走る理由を考えてみる

こんにちは、ランマニアです。

ちょっと今週はブログを書こうにも「ランマニア撃沈日記」になりそうなので、ちょっと趣向を変えて練習以外の話題について。

そもそもランマニアは、もうかれこれ30年以上も走り続けていますがなぜそこまでして走り続けるのでしょうか。

途中体を壊して(走ることが理由ではないですが)満足に走れなくなってしまった後にも、これまで執念深く(?)走る理由はなんなのか、とふと考えることがあるのですね。

人間が何か行動を起こしたりその行動を維持したりする原動力のことを「動機付け」と言ったりしますが、ではランマニアにとって「走る動機付け」とはいったいなんなのでしょう。

人間がある行動に対して動機付けが発生し、その行動が維持される際には、大きく分けて二つのパターンが存在するとランマニアは考えています(というか学説的にも)。

一つは、その行動をとるとなんらかの報酬が得られる場合。

この場合の「報酬」とは、なにも物質的なご褒美や金銭的なお給料みたいなものに限らず、人間が「快」に感じるものであればなんでも良いのです。他者からの称賛、自己満足、達成感、気持ち良い感覚など、どんなものでも「報酬」として機能します。

もう一つの動機付けは、その行動をとるとなんらかの罰を回避することができる場合。

この場合の「罰」も、身体的な苦痛や懲罰のようなものに限らず、単純に「不快」なものであればなんでも機能します。他者からの叱責、自責の念、不快感、など、「嫌だな」と感じるものは全て「罰」として機能します。

人間の行動は、だいたいこの二つのパターンによって維持されていると考えています。

では、ランマニアのランニング、長距離走、これらの行動が毎日維持されている動機付けとはいったいなんなのでしょう。

自覚しているものとしては、やはり上にあげた二つのパターンが両方とも存在しています。

まず「報酬」が得られることによる動機づけについて。

一つ目は、なにはさておき、やはり「走る」という行為自体の「楽しさ」があります。脚を動かしてリズミカルに衝撃を感じながら前へ進む感じ。呼吸や腕振りなどが気持ちよく同期して力強く体が同調する感じ。体全体に感じられる風の心地よさ。さらには走ることで脳の中で出る「気持ちよくなる物質」の効能。こう言った「感覚的」な楽しさは、この走ることの醍醐味と言えると思います。こういった「その場で得られる」報酬を、即時的な報酬と呼ぼうと思います。

二つ目は、練習をすることで自分の体が強くなり、走力が向上する楽しさ。達成感。充実感。自己有能感。効力感。なんだか訳のわからない自信。このような心理的な充足感を得られるのもランニングに限りませんがスポーツの醍醐味の一つでしょう。ただし、これはその場では得られず、ある程度練習を重ねてその成果として遅れてやってくる「報酬」なので、遅延報酬と呼ぼうと思います。

三つ目は、健康な体を得られること。走りすぎさえしなければ、いつまでも健康的で若々しい肉体でいられます。病気もしにくいでしょう。ご飯もとても美味しい(というか美味しく食べるために走っている)。極端に歪んだボディイメージは持ってはいませんが、やはりそれなりに引き締まった体でいられることは嬉しいことです。これもやはり報酬として機能していて、こちらについても若干遅延的な報酬と言えるかもしれません。

四つ目は、他者からの称賛、評価。人間、褒められて嫌な気持ちになる人は、ある特定のタイプの方以外はほとんどいないものと思います。褒められたくて仕方がない、というほどではなくても、多かれ少なかれ褒められることは「報酬」として機能するはずです。ランマニアも、やはり職場やラン仲間以外の集まりで「走るのすごいんだって?」と言われたり、あるいはラン仲間やSNS上で記録を褒められたりすることは嬉しいものです。これも、即時的に得られる報酬というよりは遅延的かあるいは偶発的かもしれません。

では、もう一つのパターン、「罰」を回避するための動機付けとはなんでしょう。

これもいくつかあり、一つ目は、「遅くなる」ことへの不安。走るのをやめて走力が落ちてしまうことへの怖さ、これはランナーなら誰しも感じることと思います。その恐怖(罰)を回避するために練習をしている、というのは、残念ながら0ではありませんね。

二つ目は、健康でなくなることへの不安、恐怖。もうこの年齢ですから、少し練習から遠ざかれば一気に体力は衰えていきますし、体型も変化してしまうでしょう。そうしたことへの不安感はないとは言えません。(まあ、中核的なものではありませんけどね)

そして、これはもう今ではほぼ確実に0に近くなりましたが、中学や高校、ギリギリ大学くらいまでは感じていたのが、「練習を休むことへの自責の念」ですね。今にして思うと、まあなんでまたこんなことで休むことを恐れていたんだろう、と思うようなどうでもいいことなんですが、部活のような集団で取り組むスポーツでは非常に感じやすい「危険な」罰刺激ですね。いわゆる「サボっている」という自覚、背徳感、自責の念。こうしたことも「罰」として機能するでしょう。スポーツはあくまで「自主的」「自律的」なものですから、そもそも「サボる」という概念はないはずなんですけどね。

こうして振り返ると、ランマニアの走る理由がだいたい整理されてきました。まあ、30年以上も続いている活動ですから、動機付けも多彩ですし、特に「報酬」へむかう動機付けは強いものがありますね。

とは言え、明日は週に一度のレストの日。

ランニングは楽しいと言っても、仕事の疲れを押しての活動で、のんびりしたい気持ちもなくはないですし、ジョグとて身体には負荷のかかる運動です。

だからやっぱり休みの日は嬉しいものです。

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