12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

昨日母校のキャンパスコース(1周1km)で20kmのロング走を行い、今年の練習は終了しました。

12月に入ってから、3月の板橋に向けてロング走を開始しましたが、キロ4分を切るのがやっとの状態で、マラソンペースが相当に衰えていることを実感していたところでした。

ところが、昨日の練習では、これまでとは打って変わり、1km3分45秒前後のペースがかなり楽に感じ、20km走の練習としてはほぼベストに近い1時間13分台で終えることができたのですね。

今月に入ってのロング走は、チャレンジレースのハーフまでを走ったのが最初で、この時はキロ3分57秒イーブンが相当速く感じたものでした。

その後、ロング走は先週と今週20km走を入れたのみでしたが、急速にイーブンで維持できるペースが改善し、昨日は最終的に1km3分30秒台まで上がる状態にまで持久的能力が向上していました。

この感覚は、7年前に東京マラソンでPBを出した頃のロング走で感じていた感覚で、練習のペースとしてもほとんど同じものでした。

なぜ今月、この短期間のうちにこれほどマラソンペースが戻ってきたのでしょうか。

自分自身の感覚としては、一昨日、そして先週と続けた400mの解糖系インターバルがその要因として大きかったのではないかと感じています。

12月18日に出場した地元の駅伝で5kmを走った時、あまりのVO2Maxの衰えに危機感を感じ、しばらく取り入れていなかった解糖系を使うインターバルを取り入れる必要性を身をもって感じたのでした。

ここ数年、とにかくジョグよりも速いペースで走ろうとすると、脚は楽なのに呼吸が急速にキツくなる体験を繰り返していて、強度の高い運動に対する順応性が急速に落ちている気がしていました。

そこで、普段のジョグの中では絶対に使うことのない体の能力のギリギリのところを使いながら走る400mのほぼ全力走(全力疾走ではなく、400mを最後までギリギリ保てるペースで走ること)を繰り返し、マラソンのレースペースであるLT1付近のペースでも使える解糖系をもう一度鍛え直そうと考えたのですね。

結果、昨日のロング走では、明らかに巡行ペースの向上を感じ、多少呼吸がきつくても脚は良く動き、走動作に必要な筋のエネルギー供給系の効率がだいぶ改善されてきた印象でした。

後述しますが、今月は各能力を満遍なく使う練習をこなすことができ、久しぶりに一月で全ての速度域(強度)の練習をそこそこ取り入れることができましたが、後半の400mインターバルを取り入れて以降の体の変化は顕著なものがありました。

無論、この変化にはここまでに積み上げてきた下地があってのものであることは間違いはありませんが、それでも、強度の非常に高い解糖系を一定時間動かす練習は、そもそもの最大ペースを引き上げるために欠かすことのできない練習であると実感しました。

10年ほど前は、こうした練習を入れずとも絶対ペースの低下は感じなかったのですが、ここ数年、1000mのインターバルを走る度に脚の動かなさを痛感することが多く、危機感を感じていたのでした。

毎週負荷が高まることが予想された12月。故障の不安がありましたが、どうにか乗り切ることができました。

そして、今月はレースが3レース入りながらも、一月を通して定期的に高強度、高負荷の練習を継続でき、それに耐え得る脚と、エネルギー供給系の向上を実感することができました。

また、「トレーニングを継続する」という意識をかなり強く持っていたため、レースにしろ練習にしろ、序盤は抑えめに入り、終盤までフォームを崩さずに走り通すというスタイルを貫き通せたことも非常に大きかったと感じています。

練習ができている時は、こうした「序盤を抑える」という心理的な余裕が生まれるため、結果として故障や離脱するほどの疲労を溜めることなく練習を継続できることを経験的に知っていました。

練習ができていない時ほど、焦りから序盤からオーバーペース気味に突っ込んで、終盤フォームが崩れて故障をする、というパターンに陥りがちでした。

練習が継続できている時ほど、「今は無理をしなくても良い」という心の余裕がレースや練習のペースを抑えることに繋がり好循環が生まれるのを、久しぶりに実感することができた12月でした。

