こんにちは、ランマニアです。
今日はフェーズⅣに入って二度目のLTインターバル(クルーズインターバル)で、先週よりもだいぶ余裕を持って同じペースで走れるようになってきました。
疲労の関係もあるでしょうが、先月のフェーズⅢでは3分25秒ペースがかなりいっぱいいっぱいだったところ、先週今週は3分20秒を切ってしまうような回もあり、同じ3分25秒ペース(Tペース)がずいぶん余力を残して維持できるペースとなった気がしています。脚を割って顕微鏡でミトコンドリアなどを観察するわけにはいきませんので、こうした感覚だけが頼りなわけですね。
さて、このダニエルズのプログラムを始めてこれまで特に気を付けていることがあります。
それは、常に「余裕を持って走る」という意識です。
この「余裕を持つ」というのは、フィジカルな面でもあるしメンタルな面でもあるのです。
例えば、フィジカルな面で言えば、呼吸がいっぱいいっぱいにならないように、とか、脚の疲労が限界近くにならないように、といった身体からのサインに耳を傾けながら。
メンタルな面で言えば、「相当しんどいけど、ここは気持ちで押していくぞ」的な、「頑張る」状態をできるだけ避けるように、といった感じで。
これらは兎にも角にも、当然故障の防止という最大の目的があるのはいうまでもなく、さらにはランマニアの抱えている慢性疲労を悪化させないようにという、身体的、生理学的な目的が多くを占めています。
しかし、同時にもう一つ、ある重要な目的のためでもあるのですね。
それは「燃え尽きないため」
ランマニアは、学生時代から本当に走ることが好きで好きで、いまだにこれを超えられるような趣味や、これ以上に興味があるものに出会うことがないほど数十年にわたってこの趣味を続けてきました。まあ、やめる時は死ぬ時だろうな、というくらい、走ることのない生活は想像できない、といった具合です。
ところが、実はそんなランマニアが唯一、たった一度だけ「燃え尽きそう」になったことが、かつてありました。
それは、本当に最近のことなんですが、2017年にフルマラソンで自己ベストを出した時です。
2017年の東京マラソンで、ランマニアはそれまで絶対に切れるとは思っていなかった2時間40分を切って10年来の目標を達成したのですね。
その時の嬉しさといったらなく、大袈裟でなく「もう死んでもいいや」というくらいの達成感と充足感に満たされたのでした。
ところがそれから1ヶ月あまり、それまで経験したことのないような「無気力感」に苛まれることになります。
なんというか、もう走る目的がないというか、これ以上の記録の向上は想像もできないというか、とにかく感じたことのない気の遠くなるような絶望感に近い無気力感。
なぜ、こんな気持ちになってしまったのかというと、実はその東京マラソンまでの練習では過去にないほど体を追い込んでいたのですね(いや、そんな大した練習ではないのですが、ランマニア的にです)。正直、毎日仕事終わりにその練習を継続するのが本当にストレスになる程(今の状態がかなりいいので、当時の状態を振り返ると相当ストレスになっていたことに気づく)、我慢に我慢を重ねていたのです。
なので、ついに念願かなって到底たどり着けるとは思っていなかったような大記録を打ち立ててしまったときに、正直「もうこれ以上は頑張れない」という今まで一度も感じたことのないような感情が湧いてきました。
なんということだ、「走りたくない」という気持ちが芽生えている。
驚きましたね。走りたくない、なんて一度も思ったことのなかったランマニアがそんなことを考えていたのですから。
幸い、そこで少し気分を変えてスカイランニングの方にウェイトを置いたところ、いつの間にかまた走るのが楽しくなっていましたが、あの3月、4月は本当に危なかった。
人間は、「頑張っても頑張ってもその労力が報われない経験」を重ねると、「学習性無力感」という気持ちに支配されます。いわゆる「無気力」「やる気のなさ」というやつですね。
あの時のランマニアは、頑張って頑張ってそれが報われたのですが、その後、さらに記録を伸ばすには「もっと頑張らなければならない」という「気の遠くなる感じ」が、「擬似的に」無力感を感じる原因となっていたものと思われます。もうあんなにしんどい日々を我慢するのは無理、という感じですね。
ランナーは記録の向上のためならいくらでも(それは言い過ぎか)きついことを我慢できてしまう生き物です。しかし、ランナーとて人間ですから、その我慢にも限度がありそのキツさはしっかりと記憶に残ります。そうすると、本来楽しむためのランニングがいつの間にか「嫌悪刺激」に変わっていってしまうのですね。東京マラソンを目指していたランマニアが、まさにその状態でした。
これを避けるために、ランマニアは毎回の練習をできるだけ楽に、楽しく、快適に終えるよう心がけているのですね。
余裕を持って終えられると、その日の練習は必ず快適さの記憶が多く残って終えることができます(多少のしんどさは避けられませんがね)。しんどさにしても、適度なしんどさ、終えた後の爽快な気分が残る程度のしんどさに留めるよう心がけています。
その結果、この4ヶ月は、とにかく日々の練習が楽しみになりました。いえ、インターバルや閾値走の日はそれなりに憂鬱な時もありますが、それでも「今日はどれくらいで走れるだろうか」という楽しみもだいぶあります。
さらに、そうしたメンタル面だけでなく、生理学的な疲労の点でも余裕が出てきて、長い間練習を継続できる体調を維持できるようにもなりました。
とにかく、毎週無理なく練習を継続できるので、それ自体も楽しいのですね。
なので、インターバルにせよジョグにせよ、毎回の練習で「頑張りすぎない」「無理をしない」「追い込まない」をキーワードに、練習をする癖をつけてきました。
ただ、これは今の特殊な事情がそうさせているとも言えます。
3月以降のコロナ生活で、とにかくレースや練習会など「人と競う」機会が一切なくなりました。これはとても大きなことですね。
人と競わない、ぼっち練ばかり。これではどうしたって完全に自分のペースを守れますし、いい意味で「自分に甘く」なれるため、無駄なペースアップ、無駄な追い込みは無くなりますね。
ですから、この特殊な状況でなくなった後でも、今のスタイルを貫き続けられるかが、一つのポイントですね。
もちろん、練習会などで刺激をもらいながら、ペースを作ってもらいながら、自分の持てる以上の力を発揮する経験も時には必要なことなんですけどね。