好事魔多し

こんにちは、ランマニアです。

ついにやってしまいました、ふくらはぎ。

この1年間、ずっとなかったんですけどね。やはり先日の10kmロードの負担は相当なものがありました。

ことの発端は、やはりあの関所マラソン。

まあとにかくあの日の記事にも書きましたが、ここ数年では最も調子の良い状態で、久しぶりに脚の力が全て靴を伝わって地面に届けられ、フォームもペースも自分の思いのままコントロールできる状態。

レース運びもタイムも全て納得のいく結果となったわけですね。

しかしそういうレースは逆に考えると脚には物凄く大きな負荷がかかっていることの現れで(グリップのいいタイヤを履いてエンジンのパワーがロスなく路面に伝わると車のボディにも負担がかかるように)、本当は怪我のリスクが非常に高まった瞬間でもあったのです。

実はレース中にも兆候はありました。

そうですね、ラスト2kmから1kmだったでしょうか、右脚のふくらはぎが急速に張っていく様子が感じられました。

当然ラスト1kmあたりですからもうやるしかないわけで、多少の強い張りなら最後まで押し通してしまえ、と思ってスパートをかけたのですね。

幸い、ゴールまではなんとかその状態が悪化することもなく、ふくらはぎパンパンだなぁくらいで済んでことなきを得ました。

問題はその後でした。

ランマニアは、実は普段「ダウン」と言うものをほとんどしないのですね。

理由は単純です。レースで出し切ると、もう疲れて走りたくないからです。

もちろん最後に軽く体を動かして血流を増やし、体内の疲労に関わる物質の代謝を良くした方がまあいいのでしょうけど、もう疲れ切ってしまっていると「帰り道がダウンだよ、それでいいよな」的な気分になってしまい。

先日のレースでもいつもならそうしていたはずです。しかし、会心のレースをしてしまった時は、ゴール後も気分がいいのですね。めちゃくちゃ爽快で。

あろうことか、一緒に走った仲間に「ダウンいこうか!」とか誘ってしまったわけですよ、調子に乗って。

ランマニアを知るランナーなら「ランマニアがダウンだとよ!」と驚くはずです。

まあ本当に調子に乗るとろくなことがないわけでして、この「余計な」ダウンの最中、ついにふくらはぎが音を上げ、切れるところまで入っていないものの「この痛みはやばいやつだ」と感じるような一段階上の痛みが襲ったのでした。

当然、「ごめん、ちょっとふくらはぎやばいからやめる」とすぐにやめたのですが、その後も前足部で踏ん張るだけで少し痛みが出るほど強く張っていました。

とはいえ、このあとはしばらく休養だし、次週もE週間だからジョグだけしてれば良くなるだろうと、割と楽観的に考えてはいました。

実際、その後は軽いジョグや登山、それから意外とトレイルは負荷が分散しますのでそうした工夫をしながらジョグで繋いでいるうちに、痛みもほとんど消え、昨日の時点では張りもほとんどなくなっていたのですね。

なので、今日はやれそうだな、と思っていたのですが、やはり「レース後2週間は要注意」のマイルール通り、今日の練習で再び強い張りが出てしまいました。

もちろん、切れるほどの重症ではありませんし、ゆっくりとしたジョグなら問題ありません。着地の仕方を工夫すればおそらく痛みも出ないでしょう。

ただ、キロ4分30秒以内はまず無理です。

つまり当分はMペース以上で走ることはできません。

まあ事実上、練習ができないのと同じですよね。

せっかく積み上げたものが数週間でだいぶ元に戻ってしまうのが非常に残念ですが、考えてみれば昨年は非常に順調にことが進んだ年でしたし、最後にいいレースができました。なので、一度体をリセットするにはいい機会なのかもしれません。

それと、明日軽く走ってみて、もしスローなジョグが大丈夫なら、ゆっくりとしたジョグにじっくり取り組むにはいい機会かもしれません。

ランマニアのジョグは通常でもかなり遅いのですが、それでもキロ5くらいまでは上がりますから、それよりもずっと遅い、特に下腿の反発をほとんど必要としないようなペースのジョグをする機会というのは貴重かもしれません。

