痛いのに走るのはなぜ?

こんにちは、ランマニアです。

フェーズⅣの1サイクル目もなんとか予定通りこなせ、今のところ脚の痛みなどもなく後3週間この練習を続ければ、ダニエルズさんのゴールドプログラムも終了となります。

この3ヶ月間、ランマニアとしては奇跡的に怪我をせずに練習をこなせていますが、このプログラム開始当初はそれでも一時ふくらはぎが危なくなることもありました。その時は思い切って3日ほど休みを入れましたが、そうやってしっかり休んで怪我を悪化させずに済むこともあれば、無理して3週間コースとなることもあります。

では人はなぜ痛いのに走るのでしょう(すみません、ランマニアだけかもしれませんが・・・)。

以前の記事でも書いたように、人が行動を起こす動機付けは大きく分けて2種類あると考えています(細かく分けるともっとあるのですが。ここば便宜上2種類にしておきます)。

一つは、それをすると何かいいことがある時。もう一つは、それをしないと何か嫌なことがある時。

それで考えると、「脚が痛い」となればすなわち「苦痛」ですから、それは「嫌なこと」、つまりその苦痛から逃れるために「走ること」はやめるはずなんですね。脚が痛けりゃ走らない。本来これが自然な反応です。

ところが、ランナーは走るのです。痛くても。

そこで考えてみました。どうして痛いのに走るのかを。

まず、痛いのに走るとその後に訪れる良いこととは何かを考えてみます。ランマニアならだいたい次のようなことでしょうか。

・この練習を予定していた。途中で止めるのはなんとなく気持ちが悪い。なんとか完遂させたい。→つまりやり遂げた「達成感」

これはよくあることです。練習計画に従って進めてきて、それを途中でやめたくない。やり遂げたい。「達成の欲求」、というやつですね。

・このまま走ってもこの痛みなら大丈夫。走った後は痛みも消えるだろう。だから走り続けよう。

これはそのまま走ることでの良いこと、というよりは、その痛みが「深刻ではない」という思い込み。「走りきる」「予定の練習をこなせる」という良いことが待っているため、痛みを我慢する。まあ、一つ目の理由に近いところはありますが、一つ目と違うのは脚の痛みを「楽観視」しているところでしょうか。ランマニア的には、これがものすごくあります。達成の欲求というより、痛みを深刻に捉えてない、という結果。そして、経験上、本当にことなきを得てしまうこともあるため、本当にヤバい時にも休めなくなってしまうのですね。これは非常に危ない罠です。

では、一方で、痛いのに走らないと何か嫌なことが待っているのか。

これは結構複雑な心理状態がある気がします。

・脚が痛い。でもここでやめたらどうしてもやっておきたかった練習がやれないことになる。→走力が高まらないかもしれない、という不安な気持ち(実際には1日休んだくらいではほとんど関係ない)

例えば、インターバルなど強度の高い練習をやろうとしていた時などは、それを一回やらないことでトレーニング効果が得られないことを心配しますね。実際には大したことではないのですが、なんとなく気持ちが悪いものです。それを回避するために、痛くても走ってしまう。これも、昔はよくありました。

・脚が痛い。でも、怪我をしたと認めたくない。ここでやめてしまったら、故障した事実に直面化させられる。走り続ければ、「やっぱり大丈夫だった」と思えるかもしれない。→故障した事実を認めたくない。走るのを止めると故障した事実を認めることになる。

これ、「そんなバカな」と思われるかもしれません。いや、こうして客観的に書くと本当に「馬鹿じゃねえの」って自分のことでもそう思いたくなりますが、ランマニアは以前実際にこうした心理状態に陥り、痛いのにやめられなくなったことがありました(当然悪化し長期離脱)。なんというか、怪我した事実を受け入れたくないんですね。「走れるじゃないか」みたいな。完全に事実から目を背ける「逃避」ですよ「逃避」。

まあ、ランマニア的にはこんなところですね、痛いのに走ってしまう時というのは。

一方、最近はほとんどこういうことはなくなりました。

なぜなくなったかと言いますと、やはり「痛い時はすぐにやめて悪化させずに済んだ経験」をしてきたからでしょう。

人間は「経験」から「学習」することができます。「こうしたら、こうなった」という経験を積むと、「こうすること」が機能することに気がつきます。それによって行動が変容することが「学習」なんですね。

で、もしこのようなことを学習するには、やはり「こうなった」という経験をしないことには学習は得られません。「痛いのに走る」を続けている以上、こうした経験は決して得られることはなかったでしょう。

少しの痛みで練習を中断をするのはとても勇気のいることです。勇気という表現には語弊があるかもしれませんが、止める決断をするのが意外と難しいのですね。

なぜそれが難しいかというと、やめて直ぐに得られる報酬がなく、やめることで得られる報酬はかなり先にあるからなんですね。(あの時やめておいてよかった、と思えるのは、かなり先になって痛みがひいた時)

ですので、ランマニアも走れそうな痛みでも途中で練習を止めるような時は、本当にしんどいのですが、頭の中で「今やめれば三日でよくなるよ。でもやめなければ3週間走れなくなるよ」と言い聞かせて思い切ってやめるようにしています。

そう思えるようになったのは、やはり、「練習は続けてなんぼ」と気づき、「今日の練習はなんとしても」のような刹那的な感覚を捨てたからなんだと最近は思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください