慢性疲労症候群 最終回

こんにちは,ランマニアです。

このシリーズもいよいよ最終回。今回もほとんどがマラソンのパフォーマンスに関連したことなので,一般的な慢性疲労症候群の症状について参考になる情報は少ないかもしれません。

とは言え,胸肉の効果は絶大でしたので,慢性疲労だけでなく,一般的なランナーの疲労回復法としても広められたらと思っています。

20年の時を経て

その翌日の感覚は、
今でも忘れられません。

長い間、ずっと両脚にまとわりついていた、
疲労」という名の重りのような薄い膜が、
全て剥ぎ取られたような、
すっと、軽くなったような、
今までの感覚が、いかに異常だったかを実感できるような、
劇的な変化が、体に現れました。

普通のジョグでさえ脚が重く、
「調子の良さ」というものを、すっかり忘れていた状態から、
脚が勝手に動いていく、あの本来のジョグの感覚がよみがえり、
まるで自分が自分でないような感覚にすら陥りました。

あまりにも長い間、
体のだるい状態が自然な状態になっていたため、
元気な自分、脚に疲れがない自分を、
はじめは受け入れるのに戸惑いました。

「こんなはずはない」と。

しかし、そんな自分の戸惑いとは裏腹に、
結果はその翌日、早くも現れました。

胸肉を食べ始めた2日後、
ちょうど小江戸ハーフマラソンに出場しました。

ハーフマラソンとしては、2008年に仙台を走って以来、
約6年ぶりの出走で、
それまでの社会人ベスト、1時間13分台後半くらいで走れれば御の字、
くらいにしか考えていませんでした。

ところが、スタート直後、
それまでの自分とは、
まるで違うスピードで走れる自分がそこにいました。

これまで、ハーフのレースに出れば、
終盤のペースダウンを恐れ、
スタート直後は慎重にラップを刻んでいくのが慣例になっていましたが、
この時は、気がつくと周りに学生の集団がおり、
意図的にペースを抑えなければ、5kmを16分台で入る勢いでした。

その後も、しばらく17分台前半のラップを刻みながら、
こんなペースで、本当に大丈夫なのか、と、
自分の体の変化に、恐れすら感じながら、
そのままラップを刻み続けていきました。

その後、13kmすぎにはいつもの脚の重さが現れ、
結局、次第にラップを落としていきました。
自分としては、ある程度予想はしていた流れでしたが、
しかし、ゴールタイムは社会人ベストを40秒近く上回る、
1時間13分台前半。
終盤つぶれてのこのタイムには、
大きな手応えを感じました。

完治はしていない。
しかし、確実に良くはなっている。

この事実は、その後の練習内容を、
大きく変えることになりました。

まず、それまで週に一度ポイント練を入れれば、
一週間は空けなければ、次の練習ができない状態でしたが、
週に二回の頻度でポイント練を入れても、
調子を維持できるようになりました。

さらに、そのペースも、
1000mで言えば、3分20秒近くかかっていたインターバルが、
3分一桁から2分台のペースで行えるようになるにまで、
強度を上げることができるようになれました。

練習の強度が上がれば、試合での記録にも好影響をもたらし、
1500m、5000mと、立て続けにここ数年のベストや社会人ベストが出るようになり、
ある程度の調整であれば、だいたいこれくらいで走れるだろう、
という安定感も出てきました。

そして、19歳で慢性疲労状態に陥る前には、当然のようにできていた、
「苦しい中でも脚の力で押していける走り」が戻ってきたのが、
2016年、ふかやシティハーフマラソンでした。

ここでも、結局最後の5kmで失速するのですが、
16kmまでは、力強い脚の力を実感しながらペースを維持し続ける、
あの大学1年のころの走りでした。

ゴールタイムは、小江戸からさらに1分縮める、1時間12分台前半。

確かに、練習内容が大幅に変わったことは間違いないですが、
それまでの15年で縮めたタイムを、大幅に上回る記録更新であることから、
自分の体が元に戻りつつあることを確信するには、十分な事実でした。

