9月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

9月も終わり、いよいよここからレースシーズンが始まります。

レースが立て込むと、どうしても練習量が減っていくのでこの1ヶ月は少し意識して走行距離を積み重ねました。

そのせいか、今月は30日間の走行距離としては社会人になって最長の440km超えを記録しました。

社会人になって最長の、30日あたり448kmを走れた9月

最後の20km距離走は、流石にレース疲れも重なりかなり脚に来ていましたが、それでも以前なら途中で辞めてしまっていたような疲労度でも、脚力で押していける感覚を得ることができました。

また、今月の練習サイクルの中に組み込まれていたトラック5000mでも、前走の関東マスターズより10秒ほど速い16分40秒でまとめられ、練習を継続しながらもパフォーマンスを維持できる体になってきた印象です。

M&Kディスタンスでは50代最初の5000mでなんとか40代最後の記録を上回ることができました

今月はトラックレースに出たとはいえ、練習内容としてはLTやロング走が中心で、マラソントレーニングに移行する期間となりました。

しばらくマラソンペースから遠ざかっていたため、長い距離をペースを上げて走ることに脚が慣れてない感覚ですが、ここから少しずつ戻しておこうと思います。

今月はロング走を2回、LT走を1回と、徐々にマラソン向けの練習にシフトしてきました

9月は平日のジョグの距離を最低でも15km超えを意識したことで、トータルのボリュームを増やすことができました。

週あたりはだいたい100kmを維持してきたため、一度にまとめて走ってもリスクが高まらないのはおおよそ25kmまで。

なので、週末に時間が取れても一度に走るのは20km程度にしておきました。(最後の距離走の時だけは27kmを越えましたが)

平日はなんとか15kmは維持しましたが、週あたりは100km程度なので、まとめて走っても問題ないのは25km程度まで。

10月は、緒戦がいきなり高島平のハーフですが、ここはロング走の一貫としてあまり突っ込みすぎずに、後半ペースを上げていくくらいの余力を持って走ろうと思っています。

その翌週の烏帽子バーティカルは、バーティカルといっても割と走れる長めのコースで、ここもLT程度の負荷がかかるレースとなります。

この二レースで、比較的強い負荷を一定時間かけ続ける練習をして、最後はその翌週の55kmのログトレイル、志賀高原エクストリームトレイルで長時間走に慣れたいと思います。

8月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月も7月に発症した感染症の影響で、しばらく調子を崩し、練習やレースでも万全の走りができないでいました。

7月は仕事や日常生活もままならいほど倦怠感が強く、眠気からくる「やる気の出ない」状態がずっと続いていましたが、8月に入り、それがようやく抜けつつありました。

それでも、ジョグをすると後半は脚が止まってしまい、その後は全身がだるくて仕方がない状態は続いていました。

高強度の練習も、良かった時の7割くらいの力でないと走れず、走行距離・時間も5割ほどしか続かない状態は続きました。

とにかくやれることを継続しようと、その状態でもやれる練習を続けてきましたが、8月中旬に旅行で登山をした翌日、再び発熱をしてダウンすることになったのですね。

久しぶりに「登山」をしに八ヶ岳へ。この日は快適に歩けましたが、翌日に発熱。

ただ、ここで再び38度近い熱が出たことで、なんというか若干頭の重さやだるさが軽減された気がしました。

体の中にずっと燻っていたウィルスの残骸が、この発熱でようやくトドメを刺されたというか、そういう感覚は得られました。

1日寝たら解熱し、翌日には普通にジョグができました。

そして、発熱から中5日で迎えた嬬恋スカイランのバーティカル。

相変わらず、朝は頭がくらくらし、アップでもどこかだるい感覚を残しながらもスタートを迎えましたが、以前のような「やる気のなさ」はほぼなくなり、久々にレースに対して緊張感が高まるのを感じました。

疲れている時は、なかなか気持ちも高まらないのですが、今回のレースでは珍しく緊張し、調子自体は悪くないのかな、とどこか走れそうな気もしていました。

VGAMES JapanのV2レースに指定されている嬬恋スカイラン。年間ランキングのポイント対象レースです。

結果は、自身の感覚通り、発熱後中5日という状態にしてはしっかり脚が動き、若干OPとなったものの年代別1位となることができました。

記録もこのコースの一つの目安となる「20分台」まで後少し、という30分16秒と体の状態を考えると十分な走りができました。

50代の部では最年少だったため、最低でも優勝はしないとな、と思っていました。

ただ、この後もだるさが悪化したり、症状がぶり返したりを繰り返し、土日の練習後は半日寝て過ごしてしまうような日もあったりと、なかなか体が元に戻らないことに若干焦りも感じ始めていました。

週末の高強度練のタイムも徐々に戻ってきているし、ジョグのペースも楽に維持できるようになってはきているのですが、とにかくだるい。

そして今日、今月2度目のVO2Maxインターバルを敢行。

アップの時は、いつも通り脚がだるく、今日もダメかなと思っていたところ、苦しいながらも脚はしっかり動いてぐいぐいと押していける感覚が戻り、7月6日以来、1kmを3本行うことができました。

練習後も倦怠感はほとんどなく、起きているのもしんどいような眠さも発現せず、一日元気に活動することができました。

ようやく体が元通りになってきたかな、と実感できる状態になりました。

調子がすぐれないながらも、月に2回のLT走とVO2Maxインターバルを入れられたので、最低限の走力は維持できたかなと。

今月は、山歩きを20km強行ったとはいえ、トータルで大体430km走ることができ、ボリューム的には今シーズン2番目の距離を確保できました。

頭が重かったり倦怠感がありながらも、脚自体は疲れていなかったため、意外にも距離と練習のバリエーションは比較的理想の一月を送ることができたかなと。

主にLT域と最大酸素摂取量に刺激を入れる1ヶ月になり、トレイルも組み合わせて最低限の強度バランスは保てました。

また、30日間距離でも400kmを超えていたことから、今年は月400kmを比較的余裕を持って継続することができています(先月は発熱休養が5日ありましたが)。

15km、場合によっては20kmのジョグをしても翌日には疲労感が軽減されることも多くなってきたので、ボリューム増加による回復力の改善は実感できる程度になってきた印象です。

今年は400km越えの月がすでに4回。ここ数年で400km越えは一度しかなかったことから、確実に体は変化していると信じたいです。

さて、9月からはいよいよトラックとロードレース、そしてトレイルレースが盛りだくさんで、ここまでの練習を続けることは難しくなってきます。

9月22日のトラック5000mまではまだ少し時間があるので、もう少しジョグで距離を積み上げる期間を延長し、レース月間にボリュームが低下する前に下地を整えておこうと思います。

7月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月ももう5日というところですが、7月の練習を振り返ろうと思います。

