3月振り返り そして次の1年へ

こんにちは、ランマニアです。

今シーズン最後のレース、多摩湖駅伝が終わってから10日間。次のシーズンに向けての休養期間を置いていました。

1月以降はレースが続き、故障明けのため序盤のレースはトレーニングの代替的な位置付けでしたが、それでも負荷はそれなりにかかっていたため、絶対的な練習量はだいぶ不足していたのがわかります。

もともと故障明けで走行距離が減っていた10月以降ですが、1月以降もレース続きでフルを走るには無謀なほど距離が足りていませんでした。

3月は、板橋シティマラソンに向けてそれなりに距離を踏みつつ、一方では疲労を抜かなければならない難しい状況で、結果的にそのどちらも成し得なかったと言わざるを得ません。

1月から続いた10km駅伝シリーズと、2月の深谷ハーフの疲労は想像以上に残っており、マラソンを迎えるには、もう一月ほど猶予が欲しかったところです。

そもそも論として、本来故障をしなければ11月のつくばにピークを持っていく予定だったことを考えれば、スケジュール的に3月のマラソンに合わせようとしたこと自体にやはり無理があったなと。

当ブログでも再三触れましたが、とにかく6月の足底筋膜炎があまりにも痛すぎて、練習ができていない体で騙し騙しレースに出るのがやっとの状態だったわけで。

そんな状態で体を仕上げるには、あまりにも期間が足りなさすぎたというのが現状です。

ただ、シーズン最終盤ではレースがそこそこ刺激となり、最後の板橋や多摩湖駅伝などでは、今シーズン入れたことのなかったゾーンにかなりの刺激が入り、1月以降は満遍なくあらゆる強度の「トレーニング」を取り入れることができたのも事実です。

とはいえ、今シーズンもう少し余裕があれば、マラソンペースでのロング走をもう少し入れておきたかったのですが、それが0に終わってしまいまったのは誤算でした。

最後の最後の板橋でようやくそれが叶いましたが、練習で一度もやらずにいきなり本番では、当然結果など残せませんね。

さて、今シーズンは兎にも角にも、転職1年目で生活スタイルが大幅に変わったこと、それに伴ってトレーニング環境をどう整えるかに苦心した一年となりました。

一年を振り返ると、故障で走れない期間が過去最大になったという異例の事態もありましたが、それ以前に仕事が変わり大幅に生活スタイルが変化したことが、あらゆることに影響したなと実感しています。

まず、通勤時間が片道で約3倍になったということですね。

往復にすると、昨年までより約2時間ほど余計に時間を奪われることになりました。

この絶対的に変えられない状況の変化があり、どこにトレーニングの時間を取り入れるかというのがいまだに解決しきれていない大きな課題となっています。

最終的には往復の通勤経路で4.5km〜6kmほど走る区間を設け、平均して1日で10km程度距離を踏めるようなスタイルに落ち着きはしました。

昨年度は、故障でこれ以上距離を伸ばす機会がありませんでした、明日から練習を再開した後は、平日に1日は20km程度走る日を確保したり、LTやVO2Maxに刺激を入れるような練習も取り入れたりする工夫をして、もうワンランク上のトレーニングサイクルを維持できる生活スタイルを目指したいと思っています。

今シーズンはとにかく、新しい職場、全く新しい業務に体が慣れるのに相当な時間とエネルギーがとられ、過度なストレスもかかったことから、年間を通して練習を継続できただけでもひとまず及第点だったのかもしれません。

来シーズンは、まずは今年度よりは仕事に対する慣れは進み、精神的な余力を持ってトレーニングを続けられるはずです。

昨年度は仕事に慣れるのに心理的に一杯一杯で、走っていてもなかなか走る方に集中を維持できない状態がしばらく続きました。

その分、来年度はメンタルのリソースをだいぶ練習のほうに割り振ることができると思われ、もう少し練習のボリュームから改善できるのではないかと期待しています。

そうした見通しから、次のブログでは来シーズンの年間の予定を改めて整理して報告しようと思います。

多摩湖駅伝に出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は、毎年春分の日に開催されている地元の駅伝、多摩湖駅伝に出場してきました。

コロナ騒動で3年間開催が見送られてきた中、今年は4年ぶりにこのレースが戻ってきました。

毎年春分の日に開催される多摩湖駅伝。過去には、桜が満開の日も、雪の日も。

一昨日はマラソンを走ったばかりで、確実に無謀なスケジュールでの出走となりましたが、この多摩湖駅伝だけはどうしても外せない理由があるのですね。

この多摩湖駅伝に、今のメンバーで出場し始めたのは今を遡ること28年。我々がまだ大学2年生の頃です。

大学2年の頃はランマニア自身、体調を崩していて本格的にこの駅伝に参戦していた記憶が残っていないのですが、3年、4年と徐々に体調が戻ってきて以降、学生時代にはよくある「現役力」を発揮して市民大会で圧倒的な強さで優勝するぞ、という邪な考えで、年に一度レクリエーション的に参加し始めるようになった大会であったのですね。

ところが、この大会には毎年必ず、同じような考えでまさに「圧倒的な」強さで優勝を掻っ攫っていくチームが存在するようになっていきます。

時には自衛隊が。時には元オリンピック選手が。そして時には現在ニューイヤー駅伝に出場するようなチームが。

毎年のように我がチームの前に立ちはだかり、優勝を阻んでいくのでした。

そして我がチームといえば、常に2位か3位に甘んじて、何年出場してもどうしても優勝だけが成し遂げられない状態が続いていきます。

20代、30代の頃は、本気でこの大会で優勝するために毎年練習と試走を重ね、ベストメンバーを揃えて臨んだものでした。

今から10年以上前はこうして上位に名を連ねることが数年にわたって続く、ある意味本大会での有名チームとなりました。

こうして、次第にこの大会で優勝することへの執着心が増し、初めは軽い気持ちで出場し始めたこの多摩湖駅伝が、ランマニアや我がチームにとっていつの間にか重要な「ライフイベント」となって行ったのでした。

