり急登が始まりますが、普段走っているJSAのバーティカルコースに比べれば標準的な傾斜で、時折走りを織り交ぜながら余力を持って登っていけるちょうどいいコースでした。

6年前の画像。傾斜は急ですが、両手でよじ登らなければならないほどの斜面はありません。

ここから4.5kmで累積1000m以上を登っていくわけですので、絶対に無理をしてはいけません。

6年前は、これを登り切れば事実上終わりだ、という意識がありかなり力を込めて登り続けてしまった記憶があります。

その結果、登りが終わる前に脚が終わってしまい、帰りの下りで走る体力がなくなってしまいました。

なので、いつでもペースが上げられる、なんなら走りに変えることもできる、というくらいの余力を残しながらリズムよく登りを歩き続けました。

途中数人を抜かし、最終的に追いついたランナーがペースを上げたため、その方(コグラン・リチャードさん)に山頂手前の分岐点までついていくことになりました。ここで引っ張ってもらったことが、結果的にオーバーペースを防ぐことにつながった気もしています。

山頂の手前にかなり激しいアップダウンがあり、往復するだけでかなり消耗します。

山頂手前では、折り返してきたトップランナーたちとすれ違うのですが、この時点で9番目。思ったよりも順位が良く、元気が出ました。

大体の印象ですが、トップの松本選手とはおよそ20分差くらいかな、と感じていました。

フィニッシュ後、記録がちょうど20分差だったことから、帰りの下りは同じくらいのペースで行けたのではないかと考えました。

さて、折り返して登り返しもクリアして、分岐から復路専用ルートで一気に下っていきます。

この帰りのルートは急坂が少なく、かなり気持ちよく下りを走り通すことができます。

岩場もほとんどなく、足場は柔らかいシングルトラックで、温存した脚でガシガシ下っていきました。

6年前の画像。時折急坂はあるものの、足場は柔らかな土でつい調子に乗ってぶっ飛ばしたくなります。

トレイルの下りは約6km。最後のロードが4kmですので、決して短い下りではありません。

でも、ついつい飛ばせてしまうトレイル下りが気持ち良すぎて、久しぶりに下りを攻めて走りました。

しかし、思ったよりもトレイル区間が長く、ちょうど下りが半分ほど終わったあたりで脚の動きが悪くなりました。

ふくらはぎにも軽い痙攣が起こり、足捌きも若干怪しくなってきました。

そうこうしているうちに、振り戻した足のつま先が石に引っかかり、リカバリーが効かず、豪快にヘッドスライディング。

柔らかトレイルだったため、本当に運よく無傷ですみましたが、これが岩場だったりトラバースだったりしたら、おそらく無事ではすまなかったほどの大転倒でした。

その後も相変わらず脚の動きは悪く、それでも下りは続きますので、必死に脚を動かしてトレイルを下り続けます。

トレイル区間ラスト1kmあたりでも、再び石に躓き転倒。

この時は十九折のカーブ地点で横に転び、木と斜面に激突。まあ、これくらいのことはよくあるので、この時も少し痛いくらいですみました。

転倒したところは、写真にあるような柔らかいシングルトラック。危ない転倒でした。

そうこうしているうちに、なんとかトレイル区間も終わり、最後のエイドを通過していよいよ勝負どころと考えていた最後のロード4km区間。

しかし、当初考えていたよりもはるかに脚は残っておらず、ギリギリ最後まで持つかな、という微妙な疲労度でした。

それでも、下りはキロ3分台を維持し、途中で緩やかな登が1kmほど続きましたが、そこでも気持ちを切らさずにペースを維持し、最後まで走り続けることができました。

最後、フィニッシュ地点までの歩道から公園内のロード区間までの1kmは脚を攣りながらの厳しい走り。

フィニッシュ地点の公園までの歩道から公園内のロードに入るあたりでは、もう完全に脚は終わっていて、痙攣を繰り返しながら無理やり脚を動かす状態でした。

しかし、順位は一つ上げ、8番手でフィニッシュできることや、タイムもかなり良かったため気持ちも高揚し、脚の状態に反して会心の走りでフィニッシュラインを走り通すことができました。

6年前失敗した難コースをようやく克服できた実感を持てました。

最終結果は、6年前の記録を14分ほど上回る2時間40分03秒。

転んでなければ40分を切れただけに、ちょっと惜しい感じもしましたが、それも実力のうちですので、結果には満足です。

順位も、先頭から21分差の8位ですから申し分なし。

年代別は、JSAと違って入賞者を除くため、おまけのように優勝をいただき得した気分です。

できれば、宮川さん、牛田さんの次に入って40代総合3位に入りたかったのですが、一人強力な40代選手が3位に入っていて、全く勝負になりませんでした。

また、7位の選手はなんと50代。

JSAには参戦していない選手たちにもまだまだ強い選手はいるものだな、とここへきて新たな世界を知った気分になりました。

50代目前にして表彰台の一番高いところに立たせてもらったのはいいご褒美になりました。

今回も、前回の上田バーティカルと同様、山練習はほとんど入れずに臨んだトレイルレースでした。

昨年の経験から、とにかくロード、平地の練習でしっかりと地力を高めて、揺るぎない走力を身につけることでトレイルにはある程度応用できると感じていました。

今回も、週末ごとの主にLT走ではかなり手応えを感じていて、ロード区間だけでなく、トレイルの急登でもかなり余力を持ってペースを維持できることができました。

トレイルレースの強度では、以前からLTが重要な要素であると感じていてそこを中心に鍛えてきました。

また、昨年度のマラソン練習から月間あたりの走行距離も微増し、直近2ヶ月は月間400km程度を維持できていたことから、通常のジョグでもあまり疲れにくくなっていることに気づきました。

こうした、特に派手な練習や山練を積んでいなくても、少しずつ負荷量や強度を上げ、それを継続することで、結果として走力が向上する過程は、変化は地味ですが確実なものであると改めて実感しました。

ここまで、幸い大きな故障をせずに練習を継続していますので、ここからも急激に練習量や負荷量を増やさずに、無理なくやれることを安定して続けていこうと思っています。

入賞者に贈呈される手作りの和紙賞状。このレースの魅力の一つですね。

4月振り返りと上田バーティカルレースについて

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は毎年恒例のスカイランニングレース、上田バーティカルの猿飛佐助コース(5kmで累積1000mのバーティカル)に出場してきました。

バーティカルとしては3年前の2021年が初めての挑戦で、今年でこのコースは4回目の挑戦。

序盤から急登が続くこのコースは、ランマニア的には最も苦手なコースの一つであったのですね。

2021年は、故障の影響で山歩きばかりをやっていたせいか、記録は53分50秒の今日までのベストタイム。

それ以降は、風邪を引いたりオーバーペースになったりで、まともに走れたことのなかったとても相性の悪いバーティカルレースでした。

今回は、昨年の反省をもとに、とにかくスタートから1kmのロード区間でのオーバーペースに気をつけることを最初の目標にして、慎重にレース運びをするイメージを持ってスタートしました。

