明暗を分けた嬬恋と竜王

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週までは2週連続のトレイルレース(厳密にはスカイランニング)に出場してきましたが、先々週は登りと下りのあるスカイレースで、翌週は登りだけのバーティカルでした。

初めのスカイレースは、嬬恋スカイランのスカイリッジ40km ±2700mに対し、バーティカルは竜王の4.5km +1000mと、全く違うカテゴリーと距離特性の種目でした。

そしてその結果も、スカイが最後はDNFに近い酷いレース展開であった一方、バーティカルはかなり手応えを感じる過去最高順位と、はっきりと明暗が別れたのですね。

嬬恋スカイランの、スカイリッジ。登りと下りのを繰り返すのがスカイレースの特徴です

JSAのスカイランニングジャパンシリーズを転戦している人や、世界選手権を一緒に走ったランナーからすると、なぜこれほどまでにスカイとバーティカルで成績が大きく変わるのか、理解に苦しむだろうな、と思います。

世界選手権では日本チームでは完走した中で最下位でしたし、嬬恋にしても先日のバーティカルの順位から比べると、あまりにも結果が悪すぎます。

しかし、当の本人はというと、この結果には全く疑問を感じておらず、むしろ当然こうなるであろうなと、完全に想定内の成績なのですね。

ジャパンチームでも最下位だった世界選手権

古くからこのブログを読んでいる方や、Xのフォロワーさんならご存知だと思いますが、ランマニアは学生時代の慢性疲労症状が完治しておらず、練習やレースにおいてかなりの影響を受けている状態です。

特に、距離や走行時間が伸びれば伸びるほどその影響は顕著になり、本来の各種有酸素能力や持久的能力からすると、あまりにも走れなさすぎることで、よく周囲から疑問を持たれます。

一番目立つ成績は、ハーフマラソンがそのタイムなのに、なぜマラソンはその程度なの?ということですね。

同じ理屈で、スカイレースでも同様な状態が起こります。

バーティカルではしばしば一桁順位に食い込む一方で、距離の長いスカイレースになると一気に順位を落とす、ということも。

5月に40kmのトレイルレースで棄権をしたのもこれが原因ですね。

なので、世界選手権の55kmなどは、大袈裟でなく、完走はほぼほぼ無理だと思っていたため、自分にとっては限りなく奇跡に近い結果でした。

繰り返しますが、とにかくこの影響は、走行時間や距離が伸びれば伸びるほど顕著になります。

バーティカルが得意なのは、登りが強いのではなく、単純に時間が短いからなのです。スカイが苦手なのは、下りが苦手なのではなく、時間が長いからで。

距離が30kmを超えるようなスカイレースでは、疲労症状がてきめんに現れます

このことについては、初期の頃のブログに詳細に書いてあります。興味のある方は参考にしてください。

この2つの記事では「神経系(脳)」の疲労について仮説を立てています

このような、筋を長時間にわたって何度も収縮させる運動を続けると、当然筋肉は疲労します。また、筋収縮のためのエネルギーが徐々に減っていき、最後は枯渇します。

通常、特に健康上問題のないランナーであれば、走りのパフォーマンスの低下は、これらによって引き起こされます。

筋の物理的ダメージかエネルギーの枯渇、また筋繊維の酸化によってももしかしたら走運動が困難になるかもしれません。

ところが、何らかの要因で、筋を収縮させるための電気刺激を発生させる神経系、そのスタート地点は脳にありますが、そこがダメージを受けていると、筋などの抹消組織よりも先に神経系が機能不全を起こすことが、ある程度わかってきました。

これについては、先日Xで 竹井尚哉さんがかなり詳しく解説してくれていました。

ランマニアが学生時代に患ったのは、おそらくオーバートレーニングによるこれであると思われ、以降、長距離種目に対してかなりのハンデを追うことになったのですね。

しかし、竹井さんも言及している通り、この疲労は短距離走ではあまり発現しないとのこと。

これで、今回のランマニアのスカイランニングでの結果にもある程度説明がつきます。

短時間で、しかも比較的速筋繊維が動員されやすいバーティカルにおいてはそこそこの結果が残せ、ほぼ遅筋繊維と有酸素能力を使い続けるスカイレースでは終盤の疲労症状が猛烈に悪化するという現象についてです。

4月からそこそこの距離を走り込み、トレイルの距離も伸びてきたことから、ある程度の有酸素能力や山耐性はできてきたはずです.

なので、世界選手権で55kmを走った後でもそれほど脚のダメージ、肉体的なダメージは残っておらず、練習の効果は実感できました.

それでも、神経系の疲労にはどうしても勝てずに、レース終盤は走ることもできないほどの疲労感に襲われていました.