全ての速度域の練習を満遍なく取り入れることができ、ここ数年では最も手応えを感じられるひと月となりました。

本来であれば、12月はもう少しVO2Maxを中心に鍛えたかったのですが、あまりのスピード(解糖系)の衰えに、同じ1000mのインターバルを繰り返しても、ほとんど能力が頭打ちになっている感覚を得ていたのですね。

そこで、予定外ではありましたが急遽400mのインターバルに変更し、マラソン練習も前倒して開始することにしました。

3レースあった12月に、高負荷の練習を継続してボリュームも維持できたのは大きかったです

12月は第1週からハーフが入り、以降毎週レースかロング走&インターバルを行ってきましたが、どうにか故障せずに最後までやり遂げることができました。

総走距離も380kmを越え、大の月としても標準的なボリュームを維持することができました。

今年、久しぶりに故障もせず安定して練習を継続できた背景には、前回も述べたとおり、毎年秋に詰め込んでいたトレイル系のレースを控え、じっくりと走練習に集中して取り組んだことが大きかったと考えています。

スカイレースはとにかく勾配が急峻すぎることで、どうしてもふくらはぎを中心に大きなダメージが残りやすく、下腿や足首から下の故障が頻発した時期がありました。

今年は久しぶりにトレイルレースの少ないシーズンを送ったことで、普段の下腿の状況がいつもよりも楽なことに気づきました。

また、危うい痛みや張りをほとんど感じることなく練習を継続できて、本来の脚の状態に気づくことができました。

2023年は、前半はトレイルシーズンでスタートしましたが、後半は純粋に走る能力に向き合うことができ、久々に陸上競技が(練習も含め)楽しいと感じるシーズンとなりました。

ただ、こうした好調な期間もいつかは終わりが来るのは間違いありません。いわゆるピークアウトする時期をどう調整するかが鍵となりそうです。

そうした意味でも、とにかく今は故障だけには気をつけて、今シーズン最大の目標である板橋シティマラソンに向けて万全の状態を作り上げていく意識を持ちながら日々の練習に向き合っていこうと思います。

2023年を振り返る

こんにちは、ランマニアです。

今日は休みをもらって、近場の丘陵地帯で緩やかなトレイルを走ってきました。

冬場は日が短く、一日の使い方を計画的に考えないとあっという間に日が暮れてしまいます。

今日のように貴重な平日休みは、あれもしたいこれもしたいと欲張ると何もできずに暗くなって残念な気持ちになってしまうこともよくあります。

特に、半日かけて山に出かけてしまうと、移動時間で大半が割かれ、せっかくの休日が数時間の山登りで終わってしまうことになり、この時期の山練や登山はあまり好きではないのですね。

冬の、キンキンに冷えた空気の中落ち葉を踏み締める音だけを聞きながらトレイルを走るは好きなんですけどね。

そういうことなら、近くの丘陵(狭山丘陵)でも十分味わえるのではないか、と朝イチで2時間ほどゆっくりと冬の山道を堪能してきました。

標高の低い都市部の丘陵地帯は、夏には虫の集中砲火を浴びますから、近場を走るには冬は最適でした。

さて、冷えたトレイルをのんびり走りながら、今日は今年1年を思い返していました。

今年は、なんと言っても7月の自身初の世界選手権出場があり、4月から7月はほぼトレイル練に時間を割いていた時期でした。

ひどい走りになったものの、海外遠征の楽しさを存分に味わえた世界選手権

この時期は、ここまで頻繁にトレイルを入れたのも初めてというほど、毎週のようにトレイルに向かい、山を走る力を少しずつ高めていきました。

元々長い距離は困難な事情があるため、本番は全く歯が立たなかったとはいえ、それでも12時間ものトレイルを走り切れたことは、自分にとっての一つの財産にはなりました。

ただ、そのレースも含め、今年は国内で3レースほどでた「スカイレース」は全て惨敗し、改めて長い距離のトレイルレースは自分にとってなかなかのハードルであるなと感じました。

補給の重要性を甘くみたびわ湖バレイスカイレースでは人生初のハンガーノック状態となり、自力下山が不可能な状況にまで陥りました。

8月の嬬恋でも事実上の途中棄権。5月の上田もフィニッシュ後2時間も起き上がれなくなるほどのダメージを受けました。

何度チャレンジしても惨敗する上田スカイ

世界選手権も含め、このスカイレースという競技は、自分の適性がある一方、走行時間が長すぎることで現在の自分の体の状態では太刀打ちできない現実もあります。

今年は、2度のDNF状態を経験し、正直来年の参戦は今は迷っているのが正直なところです。

一方で、今年度から始まったバーティカルの国内シリーズ「VGAEMES Japan」においては、最終的に総合10位に入り、Over48の年代別では2位にランクインすることができました。