この7月は、社会人になっておそらく最も体がしんどい1ヶ月間になってしまったと思います。

思い返すと、ちょうど一月前の7月6日あたりに行ったVO2Maxインターバルで、ペースは悪くなかったのですが、何か変な脚のキツさを感じ、余力も残せず練習を終えた日がありました。

また、その翌日は20kmのジョグをしたのですが、これもたかだか20kmで終盤にやめたくなることなどそうそうないのですが、この日もやはり終盤脚が変なだるさでペースがガクッと落ちる始末。

そして、本格的に体の異変が現れた7月8日の富士登山競走の試走日。

ただの疲労では考えられない脚のキツさで、帰りの下りでは歩いたり立ち止まったりしてしまうほどの状態。

帰宅するとすぐに横になってしまいたくなるだるさに襲われ、「ああ、これは熱が出るやつだ〜」とすぐにわかりました。

案の定、そこから5日間も走れなくなる発熱が続き、最終的には最も重要なレースと位置付けていた富士登山競走にまで影響してしまうほど、症状が長引いてしまったのですね。

最悪の結果となってしまった富士登山競走

そんな7月でしたが、結局、8月に入った今日に至っても症状が完全に抜けきれず、走りに影響を及ぼすほどの異変が一月ほども続いてしまっている現状があります。

とはいえ、走り出して仕舞えばどうにかキツさは気持ちで抑えられるため、5連休した以外は練習量や内容にはそれほど影響しなかった7月でした。

発熱で5連休が入ったものの、それ以外の練習は平時と特に変わりなく継続できました。

熱がなければ、もう少しLT走や距離走などを入れて、長丁場の富士登山競走に備えたかったのですが、それをやれる状況ではとてもなく、なんとかジョグだけで最低限の走行距離を維持するにとどまりました。

富士登山競走の前半ロード区間を攻略するため、もう少し距離走は入れたかったところです。

結果として、5連休が疲労を抜くことにつながり、当日は脚の疲労は全くなく、逆に練習で追い込んでいたらロードはもっと走れなかったかもしれないと考えると、今回は休養を入れる重要性を改めて感じられたレースとなりました。

今月は344.9km。5連休の部分を普通に走れば400kmを超えていましたが、体調が悪い中である程度の距離を維持できました。

また、ジョグであればどうにか走る気力が維持できたことから、割と走行距離は落とさずに7月を終えられることができ、最低限の体力維持はかなったかなと思います。

それよりも、早くこの不調の状況を脱したいのが今の第一の希望で、仕事やそのほか生活の中でもなかなか気分が上がっていかないのもストレスになっています。

おそらく、普通に練習していることで、症状の回復に使われる体力や回復力が、走る方に使われてしまっているせいだと勝手に推測していますが、では毎日寝て過ごせば治るかというとそれもなさそうなので、、少しでも通常の日常生活を継続していこうかと思っているところです。

富士登山競走に参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は今シーズン前半最大の目標であった富士登山競走に出走してきました。

残念ながら、結果としては山頂コースのワースト記録で凡走となってしまいましたが、これはもう7月上旬に感染症に罹ってしまった時点で予期された結果であったなと、半ば予想通りの展開ではありました。

7月8日に試走に出かけ、その夜に発熱。以降の症状から、おそらく今流行りの感染症であったかと。

7月8日の試走時から体の異変を感じ、疲労とは明らかに違うしんどさの中試走を終え、帰宅後は案の定夜中に発熱。

受診もせず、熱も測らなかったですが、おそらく体の痛みから38度は軽く超えていた印象。

これが3日ほど続き、自分としては珍しく風邪症状でも走れないほどのしんどさ。

結局9日から5日間の完全休養となり、その後もしばらく微熱が続き、試しに走った30分と60分のジョグではキロ6分を切るのがやっと。

つまり、発熱後1週間でもまともに走れない状態が続いていました。

次の1週間は熱こそありませんでしたが、体のだるさと、それ以上にちょっとした意識障害、「何をするのも考えるのも億劫な感じ」がずっと続き、走るための体力こそ徐々に回復したものの、強度を上げて走るために「頑張る」ことがかなり難しい状況でした。

その週末に、試しに1kmを8割程度の力で走ってみましたが、3分40秒で1本走るの精一杯。

この週の終わりに本番が控えていたため、これは完走自体も危ういかもな、と嫌な予感はしていたのですね。

当日の朝。いつもはこの光景を見て気持ちが最高に昂るのですが、今回は全く走りたいと思えず・・・

そんな状態でしたが、どうにか通常のジョグのペースは平常モードに戻り、完走できるかどうかギリギリ微妙なところまでは回復して当日を迎えました。

しかし、頭がぼーっとする感覚は最後まで抜けず、とにかく「疲れることはやりたくない」気持ちが相変わらず残っていて、スタートラインに立ってもなかなかモチベーションが上がらない状態で号砲を待つ状態でした。

ついに一人になってしまった宮下さんのエール。しかしここで元気をもらい、どうにか気持ちも前向きに。

しかし、毎年恒例の宮下選手の「エイエイオー」をやっているうちに、「笑うから楽しい」状態になり、どうにか頑張れそうかな、という前向きな気持ちが芽生え始めました。

スタートすると、アップの時に感じただるさはひとまず消え、キロ4分くらいのちょっと速いジョグ感覚のペースならなんとか維持できそうな感覚は得られました。

富士山に正対する前の唯一の下り区間は気持ちよく走れ、この負荷ならどうにか3時間以上は体を動かし続けられるかな、と少し気持ちに余裕が出てきました。

その後始まったロードの登り区間。

いつもならこの区間でかなりペースを上げていくのですが、今回はいつ体調が悪化するかわからなかったので、ストライドを狭め、ピッチを一定にしてできるだけ努力度が上がらないように慎重に走り続けました。