上田のシンボル太郎山。直登すれば累積700mほどですが猿飛佐助コースは一旦下らされるため累積1000mにも及びます

10秒ごとの時間差スタートで一人ずつ走り始めるこのレースは、後ろに行くほどより速い選手が控えています。

昨年、V Gamesのランキングで10位に入ったランマニアの後ろには、強豪選手が6名ほどしかおらず、スタート直後にぶち抜かれるのは目に見えています。

今回は、すぐ後ろがOver48で最後までランキング1位を争った今井さん。

彼の方が実力的には圧倒的に上ですし、まして上田のコースは彼が得意とする急登続き。

当然勝てるわけがないため、今回の作戦としてはすぐに追い抜かれた後、そのまま行けるところまでついていく、というものでした。

案の定、トレイルに入ってすぐに追い抜かれ、彼のペースに合わせてペースを維持しました。

スタートは10秒おきの時間差スタート

ここで気づいたのが、例年自分のペースはかなりのオーバーペースだったということ。

今井さんのペースは思ったよりも楽に維持でき、呼吸も大体ハーフマラソンを走る時の感覚です。

走行時間は大体1時間ですから、呼吸のキツさはハーフのレースを走るくらいを目安にする必要がありました。

そのペースを維持して、累積が400mから500mに差し掛かったあたりで勾配もだいぶ急になってきました。

この辺りから同じ努力度で登っていると、徐々に今井さんに引き離されていく状態になりました。

ああ、流石にバーティカルのスペシャリストはこういうところが違うんだな、と一歩一歩の登る速さの違いを実感しながらとにかく自分のペースを維持することにしました。

その後に控えていた斜度40度の「壁区間」で、圧倒的な差をつけられここで勝負あり。

最終的につけられた差は40秒。

昨年よりも2分、PBよりも20秒以上速く走った自分でも敵わない52分台でフィニッシュされてはどうしようもなかったですね。

それでも、このコースで40秒差にとどめられたことは大きな自信になりましたし、今井さんのペースメイクを知ることができ、今後のバーティカルレースにも大いに活かせる体験をさせてもらいました。

フィニッシュ地点の山頂は快適そのもの。しばらくのんびり過ごしました。

さて、そんな今回のレースでしたが、山の練習を特段取り入れたわけではない中でのPB更新というのは、この年齢にあってかなり嬉しい体験です。

陸上競技に比べると、どちらかというと自分の能力的には未開の地であるバーティカルの種目において、特異性の高い練習をしたわけではなく、走力の持久的トレーニングをしての記録更新というところに、今回の手応えを感じた要因があります。

先月は主にLTと解糖系を中心にトレーニングを積みました

4月は毎週のようにLTレベルに刺激を入れる練習を取り入れ、練習の終わりには必ず200mの高出力走を入れました。

今日のレースで、急登をプッシュしている感覚が、ちょうどその200mを走り切る直前の感覚に似ていて、力の入れ方や出力の出し続け方に、どこか慣れた感覚を得ながらレースを進めている印象を持ち、苦しいながらもぐいぐいと押せる感覚も得ていたのですね。

斜度40度の壁のような斜面を登り切った後に、やや緩やかなシングルトラックに変わり、なんとしてでも走りに移行したいという苦しい局面でも、毎週入れていた200mのラストの感覚を思い出しながら腕をしっかり振って脚を前へ持っていくことができました。

もちろん、この200mのインターバルの効果が得られたのも、それ以前にマラソントレーニングのためにしっかりと距離を踏んできた数ヶ月の下積みがあるのはいうまでもありませんし、4月は一定期間の総走行距離がかなり伸びたことも走力の向上につながったものと考えています。

この数ヶ月は大きな故障もせず、安定して走行距離を積み上げられました。

このようにして、特にバーティカル用の練習をしたわけではなかったのですが、6月以降のトラックや10月のロードレースに向けて、長距離種目の記録向上の鍵を握るLTと解糖系のトレーニングを継続したことが、結果的に山のレースにも応用できたという事実が、ここ数年間仮説を立てて取り組んできたことが結果として身を結んだことに、ささやかながら喜びを感じたのでした。

割合としては微々たるものですが、解糖系を刺激する練習を定期的に入れたことの体の変化は決して少なくありませんでした。

さて、実は今年度このスカイランニングシリーズはバーティカルのみの出走となります。

昨年度は距離の長いスカイレースでだいぶ失敗をしたのと、体へのダメージが大きすぎることを懸念して、今年度はバーティカルに専念することにしました。

明日のスカイレースにも出走はしませんし、次のレースは5月25日の経ヶ岳バーティカルリミット(実は下りがあるので純粋なバーティカルではないのですが)になります。

前半戦の大きな目標は7月の富士登山競走となりますが、それまでに山レースを入れつつも、ベースは平地での陸上競技トレーニングを継続しながら走力を高めていくアプローチで臨もうと思っています。

板橋Cityマラソンに出場しました

こんにちは、ランマニアです。

10月から5ヶ月にわたって準備を進めてきたマラソンレース、板橋Cityマラソンに出場してきました。

2017年に東京マラソンを走り、現在のベスト記録を樹立して以降、しっかりと準備をして走るマラソンは実に7年ぶり。

7年の歳月は本当に長く、当時42歳だったランマニアも気づけば49歳。

この間、コロナ騒動があったり、自分自身では転職を経験したりと本当にさまざまなことがありました。

コロナ騒動で各地のマラソンレースが中止に追いやられ、自身の興味関心もスカイレースなどに移っていたこともあり、正直なところ、もう一度マラソンでPBを狙おうというようなモチベーションが次第に薄れていっていたのは事実でした。

しかし、X界隈やMGCなどでの多くのランナーの活躍を見るにつけ、「おれはこのまま終わってもいいのかな」ともう一度マラソンをしっかり走ってみたいという欲のようなものが出てきたのですね。

このブログでは何度も繰り返してきましたが、正直ランマニアはレース時間の長くなるマラソンはかなりの苦手種目です。

それは、慢性疲労症候群がもはや持病となってしまっているため、他の長距離種目に比べるとその影響が甚大なマラソンは、余程の体調でなければしっかりと走り切ることができないからなのですね。

一方で、マラソンのトレーニングはどうしても絶対的なボリュームと負荷が必要になってきます。

当然疲労が溜まりやすく、当日の調整の難易度は5000mやハーフとは比べ物にならないほどの難しさになります。

そんな中で、全てが噛み合った2017年東京マラソンの記録を更新することは、自分の中でほぼ不可能だと考えていたのですね。

しかし、多くの自分と同世代のランナーが2時間35分前後で走っていたり、また、この7年で大幅に進化したシューズの影響もあり、自分ももう一度やれるのではないかと考えるようになってきました。