その後も、「食事を作るところからトレーニングの一環」と考え、
毎日のように鳥の胸肉を料理に取り入れ、
現在まで食べ続けています。

練習内容はさらに充実し、
これまで、どうしても結果を出すことができなかったフルマラソンでも、
最後の壁を突破することができました。

初めてサブスリーを達成した時、
自分は、2時間40分をきれずに人生を終えれば、
この病に敗北したことになる、と考えていました。

2017年の東京で、その戦いにも決着がついたと考えています。

日常生活には、ほとんど影響がないほど、
疲労状態は、改善しました。
フルマラソンで、2時間40分を切れる状態で、
「病んでいる」とは、もう言わなくてもいいでしょう。

確かに、完治はしていません。

完治はしてないけれど、
ここからさらに、記録を更新するための練習を積み、
競技としてランニングに取り組んでいく程度の体調には戻っている印象です。

むしろ、一度ああなってしまった自分の体が、
どこまで快復し、記録をどこまで伸ばせるか、
そうした期待感を感じられる自分がいます。

これからも、トレーニングについての、
普遍的な理論を考えていく作業は変わらず、
自分自身の体を使って、それを具現化していこうと思っています。

慢性疲労症候群 その5

こんにちは、ランマニアです。

昨日は久々にトラックでインターバルトレーニング(と言っても閾値ペースですが)を行い、かなり気持ち良かったですね。

さて、この慢性疲労シリーズも終盤です。今回は、ついにあの物質にたどり着いたお話。

イミダゾールジペプチド

2014年の10月、
どうしても抜けきらないこの疲労状態は、
一体どこからくるのだろう、と、
数年ぶりにネット上をあさっていると、
1999年ごろに調べていた時とは比べ物にならないほど、
疲労に関する研究が進んでいることを知りました。

その中で、20年来自分が見落としていた、
非常に大きな事実を知ることになります。

まず、
末梢器官での(自分の場合は主に脚部だったと考えられます)疲労(損傷や酸化)が感知されると、
求心性の神経繊維を通じて、脳にフィードバックされ、
それが「疲労感」として中枢神経系(脳)で認知されるということ。
それにより、骨格筋の動員率が低下すること。

これは、自分の浅はかだった「疲労感」か「疲労」かという論点を、
根本から見直すことのできる、完璧な理論でした。
これを知ることで、
疲労感を感じている以上、
末梢において、なんらかの異常が生じているに違いない、
と、自身の体感している感覚との整合性も図ることができました。

そしてもう一つ、
そうした異常を脳に送る神経繊維(感覚神経)があれば、
骨格筋へ筋収縮を命じる運動神経もあり、
高負荷運動時には、
それら神経系そのものも疲労する、つまりダメージを受ける、
という事実があることも、明らかになりました。

これは、全くの盲点でした。

この、末梢へ向かう「神経の疲労」、
という概念があれば、
筋そのものが疲労していないにもかかわらず、
筋が動いてくれないような疲れ方、
動員率が下がってくるような疲れ方の説明がつきます。

さらに、神経細胞や筋細胞は、
十分な栄養素がない状態で繰り返し損傷されると、
次第に機能低下が引き起こされ、
ついには、肉体の自然治癒力だけでは回復しなくなることも、
明らかになりました。
これは、自分が慢性疲労状態に陥った機序、そのものです。

また、こうした損傷は、おもに酸化によって引き起こされ、
それを防いだり回復させたりするためには、
抗酸化物質の摂取が必要不可欠であることがわかりました。

そして、
近年注目されている、非常に高い抗酸化作用を持つ物質が、
イミダゾールジペプチド
だということが、わかったのです。

そうとわかると、
これについての文献をかたっぱしから読み漁りました。

この物質は、
渡り鳥が長い距離を飛行するために使う、
胸の筋肉、つまり、ムネ肉や、
回遊魚(カツオなど)の尾びれ付近に、
大量に含まれており、
ムネ肉であれば、1日100g程度の摂取によって、
明らかな疲労改善のエビデンスがあるとのことでした。

この事実を知った2014年の11月下旬、
その日のうちに、ムネ肉を200gほど使った料理を作り、
早速夕食に食べてみることにしました。

慢性疲労症候群 その4

こんにちは、ランマニアです。

今日はこれから高校時代の友達と練習会です。

高校の頃はもっとも走れていた時代なので、その頃は、こうした慢性疲労症候群との戦いがその後に待っていようとは想像だにしていませんでしたね。

今日はランニングを再開し、走力が次第についていったころの話です。

「疲労感」とは違う疲労

日常的に走れるようになると、
順調に、持久力としての体力は回復していきました。

まだ20代から30代前半であった時期は、
最大酸素摂取量に代表される持久的能力、
絶対的な脚筋力などは、
いまよりも随分と高いものがあり、
ジョグだけの練習でも、駅伝や10kmまでのロードレースでは、
そこそこの走りができるようにまで走力が戻りました。

