12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日で2024年も終了です。

シーズンは4月始まりのため、ランマニア的には年の切り替わりがシーズン終了ではないので、トレーニングやランニングに関しては別段ここで区切りをつける理由はありません。

しかし、11月に大きなマラソンレースを2つ終え、その後ぐだぐだにならずに12月のトレーニングをしっかり積めた上で、1月からのロード&駅伝シーズンを迎えられると言う点では、ここで一区切りつけて1月からフレッシュな気持ちでレース期間を迎えると言うのも悪くはないかな、と思ったりもします。

今述べたように、正直12月はどうなってしまうのか若干の心配はありました。

と言うのも、一月に2レースものマラソンを、そこそこの好タイムで走った後にダメージが残っていないはずもなく、疲労や不調に陥るだけならまだしも、故障などをしてしまうと1月からの駅伝&ロードを全て棒に振ってしまいかねないリスクがありました。

なので、12月に関しては、日々自身の体調や脚の疲労状態を注意深く監視して、少しでもおかしければまとまった休みを入れるつもりではいました。

しかし、終わってみると、3週目の週末に連戦となったバーティカル最終戦と入間市駅伝でも比較的良い結果が得られ、大きな不調に陥ることなくトレーニングを継続することができました。

V GAMESの最終レースとなった吾妻山登山競走では、本レースと年間ランキングでも年代別1位になることができました

Xの方では何度も言及しましたが、トータルの走行距離が伸びたことで、一度の練習やレースからのリカバリーがだいぶ改善され、大きなダメージを受けにくくなり、回復しやすくなったことが一つの要因として考えられました。

その結果、マラソンのようなかなりの負荷のかかるレースが入っても、強度を抑えた練習を継続していくことで、体の状態も緩やかに回復していくことが実感されました。

12月の練習もおおよそ予定通り実施することができ、計画していた負荷をかけることができたと思います。

12月は、再び一旦VO2Max中心に負荷をかける月として、レースも含めて4週連続でVO2Maxの強度に揃えました。

12月に関しては、1月の駅伝やロードレースに備えて一度強度を上げて、5kmや10kmのレースペースに耐えうる体に戻そうと考えていました。

11月はマラソンを2本に加え、ロング走も1回入れており、10月まで遡ってもハーフマラソンやロングトレイルなどで、脚や体にかかる負荷が大きなダメージとして残るものとなっていました。

一方、VO2Maxの強度で3km程度ならば、そこまでの負荷はかからず、10〜11月ほどのダメージは残らないだろうと考えていました。

実際、1kmあたり3分20秒〜10秒くらいのペースで走っても、呼吸は猛烈に苦しくなるものの脚の疲労はほとんど残らず、無理なく4週続けることができました。

12月は最後にロング走を入れましたが、それ以外は全てVO2Maxインターバルを入れました

一方、今月もトータルで450kmを走ることができ、これは2024年では一月あたりの最長走行距離で、30日間走行距離で435kmと小の月換算でも目安としていた距離に届きました。

この結果、年間4800kmを超え、おそらく大学を卒業して以降では最も距離を踏んだ1年となったはずです。

今年は年間4800kmを超え、400kmを超えた月も8回あり、安定して練習を継続できました。

そうした練習の積み上げは、1年間を通してのレース結果にもだいぶ反映された印象で、目標としていたV GAMES JAPANの年代別年間ランキング1位とバーティカル日本選手権年代別1位という、長期間にわたって安定した走力を維持する必要のあるタイトルの獲得につながったと考えています。

また、それと両立してマラソンにおいても安定した成績を残せたことも同様の理由を考えています。

現時点では今シーズンの取り組みが比較的良好に反映された2024年となりました。

ここまでの結果には十分満足していますが、今後、1、2月の駅伝&ロードに加え、3月に控えている板橋シティマラソンまで安定した結果を残せて初めて今シーズンのトレーニングとその成果が完成すると思っています。

そのためには、とにかくまずは故障をしないこと。そして欲張らずに、余裕を持って日々の練習を着実にこなしていくことが重要だと考えています。

11月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

マラソンレースを2レース入れた11月も終わりました。

当初はマラソンを二度も走るつもりはなく、また1レースでもマラソンを走れば、当然しばらくは疲労が抜けないため、月当たりの走行距離もだいぶ落ちるだろうと想像していました。

しかし、終わってみると今月の30日間走行距離は420kmを超え、8月から4ヶ月連続で400km以上の走行距離を確保することができました。

8月以降4ヶ月連続で400kmを超え、今年は7度目の400km超えとなりました。

マラソンを含め、レース後のリカバリーも早くなった印象で、10月のレース月間においても通常の走行距離を維持しながらもレースを定期的に取り入れることができました。

やはり、通勤時の練習で、朝と夕方の2部に分けて走ることで、多少の疲労を感じても練習はしやすいですい、思ったよりもダメージが残りにくいというやりやすさはあります。

ただ、11月はロング走も入れるとマラソンレースペースで走った距離が100kmを超え、同じ走行距離でも相当な負荷がかかっていたことは事実ですね。

マラソンレースペース、いわゆるMペースでの走行距離は100km超。およそ25%にも及ぶ走行距離でした。

しかも、11月は完全レストの日が6日間もあり、練習実施日は24日。24日で424kmでしたし、そのうち25%がマラソンペースだったことから、脚だけでなく、脳やその他の生理学的機能にもかなりの影響があるものと思われます。

そうしたことから、今は非常に故障のリスクが高く、ただのジョグにしてもあまりペースを上げたり、ダイナミックなフォームでガシガシ路面を叩いていると、割と簡単に故障が発生してしまうと危惧しています。

なので、先週は平日のジョグの距離を抑え、さらに努力度も抑えに抑えてジョグを継続したところです。

11月はレスト6日。24回の走行回数で424km走りました。

10月、11月と、かなりハードな2ヶ月を送ったことは間違いなく、今後どこかで不調期間が訪れると思います。

とはいえ、12月は第三週にバーティカルのシリーズ最終戦、吾妻山登山競走があり、ここでは年代別のシリーズ総合順位が確定する大事なレースとなります。

吾妻山登山競走は、距離は2.5km程度の超短距離トレイルレースなので、ここからの二週間は若干スピード、VO2Max強度に寄せた練習を取り入れ、体を高強度に慣らしていこうと思います。

どうにか、ここまではしっかり練習を継続して、いい形で2024年を締めくくりたいところです。

第44回つくばマラソンに出場しました

こんにちは、ランマニアです。

今月二度目のマラソンレース、つくばマラソンに出場してきました。

今年から松本マラソンが陸連コースとなり、二週間前には数年来の念願叶って松本でマラソンレースを走ることができました。

ただし、初マラソンから毎年のようにエントリーしてきたつくばマラソンとも時期が重なってしまい、当初はどちらかで記録を狙えればいいと思い、2レースともエントリーしておいたのですね。

その結果、今週のつくばマラソンは、マラソンレースからわずか二週間後にもう一度マラソンレースを走るという、異例のスケジュールとなってしまいました。

ただでさえ二週間ではマラソンの疲労は抜けるはずもなく、また松本のコースは非常にダメージが大きいアップダウンの激しいコースだったため、正直このつくばマラソンはジョグに毛が生えた程度の走りしかできないものと想定していました。