ダメかもしれないけど、チャレンジしてみるか、と今年度はこの板橋に照準を合わせてトレーニングを積んでいくことにしました。

しかし、7年前と違い、とにかくほとんどの練習において当時のようなペースで走れなくなっている自分がいました。

VO2Maxのインターバルは1000mで10秒ほど遅くなっていました。

LTはそれでも維持できていましたが、ロング走もキロ3分50秒のペースが以前ほど楽ではなくなっていました。

それでも、7年前の東京の前に比べると、明らかにトレーニングが積めた期間は長かったですし、走行距離も圧倒的に今年の方が多く達成できていました。

これにスーパーシューズの補助を受け、疲労をしっかり抜けばあるいは当時と同程度のペースを維持できるのではないか、という淡い期待を抱いて今日の当日を迎えたのでした。

当日の朝は風もなく暖かい穏やかな絶好な気候条件。しかしこの後強風が吹き荒れました

スタートは、想定外のBエリア。ただ、オーバーペースを防ぐにはちょうどいいと前向きに捉え、走り始めます。

しかし、前のランナーが想定以上にペースが遅く、大渋滞が発生していました。

流石にこのペースに付き合っていると、ただでさえロスのあるスタートに加え、ペースを戻すまでに大幅な時間がかかってしまいます。

仕方なく、サイドから徐々にペースを上げていき、自分のペースを維持できるエリアまで順位を上げていきました。

5kmまでは風もなく快調に走れました。

アディオスプロ3の推進力は想像以上で、相当楽に走っていてもキロ3分45秒くらいを維持できていて驚きました。

しかし、10km過ぎから徐々に向かい風が強くなり、ペースは落ちるのを覚悟で集団の後ろに回ることにしました。

それでも一人先頭になってしまうことも多く、かなりの強風にさらされながらペースを維持する状況が増えてきました。

結果的に、今日の強風の条件では記録は諦め、もっと思い切ってペースを落としても良かったなと、レース後に振り返っていたところです。

この辺りの柔軟性に欠けたことが、今日の失敗の一つ目です。

とはいえ、やはりペースはかなり落ち、もう5kmを18分台でいくには風が強すぎる状況になっていました。

折り返しまでは思ったよりも早く到達した印象で、残りの脚の状況を考えると終盤ペースを上げられるのではないかと思えるくらい余裕を残して中間点を過ぎました。

厚底シューズの推進力と衝撃吸収力は想像以上で、ハーフまでをかなり楽にこなすことができました

しかし、ここに大きな落とし穴が待っていました。

折り返すと急激に追い風に変化したため、集団のペースが一気に上がりました。

振り返ると、この20kmから25kmまでのラップが2番目に良く、ランマニアが以前から気を付けていた「20kmから30kmは一旦休む」という鉄則を、奇しくも破ることになってしまったのですね。

この時は、かなりの追い風だったため、それほど脚は消耗しないだろうと楽観的に考えていましたが、この後の展開を考えると、ここでのペースアップは絶対にしてはいけなかったと確信しました。

それでも、この段階ではまだまだ余裕があり、30kmからいよいよ本気を出していくか、と考えられるほどでした。

誤算だったのは、この後25km過ぎから再び猛烈な向かい風区間が待っていたこと。

ここでかなり消耗してしまって、28km過ぎで明らかに脚の動きが悪くなっているのを自覚しました。

当然、もうこの時点で記録は諦め、早々にペースを落として完走を目指すことにしました。

もうキロ4を超えてでも走り続けられれば、終盤止まったり歩いたりするよりは遥かに記録が良くなることは経験済みです。

35kmまでの10kmは明らかに体への負荷は下げ、堅実に2時間40分台を狙うことに切り替えました。

ところが、最大の誤算は、今まで経験したことのない38kmからの大失速でした。

これまで、35kmを過ぎて一定ペースを維持できていれば極端にペースが落ちることはありませんでした。

しかし、今日は38km過ぎで自分でも自覚できるほど、突然体がおかしくなり、それまでのキロ4分台のペースが一気に辛くなりました。

残り4kmを残し、ついにジョグですら厳しくなりたびたびある気が入るようになってしまいました。

いや、今日は絶対歩くまい、と思っていたのですが・・・。

もうこうなるとほとんどレースからは撤退と同じ状況です。1km走るのも続かず、時々歩いてエネルギーを貯めては走り出すという展開。

変更した2時間40分台という目標もほとんど難しくなり、最後までトボトボと歩くような速さでジョグをしてフィニッシュを迎えました。

フィニッシュ後はお決まりの「気持ち悪くなる」状態で、せっかくの露店は楽しめませんでした

38km過ぎの失速はなんだったのか。

推測としては、これまでのマラソンでは体験したことのないような強い向かい風の影響だったのではないだろうか、ということですね。

これはスカイレースの登りと同様、自分では意識していないところで風の抵抗に対処するためかなり糖分を使ってしまい、本来最後までペースを維持するための貴重なグリコーゲンが枯渇してしまったのではないかということです。

通常ならキロ4分超のペースでは有酸素性の糖代謝はそれほど使われないはずなのですが、向かい風で気付かぬうちに強度が高まってしまい、キロ4ペースを維持するために最低限必要な糖分が終わってしまった、と。

フィニッシュ後はめまいがひどく、貧血様の症状が出ていて、さらには昼にピッツァを食べた瞬間から徐々に気持ち悪さが回復したことから、血糖値の急激な低下は疑わしいところでした。

初めは食欲がなく絶対食べれそうになかったピッツァも、無理して食べているうちに元気が回復しました

とはいえ、今日は風がなくても2時間45分がせいぜいいいところで、7年前の39分など到底無謀な記録です。

なんだか、この7年間の時間の長さ、残酷さを感じ、帰りは少し寂しい感じがしてきたのも事実です。

でも、まあやるかやらないかと言われれば、「やる」一択なんですね。

チャレンジすることは誰にでも平等に与えられた権利です。

同世代のランナーで、まだまだ記録を伸ばし続けている強者も山ほどいる中で、簡単に諦めてはいけないのですね。

40代最後のマラソンは厳しい現実を突きつけられた示唆に富むレースでしたが、一方ではまだやらなければならない課題も見つかりました。

今回の板橋はあくまで通過点と考え、来シーズンはやりきれなかったトレーニングを重ねて、もう一度チャレンジをしたいと思います。

所沢シティマラソン結果と11月の振り返り

こんにちは、ランマニアです。

ここのところブログに割ける時間が取れず、びわ湖バレイのレビューや11月の月間まとめができずにここまできてしまいました。

今日は毎年恒例の地元のレース、所沢シティマラソン(ハーフの部)に出場してきました。

第34回を数えるこのレースは、実は大学時代の第3回大会から出走していて、途中何度か欠場がありましたが、なんだかんだでもうかれこれ30年近くも関わり続けているレースとなりました。

学生時代は、おそらくランマニアが最も速かった頃で、この頃はまだコースも所沢の市街地を駆け抜け、中心部を巡りながら西武ドームに戻ってくる、かなり「シティ」なマラソン大会でした。

当時は距離も20kmで、箱根駅伝予選会を目標にしていた学生時代の自分にとっては、ちょうどいいベンチマークとなるレースだったのを記憶しています。

それがいつしか、交通規制や予算の関係か次第に「シティ」ではなく「ローカル」な部分を中心に走るコースへ変わり、現在では丘陵地帯の多い所沢の最深部をめぐる、もうほぼトレイル並みの斜度と獲得標高が存在するコースへと変貌してしまったのでした。

昨年はダートを2回走るコースでしたが、今年は1回になった代わりにアップダウンの回数がさらに増えた印象

昨年も、じゃり道を2回走ったり、通常のロードレースではあり得ないような下り坂を一気に駆け下ったりするかなりアブノーマルなコースでしたが、今年はダートが1回になった代わりに、13km以降の急な坂道のアップダウンが小刻みに増えた印象です。

そうしたこともあり、今回は昨年以上に序盤を慎重に走り、終盤の「トレイル区間」でしっかり脚を残して走れるようにすることを目標にしていました。

幸いなことにチームメイトとほぼ同じペースとなり、結局ラスト300mで引き離されるまでずっと引っ張ってもらえる良い展開になりました

ちょうど、マラソンを2時間36分台で走るチームメイトが近くを走っていて、ハーフくらいまでは自分と同程度の力を持っている彼に着いて、少しでも脚を温存することにしました。

