必ず這い上がる

こんにちは、ランマニアです。

ブログの更新、ご無沙汰しています。

ちょっとこの4月に色々ありまして、実はランどころではない日々が続いていました。

就職して24年間、当然いろいろな出来事が降りかかってくるわけで、社会人ランナーが競技を続けていくことは想像以上に大変なものがあるのですね。

それでも今までは、仕事や人生のトラブルが原因で走るのをやめたことはなく(病気ではあります。過去記事参照。)、ランマニアが「走るどころではない」と思ってしまうのはよほどのことです。

ここはランブログですので詳しくは書きませんが、実はこの4月に仕事ができなくなりました。

解雇されたとか職を無くしたといったわけではないのですが、ひとまず仕事を休むことになりました。ただ、今後この仕事を続けていけるかは、今のところなんとも言えない状態にあります。

そんなことでしたから、今の頭の中は将来の先行きのことでいっぱいで、気がつくとツイートするのを忘れていたり、練習するのがしんどい日も何日かありました。

ようやくここ何日かは気分も安定して練習にも気持ちが向くようになり、こうしてブログにも書けるような状態に戻ってきました。

今後数ヶ月、仕事の方がどうなるかはわかりませんが、ひとまず今は今やれることを継続していこうと考えています。

そんな矢先、今日の練習でふくらはぎの故障が再発してしまいました。

なんでこう言う時に、って言う時に、悪いことは重なるんですね。

メンタル的には走ることがだいぶコーピングになるわけで、それすらできなくなるのは正直痛いです(脚も)。

故障の方は、多分、ずっと完治しないまま練習を再開していることが原因なのでしょう。

何度もこのブログに書きましたが、今回のふくらはぎの肉離れ(実際には切れるほどの重症度ではないですが)は、痛めた後わりと早期に痛みは消えていきます。日常生活では痛めていることを忘れてしまうほどで(足底筋膜炎のように歩いたり立ったりしているだけで痛みがあるのではないので常に痛みを意識することがない)、なんか走れそうだぞ、とすぐに思えてしまうのですね。

1月は、ジョグなら痛まない、と言うことで距離は据え置きでジョグとMペース走を中心に300km以上走れました。

2月は、そのツケが回ってきて、練習中に痛みが出ました。しかし、ウォーキングを挟んで練習を再開。しばらく続けてまた痛みが再発。

3月は、本当にちゃんと休もう、と思って4日間のノーランデーを設け、その後も1日に1kmずつというゆっくりとしたペースで練習を再開。2週間まるまる、6km以下のジョグしかしていなかったものの、ジョグの距離にして15kmほど、トレイルも累積700程度で、またふくらはぎが限界を迎えました。

これはどう考えても練習をやりすぎて痛めたと言うよりは、完全に治っていないために少し負荷を上げていくとその部分が限界に達してしまう、というメカニズムなんだと思います。

これも何度も書きましたが、数年前なら痛みがない状態で数kmのジョグを継続しているうちに完全に治っていったものです。

今回も痛みがすっかりなくなり、このまま治ると思っていたところでの再発に、ちょっと衝撃を受けているのですね。

確かに、一昨日のトレイルでは、急な登山道をふくらはぎの力を使って登り続けはしましたが、ふくらはぎが張るようなことは(左右とも)全くなく、特に大きな負荷がかかった印象はありませんでした。

それだけに、「こんなことで?」と思えるくらい意外でした。

しかし痛めてしまったものは仕方がありません。

3月、2月に比べると痛みの「深度」みたいなものは浅く、場所も別のところなので元々の場所は治っていると思うのですが、そこの強度が足りていないために別の場所を痛めてしまったのでしょう。

ふくらはぎ全体の損傷・炎症が完全に引いて、しっかりと筋力を発揮できるようになるまでは大きな負荷をかけてはいけないなと思います。

仕事ができない状態で全く走らないことのメンタル的な心配がありますが、今回は思い切って2週間の休養を予定しています。

前回は1週間休むと言いながら5日目からジョグをしてしまいました。

今回は本当に2週間完全に走るのはやめます。ただ、週に1回くらいは軽い登山やハイキングはしようと思います。

あと、やらないよりはマシ、と言う程度ですが自転車をついに導入しようかとも(実はクラシカルなロードバイクを持ってるんですよ。交通事故が不安だったのと、心拍上げるにはそれなりのスピード出さなければならず場所がなかったことが理由で取り入れてなかっただけで。8年くらい放置してしまったのでチューブ入れ替えた方が良さそう。)。

ここまでまともに走らない日々が続くと、昨年12月までの完全な「競技者」時代はちょっと過去のものになり、自分の中でようやくあの頃と比較せずに練習を再開しようと言う気持ちになっています。

色々とうまくいかないことが重なっていますが、過去の人生を振り返ってみると、こう言う時が最も大事な時で、ここを凌ぐと必ずステップアップできていました。

今はちょっとしんどいですが、必ず這い上がってきますので、それまでTwitterとブログを細々と続けていこうと思っています。

休むこと以上に戻し方に気を使う

こんにちは、ランマニアです。

さて、今週は4日間のノーランデーを挟み、一昨日からは1km、2km、3kmと距離を1kmずつ伸ばしてのリハビリジョグを開始したところです。

高校時代に、練習再開後にいきなり距離を戻して痛い目にあった経験から、こうした故障明けにはよく取り入れていた再開方法です。

別に1kmという単位にこだわる必要もないのですが、なんとなく1日ごとの体の適応を考えると、1kmくらいの区切りがちょうどいいかなと思っています。

故障をして走る距離が一気に減ったり、全く走らなくなったりしても、突然翌日から走力が衰えることはありません。

筋肉の持久的能力に関係するミトコンドリアの量にしても、練習をすっかりやめてしまっても、1週間から10日くらいまではそこそこ維持できることがわかっています。

なので、4日くらい全く走らなくてもそれほど気にすることもない。

と言いたいところなのですが、ランマニアの場合は、1月まではまだいいとして、2月以降、走る距離も強度も昨年12月までと比べると、感覚的に7割から下手すると6割くらいまで落ち込んでしまっているため、この4日間の休養以前にかなりの期間練習量が低下してしまっている現実があります。

おそらく、昨年のLTレベル以上のペースで走ろうとすると、すぐに苦しくなってしまい、長くは走れないだろうな、と容易に想像がつきます。

また、5月に控えているスカイレースにしても、急な登山道の登り下りに使う筋肉なんかも相当に衰えていると思われ、いきなり強い負荷をかけるのもはばかれる状態です。

なのでこの状態でいきなり練習量を戻そうとすると、1回1回の練習はこなせても、それを継続するには回復力が追いつかない、という状態が待っているのですね。

2月3月はそこを考慮せず以前の練習に戻そうとしてしまったために、しっかり治りきっていない部分に回復量を上回る負荷がかかってしまいました。

そうしたこともあり、今はその回復力を取り戻すためにも、いきなり負荷のかかる練習はせずに少しずつ筋力を取り戻そうとしているところです。

このふくらはぎの故障、30代になってから急増しました。

20代の頃はどんなにふくらはぎを酷使してパンパンに張ってしまっても、痛めると言うようなことは一切なかったのですね。

ふくらはぎの筋肉痛はもはや練習が追い込めている証拠くらいに思っていたくらいで、その張りが引いてしまうとちょっと練習不足かな、みたいな感覚でさえありました。

それが30代では肉離れの予兆のような感じになり、40代を超えたあたりではいかにしてその状態にしないかがテーマになるほど神経を使うようになりました。

そして、一度痛めてしまうと、痛みが引いた後でもしばらくは練習に耐えられるだけの強度が戻らず、休んでは痛め、痛めては休むを繰り返してしまうようになりました。

今回も、まさにそのパターン。

自覚症状があまりない分、もう大丈夫と考えてしまいがちで、完全に治る前に強い練習を取り入れてしまい、また振り出しに戻る、と言うことを繰り返すわけです。

自分では無理をしたり焦ったりしている感覚はないのですけどね。

なので、もういい加減しっかりと治して元に戻さないといけないと考え、今回は一旦0から再スタートというつもりで練習も0にし、さらに戻す過程も近所の散歩程度のジョグから再開することにしました(ウォーキングも5km10kmもやると、かなりふくらはぎに負荷がかかることが前回わかりました)。

一昨日から練習を再開したとはいえ、1kmとか2kmのジョグですから、もうほとんど休んでいるのと変わらない負荷。

なので脚はだいぶ休ませられたと思いますし、損傷していた部分も本来の機能が発揮できる程度には回復してきていると思います(本当はMRIとかでしっかり見た方が確実なんでしょうけど)。