昨年8月のハムストリングス付着部炎以来の練習を中断する故障ですね。

そう言えばあの時もダニエルズ練開始後4ヶ月でした。

だいたい4ヶ月あたりが一つの様子見ポイントなんですかね。



やれる疲労かやれない疲労か

こんにちは、ランマニアです。

今日は今月最初のインターバルの日でしたが、残念ながら脚の疲労が酷く久しぶりの練習DNSとなりました。

これまで比較的Qデーを順調にこなせていただけに、今日のようにアップの時点で無理かも、と言うのは少し珍しいケースでした。

ある意味、計画通りの練習を忠実にこなしていたため、想定外の疲労とかダメージとか、そういったものを回避することができていたのかもしれません。

ところが今週は、先述の通り、予定外のトレイル練習を入れてしまったのがことの始まりです。

予定では、もう少し負荷の軽いトレイルを走る予定だったのが、想定外に累積標高も勾配も足にダメージの残るコースを走ってしまったのですね。

走りながら「このキツさはやばいなぁ」と思っていたので、その後の脚の筋痛はまあ予定通りと言えば予定通り。トレイル慣れしていない時の急激な負荷は、重い筋痛が残るのです。

さて、そこから中2日でジョグの方は大体いつものペースにまで戻すことができていたので、今日は試しにQデーの2回目を入れてみようと思ったのですが、ペースをあげた途端あり得ないほど脚がガチガチで、全くスピードを維持することができませんでした。

ジョグで温まれば筋痛も和らぐだろうと甘く見ていましたが、それ以前に筋力の発揮に問題が出るほどダメージを受けていたことに気づきました。

今回のように、筋そのものがダメージを受け、どんなに頑張ろうとも筋力を発揮できないような疲労状態の時は、とにかく心理的な頑張りでカバーしようと思ってもなかなか難しいものがあります。

一方、練習を長く積んできて、体全体がだるかったり頭が疲れていてぼうっとしてしまっているような時も、同じく練習に気持ちが向かないのですが、こう言う時はアップや流しを入れると頭の覚醒水準も戻ったりして、意外と走れてしまうことがこれまでもありました。

つまり、同じ「疲労」と言う状態でも、筋そのものが物理的にダメージを受けているのか、筋やそれと脳とを繋いでいる神経系を酷使したことで感じる「疲労感」なのかを見極めることは、一定期間安定して練習を続けるために割と重要なことだったりするのですね。

そして今日のように、脚そのものが物理的にダメージを受けているときは、走るフォームもおかしくなって、別の場所を故障しやすくなったりします(大腿部が疲労していると膝をうまく屈曲させられず、結果的にふくらはぎを痛めやすい、とか)。

なので、そうした懸念もあったことから、今日は体自体は元気であったものの、大事をとって強度の高い練習を避けたのでした。

いわゆるポイント練の際に、体が万全ではないことは比較的よくあることですが、そこで「その中でもやれる範囲でやる」のか「別の機会に設定し直す」のかは、なかなか判断の難しいところでもあります。

しかし、今日のようにメインがVO2Maxペースだったりする場合は、「遅いなりにやりきる」ことはほとんど意味がないので、やはりできるだけ良い条件で行うべきだと考えています。

箱根駅伝を見て考えたこと

こんにちは、ランマニアです。

みなさん改めまして本年もよろしくお願いいたします。

ブログの方は2021年最初の投稿となります。

さて、今日はランナーでない人にとっても衝撃の箱根駅伝となりましたね。

毎年この1月3日の昼前からの時間というのは、もうだいたい優勝チームが独走状態になっていて、「ああ、もうこのまま◯◯大学が優勝かぁ。ああ、休みが終わってしまうなぁ」というなんともいえない時間が流れていくのですが、今年は最後の10kmあたりから「おいおい待てよ、これこのまま終わらんぞ」と、ランナーやってればなんとなく危うい雰囲気を察せられるくらい状況が一変してきたのですね。

ハーフマラソンを走ったことのあるランナーであれば、もうあの小野寺くんの心境は決して他人事では済まされない状態、まさに手に取るようにわかるしんどさだったと思います。

おそらく彼の実力から想定されるハーフマラソンの1kmあたりの巡航ペースからは30秒くらい落ちてしまっていたと思いますが、自分も含め、ハーフマラソンのレース終盤でキロあたりのペースが30秒も落ちたと考えたら、まあ正直なところ「大撃沈」なわけで。もう完全に脚が止まった状態ですよね。気合いとか根性とかでどうにもならない状態。