筋のダメージやエネルギーの枯渇ではなく、神経系が機能しなくなってしまった状態.ここが改善しない限りは、距離の長いスカイレースで満足いく結果を残すのはなかなか難しいだろうなと感じています.

なお、このような神経系の疲労は、努力度とも密接に関係していると考えていて(努力度≒神経系の電気信号の強さ、と考えています)、長い時間を走るには、できるだけ努力度を抑えてペースを維持することが重要であるとも思っています.

筋の出力を上げるには電気出力を上げる必要があり、それこそが「努力度」ではないかと仮説を立てました

一方、ジョグを通して長い距離を走り、心・血管系、呼吸器系、さらにはミトコンドリアなどを適応させていけば、同じペースで走るにも努力度を抑えることができることは変わりありません.

なので、神経系の機能不全があったとしても、長距離能力を高めることは、速く走る為のアプローチとしても変わりはなく、実際、過去そのアプローチでマラソンで2時間40分を切るところまでは到達することができたのですね.

そして、逆に短期決戦で終わるバーティカルなら、まだまだ上位と張り合える力は発揮できることがわかり、現在の状態でも十分競技を楽しめることはできそうだなと感じます.

今年、世界選手権とその後の比較的疲れていた状態で走った嬬恋のレースでは、正直、この体の状態でこの競技を続けるのはかなり厳しいのではないかと思ったのは事実です.

あまりのしんどさに「引退」の二文字もよぎった今年の嬬恋

とはいえ、やれないこともない、というのも事実であり、つまるところ「やるか」「やらないか」なのですね。

今シーズンのスカイレースは、残すところあと1試合(びわ湖バレイ)。

若干走時間が短いとはいえ、かなりの難コース。それまでのトレーニングでどこまで対応できるかを試してみたいと思っています。

なお、明後日は久々のトラック5000mへ出場します。

「短期決戦」ですし、主な強度はVO2 Maxレベルなので、現在の持久的能力のベンチマークとして参考にしたいと思います。

竜王スカイランに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

レースが続き、なかなかブログが書けませんでしたが、とりあえず記憶に新しい一昨日のバーティカルについてまとめます。

今年度の日本スカイランニング協会(JSA)による年間シリーズは、スカイ部門のジャパンシリーズと、バーティカル部門のVGames Japanの二つのカテゴリーに別れました。

スカイ部門の方は、また別の項で取り上げるとして、今回はバーティカル部門であるVGamesについて簡単に説明します。

例年通り、このVamesも年間シリーズに参戦して、その順位に基づいてポイントが加算されるシリーズ戦となっています。

今年度からは総合成績に加え、年代別ごとの「マスターズ部門」が設定され、ランマニアはその中のOver48(48歳から55歳まで)のカテゴリーに属しています。

総合成績は、年間数試合あるVGames対象レースの中の上位4戦の合計ポイントを競いますが、マスターズ部門はそのうちのJSA登録選手しか出場できない「ゴールド」レース3試合と最終戦の4戦のうち上位3戦の合計ポイントで競うことになります。(詳しくはJSAのHPを参照)

今年度からバーティカル部門が別れV GAMES JAPANとして新たにスタート

つまり、最低4戦を走ればどちらの部門も年間ランキングに反映されるため、効率を考えて両部門に共通するゴールドレース3戦と、最終戦を走る計画を立てたのですね。

しかも、ゴールドレースはポイントが1.5倍。最終戦(グランドファイナル)は2倍となるため、この4戦に出場しない手はないわけです。

今年はすでにゴールドレースの上田バーティカルが5月に行われており、そこでランマニアはオーバーペースで失敗し、Over48では2位に入ったものの、総合では25位に沈みました。

調子は良かったもののペース配分を豪快に失敗して25位に沈む

ポイントとしては、総合で18ポイント、マスターズでは132ポイントを獲得しています。

まあ、総合は日本のバーティカル界のエリート相手に戦わなければならないため、ここで上位に食い込むのは相当なレベルに到達しなければならないのですけどね。

とはいえ、マスターズ部門では暫定2位ですから、ここはなんとか最終戦までこの順位以上を維持したいところです。

そんな状況で迎えたのが、今回のゴールドレース、竜王スカイランのバーティカルでした。

ゴールドレースでは第2戦となる竜王スカイラン

前回上田では、調子は最高に良かったものの、それが裏目に出てあまりにもひどいオーバーペースに陥ってしまい、まるでトラックの5000mで1500mのレースペースで突っ込んでしまった時のような足の止まり方をやってのけてしまいました。