とはいえ、実力的には彼の方が上なので、引っ張られながらも呼吸は終始きつく、おそらくLT2を超えるか超えないかくらいのギリギリ保てるペースで走ることを強いられました。

一方で比較的脚は良く動いたため、この苦しささえ我慢すればどうにかなりそう、という見通しを持てていたのも事実です。

というのも、年齢を重ねると、LTペースが若い頃に比べて若干呼吸がキツくなる傾向があり(確かダニエルズの最新版にそこらへんの補正についての記載があったような気が)、呼吸のキツさで判断する「体感LT」よりも、若干キツめでもLTペースとして維持できる傾向を、自分自身体感していました。

なので、そうしたことも頭に入れなが、脚を使いさえしなければあとは呼吸のキツさは我慢するしかないと思い、脚に余裕があるならばできるだけ彼についていくことにしたのですね。

そして、勝負は終盤ラスト7kmからの急激なアップダウンの繰り返される区間だと踏んでいたので、それまでは多少離されても気にせず自分のペースを守り、できるだけ脚を温存させる戦略でレースを進めていきました。

急坂登りはトレイルで鍛えた筋の使い方あったため、そうした区間では彼に追いつき、割と平坦で走力がものをいう区間では離されるというのを繰り返しながら、結局20kmまでレースは進んでしまいました。

キロ表示がほとんどなかったため、時計は一回も見ず、20km地点の定点タイマーの計時を見て、初めて自分のペースを知ることになりました。

1時間10分台後半。

ラスト1kmがかなりの上り坂のことを考えると、どんなに遅くても15分台では行けそうと思い、少し元気が出ました。

昨年は1時間17分ちょうどだったため、それよりも大幅に速いペースで走ってきたことに気づき、手応えを感じたのですね。

並走する彼は明らかに余裕があり、最後の登りでも逆転は不可能だなと思いました。

案の定、最後のカーブを曲がる手前でスパートをかけ、それにはついていくことはできませんでした。

ただ、正直、彼にここまで善戦できるとは想定もしていなかったため、21km手前まで一緒に走れただけでも十分満足してしまう自分がいて、とても勝とうなどとは微塵も思ってもいませんでした。

結局、今年から40代の部に入った彼が40代3位。今年で40代の部が最後となるランマニアが4位という結果となり、自分自身としてはもう十分満足できるレースとなりました。

40代の部最後の年となった今年のシティマラソン。

さて、もともとハーフマラソンは自分の適性の中でもかなり上位に来る距離の一つで、フルに比べると圧倒的に失敗が少なく、良い時は終盤以降呼吸のキツさを押しながら脚でぐいぐい進んでいく感覚の得られるレースができる距離になります。

今回、数年ぶりにそうした感覚が得られ、練習次第ではまだまだ勝負できる距離なのだなと安堵したところです。

そこで、その要因を少し考えてみたいと思い、ひとまず11月の練習をここで改めて振り返ってみようと思います。

11月は主にVO2Maxを中心に刺激を入れた月になりました

11月の一月だけをみても意味がないので、この一つ前の月を見ると、10月は毎週LT域に刺激を入れることを意識した月になっています。

10月は3回LT練を入れ、9月最終週と11月第1週を含めると、だいたい1か月半以上にわたってLT域に刺激を入れ続けてきたことになります

こうしてみると、ダニエルズさんが提唱している「6週間は同じ練習を繰り返したい」という目標が概ね達成できていたことになり、自分自身もこのような期間を常々作り出したいと思っていたところでした。

それを成すために今年意識したのが、例年であればトレイルレースの多くなる9〜11月にそれらを入れず、また山練も最低限に控えたことが挙げられます。

11月はびわ湖バレイに出場したものの、その前後はVO2Maxに刺激を入れていて、びわ湖のバーティカルも事実上VO2Max負荷だったことを考えると、これにしても3週間は継続したことになります。

結果、故障明けの10月以降は6週以上のLT負荷と、3週程度のVO2Max負荷が継続され、今回のレースのタイミングが、体がやや強い負荷に順応してきた時期であったと想像されました。

引っ張られたペースが想定以上に速かったため、終始呼吸のキツさは気になりましたが、脚が最後まで動いたということは、練習のボリューム的にもどうにか最低限確保できていたことが予想されます。

故障した9月は除いて、今年は春以降安定して月350km程度を維持できたことで、ある程度の練習に耐えられる脚ができてきた印象です

こうして振り返ると、今年は4月以降スカイランニング世界選手権のためにある程度の距離を確保し、その時期に距離への適応が進み、一旦故障で休養を余儀無くされたものの、それが疲労をリセットする機会となり、高強度練習を継続できる状態になってきたと思われます。

先日のびわ湖バレイスカイレースもそうでしたが、トレイルレースの体にかかる負荷は想像以上で、例年、継続してきた練習が途絶えさせられる傾向が続いていました。

その結果、本来高めたかったロード&トラックの走力が思うように身に付かず、レースで思うような結果が出ない日々が続いていました。

今回意図的にトレイル系のレースや練習を控えることで、じっくりと純粋な持久的走力を高める練習に向き合うことができ(気持ちという意味ではなく、体力的に)、徐々に体が出来上がっていく実感を持つことができました。

ある程度満遍なく負荷をかけられた11月

今日のレースの様子を振り返ると、だいたい自身の上限に近い実力が出ていたと思われ、今後この強度域の練習を続けてもこの部分の走力を高めるには若干コスパが悪そうに思います。(本当はもう一度3分一桁で1000mのインターバルが継続できる体を作りたいのですが、おそらく故障するでしょう)

12月は、あとバーティカルが1回と5kmの駅伝が1回あるため、VO2Max刺激期間もちょうどそこまでとなると思います。

そうすると、このあたりの能力は一旦ここで開発し終え、少し休養を入れたあと、年明けからはいよいよマラソン向けの練習を入れていこうと考えています。

今年は3月の板橋一発勝負なので、1月、2月の二月間でロング走を中心に脚を作っていこうと思っています。

その間に挟まれる10km程度の駅伝は、LTやVO2Maxを最低限維持するための機会として走り、「最大強度」をかけられる体の機能を維持できればと思います。

今日は久しぶりにロードレースの楽しさを味わえるレース展開となり、もう一度ロードでも再起を図りたいと思えるきっかけとなったことは間違いありません。

明暗を分けた嬬恋と竜王

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週までは2週連続のトレイルレース(厳密にはスカイランニング)に出場してきましたが、先々週は登りと下りのあるスカイレースで、翌週は登りだけのバーティカルでした。

初めのスカイレースは、嬬恋スカイランのスカイリッジ40km ±2700mに対し、バーティカルは竜王の4.5km +1000mと、全く違うカテゴリーと距離特性の種目でした。

そしてその結果も、スカイが最後はDNFに近い酷いレース展開であった一方、バーティカルはかなり手応えを感じる過去最高順位と、はっきりと明暗が別れたのですね。

嬬恋スカイランの、スカイリッジ。登りと下りのを繰り返すのがスカイレースの特徴です

JSAのスカイランニングジャパンシリーズを転戦している人や、世界選手権を一緒に走ったランナーからすると、なぜこれほどまでにスカイとバーティカルで成績が大きく変わるのか、理解に苦しむだろうな、と思います。

世界選手権では日本チームでは完走した中で最下位でしたし、嬬恋にしても先日のバーティカルの順位から比べると、あまりにも結果が悪すぎます。

しかし、当の本人はというと、この結果には全く疑問を感じておらず、むしろ当然こうなるであろうなと、完全に想定内の成績なのですね。

ジャパンチームでも最下位だった世界選手権

古くからこのブログを読んでいる方や、Xのフォロワーさんならご存知だと思いますが、ランマニアは学生時代の慢性疲労症状が完治しておらず、練習やレースにおいてかなりの影響を受けている状態です。

特に、距離や走行時間が伸びれば伸びるほどその影響は顕著になり、本来の各種有酸素能力や持久的能力からすると、あまりにも走れなさすぎることで、よく周囲から疑問を持たれます。

一番目立つ成績は、ハーフマラソンがそのタイムなのに、なぜマラソンはその程度なの?ということですね。

同じ理屈で、スカイレースでも同様な状態が起こります。

バーティカルではしばしば一桁順位に食い込む一方で、距離の長いスカイレースになると一気に順位を落とす、ということも。

5月に40kmのトレイルレースで棄権をしたのもこれが原因ですね。

なので、世界選手権の55kmなどは、大袈裟でなく、完走はほぼほぼ無理だと思っていたため、自分にとっては限りなく奇跡に近い結果でした。

繰り返しますが、とにかくこの影響は、走行時間や距離が伸びれば伸びるほど顕著になります。

バーティカルが得意なのは、登りが強いのではなく、単純に時間が短いからなのです。スカイが苦手なのは、下りが苦手なのではなく、時間が長いからで。

距離が30kmを超えるようなスカイレースでは、疲労症状がてきめんに現れます

このことについては、初期の頃のブログに詳細に書いてあります。興味のある方は参考にしてください。

この2つの記事では「神経系(脳)」の疲労について仮説を立てています

このような、筋を長時間にわたって何度も収縮させる運動を続けると、当然筋肉は疲労します。また、筋収縮のためのエネルギーが徐々に減っていき、最後は枯渇します。

通常、特に健康上問題のないランナーであれば、走りのパフォーマンスの低下は、これらによって引き起こされます。

筋の物理的ダメージかエネルギーの枯渇、また筋繊維の酸化によってももしかしたら走運動が困難になるかもしれません。

ところが、何らかの要因で、筋を収縮させるための電気刺激を発生させる神経系、そのスタート地点は脳にありますが、そこがダメージを受けていると、筋などの抹消組織よりも先に神経系が機能不全を起こすことが、ある程度わかってきました。

これについては、先日Xで 竹井尚哉さんがかなり詳しく解説してくれていました。

ランマニアが学生時代に患ったのは、おそらくオーバートレーニングによるこれであると思われ、以降、長距離種目に対してかなりのハンデを追うことになったのですね。

しかし、竹井さんも言及している通り、この疲労は短距離走ではあまり発現しないとのこと。

これで、今回のランマニアのスカイランニングでの結果にもある程度説明がつきます。

短時間で、しかも比較的速筋繊維が動員されやすいバーティカルにおいてはそこそこの結果が残せ、ほぼ遅筋繊維と有酸素能力を使い続けるスカイレースでは終盤の疲労症状が猛烈に悪化するという現象についてです。

4月からそこそこの距離を走り込み、トレイルの距離も伸びてきたことから、ある程度の有酸素能力や山耐性はできてきたはずです.

なので、世界選手権で55kmを走った後でもそれほど脚のダメージ、肉体的なダメージは残っておらず、練習の効果は実感できました.

それでも、神経系の疲労にはどうしても勝てずに、レース終盤は走ることもできないほどの疲労感に襲われていました.

筋のダメージやエネルギーの枯渇ではなく、神経系が機能しなくなってしまった状態.ここが改善しない限りは、距離の長いスカイレースで満足いく結果を残すのはなかなか難しいだろうなと感じています.

なお、このような神経系の疲労は、努力度とも密接に関係していると考えていて(努力度≒神経系の電気信号の強さ、と考えています)、長い時間を走るには、できるだけ努力度を抑えてペースを維持することが重要であるとも思っています.

筋の出力を上げるには電気出力を上げる必要があり、それこそが「努力度」ではないかと仮説を立てました

一方、ジョグを通して長い距離を走り、心・血管系、呼吸器系、さらにはミトコンドリアなどを適応させていけば、同じペースで走るにも努力度を抑えることができることは変わりありません.

なので、神経系の機能不全があったとしても、長距離能力を高めることは、速く走る為のアプローチとしても変わりはなく、実際、過去そのアプローチでマラソンで2時間40分を切るところまでは到達することができたのですね.

そして、逆に短期決戦で終わるバーティカルなら、まだまだ上位と張り合える力は発揮できることがわかり、現在の状態でも十分競技を楽しめることはできそうだなと感じます.

今年、世界選手権とその後の比較的疲れていた状態で走った嬬恋のレースでは、正直、この体の状態でこの競技を続けるのはかなり厳しいのではないかと思ったのは事実です.

あまりのしんどさに「引退」の二文字もよぎった今年の嬬恋

とはいえ、やれないこともない、というのも事実であり、つまるところ「やるか」「やらないか」なのですね。

今シーズンのスカイレースは、残すところあと1試合(びわ湖バレイ)。

若干走時間が短いとはいえ、かなりの難コース。それまでのトレーニングでどこまで対応できるかを試してみたいと思っています。

なお、明後日は久々のトラック5000mへ出場します。

「短期決戦」ですし、主な強度はVO2 Maxレベルなので、現在の持久的能力のベンチマークとして参考にしたいと思います。

竜王スカイランに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

レースが続き、なかなかブログが書けませんでしたが、とりあえず記憶に新しい一昨日のバーティカルについてまとめます。

今年度の日本スカイランニング協会(JSA)による年間シリーズは、スカイ部門のジャパンシリーズと、バーティカル部門のVGames Japanの二つのカテゴリーに別れました。

スカイ部門の方は、また別の項で取り上げるとして、今回はバーティカル部門であるVGamesについて簡単に説明します。

例年通り、このVamesも年間シリーズに参戦して、その順位に基づいてポイントが加算されるシリーズ戦となっています。

今年度からは総合成績に加え、年代別ごとの「マスターズ部門」が設定され、ランマニアはその中のOver48(48歳から55歳まで)のカテゴリーに属しています。

総合成績は、年間数試合あるVGames対象レースの中の上位4戦の合計ポイントを競いますが、マスターズ部門はそのうちのJSA登録選手しか出場できない「ゴールド」レース3試合と最終戦の4戦のうち上位3戦の合計ポイントで競うことになります。(詳しくはJSAのHPを参照)

今年度からバーティカル部門が別れV GAMES JAPANとして新たにスタート

つまり、最低4戦を走ればどちらの部門も年間ランキングに反映されるため、効率を考えて両部門に共通するゴールドレース3戦と、最終戦を走る計画を立てたのですね。

しかも、ゴールドレースはポイントが1.5倍。最終戦(グランドファイナル)は2倍となるため、この4戦に出場しない手はないわけです。

今年はすでにゴールドレースの上田バーティカルが5月に行われており、そこでランマニアはオーバーペースで失敗し、Over48では2位に入ったものの、総合では25位に沈みました。