そんな状況で後ろから日本学生界を代表するくらいのエリートランナーが猛追してきているなどと想像したら、そりゃもう泣きたくなりますよ。あと数キロで優勝できるかどうか、しかも個人ではなくチームが、という状況で。

ランマニアは、実はプロ野球にも思い入れの強いチームがあり、もう40年来そのファンをやってきているのですが、シーズン通して野球を見ていると必ずあるのが「クローザーが打たれて逆転負け」というパターン。

このパターンの負けは選手はもちろんのこと、見ているファンにとってもかなり後を引くしんどい負け方なのですが、今日の創価大学を見ていてまず頭に浮かんだのはこのことだったのですね。

野球はどうしても「ピッチャー優位」のスポーツですので、無意識のうちに「抑えて当たり前」の心境で試合を見てしまっているのです。

一方、マラソン・駅伝はその日の体調やレース運びによっては大どんでん返しがあるスポーツだとは分かっているのですが、例年のようにアンカーに数分差で襷がわたって独走状態なら、まあ多くの場合は「逃げ切って当たり前」という頭でレースを見てしまうと思うのです。

この「抑えて当たり前」の状態で投げるピッチャー。「逃げ切って当たり前」と思われてタスキを受け取るランナー。

こういう十中八九成功が約束されていると期待される立場の人のプレッシャーというのは計り知れないものがあると思うのですね。

幸か不幸か、ランマニアはあまりこういう経験はしたことがないのですが「できて当たり前」のことを失敗しないでやるというのは、どんな些細なことでもプレッシャーを感じるだろうなと想像します。

だからもう当然なんですが、彼を責めたり彼に落胆したりする人なんて誰もいないと思うのです。まあ、SNSで勝手なこと言っている人たちは誰にでもそうする悲しい人たちなので放っておけば良いのですが、少なくともランニングの経験がある人であれば、むしろあの状況でよくやったよね、と。

しかし、かつては高校駅伝や箱根駅伝(の予選会)にも関わったことのある人間の立場から想像するに、やっぱり今日の結果を一番悔いているのは本人だと思うのですね。レースとしてはおそらくオーバーペース気味で失敗レースとなってしまったわけですし。周囲がどんなに励ましたりフォローしたりしても、自身の納得とはなかなか結びつかないもので。

ただ、ブラウン管越し(いや、今は液晶越しって言うのかな)に見ていたおじさんが感じたことを一つだけ伝えるとしたら、それはもうとにかく駒澤大学は強かったです、ということ。

いや、もっというと東洋大学も青山学院大学も相当強かった。メンバーの持ちタイム、走り方、そういうものから推測するに、おそらく戦力では申し訳ないけど創価大学は全く歯が立たなかったはず。

優勝なんてとんでもない。申し訳ないけど、できるわけがない。

東洋や青山にだって勝てはしなかったはず。

だから、チームとしての成績は2位でも出来過ぎなんです。途中まで1位にいたから2位が残念に感じるし、なんだか9回の裏サヨナラホームランみたいな感覚になってしまっているけど、9区までの展開次第では2位も3位も、4位だって難しくなった可能性は十分あったはずで。

とにかく、10人の合計タイムで見てみたら二番目だった。東洋よりも青山よりも上にいた。

だからすごい、本当によくやった。

っていうのではなく、駒澤大学が13年間も優勝できないんだから、そんなに簡単なことじゃないんだよ、っていうこと。

それを伝えますかね。

自分の失敗でチームの優勝を手放した、って思うのは当然でしょうけど、そんな失敗一つ防いだくらいで優勝できてしまうほど、箱根駅伝で優勝するなんてそんな簡単なことではないよね、っておじさんは思うのですね。

1人の力でどうにかできるほどそんな簡単なことじゃないんだろうな、と。

「お前1人の力でどうにかなったと考えるのはむしろ自惚だ!」くらいのことを言われた方が、本人は救われるのかもしれませんけど。

いや今日は本当はこんなこと書くつもりではなかったんですよね。

駅伝の途中で外に散歩しに行って、その間に全然別のこと思いついて、それをブログにしよう、って考えていたのですね。

高度に商業化した箱根駅伝という「ビジネスコンテンツ」についてとか、関東学生陸上界の箱根駅伝至上主義が生み出す日本の長距離界の功罪とか、そんなものを思い描いていたのですがね。

