こんにちは、ランマニアです。
今月二度目のマラソンレース、つくばマラソンに出場してきました。
今年から松本マラソンが陸連コースとなり、二週間前には数年来の念願叶って松本でマラソンレースを走ることができました。
ただし、初マラソンから毎年のようにエントリーしてきたつくばマラソンとも時期が重なってしまい、当初はどちらかで記録を狙えればいいと思い、2レースともエントリーしておいたのですね。
その結果、今週のつくばマラソンは、マラソンレースからわずか二週間後にもう一度マラソンレースを走るという、異例のスケジュールとなってしまいました。
ただでさえ二週間ではマラソンの疲労は抜けるはずもなく、また松本のコースは非常にダメージが大きいアップダウンの激しいコースだったため、正直このつくばマラソンはジョグに毛が生えた程度の走りしかできないものと想定していました。
実際レース当日も、レースの日とは思えないほど寝起きが悪く、車で移動中も睡魔に何度も襲われ、松本の疲れがまだまだ残っている印象でした。
また、レース当日の調子のバロメーターとも言えるトイレ問題も、疲労の影響からかなかなか腸が動き出さず、スタート30分前になってようやく済ますことができた状態でした。
こうしたネガティブな情報ばかり蓄積していたため、スタートエリアで待機中も全くモチベーションの上がらず。
やはり二週間に二度のマラソンレースは無謀だよな、とかなり後ろ向きな気持ちで号砲を待っていたのですね。
スタートしても,松本のような軽やかな脚の動きは全くなく,42km走り切るだけの余裕を持って走ると体感的にはジョグのような速度感にまでペースが落ちてしまう印象でした。
過去何度もマラソンを走っていると,スタート時の体調や脚の感覚で大体その日の結果が予想できてしまうものですが,今回は典型的な「ダメな日」のそれでした。
初めの1kmの通過を確認すると,3分56秒。
通常興奮して脚がよく動いてしまう入りの1kmはたいてい少し速すぎるラップになるものですが,その中でこのラップはあまりにも遅すぎて軽くショックを受けたほど。
「こりゃ本当にダメだわ」と早々に覚悟を決め,今日はとにかく最後まで文字通り「走り切る」ことを目標に,下方修正することにしました。
この「いつまでも走っていられる努力度」を常に意識しながら,脚の疲れ具合と努力度だけに細心の注意を払いました。
ちょっとでも無理にペースを維持しているような感覚があればすぐに緩め,脚の疲労を感じればさらにペースを下げる,という準備をしながら集団の後方につきました。
そして,入りの1km以降はもう時計を見るのをやめました。
1km毎に「ペースが落ちた」だの「ちょっと持ち直した」だの,いちいち考えるのはエネルギーの無駄ですし,その都度ペースを微増させたり落としたりするのもかなりのエネルギーロスにつながります。
そうした中で,ラップ計測用のマットを通過する際にだけオフィシャルのタイマーが目に入ります。
5kmは19分40秒台。
相当に遅いですが,しかし一方ではこんなにジョグみたいな感覚で走ってもキロ4は切ってるのか,と少し心の余裕が出たのも事実。
今日は最後までこのペースで走ればいいや,と気持ちも楽になりました。
そのままその集団の後ろで風を避けながら10kmの通過。39分10秒台。
思ったよりもペースが悪くないことに気づき,ようやく気持ちも前向きになってきました。さらに,ノーアップでスタートしたせいか,ここへきて脚の動きもむしろ良くなってきているのを感じました。
そして,ここで「今日は30kmからペースアップをする。そのために,30kmまでは可能な限り温存する」というレースプランが頭に浮かび,ここからの20kmは最後の12kmを走るための温存区間だと言い聞かせるようにしました。
気温が低かったこともあり,給水も22kmまでは手をつけず,淡々とこのキロ3分50秒台の努力度を維持し続けました。
ハーフは1時間22分台後半。
松本マラソンよりも遅い通過でしたが,松本はこの時に「山の神」をやり終えてかなり脚にきていたことを考えると,今日は信じられないほど脚はノーダメージ。
とはいえ,マラソンの「残り半分」は実はようやく「スタート」なので,まだまだアクセルを踏んではいけません。
ここからペースアップして過去何度失敗したことか。