調子は良かったもののペース配分を豪快に失敗して25位に沈む

ポイントとしては、総合で18ポイント、マスターズでは132ポイントを獲得しています。

まあ、総合は日本のバーティカル界のエリート相手に戦わなければならないため、ここで上位に食い込むのは相当なレベルに到達しなければならないのですけどね。

とはいえ、マスターズ部門では暫定2位ですから、ここはなんとか最終戦までこの順位以上を維持したいところです。

そんな状況で迎えたのが、今回のゴールドレース、竜王スカイランのバーティカルでした。

ゴールドレースでは第2戦となる竜王スカイラン

前回上田では、調子は最高に良かったものの、それが裏目に出てあまりにもひどいオーバーペースに陥ってしまい、まるでトラックの5000mで1500mのレースペースで突っ込んでしまった時のような足の止まり方をやってのけてしまいました。

酸素の負債が全く解消されないまま急登を登らなければならなくなり、脚の力は残しているのに、全く体が動かなくなってしまったのですね。

そんな苦い経験があったため、今回の竜王では、とにかく序盤は余裕を持って走る、というのをテーマに走りました。

具体的には、10000mを走るときのような「呼吸はかなり上がるものの、これなら40分くらいは脚をしっかり動かし続けられるようなキツさ」を意識しました。

トータル4.5km中、ちょうど半分の2.3kmはゲレンデのやや緩やかな登りです。

ここはしっかり脚を動かして走れますので、呼吸の上がり方と脚のしんどさに注意を払い、慎重になりすぎず、かといってそれなりに力を込めてグイグイと坂を登っていきました。

序盤のゲレンデを上から見た図。はるか下に見えるスタート地点から駆け上がります。

調子が良かったのと、7月にVO2Maxにしっかり刺激を入れていたせいか、久しぶりに登りを力強く走ることができ、中間点の時点で順位も4、5番に着ける快調な走りを見せることができました。

出場選手の層がかなり薄かったのは否めませんが、それでもジャパンシリーズで一桁順位を維持するのは滅多にない機会なので、自ずとテンションも上がりました。

しかし、この快調な走りも、斜度36度の壁のような急傾斜コースに入った途端に一変します。

最後の急登。この傾斜36度の激坂が後半2km続きます。

初めこそ一歩一歩力強く脚を動かすことができていましたが、それも1kmほど過ぎたところで完全に動きが鈍り、後ろから追ってきたマスターズ最強の今井さんにあっという間に抜かれてしまいます。

その後もペースは落ち続け、最後は完全に山力に勝るもう一人のランナーにも、登頂直前で抜かれてしまいました。

一時は4位にまで順位を上げていましたが、最後は山練習の差が露呈した感じです。

結局6位でフィニッシュ。ジャパンシリーズの総合順位としては最高順位でした。

最終順位は6位。強豪が出場していなかったとはいえ、ジャパンシリーズでこの順位に入れる日が来るとは、ちょっと信じられない気持ちでした。

自分より前にいる選手は皆、この世界では超有名エリートばかりですから、おそらくリザルトを見た人は「この6位の人誰?」状態だったと思います。

フィニッシュ地点のゴンドラの山頂駅付近はちょっとした公園になっていました。

フィニッシュ地点は、びわ湖バレイのようなちょっとした公園になっていて、おしゃれなカフェも併設されていました。

バーティカルの最高なところは、こうやってフィニッシュ後に観光できたり、ゴンドラで景色を眺めたりできる余裕があるところですね。

雷が鳴っていたので足早に下山してしまいましたが、本来ならばもう少しこの天空のリゾートを満喫したかったところです。

絶景が見下ろせる展望カフェで。

最終結果は、48分47秒で総合6位。Over48で2位。

昨年出場した選手の記録が、暑さで昨年比約1分遅れの様子だったので、昨年であれば47分台。

そうすると昨年の順位では10番台となるため、まあ妥当なところでしょうか。

急登を登る脚が全くできていないことを考えると、現状、今出せる力は出し切れたように思います。

バーティカルで総合の表彰式に出れるのは貴重な体験です。

さて、今回のレースでは総合で6位となり、ポイントはおそらく96点が加算されます。

マスターズでは再び2位(というか1位は常に今井さんなので、最終戦まで下手したら2位以下でしょう)ということで、132点が加算されます。

ゴールドレースは残すところ11月のびわ湖バレイスカイランのみ。

流石に次回も一桁順位というのはなかなか難しいと思いますが、今回ひとまずバーティカルでの走り方のコツを掴めた印象なので、次回までにもう一度走力の地力を高めて、苦手な急登での差を相殺できるようにしたいと思います。

9月10月はトラックとロードに1試合ずつ出場し、長距離ランナーとしての地力を引き上げたいと思います。

スカイランニング マスターズ世界選手権

こんにちは、ランマニアです。

3月に出走を決めた、スカイランニングマスターズ世界選手権。

マスターズの世界選手権は今年が第1回大会ということで、日本のみならず世界各地のベテランスカイランナーたちから大きな期待を持って迎えられました。

第1回大会は、イタリアはピエモンテ州にあるグランパラディーゾ国立公園内に設定されたコースを走る「Royal Ultra Sky Marathon」がその舞台となりました。

このRoyal Ultra Sky Marathonは、もともとこの地で2年おきに開催されてきた地元では有名レースで、前回大会はコロナ禍で中止となったものの、その前の大会はワールドシリーズにも設定されていたほどの本格的な上級者向けレースです。

この時は日本の上田瑠偉選手が3位に入る快挙を果たしました。

そんな、言ってみれば「国際基準」のレースであるため、コースもそれ相応の難易度となっており、距離は55km、累積標高差は+が4140m、−が4500mと、スカイレースとしては屈指のボリュームとなっています。

スカイランニングのカテゴリーとしては「SKY ULTRA」に位置し、スカイランニングとしては最も長い距離を走るカテゴリーとなります。

国内レースでは、過去には志賀高原エクストリームトレイルにこのULTRA部門が設定されたこともありましたが、1年を通して1度あるかないかの希少なカテゴリーとなっています。

ランマニアも、スカイレースではULTRA種目には出場したことがなく、最長でも40kmのSKY部門までです。

したがって、今回このレースに出場するにあたっては、相当な覚悟を決めてエントリーしたということになります。

正直なところ、エントリーした時点では、完走はほぼ難しいだろうなと思っていたほどです。何せ、これまで累積4000m越えは経験したことがなく、最長のトレイルレースでも52kmが精一杯なところでした。

本コースのプロフィール。大会公式ブリーフィング資料より引用。

このコースプロフィールを何度も見返し、4月の時点では、正直完走するだけでも相当な準備が必要になるだろうなと想像していました。

結果的に、そのために想定していた準備はどうにか完遂することができましたが、自分の中ではこのコースを走り切るにはまだまだ不十分であったと実感しています。

4ヶ月間、テーマを決めて計画的にトレーニングを行ってきましたが、ある程度は目標を達成できたと思っています。とはいえ、このレースを走るために必要十分であったかというと、そこは疑問が残ります。