最終戦のポイントが2倍になることから、数ポイント差で10位に食い込むことができたVGAMES

以前にも書きましたが、ランマニア的には疲労症状が顕在化する前に終えることができる「短距離型トレイル」はおそらく自分のスイートスポットであり、登り適性と年齢の割に高いVO2Maxとで、割と上位で戦える種目となっているのは間違いありません。

特に、「竜王」や「びわ湖バレイ」のように、「走れる急坂」は最も自分に適性があり、この区間が長いレースほど(烏帽子スカイランなど)、同年代の選手に対してアドバンテージが得られる気がしています。

バーティカルが得意でスカイレースが苦手な理由

山を走るのは好きですし、練習でも取り入れたいと思ってはいますが、スカイレースまでは長過ぎて対応できず。そうなると、60分以内で終了するバーティカルは、来年以降自身のトレイル領域での主戦場にしても良いのかもしれないと思っています(3時間越えする富士登山競走も例外的に)。

そして、今年後半以降、例年と少し変えてみたことが、トレイルレースを極力控え、陸上練習を集中的に取り入れるというものです。

例年、10月以降はトレイルレースのハイシーズンで、志賀高原や烏帽子などほぼ毎週のようにトレイルレースが入る状況が続いていました。

これはこれで楽しいのですが、一方で、長いスカイレースが入るとどうしても疲労回復に時間を取られ、インターバルや閾値走など、高い強度の練習を取り入れる余裕がなくなってしまっていたのですね。

ジョグだけでもある程度の力は維持できるのですが、この歳になると最高強度付近の力がどんどん衰えていくため、10年前と比べて意識的にこの辺りの練習を入れていかなければ取り返しのつかないことになっていくことに気づき始めていました。

10年前には何もしなくても維持できていた力が発揮できなくなってきたここ数年

なので、今年は世界選手権が終わって以降、トレイルレースは必要最低限にし、週末の練習をしっかり確保しようと意識しました。

9月に一旦故障で離脱しましたが、この効果を体感できたのは、この12月に久々にロードレースを走った時でした。

ギリギリ呼吸のキツさを我慢できつつ、脚は力強く動かし続けることのできるハーフマラソンは、自分にとって好きな種目の一つなのですが、今年久々にこの種目で手応えを掴むことができたのですね。

久しぶりにロードレースの楽しさを実感できた所沢シティマラソン

タイム的にはピーク期の1時間12分台には遠く及びませんでしたが、この非常に起伏の激しいコースで15分台(平地なら13分台から14分台)で走れたことから、40代前半の頃の最も強かった時期にかなり近づけた気がしました。

また、2週後の駅伝ではフラット5kmの単独走において16分46秒と、久々に16分台で5kmを走ることができ、練習やピーキング次第、またトラックであればもう一度16分30秒以内では走れるのではないかという手応えを感じることもできました。

ここ数週間の練習で、解糖系やVO2Maxの顕著な衰えを感じてやまないのですが、それでもまだまだチャレンジできそうな感覚は得ているところです。

そして、何より今年は大きな故障で長期離脱をすることなく、練習を継続できているのがとても大きいです。

通勤時に練習を入れるパターンが定着し、その中で走行距離を調整し、練習を分割することで脚へのダメージをだいぶ防ぐことに成功している気がします。

本当であれば平日にもう一日高強度の練習を入れたいところですが、間違いなく故障のリスクは跳ね上がると思われ、ひとまず欲張らず週末対応で継続していくのが無難でしょう。

ということで、2023年は久しぶりにロードを走る楽しさ、練習を継続することの楽しさを味わうことができ、近年スカイレースに偏りがちだったライフスタイルを、もう一度陸上寄りに戻したい意欲が出てきた年でした。

