誰に習ったわけでもなく走れる私たち

こんにちは、ランマニアです。

ここ最近、ポイント練から次のポイント練までの間は、できるだけ疲労を取るためのゆっくりとしたジョグを続けています。

何度も繰り返している、「出力0」「努力度0」のジョグ、というやつです。

しかし、この感覚がイマイチ伝わりにくい表現だな、というのはずっと思っていて、ランマニアは今日もだらだら走りながら、そのことについてどう表現すれば伝わるかな、と考えていたところです。

走ってるんだから、努力度0とかそんなことあり得ないだろ、と、たぶん思われてるだろうな、と。

確かにですね、厳密にいうと0はないんです。0なら、なにもしてない状態ですからね。

そこでどんな状況を考えれば、その感覚を想像しやすいかなと色々頭に思い浮かべていて、今日たまたま下り坂を走っている時に、それを思いついたのです。

みなさんも、少し急な下り坂に差し掛かると、たぶん多くの人は脚が勝手に動いていくと思うんです。そりゃそうですよね、脚が動かなければ、そのまま転んで転がっていってしまいますからね。

じゃあ、なぜ、脚が勝手に動いて、走動作が自然と生まれるのでしょう。

これは、人間が二足歩行の動物で、もうそうやって歩いたり走ったりすることを前提として生まれてくるからですね。生まれた時から(いや、生まれる前から)人間の脳に組み込まれたプログラムなんです。

生まれてきた赤ん坊が、誰に教わったわけでもなく、いつのまにか立ち上がって、自然と二本の脚を交互に動かして歩けるようになりますよね(走れるようになりますよね)。赤ん坊が教わってもないことが自然とできるようになるのは、体の仕組みとしてプログラムされているからです(音に反応する、光に反応するなどもそうです)。

ですから、人間が前に進むための方法は、誰に教わったわけでもなく、みな共通にこの方法を自然と習得するのです。

ですから、重力が働いて、体が勝手に前に倒れそうになると、本当は色々な方法があってもいいのでしょうが、人間は誰でも自然と、この前に進む方法を用いて転ばないように歩を進めるわけですね(身体機能が衰えてきた老人などは別ですが)。

ランマニアは、基本的にこの原理が「走る」動作の原点であると考えています(というかそういう教え方をするスポーツバイオメカニクスの専門家がいます)。

しかし、この理論だけでは、下り坂とはいえ「勝手に進む」ことを説明することにはなりません。

例えば、もし下り坂で前に倒れ込んだ際、片足を着地した時に、どうしてそのまま倒れたり転げたりしないのでしょう。

それは、筋肉が骨を覆っているからです。

もし骨格だけで坂を下れば、そのまま前に倒れ込んでしまうでしょうが、そこを筋肉が防いでくれているのです。

ではどうしてそれが「勝手に進む」ことと関係しているのかといえば、筋肉は「引き伸ばされると勝手に収縮する仕組み」を持ち合わせているからなんです。

これもネット上にわんさかあふれてますから調べてもらうといいのですが、筋肉には「筋紡錘」とか「腱紡錘」とかいうセンサーみたいなものが備わっているのですね。

このうち「筋紡錘」は筋の長さを感知するセンサーで、これが「伸ばされた」と感知すると、脊髄にある神経に情報を送って「勝手に筋を収縮させる」命令が送られるようになっているのです。いわゆる「反射」というやつですね。

この「反射」という仕組みは、脳を経由せずに「不随意的(意図せず)」に筋を収縮させることができるため、自分の意思とは無関係な筋収縮なわけです。

つまり、「意図せず筋力を発揮できてしまう」わけです。

こうした筋の「伸長反射」は、特に重力に逆らう時に発揮する筋(抗重力筋)で起こりやすく、「下り坂を走る」などはまさにそうした状況なわけです。

さあ、勘の良い方ならそろそろお分かりかと思いますが、この伸長反射による筋収縮は、「脳からの指令は0」、つまりランマニアがよく言っている「脳からの出力0」で発揮できる筋収縮と言い換えることができます。

そうなんです。ランマニアが常々「できるだけ頑張らない、できるだけ出力0」と言っているのは、この人間の体の仕組みとして備わっている「脳からの指令なしで筋を収縮させる仕組み」を意識することだったのです。

そして、前述の、人間がほぼ反射的にとってしまう「歩行動作」「走動作」の関係を加えて、

勝手に歩行(走行)動作を取ろうとする仕組み

勝手に筋収縮を発揮する仕組み

とを、うまく利用しながら前に進む(走る)意識のことだったのです。

この二つの力をできるだけ借りながら走る意識が「出力0」というわけです。

ところが、当然これは「下り坂」に限った話で、通常の平坦な道や、ましてや登り坂などではこんな「出力0」なんて、自分で言うのもなんですが、ありえません。

ですが、軽い下り坂ならほぼこの仕組みを利用できますし、平坦路でも体を前に倒そうとすれば勝手に脚が出ますから、そのまま脚を着地するだけで、「ある程度は」伸長反射が起こり、反力を補うことができるわけです。で、足りない分は「自分の意思」、つまり「努力」で筋力を発揮し前へ進もうとするのです。

そしてこの「努力」の部分を調整しながらペースをコントロールするわけです。「出力を変える」というのは、つまりはこういうことです。

では、この前のペース走の後のように筋が極度に疲労していたり、あるいは微細な損傷が起こっていたりするときはどうでしょう。

ここはランマニアの想像なのですが、こうした伸長反射によって発揮される筋力がだいぶ低下してる(動員できる筋肉と神経の単位が減っている)のではないかと考えるのです。

だから同じ「脳からの出力0」では、元気な時と同じような筋力は発揮されず、より「努力」の部分に頼らなければ前に進まなくなるのではないかと考えています。

そして、そのように疲労している状態で、無理に脳から強い指令(出力)を出して筋を収縮しようとすれば、疲労している筋にもダメージが加わるだけでなく、高出力を加え続けられる「神経系」(電気が流れるリード線みたいなもの)にもダメージが出るのではないかとも考えています。

ランマニアが疲れを取る時に常に「出力0」を意識するのは、こうした理屈からなのです。

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