さて、現地入りしたのち、前日は開会式がありました。各国の代表メンバーが国別に紹介され、いわゆる「お立ち台」でプレゼンテーションされます。

会場に集まったナショナルチームの様子を見ていると、これがまぎれもなく国際大会、しかも世界選手権の舞台なのだと強く実感しました。

各国の代表には地元の住民や居合わせたチームのメンバーから惜しみない声援が送られ、小さな村のこれまた小さな広場が一瞬で国際レースのメイン会場となってしまいました。

会場までの「足」がなかった我々を見つけて、急遽「乗っていけよ!」と声をかけてくれたセルビア・モンテネグロチーム。本大会では、多くの海外チームとの交流がありました。

特に日本選手団にはより多くの声援が送られ、遥か遠くアジアの小国からやってきた我々が、ヨーロッパ発祥の競技の中にあっていかに特異な存在であるかを知るに至りました。

もちろん、この声援の影には、前々回大会で3位に入った上田瑠偉選手や8位に入った高村貴子選手の存在があったことはいうまでもありません。

大声援に応える日本選手団。イタリア人親子から記念写真をせがまれる場面も。

そして、いよいよレース当日。

スタート地点へはシャトルバスで山道を1時間かけて移動しました。なんといってもスタート地点の標高は1800mもあります。車でもそう簡単に辿り着ける場所ではありません。

スタート地点へ立つと、動画で何度も見たこの地に、本当に自らの足で立ち、自分がこのレースの参加者となっていることがすぐには信じられない感覚に陥りました。

それほどまでに現実離れした光景、圧倒的なスケール感で迫ってくる山々の迫力に現実感が薄れていったのですね。

スタート地点は標高1800mにあるテレッチョ湖の堤防。

スタートして1kmほど走ると、登りはすぐに始まります。

今回は、とにかく完走を第一目標としたために、絶対にオーバーペースにならないようにとスタート位置をかなり後ろに構え、周囲のランナーに合わせて抑えめのペースで走ることにしました。

ところが、いきなり最初に用意されている累積1000mの登り区間は、思った以上に狭いシングルトラックで、ここで渋滞によってだいぶタイムロスをしてしまいました。

初っ端から渋滞に巻き込まれ、第一関門である累積1000m地点の通過タイムが気になり始めます。

とはいえ、まだまだ元気な状態では調子に乗ってオーバーペースに陥りやすいため、結果的にこれくらいのゆったりとしたペースで登り続けられて脚は温存できたのかもしれません。

最初のチェックポイントは約5km、累積1000mの地点にある岩だらけの峠です。

ここは、大きな岩が幾つも折り重なり、かろうじて人が数名そこを通れるようになっている場所であるため、選手のチェックと給水とでここでも渋滞が生じていました。

第一関門の制限時間は2時間15分。ここの通過は約1時間45分。渋滞にハマったので結構ギリギリでした。

レースプランでは、この始めの1000m登りでいかに脚を温存し、余裕を持って次のセクションに移れるかが鍵だと思っていました。

今回想定外の渋滞にハマりましたが、そのおかげで脚は十分温存でき、トータル4000m以上の累積標高のうち、初めの1000mをほぼ脚を使わずに登り切ることができたのでした。

さて、ここから先は下り基調で一旦また標高を下げます。ちょうど太陽の当たらない尾根の反対側に移ったせいか、気温も急激に下がり、持っていたアームウォーマーが再び必要になるほどの気温差でした。

おそらく一日中陽が当たらない場所であるためか、急斜面に雪渓が残りロープを使いながら滑り台のように滑り降りる場面もありました。

序盤の区間には雪渓が多く、前回大会では簡易アイゼンの装着が義務付けられていたほど。

ただ、本来はもう少し残雪が多く、この部分を一気に滑り降りられるため、むしろ雪がある方がフィニッシュタイムが良くなる傾向があるとのこと。(これは登り区間にも言えることです)

今回、この残雪が少ないことから、逆に序盤の関門が若干ゆるく設定されていました。

最後まで走って分かったのは、序盤のこの岩場区間が、結果的にこのコースで最もテクニカルな部分だったということ。各関門間のペースも、この序盤の岩場区間が最も遅くなっていました。

とはいえ、走りにくい(歩きにくい)区間はここまでで、この先はいよいよ文字通り「スカイランニング」と呼ぶに相応しい、天空の楽園(パラディーゾ)を舞台にしたセッションが待ち受けていました。

岩場区間を越えると、一気に視界は開け、大草原のコースが舞台となります。

この先に待ち受けているのは、本コースの最高地点である標高3000m超の峠までの登り区間。

先述した標高図を確認すると、ここを越えてもまだ距離も累積標高も半分にも満たないため、ここをクリアしてもまだまだ脚を取っておかなければなりません。

そのため、この気持ちの良い走れる区間でも極力ペースは抑えて、登りも下りもじっくりと歩を進めていく必要がありました。

自分でも、こんなにゆっくりでいいのか、と疑いたくなるほどの余裕があるペースでした。

距離が短ければ当然ぶっ飛ばすはずの快適なトレイル。ひたすらペースを抑えて我慢です。

ちなみに、この区間に少し大きめのエイドがあるのですが、心配されていたエイドの中身はそこそこ充実していました。

飲み物は、水、炭酸水、コーラ、スポドリ(まずい)。食べ物は、パイ、ウェハース、チョコ、角砂糖、柑橘系フルーツなど。

水はその場で湧き水を汲んできたものなので当然美味しいわけですし、ウェハースだけは口に合うお菓子だったのでこればかり食べていました。

なので、1L未満の水とカロリーメイトと羊羹だけしか持たずに走っても、最後まで補給についてはノープロブレムでした。

一際目立つスタッフさんの青とオレンジのTシャツ。トレードカラーのTシャツが見えるとそこがエイドだとわかる仕組みになっています。

このエイドを過ぎ、しばらく走ったところに第2関門があり、そこも約30分の猶予を残して通過。

そこからいよいよ標高3000mへ向けて一気に登りが始まります。

遥か彼方に見える窪みがコース最高地点。進めば進むほど酸素が薄くなり同じメースを維持するのがキツくなります。

このセクションは、初めは草原の中の気持ちの良い場所を比較的長めの九十九折りを繰り返しながら進み、後半は岩と砂礫だらけのやや急な登り坂をダラダラと進んでいきます。

みるみるうちに標高が上がっていくため、気がつくと呼吸がキツくなっています。それと同時に温存してきたはずの脚も次第にだるくなってきます。

まだ残り30km。累積は2000m以上残っています。

まだこの時点でも本当に完走できるか疑心暗鬼でした。

遠くに見えていたこの「コル(窪み・峠)」もいよいよ目前に。急傾斜と砂礫が体力を奪います。

実は、この登りの最中に同じジャパンチームのメンバーに追いつき、ここから二人で抜きつ抜かれつで一緒にレースを進めることになります。

お互い、下りと登りの得手不得手があり、結果必ずエイドごとに一緒になり、そこで励まし合いながら終盤までレースを展開していくことになりました。

国際大会においては、レース中のチームメイトの存在が本当に力になることを実感した瞬間でした。

さて、どうにかこの最高点を文字通り「乗り越え」、脚がどれくらい残っていたかというと、実は想像以上に脚のだるさが進んでいたのですね。

まだ残り半分以上ある中、この体のしんどさでどこまで持ち堪えられるか、正直全くの未知数でした。

しかし、壮大な景観と世界選手権を走っている高揚感、そしてチームメイトとのデッドヒートがモチベーションを維持させ、だるいながらも残っている脚力を少しずつ使いながら緩やかな下りを走り続けました。

