こんにちは、ランマニアです。
毎年この暑い夏の時期になると思い出すのが、やはりあの「夏合宿」ですね。
ランマニアは高校、大学とどちらもだいたい同時期に5〜7日程度の夏合宿が組まれていて、毎年この時期になるとやや標高の高い避暑地におもむきハードな練習に明け暮れたものです。
今よりもずっと考えが浅はかだったあの当時は、「きっと合宿に行けばたくさん走るから強くなるだろう」とか「標高が少し高いから高地トレーニングの効果が期待できる」とか「涼しい場所で追い込めるから間違いなく強くなる」みたいなことを考えてきつい練習に耐えていた気がします。
しかしそれとて満更でもなく、当時まだ10代半ばから20代前半くらいまではとにかく疲れもすぐに回復するし、体もすぐに応答するしで、たった1週間程度の陸上漬けの毎日を送ったくらいでもその効果を実感するには十分な結果をその後数週間以内に出すことができてしまうのですね。
比較的夏に強かったランマニアは、この夏合宿後の自己ベスト更新率が異常に高く、高校1年から大学1年までに自己ベストを出した月が、9月が3回、8月が1回と、ほぼ毎年のように夏合宿明けには5000mのベストが出ていたことになります。
まあ言ってみれば「合宿効果」抜群だったわけで。
ところがこの時の経験は、のちにしばらくランマニアを誤った道へ誘い込むことになります。
いえ、若い頃ならそれもそうだったのかも知れませんが、ある程度の年を重ねてからは同じ考えは通用しないのだということを痛感することになるのです。
この「合宿効果」を存分に味わい、多くの成功体験をしてしまった結果、ランマニアは「短期間にまとめてハードな練習をすれば体は変わる」という危険な信念をしばらく持ち続けることになってしまったのですね。
これが、ランマニア自身の体験による「合宿効果」における功罪の「罪」の側面です。
社会人になり、ようやく徐々に走れるようになってからも、この当時の華々しい「合宿効果」がいつまでも頭から離れず、何度か「短期集中」的に走力を回復しようと試みていた時期がありました。
「あの頃の合宿では3部練してたんだから、もう一度それをやればまた体が応答するだろう」
「この1週間頑張れば、疲労を抜いた後に一気に速くなるに違いない」
くらいのことを考えて、一時期しゃにむに走ろうとしていた時期があります。
当然結果は散々なもので、そんな練習は1週間はおろか三日すら続けることができず、挙げ句の果てには無駄に疲労を溜めてしまって数日間走れなくなる、なんていう本末転倒な状況に陥ることもしばしばでした。
これはのちに気付くことになるのですが、若い頃とは疲れやダメージからの回復力に大きな差があるし、そもそも一度競技から離れて走力も体力も「一般人」並に落ちている中で、それほどの負荷は相対的に体が耐えられるものではなくなっている、という厳然たる事実があったのですね。
さらに言えば、トレーニングの効果を得るにはしっかりとした段階や順序があり、その原理原則に則らなければ定着しない、という大前提も無視したものです。
こういう「若さゆえの成功体験」は、ことスポーツに関しては様々な場面、観点で至る所に存在している気がしていて、ランマニアのように若い頃から今まで、中年を過ぎても同じように競技を続けている状況では、意外とそれらに縛られるというトラップがある気がしています。
もちろん、「若さゆえの成功体験」は競技を続ける動機付けや、もっとマクロな視点で見ると「人生を生き抜く強いメンタル」などにも影響すると考えているので決して悪いことではないのですが(それが功罪の功の部分かもしれません)、その体験が年齢を重ねても通用する「普遍的事実」とは限らない、ということを常に疑ってかからなければならないとも考えています。
人間誰しも「若い頃にうまくいったこと」の思い出は強烈に記憶に残っていて、ランマニアのように現在の置かれた状況や肉体、メンタルなどを鑑みた臨機応変な対応や変化を恐れることも少なくないと思います。
こうした変化や新しい試みは、なかなか自分1人では着想できなかったり行動に移すことが難しかったりするので、たまには仲間と走ってみたり、書籍や文献から最新の知見を得たり、Twitterで様々な考えに触れたりすることがいかに重要かを最近痛感しているところです。