来年は、いよいよ50歳となります。

ですが、自分としてはいよいよここから再挑戦という気持ちが強く、トラックからマラソンまで楽しめる実力を取り戻していきたいと思っています。

所沢シティマラソン結果と11月の振り返り

こんにちは、ランマニアです。

ここのところブログに割ける時間が取れず、びわ湖バレイのレビューや11月の月間まとめができずにここまできてしまいました。

今日は毎年恒例の地元のレース、所沢シティマラソン(ハーフの部)に出場してきました。

第34回を数えるこのレースは、実は大学時代の第3回大会から出走していて、途中何度か欠場がありましたが、なんだかんだでもうかれこれ30年近くも関わり続けているレースとなりました。

学生時代は、おそらくランマニアが最も速かった頃で、この頃はまだコースも所沢の市街地を駆け抜け、中心部を巡りながら西武ドームに戻ってくる、かなり「シティ」なマラソン大会でした。

当時は距離も20kmで、箱根駅伝予選会を目標にしていた学生時代の自分にとっては、ちょうどいいベンチマークとなるレースだったのを記憶しています。

それがいつしか、交通規制や予算の関係か次第に「シティ」ではなく「ローカル」な部分を中心に走るコースへ変わり、現在では丘陵地帯の多い所沢の最深部をめぐる、もうほぼトレイル並みの斜度と獲得標高が存在するコースへと変貌してしまったのでした。

昨年はダートを2回走るコースでしたが、今年は1回になった代わりにアップダウンの回数がさらに増えた印象

昨年も、じゃり道を2回走ったり、通常のロードレースではあり得ないような下り坂を一気に駆け下ったりするかなりアブノーマルなコースでしたが、今年はダートが1回になった代わりに、13km以降の急な坂道のアップダウンが小刻みに増えた印象です。

そうしたこともあり、今回は昨年以上に序盤を慎重に走り、終盤の「トレイル区間」でしっかり脚を残して走れるようにすることを目標にしていました。

幸いなことにチームメイトとほぼ同じペースとなり、結局ラスト300mで引き離されるまでずっと引っ張ってもらえる良い展開になりました

ちょうど、マラソンを2時間36分台で走るチームメイトが近くを走っていて、ハーフくらいまでは自分と同程度の力を持っている彼に着いて、少しでも脚を温存することにしました。

とはいえ、実力的には彼の方が上なので、引っ張られながらも呼吸は終始きつく、おそらくLT2を超えるか超えないかくらいのギリギリ保てるペースで走ることを強いられました。

一方で比較的脚は良く動いたため、この苦しささえ我慢すればどうにかなりそう、という見通しを持てていたのも事実です。

というのも、年齢を重ねると、LTペースが若い頃に比べて若干呼吸がキツくなる傾向があり(確かダニエルズの最新版にそこらへんの補正についての記載があったような気が)、呼吸のキツさで判断する「体感LT」よりも、若干キツめでもLTペースとして維持できる傾向を、自分自身体感していました。

なので、そうしたことも頭に入れなが、脚を使いさえしなければあとは呼吸のキツさは我慢するしかないと思い、脚に余裕があるならばできるだけ彼についていくことにしたのですね。

そして、勝負は終盤ラスト7kmからの急激なアップダウンの繰り返される区間だと踏んでいたので、それまでは多少離されても気にせず自分のペースを守り、できるだけ脚を温存させる戦略でレースを進めていきました。

急坂登りはトレイルで鍛えた筋の使い方あったため、そうした区間では彼に追いつき、割と平坦で走力がものをいう区間では離されるというのを繰り返しながら、結局20kmまでレースは進んでしまいました。

キロ表示がほとんどなかったため、時計は一回も見ず、20km地点の定点タイマーの計時を見て、初めて自分のペースを知ることになりました。

1時間10分台後半。

ラスト1kmがかなりの上り坂のことを考えると、どんなに遅くても15分台では行けそうと思い、少し元気が出ました。

昨年は1時間17分ちょうどだったため、それよりも大幅に速いペースで走ってきたことに気づき、手応えを感じたのですね。

並走する彼は明らかに余裕があり、最後の登りでも逆転は不可能だなと思いました。

案の定、最後のカーブを曲がる手前でスパートをかけ、それにはついていくことはできませんでした。

ただ、正直、彼にここまで善戦できるとは想定もしていなかったため、21km手前まで一緒に走れただけでも十分満足してしまう自分がいて、とても勝とうなどとは微塵も思ってもいませんでした。