酸素の負債が全く解消されないまま急登を登らなければならなくなり、脚の力は残しているのに、全く体が動かなくなってしまったのですね。

そんな苦い経験があったため、今回の竜王では、とにかく序盤は余裕を持って走る、というのをテーマに走りました。

具体的には、10000mを走るときのような「呼吸はかなり上がるものの、これなら40分くらいは脚をしっかり動かし続けられるようなキツさ」を意識しました。

トータル4.5km中、ちょうど半分の2.3kmはゲレンデのやや緩やかな登りです。

ここはしっかり脚を動かして走れますので、呼吸の上がり方と脚のしんどさに注意を払い、慎重になりすぎず、かといってそれなりに力を込めてグイグイと坂を登っていきました。

序盤のゲレンデを上から見た図。はるか下に見えるスタート地点から駆け上がります。

調子が良かったのと、7月にVO2Maxにしっかり刺激を入れていたせいか、久しぶりに登りを力強く走ることができ、中間点の時点で順位も4、5番に着ける快調な走りを見せることができました。

出場選手の層がかなり薄かったのは否めませんが、それでもジャパンシリーズで一桁順位を維持するのは滅多にない機会なので、自ずとテンションも上がりました。

しかし、この快調な走りも、斜度36度の壁のような急傾斜コースに入った途端に一変します。

最後の急登。この傾斜36度の激坂が後半2km続きます。

初めこそ一歩一歩力強く脚を動かすことができていましたが、それも1kmほど過ぎたところで完全に動きが鈍り、後ろから追ってきたマスターズ最強の今井さんにあっという間に抜かれてしまいます。

その後もペースは落ち続け、最後は完全に山力に勝るもう一人のランナーにも、登頂直前で抜かれてしまいました。

一時は4位にまで順位を上げていましたが、最後は山練習の差が露呈した感じです。

結局6位でフィニッシュ。ジャパンシリーズの総合順位としては最高順位でした。

最終順位は6位。強豪が出場していなかったとはいえ、ジャパンシリーズでこの順位に入れる日が来るとは、ちょっと信じられない気持ちでした。

自分より前にいる選手は皆、この世界では超有名エリートばかりですから、おそらくリザルトを見た人は「この6位の人誰?」状態だったと思います。

フィニッシュ地点のゴンドラの山頂駅付近はちょっとした公園になっていました。

フィニッシュ地点は、びわ湖バレイのようなちょっとした公園になっていて、おしゃれなカフェも併設されていました。

バーティカルの最高なところは、こうやってフィニッシュ後に観光できたり、ゴンドラで景色を眺めたりできる余裕があるところですね。

雷が鳴っていたので足早に下山してしまいましたが、本来ならばもう少しこの天空のリゾートを満喫したかったところです。

絶景が見下ろせる展望カフェで。

最終結果は、48分47秒で総合6位。Over48で2位。

昨年出場した選手の記録が、暑さで昨年比約1分遅れの様子だったので、昨年であれば47分台。

そうすると昨年の順位では10番台となるため、まあ妥当なところでしょうか。

急登を登る脚が全くできていないことを考えると、現状、今出せる力は出し切れたように思います。

バーティカルで総合の表彰式に出れるのは貴重な体験です。

さて、今回のレースでは総合で6位となり、ポイントはおそらく96点が加算されます。

マスターズでは再び2位(というか1位は常に今井さんなので、最終戦まで下手したら2位以下でしょう)ということで、132点が加算されます。

ゴールドレースは残すところ11月のびわ湖バレイスカイランのみ。

流石に次回も一桁順位というのはなかなか難しいと思いますが、今回ひとまずバーティカルでの走り方のコツを掴めた印象なので、次回までにもう一度走力の地力を高めて、苦手な急登での差を相殺できるようにしたいと思います。

9月10月はトラックとロードに1試合ずつ出場し、長距離ランナーとしての地力を引き上げたいと思います。

長距離ランナーとしての地力の引き上げを目指して

こんにちは、ランマニアです。

世界選手権から2週間が経ち、そろそろあのレースやイタリアでの生活の記憶も次第に薄れてきた頃です。

帰国後しばらくは時差が戻らず、毎日眠くて仕方がない日々が続きましたが、先週あたりからようやく生活のリズムも戻ってきて、練習にも影響がでない状態になってきた印象です。

そんな昨日は、久しぶりにVO2 Maxに刺激を入れる1kmのインターバルを行いました。

先月のテーマはこのVO2Maxの向上(というか、少しでも元に戻す、といった程度ですが)で、本数は少ないですが、3週連続で1kmのインターバルを取り入れ、徐々に3分15秒前後のペースに余裕が出てきた状態でした。