そうしたものが、最後の大逆転でぜーんぶぶっ飛んでしまいました。

2020年を振り返ってみました

こんにちは、ランマニアです。

さて今年も残り2日となりましたが、とにかくこの2020年はランマニアにとってエキサイティングな1年となったのですね。

まず今年は一念発起して、本ブログとTwitterをこの歳になって始めてみました。

以前から知り合い向けの非常に世界の狭いブログは発信していたものの、本ブログのような世界中の(といっても日本の人しか知らないと思いますが)誰もが見れるブログ、読み手にとってブロガーが全く赤の他人で素性の知れない人間、という状態で書くブログというのは初めてのことでした。

始めた頃は公開することに大変勇気が要りましたし、そして初めの数週間はどこにも引っ掛からず全世界でPV 0という状態がずっと続きましたからね。これは本当に厳しい現実でした。

しかし、さらに大きな一歩を踏み出してTwitterなるものに挑戦してみたところ、こちらも初めこそ「いいね0」「フォロワー0」が続いたものの、しばらく続けているうちに非常に多くの方と交流することができ、こんな一市民ランナー(しかもいい歳したおっさん)の練習内容や呟きに関心を持っていただける方にも恵まれました。

これはまさに2020年最大のニュースでしたね。

そしてそれらをきっかけに、これまで取り組んだことのなかった(というより無理だと思っていた)練習メニューにも挑戦することになり、結果的にそれを通年継続することができ、多くのレースで手応えを掴むことができました。

まずはスカイランニング。

残念ながら昨年Aチームに入ることのできたJSAのジャパンシリーズは中止となってしまいましたが、幸いレース自体はいくつも開催され、10月からほぼ毎週のようにレースに参加することができました。

特に、今年は本格的に「バーティカル」レースにも参加しようと思い、日本選手権ともなった尾瀬岩鞍バーティカル、そして初のコンバインド参戦となった烏帽子バーティカルの2レースを走ることができました。

スカイランニング初戦となった尾瀬岩鞍バーティカルレース。坂という坂が全て急登、そして途中にその下りも存在し想像以上にテクニカルなコースでした。(名物「ジャイアントウォール」はむしろおまけ)

尾瀬岩鞍は、さすが日本選手権とも言える豪華メンバー勢揃いで、順位的には全く歯が立ちませんでしたが(40位以降)、序盤から攻めた走りをして心肺をかなり追い込むことができました。「短くて速い」バーティカルレースは、どちらかというと若い人の方がパフォーマンスを発揮しやすい印象を持っていますが、そうした中でまだまだ心肺機能をフルに使って戦えることがわかったことは大きな収穫でした。

尾瀬岩鞍のコースは、とにかく坂が全て急勾配。この、まさに立ちはだかる壁に挑戦するのが、尾瀬岩鞍最大の特徴であり難しさ、そして魅力であると思っています。

烏帽子バーティカルは、これぞスカイランニングと呼ぶにふさわしい、まさに空に向かって駆け上がる登山競走。

そして2つ目は昨年も出場した烏帽子バーティカル。勾配はやや緩やかながら、一定の苦しさを60分以上維持しなければならない、バーティカルとしては比較的距離の長いバーティカルレース。しかし、むしろ長距離ランナーとしての有酸素能力や無酸素性作業閾値がかなり活きてくるコースであるため、ランマニア的には自分の力をフルに使って走ることができるとても好きなコースです。

昨年は目標の30位以内に入り、今年はさらに上を目指し20位以内を目指したところ、なんとか昨年の記録を上回り20位以内に滑り込むことができました。これは相当自信になりました。

続いてスカイレース。

こちらも2戦に出場しました。

志賀高原エクストリームトレイルは、過去あまりいい思い出がないレースですが、ランマニア的にはとても気に入っているコース。色々な意味で「エクストリーム」ですが、目まぐるしく変化するコースが最大の魅力だと思っています。

1戦目はもう3度目の挑戦となる志賀高原エクストリームトレイル。一昨年はコースロスト、昨年は終盤低血糖に陥り、とにかく毎年このエクストリームなコースに打ちのめされてきました。