結局、今年から40代の部に入った彼が40代3位。今年で40代の部が最後となるランマニアが4位という結果となり、自分自身としてはもう十分満足できるレースとなりました。

40代の部最後の年となった今年のシティマラソン。

さて、もともとハーフマラソンは自分の適性の中でもかなり上位に来る距離の一つで、フルに比べると圧倒的に失敗が少なく、良い時は終盤以降呼吸のキツさを押しながら脚でぐいぐい進んでいく感覚の得られるレースができる距離になります。

今回、数年ぶりにそうした感覚が得られ、練習次第ではまだまだ勝負できる距離なのだなと安堵したところです。

そこで、その要因を少し考えてみたいと思い、ひとまず11月の練習をここで改めて振り返ってみようと思います。

11月は主にVO2Maxを中心に刺激を入れた月になりました

11月の一月だけをみても意味がないので、この一つ前の月を見ると、10月は毎週LT域に刺激を入れることを意識した月になっています。

10月は3回LT練を入れ、9月最終週と11月第1週を含めると、だいたい1か月半以上にわたってLT域に刺激を入れ続けてきたことになります

こうしてみると、ダニエルズさんが提唱している「6週間は同じ練習を繰り返したい」という目標が概ね達成できていたことになり、自分自身もこのような期間を常々作り出したいと思っていたところでした。

それを成すために今年意識したのが、例年であればトレイルレースの多くなる9〜11月にそれらを入れず、また山練も最低限に控えたことが挙げられます。

11月はびわ湖バレイに出場したものの、その前後はVO2Maxに刺激を入れていて、びわ湖のバーティカルも事実上VO2Max負荷だったことを考えると、これにしても3週間は継続したことになります。

結果、故障明けの10月以降は6週以上のLT負荷と、3週程度のVO2Max負荷が継続され、今回のレースのタイミングが、体がやや強い負荷に順応してきた時期であったと想像されました。

引っ張られたペースが想定以上に速かったため、終始呼吸のキツさは気になりましたが、脚が最後まで動いたということは、練習のボリューム的にもどうにか最低限確保できていたことが予想されます。

故障した9月は除いて、今年は春以降安定して月350km程度を維持できたことで、ある程度の練習に耐えられる脚ができてきた印象です

こうして振り返ると、今年は4月以降スカイランニング世界選手権のためにある程度の距離を確保し、その時期に距離への適応が進み、一旦故障で休養を余儀無くされたものの、それが疲労をリセットする機会となり、高強度練習を継続できる状態になってきたと思われます。

先日のびわ湖バレイスカイレースもそうでしたが、トレイルレースの体にかかる負荷は想像以上で、例年、継続してきた練習が途絶えさせられる傾向が続いていました。

その結果、本来高めたかったロード&トラックの走力が思うように身に付かず、レースで思うような結果が出ない日々が続いていました。

今回意図的にトレイル系のレースや練習を控えることで、じっくりと純粋な持久的走力を高める練習に向き合うことができ(気持ちという意味ではなく、体力的に)、徐々に体が出来上がっていく実感を持つことができました。

ある程度満遍なく負荷をかけられた11月

今日のレースの様子を振り返ると、だいたい自身の上限に近い実力が出ていたと思われ、今後この強度域の練習を続けてもこの部分の走力を高めるには若干コスパが悪そうに思います。(本当はもう一度3分一桁で1000mのインターバルが継続できる体を作りたいのですが、おそらく故障するでしょう)

12月は、あとバーティカルが1回と5kmの駅伝が1回あるため、VO2Max刺激期間もちょうどそこまでとなると思います。

そうすると、このあたりの能力は一旦ここで開発し終え、少し休養を入れたあと、年明けからはいよいよマラソン向けの練習を入れていこうと考えています。

今年は3月の板橋一発勝負なので、1月、2月の二月間でロング走を中心に脚を作っていこうと思っています。

その間に挟まれる10km程度の駅伝は、LTやVO2Maxを最低限維持するための機会として走り、「最大強度」をかけられる体の機能を維持できればと思います。

今日は久しぶりにロードレースの楽しさを味わえるレース展開となり、もう一度ロードでも再起を図りたいと思えるきっかけとなったことは間違いありません。