試走時の馬返し画像。今回は57分台の通過。ベスト記録時は54分台だったので体調が悪い中ではまずまずのペース。

トレイルが始まる馬返しの通過は57分台。ベスト記録時よりも3分ほどの低下で済んだのは意外でした。

ここからトレイル区間が始まり、一歩一歩の負荷もかなり高まります。

いつもなら走って登る区間も、今回はあえて歩行。

もう記録は追わず、完走だけを目指して、ひたすら自分の体調と対話をしながら淡々と登り続けました。

試走時の五合目画像。今回は1時間46分台の通過。単純に2倍すると3時間30分前後。

途中緩やかな登りは軽く脚が動き、だいぶ余力が残っている実感もあり、この調子で五合目をひとまずクリアしたいな、と。

五合目の通過は1時間46分台。

自己ベストからは程遠いペースですが、単純に2倍したタイムがフィニッシュタイムになることが多い後半のコース特性から、3時間30分なら今日の体調なら十分かな、と。

五合目から先は比較的走れる傾斜であるため、通常なら割とプッシュして攻めていくのですが、ここもとにかく温存して歩き続けました。

ランマニアの最も嫌いな七合目までの砂礫区間。ここは通常走りますが、今回は徹底的に歩き通します。

六合目から七合目までは延々とつづく砂礫サーフェスの九十九折。

ここは例年、淡々と地面を見ながらトラクションのかかる部分を探して、無駄に消耗しないように地道に足を進める非常にタフな区間です。

正直、ランマニアが最も嫌いな区間ですが、タイムを狙うにはここは走る必要があります。

しかし、今回は絶対に体力を消耗してはいけなかったため、ここも徹底的に歩きました。

そのおかげか、この時点でもまだだいぶ脚には余裕があり、この時点でどうにか山頂まではいけるのではないかと、少し見通しが持てるようになりました。

七合目から先は傾斜が一気に増し、岩場区間が始まります。

ようやく砂礫区間が終わり、通常であれば比較的登りやすく感じる岩場区間。

ここから先は、一つの岩場を登るたびに山小屋が現れ、100m程度ですが走れる区間が存在ます。

元気な時は、このリズムが好きで、走っては登り、登っては走るを淡々と繰り返せるのですが、今回はこの区間から徐々に体に異変が起き始めました。

急な岩場ではこれまで以上に大腿部の最大筋力がものを言うのですが、登るたびに次第に脚が動かなくなっていきました。

通常では感じないような脚の重さで、ちょうど発熱時にジョグをした時に全く脚が動かなった、あの感覚に似ていました。

やはりこの程度の負荷がかかってくると、感染症の影響が出始めるのだなと、徐々に完走が危ぶまれてきました。

正直、「早くやめたい」という気持ちになって来たのもこの頃でした。

通常なら走れる山小屋の平坦区間。今回は八合目以降走れなくなりました。

八合目を過ぎると、本格的に脚が動かなくなり、山小屋区間も走ると言うより休息区間と化し、とても走れる状態ではなくなりました。

残り3.7km。

この表示からが本当に長く、自分の今の体調と残りの過酷さから登り切る自信がなくなってきましたが、もうここまできて後には引けません。

とにかく無駄に力を使わず、ゆっくりでいいから登り続けることだけを意識して、いつもよりだいぶペースを落として足を進めました。

岩場の後には再び砂礫区間が続く八合目エリア。ここから先、後続のランナーに一気に抜かれ始めます。

八合目区間は、いつまで登っても常に「八合目」が続くとてもしんどい区間です。

色々な八合目があり、登っても登っても「八合目」なのですね。

そして、序盤にあったような砂礫区間もここで復活します。

酸素もだいぶ薄くなってきて、脚も動かなくなってきての砂礫区間は本当にタフな区間で、ここでついに立ち止まる時間が出てきてしまいました。

後続のランナーにも続々と抜かれ始め、メンタルも落ちてきます。

試走時に上から撮影した九合目以降の最大の急登。今回は20分近くかかってしまいました。

上を見ると、九合目の鳥居。そしてその上に見える最後の鳥居とフィニッシュ地点。

ここから距離にして1km前後。累積は200m程度。

普段なら駆け上がれる距離ですが、今回はもう九十九折りごとに立ち止まり、ふらふらになって朦朧としてきている意識を整えてから登らなくてはならない状態でした。

もう山頂は確認できるのに、本当に登りきれないかもしれない、と何度も思って立ち止まる有様。

その間、ラストスパートに入ったランナーたちに豪快に抜かれ続け、気持ちも続かなくなってきました。

しかしもうやるしかないので、ひたすら苦痛と向き合い続けます。

このレースに参加した人なら誰もが待ち望むこの光景。この最後の石段が、今回は本当に登れず・・・

そしてついに訪れたその瞬間。待ち望んだこの景色。

最後の鳥居とそこに続く数十段の石段。何度登ってもこの瞬間は大いなる喜びに包まれます。

しかし、今回は本当にここからが地獄。

信じられないほど、この石段が登れません。数段登っては止まり、もう目の前にフィニッシュラインが見えているのに立ち止まる。

これほどまでのしんどさは試走を含めて、ちょっと経験がありません。

本番ではここにフィニッシュラインがあります。今回はフィニッシュと同時に右手の石段の下に倒れ込みました。

しかし、最後は気力を振り絞りフィニッシュ。

フィニッシュと同時に、もう立っていることもできず、フィニッシュラインのすぐそばで横になってしまいました。

体に力が入らず、頭もクラクラして、正直何もできない状況でしたが、今回出場したチームノルケインの撮影が最後にあったため、空元気を振り絞ってポーズをとり、惨めな姿を動画に収めてもらいました。

どうにか立ち上がり、山小屋の前まで辿り着き、そこのテーブルでしばらく横になって寝ていなければならないほど体調は最悪でした。

ああ、これは下山できるのか?と本気で心配になる程、「今日は富士山なんかに登ってはいけない体調」であることをはっきり自覚しました。

遠くに見える小さなつぶつぶは登ってくるランナーたち。最後はこの傾斜です。

まさに「頭を雲の上に出す」標高の富士山頂。

今回のレースでは、八合目以降標高が3000mを超えたあたりから、急激に体がしんどくなりました。

五合目まではどうにか症状は抑えられていたのですが、高負荷と低酸素の両方が組み合わさると急速に体に異変が起き始めたのが特徴的でした。

通常、風邪を引いたり熱が出ても、1日2日休んで練習を再開する自分が、5日も休んだことが異例でしたし、その後もしばらく走れなかったのも明らかにおかしかったです。

そうした中で、なんとか富士登山を完走できるほどには回復し、悪いタイムなりに走りきれたことはひとまず回復には向かっているのだろうと、一方では安心した要素にもなりました。

今回実は、知っているエリートランナー数人が、不調というには明らかにおかしいほどのタイムの落ち込みを見せたランナーがいました。

うち一人は「風邪をひいていた」と話していたようなので、あるいは自分と同じ感染症に罹っていたのかもしれません。

とはいえ、体調管理も含めレース当日のパフォーマンスは全て自己責任ですから、まあ、今回はそこらへんの詰めが甘かったということでした。

結果的には楽しく終えられた今年の富士登山競走。来年はしっかり挽回したいと思います。

とはいえ、今回はチームノルケインという貴重な出走枠で走らせてもらい、多くの仲間とレースを共有でき、最終的には楽しくレースを満喫することができました。

Xのフォロワーさんともレースの話題で盛り上がり、やはり完走した者にしかわからないこのレース特有の魅力と魔力を、改めて共感できたのも良い機会でした。

今回のように、少しでもコンディションが悪ければ覿面にレースに影響するタフなコースを攻略するのは、並大抵のことではありませんから、今回のように痛い目に遭うとまた来年も、と克服するモチベーションが高まるのですね。

タイムは過去最低でしたが、大会全体を通して残ったインパクトは過去最高のものになったことを考えると、体調不良をおして参加した甲斐はあったなと、最終的には前向きに捉えることができました。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は小の月ということで、月当たりの走行距離は今年度で最も少なくなりました。

というより、先月は31日あったとはいえ440kmも走れていたので、この30日間はかなり距離が抑えられた印象です。

今年度は初めて月400kmを割りました

その要因はとにかくレースが続いたこと。

5月下旬に経ヶ岳バーティカルリミットに出場し、思いのほかしっかりと走れただけにそのダメージが残り、6月に入っても若干距離が踏めずにいました。

最後まで出し切れた結果、ダメージが尾を引きました

そして2周空けてのバーティカル競技、HOTAKA SKYRUN。

走行中の脚の重さから、おそらく経ヶ岳のダメージが抜け切れていない印象で、その中でも最低限の走りはできたものの、徐々に回復が間に合わなくなってきた感覚を得ていました。

走行中の脚の動かなさの割にペースはかなり良く、バーティカルとしてはベストに近い走りができました。

そして今年度序盤のレースとしては、かなり重きを置いていたトラックレースである、関東マスターズ選手権の5000mと1500m。

久々のトラックレース、そして40代最後のトラックレースということで、それなりに手応えを感じて終えたいレースではありました。

5000mも1500mもここ数年では最も冴えない記録となりましたが、久々にトラックレースの楽しさを感じられた選手権でした。

結果は、5000mが16分55秒で1位、1500mは4分38秒でM45の3位と、選手権としては十分楽しめる結果となりましたが、記録が思いのほか振るわず、悔しさの残るレースとなりました。

とはいえ、今にして振り返ると、だいぶレースが立て込んでいて、その中で全開走行を強いられるトラック種目とあっては、その影響は無視できなものであったなと。

トレイルレースのダメージは、もう少し速やかに回復してくれると思っていましたが、特に経ヶ岳のラストはマラソンのラスト並みの努力感であったことを考えると、そう侮れないダメージだったと考えます。

そうした中でしたので、練習の絶対的なボリュームも若干薄くなり、今月は初めて疲労で週末の高強度練習を一回飛ばすことになりました。

レストの日数が1日増えたことで400kmに届かなかったというのと、週末の高強度練習を一週飛ばしたことも疲労の影響が出た月でした。

とはいえ、今月もバリエーションに富んだ練習が組めたことは事実で、今のうちに刺激を入れておきたかったVO2MaxとLTには、かなりの時間を割けたような印象です。

特に、関東マスターズの1500mは久々に「もうこれ以上スピードを上げられない」という限界速度で3分以上走行したわけですので、図らずも解糖系〜VO2Maxと神経系に対して、普段入れられない刺激が入ることになりました。

今月も高強度の練習を最低限取り入れることができました

レースが続いて、そろそろ練習を続けていては疲労が回復しきれなくなってきている感覚はありますが、今年度走行距離が増えたことで、ジョグを継続しているうちに調子が戻ってくる感覚が得られるようにもなりました。

次のレースは、いよいよ7月下旬の富士登山競走、前半戦の重要レースとなります。

疲労を積み上げないよう常に練習を7割から8割程度の力で終わらせることを意識して、調子を維持していこうと思います。

HOTAKA SKYRUN MAEHO VKに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

富士登山競走前のトレイルレース(スカイレース、バーティカルレース)も今回のHOTAKAが最後となります。

もう一戦、菅平も検討しましたが、少し距離が長いのとスケジュールの関係でそちらは回避。

あとは山練と試走を入れて当日に合わせる予定でいます。

さて、そのHOTAKA SKYRUNですが、実はこのレースは初出場。

数年前に武尊山に登山をした際、この山域の素晴らしさを知り、さらにここでレースが行われることにもなり、いずれは走ってみたいと思い続けていたレースでした。

4年前に登山で訪れた武尊山。岩場の多いテクニカルなルート。

当然、2日目のスカイレースが本命で、そちらへの出走も検討しましたが、今シーズン前半は富士登山競走がメインですし、あまり無理して調子を崩したくなかったこともあり、今回も初日のバーティカルだけにエントリーしました。

5月の上田、2週前の経ヶ岳と、今シーズンはバーティカルで比較的良く走れていて、今回のMAEHO VKも5.5kmで累積1000mと、上田にそっくりなコース設定であったため、ここまでの戦略を踏襲して、堅実に走りたいところでした。

しかし、経ヶ岳の快走から若干疲労が抜けずにいて、練習中もなんとなく脚のだるさが気になる状態がレース前からありました。

さすがに、経ヶ岳ほどのパフォーマンスは発揮できる感覚はなく、疲労がありながらも大崩れしないで最後まで走り通す戦略でレースに臨みました。

標高1000m付近のレース会場は快適そのものでアップもサッカーグランドを利用して気持ちよく走れました。

今回のコースは、最初の1kmほどがロード登り。続いてやや背丈の長い芝のゲレンデ登り、大きめの石が混じるダートコース、その後再びゲレンデ登りと、4km地点まではトレイルではなく走れる登りが続くコースです。

この「走れてしまう」登り区間は、どのレースでもオーバーペースになりがちな部分で、今回もウェーブスタートで後ろから迫られる焦りから、若干ペースが上がってしまった感覚は得ていました。

また、疲労感がずっとあったため、楽をするとすぐにペースが落ちるのではないかという不安から、若干努力度を上げながら走り続けた印象です。

画像で見えるよりかなり急な上り坂。富士登山競走のリハーサルとしては絶好のコースでした。

それでも、これまでの2戦と同様、呼吸のキツさを指標として、大体50分から60分間走り続けることを念頭にキツさをコントロールし、勾配が急になるゲレンデの終盤はストライドを狭めてしっかりと歩きで登って行きました。

1回目のゲレンデ終盤はこのような砂礫が多い急勾配の斜面。つま先を地面に刺す感覚で力が抜けないよう気をつけます。

この時点でもまだもう一度ゲレンデ登りがあり、さらにその先に本格的トレイルが始まります。

元々脚のだるさがあった中で、さらにこの時点でもかなり脚を使った印象があったため、正直この段階では次のセクションで後ろからくるライバル選手には追いつかれると予想していました。

しかし、この後次のゲレンデまでにあるつなぎのロードでは思いのほか走れたため、まだまだ力は残っていることを確認できました。

2度目のゲレンデまでにもう一度ロードがあります。ここはしっかり走らなければなりません。

そして2度目のゲレンデ登り。

ここの傾斜は一度めのゲレンデよりも若干緩く、時折走りを混ぜながら、リズムよく登ことができました。

ただ、このゲレンデからは山頂も見え、肉眼での標高差に圧倒されることから、まだまだ抑えなければならないと気持ちを切り替えました。

帰りに下りながら撮影した2度目のゲレンデ。距離は長くとも若干傾斜は緩やか。遥か彼方に先程のロード区間が見える。

ゲレンデ登りが終わると、いよいよ最終局面であるトレイル区間が始まります。

ようやく山レースらしくなってきますが、ここまでですでに4km。

残り1.5km、岩場を含む急斜面トレイルを一気に駆け登ります。

ようやく始まったトレイル区間。後方に見えるのがフィニッシュ地点である前武尊山山頂

もう結構脚には来ていて、トレイルの急登では止まってしまう予感がしていましたが、いざ山に入ると思いのほか脚は動き、力強く斜面を登れ、時には走りも入れることができ、今までのような終盤ペースがガタ落ちする感覚は最後までありませんでした。

標高が2000mに近づき、呼吸もかなりキツくなってきましたが、それでも脚は動かそうと思えばしっかり動き、鎖場も腕の力を使うことで脚を休ませながらリズミカルに登っていくことができました。

よじ登り区間があるのもスカイランニングでは当たり前。鎖はどちらかというと下りで必須でした。

ラスト500mの表示の時点では流石にもう肉体的には限界が近づいていて、後は気持ちでどこまで登り続けられるかというところでしたが、ここからは例の4月から継続している200mのレペの感覚を思い出し、苦しいながらも体を動かし続けるという状態に頭を切り替えました。

先週にはVO2Maxペースでの練習をしていたこともあり、呼吸が上がってキツくなってもそのまま脚で押していける状態は健在で、最後の緩斜面は走り通してフィニッシュすることができました。

「前」とつくだけあり地味な前武尊山山頂。標高は2000mを超え、ひんやりとした空気は快適でした。

タイムは手元の時計で52分台。

前年大会の優勝者、宮原さんが48分台だったのでかなりの好タイムに気をよくしましたが、下山後に知ったところでは今年の優勝は47分台、2位も48分台とかなりのハイレベルな争いだったようです。

昨年であれば2位のタイムでも、今年は5位の入賞ラインにギリギリ滑り込むのがやっと。

数年前は宮原さんが44分台という異次元の速さで登っていたことを考えると、去年は全体的にコンディションが悪かったのかもしれません。

とはいえ、これまで一度も勝てなかったJSAのメンバーにも初めて勝つことができ、過去の記録を見ると52分台はかなりの上位の記録であったため、今回疲労を感じながらも今持てる力を全て出し切れ、5月から感じていた走力の向上も改めて実感できたレースとなりました。

50分切りは異次元の速さなので今回の記録であれば大満足です。

5月から続いたバーティカルシリーズもひとまず今回で一区切りです。次回は7月の本番、富士登山競走になります。

富士登山競走は、コース特性としては紛れもなくバーティカルなのですが、距離と累積標高差、そして到達標高どれもがあまりにも桁違いですので、これまでのような感覚では全く歯が立たないのですね。

走行時間もほぼマラソンですから、練習としては今後少しロング走なども入れなければならないと感じています。

昨年よりも有酸素能力は高まったと実感していますし、解糖系もだいぶ使えるようになった印象ですから、それらをもう少し長時間継続できる能力を高めていく必要があると考えています。

その前に、来週は40代最後のトラックレースとして、5000mと1500mが待っています。

ちょっと疲労がありますが、久々のトラックレースを存分に楽しみたいと思います。

年代別ではなく総合で5位に入ったバーティカルレースは今回が初でした。

5月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

5月もあっという間に終わり、今日から6月です。

今年の5月は例年よりも涼しい感じがして(本当にそうであったかは不明)、練習をする朝と夕方はかなり走りやすいコンディションが多かった気がします。

5月は当初から若干走行距離を増やそうと考え、いつもの通勤コースで行きのみ距離を伸ばし、1週間で走る距離の微増分を積み上げていくようにしてみました。

週6日の練習で考えれば、平日の4日を15km平均で走り、週末の2日を20kmずつ走れば合計100km。4週間でちょうど400kmになりますので、30日、あるいは1ヶ月で考えれば軽く400kmを超える走行距離を踏める計算となります。

本当は、週末2日を30kmずつ走り、500kmに乗せたいところではありますが、今の体力ではそれは確実に無理ですし、故障もしてしまいます。

なので、現時点では、まずは安定して毎月400kmを超えられるように、日々の練習は回復の間に合う15km程度。さらには高強度の練習も週1日。週末も多くて20kmずつ。という確実にこなせる量で練習を続けることにしました。

板橋シティマラソンの疲労を抜いた後の4月から、こうした意識を続けてきたのですが、気づくと週末のインターバルやテンポ走のペースが以前よりも上がっていることが多くなりました。

一番驚いたのが、4月終わりから5月前半にかけて、1kmのVO2Maxペースの練習で、3分一桁台が出始めたことでした。

ここ数年、1kmの全力走のタイムがどんどん遅くなってきていて、去年はかなり本気で走った際、3分15〜18秒かかってショックを受けていたところでした。

加齢の影響なのか、もうこういったペースで走る力はどんどん衰えていくのだな、と半ば諦めかけていたところでした。

ところが、4月以降、VO2Maxのペースだけでなく、LTペースにしても楽に走ったマラソンペースにしても、昨年までよりもワンランク上がった気がして、気がつくと40代前半の頃の練習ペースで走れる日が増えてきたのですね。

そんな体の変化を感じている中での、上田バーティカル、経ヶ岳バーティカルリミットでのPB。

ペース配分を意識したとはいえ、それでも無理をせずともPBが出せたことに少なからず手応えを感じていました。

終盤まで力強く走り切れた上田バーティカル
6年越しのリベンジを果たした経ヶ岳バーティカルリミット

そして、今日の練習では久々の1km×3のVO2Maxインターバル。

余力を残しながら、3分16秒、13秒、10秒と、これもここ数年できていなかったペースで完遂することができ、調子が安定してきたことを実感したところでした。

こうした、調子が上向いてきた要因をどう考えるか、走りながらあれこれ思いを巡らせていたのですが、最も大きな要因は、やはり数ヶ月単位で走行距離が増えてきたことが大きそうだなと。

長距離種目は、一定のペースでできるだけ長く走ることが必要になるため、同じペースが少しでも楽にならなくてはなりません。

つまり、効率の良いエネルギー供給が行われなければならないわけで、そのためには有酸素能力の向上は必要不可欠となると考えています。

ですので、毎日地味ではありますが、少しずつ距離を伸ばして走ることを継続し、それを数ヶ月続けているうちに、代謝系や血管・循環系が少しずつ適応してきたのではないかと考えました。