実際レース当日も、レースの日とは思えないほど寝起きが悪く、車で移動中も睡魔に何度も襲われ、松本の疲れがまだまだ残っている印象でした。

また、レース当日の調子のバロメーターとも言えるトイレ問題も、疲労の影響からかなかなか腸が動き出さず、スタート30分前になってようやく済ますことができた状態でした。

こうしたネガティブな情報ばかり蓄積していたため、スタートエリアで待機中も全くモチベーションの上がらず。

やはり二週間に二度のマラソンレースは無謀だよな、とかなり後ろ向きな気持ちで号砲を待っていたのですね。

スタートエリアは陸連登録で記録申請をしていたため何とかAエリアの第1ウェーブスタートが叶いました

スタートしても,松本のような軽やかな脚の動きは全くなく,42km走り切るだけの余裕を持って走ると体感的にはジョグのような速度感にまでペースが落ちてしまう印象でした。

過去何度もマラソンを走っていると,スタート時の体調や脚の感覚で大体その日の結果が予想できてしまうものですが,今回は典型的な「ダメな日」のそれでした。

初めの1kmの通過を確認すると,3分56秒。

通常興奮して脚がよく動いてしまう入りの1kmはたいてい少し速すぎるラップになるものですが,その中でこのラップはあまりにも遅すぎて軽くショックを受けたほど。

「こりゃ本当にダメだわ」と早々に覚悟を決め,今日はとにかく最後まで文字通り「走り切る」ことを目標に,下方修正することにしました。

この「いつまでも走っていられる努力度」を常に意識しながら,脚の疲れ具合と努力度だけに細心の注意を払いました。

ちょっとでも無理にペースを維持しているような感覚があればすぐに緩め,脚の疲労を感じればさらにペースを下げる,という準備をしながら集団の後方につきました。

そして,入りの1km以降はもう時計を見るのをやめました。

1km毎に「ペースが落ちた」だの「ちょっと持ち直した」だの,いちいち考えるのはエネルギーの無駄ですし,その都度ペースを微増させたり落としたりするのもかなりのエネルギーロスにつながります。

そうした中で,ラップ計測用のマットを通過する際にだけオフィシャルのタイマーが目に入ります。

5kmは19分40秒台。

相当に遅いですが,しかし一方ではこんなにジョグみたいな感覚で走ってもキロ4は切ってるのか,と少し心の余裕が出たのも事実。

今日は最後までこのペースで走ればいいや,と気持ちも楽になりました。

そのままその集団の後ろで風を避けながら10kmの通過。39分10秒台。

思ったよりもペースが悪くないことに気づき,ようやく気持ちも前向きになってきました。さらに,ノーアップでスタートしたせいか,ここへきて脚の動きもむしろ良くなってきているのを感じました。

そして,ここで「今日は30kmからペースアップをする。そのために,30kmまでは可能な限り温存する」というレースプランが頭に浮かび,ここからの20kmは最後の12kmを走るための温存区間だと言い聞かせるようにしました。

気温が低かったこともあり,給水も22kmまでは手をつけず,淡々とこのキロ3分50秒台の努力度を維持し続けました。

ハーフは1時間22分台後半。

松本マラソンよりも遅い通過でしたが,松本はこの時に「山の神」をやり終えてかなり脚にきていたことを考えると,今日は信じられないほど脚はノーダメージ。

とはいえ,マラソンの「残り半分」は実はようやく「スタート」なので,まだまだアクセルを踏んではいけません。

ここからペースアップして過去何度失敗したことか。

20〜30kmこそ,マラソンでの「温存区間」なのですね。

27kmすぎの1度目の折り返し地点は駅の近い沿道の応援が大きくなるところ。自然とペースが上がってしまいがちですが,ここはまだ我慢です。

1回目の折り返し地点が近づくと,沿道の応援がものすごく,ついついペースが上がってしまいますが,とにかく30kmまでは力を抜かなければ,とあえてストライドも抑えてリズムを整えます。

ところが,走行しているうちに,遥か遠くに見えていた「2時間45分集団」が次第に近づいてきていました。

全身の力を抜いて,ピッチをしっかり整えることで,むしろペースは上がっていたのです。

これは今回のマラソンで初めて体験した現象で,後で思い当たったのは,もしかするとこれが厚底カーボンシューズのアシストなのではないか,と。

力んで無理に前へ進もうとするよりも,力を抜いて接地で得られたエネルギーを殺さないように自然に足を前に出すだけで,かなりアシストが得られるのではないか,と。

この感覚を身につけてから,努力度は変わらないものの,むしろペース自体は次第に上がりつつあり,ついに迎えた30km地点ではすでにその集団に追いついてしまいました。

この集団について行っても45分で行けるなら,もうここでいいかな,と一瞬よぎりましたが,気づくと集団の先頭に立ってしまっていたため,「もう行ってしまえ」とペースは抑えずにそのままのリズムで走り続けました。

この辺りからは,もう「SEIKOタイマー」もほとんど確認せず,自分の努力度と脚の疲労だけに注意を向けながら,残りの距離との兼ね合いを考えていました。

大通りから急坂を上って筑波大学への県道に入る35km過ぎでも,過去最も元気に急坂を上ることができました。

筑波大学構内に入って37km地点。

流石に脚の動きが鈍くなってきて,これはペースダウンしてきたかな,と思い,このあたりからようやく努力度を明確に上げていきました。(後から知りましたが,実は最後の5kmは最もペースが上がっていました)

40kmを通過。ここで初めてタイムを意識しました。

どうやら最後の2.195km次第では,2時間43分台も狙えることがわかったからです。

しかし,何度も走ったつくばマラソンです。この先に控えている「ラスボス」,最大の難関のことは常に頭に入れながらここまで走ってきています。

ラスト1.5km地点にある,跨道橋のアップダウン。

距離にしておおよそ200mの急な上り。ほとんど終わってる脚でこの坂を登るのはどのレベルのランナーでも相当な苦痛となります。

もうここは正直「気合い」で乗り切るしかないのですが,それでもその後まだ1kmも残っています。

ラスト1kmは苦痛との戦いです。

松本マラソンほどのしんどさはなかったものの,どんな走りをしても,マラソンの最後の1kmは同じようなしんどさはあります。

フィニッシュが近づけば近づくほどキツさは二次関数的に増加していきます。沿道からは「後ちょっと」と言われますが,全然「ちょっと」じゃないわけで。

競技場に入り,最後の直線で2時間43分10秒台。

スタートの時点では全く想像もしていなかった高記録に,自身でも驚きの結末でした。

ラスト1kmが楽な人はいません

終わってみれば,2017年東京マラソン以来の2時間45分切りを達成。

しかも,マラソン2週間後の「再マラソン」という暴挙に出た中で,という自分でも予想していなかった結果です。

完全に脚が終わった松本マラソンからわずか2週間。本来は,どちらかをDNSする予定でした。

いろいろ考えましたが,一つは4月以降総走行距離が伸び,だいぶ回復力が上がってきたこと。

そしてもう一つは,やはり厚底シューズの恩恵かな,というところです。

確かに,Adios Pro3の衝撃吸収性能は驚くほど高いですし,かなり大腿部を使って走れるため,ふくらはぎのダメージがほとんど残らないのですね。

大腿部は筋肉が大きいのでその分回復も早く,2週間でもどうにかマラソンが走れるほどには回復したのだと考えています。

とはいえ,2週間で2本は基本やってはいけない「暴挙」なので,今回は例外中の例外ということで,2度とやるつもりはありません。

一方,やはり総走行距離の増加はマラソンレースそのものや,長いスパンで見たリカバリー力にもかなり効果をもたらすことがわかり,今後も無理のない程度に距離を伸ばしていこうと考えています。