たかが多摩湖駅伝、されど多摩湖駅伝。

気づけばもう、30年近く同じメンバーでこの大会に出続けていることになるのですね。

そして、4年ぶりの開催となった本大会。

流石に我々も歳を重ね、本来であればもう「壮年の部」での出場権が得られる合計年齢となりましたが、それでもあえて「一般の部」で挑戦しました。

今年は高校の部も統合されてしまい、我々「年配」には少し厳しい現実。

結果はご覧の通り。

例年、高校生は別部門であったため、純粋な一般の中では9位くらいには入れる結果となりました。

かつては、区間順位も2位とか5位とか、その辺りをキープできていましたが、流石にもう10位に入るのがやっとの状態。スピードもかなり落ちたな、と感じます。

ただ、一方で30年近く経った今も、同じメンバーでこの位置にいられるのは、まだまだやれるんじゃないか、と手応えを感じたのも事実です。

多摩湖の築堤工事が終われば、再び一区間7km以上のロングコースとなるため、我々「壮年」にも若干の希望が見えてきます。

3年間この大会が開催されず、若干気持ちが遠のき始めた多摩湖駅伝ですが、久しぶりに出場してみると、やはり若い人たちと競い合うのは楽しいと感じました。

メンバーもなんとか走力を維持していて、まだまだ老け込む状態でないこともわかり、これからもこのメンバーで走り続けたいと再認識できた今回の多摩湖駅伝した。

北は仙台から西は兵庫まで、この日の為にお金と手間をかけて集まってくれるメンバーには本当にご苦労かけますが、年に一度の「同窓会」にこれからもお付き合いいただければと思います。

板橋Cityマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

マラソンは、難しいですね。

というより、自分の体の特性では、よほど調整がうまくいかない限り、この種目で結果を出すのは並大抵のことではないな、と毎回感じます。

今シーズンは、4月から計3回のマラソンに出場しました。

最も練習を積めていた4月の長野マラソンはDNF。

次に練習を積めていた今日の板橋はほぼDNFの3時間9分。

そして、最も練習ができていなかったつくばマラソンがネガティブスプリットのサブスリー。

つまり、自分の場合、練習が積めていたかどうかよりも、いかに疲労(自分の場合は慢性疲労症候群の症状)が抜けている状態であるかの方がとても重要だということなのですね。

一方、今日の失敗の遠因は(いやむしろ直接の要因とも言えますが)、7月から故障で3ヶ月走れなかったことではあります。

7、8、9月とほとんど練習皆無の3ヶ月を過ごしたのは、冬から春にかけてのマラソンを走るには大きな痛手でした

通常、2月3月のマラソンを走るためには、例年7月8月あたりはかなり走り込んでいた現実があります。

それにより、11月以降、レースが立て込んできてもその回復が遅れることもなく、むしろいい刺激となりながら冬場に体を仕上げていくことができていました。

ところが、今回3ヶ月ものブランクを作ってしまったことで、基礎的な持久力も回復力も一気に衰えてしまい、ようやく復帰した後もなかなか長い距離を重ねていく体力がなく、強度の高いレースばかり迎えているうちにどんどん調子が落ちていった、という感覚です。

今回、確かにハーフマラソンの後3週間でマラソンを走るのは、自分の体ではかなり無理がありますが、夏場からしっかりと距離を踏んでいれば、ここまで調子を落とすことも無かったのではないかと考えています。

昨年故障から復帰した後の11月からのトレーニングを振り返ると、月間の走行距離はフルマラソンを走るためには明らかに足りておらず、その一方でレースはコンスタントに出場している状態でした。

疲労が抜けていた分、レースではそこそこの結果を残すことができましたが、絶対的な回復力が高まっていない中で、高い強度のトレーニング(レース)を次々と入れていっては、そのうち調子が下降していくのは目に見えていました。

今にして振り返ると、2月に出た埼玉県駅伝が一つのピークだったと思われ、そこから徐々に調子は下降線をたどり、深谷の頃には慢性疲労症状が「走れない程度の閾値」を超えてしまったように思えます。

確かに、だいたいLT付近のペースで走り続けるレースが続いたことで、10kmとかハーフとかのペースで走り続ける力はそこそこついてきたという実感はありました。

ただ、そもそもマラソンを走るために必要な絶対的な距離は足りておらず、そのための練習を続けても疲労を溜めにくい体が、全く出来上がっていなかったと考えています。

とはいえ、実は練習が積めていた時期(月間で350km以上)にあっても、今日のようなマラソンでの失敗は数え切れずあり、疲れやすい自分の体で、トレーニングを重ねながら疲労を溜めないようにしていくのは相当な難易度であると思っています。

7年前に東京マラソンで2時間40分を切った時も、その4ヶ月前に出たさいたまマラソンでは3時間20分近くかかっています。

通常、いくらレースで失敗したと言っても、自分のベスト記録からここまで落ち込むことはそうそうなく(他の種目ならここまで落ち込まない)、マラソンのような長丁場になればなるほど、自分の疲労症状が影響しやすくなってくるのは明白です。

だからこそ、なんとかそこを克服・攻略して走れた時の喜びは何倍にもなるのですけどね。

さて、実は明後日にもう1レース駅伝が控えていて、マラソンの2日後で肉離れ等の心配がかなりあるのですが、なんとかそこを乗り越えれば今シーズンも一旦終了します。

そのあとは3月中は走らず、4月からのトレーニングに向けて体を一度リセットさせようと思っています。