二月続けて400km超えは初ですし、先月はついに442kmまで距離が伸びました

もう一つの要因は、4月以降、週末の高強度練習の最後には、どんなにきつい練習をこなした後でも、必ず200mを(全力走行でない)解糖系を使うくらいのペースで数本走る取り組みを続けてきました。

本練習は、せいぜいLTとかVO2Max程度のペースですから、解糖系を使うペース、筋の使い方とは少し違ってきます。

なので、きつい練習をやったとしても、最後の200mはいわゆる「別腹」なのですね。

これを入れ始めてから、LTやVO2Maxのペースが楽になってきた気がしていて、さらにはトレイルの急登の歩きにも余裕が出てきた気がしています。

こうした、有酸素系の基礎となる力と、それを利用しての糖代謝能の融合がこの2ヶ月で徐々に進み、以前のように余力を持ってペースを維持できるようになってきたように思います。

5月は全体的な距離も伸びた上、定期的に高強度の練習も継続できました

さて、6月には久々のトラックレースがあります。関東マスターズで、数年ぶりの1500mと5000mに出場する予定です。

今季前半の大きな目標は富士登山競走ですが、このトラックレースもそれなりにしっかりと走りたいレースとなっています。

40代の前半には、1500mは4分10秒台、5000mは15分台でギリギリ走れていましたが、流石に今となってはその記録を出すことは難しそうです。

とはいえ、今回のトラックレースはおそらく40代最後のトラックレースとなるはずです。

この10年間で自身の走力がどれくらい変化したか、それを確認してみたい気持ちもあり、できるだけ良い状態でレースに臨みたいと思っています。

トレイルはレースのみの走行距離。それでもPBで走れたことで平地での練習の重要さに気づいた月でした。

4、5月と400kmを超え、体力、回復力もだいぶ向上した気はしていますので、練習やレースからのリカバリーが以前よりも早くなった気がしています。

なので、6月もさらに距離を伸ばして練習を継続することもできそうではありますが、今月もレースが入っていますので、あまり気負いすぎず、調子に乗らず、とにかく故障をせずに練習を継続することを第一目標にして、練習を欲張らないようにしたいと思います。

経ヶ岳バーティカルリミットに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は6年ぶりに経ヶ岳バーティカルリミットというトレイルレース(スカイレースとは謳っていませんが、事実上その基準は満たしている)に出場してきました。

6年前に初出場した際は、この「バーティカル」という名称と、登って下る単純コース、さらには距離が21kmという、コースの見た目の印象から割とスピードレースになると勝手に想像してしまったことで、オーバーペースで半分も行かないうちにエネルギーを使い果たしてしまった苦い思い出があるレースです。

この時は、山頂に到着する前からすでにオールアウトしかけ、帰りの下りでは走ることもできなくなり、フィニッシュ後は2時間ほど立ち上がれなくなってしまったほどでした。

そんな印象のあまり良くないバーティカルリミットですが、今回は比較的練習が積めていることと、登りの走り方が当時よりも熟練してきたこと、さらには7月の富士登山競走のコースのように序盤は長いロードが続いてから登山コースが始まるという共通性から、この時期には最適なレースだと考えたのですね。

ちなみに、レース後の表彰式では同じように「富士登山競走の練習」と位置付けている選手も数人いて、やはり同じことをイメージできるようなコース設定であったことがわかります。

そうしたこともあり、6年前の苦い思い出がありながらも、今回のバーティカルリミットはエントリーしてからずっと楽しみにしていたレースとなりました。

今回はJSAのエリートランナーが招待選手として集結。これもテンションが上がる要因の一つでした。

スタート時の天候はほぼ快晴。やや風が強いものの気温も低く、快適なコンディション。

前回も天気は良く、またスタート地点の公園も気持ちの良いところで、レースの過酷さがありながらもなんとなく楽しい雰囲気のある良いレースの一つです。

今回のレースプランは、とにかく勝負は折り返してから。なんなら、トレイルを下り切った最後のロード4kmで勝負する、くらいの気持ちで、序盤から前半の登りまでは絶対に努力度を上げないで走る、というもの。

失敗すると大変しんどくなるコースなため、珍しくスタート時は緊張をし、オーバーペースになりそうだったため、スタート直後はとにかくリラックスして努力度はマラソンのペース感覚で走り続けました。(レースタイムも大体マラソンと同じ)

スタートから4kmはこのような雄大なロード区間。とにかく呼吸が上がらないように。

調子もかなり良かったのと、ここ数週間、週末の高強度練習でもいいペースで走れていたため、このロード区間は登り勾配であったにもかかわらず、楽にキロ5分台前半のペースを維持できました。

ロード区間が終わった後のダート林道も力強く走れ、余力を残して登山道に入っていくことができました。

登山道は、いきなり急登が始まりますが、普段走っているJSAのバーティカルコースに比べれば標準的な傾斜で、時折走りを織り交ぜながら余力を持って登っていけるちょうどいいコースでした。

6年前の画像。傾斜は急ですが、両手でよじ登らなければならないほどの斜面はありません。

ここから4.5kmで累積1000m以上を登っていくわけですので、絶対に無理をしてはいけません。

6年前は、これを登り切れば事実上終わりだ、という意識がありかなり力を込めて登り続けてしまった記憶があります。

その結果、登りが終わる前に脚が終わってしまい、帰りの下りで走る体力がなくなってしまいました。

なので、いつでもペースが上げられる、なんなら走りに変えることもできる、というくらいの余力を残しながらリズムよく登りを歩き続けました。

途中数人を抜かし、最終的に追いついたランナーがペースを上げたため、その方(コグラン・リチャードさん)に山頂手前の分岐点までついていくことになりました。ここで引っ張ってもらったことが、結果的にオーバーペースを防ぐことにつながった気もしています。