世界選手権で2週ほど空いてしまい、昨日はそれ以来のインターバル走でした。

脚の疲労はそれほどなかったため、アップの段階で3本はやりたいな、と思っていました。

これまでは山練習の合間にインターバルを入れてきたため、どうしても疲労が残った状態で、3本目は難しい状態でした。

昨日は休養は十分だったため、久しぶりに3本できそうな脚の状態だったというわけです。

結果、3本とも3分16秒前後で走ることができ、体感的にもこの辺りが現状のVO2Maxなのかなと実感したところです。

正直、随分落ちたな、といった感じです。

2016年〜2017年にかけて、40代で最も速く走れていた時期があったのですが、この頃は1500mが4分15秒、5000mが15分50秒、ハーフが1時間12分台、マラソンが2時間39分台と、今にして思うと最強時代でした。

この頃の1kmのインターバルは、調子がいいと3分02秒、3分00秒、2分59秒と、今とは比べ物にならないほどのスピードでこなしていました。VO2Maxよりも若干速いペースでしたね。

体に最高強度の負荷をかけて、呼吸器系、循環器系を維持しようという意図があったように思います。

ところが、この後故障をして数ヶ月ジョグしかできない時期が続き、結果的に復帰はしたものの、次の時には同じスピードで1kmを走れなくなっていました。

どんなに頑張っても1kmで3分5秒が切れない。インターバルだと3分10秒くらいかかってしまうようになりました。

そこからさらに3年ほど経過したのが、現在。

インターバルでは3分15秒がやっと。自分の中では、この1kmのインターバルが持久的能力のベンチマークとなっているのですが、確実に衰えていくのを実感することとなりました。

確かに、練習の中心がジョグですし、定期的にVO2Maxの練習は入れてはいません。解糖系の練習なんてほぼ皆無です。

なので、衰えていくのは当然なのですが、実は7年前の最速だった頃も、特にそうした練習は入れてませんでした。

今と同じような練習でしたが、もともとの地力のようなものであれくらいの能力は維持できていたように思います。

昨日のインターバルも、7月に再開してからもう4回目となるのですが、タイムはほとんど変わらず。

以前も久しぶりに取り入れた際は、確かに若干衰えたな、と感じても、1、2回走ればすぐに元に戻っていました。3分10秒くらいは頑張れば出せていたのですね。

それが、昨日は3分10秒など到底出せそうにないほど、しんどく感じてしまいました。

確実に能力的な衰えを実感する状態でした。

X(旧Twitter)のプロフィール欄にあるように、自身の目標は、トラックやロード、スカイランニングなど、場所や距離を選ばず長距離種目をできるだけ速く走ることです。

7年前はそれがいい形でバランスよく実現できていて、あの状態が理想であると言えます。

とはいえ、故障もせず、体調も落とさず、1年間ずっといい状態で走り続けるのはなかなか難しいと思っているので、今はひとまず故障だけは避けながら、年間通してそこそこの調子を維持したいと考えています。

その中で、トラックやロード、スカイランニングにおいて、そこそこのパフォーマンスを発揮していければと思います。

そのためには、やはり長距離ランナーとしての地力を高め、それを維持することが重要と考えています。

具体的には、長く走る力、速く走る力、これを少しでも高めることですね。

長く走る力は、ここ数ヶ月である程度戻せてきたように思います。しかし、速く走る力は、もうここ何年かトレーニングとして取り入れてきていませんでしたので、意図的に実施しなければならないと思っています。

もう年齢も年齢なので、どこまでスピードを戻せるかわかりませんが、マスターズ最強の利根川さんが、あそこまでスピードを戻せているのを見ると、トレーニング次第でまだまだやれそうな気はしています。

また、ここからどこまで長距離ランナーとしての能力を戻していけるか、挑戦すること自体が楽しみなわけですね。

いずれにしても、故障をしてしまうと全てが振り出しに戻ってしまうので、そこだけには細心の注意を払いながら、再び次の目標に向けてステップを踏んでいこうと思います。

スカイランニング マスターズ世界選手権

こんにちは、ランマニアです。

3月に出走を決めた、スカイランニングマスターズ世界選手権。

マスターズの世界選手権は今年が第1回大会ということで、日本のみならず世界各地のベテランスカイランナーたちから大きな期待を持って迎えられました。

第1回大会は、イタリアはピエモンテ州にあるグランパラディーゾ国立公園内に設定されたコースを走る「Royal Ultra Sky Marathon」がその舞台となりました。

このRoyal Ultra Sky Marathonは、もともとこの地で2年おきに開催されてきた地元では有名レースで、前回大会はコロナ禍で中止となったものの、その前の大会はワールドシリーズにも設定されていたほどの本格的な上級者向けレースです。

この時は日本の上田瑠偉選手が3位に入る快挙を果たしました。

そんな、言ってみれば「国際基準」のレースであるため、コースもそれ相応の難易度となっており、距離は55km、累積標高差は+が4140m、−が4500mと、スカイレースとしては屈指のボリュームとなっています。