このペースで戻していくと、3月中は30分くらい走れるようになるのがいいところで、しっかりとしたジョグを再開するのは4月になりそうです。

それでも、一旦不安なくジョグができるようになりさえすれば、そこからは筋力も徐々に戻ってくると思われ、まずはその状態に戻すことに専念するしかないと思います。

ここのところ気候が大変良いのでたくさん走れないのはストレスですが、今は我慢の時ですね。

「走力ー疲労=パフォーマンス」

こんにちは、ランマニアです。

実はランマニアは雨でも普通に練習する人です。

ジョグだろうがインターバルだろうが、予定していたメニューであれば余程の悪天候でなければやってしまう派です。

なぜ走るかというと、簡単に言えば「走らない理由がない」からで。

高校時代のように、土のグラウンドで練習しているのであればインターバルなどは当然できませんが、今はほとんどがロード練習なので、足元の要因は解決します。

体が雨に濡れてしまうことについては、防水ウェアを着て走ってしまえばほとんど雨水が浸入してくることもなく、体が温まってくれば雨が体に当たることはほとんど何も影響がなくなります。

雨の日に走りたくないのは、要は走りはじめの「濡れるのが嫌だ」という心理的な要因が多くを占めていると思っています。

もちろん、転倒のリスク、風邪を引くリスク、これらは晴天時に比べれば格段にはね上がりますから、これらのリスクマネジメントをして走る、と言うのは大前提になりますが。

しかし、そんな「雨でも走る」ランマニアが、今日は珍しく「雨を理由に」走るのをやめました。

今週は月曜日をレストにしていたため、火水木金の4日しか練習をしていないにもかかわらず短い間隔でレストを入れると言うのも、ここ数ヶ月のルーチンからするとちょっと異例なことです。

今日休みを入れたのは、実は「雨だから」休んだと言うよりは「雨も降っているから」休んだと言った方が正確でしょう。

1月に脚を痛めて、その後そこそこの練習を継続してきてはいましたが、強度の高い練習はもう久しく行っていませんし、絶対的な走行距離も明らかに減少してきました。

2月は1週間のウォーキング期間も入れ、ジョグくらいの強度のランでも「だいぶ筋力落ちてしまったな」と実感できるほどの衰えを感じてきたのですね。

先週、久しぶりに芝生の上でファルトレクを入れたみたところ、全くスピードに乗れず、しかもふくらはぎも攣りそうになったことから、これは「いきなり戻す」のは危険だな、と感じたのでした。

案の定、昨日のジョグ中に痛めたところとは別の場所ではありましたが、右のふくらはぎの若干表層部に近いところの一部が「ピリッ」っと痙攣よりは危ない痛みが走りました。

これはちょっと一旦休ませた方がいいなと思い、昨日の時点では、今日土曜日の練習を軽いジョグにしようかなと思っていたのですが、朝起きた時の土砂降りで「レスト確定」だったわけです。

以前のスケジュールであれば、週2回のQデー、しかもそのQデーの走行距離も20km以上というルーチンでレストも週1で回していたので、今のこんな練習量でふくらはぎが張ってくるのは、明らかに筋肉が衰えている証拠です。

ただ、疲労が抜けてそこそこのペースで長い距離を走れてしまうため、以前の練習量でも回せてしまえそうなところがとても危険なところです。

しっかり練習が積めていた時は逆に疲労があり、

走力100ー疲労40=パフォーマンス60

だったところが、今は

走力70–疲労10=パフォーマンス60

みたいなところがあり、結果としてアウトプットが「見かけ上」一緒みたいなところがあるのですね。

なので、こういう「故障明け」の疲労が抜けている時期は、意外と大きな罠が潜んでいて、「疲労」と言う抑制要因が機能していないために、相対的にオーバーワークになってしまうことがままあるのです。

今週、ちょっとこの罠にハマり、正直、ちょっと調子に乗ってペースを上げすぎた感はありました。これは猛省です。

この「見かけ上一緒のパフォーマンス」についてですが、この「見かけ上」と言うのは、そのパフォーマンスを発揮した後の疲労度、ダメージ、あるいはそのパフォーマンスを発揮する際の余裕度など、を抜きにして考えた場合、と言うことで。

例えば、先日のファルトレク、キロ3分30秒ペースで走れたと言う意味では「もうTペースで走れるじゃん」と言う「事実」「結果」「見た目」は一緒なんですが、それを実施している際の「余力」はまるで違いますし、その後の「ダメージ」もやっぱりまるで違うのですね。

故障明けは、変な話疲労が適度に抜けてしまっているため、つい走行距離やペースが上がりがちで、そのためにせっかく治りかけてた患部をもう一度痛めてしまう、と言うことはよくある話です。

故障前と同じペースで走れたり、同じ練習ができたからといって「もう治った」と判断するのは非常に危険なので、実際にはここからがより慎重に取り組まなければならないフェーズだったりしますね。

「信じて走れば報われる」の謎

こんにちは、ランマニアです。

練習を再開して3日目。

今日は久しぶりにいつも走っている公園へいき、2月にファルトレクをやっていた芝生コースを気持ちよくジョグしてきました。

気温が低すぎず高すぎず、風も弱く、陽もまだ落ちる前で、本当に久しぶりに「走っていて気持ちいい」と感じられる時間を過ごすことができました。

今日は、そんな芝生の柔らかい感触を噛み締めながら(踏みしめながら)、ふと、タイトルのようなことを考えていたのですね。

信じて走れば報われる

長距離のトレーニングを続けている人なら、おそらく誰でも一度は感じたことのあることだと思いますが、なぜか不思議と、今取り組んでいる練習の効果を「信じて」継続していると、概ね良い結果が出てしまう、という現象。

逆に、こんなことやって意味あんのかよ、って思いながら継続した練習は、これまた不思議と効果が現れない、という現象。

ランマニアも、4年前にフルのベストを出した時は、正直、今あの時の練習を振り返ると全くトンチンカンな練習だったと思いますし、今なら疑心暗鬼で取り組んでしまうだろうな、と思われるような勘違い練習をしていたのですが(練習はレースペース命、みたいなところがありました)、当時は「絶対に速くなる!」って信じてやまなかったわけです。

その結果、それまでの自己ベストを4分も上回る大自己ベストを出すことができたのですね。「やっぱりオレのやってたことは正しかったんだ!」と正直してやったりですよ。

でもですね、やっぱりあの練習はあまりいい練習ではなかった、今はそう思っています。

そして、今、同じ練習を猜疑心を抱えながら継続しても、絶対に結果は出ないだろうな、と強く思うのです。

つまり、「信じて走れば報われる」は、やっぱり存在するんじゃないかと。

脳も含めた神経系と筋繊維までを「運動単位」として考えるならば

ではなぜ、「信じる」ことが大切なのか。

こんな、ちょっとオカルト的で、非科学的な論点は、このブログをずっと読んできていただいている方からすると、おいおいらしくないぞと思いますよね。

私自身、そう思います。

しかし、走りながら考えてみたのです。「信じる」こととはなんなのか、を。

そのヒントとなる概念が「運動単位」(motor unit)なのではないかと考えていたのですね。

大昔の記事で、筋繊維は運動神経に支配されていて、その神経に電気的な信号が送られることで筋収縮が生じて運動を行なっている、というようなことを書きました。

この神経系と筋繊維をまとめて「運動単位」と呼ぶことがあります。筋収縮は、神経系の働きを抜きには考えられない、ということなんですね。

運動神経は、途中脊髄の関与を受けているとはいえ、大元の指令は脳からの信号によって働くものです(この辺の話を深めようとすると相当マニアックな話になりますし、自分自身も理解しきれていない点も大いにあるのでここら辺で止めておきます)。

つまり、ざっくりいえば、「筋肉は脳によって収縮をコントロールされている」ということですね。

「信じない」状態は神経系が使えていない状態

さて、そこで初めの「信じる」理論に戻ってみます。「信じて練習する」とはどういう状態か。

これを考えるときに、わかりやすくイメージするために「信じずに練習をする」状態がどういうものかを想像してみようと思います(なんだか「帰無仮説を棄却する」みたいな)。

我々長距離ランナーのトレーニングの多くは、まあいってみれば「しんどい」練習が多くなりますよね。ジョグですら、終盤は疲れてきますし、もっというと疲れている時のジョグは初めからしんどい。

そういうときに、何を動機付けに我々は頑張りますか?

走った後のお酒、アイス。

いやいや、まあその通りですがそれをいったら今日の記事はここで終了になりますので、そうした外的要因ではなく、もう少し内的なものとして。

おそらく、多くの人は、「この練習は意味があるに違いない」「この練習をやることで強くなるに違いない」と「信じて」走るわけです。

これをもし、「信じない」ということになれば、どういう状況で走ることになるでしょうか。

「こんな練習意味あんのかよ」(ああ、これ、高校の部活とかでありそう)

「こんなに頑張ったってなんのいいこともないだろうに」

まあ、概ねこんな心理状態ですよね。

そしてその状態で、あのめちゃくちゃキッツいインターバルをやることを想像してみてください。

そりゃ当然、「これやり切って強くなるぞ」と思って走るよりは、遥かにタイムは落ちると思いませんか?