20〜30kmこそ,マラソンでの「温存区間」なのですね。
1回目の折り返し地点が近づくと,沿道の応援がものすごく,ついついペースが上がってしまいますが,とにかく30kmまでは力を抜かなければ,とあえてストライドも抑えてリズムを整えます。
ところが,走行しているうちに,遥か遠くに見えていた「2時間45分集団」が次第に近づいてきていました。
全身の力を抜いて,ピッチをしっかり整えることで,むしろペースは上がっていたのです。
これは今回のマラソンで初めて体験した現象で,後で思い当たったのは,もしかするとこれが厚底カーボンシューズのアシストなのではないか,と。
力んで無理に前へ進もうとするよりも,力を抜いて接地で得られたエネルギーを殺さないように自然に足を前に出すだけで,かなりアシストが得られるのではないか,と。
この感覚を身につけてから,努力度は変わらないものの,むしろペース自体は次第に上がりつつあり,ついに迎えた30km地点ではすでにその集団に追いついてしまいました。
この集団について行っても45分で行けるなら,もうここでいいかな,と一瞬よぎりましたが,気づくと集団の先頭に立ってしまっていたため,「もう行ってしまえ」とペースは抑えずにそのままのリズムで走り続けました。
この辺りからは,もう「SEIKOタイマー」もほとんど確認せず,自分の努力度と脚の疲労だけに注意を向けながら,残りの距離との兼ね合いを考えていました。
大通りから急坂を上って筑波大学への県道に入る35km過ぎでも,過去最も元気に急坂を上ることができました。
筑波大学構内に入って37km地点。
流石に脚の動きが鈍くなってきて,これはペースダウンしてきたかな,と思い,このあたりからようやく努力度を明確に上げていきました。(後から知りましたが,実は最後の5kmは最もペースが上がっていました)
40kmを通過。ここで初めてタイムを意識しました。
どうやら最後の2.195km次第では,2時間43分台も狙えることがわかったからです。
しかし,何度も走ったつくばマラソンです。この先に控えている「ラスボス」,最大の難関のことは常に頭に入れながらここまで走ってきています。
ラスト1.5km地点にある,跨道橋のアップダウン。
距離にしておおよそ200mの急な上り。ほとんど終わってる脚でこの坂を登るのはどのレベルのランナーでも相当な苦痛となります。
もうここは正直「気合い」で乗り切るしかないのですが,それでもその後まだ1kmも残っています。
ラスト1kmは苦痛との戦いです。
松本マラソンほどのしんどさはなかったものの,どんな走りをしても,マラソンの最後の1kmは同じようなしんどさはあります。
フィニッシュが近づけば近づくほどキツさは二次関数的に増加していきます。沿道からは「後ちょっと」と言われますが,全然「ちょっと」じゃないわけで。
競技場に入り,最後の直線で2時間43分10秒台。
スタートの時点では全く想像もしていなかった高記録に,自身でも驚きの結末でした。
終わってみれば,2017年東京マラソン以来の2時間45分切りを達成。
しかも,マラソン2週間後の「再マラソン」という暴挙に出た中で,という自分でも予想していなかった結果です。
いろいろ考えましたが,一つは4月以降総走行距離が伸び,だいぶ回復力が上がってきたこと。
そしてもう一つは,やはり厚底シューズの恩恵かな,というところです。
確かに,Adios Pro3の衝撃吸収性能は驚くほど高いですし,かなり大腿部を使って走れるため,ふくらはぎのダメージがほとんど残らないのですね。
大腿部は筋肉が大きいのでその分回復も早く,2週間でもどうにかマラソンが走れるほどには回復したのだと考えています。
とはいえ,2週間で2本は基本やってはいけない「暴挙」なので,今回は例外中の例外ということで,2度とやるつもりはありません。
一方,やはり総走行距離の増加はマラソンレースそのものや,長いスパンで見たリカバリー力にもかなり効果をもたらすことがわかり,今後も無理のない程度に距離を伸ばしていこうと考えています。
いずれにしても,ようやく以前のようにマラソンのレースを楽しめるほどに走力と体力が戻ってきて自信がついたのと同時に,まだまだ記録にチャレンジできる体であることにも気づけ,まずは一安心といったところです。