今年は長距離ランナーとしての練習をかなり積めてきたので、この30km以上のトレイルコースをしっかり走りきれるかある意味楽しみでした。

結果は、最終盤の山場「サンバレースキー場」の激坂も半分以上走り通すことができ、最後はキロ5分程度のペースを維持してゴールまで走り切ることができました。歩行区間が2箇所に増えたにもかかわらずコースベストを出すこともでき、この辺りから練習の手応えも感じていたところでした。

今年から正式種目になった烏帽子スカイレース。前日のバーティカルとは逆側から烏帽子岳を一気に駆け上り、下山後はなんとロードレースと化す非常にエキサイティングなスカイレースです。

そして2戦目は前日のバーティカルとのコンバインドとなった烏帽子スカイレース。以前のランマニアなら、絶対にコンバインド(2日連続2種目レース)など不可能でしたが、本当に今年はいわゆる「脚ができて」きた感覚を得ていたので、思い切って2種目にエントリーしてみたのですね。

結果は、2日目のスカイレースでも20位以内に入ることができ、コンバインドとしても十分すぎる結果を残すことができました。前日のバーティカルの疲労を、なんとか1日で回復させられるような脚ができてきたんだと、この時はとても大きな手応えを感じました。

そして今年はトラックレースにも2戦出場しました(マイルリレーを入れると3戦ですが・・)。ゴセンとセンゴです。

織田フィールドは学生時代5000mのPB(つまり今のPB)を出した思い出深い競技場。

1戦目はM×Kディスタンスの5000m(公認)です。

この5000mという種目は、自分の中でずっとこだわり続けてきた種目なので、何度走っても緊張しますし失敗するのがとても怖い種目なんですね。

特に、この時は志賀高原に出場した翌週のレースで、おそらくかなりの疲労が溜まっている中でしたから、正直しっかり走れる自信はなかったのです。

なんとなく脚は重いし、イメージする3分10秒ペースがとても速く感じていました。

結果的にどうにか16分11秒というここ数年では最も速いタイムを出すことができましたが、3分12秒ペースがとてつもなく速く感じてしまったのは少し残念でしたね。

そして2戦目は先日走った1500mです。

今にして思えば、全く実力通りのタイムだったのですが、4年半前のタイムを考えるとあまりにもかけ離れた記録だったため、ここで受けたショックは相当大きかったですね。

4分27秒。

いわゆるキロ3ですか。キロ3なんてかつてはインターバルで走ってたようなペースですからね。これでセンゴが精一杯、っていうのがかなり残念。

いずれにしても今の自分の最大の課題がわかったレースでした。

そして最後はつい先日のロードレース。今年唯一のロードレースとなってしまいました。

結果は先日書いた通り。久しぶりにネガティブスプリットでペースをコントロールできた、非常に満足度の高いレースとなりました。

ただし、その脚の余裕に比べて呼吸の方がリミットに近く、つまりは「長くは走れても速くは走れない」状態。センゴで課題になったことが10kmロードでも如実に現れた結果となりました。

さて、こうしてみると2020年、自分の中では確実に「走れる脚」が出来上がり、練習量や距離に対してだいぶ自信がついてきた一年でした。

その一方で、高強度の練習が不足しているため、短時間で大量のエネルギーを産出させるようなエネルギー供給系に全く刺激が入っておらず、1500mや5000mのような比較的短い距離で出せるスピードが頭打ちになっている印象を持ちました(10kmでも、ある一定のペースを上回ると急激に苦しくなる)。

現在取り組んでいるダニエルズのマラソントレーニングは、まだあと2ヶ月ほど残っているので、ちょうど寒い冬の時期はこのトレーニングを継続し、フルマラソンをしっかり走りきれるような脚が出来上がったあたりで一旦休養を入れ、その後は少し短い距離で強度の高い練習に比重を置いて、もう一度トラックにも通用する体を作りたいと思っています。

それがそのまま2021年の目標になりますね。

2020年のラスボスは10kmロード

こんにちは、ランマニアです。

今年も残すところ後1週間となりました。

2020年はなんだかんだでコロナコロナな一年でしたが、個人的にはブログやTwitterを始めて様々な刺激、知識、励ましなどをたくさんもらえた一年になりました。

またそのおかげでこれまで取り組んだことのないような練習メニューに出会えたり、長い期間質の高い練習を継続できたりと、意外なほどトレーニングや競技に対してはプラス要因が多い一年でした。