スカイランニングのカテゴリーとしては「SKY ULTRA」に位置し、スカイランニングとしては最も長い距離を走るカテゴリーとなります。

国内レースでは、過去には志賀高原エクストリームトレイルにこのULTRA部門が設定されたこともありましたが、1年を通して1度あるかないかの希少なカテゴリーとなっています。

ランマニアも、スカイレースではULTRA種目には出場したことがなく、最長でも40kmのSKY部門までです。

したがって、今回このレースに出場するにあたっては、相当な覚悟を決めてエントリーしたということになります。

正直なところ、エントリーした時点では、完走はほぼ難しいだろうなと思っていたほどです。何せ、これまで累積4000m越えは経験したことがなく、最長のトレイルレースでも52kmが精一杯なところでした。

本コースのプロフィール。大会公式ブリーフィング資料より引用。

このコースプロフィールを何度も見返し、4月の時点では、正直完走するだけでも相当な準備が必要になるだろうなと想像していました。

結果的に、そのために想定していた準備はどうにか完遂することができましたが、自分の中ではこのコースを走り切るにはまだまだ不十分であったと実感しています。

4ヶ月間、テーマを決めて計画的にトレーニングを行ってきましたが、ある程度は目標を達成できたと思っています。とはいえ、このレースを走るために必要十分であったかというと、そこは疑問が残ります。

さて、現地入りしたのち、前日は開会式がありました。各国の代表メンバーが国別に紹介され、いわゆる「お立ち台」でプレゼンテーションされます。

会場に集まったナショナルチームの様子を見ていると、これがまぎれもなく国際大会、しかも世界選手権の舞台なのだと強く実感しました。

各国の代表には地元の住民や居合わせたチームのメンバーから惜しみない声援が送られ、小さな村のこれまた小さな広場が一瞬で国際レースのメイン会場となってしまいました。

会場までの「足」がなかった我々を見つけて、急遽「乗っていけよ!」と声をかけてくれたセルビア・モンテネグロチーム。本大会では、多くの海外チームとの交流がありました。

特に日本選手団にはより多くの声援が送られ、遥か遠くアジアの小国からやってきた我々が、ヨーロッパ発祥の競技の中にあっていかに特異な存在であるかを知るに至りました。

もちろん、この声援の影には、前々回大会で3位に入った上田瑠偉選手や8位に入った高村貴子選手の存在があったことはいうまでもありません。

大声援に応える日本選手団。イタリア人親子から記念写真をせがまれる場面も。

そして、いよいよレース当日。

スタート地点へはシャトルバスで山道を1時間かけて移動しました。なんといってもスタート地点の標高は1800mもあります。車でもそう簡単に辿り着ける場所ではありません。

スタート地点へ立つと、動画で何度も見たこの地に、本当に自らの足で立ち、自分がこのレースの参加者となっていることがすぐには信じられない感覚に陥りました。

それほどまでに現実離れした光景、圧倒的なスケール感で迫ってくる山々の迫力に現実感が薄れていったのですね。

スタート地点は標高1800mにあるテレッチョ湖の堤防。

スタートして1kmほど走ると、登りはすぐに始まります。

今回は、とにかく完走を第一目標としたために、絶対にオーバーペースにならないようにとスタート位置をかなり後ろに構え、周囲のランナーに合わせて抑えめのペースで走ることにしました。

ところが、いきなり最初に用意されている累積1000mの登り区間は、思った以上に狭いシングルトラックで、ここで渋滞によってだいぶタイムロスをしてしまいました。

初っ端から渋滞に巻き込まれ、第一関門である累積1000m地点の通過タイムが気になり始めます。

とはいえ、まだまだ元気な状態では調子に乗ってオーバーペースに陥りやすいため、結果的にこれくらいのゆったりとしたペースで登り続けられて脚は温存できたのかもしれません。

最初のチェックポイントは約5km、累積1000mの地点にある岩だらけの峠です。

ここは、大きな岩が幾つも折り重なり、かろうじて人が数名そこを通れるようになっている場所であるため、選手のチェックと給水とでここでも渋滞が生じていました。

第一関門の制限時間は2時間15分。ここの通過は約1時間45分。渋滞にハマったので結構ギリギリでした。

レースプランでは、この始めの1000m登りでいかに脚を温存し、余裕を持って次のセクションに移れるかが鍵だと思っていました。

今回想定外の渋滞にハマりましたが、そのおかげで脚は十分温存でき、トータル4000m以上の累積標高のうち、初めの1000mをほぼ脚を使わずに登り切ることができたのでした。

さて、ここから先は下り基調で一旦また標高を下げます。ちょうど太陽の当たらない尾根の反対側に移ったせいか、気温も急激に下がり、持っていたアームウォーマーが再び必要になるほどの気温差でした。