いずれにしても,ようやく以前のようにマラソンのレースを楽しめるほどに走力と体力が戻ってきて自信がついたのと同時に,まだまだ記録にチャレンジできる体であることにも気づけ,まずは一安心といったところです。

松本マラソン2024に出場しました

こんにちは、ランマニアです。

今シーズン最初のマラソンは松本マラソンから。

前回のマラソンは、3月の板橋シティマラソンでしたので約8ヶ月ぶりのマラソンレースとなりました。

強風の中ペース配分の難しかった荒川沿いのコース

板橋は完全フラットコースではありますが、なんと言っても遮るもののないだだっ広い河川敷コースのため、今年のように強風が吹くと記録を狙うのはかなり難しくなるコースでした。

最低でも2時間40分台では行きたかったところでしたが、終盤大失速してしまい、51分台の凡走となってしまいました。

2017年の東京マラソン以降、しっかりとマラソンを走り切るレースから遠ざかっていて、記録を狙った前回の板橋でもラスト10kmで脚が終わってしまいました。

さて、そうした中で今シーズンはここまで3レースのマラソンにエントリーしています。

先日の松本。11月23日のつくば。そして翌年3月の板橋です。

一応本命は、コース的には(天候は別として)最も走りやすい板橋に設定していて、今月の松本とつくばは練習のつもりで出る予定です。

特に、松本は獲得標高300m以上の特殊コースなので、正直ここは全くあてにしておらず、松本の景色を楽しむ程度に出走するつもりでいました。

そんなファンランの予定で出走した松本マラソンでしたが、結果は想定外の好記録で、やはりマラソンは入れ込みすぎないのがちょうどいいのだなと、再認識したレースとなりました。

スタート〜5km

松本マラソン最大の特徴は、通常のマラソンレースでは考えられないアップダウンが繰り返されるコース設定にあります。

スタートして初めの5kmも延々とつづく下り坂で、とにかく気持ちよく駆け下っていけるちょうどいい傾斜の坂です。

朝の気温は3℃。今シーズン一の冷え込みで、久々にこの寒さを味わいましたが、マラソンにはちょうどいい気温

今回、中盤にある「山の神区間」と呼ばれる急激なアップダウン区間のために序盤は温存する予定でしたので、コースを通して大体1km4分ペースを維持するつもりでレースプランをイメージしていました。

なので、初めの5kmは急な下りを考慮すると大体3分40秒〜50秒くらいで行ければいいかな、と全く力を込めずに脚が勝手に進む感覚を意識して走り続けました。

5kmの通過は19分ちょうど。設定ぴったりの通過でした。

5km〜15km

今回に限らず、マラソンは15kmまではアップのつもりで走ることから、この区間はちょうど体が温まってきてとても快適に走れる時間帯です。

本コースにおけるこの区間は、3kmほど薄川沿いの道を緩やかに上った後、折り返して8km近く緩やかに下り続ける最も快適に走れる区間です。

ついつい調子に乗ってペースを上げてしまいそうになりますが、ここはとにかく我慢です。

初めの5kmでかなり貯金ができていましたので、キロ4にかかってしまっても全く問題ないと、楽な気持ちで走ることに徹しました。

この10kmは39分30秒と、ここもキロ4ペースよりも速くまとめ、再び「貯金」を積み上げることができました。

6km〜8kmまでは薄川沿いを緩やかに遡っていく上りコース。折り返すとしばらく快適な下りが続きます

15km〜20km

そして15km地点からの5kmは、本レース最大の目玉「山の神区間」と称する、コース最高地点まで一気に駆け上がる急勾配区間。

一月前に試走をした際、マラソンコースとしては考えられない急勾配の上り坂で、果たしてここでレースペースを維持できるのかとても想像することができませんでした。

最高点を過ぎると今度は急な下り坂が約1km近く続きます。ここで大腿四頭筋に大きなダメージを受けました

しかし、たまたま5km地点からずっと一緒になったランナーが全く同じペースで走れていたため、この坂区間も後ろについていいリズムで上っていくことができました。

ピッチを狭め、できるだけ出力を抑えて上りましたが、思ったよりもペースは落ちず、最大でも1km4分10秒までのペースダウンで止めることができました。

また、上った分下り坂もかなり長く、結果的にこの区間も19分49秒でまとめられ、中間点を前にかなり精神的に余裕を持てたのは大きかったです。

20km〜30km

通常この区間は最後の12kmをしっかり走り切るための「タメ区間」と位置付けており、今回もここでは絶対無理をしないと決めて臨んだ重要な区間です。

中間点は1時間22分37秒と、ちょうど2時間45分ペース。このままキロ4を維持すれば、48分台は余裕ですし、あわよくば47分、46分台も見えてきて、だいぶ気持ちも楽になりました。

ただ、この区間も全くの平坦な部分は少なく、前半は上り基調、後半は下りもありつつ急勾配の上りも存在し、決して楽に「タメ」られる区間ではありませんでした。

また、山の神の下りでやられた大腿四頭筋のダメージがペースの維持を困難にし、若干努力度が上がってきた印象です。

本来、もう少し楽にこの区間を終えたかったのですが、繰り返されるアップダウンと大腿部のダメージで、だいぶエネルギーを使ってしまった感覚を得ました。

この10kmは39分40秒と、かろうじてキロ4を切るペースを維持できましたが、その努力度は序盤の10kmとは明らかに違っていて、脚が止まりつつあるのが自分でもわかりました。

30km〜40km

そしていよいよ、マラソンレースにおける最重要区間、30km以降に突入です。

ここまでにどれだけ余力を残しているかで、そのレースの結果が概ね決まると言っていいでしょう。

言ってみれば、30kmまではマラソンレースの前座に過ぎず、この12kmでどれだけ脚を動かせるかが記録を左右するのですね。

今回のレースでは、やはり中盤の山の神が大幅に効いてきており、30kmを通過した時点で「あと12kmもあるか」とやや気が遠くなる感覚を抱いたのは事実でした。

とはいえ、ピッチを狭め、それまでのリズムはまだまだ維持できたことから、なんとかキロ4を維持することだけを考え、無理に力を入れないようあえてリラックスするよう努めました。

残り7kmで迎える空港内エリア、スカイパーク区間。微妙なアップダウンに削られていく感覚です。写真は2月に試走した際に撮影

空港エリアに入るとまもなく35km地点を迎えます。

この直前5kmはしばらく上り基調で、次第に脚が動かなくなってきた中、スカイパークに入ってなだらかな下りが始まります。

当初、このスカイパークの区間は最も走りやすいエリアだと思い込んでいましたが、実際ダメージを負った脚でここを走ってみると、細かいアップダウンが残りのエネルギーを徐々に削っていき、フィニッシュが近づけば近づくほどしんどさが倍増していく感覚で、ペースも次第に落ちていきました。