さらに、例年故障や慢性疲労症状に悩まされることの多かったランマニアが、今年はほとんどそれらが原因で長期に離脱することもなく年間を通して安定的に練習メニューをこなすことができ、同時に限られたレースでもそこそこの結果を出すことができました。

これはもうほとんどTwitterで知り合った多くの方々から頂いた貴重なヒントのおかげであると確信しています。

控えめに言ってTwitterは最高です。

さてそんな2020年の最後の1週間に、まあ言ってみれば「ラスボス」みたいな最後の難関が立ちはだかっています。

自分でエントリーしておいて難関というのも変な話ですが、川内杯栗橋関所マラソン(ロード10km)です。

このレースは昨年初めて出場し、非常に走りやすく好印象なコースで、練習の合間にLTペースで走る機会を確保するには大変理想的なレースと感じました。

その理由としては、完全フラットの河川敷折り返しコースであること。そして、意外なほど(と言っては失礼ですが)レベルの高いレースで、自分の走力にあった集団の選択肢が多い、ということが挙げられます。

昨年はインフルエンザ明けということもありものすごく体が動かなかったのですが、それでもいい集団に恵まれ、34分台でフニッシュすることができました。

そんなレースだったため今年も迷わずエントリーしたのですが、今回は数ヶ月に及ぶマラソントレーニングの真っ只中、そして4サイクルあるトレーニングサイクルの中では最もハードなLT週間に当たってしまい、それなりにハイリスクなレースとなるのは間違いありません。

故障のリスクと撃沈のリスク。

まさにラスボスですね。

特に故障のリスクは看過できず、最もふくらはぎに負担のかかるLT走を、3日前はトータル12km以上入れてしまったため、同じ週にもう一度LTレベルのペースで10km(しかもレース)走るというのはかなり肉離れの危険性が高まったと感じています。

一旦ふくらはぎをやってしまうと、通常一月近くはインターバル系の練習は入れられませんし、周辺の筋肉に肉離れが「転移」することが経験上わかっています。なので、これだけは絶対に避けねばなりません。

なのでここ2日間はあえて極端にペースを落としたジョグを軽く入れるのみにし、練習のボリュームを確保するというよりは、筋へしっかりと血流を送り込み少しでも回復を早めようと無駄にあがいてみたのですね。

レースまではまだ残り3日ありますので、2日間は軽めの練習、というか運動で回復させる時間は残っています。

一方で、今年に限っていえば(いやしばらくは)かなり貴重なロードレースとなるわけですから当然記録も狙いたいところが正直な心境です。怪我をしないという大前提の中で。

ここまで続けてきたトレーニングの結果として、どのような効果が体感できるかある意味楽しみでもあります。

現時点で理想としているレース展開としては、「呼吸はそこそこ苦しいけど脚は疲れず最後まで我慢の走りで持っていける」ような感覚。これを掴めれば御の字と考えています。

出し切らずにやり切る

こんにちは、ランマニアです。

来年1月に予定していたある意味本命レースのハイテクハーフマラソン(公認)が中止となってしまい一瞬にして目標を失ったランマニアです。(そんな中毎日Twitterに「やるぞ、やるぞ」な勢いでツイートを上げている栗橋関所マラソンは本当にすごい。ゲストもすごい。)

しかし、そうした社会情勢に反して、自身の練習の方は先月あたりから確かな手応えを感じられるようになってきているのですね。

今年4月からダニエルズのトレーニングプログラムに取り組んでいるのですが、ここ数ヶ月は練習の中でその効果を非常に体感できています。

具体的に、そして端的に言うと、「脚が疲れない」。

ランマニアがトレーニングを継続していく上で、さらには絶対的な競技力の如何を問わず常に記録の向上を目指して取り組むアスリートを「競技者」と呼ぶならば、その「競技者」を続けていく上で最大のネックになるのは、このブログをずっと読んでくれている方には既知の事実ですが、自身が抱える慢性疲労症状です。

これとどう上手く付き合うか、あるいはこれを克服するかが自身の競技力に直結するわけでして、言ってみれば練習内容云々よりもはるかに大事なことだったりします。

「疲れやすい」

これは長距離を続ける上ではその競技の本質に関わるほど重大な問題であるので、常に言い訳にしたくないと考えていても競技力をスポイルするには確定的な要素になっているのですね。