おそらく一日中陽が当たらない場所であるためか、急斜面に雪渓が残りロープを使いながら滑り台のように滑り降りる場面もありました。

序盤の区間には雪渓が多く、前回大会では簡易アイゼンの装着が義務付けられていたほど。

ただ、本来はもう少し残雪が多く、この部分を一気に滑り降りられるため、むしろ雪がある方がフィニッシュタイムが良くなる傾向があるとのこと。(これは登り区間にも言えることです)

今回、この残雪が少ないことから、逆に序盤の関門が若干ゆるく設定されていました。

最後まで走って分かったのは、序盤のこの岩場区間が、結果的にこのコースで最もテクニカルな部分だったということ。各関門間のペースも、この序盤の岩場区間が最も遅くなっていました。

とはいえ、走りにくい(歩きにくい)区間はここまでで、この先はいよいよ文字通り「スカイランニング」と呼ぶに相応しい、天空の楽園(パラディーゾ)を舞台にしたセッションが待ち受けていました。

岩場区間を越えると、一気に視界は開け、大草原のコースが舞台となります。

この先に待ち受けているのは、本コースの最高地点である標高3000m超の峠までの登り区間。

先述した標高図を確認すると、ここを越えてもまだ距離も累積標高も半分にも満たないため、ここをクリアしてもまだまだ脚を取っておかなければなりません。

そのため、この気持ちの良い走れる区間でも極力ペースは抑えて、登りも下りもじっくりと歩を進めていく必要がありました。

自分でも、こんなにゆっくりでいいのか、と疑いたくなるほどの余裕があるペースでした。

距離が短ければ当然ぶっ飛ばすはずの快適なトレイル。ひたすらペースを抑えて我慢です。

ちなみに、この区間に少し大きめのエイドがあるのですが、心配されていたエイドの中身はそこそこ充実していました。

飲み物は、水、炭酸水、コーラ、スポドリ(まずい)。食べ物は、パイ、ウェハース、チョコ、角砂糖、柑橘系フルーツなど。

水はその場で湧き水を汲んできたものなので当然美味しいわけですし、ウェハースだけは口に合うお菓子だったのでこればかり食べていました。

なので、1L未満の水とカロリーメイトと羊羹だけしか持たずに走っても、最後まで補給についてはノープロブレムでした。

一際目立つスタッフさんの青とオレンジのTシャツ。トレードカラーのTシャツが見えるとそこがエイドだとわかる仕組みになっています。

このエイドを過ぎ、しばらく走ったところに第2関門があり、そこも約30分の猶予を残して通過。

そこからいよいよ標高3000mへ向けて一気に登りが始まります。

遥か彼方に見える窪みがコース最高地点。進めば進むほど酸素が薄くなり同じメースを維持するのがキツくなります。

このセクションは、初めは草原の中の気持ちの良い場所を比較的長めの九十九折りを繰り返しながら進み、後半は岩と砂礫だらけのやや急な登り坂をダラダラと進んでいきます。

みるみるうちに標高が上がっていくため、気がつくと呼吸がキツくなっています。それと同時に温存してきたはずの脚も次第にだるくなってきます。

まだ残り30km。累積は2000m以上残っています。

まだこの時点でも本当に完走できるか疑心暗鬼でした。

遠くに見えていたこの「コル(窪み・峠)」もいよいよ目前に。急傾斜と砂礫が体力を奪います。

実は、この登りの最中に同じジャパンチームのメンバーに追いつき、ここから二人で抜きつ抜かれつで一緒にレースを進めることになります。

お互い、下りと登りの得手不得手があり、結果必ずエイドごとに一緒になり、そこで励まし合いながら終盤までレースを展開していくことになりました。

国際大会においては、レース中のチームメイトの存在が本当に力になることを実感した瞬間でした。

さて、どうにかこの最高点を文字通り「乗り越え」、脚がどれくらい残っていたかというと、実は想像以上に脚のだるさが進んでいたのですね。

まだ残り半分以上ある中、この体のしんどさでどこまで持ち堪えられるか、正直全くの未知数でした。

しかし、壮大な景観と世界選手権を走っている高揚感、そしてチームメイトとのデッドヒートがモチベーションを維持させ、だるいながらも残っている脚力を少しずつ使いながら緩やかな下りを走り続けました。

3000m地点を越えると、そこからしばらく標高2500m付近を延々と走り続けることになります。思い返すと、このセクションでだいぶ酸欠が進んでいったように思います。

