一人でやる良さと集団でやる良さ

こんにちは、ランマニアです。

先週末のインターバル練習は、いつもぼっち練がデフォルトのランマニアにとっては久々の集団走だったわけですね。

学生時代までは、基本「部活」ですから、むしろ集団で走る方が普通で、一人で練習というのをいわゆる「自主練」とか言っていたわけです。

アマチュアスポーツは本来「自主的に」行うわけなので、「自主練」なる言葉があること自体おかしな話ですが、社会人になってからは365日全てがいわゆる「自主練」ということになります。

何人かのラン仲間や職場の人からは、「よく一人でそんなに走れるよね」と感心されます。

ですが、ランマニアは、なんというかこの「一人」で走るのがとても好きで、これまであまり苦に感じたことはなかったのですが、周囲からそう言われてみて、こうやって毎日毎日一人で走ることの、一般的感覚からする「特殊性」に、改めて気づかされたわけです。

一人で走るメリット。

これはとにかく、好きな時間に好きなだけ走れる、ということですね。集合時間に縛られることもなければ、走る距離やペースを合わせる必要はありません。「完全なる自由」。これはとにかく何ものにも勝るメリットです。

ほかには、いつでも勝手にやめられる、ということがあります。

もちろん、学生時代も調子が悪かったり足の痛みなどで、予定していた練習から離脱することはよくありました。

ですが、そういう時は、なんというか、自分だけ先にやめた後ろめたさや劣等感などが湧いてきて、あまりすっきりやめられないんですね。

そういう心理的な面からも一人は気楽です。無理そうならやめればいいですし、やれそうならいくらでもやればいいわけで。

これは一見、手抜きの原因になっているかのような印象を受けますが、ランマニア的には、故障やオーバーワークを防ぐ意味でもとても大切なことだと思っています。

ランマニアのように慢性疲労を抱えていると、「やめ時」は自分でないとなかなかわかりません。周囲から見ると、「気持ちが弱い」と思われそうなタイミングでやめることも多々ありますが、これは自分にしかわからない感覚で、そこでやめておかないと後々大変なことになるのです。

一方、集団で走る方のメリットももちろんあります。

例えば、先週で言うと、普通ならできないようなペースで走れてしまう(ペースメイクを他の人に委ねることができる)。普通ならやれない本数をこなせてしまう(競争心や意地みたいなものが原動力になる)。そんなよさもあります。

自分一人では追い込めない領域まで体に負荷をかけ、体の変化を促すには、集団走は最適です。

ただし、ランマニア的にはやはりこのダメージは少し大きいわけですね。

人間はある程度、心理的な努力で「苦痛」や「疲労」を抑え込んで走ることができます

しかし、もともと苦痛や疲労は体からの「もうやめた方がいいよ」のサインなわけですから、そこを超えてまで体を追い込むと、何かしらの障害が発生するわけです。

ランマニアでいえば、やはり疲労度は一人で行う時よりも圧倒的に高くなります。

トレーニング効果も大きいでしょうが、疲労で走れなくなる期間をトレードオフすると、どちらがいいか果たしてよくわからなくなります。

人間には闘争本能がありますから、たぶんすべてのランナーは負けたくないのです。集団で走ると、たとえ練習と言えども、闘争心に火がつきますね。手を抜こうとしても、まあ無理な話です。

さて、そんなことでちょっと疲労の状態がワンランク上がってしまった今の状態。こうなると無理はできません。

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