しかしその「疲れやすさ」を、自身の肉体を鍛えることで「疲れにくさ」を手に入れ、それを相殺できれば結果的にプラス側に体力がシフトするのではないかと考え、春からのトレーニングを継続してきました。

今だから正直に言いますが、これはかなりしんどかったですね。

昨年以前のランマニアの練習パターンとしては、週に2〜3度のポイント練を入れ、間の練習は全くやらないかやっても10km程度のゆっくりとしたジョグ。このジョグも疲労を回復させることを目的としたものなので、今のような有酸素能力の開発・維持といった目的は全くありませんでした。ポイント練自体も、今のようなボリュームは全く確保できず、1000mなら3本、LT走でも20分未満といった、本当にお茶を濁す程度。

とにかく一度のポイント練による疲労が尋常でなく、一度それを入れるとその週の練習はほとんどダメになるか、長期にわたって不調に陥る、というのを繰り返していました。

なので、ダニエルズさんの練習計画に従ってトレーニングを継続していくなど、多分無理だろうなと思っていましたし、実際最初の頃は無理でした。

特に、ゴールドエリートプログラムの頃は本当にしんどく、週にある2回のQデーのうち片方は確実に撃沈していました。撃沈していましたが、あのサイクルで4ヶ月も練習を継続できたのはある意味奇跡で、遅いなりにやり切れていることに体の変化を感じていたものでした。

潮目が変わってきたのが今のマラソントレーニングを始めて2ヶ月あたりの頃。ちょうどトレラン・レースラッシュが一息ついて11月に入った頃ですね。

最も大きな変化は、1回のQデーの後の練習にかなり余裕が出てきたこと。結構ハードなインターバルやLT走、また距離の長いMペース走などの翌日の脚の状態が、非常に良好になっていることに気づきました。

具体的には、「今日別に落とさなくてもいいんじゃね」くらいの脚の状態、疲労の状態で、念のため60分ジョグとかで抑えていたものの、高校、大学時代のように二日連続で高強度練をやれと言われてもそこそこは走れそうな感覚を持っていました。脚の重さはあるものの気持ちで押していけちゃう、みたいな。

こうなってくると、毎週のQデーがそれほど憂鬱に感じなくなってきて(いやもちろん退勤後の夜の公園で激走するのはしんどいですけど)、多少の疲労があってもペースを落とせば最後までやり切れるだろう、と言う見通しを持って臨むことができるようになりました。

そして疲れがある状態でも、若干ペースを抑えて最後までやり切ってみよう、最後は出し切らなくてもやり切れる範囲で走り切ろう、と言う心構えでQデーに臨むようになりました。

学生時代は、最後に余力があるならそれを全て使い切って、振り絞って、練習では出し切るのが当然でした。ライバルにも負けたくなかったですし。

それが、現在は例えば本練習の初めの入りが想定タイムよりもかなり遅かったとしても、そこで気持ちが切れることもなく、じゃあ疲れてるんだろうからもうこの遅いペースでいいから最後までやり切ることを目標にしよう、と言うように途中で気持ちを切り替える、目標をシフトできるようになっています。

これはもちろん、今の練習がマラソントレーニングという、どちらかというと距離や時間を確保することが目標になる練習が中心だからと言うのもあります。

5000mのレースを目標にしていて、1000mのインターバルを3分20秒でいいや、なんて言うことはありえないわけですし。

そして、そのように「出し切らずにやり切る」ことを目標にできるのも、ある意味疲れにくい脚ができてきたからと言うのもあり、例えば一回のポイント練の疲労がかなり残っている状態であれば、最後までやり切ろうなどと思えるはずもなく、ペース上げて1本でやめようみたいな気持ちになっていたのが去年までです。

それが、脚はまだ動くんだから本数はこなそう、と思えるのも疲労が軽い証拠なのだと自分ではそう了解しています。

確かに、自分のここ数年のフルや5000mのタイムから考えると、練習時の実際のペースはかなり遅いことは否めません。果たしてこんなペースで走ってて練習になってるのかな、と思う時もあります。

しかし、この明らかに「疲れにくく」なった脚は今までのランマニアでは考えられない感覚です。月間350kmをもう半年以上連続で続けています。昨年までは300kmを超える月は年に2回あればいい方だった中で。