ここから先は、標高2500m以上のルートで3回も急峻な登りが繰り返されます。斜度はこれまでで最大のところもあり、流石に完全に動きが止まる場面も出てきました。

急な登り坂では、歩いては止まり、止まっては歩くを繰り返さなければならなくなり、ペースもガクッと落ちてきました。

この頃になると、登り区間を中心に呼吸の苦しさが尋常でなくなり、脚よりも呼吸がきつくて動きが止まるようになってきました。

少し休めば呼吸が回復しまた進めるようになるので、だいぶ酸欠が進んでいたように思います。

そして、終盤のレースを最も苦しめることになる気持ちの悪さがこのあたりから徐々に進行してきました。

3回の急なアップダウンを繰り返した先にある3つ目の関門。ここでリタイアとなった選手も多く、私も残り時間30分とあまり猶予はありませんでした。

3回目のチェックポイントは観光道路が接続しているダムの堤防上で、久しぶりに平坦な整地路を走れる区間がありました。

しかし、この平坦ななんでもない道ですらジョグをすることがきつく、最後は歩いてしまうほど疲れはピークに達していました。

ここからしばらく下った後、一気に累積800mを登る本コースのラスボスが待っています。

レース中、とにかくこの最後のセクションを意識して体力を温存してきたのですが、この関門の時点で登りはおろか平坦でさえ走るのが厳しくなってきた状態でした。

まさに、本当の勝負はここから、です。

スマホのバッテーリーが切れ、ここから先は現地入りしてすぐに試走した際の写真。この地点は、最後の累積300mを上る手前の平坦区間を逆方向から見た場面。写真奥の方に最終関門があります。

ここでスマホのバッテリーがなくなり、すでに写真はないのですが、とにかく最終関門までの道のりが厳しく、関門までの累積500mの登りは尋常でないキツさでした。

もう完全に体を動かせる体力は尽きていましたが、一歩一歩脚を動かし、必ずこの登りに終わりは来ると言い聞かせて、最後の関門を目指しました。

ここでも、レース中止の時間まで残り30分程度。

止まりかけたとは言え、常に脚は動かし続けてきたことを思うと、この関門は相当厳しい設定だな、と思いました。

いや、そこはやはり世界選手権。普通に歩いて間に合うような関門設定ではないのだな、と改めてコース難易度の高さを実感することになりました。

中央に見える川のさらに下流に最終チェックポイントがあり、最終的にはこの撮影した場所まで登ってくることになります。

そしていよいよ、最後の登り。最後、累積300m。

これを登れば、もうあとは5kmの下りのみ。ここまできたらやり遂げるしかありません。

しかし、本当にきつい最後の登り。はてしなく長い累積300m。

上に見える大岩の下部がこの登りの到達点。目の前に見えるのに、全く近づいてこないあまりにも急峻な登山道。

脚を止めて休んだ回数は数えきれず。時には岩に腰をかけて休んでしまうことも。

気持ちの悪さで水さえ受け付けず、ただただ目の前の急坂と向き合うのみ。進まなければ終わりも来ず、進めばすぐに脚が止まり。

しかし、こんな状態で不思議なことにふと「これで終わってしまうのがなんだか残念な気もするな」という気持ちも芽生え、いよいよこの過酷なレースに終わりが近づいてきたことを悟り始める自分もいました。

きつくて吐きそうでさっさと終わりにしたいのに、楽しみにしてきたこのイベントがもうあと1時間もすれば終わってしまう寂しさみたいなものが、この期に及んで湧き上がってくるのですね。

最後のコルからは遥か下方にフィニッシュ地点のチェレゾーレ湖が一望できます。初見のランナーはあまりの遠さに絶望したことでしょう(我々は2日目に試走で訪れていました)。

最後の登りをクリアしても、まだ終わりません。

そこからフィニッシュ地点までは、残り5km、960mを一気に駆け下ります。

標高が高いため、下りですらも呼吸がきつく悪心も増してきます。着地を支える力も徐々に失われてきており、途中からは下りですら歩きに変わってしまう状態でした。

それでも、下り続ければ必ず終わりはやってくる。それだけを考え続け、最後のセクションと向き合い続けます。

下りの途中からようやく森林限界が終わり、木々に囲まれた登山道を進むことになります。写真は試走時のもので、本来ここを下ってきました。

試走時は1時間もかからなかったこの下り区間ですが、もう走ることもできなくなっていたため、コルの時点で走ればまだ11時間台も狙えた状態も、途中であっさり12時間を超えてしまい。

夜が長いとはいえ、流石に午後6時半を過ぎれば若干空気も夕方のそれに変わってきており、本当に1日を走り通してしまったのだな、と唖然とした気持ちになりました。

チームで10時間を切れたのはただ一人だったことを考えると、やはり相応の時間をかける必要のあるレースであると、改めて感じます。

日本と違って「転載禁止」などとセコいことは言わない公式さんの写真。JSA(日本スカイランニング協会)もそうですね。

最後、登山道を出ると700mほどのロード区間があります。

試走の時は、ウィニングロードだ、なんて思っていましたが、全くもってそんな気分にもなれず。ただ、走る脚は意外と残っていたため、おそらくキロ5分台では走り通すことはでき、最後の直線は生意気にスパートなんかをかける余裕もありました。