いや落ちますよ、当然。動機付けが低い、つまりやる気がないわけですから。

つまり、「信じないで」走ることは、「低い動機付け」で走ることとほぼ同義なのではないかと思うのですね。

そして、以前の記事の、筋収縮の出力は電気的信号の強さに依存している、つまり「やる気」とか「動機付け」とか比較的「情動」の影響も受けてるみたいな話に戻ると、結局「動機付けの低い状態で走れば、神経系もしっかり働かずに走る」ことになるわけです。

「信じないで走る」=「低い動機付けで走る」=「神経系の働きが鈍い」

という仮説です。

「信じて走る」は「高い動機付けで走る」こと

こうして整理してみると、その逆の「信じて走る」状態がどのような状態かは一目瞭然ですね。

そうなんです、「この練習は必ず身を結ぶ」「この練習をこなせば強くなれる」と「信じて」走ることは、非常に「高い動機付け」で、かつ「高い集中力」を維持して(つまり覚醒水準も高い)走ることにつながり、それは結果的に「神経系の働きを活発にする」ことになるのですね。

こうして、毎日の練習を「信じて」続けるのか、「信じないで」続けるのかでは、年間通して何百回と練習していれば、そりゃ大きな差になっていくわけですよ。

これが、「信じて走れば報われる」の、非常に大雑把な科学的背景なんじゃないか、と今日の45分ジョグで考えていたのですね。

まあ、なんのエビデンスもないのですけど。

ですが、こういうことは、意外と科学的に解明されすぎて、答えが簡単にわかってしまっても面白くないもので、こうしてああだこうだ考えている時が一番楽しいな、とも思っています。

そしてもちろん、「絶対に間違ってる練習」を「信じ切って」継続しても、決して強くはならないとは思いますね。(そもそも絶対に間違ってる練習を「信じて」走るのは想像難しい)

たまにはWalkingという練習があってもいいよね

こんにちは、ランマニアです。

今週はダニエルズさんのマラソントレーニングでは、負荷をかけるいわゆる「Qデー」が2日ともMペースの距離走の週でした。

ふくらはぎの故障が明けてから2回目の本格練習週でしたが、最初のMペース走は前回のブログに書いた通り。

そして水曜日には2度目のMペース走を行ったのですが、残念ながら12.8kmまで走り、後半戦をスタートしたところでふくらはぎが猛烈に張ってしまい急遽DNF(Did Not Finish)となったのですね。

実は、この日のMペース走はそこそこに調子が良く、ペースもキロ3分55秒を切るラップをずっと刻んでいて、一旦12.8kmでMペースをやめなければ、残り9.6kmは普通に走れたのではないかと思えるほど、脚の状態も悪くはなかったのです。

しかし、ダニエルズさんの練習は、このMペースに限らずTペースの練習の際にも、同じ距離なのにまとめて走らせる時と分割して走らせる時を、1週間に必ず1回ずつ設定しています。

おそらく、分割させることで目的の心拍域(MペースなりTペースなり)で走る時間をできるだけ長く取れるようにという配慮があるのだと思います(ランニングフォーミュラーのTペースの項目に、テンポ走とクルーズインターバルのメリットがそれぞれ書いてあります)。

そういう意味で、今週水曜日の分割Mペース走も、確かにその前の日曜に行って連続Mペース走よりも、より本来のMペースに近づきましたし、一度休めることが頭にあるとそのペースでなんとか頑張れそうな気もするのですね。

ところがこの分割型の練習で、ランマニア的にしんどく感じるのは、毎回一度中断したペースにもう一度戻すという作業が結構きついというところです。

一度メインの走行ペースを終えてジョグを挟むと、体が結構冷えてしまい(これは物理的に「冷える」のもあるし、神経系の興奮も収まる、という「冷める」意味もありそうです)、もう一度同じペースに戻そうとすると、うまく体が動いてくれないのですね。

うまく体が動いてくれないところで、無理矢理脚を速く動かそうとして力を込めると、やはりどこかに無理な力がかかってしまうのでしょう。

水曜日に猛烈な張りを感じてすぐに練習を中止した時も、一度ペースを落としてジョグで繋いだ後の、後半戦の走り始め1km程度のところでした。

幸い、すぐに走るのをやめ、帰宅後アイシングをして様子を見たところ、結果的に故障したところが再発したのではなく、弱っていた部分に大きな負荷がかかってしまったことによる痙攣に近い急激な筋収縮だったようでした。なので、翌日には普通にジョグができ、以降脚の痛みも出ていません。

週間走行距離の80%に達してしまったので強制終了

さて、そんな経過をたどった今週の練習でしたが、走行距離は思いの外のびてしまい、1週間を待たずに昨日の時点で目標週間走行距離の80%(ランマニアは週100kmで設定しているので80km)に達してしまったのですね。

もちろん、この80%というのは水曜日に22.6kmのMペースを走った場合ですので、今週のように途中でDNFしてしまっているのであれば、その負荷では80%にとどめる必要はないと思いますが、ちょうどふくらはぎにも来ていたことなので、今週はもう走るのをやめておくことにしました。

貴重な練習なしの土曜日

社会人ランナーの皆さんにとって(ランマニアもですが)週末の二日間は貴重な練習日になることは言うまでもありません。

特に負荷が高まり時間もかかるハードな練習は、この土日のどちらか(あるいは両方)に取り入れるのが理想だと思います。

そんな「貴重な」土曜日を「練習オフ」にすると言うのは、極めて贅沢なことです。ランマニアも、土曜日に練習をしないと言うのはいつ以来でしょうか。

そんな練習なしの土曜日。

こう言うところがランナーのサガなのでしょうが、やっぱり天気のいい休日は体を動かしたくなってしまうのですね。

走るのはやめておこうと思っても、天気がいいのでどこかに行きたくなってしまい、今日は近場の丘陵地帯を歩くことにしました。

思いもよらず近場にトレイルコースを発見

最近ランマニアがハマっているのは、自宅から車で1時間以内で行けてしまう東京都のあきる野市。

ここは市町村合併によりかなりの広範な部分が一つの市になってしまった結果、標高の低い丘陵地帯があるエリアから、本格的な登山ができる山岳地帯のあるエリアまで様々な環境を網羅する、トレイルランナーにとってはかなり魅力的な地域となっています。

今日はそのうちの、市街地に近く標高の低い丘陵地帯を5kmほど歩いてみました。

この丘陵地帯が始まる最も東側の取り付きには、大澄山という低山があります。

スタートは、この丘陵地帯の最も東側の大澄山(だいちょうさん)から。

ここから尾根づたいに快適なトレイルが比較的長く続いています(うちの近所でこのような尾根はあっても1kmくらいです)。

割と起伏のある本格的な山道なので、首都圏のこんな近場にこのようなトレイルが存在していたのは正直盲点でした。

ときおり痩せ尾根なども出現するかなり本格的なシングルトラック。

この尾根道を3kmほど進むと浅間岳というさらに標高の高い山に到達します。

先程の大澄山よりわずか40mほどの標高差ですが、ここまでかなりの起伏があり累積では100m近くありそうです。

ここまでの尾根道は結構古くからあるハイキングコースで、今日は歩きでしたが、トレランをしてもなかなか走りやすそうです。実際ランナーにも数人遭遇し、地元では比較的メジャーな練習場所なのかもしれません。

この先、尾根道はまだ続き、日の出や五日市方面まで足を伸ばすことができるようなのですが、今日は歩きなのでここから下山し帰路につきました。

ウォーキングの効能は侮れない

ランマニアのように40代も半ばを過ぎてくると、やはり先述した脚へのダメージや回復も、若い頃と同じようにはいかないものが出てきます。

まあこれはなかなか受け入れ難い事実ですが仕方のないことです。

そうした中、適度に脚の筋肉を使いながら有酸素運動を継続できる「ウォーキング」は、中高年ランナーのトレーニングバリエーションの中に一つ入れておいて損はないものだな、と感じます。

特に、今回のように起伏のある山道を1〜2時間も歩き通すと、大腿部は結構刺激されますし、心拍数も上がります。

アスファルトの上をガンガン叩きながら60分ジョグをするくらいなら、2時間くらい山道を歩いた方が似たような効果を足に優しく与えることができるのではないかと考えています。

もちろん、ウォーキングをやった方がトレーニング効果が高い、というのではなく、足への回復等トータルで見た時に、場合によって何も考えずにただ惰性で60分ジョグをするよりは、脚を休ませつつ持久的なトレーニングを行える山道ウォーキング(ハイキング)の効果は、意外と侮れないものがあるかなと感じるわけですね。

走らせてくれない靴を履くことで「自分で走る力」を身につけることができるのかもしれない

こんにちは、ランマニアです。

昨日から今朝は5時起きで走るぞ、と少し早めに布団に入ったのですが、まさかの緊急地震速報で強制起動させられ、なんだか寝たような寝てないような浅い眠りのまま朝を迎えて練習開始となったのですね。

