2020年を振り返ってみました

こんにちは、ランマニアです。

さて今年も残り2日となりましたが、とにかくこの2020年はランマニアにとってエキサイティングな1年となったのですね。

まず今年は一念発起して、本ブログとTwitterをこの歳になって始めてみました。

以前から知り合い向けの非常に世界の狭いブログは発信していたものの、本ブログのような世界中の(といっても日本の人しか知らないと思いますが)誰もが見れるブログ、読み手にとってブロガーが全く赤の他人で素性の知れない人間、という状態で書くブログというのは初めてのことでした。

始めた頃は公開することに大変勇気が要りましたし、そして初めの数週間はどこにも引っ掛からず全世界でPV 0という状態がずっと続きましたからね。これは本当に厳しい現実でした。

しかし、さらに大きな一歩を踏み出してTwitterなるものに挑戦してみたところ、こちらも初めこそ「いいね0」「フォロワー0」が続いたものの、しばらく続けているうちに非常に多くの方と交流することができ、こんな一市民ランナー(しかもいい歳したおっさん)の練習内容や呟きに関心を持っていただける方にも恵まれました。

これはまさに2020年最大のニュースでしたね。

そしてそれらをきっかけに、これまで取り組んだことのなかった(というより無理だと思っていた)練習メニューにも挑戦することになり、結果的にそれを通年継続することができ、多くのレースで手応えを掴むことができました。

まずはスカイランニング。

残念ながら昨年Aチームに入ることのできたJSAのジャパンシリーズは中止となってしまいましたが、幸いレース自体はいくつも開催され、10月からほぼ毎週のようにレースに参加することができました。

特に、今年は本格的に「バーティカル」レースにも参加しようと思い、日本選手権ともなった尾瀬岩鞍バーティカル、そして初のコンバインド参戦となった烏帽子バーティカルの2レースを走ることができました。

スカイランニング初戦となった尾瀬岩鞍バーティカルレース。坂という坂が全て急登、そして途中にその下りも存在し想像以上にテクニカルなコースでした。(名物「ジャイアントウォール」はむしろおまけ)

尾瀬岩鞍は、さすが日本選手権とも言える豪華メンバー勢揃いで、順位的には全く歯が立ちませんでしたが(40位以降)、序盤から攻めた走りをして心肺をかなり追い込むことができました。「短くて速い」バーティカルレースは、どちらかというと若い人の方がパフォーマンスを発揮しやすい印象を持っていますが、そうした中でまだまだ心肺機能をフルに使って戦えることがわかったことは大きな収穫でした。

尾瀬岩鞍のコースは、とにかく坂が全て急勾配。この、まさに立ちはだかる壁に挑戦するのが、尾瀬岩鞍最大の特徴であり難しさ、そして魅力であると思っています。

烏帽子バーティカルは、これぞスカイランニングと呼ぶにふさわしい、まさに空に向かって駆け上がる登山競走。

そして2つ目は昨年も出場した烏帽子バーティカル。勾配はやや緩やかながら、一定の苦しさを60分以上維持しなければならない、バーティカルとしては比較的距離の長いバーティカルレース。しかし、むしろ長距離ランナーとしての有酸素能力や無酸素性作業閾値がかなり活きてくるコースであるため、ランマニア的には自分の力をフルに使って走ることができるとても好きなコースです。

昨年は目標の30位以内に入り、今年はさらに上を目指し20位以内を目指したところ、なんとか昨年の記録を上回り20位以内に滑り込むことができました。これは相当自信になりました。

続いてスカイレース。

こちらも2戦に出場しました。

志賀高原エクストリームトレイルは、過去あまりいい思い出がないレースですが、ランマニア的にはとても気に入っているコース。色々な意味で「エクストリーム」ですが、目まぐるしく変化するコースが最大の魅力だと思っています。

1戦目はもう3度目の挑戦となる志賀高原エクストリームトレイル。一昨年はコースロスト、昨年は終盤低血糖に陥り、とにかく毎年このエクストリームなコースに打ちのめされてきました。

