ぼっち練だからできる「最低限の努力」による「最低限の負荷」

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は、もう数週間前からこの日を迎えるのがある意味楽しみのような憂鬱なような、なんとも複雑な気持ちになる練習メニューの日だったわけですね。

ダニエルズさんのマラソントレーニングの中でも、おそらく1、2位を争うほどのメンタルやられる練習、精神的にしんどい練習、そんなところでしょうか。

ベースはLT走なんですが、途中に一度レペティションを挟み、そこで終わらずそこまででいじめ抜いた脚をさらに使って最後にもう一度LT走を走らせるという、考えた人は相当意地悪なんじゃないかと思えるほど、ランナーの一番辛い部分をついてくる練習です。

これまでのマラソントレーニングの実施状況からすると、たぶんランマニア的には今日の練習は無理でした。

まず、今月の練習で疲れ切った中で、LTペース(ランマニア的には3分30秒/km)を維持するのは相当至難の業。疲れがある中でこのペースを維持するにはかなりの努力度が必要となり、努力度が上がるということは、それだけ中枢神経系にも負担をかけることにつながりますので、長い距離が持たなくなるのですね。

中枢神経系がオーバーヒートすると、もうジョグすら継続するのが厳しくなるので、現在の、ボリュームを維持することが最優先の練習段階では、それだけは避けなければなりません。

そうすると、今日のような体調で、かつこのような最後まで体力を温存しつつある程度のペースを維持しなければならないタイプの練習は、どうしたってペースを落とす以外やる方法がなくなってくるのです。

かといってMペースまで落としてしまえば、もう今日の練習の意味、効果はほとんど見込めなくなってしまいますのでそれも避けたい。

であれば、結局選択するペースは「ガチのLTペースではないが、本数繰り返したり一定時間維持すればLTゾーンも刺激できる程度のMペース以上のペース」という、言葉にするとなんだか訳のわからないペースになってしまいます。

こういう時は「感覚」で表現するのがとてもわかりやすく、要は「このペースなら1.6kmを8本、間に200mを挟んでも走りきれるな」というようなペース、ということになります。このペースで走ってみて、結果、それがMペースになってしまえばもう今日はしょうがない、そういった心構えです。

昨日あたりのジョグから、ちょっと疲労がかなりきているのがわかっていたので、おそらく今日もそれほど好調ではないだろう、とアップをしながら脚の感覚を確かめていましたが、やっぱりどう考えても疲れてる、そんな状態です。

でも、まずはやるだけやってみよう、と「このペースなら8本いけるだろう」というペースでスタート。

う〜ん、全然スピード感なく1kmの入りで時計を見るのが怖い、そんな心境で恐る恐る時計を見ると、「3’48”」

3分48秒!?

思わず二度見ですよ、二度見。

こういう時人間はまず「否認」から入りますので、何度も時計を確認します。いやいや2分48秒なんてことはあり得ないから、もう3分48秒で確定です。

最近は、ハードな(あくまでランマニア的にですよ)練習を続けているので、こういうことはよくあります。よくあるので、こういうショッキングなラップを見てしまっても極力気持ちを立て直すことが非常に重要です。

「いや、流しやってないし、疲れてるし、仕事終わりだから体動かないんだよ」とできるだけポジティブに考え、なんとか練習を継続させる意味を見出そうと努力します。

1本目はもうしょうがない。そのままペースを維持して1.6kmを6分そこそこ。完全にMペースですが、脚はまだまだいけそうなので2本目以降に期待。

2本目は若干体が動いた気がして、案の定5分57秒と少しだけペースアップ。

もう今日はこのペースでもいいから最後までやろう、と腹をくくって走り出した3本目。ようやく1kmの通過で3分35秒という「まともな」LTペースに戻すことができ、一安心。

脚もかなり動くようになり、その後は6本目までこれくらいのペースを維持することができました。

その後の200mを走る頃にはすっかり体のキレも戻ってきてほぼRペースで8本のレペティションを完遂。

からの1.6kmLT走が待っていましたが、もうここまでくると正直「気持ち」の問題。

脚の感覚がなくなるほどの、まるで麻酔でも打たれたようなダメージを受けた状態でのLT走でしたが、本日最速の5分41秒。

最後は完全に脚が終わり5分49秒かかってしまいましたが、それでも「だいたいLTペース」で今日の練習を終えられた気がします。

さて、今日みたいなコーチがいたらコーチを恨みそうになるメニューをやるとき、正直「ぼっち練」は相当しんどいです。

なんとなく漫然と走ってしまうので、心理的高揚感に助けられることもないですし、ペースメイクを誰かに委ねることもできません。

おそらくですが、今日もし同程度の走力の人と一緒に走ったら、もう少しペースを上げられていたでしょうし、「生理的な」LTペースも忠実に維持できたと思うんです。負けたくない、なんていう意地もありますし。

しかし、では仮に「今日だけ」その練習を実施でき、「忠実に練習をこなせた満足感」に浸ることに果たしてどれだけの意味があるか、そんなことも考えます。

多分ですが、もし今日「忠実に」練習をこなせたとしたら、明日以降の体のダメージは相当なものが残ってしまったと思います。「気持ち」や「高揚感」などでカバーしてしまった「生理的ダメージ」の威力を甘くみてはいけません(特にランマニアの場合)。

確実に後になってその反動はやってきます。下手したら、それこそ「計画していた」練習を変更せざるを得ない状況に陥る可能性も大です。

そう考えると、今日のように「疲れてる」「かったるい」「さっさと終わらせたい」みたいな気持ちの中で、そこそこの踏ん張りで維持できるペース、いわゆる「最低限の努力」で維持できるペースで練習をこなすことで、体への生理的なダメージを最小限にとどめつつ、求められた「最低限の負荷」(ここではLTゾーンですが)をかけられるのではないかと考えるわけですね。

そうすることで、明日以降の練習をまた継続することができる。練習は、今日で終わりではないわけで。

食べすぎて気持ち悪くなって、もうこんな料理みたくない、って思わないよう腹八分目でやめておくのと同じで、練習を嫌にならなずに、長きにわたって「そこそこの質」を維持するには、やはり練習も腹八分目がいいんだろうな、と、今日はぼっち練の良さみたいなものを再確認したところでした。

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