今朝は久しぶりに眠いままの出走となり、気が向かないままとぼとぼと練習場所の公園までの4.8kmをアップ(ダニエルズさんのメニューでも4.8kmEとなっており、玄関を出て練習場へ向かうまでの道のりを兼ねることができるので非常に効率がいい)。

朝の5時半では外は真っ暗ですし、公園にもほとんど人気はなく。

そんな中自分でも「よくやるな」と思いながらも、今日のメニューは22km以上の距離走なのでできるだけ早い時間帯に終わらせたかったというのがあります。

ジョグシューでMペースを体験してみる

さて、ずっと足を痛めていたので今日のような距離走も当然久しぶりのことで、とにかくペースを上げられる気は全くしなかったので、今日の目標は「ゆっくりでもいいから完走」ということになりました。

さらに、もうほとんど脚の状態は大丈夫とはいえ、20kmもの距離をキロ4前後で走るには若干の不安があり、いつものボストン8でその距離を走り通すのはなんとなくまだ怖さを感じたのですね。

そこで、以前から一度は試したかったサロモンのSONIC RA PRO2でMペースは維持できるのかどうか(もっといえばフルのレースに使えるかどうか)を試すにはちょうどいい機会だと思い、初めてジョグシューで距離走をやってみることにしました。

メーカーサイトでは一応レースシューズ扱いですが、まだジョグにしか使ったことがないSONIC RA PRO 2

軽いのに軽くないシューズ

このRA PROシリーズ、サロモンのサイトでは一応レース用を謳ってはいるものの、履いた感じではどう考えてもジョグ用。頑張ってもマラソンペース程度(だからそのペースのレース用、という意味か?)がいいところかな、という印象です。

しかし、メーカーがレース用をアピールするにはそれなりの理由もあり、なんと言ってもこのシューズの特徴は、その見た目からは想像もできない軽さにあります。

見た目はジョグシューなのに、驚きの210g!(26.5cm)

なんとまさかのボストン8よりも25gほど軽量なのですよこのRA PRO2は。

軽いと思っていたボストン8でもこの重量。(27cm)

しかし、実際履いてみるとこの重量差を全く感じないほど「重く」感じたのが今回のRA PRO2。

いえ、もちろん走行中の25gなんて実際に感じられるようなレベルでもなく、今日のようなMペースなんかでは全く影響を及ぼしもしない差なんですが、正直もっと軽やかに走れる印象を持っていたのですね。

実際に手に取るとものすごく軽いので・・・。

スタートしてMペースを維持しようと思い、若干フォア気味で接地をしてスピードを出そうとするのですが、なんだか軽くないぞこの靴。

初めは体が動かないためキロ4分30秒もかかりましたが、その後動きが良くなってきてもなかなかキロ4が切れず。

靴のせいにしたくはないですが、これがボストン8よりも軽いというのはにわかに信じがたい。

そんな気にさせられました。

恐ろしくスピードが出ない「レースシューズ」

走りながら「この重さ」はなんなのだろう、とずっと考えていたところ、接地のたびに感じるある違和感に気がつきました。

この「レースシューズ」、レースシューズなのに、全然スピードが出ないんです。

いやいやいやいや、それはお前の足が遅いんだろう、と突っ込みたくなりますよね。

はい、もちろんそれは認めるのですが、接地した際になんというか地面を蹴って推進力が得られないのです。

全然進まない。

これまでMペース以上のスピードで走るときに履いていた、アディゼロのボストンやあの悪名高いジャパン5ですら接地して蹴り上げる際にはバネのように弾む感覚が得られたものですが、この靴は本当に進まない。

こんな靴が世の中に存在していたのか、と驚きを禁じ得ませんでした(いやかなり失礼。でもこの後ちゃんとフォローしますので)。

衝撃を吸収しすぎて反発が得られない「Vibe」フォーム

しかしこの靴、ある強力な利点も存在しているのです。

Mペースのようなフォア気味の着地でスピードを出そうとすると足裏のフィードバックがうまく感じ取れないのですが、少しペースを落とすと他のシューズでは感じられない明らかに高いクッション性能が発揮されているのですね。

特に、多くのスピードシューズでは両立し得ないほどの前足部のクッション性能が(厚底さんたちとは比較できませんが)。

なので、結果から先に言うと、今日の練習では20km以上Mペースで走ってみて初めて足裏が一度も痛くなりませんでした。

これはボストン8では一度も体験したことがなく、もっと短い16kmくらいでも若干足裏の筋肉が痛んでくるのが普通でした。

もちろん、ミッドソールの厚みが全然違いますから(ボストン8は前足部の地面からの距離がとても短く感じます。アスファルトをすぐそこに感じるような感覚。)、そのことが最大の要因だとは思いますが、それにしても足裏の「守られ感」は別格です。

このクッション性能を支えているのが、おそらくサロモンロードシューズ最大のウリ「Vibe」フォームであることは間違い無いでしょう。

先代よりも若干ハード寄りにシフトしましたが、それでも接地時の柔らかすぎず硬すぎない独特の感触は、このロードシューズを履きたくなる最大の要因です。

ところが、そんな優れたクッション性能を発揮するこのVibeフォームこそが「軽くない」走りを生み出しているのではないだろうかと、走りながら薄々感じていたのですね。

そうなんです。優れた衝撃吸収能力を発揮する代わりに、接地時のエネルギーを全て吸収してしまい(実際にはそう言うことはないのでしょうが)、前に進むための反発力を生み出すことができなくなっているのではないかと考えたのです。

さらに、このフォームが足裏全体を覆い、アーチの部分がフラットになっていることもある程度関係している気がしていて、蹴り出す際の足裏の「しなり」も生み出すことができないのではないかとも考えています(素材がもう少し硬ければ竹のようにしなりながら反発を得られるのでしょうが、なまじ柔らかいためにしなることができないのでは?)。

アーチ部が柔らかすぎて「しなれない」のも反発が得られない原因か?

何十年もかけて培われてきた「吸収」と「反発」を両立する技術

そう考えますと、普段何気なく履いているランニングシューズ(ランマニアの場合はアディダスですが)と言うのは、長い時間をかけても大変高度な技術が投じられてきたことがわかるのですね。

この「吸収」と「反発」という相反する現象を同時に両立させてしまう多くのランニングシューズの技術力の高さには目を見張るものがあるなと、今日は改めて感じたところです。

例えば、比較的歴史のあるアディダスの「Boostフォーム」について言えば、あんな発砲スチロールのような一見柔らかそうな衝撃吸収素材が、あれだけの反発力を生むのですから、冷静に考えれば「どうなってんの?」と思うわけです。

今回のVibeフォームは衝撃を吸収する力は大変高いものがあるとはいえ、十分な反発力を生むには至っていません。それだけそれらを両立させると言うことは高い技術が必要なのだと思うのですね。

また、アディダスを代表する「トルションシステム」も、さりげなく土踏まずの部分に謎の樹脂プレートが嵌め込まれているだけなのですが、実はあれによりアーチ部の反発力を生んでいたことに気づかされました。

あの部分が硬くないと靴は「しなれない」のです。

もちろん、その「しなる力」が強いがために足底筋膜炎とかの遠因にもなってしまうのですが、その反発力を利用して私たちはスピードに乗れていたのだなと、改めて感じた次第です。

靴に走らせてもらってきた私たち

一方、今日の練習では別の側面も見えてきました。

今回履いたRA PRO2は、はっきり言って、スピードを出して走ることに対してほとんど助けを得ることができませんでした。

軽量で走りやすいはずが、反発が得られないため全く軽く感じることもできませんでした。

しかし、走りながら、途中からあることを考えました。

これ、もしかしたらしっかりとした接地をして、体重を乗せ、自分の脚の前へ進ませるための筋肉をしっかり使って走らなければ速く走れないのかも、と。

これに気づいてから、これまでのように前足部でちょこっと接地をしてふくらはぎの力で前に持っていこうという走りをやめ、ある程度フラット気味に接地をして大腿部の力も十分使って走ったところ、驚くべきことにスムーズな推進力を得られるようになったのですね。

ここからキロ4を切って走ることができるようになりました。

そしてもう一つ気づいたことがありました。

私たち(というかランマニア)は、普段いかに靴の性能によって「走らせてもらっていた」かと言うこと。

ランマニア的には、普段から「厚底」は履かずに、ある程度自分の力で走っている「気に」なっていたところがあります。地面の衝撃をもろに受ける比較的そこの薄いシューズで強靭な走力を発揮できている、と。

しかし、今回のような「走らせてもらえない」靴を履いてみると、普段いかに靴の性能に頼っていたかに気づかされるのですね。

そう言う意味では、今回のような靴で練習をすることは楽ではないし非常に疲れるのですが、「自分の力で走る力を身につける」と言う意味ではとても有意義なシューズなのではないかと、最後は考えを改めて練習を終えたところです。