この最後の7kmは、自分が想像している以上に余力を残していなければまともに走れない区間で、スカイパークに入る前の緩やかな上り区間で脚を使ってしまうと、公園内で立ち止まってしまうことも十分あり得るコース特性となっていました。

この10kmは40分30秒と、ついにキロ4を超え、一気にペースが落ちていきました。

40km〜フィニッシュ

残り6kmが気が遠くなるほど長く、どうすれば走り切れるか本当に想像できないほどでしたので、40km通過時は、実際もう脚は終わった状態でした。

ここからは、ペースを維持する意義をどれだけ持ち続けられるかが重要で、肉体的には限界点を過ぎている中、心理的にそれをどうコントロールして、残りの2.195km、如何に脚を動かし続けられるかが鍵となります。

40km通過が2時間38分30秒でしたので、仮に10分かかっても48分台は可能と考え、気持ちがいっぱいいっぱいにならないよう努めました。

今のペースさえ維持すれば、47分台は見えてくるだろう、と言い聞かせ、とにかく同じリズムを刻み続けました。

ところがなんと、ここから再び上りが始まります。

まるで夢の中で走っているように動かそうと思っても脚は動かず、体感的にはすでにジョグのリズム感とスピード感に陥っていました。

また、小刻みな直角コーナーがいくつかあり、その度に脚が攣りそうになります。

こんなにきついラスト2.195kmもそうそうないと思われ、松本マラソンの難易度の高さは伊達ではなかったと、最後まで思い知らされました。

ラスト1kmを切ったあたりで、背後からやけに重量感の感じられない足音が聞こえてきて、すぐに女子のトップだということがわかりました。

並ぶまもなくあっさりかわされ、惜しくも女子のトップに勝つことはできませんでした。

最後の直線で、時計は47分に変わったばかり。

思ったよりも善戦できていたことを知り、最後はどうにかスパートもかけられ、47分台には余裕を持って滑り込むことができました。

久しぶりにマラソンを走り切った充足感を味わいながらフィニッシュラインを通過しました。

秋晴れと紅葉が素晴らしいフィニッシュエリア。更衣室は大きなドーム内なので雨天時も快適だったはず

後ほど速報結果を知ることになり、記録は2時間47分43秒。総合順位29位、50代の年代別順位は1位という結果でした。

記録は自身のキャリアの中では平凡ですし、自己ベストよりも8分ほど遅いタイムでしたが、この特殊な松本のコースで最後までどうにか大崩れせずに走り通せたこと。

さらには約8年ぶりに2時間50分を切れたこと。

そして、公認マラソンレースでは過去最高順位の29位と年代別1位という結果には、正直自己ベストを更新した時に匹敵する喜びと満足感が得られたのは事実でした。

50代になって間もない自分にとっては、この年代別カテゴリーは最も有利な条件ではありましたが、逆に今しか取れないタイトルでもあるので、目標にしていた年代別優勝を達成できたことは今回松本マラソン最大の収穫だったと思います。

“シティーランナー“牛山さんから21分遅れでとどめられたのも、地味に嬉しかった点

ところで、今回走りながら大きな手応えを感じられ、終盤まで勝負をし続けられた要因は以下の2点だと思っています。

①この半年間の総走行距離が大幅に増加したこと

4月から10月までの直近6ヶ月で、月400kmを超えた月は5回。

一方、板橋シティマラソンの直前6ヶ月で、月400kmを超えた月は1回と、その差は歴然としています。

この差を感じ始めたのはちょうど10月に毎週レースが続いた時期に、レースを走っても比較的回復が早く、以前であれば1週間前に距離走を行うと大抵レースを失敗していたのが、先月はハーフもそこそこ走れて、その後も疲労が速やかに回復していった経験からでした。

今回の松本も、やや賭けに近かったですが、1週前に距離走を入れていたので、その影響が出ずに42kmを走り切れたのには驚きました。

1km4分ペースで走行中も、脚に来る衝撃、ダメージが心なしか軽い感じがして、脚の強靭さが増している感覚も得られました。

これは間違いなく総走行距離が増えたことが要因だと思われ、4月からの取り組みが実を結んだものと考えています。

②想定ペースを抑えたこと

今回、コースの特性から初めから記録は追わず、如何に最後までペースを維持できるか、大崩れずにタイムをまとめられるかを目標にレースに臨んだことから、設定ペースのようなものを考えず、とにかく体感にのみ従ってペースを組み立てました。

なので、距離表示ごとにペースの増減に一喜一憂することもなく、その時の脚の疲労度だけに注意を向け、「だいたいこれくらいの疲労感ならあと⚪︎kmは走れるかな」ということを常に考えて走り続けました。

板橋の時は、どうしても過去の自分の記録と比べてしまい、「最低でも1km⚪︎分は維持しなければ」というプレッシャーを常に感じてペースを組み立てていたのは事実です。

えてしてそういう時はだいたいレースを失敗するもので、強風という条件がなかったとしても、板橋では良い走りはできなかったと考えています。

今回の松本マラソンでは、初めから記録は諦めていたので、その心構えがむしろ結果的に良い方向に影響したのでしょう。

マラソンはロード種目の中で最も苦手な種目であるため、これまでも失敗することが多く、今日のようにしっかり走り通せる機会もそうそうありません。

ただ、最後までエネルギーを残しながら、ある程度のペースを維持し続けることができれば、これほど楽しい種目もなく、今回は久々にロードレースの楽しさ、マラソンの面白さを味わえたレースとなりました。

苦手ではありますが、工夫次第ではまだまだ記録を狙うことも、キロ3分台で勝負することも可能であると考えているので、今後もある程度マラソンにはこだわっていきたいと思います。

10月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

レース月間だった10月もあっという間に過ぎ去り、終わってみれば4レース全てに出場したハードなひと月となりました。

当初、志賀高原エクストリームトレイルの負荷がかなり高そうだったため、びわ湖バレイスカイランは回避する予定でしたが、せっかくの日本選手権でタイトルを取りたいという気持ちが高まり、結局強行日程で出走することになりました。

そんな10月は、第一週の高島平ハーフマラソンからスタートしました。

久々の公認ハーフマラソンでかなりモチベーションも高まり、調子もまずまずではありましたが、残念ながらレース前にトイレをしっかり出すことができず、途中二度のトイレ休憩によってタイムは過去最低のものとなってしまいました。

ロスタイムを除けば、1時間14分台も見えていたレースだっただけに、公認記録として残せなかったのは残念でした。

久々の公認ハーフに出走し快調にペースを維持しましたが、無念のトイレ休憩で終了

続いて第二週は、スカイランニング協会が設定しているバーティカルのシリーズ戦、VGAMES の公式戦、烏帽子スカイラン。

烏帽子のバーティカルコースは、序盤から比較的走れる傾斜の続く、バーティカルとしてはやや距離の長めのレースで、自分としては参戦以降得意としているコースです。

今回は、年間シリーズの総合ポイントにも関わるレース、さらにはマスターズ部門では数少ないポイント対象レースということで、個人的には失敗したくない大事なレースとして位置付けていました。