今年は長距離ランナーとしての練習をかなり積めてきたので、この30km以上のトレイルコースをしっかり走りきれるかある意味楽しみでした。

結果は、最終盤の山場「サンバレースキー場」の激坂も半分以上走り通すことができ、最後はキロ5分程度のペースを維持してゴールまで走り切ることができました。歩行区間が2箇所に増えたにもかかわらずコースベストを出すこともでき、この辺りから練習の手応えも感じていたところでした。

今年から正式種目になった烏帽子スカイレース。前日のバーティカルとは逆側から烏帽子岳を一気に駆け上り、下山後はなんとロードレースと化す非常にエキサイティングなスカイレースです。

そして2戦目は前日のバーティカルとのコンバインドとなった烏帽子スカイレース。以前のランマニアなら、絶対にコンバインド(2日連続2種目レース)など不可能でしたが、本当に今年はいわゆる「脚ができて」きた感覚を得ていたので、思い切って2種目にエントリーしてみたのですね。

結果は、2日目のスカイレースでも20位以内に入ることができ、コンバインドとしても十分すぎる結果を残すことができました。前日のバーティカルの疲労を、なんとか1日で回復させられるような脚ができてきたんだと、この時はとても大きな手応えを感じました。

そして今年はトラックレースにも2戦出場しました(マイルリレーを入れると3戦ですが・・)。ゴセンとセンゴです。

織田フィールドは学生時代5000mのPB(つまり今のPB)を出した思い出深い競技場。

1戦目はM×Kディスタンスの5000m(公認)です。

この5000mという種目は、自分の中でずっとこだわり続けてきた種目なので、何度走っても緊張しますし失敗するのがとても怖い種目なんですね。

特に、この時は志賀高原に出場した翌週のレースで、おそらくかなりの疲労が溜まっている中でしたから、正直しっかり走れる自信はなかったのです。

なんとなく脚は重いし、イメージする3分10秒ペースがとても速く感じていました。

結果的にどうにか16分11秒というここ数年では最も速いタイムを出すことができましたが、3分12秒ペースがとてつもなく速く感じてしまったのは少し残念でしたね。

そして2戦目は先日走った1500mです。

今にして思えば、全く実力通りのタイムだったのですが、4年半前のタイムを考えるとあまりにもかけ離れた記録だったため、ここで受けたショックは相当大きかったですね。

4分27秒。

いわゆるキロ3ですか。キロ3なんてかつてはインターバルで走ってたようなペースですからね。これでセンゴが精一杯、っていうのがかなり残念。

いずれにしても今の自分の最大の課題がわかったレースでした。

そして最後はつい先日のロードレース。今年唯一のロードレースとなってしまいました。

結果は先日書いた通り。久しぶりにネガティブスプリットでペースをコントロールできた、非常に満足度の高いレースとなりました。

ただし、その脚の余裕に比べて呼吸の方がリミットに近く、つまりは「長くは走れても速くは走れない」状態。センゴで課題になったことが10kmロードでも如実に現れた結果となりました。

さて、こうしてみると2020年、自分の中では確実に「走れる脚」が出来上がり、練習量や距離に対してだいぶ自信がついてきた一年でした。

その一方で、高強度の練習が不足しているため、短時間で大量のエネルギーを産出させるようなエネルギー供給系に全く刺激が入っておらず、1500mや5000mのような比較的短い距離で出せるスピードが頭打ちになっている印象を持ちました(10kmでも、ある一定のペースを上回ると急激に苦しくなる)。

現在取り組んでいるダニエルズのマラソントレーニングは、まだあと2ヶ月ほど残っているので、ちょうど寒い冬の時期はこのトレーニングを継続し、フルマラソンをしっかり走りきれるような脚が出来上がったあたりで一旦休養を入れ、その後は少し短い距離で強度の高い練習に比重を置いて、もう一度トラックにも通用する体を作りたいと思っています。

それがそのまま2021年の目標になりますね。

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