だからこそ、1点だけ、これだけは改善してほしい唯一にして最大の欠陥

そう思えて、もう今後Mペースでの距離走はこれでいいのではないかと思い始めていたところで、やはりどうしても許容しがたい走る上での最大の欠陥がこの靴にはあります。

「小指が痛い」

これは如何ともし難いとても大きな問題です。

今回の2世代目から、どのグレードも(MAXも無印もPROも)靴幅が若干細めになりました。そのため前作よりもフィット性能は大幅にアップしているのですが、相変わらずアッパー部分の硬い補強はそのままです。

靴の幅が細くても、多くのシューズでは小指が痛くなることはありません。それは素材が伸縮性に富んだ柔らかいものだからですね。

サロモンさんはトレイルシューズの歴史が長いせいか、このつま先周りの補強がとにかく「しっかりし過ぎて」いるのです。

今日は小指に血豆ができるほどのダメージがあり、流石にこれでは練習に使うことはできません。

残念ながら、次回の距離走ではボストン8に戻ることになるでしょう。

せっかくこの値段でここまでのシューズを作れるのですから、後はこの補強部分だけ改善してもらえたらもう言うことはありません(実はSONIC3では改善されていたりするのかもしれません。海外では4も発売されましたし。)。

とはいえ、ジョグのペースであればここまで痛むことはないので、今後もジョグを中心にこの靴を使用して、「自分で走る」力を培っていこうと考えています。

ジョグシューを笑う者はジョグシューに泣く

こんにちは、ランマニアです。

さて、長らく故障ブログ、故障ツイートが続いていたランマニアですが、今週はようやく1週間まるまる「普通の」ランナーらしい1週間を送ることができました。

まだまだMペース以上のいわゆる「ポイント練」をやれるだけの回復ではないのですが、ジョグをしても患部が悪化しない、つまりジョグが怪我の回復を妨げないほどの強度になってきたというわけです。

ふくらはぎの肉離れは、意外と接地の仕方によって患部を守れてしまうのですが、しかしそれをやってしまうと別の場所に負担がかかりそっちを「やって」しまう、という悪循環を生じさせてしまうのですね。

そこで、今週はジョグをするにしても意図的に路面の柔らかいトレイルや芝生を選んで走ってみることにしました。

衝撃を吸収してくれる芝生

今週、久しぶりに長めに芝生を走って思ったのは、やはり地面が柔らかいということは、接地した際の衝撃を、想像以上に地面が受け止めてくれる、衝撃を吸収してくれる、ということ。

アスファルトの上では、重力によって下された脚が地面に着地した際、地面は全く沈み込んでくれませんので、空中に飛び跳ねることによって貯まった位置エネルギーを全て脚で吸収する必要があるのですね(全てというのは言い過ぎで、もちろん靴でも吸収してますが)。

なので、たとえジョグのようなゆっくりのペースであったとしても、片足で60kgもある体を着地のたびに受け止めているのですから、脚には相当な負荷がかかっているわけで。

それを芝生の場合は、地面の柔らかさによって、本来は脚で受け止めるべきエネルギーをだいぶ芝生が「肩代わり」してくれているということです。

今回、芝生を走りながら感じていたのは、あれだけキリキリしてくるふくらはぎが芝生の上では全くそのようなことはなく、ふくらはぎの患部を忘れてしまうくらい衝撃が軽かった、ということ。これは、想像以上でした。

路面と喧嘩することで速く走れるアスファルト

一方で、芝生区間の合間に通過するアスファルト区間を走って気づくのは、やはりその衝撃の大きさなのですが、しかし実は思いの外スピードに乗れてしまうのはこのアスファルト区間。

芝生は衝撃を吸収してくれる一方で、せっかく貯まった位置エネルギーを「無きもの」にしてしまうため、位置エネルギーを反発力に変えて走ることができなくなります。(なので、「楽な走り方」ができなくなり、大腿部まで使って大きなフォームで走る必要があるのです。それはとてもいい練習だと思っています。)

アスファルトは路面が硬い一方で、落下のエネルギーを反発力に変え、脚の筋肉を使って弾むように前に進むことを可能としているのですね。もちろん、ランニングシューズの高性能なソールのおかげも多分にありますが(あのメーカーのなんちゃらXというのがこの反発力を強大なものにしているのだそうです。)

なんちゃらXについて詳しくはこちら

https://www.nike.com/jp/zoomx

まあとにかく要は脚と路面が喧嘩しながら反発をもらって楽にスピードを出せてもらっている、ということでしょうか。変な話、アスファルトを走るということは、「楽をして(フォーム的に)」速く走っているのだとランマニアは思っています。

その代わり、フォーム的には楽をする代償として、その分脚への負担が大きくなるのですね。

そりゃそうです、着地のたびに喧嘩してるのですから。

だからジョグシューは大事

そうするとです、年間のほぼ毎日に行っている「ジョグ」において、何百何千何万回と地面と喧嘩する脚をノーガードで晒してしまっては大変なことになってしまうわけですね。

しかし、正直ランマニアもそうですが、やっぱり「ジョグ」を甘くみています。

もちろん、ジョグの生理学的効果はとても大きなものはあるし、ジョグの負荷だって侮れないのですが、どうしたってペースは楽でインターバルとかの日よりも気は楽なので、ジョグに行く時にはそんなに気合入りませんよね。

ペースが遅いのでどんな靴でもそれなりに走れてしまいます。レースやインターバルのように1分1秒を削り出す必要もないので、そこに2マンも3マンもするジョグシューに投資する、というのも「う、ちょ、ちょっと待てよ」とスマホ画面の「カートに入れる」ボタンを前に躊躇しますよね。

ええ、はっきり言ってしまえば「ジョグにそんな金はかけられねぇ」というのが本音です。

でもですよ、年間通して最も長く走っているのはジョグですし、本来一番投資すべきはジョグシューであって然るべきなのです。

「ジョグシューを笑う者はジョグシューに泣く」

安いオイルをこまめに替える

この「ジョグシュー問題」を考えていて思いついたのが、車のオイル交換。

ジョグシューも車のエンジンオイルも定期的に替えなければならないいわゆる「消耗品」なんですね。

交換をサボっても「すぐには」壊れない(故障しない)のですが、「後々、いつか」痛い目に遭う、というのも共通しています。

そして、安物を使っても高価なものを使っても、交換の頻度が変わるわけでもない、ということも共通です。

つまりです、どちらもお金をかけなきゃいけないのですが、それは一回の値段ではなく、「頻度」という観点において、なんだと考えました。

実は、ランマニアは一台とても手のかかる車を所有しているのですが、古い車でメカニズムが非常に単純なのでオイル交換くらいは自分で行っているのですね。

でもです、たまにしか乗らないこんな車に1マンも2マンもするエンジンオイルを投入するのは馬鹿馬鹿しいので、1リットル千いくらの激安オイルを半年ごとに交換しているのですね。

いやそれで十分なのです。

要はちゃんと定期的にこまめに交換することの方が大切で。

これと同じ理屈で、ジョグシューもそのために何マンもするものを用意する必要はなく、安いのを比較的短いサイクルで交換する(あるいは何足か用意してローテーションする)やり方で十分なのではないか、と思ったのです。

意外と少ない「安くてちゃんとした」ジョグシュー

そこで昨年、ジョグシュー探しの旅を続けた時期があり色々と気付かされたのですが、各メーカーこの「ジョグシュー」というものの考え方が意外と偏っていて(マーケティング的にだと思いますが)、「ちゃんとしたジョグシュー」「でも安い」というのがほんとんど見つからないのですね。

例えば、ランマニアが好きなadidasさんでジョグシューを探そうとすると、こんなのとか

こんなの

がヒットし、流石に数百キロで交換では高いなぁ、と感じ、結局これを買ったりしました。

このソーラーグライド、安くても一応ブーストフォーム、トルションシステム、コンチネンタルという「三種の神器」が搭載されているのですが、全体的に使われている素材が安っぽく。

いい靴なんですが、アディダスにしてはややフィット感がなくアッパー部の素材が安っぽい。謎に樹脂製の補強も入っていて・・・。

まあ、言ってみればビギナー向け、というやつなんでしょうか。

これなんかは、安くてもしっかりとシリアスランナーをも満足させられる性能を持っているのですけどね。

どうも「エリートランナーはジョグも速い」「だからエリートランナーはこういうのでジョグするでしょ?」っていう考え方なのかなぁ、と思ったり。

あるいは、「エリートランナーだから、ジョグシューも高くてもいいよね」なのかも。

当然、天下のNIKE様が用意しているジョグシューはみんな高く、唯一狙っているペガサスさんでも型落ちでようやく1万程度。

ようやく見つけた「安くてもちゃんとしたジョグシュー」

そんな時、意外なところにその答えはありました。

トレラン界の雄、サロモンさんです。

トレイルやってる人ならそっち系のシューズではとてもいいものを安く提供してくれているメーカーという印象は強いでしょうし、実際ランマニアもトレシューで愛用させてもらっています。