山頂の手前にかなり激しいアップダウンがあり、往復するだけでかなり消耗します。

山頂手前では、折り返してきたトップランナーたちとすれ違うのですが、この時点で9番目。思ったよりも順位が良く、元気が出ました。

大体の印象ですが、トップの松本選手とはおよそ20分差くらいかな、と感じていました。

フィニッシュ後、記録がちょうど20分差だったことから、帰りの下りは同じくらいのペースで行けたのではないかと考えました。

さて、折り返して登り返しもクリアして、分岐から復路専用ルートで一気に下っていきます。

この帰りのルートは急坂が少なく、かなり気持ちよく下りを走り通すことができます。

岩場もほとんどなく、足場は柔らかいシングルトラックで、温存した脚でガシガシ下っていきました。

6年前の画像。時折急坂はあるものの、足場は柔らかな土でつい調子に乗ってぶっ飛ばしたくなります。

トレイルの下りは約6km。最後のロードが4kmですので、決して短い下りではありません。

でも、ついつい飛ばせてしまうトレイル下りが気持ち良すぎて、久しぶりに下りを攻めて走りました。

しかし、思ったよりもトレイル区間が長く、ちょうど下りが半分ほど終わったあたりで脚の動きが悪くなりました。

ふくらはぎにも軽い痙攣が起こり、足捌きも若干怪しくなってきました。

そうこうしているうちに、振り戻した足のつま先が石に引っかかり、リカバリーが効かず、豪快にヘッドスライディング。

柔らかトレイルだったため、本当に運よく無傷ですみましたが、これが岩場だったりトラバースだったりしたら、おそらく無事ではすまなかったほどの大転倒でした。

その後も相変わらず脚の動きは悪く、それでも下りは続きますので、必死に脚を動かしてトレイルを下り続けます。

トレイル区間ラスト1kmあたりでも、再び石に躓き転倒。

この時は十九折のカーブ地点で横に転び、木と斜面に激突。まあ、これくらいのことはよくあるので、この時も少し痛いくらいですみました。

転倒したところは、写真にあるような柔らかいシングルトラック。危ない転倒でした。

そうこうしているうちに、なんとかトレイル区間も終わり、最後のエイドを通過していよいよ勝負どころと考えていた最後のロード4km区間。

しかし、当初考えていたよりもはるかに脚は残っておらず、ギリギリ最後まで持つかな、という微妙な疲労度でした。

それでも、下りはキロ3分台を維持し、途中で緩やかな登が1kmほど続きましたが、そこでも気持ちを切らさずにペースを維持し、最後まで走り続けることができました。

最後、フィニッシュ地点までの歩道から公園内のロード区間までの1kmは脚を攣りながらの厳しい走り。

フィニッシュ地点の公園までの歩道から公園内のロードに入るあたりでは、もう完全に脚は終わっていて、痙攣を繰り返しながら無理やり脚を動かす状態でした。

しかし、順位は一つ上げ、8番手でフィニッシュできることや、タイムもかなり良かったため気持ちも高揚し、脚の状態に反して会心の走りでフィニッシュラインを走り通すことができました。

6年前失敗した難コースをようやく克服できた実感を持てました。

最終結果は、6年前の記録を14分ほど上回る2時間40分03秒。

転んでなければ40分を切れただけに、ちょっと惜しい感じもしましたが、それも実力のうちですので、結果には満足です。

順位も、先頭から21分差の8位ですから申し分なし。

年代別は、JSAと違って入賞者を除くため、おまけのように優勝をいただき得した気分です。

できれば、宮川さん、牛田さんの次に入って40代総合3位に入りたかったのですが、一人強力な40代選手が3位に入っていて、全く勝負になりませんでした。

また、7位の選手はなんと50代。

JSAには参戦していない選手たちにもまだまだ強い選手はいるものだな、とここへきて新たな世界を知った気分になりました。

50代目前にして表彰台の一番高いところに立たせてもらったのはいいご褒美になりました。

今回も、前回の上田バーティカルと同様、山練習はほとんど入れずに臨んだトレイルレースでした。

昨年の経験から、とにかくロード、平地の練習でしっかりと地力を高めて、揺るぎない走力を身につけることでトレイルにはある程度応用できると感じていました。

今回も、週末ごとの主にLT走ではかなり手応えを感じていて、ロード区間だけでなく、トレイルの急登でもかなり余力を持ってペースを維持できることができました。

トレイルレースの強度では、以前からLTが重要な要素であると感じていてそこを中心に鍛えてきました。

また、昨年度のマラソン練習から月間あたりの走行距離も微増し、直近2ヶ月は月間400km程度を維持できていたことから、通常のジョグでもあまり疲れにくくなっていることに気づきました。

こうした、特に派手な練習や山練を積んでいなくても、少しずつ負荷量や強度を上げ、それを継続することで、結果として走力が向上する過程は、変化は地味ですが確実なものであると改めて実感しました。

ここまで、幸い大きな故障をせずに練習を継続していますので、ここからも急激に練習量や負荷量を増やさずに、無理なくやれることを安定して続けていこうと思っています。

入賞者に贈呈される手作りの和紙賞状。このレースの魅力の一つですね。

4月振り返りと上田バーティカルレースについて

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は毎年恒例のスカイランニングレース、上田バーティカルの猿飛佐助コース(5kmで累積1000mのバーティカル)に出場してきました。

バーティカルとしては3年前の2021年が初めての挑戦で、今年でこのコースは4回目の挑戦。

序盤から急登が続くこのコースは、ランマニア的には最も苦手なコースの一つであったのですね。

2021年は、故障の影響で山歩きばかりをやっていたせいか、記録は53分50秒の今日までのベストタイム。

それ以降は、風邪を引いたりオーバーペースになったりで、まともに走れたことのなかったとても相性の悪いバーティカルレースでした。

今回は、昨年の反省をもとに、とにかくスタートから1kmのロード区間でのオーバーペースに気をつけることを最初の目標にして、慎重にレース運びをするイメージを持ってスタートしました。

上田のシンボル太郎山。直登すれば累積700mほどですが猿飛佐助コースは一旦下らされるため累積1000mにも及びます

10秒ごとの時間差スタートで一人ずつ走り始めるこのレースは、後ろに行くほどより速い選手が控えています。

昨年、V Gamesのランキングで10位に入ったランマニアの後ろには、強豪選手が6名ほどしかおらず、スタート直後にぶち抜かれるのは目に見えています。

今回は、すぐ後ろがOver48で最後までランキング1位を争った今井さん。

彼の方が実力的には圧倒的に上ですし、まして上田のコースは彼が得意とする急登続き。

当然勝てるわけがないため、今回の作戦としてはすぐに追い抜かれた後、そのまま行けるところまでついていく、というものでした。

案の定、トレイルに入ってすぐに追い抜かれ、彼のペースに合わせてペースを維持しました。

スタートは10秒おきの時間差スタート

ここで気づいたのが、例年自分のペースはかなりのオーバーペースだったということ。

今井さんのペースは思ったよりも楽に維持でき、呼吸も大体ハーフマラソンを走る時の感覚です。

走行時間は大体1時間ですから、呼吸のキツさはハーフのレースを走るくらいを目安にする必要がありました。

そのペースを維持して、累積が400mから500mに差し掛かったあたりで勾配もだいぶ急になってきました。

この辺りから同じ努力度で登っていると、徐々に今井さんに引き離されていく状態になりました。

ああ、流石にバーティカルのスペシャリストはこういうところが違うんだな、と一歩一歩の登る速さの違いを実感しながらとにかく自分のペースを維持することにしました。

その後に控えていた斜度40度の「壁区間」で、圧倒的な差をつけられここで勝負あり。

最終的につけられた差は40秒。

昨年よりも2分、PBよりも20秒以上速く走った自分でも敵わない52分台でフィニッシュされてはどうしようもなかったですね。

それでも、このコースで40秒差にとどめられたことは大きな自信になりましたし、今井さんのペースメイクを知ることができ、今後のバーティカルレースにも大いに活かせる体験をさせてもらいました。