結果は、ベスト記録には及ばなかったものの、トップから7分30秒差の総合7位、マスターズ部門でも年代別1位となり、ひとまず年間シリーズのポイントを確保することができました。

バーティカルは自分でも得意に感じている種目なので、目標が達成できて満足感は高かったレースでした。

走れる登りと最後の絶景は、このレースが個人的に最も好きなバーティカルレースの理由です

そして第三週は一転、最も苦手な長距離レース、志賀高原エクストリームトレイルのロング55kmです。

55kmという距離は、昨年の世界選手権で走って以来の長い距離で、スカイランニングでは「SKY ULTRA」のカテゴリーに位置します。

なぜこの最も苦手としているレースを走ろうと思ったかは、今回はこのロングコースが、スカイランニング協会の全日本選手権、SKY ULTRA部門に設定されていたことと、このエクストリームトレイルのコースが、紅葉で色づいた静かな志賀高原を淡々と走れるのが楽しかったからです。

季節的にも、標高的にも、まず暑さは気になりませんし、多少寒くても走ってしまえばちょうど良い体感温度となることから、スカイレースの中でもこのレースは最も好きなコースだったのですね。

ただ唯一の懸念は、55km、累積2850mもの本格スカイレースを、ほとんど山練習をしないで果たして走り切れるのだろうか、ということでした。

結果的には、ペースを抑えることで体力的には全く問題なく走り切ることができましたが、最大のトピックスは、最初の登山道が終わってゲレンデに入る木製の階段で、前方向に豪快に転倒してしまったことでした。

かなりの勢いで転倒したので、左腕と胸部、そして両大腿部と膝を強打し、あまりの痛みにしばらく動けなくなるほどでした。

特に、左大腿部の痛みは尋常ではなく、着地と膝の屈曲ができないほどの痛みで、一瞬リタイアが頭をよぎりました。

しかし、骨折をしたわけではないと思うと、とにかく痛みさえ堪えれば走れると判断し、結局その後40km以上も痛みを堪えて走り通すこととなりました。

最終結果は、ほぼ目標タイムでは走れたものの、マスターズ部門では4位となり、残念ながら入賞を逃すことになりました。

それでも、骨折等の大怪我にはならずに、どうにかSKY ULTRAのコースを完走できたことはある程度の自信となりました。

毎年期待通りエクストリームな天候になる志賀高原。コースの美しさは随一です。

本来ならここで10月は終える予定でしたが、この志賀高原でメダルが取れなかったのが相当に悔しく、打撲の痛みもなんとか回復したこともあり、直前で第四週のびわ湖バレイに参戦することにしました。

このびわ湖バレイのバーティカルも、以前から得意としているコースで、今回このコースがバーティカルの日本選手権となったことから、なんとかタイトルを取りたいという気持ちが高まっていたのですね。

志賀高原の疲労はあったものの、脚が動く限り、呼吸が一定のきつさを超えないように、ギリギリのラインで走り続け、どうにか年代別の1位となることができました。

タイム的にはもう少し伸ばしたかったところでしたが、最後はライバルの選手とのデッドヒートとなり、久しぶりに吐きそうになる程追い込めたので、レース内容としては満足できました。

びわ湖バレイスカイランの最大の目玉はフィニッシュ後のこの絶景。さらに帰りは楽ちんゴンドラで帰れるという、だいぶ甘んじバーティカルなのがついついエントリーしてしまう所以です。

終わってみれば4レースに出走した10月でしたが、月あたりの走行距離もこれまで通り400kmを超え、30日間走行距離も420km台と、レース月間ではありましたが安定して練習を継続できました。

初の3ヶ月連続400km超えを達成。明らかに回復力の高まりを感じ、4週連続レースを実現できたのもこの走行距離の賜物だったと思われます

レースは最初のハーフマラソン以降は3週連続トレイルレース。

ここは、スカイランニングに取り組んでいるとどうしてもレースが立て込む時期になってしまうため、このトレイル月間をどうトレーニングに結びつけるかですが、今回は2戦あったバーティカルではLT系やVO2Max系に刺激を、スカイレースでは有酸素系とエネルギー代謝系に刺激を入れられたかと思っています。

トレイル率が高くなった10月ですが、ハーフも走ったため、総じてLT系に刺激が入ったと思われます。

今月も、毎日のトレーニングは通勤経路を走りにあて、概ね10マイルは走るように意識しました。

正直、もうそろそろこの距離を超えても問題はなさそうですが、睡眠時間の確保と夕食の時間を考えるとどうしてもこの距離までが限度かなと思います。

平日のベースは2部練での10マイルジョグ。体力的には18kmにまで伸ばしても大丈夫そうですが、現状のライフスタイルでは限界かもしれません。

さて、11月はいよいよマラソンレースが始まります。

とは言っても、記録を狙うというよりはトレーニング的な意味合いと、レース自体を楽しみたいという目的で出場するレースです。

来週の松本マラソンは、義理の両親がいる地元。

年に数回訪れる松本の地を、マラソンレースで走れるというのが今から楽しみです。

そして、その二週間後は2年ぶりに出走するつくばマラソンです。

つくばは、マラソンを始めた頃は毎年のように自己ベストを更新するような走りやすいコースで、ここのところはずっと距離走代わりに走っていました。

松本の二週後ということで、おそらく万全ではないでしょうが、できればコースの良さを活かして久々に2時間40分台では走っておきたいとは思っています。

9月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

9月も終わり、いよいよここからレースシーズンが始まります。

レースが立て込むと、どうしても練習量が減っていくのでこの1ヶ月は少し意識して走行距離を積み重ねました。

そのせいか、今月は30日間の走行距離としては社会人になって最長の440km超えを記録しました。

社会人になって最長の、30日あたり448kmを走れた9月

最後の20km距離走は、流石にレース疲れも重なりかなり脚に来ていましたが、それでも以前なら途中で辞めてしまっていたような疲労度でも、脚力で押していける感覚を得ることができました。

また、今月の練習サイクルの中に組み込まれていたトラック5000mでも、前走の関東マスターズより10秒ほど速い16分40秒でまとめられ、練習を継続しながらもパフォーマンスを維持できる体になってきた印象です。

M&Kディスタンスでは50代最初の5000mでなんとか40代最後の記録を上回ることができました

今月はトラックレースに出たとはいえ、練習内容としてはLTやロング走が中心で、マラソントレーニングに移行する期間となりました。

しばらくマラソンペースから遠ざかっていたため、長い距離をペースを上げて走ることに脚が慣れてない感覚ですが、ここから少しずつ戻しておこうと思います。

今月はロング走を2回、LT走を1回と、徐々にマラソン向けの練習にシフトしてきました

9月は平日のジョグの距離を最低でも15km超えを意識したことで、トータルのボリュームを増やすことができました。

週あたりはだいたい100kmを維持してきたため、一度にまとめて走ってもリスクが高まらないのはおおよそ25kmまで。

なので、週末に時間が取れても一度に走るのは20km程度にしておきました。(最後の距離走の時だけは27kmを越えましたが)