最近になって、ずいぶんロード用に手を広げてきたな、という印象ですが、実はかなり前からロードシューズを手がけていたようで、ランマニアも長年トレシューを使ってきて全く知りませんでした。

このサロモンさんのオンラインショップサイトでは、時折「とんでもない」セールを行うことがあるのですね。

もはや定価が「ぼったくり」と言われても仕方がないほどの「60%オフ」とか。

このタイミングが結構狙い目で、2世代ほどの型落ちモデルなのですが、それでも60%はデカい!ということで、昨年5月にこのセールに便乗して3足ほどロードシューズを「大人買い」してしまった過去が。

値段の安さとロードシューズではメジャーでないメーカーの靴ということで、当初はあまり期待はしていなかったこのサロモンさんのSONICシリーズですが、履いてみてその完成度の高さに驚いたものです。

このSONIC RAシリーズは基本的にMAX、無印、Proの3グレード展開で(現行モデルSONIC3は呼び名が変わっている)、MAXはガチなジョグ用、無印はスピードランナー向けのジョグ用(っぽい)、そしてProは一応「レース用」ということになっているようです。

ただし、ランマニア的にはどのモデルもクッション性能がしっかりしていて(特に前足部)、やや「フロントヘビー」な印象を受けているので、どれもインターバルやレースに使うのはちょっと厳しい、という感想です。

つまり全て「ジョグ用」ということになります。

逆にそうしてみるとこの3グレードはいずれもジョグ用としてはかなり優秀であることがわかります。

この3グレード全てに共通しているのは

  • クッション性能が高い(決して柔らかいのではなく適度に硬く衝撃をいなしてくれる)
  • 軽量である(MAXでさえ255g 27.0cm)
  • アッパー部にもお金をかけている(しかしデメリットあり、後述)

ことです。

特にProはレースシューズ並みに軽量(228g 26.5cm)であるにもかかわらず非常に高いクッション性能を持っています(もちろん、なんちゃらフライに比べれば大したクッション性能でもなければ軽量でもないですが、値段が違いすぎます。ポルシェとカローラほどの違い。)。

これは少し速いペースでジョグをしたいときや、芝生の上を走りたい時には非常に重宝する特性です。

2世代目はハード路線に

そんなジョグシューとしては十二分な性能を誇っていたこのサロモンのSONIC RAシリーズですが、昨年10月に購入した2世代目ではだいぶ「ハード」よりにシフトしました。

とにかく、「うり」の一つだったミッドソールの柔らかさがまさかの「硬め」に。

ただでさえ硬くて痛かった(これが唯一の不満点)アッパー部が、さらに硬く「改悪」されています。

2世代目MAX。外観は初代と変わらぬミッドソールですが、実際にはいてみると相当(感覚的に5割増し)硬めに設定されています。
そしてこのシリーズ最大の「謎」。つま先を覆うめちゃくちゃ硬い補強。100kmくらいまで確実に靴擦れします。

このミッドソールの硬さは、どのグレードも100kmを超えたあたりからだいぶ足に馴染んできまして、むしろこれくらいの硬さが安定感を増しているな、と好印象になってきました。あの独特の柔らかさも魅力的でしたが、確かに安定感には欠きましたからね。

しかし、どうしても理解できないのが初代からどのグレードにも採用されているつま先部分の強固な補強。おそらく樹脂でできているのでしょうけど、これがとにかく痛い。

トレシューじゃないんだからこんな硬い補強は必要なかろうに、と思うのですが、頑なにこれを入れてくるのがトレシューメーカーサロモンの「意地」なのか。

靴ベロがいい感じでクッション材が入っていて、履くほどに脚にフィットしてくるのですが、いかんせんこの補強がアッパー部の柔軟性を阻害していて、足のフィット性能をスポイルしているのですね。

これがサロモンさんのロードシューズ唯一にして最大の不満点です。(今度出るスーパーシューズでは改善していて欲しいなぁ)

足のフィット性を高めるクッション材入りの靴ベロ。Bostonほどのフィット性はないですが、この値段のジョグシューにしては優秀。

しかしセール中であれば五千円前後で買えてしまうこのクラスのジョグシューは他に類がなく、ミッドソールの性能はかなりいいものがあるので(サロモン渾身の「Vibe」フォームは個人的にboostフォームよりも好印象です)、慣らしが終わり、靴擦れの心配がなくなれば(と言ってもひどい靴擦れは生じませんが)ジョグでは相当活躍してくれるシリーズだと思っています。

眉唾だと思っていたVibeフォームは想像以上にいいフィードバックが得られます。

昨年5月から約7ヶ月間、初代のシリーズ3足をローテーションで履き続けましたが、結果故障はゼロ(ハムストリングス付着部炎はインターバルによるもの、ふくらはぎはレース)。

なので、少なくともこの靴が原因で故障をするということはなさそうでした。

その実績を買い、7ヶ月で履き潰した初代は2世代目へバトンタッチ。

今回も60%セール開始時にすぐに確保(でないと本当に売り切れる)。

2世代目はMAXと無印の差がだいぶなくなり、正直どちらを履いても変わらない印象になりましたが、今回の圧巻はProです。

初代よりさらに軽量化され、クッション性は落ちたものの足へのフィット性能が飛躍的に向上し、とにかくペースを上げるのが楽しくなるシューズ。

芝生の上では最強です。(そこかよ!って突っ込みたくなりますが、トレーシューメーカーゆえに、不整地が得意なのかも)

超高速ジョグシューとして考えるとProのような存在は貴重かもしれません(その存在をadizero Bostonに期待したのですが)。

奥からMAX、無印、Pro。同色で揃えたので区別がつきにくいですが、Proのヒール部だけは別物なのがわかります。

3足16000円程度で半年以上

先代モデルでは、3足ローテーション(途中からソーラーグライドも入りましたが)で7ヶ月近く持ちました。

高性能シューズだからといって長持ちするわけではないですから、怪我もせず快適にジョグができるならこれくらいのジョグシューで十分ではないかと思いますね。

我々の学生時代に使っていたジョグシューと比べれば雲泥の差ですからね。

2月にスーパーシューズ分野に参入するサロモン。

今後の展開に期待です。

SONIC3も安くなってきましたが、こちらも60%オフまで待ちます。

「わかっちゃいるけどやめられない」のは「満足の遅延」に耐えられないから

こんにちは、ランマニアです。

結局、通常のジョグを続けている以上はふくらはぎの状態は膠着状態になってしまい、ヘタをすると周辺部にまで損傷が広がりかねないため、ここで思い切って負荷を下げることにしました。

当初冗談めいて「ラスボス」だと表現していた関所マラソンは、まさしく2020年のラスボスとなったわけです。

しかし、レースでベストを出す(あるいは取り組んだ練習の成果を出す)ために練習を積んでいるわけですから、結果的に故障をしてしまうことがあっても、「レースに出ない」と言う選択肢はある意味本末転倒になってしまうのですね。

しかも、今回の関所マラソンは、いわゆる「練習の一貫」として出たわけではなく、そこそこの記録を狙って走ったわけですので、ここで一旦小休止を強いられること自体は、タイミング的には悪いことではなかったと考えています。

「高強度練習こそが練習の本質」と勘違いしていた過去

さて今日はTwitterで、「強度の高い練習は人気があるが、長い目で見れば地味で効果の発現に時間のかかるジョグなどの有酸素トレーニングこそがまずは取り組むべき練習である」といったツイートを巡って大変有意義な議論ができたのですね。

おそらく、そこそこのレベルで競技に取り組んだことのあるランナーなら、誰でも一度は経験したであろう「高強度練習のやりすぎによる失敗」。

ランマニアも、学生時代は「失敗」とまではいかないまでも、「強度の高い練習こそが練習の本質」とばかりに、そうした練習を追うことに拘っていた過去があります。

ではなぜ、こうした価値観に陥ってしまうのでしょうか。

人は「満足の遅延」が苦手

ランマニアが自身の経験上推測するのは、得られる報酬、満足感が、割と即時的であることが関係しているのではないか、と考えています。

人の行動は、その行為の後に得られる「報酬」(この場合はご褒美や金銭的な報酬に限らず、例えば目的の効果であったり、気分の高揚、満足感など心理的なものも含まれます)によって頻度が左右されると言われています。

当然、その報酬の大きさはとても大きな要因ですが、他にも「報酬が得られるまでの時間」も大きく関係しているようです。

つまり、「すぐに得られる報酬」「すぐに得られる満足」に対しては、人は比較的良く行動すると言うことですね。

逆に言えば、「満足が遅延」されると、どうしてもその行動は定着しにくくなる傾向があると言うことです。

と考えれば、比較的早期に効果の得られる「インターバル」や「レペティション」のような高強度の練習は、報酬(満足)もすぐに得られやすいことから、行動としては定着しやすい、頻度が高まりやすいと言えそうです。