フィニッシュ後、主催者さんがこの順位でも待ち構えてくれていて、イタリア語でよくわからないことを叫ばれ、ものすごい握力で握手をされたのが印象深かったです(多分、「お前は凄い!これを完走しただけでも偉大だ!」みたいなことだったことにしておきます)。

今回の派遣メンバー。SNSでどんどん広めて、と言われているので遠慮なく掲載させていただきました。

最終結果は、176人完走中の143位。12時間35分47秒。

ジャパンチームは2人がDNFで3人が12時間台。3人が10時間台で1人が9時間台という結果でした。

国別順位は上位4人のトータルポイントで4位が決定。惜しくもメダルはなりませんでした。

4年前の上田瑠偉選手が6時間台。高村貴子選手が8時間台だったことを考えると、彼らが如何にずば抜けているかがわかります。

我々のメンバーも、国内ではそこそこの戦績を残している選手ばかりでしたからね。

とにもかくにも、自分自身の目標としていたマスターズ世界選手権で完走を果たすことは叶えることができました。

チーム内順位が最下位というのは、ちょっと悔しい部分もありますが、そこは超長距離が苦手分野の自分としては致し方ないところでもあるかなと思います。

いずれにしても、今回まさか自分のような平凡な一般ランナーがイタリアの地に飛び、世界選手権に日本代表として出場するなどという、通常得難い体験をすることができたことは、まさに夢のようでありました。

「信じれば夢は叶う」とか、いいおじさんがこの歳で吐くセリフではないですが、「イタリアでスカイレースに出たい」と思い続けてきたことが、本当に叶ってしまうのだな、と自分でも驚きながら走り続けた12時間でした。

しばらくはこの余韻に浸らせてもらい、この先のことはまた少ししたら考えようと思います。

一旦「レポート編」としてこの記事は終了します。

なんだかこれが最後にならないような気がするノアスカの村。

7月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

世界選手権、無事完走し日本に戻ってきました。

その様子については別にまとめるとして、今回はひとまず遅れていた7月の振り返りをしたいと思います。

この7月は、月末に本番が控えていたこともあり、トレイルに特化した練習計画を組み、実際にそれを実行に移すことができました。

7月は1週目からトレイルを毎週取り入れ、脚を山に慣れさせました

本来であれば、7月中に一度は累積3000mを超えるロングトレイルを入れたかったのですが、暑さとスケジュールの関係で、なかなかそこまでの距離を踏むことができず、3週間でトータルの累積が5000m弱になるというのが精一杯のところでした。

それでも、5月の時点で、今よりもまだまだ山練が足りてなかった頃でも箱根外輪山の50km近い距離と3500mに迫る累積標高をクリアできていたことから、7月の練習くらいを積めておけば、本番はどうにかなるのではないかという期待はありました。

結果的にそれは正しかったのですが、なぜそこがうまくいったのかは、また別の機会に考察しようと思います。

総距離55kmのロングレースがあったとはいえ、月刊距離の約3分の1をトレイルが占めた7月

7月の総距離の約3割はトレイルとなりました。

レースも含めれば、累積標高差が10000m近くになるのも人生初です。

レースのために計画的にトレイルを入れてきたのですが、レースも含めると、結果的に7月はトレイルを走るための大きなトレーニング期間となったのは間違い無いでしょう。

8月には嬬恋スカイランという若干長めのスカイレースがありますが、それに向けてはとても良い集中的トレイル期間となったとも思っています。

7月は月間380kmを超えてきました

当然、55kmものレースがあったことは大きかったですが、ただそれを入れても月間走行距離が今シーズン最長の380kmに及んだことはレースに出走するにあたり、大きな自信となったことはいうまでもありません。

当日のレース内容が、過去最長の55km超(一説には59kmという話も)、累積標高が4100m超という未体験のボリュームであったため、7月までの4ヶ月間でクリアしなければならない課題がいくつかありました。

その中で、最も重要な要素は、①距離にして50km以上のトレイルを走り続ける脚力と有酸素能力、②4000mもの垂直移動(体重を持ち上げる脚力と衝撃に耐え続ける脚力)を可能にする脚力の2点でした。

結果、トレーニング期間中にそれを証明する機会は訪れませんでしたが、レース本番の内容と結果を考えれば、それは概ね達成できたものと考えて良いと思っています。

さて、この7月を含め、4月からの4ヶ月間に及んだトレーニングがレース本番にどう活かされたのか。そして、一方ではまだまだ足りていなかった要素は何なのか。

そのあたりは、次回のレース当日の内容をまとめた記事で考察していきたいと思います。