しかし、練習量が増えてくると、
当然、それに比例して疲れも増していくわけで、
結果的に、走れるまでに疲労症状が快復していても、
相対的に感じられる「疲労感」にはあまり変化がなく、
常に眠い状態、頭が重い状態、脚がだるい状態は続いていて、
練習や試合では、それを心理的に抑え込んで走るというのが実情でした。

5000mであれば、15分40~50秒台。
10000mでは、32分台で走れていたことから、
おそらく、普通に考えて、そうした疲労症状を抱えているとは、
だれもが考えられないのは当然のことだと、当時から思っていました。


しかし、誤解を恐れずに言えば、
常に頭にあったのは、「この疲労さえなければ、もっと速く走れるのに」
といった、言い訳めいた考えでした。
事実、あの疲労感がなければ、もっと質の高い練習を、
もっと長い時間行うことができ、
学生時代の全盛期程度までは戻せたと思っていました。

疲労感によって、練習量が増えず、
疲労感によって、レース自体でも出し切れない。
そうした二重の要因が重なり、パフォーマンスは、
常にその程度までで留まりました。

こうして、数年間走ることが継続でき、
長距離を走る持久的能力も向上してきたことで、
いつしか、ハーフマラソンへの挑戦も視野に入るようになってきました。

ハーフマラソンに出るための、
20km以上を走る練習や、
中程度以上の強度で長い距離を走り続ける練習が続いたことで、
これまで気づかなかったことも明らかになりました。

それまで、ずっと「疲労感」だと思い込んでいた、この体のだるさが、
20km近い距離を走っていると、
どう考えても、脚に限局してだるさが生じている感覚が得られ、
一定以上のペースに上げると、
自分の意思ではペースを維持できなくなる疲労状態に陥ることに気がつきました。

筋繊維がダメージを受けているとか、
エネルギーが枯渇しているとか、
そうした感覚ではなく、
同じように脚を接地して、力を入れて蹴り上げているのに、
その推進力が得られないような感覚です。

こうなってくると、やがてペースは急速に落ち込み、
自分自身の意思や、心的努力では、どうにもできなくなります。
脚に重りがついているような、
何かに押さえつけられているような、
そういった感覚です。

実際に、ハーフマラソンの試合に出られるようになると、
よほど疲れを抜いた状態(いつもの体のだるさが、最小限にまで快復した状態)であっても、
最後の5kmほどは、持久的能力とは関係のない要因でペースが落ちていきます。
その落ち込み方は、通常の長距離ランナーのパターンとは完全に異なり、
かなりの安全ペースで走っているにもかかわらず、
急速にペースが落ちていく様子でした。

実は、5kmや10kmでも同じことは起きていたのですが、
全体の距離や、そうなってからの残り時間が短いために、
ある程度精神力でそれをカバーし、
仮に落ち込んでいても、全体に対する秒数が少ないため、
大幅なペースダウンが、あまり目立っていなかっただけでした。

この現象は、距離が伸びれば伸びるほど、影響が大きくなり、
のちにフルマラソンに挑戦することになった際には、
最も自分を苦しめる現象となりました。

少しでも調子が悪い(疲労状態が残っている)と、
それはてきめんに現れ、
フルマラソンでは「疲れがあっても、そこそこでまとめる」といったことは不可能で、
終盤に急激なペースダウンが起こり、筋が痙攣して、走行不能となることが、
数え切れないほどありました。

フルマラソンに挑戦し始めると、
走行中の考えられない脚の疲労度から、
もうこれは「疲労感」ではない、という事を確信し、
別のメカニズムを考えるようになりました。

そしてついに、その物質にたどりつきました。

慢性疲労症候群 その3

こんにちは,ランマニアです。

今回は,服薬をしてそこから徐々に容体が好変していった話です。

快復の兆し

社会人1年目は、
体のしんどさと、
その状態で毎日の仕事をこなすことに精一杯で、
ついに、走る意欲も失いました。

全く走らなかった期間は、
後にも先にもこの時期だけですが、
この時は、もう走ることを諦め、
何か違うことに生きがいを見出すしかないと、
いろいろと模索していた時期でした。