一方で、ジョグやLSDのような、それをやったからといって翌日や数日後に明確な走力の向上などが体感できない(満足が得られない)練習は、かなり後になってから「効いて」来るため、その効果を体感するまで「報酬」を得られず行動も定着しづらい(あるいは価値を置きづらい)のではないか、と考えています。

脚が痛いのに走る、も同じメカニズム

さらに、今回のランマニアのように「怪我をしてるのになぜ走る?」についても、同様の心理的なメカニズムではないか、と。

「走らず休む」と言う行為は、一回それをしただけでは怪我が治るわけではなく、それを数日、あるいは数週間続けてようやく怪我が回復するわけで、まさしく「満足が遅延」されることに。

一方、「痛いのに走る」のは、走るのは楽しいし、「練習した」という満足感はすぐに得られますから、「ついつい」やってしまうのですね。つまり、すぐに得られる報酬なわけです。

「満足の遅延」が苦手な私たちは、この二つの条件が重なって「痛いのに走る」結果となるのではないかなぁ、と。

痛い目に遭って行動が修正される

ところで、あまり望ましいパターンではないですが、人は「痛い目」に遭うことでもその行動が変化します。

「走ったら脚が痛んだ」

「インターバルをしたら怪我をした」

など、その行為の後、比較的速やかに「痛い目」に遭うと、その行為の頻度は急速に低下します。

今回のランマニアがまさにそうで、「ちょっとペース上げてみようかな」と調子に乗って走ったところ即刻「あ、痛いかも」となったわけです。

即、その行動は停止、ですよね。

ですが、この「痛い目に遭って行動が止む」と言うのは本当は低次な行動の修正法で、理想を言えば、しっかりと「満足の遅延」を我慢して、意図的・計画的に行動を修正できる方が高次であるし「オトナ」なわけです(もうおっさんなんだし)。

わかっちゃいるけどやめられない。

これはランナーにおける永遠のテーマかもしれません。

「男だろ」問題を考える

こんにちは、ランマニアです。

さて今回は当ブログ始まって以来の「危険な」かおりのするタイトルですね。

いや本当に燃えそうで危険な香りのするタイトル。

しかし今日は練習中にもうこれを書こうと決めてしまっていて、大体内容も練ってしまっていたのでもはや後には引けないのですね。

燃え上がった「男だろ」

一部のSNS界隈ではどうやらこの「男だろ」が相当に話題となり、一部炎上してしまったようなのです。

そしてそれに言及したブログや記事を引用したサイトまでが炎上あるいは賛否が分かれ、なかなか穏やかでない雰囲気に。

ランマニアもその最も話題となったライターさんのブログを見ましたが、まあ確かにジェンダー論やパワハラ論で論じれば「アウト」だろうし、それにツイートしている人たちの「当事者の問題」論や「外部の人間が何もわからずに何を言う」論もまあわからなくもなく。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79346?imp=0

おそらくこうした問題は結局どうしたって意見は分かれますし、「正論」を掲げれば常に「アウト」なのは間違い無いので、個人的にはそう言うことはその道の専門家がその世界で論じていればそれでいいと思っています。

好きか嫌いかで言えば嫌い

この際言ってしまうと、実はランマニアは学生時代から当監督(当時はコーチでしたか)は嫌いでした。

こんなランマニアも、高校時代は箱根駅伝に出場することを夢見て大学選びをし、当時の有力校は色々下調べをしていたのですね。

当時はネットなんかがなかった時代ですから、大学で競走部に入った先輩に各大学の雰囲気を聞いたり、「陸マガ」や「月陸」についてた「とじ込み付録」をみながら「ああ、なんかこの大学自由そうでいいなぁ」とか「うわ、こいつら全員丸刈りじゃん!」とか、そういう基準で大学選びをしていたものでした(結局それらの私立には行かなかったのですけどね)。

そんな「箱根特集」に載っている主要メンバーの集合写真の中で、ひときわおっかなそうなおっさん(いえ当時は結構若かったはず)が写っている大学がありました。

そうです、今回の主役「男だろ」の大学。

いやもうこの写真の雰囲気を見ただけで自分には合わない、そう断言できました(ランマニアの高校は非常に自由な校風で校則も制服もなく、陸上部も自分たちでメニューを考えて自主的に練習し、誰からも管理されていない非常に理想的な環境でした)。

そしてその後、監督となって箱根の中継では後方の監督車(運営管理車)から大声で怒鳴り散らす様子は、まあランマニアの最も嫌うタイプの監督のそれでしたね。

ランマニアは基本超自由人なので、「やらされる」「命令される」「怒られる」「強要される」のが大嫌いで(長距離ランナーに多そう)、そう言う雰囲気の陸上部は絶対に無理だったわけで(今も無理です)。

「応援効果」は間違いなく存在する

しかし一方で、あの「男だろ」によって最終区間のランナーが鼓舞され、持てる力を十二分に発揮できたことは自身の経験からも間違いはないところだと感じています。

簡単に言えば、人間が感じる「感覚」は全て「脳」で感じているわけで、走行中の呼吸の苦しさも脚の疲れも全ては「脳」が感じている感覚フィードバックです。

なのでその脳で感じているものを「麻痺」させてしまえば(ことの良し悪しは別として)走行中の苦しさや疲労を感じにくくなったり、あるいは全く感じずに走れてしまうことだってあるわけです(特に痛みなどはかなり「主観的な」感覚)。

ではどうすればそのように脳を「麻痺」させることができるかといえば、そう言う脳内物質を分泌させればいいわけで。

人間は、興奮したり緊張したり、あるいは極度の恐怖を感じたりした際には「情動反応」と言うものが引き起こされ、それによって脳は「戦闘態勢」に入るわけですね。

そうなると、脳は「敵を倒さなければ」と判断するわけですから、神経系の伝達スピードが速くなり(これが速く走ってるのに遅く感じる理由)、多少の苦痛は感じないように麻酔のような作用のある物質が分泌されたりするのです。

その辺りは過去記事を参照

こうなると人間は普段なら発揮できないようなパフォーマンスを発揮できてしまう状態に一時的に変化しますから、「思った以上の力」が発揮できたり「なんだかわからない力」がみなぎってきてしまうのです。

つまり、いかに「情動反応」を引き起こすかが鍵、であると。

実はこれをやったのがあの「男だろ」だった可能性が高いと、ランマニアは考えているのですね。

「男だろ」のどこに引っかかったか

ではなぜ「男だろ」と言われて彼(アンカーの学生)は興奮し、情動反応が引き起こされたのでしょう。

これにはまた複雑な心理的要因が絡んでいると考えています。

人間が「感情的」になる時(つまり情動反応が引き起こされる時)にその要因の一つとなるものに「自動思考」と言うものがあります。

これは簡単に言うと、人間の感情はその場の状況ではなく、その状況の「捉え方」によるものである、と言う考え方で、通常の熟慮する思考よりも瞬時に引き起こされ、半ば自動的に感情に結びついてしまう「思考」であるためそう呼ばれているのですね。

例えば、怖い上司のいる部署に遅刻してしまった場合、頭の中に瞬時に「絶対に怒られるはずだ」(まあほぼそうなりますが)という思考が沸き起こり、急激に不安や緊張感に苛まれますね。まあ万に一つの可能性しかありませんが、もしかするとその日は上司が機嫌がよく、「遅刻なんて誰でもあることだし事情があったならしょうがないだろう」と言ってくれる可能性があったとしても、「こうなるはずだ」と言う自動的な思考が頭に沸き起こってしまうのが人間です。

では、なぜこの「男だろ」が学生の「自動思考」を産み出し、瞬時に情動反応を引き起こしたのでしょう。

これには、「男だろ」の捉え方に大きな原因があったとランマニアは考えています。

日本では(諸外国ではどうかはよく知りませんが)古来より(どれくらい古来かわかりませんが)「男子たるもの」「男なら」「男のくせに」のような、いわば「男べき論」のようなものが根強く残った文化が存在していると考えています(現代ではそれもかなり薄まりつつありますが、依然としてかなり強く残っているとランマニアは解釈しています)。

例えば、ランマニアの物心のついた少年時代を振り返ってみても、「男はつらいよ」だとか、「男は、涙を、見せぬもの、見せぬもの」(機動戦士ガンダムエンディングテーマ)とか、「男坂」「魁!男塾」とか、まあとにかく「男」がどうたらこうたらと言う様々なコンテンツに囲まれて育ってきた背景がありますね、かなり小さい頃から。(しかし生物学的にはホルモンの関係で男性の方が骨格筋の量が多い訳ですから、その「腕力の強さ」が「精神的な強さ」を連想させてしまい「男は強い論」が生じてしまった可能性はありますが)

そこに描かれている、あるいはそこで論じようとしている「男像」と言うものは大概「男は強き者」と言う考え方で、その対義語に「女々しい」などという言葉があるくらい、「男子たるもの強くなければならぬ」の価値観に支配された世界でした。