平日はなんとか15kmは維持しましたが、週あたりは100km程度なので、まとめて走っても問題ないのは25km程度まで。

10月は、緒戦がいきなり高島平のハーフですが、ここはロング走の一貫としてあまり突っ込みすぎずに、後半ペースを上げていくくらいの余力を持って走ろうと思っています。

その翌週の烏帽子バーティカルは、バーティカルといっても割と走れる長めのコースで、ここもLT程度の負荷がかかるレースとなります。

この二レースで、比較的強い負荷を一定時間かけ続ける練習をして、最後はその翌週の55kmのログトレイル、志賀高原エクストリームトレイルで長時間走に慣れたいと思います。

8月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月も7月に発症した感染症の影響で、しばらく調子を崩し、練習やレースでも万全の走りができないでいました。

7月は仕事や日常生活もままならいほど倦怠感が強く、眠気からくる「やる気の出ない」状態がずっと続いていましたが、8月に入り、それがようやく抜けつつありました。

それでも、ジョグをすると後半は脚が止まってしまい、その後は全身がだるくて仕方がない状態は続いていました。

高強度の練習も、良かった時の7割くらいの力でないと走れず、走行距離・時間も5割ほどしか続かない状態は続きました。

とにかくやれることを継続しようと、その状態でもやれる練習を続けてきましたが、8月中旬に旅行で登山をした翌日、再び発熱をしてダウンすることになったのですね。

久しぶりに「登山」をしに八ヶ岳へ。この日は快適に歩けましたが、翌日に発熱。

ただ、ここで再び38度近い熱が出たことで、なんというか若干頭の重さやだるさが軽減された気がしました。

体の中にずっと燻っていたウィルスの残骸が、この発熱でようやくトドメを刺されたというか、そういう感覚は得られました。

1日寝たら解熱し、翌日には普通にジョグができました。

そして、発熱から中5日で迎えた嬬恋スカイランのバーティカル。

相変わらず、朝は頭がくらくらし、アップでもどこかだるい感覚を残しながらもスタートを迎えましたが、以前のような「やる気のなさ」はほぼなくなり、久々にレースに対して緊張感が高まるのを感じました。

疲れている時は、なかなか気持ちも高まらないのですが、今回のレースでは珍しく緊張し、調子自体は悪くないのかな、とどこか走れそうな気もしていました。

VGAMES JapanのV2レースに指定されている嬬恋スカイラン。年間ランキングのポイント対象レースです。

結果は、自身の感覚通り、発熱後中5日という状態にしてはしっかり脚が動き、若干OPとなったものの年代別1位となることができました。

記録もこのコースの一つの目安となる「20分台」まで後少し、という30分16秒と体の状態を考えると十分な走りができました。

50代の部では最年少だったため、最低でも優勝はしないとな、と思っていました。

ただ、この後もだるさが悪化したり、症状がぶり返したりを繰り返し、土日の練習後は半日寝て過ごしてしまうような日もあったりと、なかなか体が元に戻らないことに若干焦りも感じ始めていました。

週末の高強度練のタイムも徐々に戻ってきているし、ジョグのペースも楽に維持できるようになってはきているのですが、とにかくだるい。

そして今日、今月2度目のVO2Maxインターバルを敢行。

アップの時は、いつも通り脚がだるく、今日もダメかなと思っていたところ、苦しいながらも脚はしっかり動いてぐいぐいと押していける感覚が戻り、7月6日以来、1kmを3本行うことができました。

練習後も倦怠感はほとんどなく、起きているのもしんどいような眠さも発現せず、一日元気に活動することができました。

ようやく体が元通りになってきたかな、と実感できる状態になりました。

調子がすぐれないながらも、月に2回のLT走とVO2Maxインターバルを入れられたので、最低限の走力は維持できたかなと。

今月は、山歩きを20km強行ったとはいえ、トータルで大体430km走ることができ、ボリューム的には今シーズン2番目の距離を確保できました。

頭が重かったり倦怠感がありながらも、脚自体は疲れていなかったため、意外にも距離と練習のバリエーションは比較的理想の一月を送ることができたかなと。

主にLT域と最大酸素摂取量に刺激を入れる1ヶ月になり、トレイルも組み合わせて最低限の強度バランスは保てました。

また、30日間距離でも400kmを超えていたことから、今年は月400kmを比較的余裕を持って継続することができています(先月は発熱休養が5日ありましたが)。

15km、場合によっては20kmのジョグをしても翌日には疲労感が軽減されることも多くなってきたので、ボリューム増加による回復力の改善は実感できる程度になってきた印象です。

今年は400km越えの月がすでに4回。ここ数年で400km越えは一度しかなかったことから、確実に体は変化していると信じたいです。

さて、9月からはいよいよトラックとロードレース、そしてトレイルレースが盛りだくさんで、ここまでの練習を続けることは難しくなってきます。

9月22日のトラック5000mまではまだ少し時間があるので、もう少しジョグで距離を積み上げる期間を延長し、レース月間にボリュームが低下する前に下地を整えておこうと思います。

7月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月ももう5日というところですが、7月の練習を振り返ろうと思います。

この7月は、社会人になっておそらく最も体がしんどい1ヶ月間になってしまったと思います。

思い返すと、ちょうど一月前の7月6日あたりに行ったVO2Maxインターバルで、ペースは悪くなかったのですが、何か変な脚のキツさを感じ、余力も残せず練習を終えた日がありました。

また、その翌日は20kmのジョグをしたのですが、これもたかだか20kmで終盤にやめたくなることなどそうそうないのですが、この日もやはり終盤脚が変なだるさでペースがガクッと落ちる始末。

そして、本格的に体の異変が現れた7月8日の富士登山競走の試走日。

ただの疲労では考えられない脚のキツさで、帰りの下りでは歩いたり立ち止まったりしてしまうほどの状態。

帰宅するとすぐに横になってしまいたくなるだるさに襲われ、「ああ、これは熱が出るやつだ〜」とすぐにわかりました。

案の定、そこから5日間も走れなくなる発熱が続き、最終的には最も重要なレースと位置付けていた富士登山競走にまで影響してしまうほど、症状が長引いてしまったのですね。

最悪の結果となってしまった富士登山競走

そんな7月でしたが、結局、8月に入った今日に至っても症状が完全に抜けきれず、走りに影響を及ぼすほどの異変が一月ほども続いてしまっている現状があります。

とはいえ、走り出して仕舞えばどうにかキツさは気持ちで抑えられるため、5連休した以外は練習量や内容にはそれほど影響しなかった7月でした。

発熱で5連休が入ったものの、それ以外の練習は平時と特に変わりなく継続できました。

熱がなければ、もう少しLT走や距離走などを入れて、長丁場の富士登山競走に備えたかったのですが、それをやれる状況ではとてもなく、なんとかジョグだけで最低限の走行距離を維持するにとどまりました。

富士登山競走の前半ロード区間を攻略するため、もう少し距離走は入れたかったところです。

結果として、5連休が疲労を抜くことにつながり、当日は脚の疲労は全くなく、逆に練習で追い込んでいたらロードはもっと走れなかったかもしれないと考えると、今回は休養を入れる重要性を改めて感じられたレースとなりました。