3000m地点を越えると、そこからしばらく標高2500m付近を延々と走り続けることになります。思い返すと、このセクションでだいぶ酸欠が進んでいったように思います。

ここから先は、標高2500m以上のルートで3回も急峻な登りが繰り返されます。斜度はこれまでで最大のところもあり、流石に完全に動きが止まる場面も出てきました。

急な登り坂では、歩いては止まり、止まっては歩くを繰り返さなければならなくなり、ペースもガクッと落ちてきました。

この頃になると、登り区間を中心に呼吸の苦しさが尋常でなくなり、脚よりも呼吸がきつくて動きが止まるようになってきました。

少し休めば呼吸が回復しまた進めるようになるので、だいぶ酸欠が進んでいたように思います。

そして、終盤のレースを最も苦しめることになる気持ちの悪さがこのあたりから徐々に進行してきました。

3回の急なアップダウンを繰り返した先にある3つ目の関門。ここでリタイアとなった選手も多く、私も残り時間30分とあまり猶予はありませんでした。

3回目のチェックポイントは観光道路が接続しているダムの堤防上で、久しぶりに平坦な整地路を走れる区間がありました。

しかし、この平坦ななんでもない道ですらジョグをすることがきつく、最後は歩いてしまうほど疲れはピークに達していました。

ここからしばらく下った後、一気に累積800mを登る本コースのラスボスが待っています。

レース中、とにかくこの最後のセクションを意識して体力を温存してきたのですが、この関門の時点で登りはおろか平坦でさえ走るのが厳しくなってきた状態でした。

まさに、本当の勝負はここから、です。

スマホのバッテーリーが切れ、ここから先は現地入りしてすぐに試走した際の写真。この地点は、最後の累積300mを上る手前の平坦区間を逆方向から見た場面。写真奥の方に最終関門があります。

ここでスマホのバッテリーがなくなり、すでに写真はないのですが、とにかく最終関門までの道のりが厳しく、関門までの累積500mの登りは尋常でないキツさでした。

もう完全に体を動かせる体力は尽きていましたが、一歩一歩脚を動かし、必ずこの登りに終わりは来ると言い聞かせて、最後の関門を目指しました。

ここでも、レース中止の時間まで残り30分程度。

止まりかけたとは言え、常に脚は動かし続けてきたことを思うと、この関門は相当厳しい設定だな、と思いました。

いや、そこはやはり世界選手権。普通に歩いて間に合うような関門設定ではないのだな、と改めてコース難易度の高さを実感することになりました。

中央に見える川のさらに下流に最終チェックポイントがあり、最終的にはこの撮影した場所まで登ってくることになります。

そしていよいよ、最後の登り。最後、累積300m。

これを登れば、もうあとは5kmの下りのみ。ここまできたらやり遂げるしかありません。

しかし、本当にきつい最後の登り。はてしなく長い累積300m。

上に見える大岩の下部がこの登りの到達点。目の前に見えるのに、全く近づいてこないあまりにも急峻な登山道。

脚を止めて休んだ回数は数えきれず。時には岩に腰をかけて休んでしまうことも。

気持ちの悪さで水さえ受け付けず、ただただ目の前の急坂と向き合うのみ。進まなければ終わりも来ず、進めばすぐに脚が止まり。

しかし、こんな状態で不思議なことにふと「これで終わってしまうのがなんだか残念な気もするな」という気持ちも芽生え、いよいよこの過酷なレースに終わりが近づいてきたことを悟り始める自分もいました。

きつくて吐きそうでさっさと終わりにしたいのに、楽しみにしてきたこのイベントがもうあと1時間もすれば終わってしまう寂しさみたいなものが、この期に及んで湧き上がってくるのですね。

最後のコルからは遥か下方にフィニッシュ地点のチェレゾーレ湖が一望できます。初見のランナーはあまりの遠さに絶望したことでしょう(我々は2日目に試走で訪れていました)。

最後の登りをクリアしても、まだ終わりません。

そこからフィニッシュ地点までは、残り5km、960mを一気に駆け下ります。

標高が高いため、下りですらも呼吸がきつく悪心も増してきます。着地を支える力も徐々に失われてきており、途中からは下りですら歩きに変わってしまう状態でした。

それでも、下り続ければ必ず終わりはやってくる。それだけを考え続け、最後のセクションと向き合い続けます。

下りの途中からようやく森林限界が終わり、木々に囲まれた登山道を進むことになります。写真は試走時のもので、本来ここを下ってきました。

試走時は1時間もかからなかったこの下り区間ですが、もう走ることもできなくなっていたため、コルの時点で走ればまだ11時間台も狙えた状態も、途中であっさり12時間を超えてしまい。

夜が長いとはいえ、流石に午後6時半を過ぎれば若干空気も夕方のそれに変わってきており、本当に1日を走り通してしまったのだな、と唖然とした気持ちになりました。

チームで10時間を切れたのはただ一人だったことを考えると、やはり相応の時間をかける必要のあるレースであると、改めて感じます。

日本と違って「転載禁止」などとセコいことは言わない公式さんの写真。JSA(日本スカイランニング協会)もそうですね。

最後、登山道を出ると700mほどのロード区間があります。

試走の時は、ウィニングロードだ、なんて思っていましたが、全くもってそんな気分にもなれず。ただ、走る脚は意外と残っていたため、おそらくキロ5分台では走り通すことはでき、最後の直線は生意気にスパートなんかをかける余裕もありました。

フィニッシュ後、主催者さんがこの順位でも待ち構えてくれていて、イタリア語でよくわからないことを叫ばれ、ものすごい握力で握手をされたのが印象深かったです(多分、「お前は凄い!これを完走しただけでも偉大だ!」みたいなことだったことにしておきます)。

今回の派遣メンバー。SNSでどんどん広めて、と言われているので遠慮なく掲載させていただきました。

最終結果は、176人完走中の143位。12時間35分47秒。

ジャパンチームは2人がDNFで3人が12時間台。3人が10時間台で1人が9時間台という結果でした。

国別順位は上位4人のトータルポイントで4位が決定。惜しくもメダルはなりませんでした。

4年前の上田瑠偉選手が6時間台。高村貴子選手が8時間台だったことを考えると、彼らが如何にずば抜けているかがわかります。

我々のメンバーも、国内ではそこそこの戦績を残している選手ばかりでしたからね。

とにもかくにも、自分自身の目標としていたマスターズ世界選手権で完走を果たすことは叶えることができました。

チーム内順位が最下位というのは、ちょっと悔しい部分もありますが、そこは超長距離が苦手分野の自分としては致し方ないところでもあるかなと思います。

いずれにしても、今回まさか自分のような平凡な一般ランナーがイタリアの地に飛び、世界選手権に日本代表として出場するなどという、通常得難い体験をすることができたことは、まさに夢のようでありました。

「信じれば夢は叶う」とか、いいおじさんがこの歳で吐くセリフではないですが、「イタリアでスカイレースに出たい」と思い続けてきたことが、本当に叶ってしまうのだな、と自分でも驚きながら走り続けた12時間でした。

しばらくはこの余韻に浸らせてもらい、この先のことはまた少ししたら考えようと思います。

一旦「レポート編」としてこの記事は終了します。

なんだかこれが最後にならないような気がするノアスカの村。