オーバーペースの心理学

こんにちは、ランマニアです。

ランナーなら誰しも経験があるオーバーペース。

オーバーペースの定義って難しいですが、例えば、レースの後半の方がペースが上がる「ネガティブスプリット」以外は全部オーバーペース、と言ってしまうのは少し乱暴な気がします。

例えば、フルマラソンなどは日本記録が出るときさえもネガティブスプリットとはいかないですからね。日本記録が出てもオーバーペースと言うのはやはり語弊があると思います。

とはいえ、ランナーの皆さんなら、オーバーペースと言えば「ああ、ああ言う状態でしょ」と言う共通認識はありますよね。もう思い出したくもないあのレース終盤の悲惨な状況。惨状

ランマニアが自覚しているオーバペースレースで最も古いものは、高校1年生でのデビュー戦5000mです。

中学まではレースで走ってもせいぜい3000mでしたから5000mなんて未知の世界だったわけです。しかも、長距離のなんたるやも全くわかっていない勘違い野郎

初レースで張り切っていたのでしょう。スタート直後から猛烈ダッシュですよ。多分ですね、100mのベストタイムより100mの通過は速かった気がします。

ですが、それでも意外と持つんですね。うっすらですが2000mくらいまでは「これいけんじゃね」って思ってた記憶があります。

しかし、様相が激変したのは3000m過ぎです。

呼吸が猛烈に苦しくなり、顎が上がり、脚がピタリと止まったのです。若かりしランマニアには訳がわかりません。まさに「なんじゃこりゃぁ〜」です。

そしてもうそこからは皆さんのご想像通り。まあひどい走りです。ジョグですよジョグ。後続の選手たちに、まるでランマニアが電柱に見えるほど豪快に抜かれ続けます。

タイムは16分50秒切るくらいだったでしょうか。100mをベストで通過しながらこのタイムですから、いかに終盤ペースが落ち込んだかがよくわかります。

これが皆さんの想像するオーバペースですね。

さて、これはランマニアの若気の至りで済まされますが、実は大学でも社会人になっても、そしてこんなおっさんになっても、こうしたオーバーペースの失敗って、程度の差あれ数年に一度やらかします。学習しろよ、って思うんですが、いまだにやらかします。去年などはスカイレースですらやらかしました。

オーバーペースは、「そのレースの距離を走り切るためにあきらかに相応しくないエネルギー供給系を序盤に使って走るペースのこと」、だと思っています。

マラソンレースなら5000mとか10000mのペース、5000mレースなら800mとかのペース、です。

マラソンのような比較的長い距離におけるオーバーペースと、5000mくらいの短めの距離におけるレースペースでは、その生理学的な機序はやや異なると思います。しかし、いずれも序盤の「速すぎるペース」がたたって後半に大失速するという状況は共通しています。

こうした体内で起こっている生理学的な変化は体内の仕組みですから、一度そうなってしまうともう自分の力ではどうにもできない現象です。

しかし、「速いペースで突っ込む」という「状況」は、ある意味自身の意思や判断によって作り出された「状況」ですので、これはコントロール可能な心理的な問題です。

そこで、今回ランマニアは、こうした状況が起こってしまう心理学的観点から、人がオーバペースに陥るメカニズムを解明しようと試みました。

なぜ人はオーバーペースで突っ込むのか

この状況を考えるにあたり、抑えておきたいのが人間の脳のメカニズムです。

人間とて動物の一種ですから、脳の中には人間が進化の過程で人間になる前から備わっている、古い脳の領域があります。それが中学や高校で学んだ記憶があると思いますが、大脳の「辺縁系」という部位です。

この辺縁系には人の動物としての本能的な欲求や感情(情動)が生起する部分があり、そこが興奮すると、人間といえども「動物」と化してしまいます

腹が減る、眠りたい、恐怖を感じる、攻撃したい、逃げ出したい、といった感情や欲求が生起した状態です。

そして、ランナーにもそうした動物と化してしまう瞬間があると、ランマニアは考えています。

それが、スタート前、スタートする瞬間です。

人間は動物だった頃の名残で、恐怖を感じたり、脅かされる存在(外敵)に遭遇した際には、辺縁系にある「扁桃体」という部分が急激に興奮するようにできています。

ここが興奮すると、人間(動物はすべて)は「闘争か逃走」の反応が引き起こされます。つまり、交感神経が優位となり、瞬時に「戦闘モード」に切り替わるのです。

交感神経が優位になると、心拍数が上昇し、瞳孔が開き、手のひらに汗をかき、神経系の伝達スピードがマックスになります。もう、自身の身体的機能を最大限に発揮するためにフル機能が発現するのです(古い話ではスーパーサイヤ人みたいなもんです)。

長距離レースも含め、スポーツは「擬似的な戦闘体験」です。長距離は自分のタイムとの競争だとはいえ、スタート時に他のランナーに囲まれれば自然と彼らは「敵」と脳は判断してしまいます。敵を前にして「相手に勝つ」というのは本能的な習性です。

さあ、ランナーの多くはこうしたスタート前にはたいがい緊張するものです。この緊張感こそ、扁桃体の「情動反応」で、「闘争逃走反応」が引き起こされている状態です。

つまり、スタート前のランナーは、すぐにでも身体機能を総動員して敵に勝つ(あるいは逃げ切る)準備が完了した状態なのです。「かかってこんかい!」の状態です。

この闘争逃走反応の目的は、とにかく「その場を凌いで」生きながらえることです。敵を倒すか逃げ切るか。その場さえ凌げればいいのです

しかしどうでしょう。長距離種目は、その場さえ凌げば良いわけではありません。10000mでさえ30分以上、マラソンなんぞは3時間近くです。

つまりランナーは、体は「その場しのぎの臨戦態勢」になっているにもかかわらず、レース自体はそうではない、というギャップが生じていることになります。

これこそが、オーバーペースの原因なのではないかとランマニアは考えてみたのです。

その場しのぎの臨戦態勢でスタートを切って走り出したことを想像してみてください。近所の野良猫が、こちらの気配に気付いて一目散に逃げ出すような状態です。

もう迷わず、全開走行ですよね。

LT超えないようにとか、有酸素性糖代謝をできるだけ使いながら、などと、そんな悠長なことを考えている暇はありません敵は目の前にいるのですから。

その状態でスタートを切って走り出してしまった状態が、オーバーペースなわけです。いや、マラソンだからオーバーペースですが、人間が生き残るための行動としては至極当然な適応的な行動です。

つまり、本来は人間としてまっとうな反応なんですが、長距離種目という人間が勝手に決めたスポーツルール上ではオーバーペース、という概念にあてはまるということなんだろう、と。

では人間はそうした本能のまま行動してしまうかというと、決してそうではありません

脳にはもう一つ前頭前野と呼ばれる、扁桃体の反応を制御する部分があります。人間が生活する上で、自身の欲求や感情を抑えて社会的に適応するために働く部分です。

オーバーペースに陥らないランナーは、この前頭前野をしっかり働かせて、みずからの闘争逃走反応をうまく制御していると考えられます。

「本当は、スタートから全開で走ってしまいそう」、「でも、ここは終盤に備えてしっかりペースを押さえるんだ」というように。

ようやくここでランマニア的に解明できました。

オーバーペースは本来持っている人間の反応によるもの

それを防げる人は、しっかり前頭前野を働かせて走れる人

では、前頭前野をうまく働かせるには?

これもひじょーに長くなるので、また別の機会で。

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