この「疲れにくさ」が果たして本当に走力につながっているのかを検証するには、やはりフルマラソンのレースに出るしかありません。5000mや10000mでは、どうしても無酸素よりの走力でカバーできてしまうため、ランマニアの疲労症状の影響があまり出ないからです。

せめてハーフでも、と思ってたところでの大会中止。

この検証の機会はもう少し先になりそうです。

「制限」から生まれる「自由」

こんにちは、ランマニアです。

最近ランでもそれ以外でも、ちょっと思うことがあってこんなことを考える機会が多かったのですね。

欲しいものややりたいことが無制限に与えられた状態では、確かに全てが手に入るので何でもできるし苦労しないわけで。

この極端な例はお金で、お金が無制限に手に入ればもう一生働かずに済みますし(憲法では労働の義務が規定されているのでそうもいきませんが)、お金をいくらでも投じて様々な自由が手に入るのですね。

しかし最近、こうした無制限に与えられるものから得られる「自由」というのは本当に「自由」なのかな、と思うことがあります。

こういう「自由」は「一見」自由なだけではないだろうか、と。

「無制限」というのは別の見方をすると「全てを与えられる」という意味にも捉えることができ、それは「受動的」とも言え、「自ら獲得する」能動性とは対照的な状態だと考えるのですね。

例えば、何らかの制限があり、これは手に入らない、これは利用できない、というものがあったとき人はどうするかというと、なんとかしてそれに代わるものを探したり、あるいは自分で考えてそれと同じ役目を持つものを創造したりすると思います。

私たち市民ランナーが最もそれを感じる瞬間は、やはり「いつ練習するか」という練習時間のことを考える時だと思います。

もし、お金が無制限にあり、毎日走るだけの生活ができたとすれば(いや世の中にはそういう方々もおられるとは思いますが)、いつでもどこでも何度でも走ることができると思いますが、残念ながら我々多くの一般市民ランナーはほとんどフルタイムで働いていて、かつ通勤時間や残業時間に時間を取られて走る時間はかなり限られてきてしまっていると思います。

しかし、そんな「制限」の塊のような生活をしている中でも、多くの市民ランナーは恐ろしくレベルの高い練習を積んで(これは距離が多い、というだけではなく)、そして年齢に不相応な自己ベストをかなりの頻度で連発しているのですね。

これは何なんだろうと思うわけです。

これはランマニア自身を振り返りながら考えてみるのですが、やはり「制限」の中から生まれる「自由な」発想にほかならないのではないかと思うのです。

例えばインターバルの時間が朝も夜も確保できない、なんていうことがあったとすると、もうやるには昼休みしかない、という状況、つまりは最大級の「制限」が訪れたとします。

こうした時に、その人の仕事の状態やライフスタイルにもよるとは思いますが、同じ負荷をかけるにはどうしたらいいか様々なことを考えると思うのですね。

ランマニアが思いつくだけでも、

・昼休みのわずかな時間にアップ短めにして一本のスピードを極力高め、インターバル短めで本数少なめ、という超高強度インターバルに変更

・帰宅に電車を使うのをやめ、信号ごとに全力ダッシュとジョグを繰り返す

・職場がビルなら上下の移動を全て階段を使い全力で駆け上る

など、学生時代に練習するための時間(部活動)が確保されていた時には想像もできなかった練習方法を考えつくわけです。

こういう「自由な」発想は、「無制限」の状態ではなかなか思いつくことはなく、「制限があるからこその自由」とも言えるのではないかと思うのですね。

そんなことから、ランにせよ何かの趣味にせよ日常生活にせよ、それらに何らかの「制限」がある状態を、最近は意図的に作り出してそれを楽しもうと考えています。

Twitterで多くの市民ランナーの方の練習を見ていると「本当に仕事をしているのか?」と思えるほどものすごい練習やハードなトレーニングを長期間にわたって継続している方々何人もいます。

きっと、こういう方達は毎日の生活の中で常に自分で練習時間を捻出する工夫をしたり、練習内容を自ら創造したりして強くなる工夫を「自由に」行っているのだろうな、と想像します。

「どうしたら強くなるか」ということを考えた時に、「どんなメニューを行えばいいか」を考える楽しさに加え、「どんな工夫をして練習時間を確保するか」といった、練習内容を自由に創造する楽しさというのも最近はあるように思います。