フィニッシュ地点の山頂は快適そのもの。しばらくのんびり過ごしました。

さて、そんな今回のレースでしたが、山の練習を特段取り入れたわけではない中でのPB更新というのは、この年齢にあってかなり嬉しい体験です。

陸上競技に比べると、どちらかというと自分の能力的には未開の地であるバーティカルの種目において、特異性の高い練習をしたわけではなく、走力の持久的トレーニングをしての記録更新というところに、今回の手応えを感じた要因があります。

先月は主にLTと解糖系を中心にトレーニングを積みました

4月は毎週のようにLTレベルに刺激を入れる練習を取り入れ、練習の終わりには必ず200mの高出力走を入れました。

今日のレースで、急登をプッシュしている感覚が、ちょうどその200mを走り切る直前の感覚に似ていて、力の入れ方や出力の出し続け方に、どこか慣れた感覚を得ながらレースを進めている印象を持ち、苦しいながらもぐいぐいと押せる感覚も得ていたのですね。

斜度40度の壁のような斜面を登り切った後に、やや緩やかなシングルトラックに変わり、なんとしてでも走りに移行したいという苦しい局面でも、毎週入れていた200mのラストの感覚を思い出しながら腕をしっかり振って脚を前へ持っていくことができました。

もちろん、この200mのインターバルの効果が得られたのも、それ以前にマラソントレーニングのためにしっかりと距離を踏んできた数ヶ月の下積みがあるのはいうまでもありませんし、4月は一定期間の総走行距離がかなり伸びたことも走力の向上につながったものと考えています。

この数ヶ月は大きな故障もせず、安定して走行距離を積み上げられました。

このようにして、特にバーティカル用の練習をしたわけではなかったのですが、6月以降のトラックや10月のロードレースに向けて、長距離種目の記録向上の鍵を握るLTと解糖系のトレーニングを継続したことが、結果的に山のレースにも応用できたという事実が、ここ数年間仮説を立てて取り組んできたことが結果として身を結んだことに、ささやかながら喜びを感じたのでした。

割合としては微々たるものですが、解糖系を刺激する練習を定期的に入れたことの体の変化は決して少なくありませんでした。

さて、実は今年度このスカイランニングシリーズはバーティカルのみの出走となります。

昨年度は距離の長いスカイレースでだいぶ失敗をしたのと、体へのダメージが大きすぎることを懸念して、今年度はバーティカルに専念することにしました。

明日のスカイレースにも出走はしませんし、次のレースは5月25日の経ヶ岳バーティカルリミット(実は下りがあるので純粋なバーティカルではないのですが)になります。

前半戦の大きな目標は7月の富士登山競走となりますが、それまでに山レースを入れつつも、ベースは平地での陸上競技トレーニングを継続しながら走力を高めていくアプローチで臨もうと思っています。

3月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今年度も今日で終了。

今年度は前半と後半で一つずつ大きなレースが設定され、それぞれのレースにあたってしっかりとトレーニングを積んで臨むことができたシーズンとなりました。

結果はどちらも100点満点という訳にはいきませんでしたが、一つのレースに目標を絞り、そのレースで成功するために必要なトレーニングを計画。そしてそれに向けて練習を継続していく、というこれまでなかなか実現できなかったシーズンを送ることができました。

これを支えたのは、なんといっても大きな故障をせずに年間を通して安定して練習をつめたことだったと思います。

今シーズンは、一度踵の痛みが出て走行距離が減ったものの、安定して練習を継続できました

前半は、スカイランニングの世界選手権。

自分自身には最も苦手な超ロングレースということで、初めは出場を躊躇しましたが、結果的にはなんとか制限時間内に完走することができ、自身初の世界大会を無事終えることができました。

そして後半は、先日の板橋Cityマラソン。

およそ7年ぶりにしっかりと準備をして臨むことができたマラソンレース。残念ながら強風コンディションで記録を狙うことはできませんでした、久しぶりに自身の限界ギリギリのマラソンペースで終盤まで押していくレースができ、準備してきたことの手応えは感じられたレースとなりました。

この二つのメインレースを軸にしながらも、このほかにもトレーニングの一環としてスカイランニングや駅伝、ハーフマラソンなどにもコンスタントに出場し、比較的安定した記録を残せたことも今シーズンがうまくいった点でした。

もう少しやりたかったトレーニングがあり、自身の課題も明らかになったものの、これまでずっと思い描いていた1シーズンの送り方を概ね実現できたことは、一定の成功体験となったことは事実でした。

いずれにしても、昨年のような長期離脱を余儀なくされるような大きな故障をせずに、安定してトレーニングを続けることが、成功への第一歩であることは間違いありませんし、逆に言えばそれがなかなか難しいことでもあります。

そのようにして、ある程度長い期間練習を継続し、さらには最後のレースがマラソンであったため、流石に3月の下旬は疲労や脚のダメージが尋常ではなく、しばらくの休養が必要になったことは言うまでもありません。

マラソン後はまとまった休養をいれ、先週も軽いジョグだけで3月は終了しました。

今月はレースに合わせた練習となったため、主にMペースが主流となりましたが、オプションの駅伝があったため、久しぶりにVO2Maxに刺激が入った月になりました。

この速度域は、1月以降の駅伝で若干刺激が入っていた程度でしたが、20日の駅伝は思いのほかよく走れました。

やはり、VO2Maxの速度域については、仮にその速度での練習をあまり積んでいなくても、ある程度走れてしまうことがわかりました。

とはいえ、今シーズンはとにかく「スピード」「解糖系」の大きな衰えに直面化したシーズンでもありました。

来季はこの辺りの能力を再開発し、もう一度1000mのインターバルのペースをもう少し上げられるように、そしてさらには1500mのレースにも再びチャレンジしたいと思っています。

走行距離は少なかったものの、結果的に満遍なく刺激を入れられた3月。

2024年シーズンの、前半は7月の富士登山競走。後半はやはりマラソン(一応東京マラソンには申し込んで)に再挑戦ということを念頭にトレーニングを積んでいこうと思います。

色々と鍛えたい部分を数えればキリがないですが、あくまでまずは故障をせずにトレーニングを継続すること。それを第一目標に置きつつ、今シーズン以上のステップアップを図れるように課題を克服していこうと思います。