今月は344.9km。5連休の部分を普通に走れば400kmを超えていましたが、体調が悪い中である程度の距離を維持できました。

また、ジョグであればどうにか走る気力が維持できたことから、割と走行距離は落とさずに7月を終えられることができ、最低限の体力維持はかなったかなと思います。

それよりも、早くこの不調の状況を脱したいのが今の第一の希望で、仕事やそのほか生活の中でもなかなか気分が上がっていかないのもストレスになっています。

おそらく、普通に練習していることで、症状の回復に使われる体力や回復力が、走る方に使われてしまっているせいだと勝手に推測していますが、では毎日寝て過ごせば治るかというとそれもなさそうなので、、少しでも通常の日常生活を継続していこうかと思っているところです。

富士登山競走に参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は今シーズン前半最大の目標であった富士登山競走に出走してきました。

残念ながら、結果としては山頂コースのワースト記録で凡走となってしまいましたが、これはもう7月上旬に感染症に罹ってしまった時点で予期された結果であったなと、半ば予想通りの展開ではありました。

7月8日に試走に出かけ、その夜に発熱。以降の症状から、おそらく今流行りの感染症であったかと。

7月8日の試走時から体の異変を感じ、疲労とは明らかに違うしんどさの中試走を終え、帰宅後は案の定夜中に発熱。

受診もせず、熱も測らなかったですが、おそらく体の痛みから38度は軽く超えていた印象。

これが3日ほど続き、自分としては珍しく風邪症状でも走れないほどのしんどさ。

結局9日から5日間の完全休養となり、その後もしばらく微熱が続き、試しに走った30分と60分のジョグではキロ6分を切るのがやっと。

つまり、発熱後1週間でもまともに走れない状態が続いていました。

次の1週間は熱こそありませんでしたが、体のだるさと、それ以上にちょっとした意識障害、「何をするのも考えるのも億劫な感じ」がずっと続き、走るための体力こそ徐々に回復したものの、強度を上げて走るために「頑張る」ことがかなり難しい状況でした。

その週末に、試しに1kmを8割程度の力で走ってみましたが、3分40秒で1本走るの精一杯。

この週の終わりに本番が控えていたため、これは完走自体も危ういかもな、と嫌な予感はしていたのですね。

当日の朝。いつもはこの光景を見て気持ちが最高に昂るのですが、今回は全く走りたいと思えず・・・

そんな状態でしたが、どうにか通常のジョグのペースは平常モードに戻り、完走できるかどうかギリギリ微妙なところまでは回復して当日を迎えました。

しかし、頭がぼーっとする感覚は最後まで抜けず、とにかく「疲れることはやりたくない」気持ちが相変わらず残っていて、スタートラインに立ってもなかなかモチベーションが上がらない状態で号砲を待つ状態でした。

ついに一人になってしまった宮下さんのエール。しかしここで元気をもらい、どうにか気持ちも前向きに。

しかし、毎年恒例の宮下選手の「エイエイオー」をやっているうちに、「笑うから楽しい」状態になり、どうにか頑張れそうかな、という前向きな気持ちが芽生え始めました。

スタートすると、アップの時に感じただるさはひとまず消え、キロ4分くらいのちょっと速いジョグ感覚のペースならなんとか維持できそうな感覚は得られました。

富士山に正対する前の唯一の下り区間は気持ちよく走れ、この負荷ならどうにか3時間以上は体を動かし続けられるかな、と少し気持ちに余裕が出てきました。

その後始まったロードの登り区間。

いつもならこの区間でかなりペースを上げていくのですが、今回はいつ体調が悪化するかわからなかったので、ストライドを狭め、ピッチを一定にしてできるだけ努力度が上がらないように慎重に走り続けました。