当然小さな子供にはそうした世界観の是非などを論じる余地などあろうはずもなく、ただただ「おお、やっぱり男って強くなきゃな」とか「男は女よりも強いんだよな」とほぼほぼ自動的にそう考えてしまうような価値観が形成されていってしまったことはおおよそ疑いのない事実だろうと考えるわけで。

すると「男子」にはそうした価値観に基づいた「プライド」と言うものが形成されてくるのです。

「男は強いもの」だから、「弱いことは恥ずかしい」。「負けることは情けない(男だから)」といったプライドです。

そして、人間は「プライド」を傷つけられることに対して実は情動反応を引き起こしやすい生き物ですから、「お前男のくせに」と言う言われ方をされた途端に「自動思考」(ここでは「男は強くなければならない」「弱いのは男ではなく恥ずかしいことだ」)が生じ、プライドに抵触する危険性を感じ、一気に情動反応が起こるのですね。

で、ようやく辿り着きました。

学生はこうした心理的なメカニズムを経て(といってもほぼ一瞬)「おい、お前男だろ!」に対して情動反応が引き起こされ、内心「くっそー、やったるしかないわ!」と体がより一層「戦闘モード」に切り替わったのではないかと推測しています。

「男だろ」効果の真相は、実は「男像」に引っかかった「なにクソ根性」ではなく「感動」体験だったのではないか

今回の件で、実はランマニアが最も解せなかったのが、なぜ我々の子供くらいの世代の学生たちにこうした「男像」が存在していたかなのです。

「男だろ」発言の方には、実はあまり関心がなく、なぜこんな我々とは世代の差がある学生たちにも我々同様の「男像」が存在していたことの方に興味がありました。

この世代の学生たちの子供時代に「男塾」はなかったですし、ましてや「巨人の星」だって「古典」レベルの話で(「重いコンダラ」のギャグが通用しない)。

「男だろ」に引っかかり、そこから自動思考が引き出されるとは到底考えにくく。

そこで考えたのは、もしかしたらイマドキの学生たちは、もっと非常に純粋な気持ち、もっとポジティブなメカニズムで情動が刺激されたのでは、と言うこと。

「オオヤギ監督(あ、言っちゃった)がこんなに俺のことを応援してくれている」

「あの普段おっかない監督が、本気で俺に声をかけてくれている」

こうした、あまりにも「スペシャルな」体験が選手を大いに「感動」させ、その結果情動反応が引き起こされた、と言う仮説。

ここまでああだこうだ色々考えてきて、今何気に思い浮かんだこの仮説が一番しっくりくるなぁ、と感じているランマニア。

いや、そうに違いない。

だって、彼らの子供時代はスラムダンクだってもう厳しい世代。

なのに「男気」だの「男は涙を見せぬもの」だの、あろうはずがなく。

そもそも普段のインターバルから「男だろ!」って監督いつも言ってるよなあ、的な?

「男だろ!」を翻訳すると「ファイト!」だったりする?

ああ、大人は本当に勝手です。

ジェンダーだのパワハラだの勝利至上主義だの、「大人の理論」で考えすぎなんです。

なんのことはない、「男だろ」は「ファイト!」を「オオヤギ語」にしただけだった。

選手たちはおっかないオオヤギ監督から「ファイト!」って言ってくれたことに「感動」して、スイッチが入ったんです、きっと。

そう言うことにしておくと、今回の件は、比較的幸せな結末を見られる気がしてきました。


オーバーヒート

こんにちは、ランマニアです。

このブログとTwitterを始めてからは初の事態でしょうか。

今日、ついに「走れない」という状況に陥りました。

一昨年まではかなりの高頻度でこういうことはあったのですが、ダニエルズ練を始めてからはなんだか体(おそらく脳の組織も)が丈夫になった気がして、今日のように「全く頑張れない」「踏ん張りが効かない」という状態はほとんどなかったのですね。

脳のオーバーヒート

実際の生理学的なメカニズムの真相は別として、今日のような状態になってしまった時の、自身の感覚、イメージとしては、「脳がオーバーヒート」している状態です。

パソコンのCPUの温度が上がりすぎてしまって処理がもたつく現象、ってみなさんも遭遇したことがあるかと思いますが、ちょうどあんなイメージです。

もう、脳がすっかり疲弊しきって、抹消(筋)に指令を送れなくなっている状態。そんな状態です。

こうなってしまうと、もう何をするにも億劫で、何かを考えたり、ちょっとした作業をしたりすることすら力が入らなくなってしまいます。

なので、大きく多数の筋肉を動かす、つまりそれらに指令を出さなければならない走る=全身運動などもってのほかなわけで。

原因を考察してみる

では、なぜ急にこんなことになったのか。

ランマニアは脳科学者ではありませんし、仮にそうだったとしても中枢神経系の疲労のメカニズムはまだまだ明らかになってはいないことが多くありますので、どうしたって推測の域を出ないわけで。

ここは自身の経験上こうなるパターンをいくつか複合的に考えてみました。

仮説1:遅れてきたレース疲れ

まず考えられるのは関所マラソンの疲れでしょうか。

今から4年ほど前になりますが、東京マラソンで念願の2時間40分切りを果たし、数年来の目標を達成した後、なんと一月以上も今日のような状態が続き、全く走れなくなったことがありました。

レース後数日は、もちろん興奮していて元気だったのですが、1、2週間経ったあたりから、経験したことのないような無気力感、脚の重さに見舞われ、丸々1ヶ月軽いジョグしかできなくなったことがありました。

なので、その時の体の状態で、持っている力をフルに発揮してしまった後の神経系の疲労というのは若干遅れてやってきて、しかもそれがかなり重篤だということですね。

今回は、それに加え、そこまで取り組んできたダニエルズ練の疲れもかなり蓄積していたと考えられます。

そうした「気持ちでカバー」してきた部分が、軽く脚を痛めて全力で走れなくなった結果、無意識のうちに「解放され」、気が抜けてしまったことは十分考えられます。

「ああ、もう休んでしまっていいかな」

そんなことを意識せずに考えた結果、踏ん張っていたものが一気に緩み、疲労感となって現れたのかな、と。

仮説2:年末年始休みの反動(脳の「筋痛」)

今年の年末年始休暇はかなり自由に過ごし、好きなことばかり(たくさん走ってたくさん食べる)を繰り返してきました。本当にここまで気持ちが楽になって充実した休暇は久しぶりで、心も身体も相当リフレッシュされたのですね。

ところがそうした生活にすっかり慣れてしまっていると、普段仕事で使っているような脳領域(人相手の仕事では特に、社会性を発揮するような領域)を突然使うことになった時、ものすごく疲弊してしまうのです。

ちょうど先日、しばらく使っていなかったトレイルの筋肉を突然使って、猛烈な筋痛が発生してしまったように、脳の部位も普段使っていないところを突然全開で使わせようとすると、慣れない分疲労度も大きくなってしまうのですね(まあ、脳の筋痛みたいな感じで)。

要はこれが脳のオーバーロードを生み、一気に疲れさせてしまった可能性は十分あります。

確かに、昨日、一昨日、そして今日も、脚の筋肉自体はほとんど疲れてなく、力を込めれば軽やかに走れる状態であったにもかかわらず、今日はその「力を込める」ことができず、結果的に走れなくなってしまいました。

脚の筋肉とは別の疲労、つまり中枢部の疲労であった可能性は高そうです。

突然仕事が通常運転で始まり、これまでしばらく使っていなかった脳領域をフルに働かせた結果、急激に疲弊してしまったことは十分考えられます。

仮説3:怪我によるストレス

仮説1にも関係することですが、やはり今はふくらはぎを痛めているため、満足な走りができません。

フォームも大きな走りができませんし、気持ちよくどこも気にせず走る、ということができない状態にあります。

こうした状態ですと、気持ちに「抑制」がかかり、脚の全てに出力を送って走ることが難しくなってきます。

これ、体験した人にしかわからないと思いますが、意外と疲れるんですね。

「痛み」は人の気力を奪います。QOLを著しく低下させます。

今回のような、激しい痛みではなくても、ちょっと気になるところがあるだけで、心理的には結構負担がかかるのですね。

こうした状態で走っていると、そうでない時に比べて想像以上に脳は疲弊してきてしまいます。

そうした「ストレス由来」の疲れである可能性も否定できません。

全ての疲労は「睡眠」に通ず

こうした「脳のオーバーロード」をきたした場合、もうとにかく寝るしかありません。

こんなブログを書いている場合ではなく、さっさと寝るのが最優先です。

あらゆる疲労の対処には睡眠が第一選択肢であることは言うまでもありません。

いえ、さっき少しうたた寝しただけでかなり元気になったのですけどね。

幸い、今日の練習も「強制終了」させられたことで、だいぶ脚の方を休ませることができました。

危なくなっていたふくらはぎもかなり回復したと思います。

まあ、ちょっと走れそうだとすぐにやりたがるこの「ランナー病」にはいい薬だったと思うことにします。