試走時の馬返し画像。今回は57分台の通過。ベスト記録時は54分台だったので体調が悪い中ではまずまずのペース。

トレイルが始まる馬返しの通過は57分台。ベスト記録時よりも3分ほどの低下で済んだのは意外でした。

ここからトレイル区間が始まり、一歩一歩の負荷もかなり高まります。

いつもなら走って登る区間も、今回はあえて歩行。

もう記録は追わず、完走だけを目指して、ひたすら自分の体調と対話をしながら淡々と登り続けました。

試走時の五合目画像。今回は1時間46分台の通過。単純に2倍すると3時間30分前後。

途中緩やかな登りは軽く脚が動き、だいぶ余力が残っている実感もあり、この調子で五合目をひとまずクリアしたいな、と。

五合目の通過は1時間46分台。

自己ベストからは程遠いペースですが、単純に2倍したタイムがフィニッシュタイムになることが多い後半のコース特性から、3時間30分なら今日の体調なら十分かな、と。

五合目から先は比較的走れる傾斜であるため、通常なら割とプッシュして攻めていくのですが、ここもとにかく温存して歩き続けました。

ランマニアの最も嫌いな七合目までの砂礫区間。ここは通常走りますが、今回は徹底的に歩き通します。

六合目から七合目までは延々とつづく砂礫サーフェスの九十九折。

ここは例年、淡々と地面を見ながらトラクションのかかる部分を探して、無駄に消耗しないように地道に足を進める非常にタフな区間です。

正直、ランマニアが最も嫌いな区間ですが、タイムを狙うにはここは走る必要があります。

しかし、今回は絶対に体力を消耗してはいけなかったため、ここも徹底的に歩きました。

そのおかげか、この時点でもまだだいぶ脚には余裕があり、この時点でどうにか山頂まではいけるのではないかと、少し見通しが持てるようになりました。

七合目から先は傾斜が一気に増し、岩場区間が始まります。

ようやく砂礫区間が終わり、通常であれば比較的登りやすく感じる岩場区間。

ここから先は、一つの岩場を登るたびに山小屋が現れ、100m程度ですが走れる区間が存在ます。

元気な時は、このリズムが好きで、走っては登り、登っては走るを淡々と繰り返せるのですが、今回はこの区間から徐々に体に異変が起き始めました。

急な岩場ではこれまで以上に大腿部の最大筋力がものを言うのですが、登るたびに次第に脚が動かなくなっていきました。

通常では感じないような脚の重さで、ちょうど発熱時にジョグをした時に全く脚が動かなった、あの感覚に似ていました。

やはりこの程度の負荷がかかってくると、感染症の影響が出始めるのだなと、徐々に完走が危ぶまれてきました。

正直、「早くやめたい」という気持ちになって来たのもこの頃でした。

通常なら走れる山小屋の平坦区間。今回は八合目以降走れなくなりました。

八合目を過ぎると、本格的に脚が動かなくなり、山小屋区間も走ると言うより休息区間と化し、とても走れる状態ではなくなりました。

残り3.7km。

この表示からが本当に長く、自分の今の体調と残りの過酷さから登り切る自信がなくなってきましたが、もうここまできて後には引けません。

とにかく無駄に力を使わず、ゆっくりでいいから登り続けることだけを意識して、いつもよりだいぶペースを落として足を進めました。

岩場の後には再び砂礫区間が続く八合目エリア。ここから先、後続のランナーに一気に抜かれ始めます。

八合目区間は、いつまで登っても常に「八合目」が続くとてもしんどい区間です。

色々な八合目があり、登っても登っても「八合目」なのですね。

そして、序盤にあったような砂礫区間もここで復活します。

酸素もだいぶ薄くなってきて、脚も動かなくなってきての砂礫区間は本当にタフな区間で、ここでついに立ち止まる時間が出てきてしまいました。

後続のランナーにも続々と抜かれ始め、メンタルも落ちてきます。

試走時に上から撮影した九合目以降の最大の急登。今回は20分近くかかってしまいました。

上を見ると、九合目の鳥居。そしてその上に見える最後の鳥居とフィニッシュ地点。

ここから距離にして1km前後。累積は200m程度。

普段なら駆け上がれる距離ですが、今回はもう九十九折りごとに立ち止まり、ふらふらになって朦朧としてきている意識を整えてから登らなくてはならない状態でした。

もう山頂は確認できるのに、本当に登りきれないかもしれない、と何度も思って立ち止まる有様。

その間、ラストスパートに入ったランナーたちに豪快に抜かれ続け、気持ちも続かなくなってきました。

しかしもうやるしかないので、ひたすら苦痛と向き合い続けます。

このレースに参加した人なら誰もが待ち望むこの光景。この最後の石段が、今回は本当に登れず・・・

そしてついに訪れたその瞬間。待ち望んだこの景色。

最後の鳥居とそこに続く数十段の石段。何度登ってもこの瞬間は大いなる喜びに包まれます。

しかし、今回は本当にここからが地獄。

信じられないほど、この石段が登れません。数段登っては止まり、もう目の前にフィニッシュラインが見えているのに立ち止まる。

これほどまでのしんどさは試走を含めて、ちょっと経験がありません。

本番ではここにフィニッシュラインがあります。今回はフィニッシュと同時に右手の石段の下に倒れ込みました。

しかし、最後は気力を振り絞りフィニッシュ。

フィニッシュと同時に、もう立っていることもできず、フィニッシュラインのすぐそばで横になってしまいました。

体に力が入らず、頭もクラクラして、正直何もできない状況でしたが、今回出場したチームノルケインの撮影が最後にあったため、空元気を振り絞ってポーズをとり、惨めな姿を動画に収めてもらいました。

どうにか立ち上がり、山小屋の前まで辿り着き、そこのテーブルでしばらく横になって寝ていなければならないほど体調は最悪でした。

ああ、これは下山できるのか?と本気で心配になる程、「今日は富士山なんかに登ってはいけない体調」であることをはっきり自覚しました。

遠くに見える小さなつぶつぶは登ってくるランナーたち。最後はこの傾斜です。

まさに「頭を雲の上に出す」標高の富士山頂。

今回のレースでは、八合目以降標高が3000mを超えたあたりから、急激に体がしんどくなりました。

五合目まではどうにか症状は抑えられていたのですが、高負荷と低酸素の両方が組み合わさると急速に体に異変が起き始めたのが特徴的でした。

通常、風邪を引いたり熱が出ても、1日2日休んで練習を再開する自分が、5日も休んだことが異例でしたし、その後もしばらく走れなかったのも明らかにおかしかったです。

そうした中で、なんとか富士登山を完走できるほどには回復し、悪いタイムなりに走りきれたことはひとまず回復には向かっているのだろうと、一方では安心した要素にもなりました。

今回実は、知っているエリートランナー数人が、不調というには明らかにおかしいほどのタイムの落ち込みを見せたランナーがいました。

うち一人は「風邪をひいていた」と話していたようなので、あるいは自分と同じ感染症に罹っていたのかもしれません。

とはいえ、体調管理も含めレース当日のパフォーマンスは全て自己責任ですから、まあ、今回はそこらへんの詰めが甘かったということでした。

結果的には楽しく終えられた今年の富士登山競走。来年はしっかり挽回したいと思います。

とはいえ、今回はチームノルケインという貴重な出走枠で走らせてもらい、多くの仲間とレースを共有でき、最終的には楽しくレースを満喫することができました。

Xのフォロワーさんともレースの話題で盛り上がり、やはり完走した者にしかわからないこのレース特有の魅力と魔力を、改めて共感できたのも良い機会でした。

今回のように、少しでもコンディションが悪ければ覿面にレースに影響するタフなコースを攻略するのは、並大抵のことではありませんから、今回のように痛い目に遭うとまた来年も、と克服するモチベーションが高まるのですね。

タイムは過去最低でしたが、大会全体を通して残ったインパクトは過去最高のものになったことを考えると、体調不良をおして参加した甲斐はあったなと、最終的には前向きに捉えることができました。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は小の月ということで、月当たりの走行距離は今年度で最も少なくなりました。

というより、先月は31日あったとはいえ440kmも走れていたので、この30日間はかなり距離が抑えられた印象です。

今年度は初めて月400kmを割りました

その要因はとにかくレースが続いたこと。

5月下旬に経ヶ岳バーティカルリミットに出場し、思いのほかしっかりと走れただけにそのダメージが残り、6月に入っても若干距離が踏めずにいました。

最後まで出し切れた結果、ダメージが尾を引きました

そして2周空けてのバーティカル競技、HOTAKA SKYRUN。

走行中の脚の重さから、おそらく経ヶ岳のダメージが抜け切れていない印象で、その中でも最低限の走りはできたものの、徐々に回復が間に合わなくなってきた感覚を得ていました。

走行中の脚の動かなさの割にペースはかなり良く、バーティカルとしてはベストに近い走りができました。

そして今年度序盤のレースとしては、かなり重きを置いていたトラックレースである、関東マスターズ選手権の5000mと1500m。

久々のトラックレース、そして40代最後のトラックレースということで、それなりに手応えを感じて終えたいレースではありました。

5000mも1500mもここ数年では最も冴えない記録となりましたが、久々にトラックレースの楽しさを感じられた選手権でした。

結果は、5000mが16分55秒で1位、1500mは4分38秒でM45の3位と、選手権としては十分楽しめる結果となりましたが、記録が思いのほか振るわず、悔しさの残るレースとなりました。

とはいえ、今にして振り返ると、だいぶレースが立て込んでいて、その中で全開走行を強いられるトラック種目とあっては、その影響は無視できなものであったなと。

トレイルレースのダメージは、もう少し速やかに回復してくれると思っていましたが、特に経ヶ岳のラストはマラソンのラスト並みの努力感であったことを考えると、そう侮れないダメージだったと考えます。

そうした中でしたので、練習の絶対的なボリュームも若干薄くなり、今月は初めて疲労で週末の高強度練習を一回飛ばすことになりました。

レストの日数が1日増えたことで400kmに届かなかったというのと、週末の高強度練習を一週飛ばしたことも疲労の影響が出た月でした。

とはいえ、今月もバリエーションに富んだ練習が組めたことは事実で、今のうちに刺激を入れておきたかったVO2MaxとLTには、かなりの時間を割けたような印象です。

特に、関東マスターズの1500mは久々に「もうこれ以上スピードを上げられない」という限界速度で3分以上走行したわけですので、図らずも解糖系〜VO2Maxと神経系に対して、普段入れられない刺激が入ることになりました。

今月も高強度の練習を最低限取り入れることができました

レースが続いて、そろそろ練習を続けていては疲労が回復しきれなくなってきている感覚はありますが、今年度走行距離が増えたことで、ジョグを継続しているうちに調子が戻ってくる感覚が得られるようにもなりました。

次のレースは、いよいよ7月下旬の富士登山競走、前半戦の重要レースとなります。

疲労を積み上げないよう常に練習を7割から8割程度の力で終わらせることを意識して、調子を維持していこうと思います。