疲労感」という、脳で感じる不快感なのであれば、
意欲や覚醒を司る、神経伝達物質の、
あるいは中枢神経細胞そのもの不全なのではないか、
という仮説を考えていました。
体のだるさもそうですが、
とにかく眠気と、何かをするのが億劫な「気分」のしんどさが、
主な主訴だったからです。

ちょうどその頃、
何かの番組でこの疾患が取り上げられており、
最新の研究で、
ちょうどこの頃認可のおりた、新しい抗うつ薬SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が、
本疾患にも有効であったとする報告が紹介されていました。
セロトニン作動性のシナプスにある、セロトニン受容体に作用し、
セロトニンの再取り込みを阻害させ、
シナプス間隙のセロトニン濃度を高める作用があります。

直感的に、「これだ」と思いました。

精神科を受診するのは、
それなりの勇気がいりましたが、
これで治るのであれば、そんなことは気にしてはいられないと思い、
近くにあった小さな精神科を訪ねました。

後になって知ることになりますが、
この時担当してくれた医師は、
その道(気分障害)では有名な医師で、
症状と、最近の研究動向を伝えると、
こちらの意思を尊重してくれ、薬を処方してくれました。

帰宅して服用すると、
翌朝には、信じられない出来事が起こりました。

これまで、目覚ましなしでは起きれないほどの過眠。
起きたとしても、いつまでも目が開かないほどの眠気に悩まされていた起床時。
それがこの日は、
数年ぶりに目覚ましなしで朝5時に目を覚ますことができ、
起きた後の、ここ数年味わったことのない覚醒状態を体感することができました。

体のだるさは残っていて、
眠さやまぶたの重さも相変わらずあったものの、
何かをするのが億劫な、独特の倦怠感のようなものが、
だいぶ軽減された気がしました。

こうした、自覚症状に対する服薬にあたっては、
少なからずプラセボの可能性が否定できませんが、
それまでも、漢方薬やビタミンC粉末などの摂取をしてきた中で、
そのようなことは体験できなかったことから、
この薬は少なからず生理的機能の改善に寄与したものと考えられました。

これも、後でわかったことですが、
当時の自覚症状は、
うつ病エピソード(当時診断基準)に酷似しており、
SSRIは、そうした抗うつ薬の働きとして、
慢性疲労症状の、一つの側面に効果があった、
ということであったのではないか、と推測されました。

いずれにしても、
これを機に、生活の中の様々なことに意欲が回復し、
仕事を含めた、1日の生活をかなり楽に送れるようになりました。

そして、ある時、
この状態であれば、ひょっとして走ることも可能なのではないか、
と思い立ち、
勤務時間の終わった夕方、
職場の建物の周り、300mほどを、軽くとぼとぼと走ってみたのが、
全ての始まりでした。

走った後も、いつもの倦怠感は発現せず、
むしろ、相当な長い間感じることのなかった、
運動をする爽快感を感じることができました。

翌日は、2周、
次は3周と、日に日に周回が伸びていく楽しさを味わいながら、
いつの頃か、久しぶりにランニングシューズを購入し、
走ることが日課となっていきました。

こうして、
気がつくと、自分の生活の中に「走る」という行為が組み込まれ、
薬の力を借りながら、自身の体力が少しずつ戻っていくのを実感しました。

そして、中枢神経系に作用する薬にありがちの、
「慣れ」による効き目の低下が現れたところで、
服薬を終了しました。
投薬を続けたのは,2年ほどだったと記憶しています。

慢性疲労症候群 その2

こんにちは,ランマニアです。

前回の続き,今日は発症した後色々と模索していた時期の話です。

いうことを聞かない体との付き合い方

始めはひと月、
長くても半年ほど休めば元に戻ると思っていました。

しかし、夏休みが明けても、
起床時に、体全体が布団に張り付いたような体の重さ、
数分と立っていられない足のだるさ、
そういった症状は一向に改善に向かいませんでした。

症状が長引き、
それを自覚している時間が長くなると、
しだいに、この疲労感はどこからくるのか、
当時はまだ、今ほどネット検索が進んでいなかったため、
様々な本をあさったり、自分の体の感覚から推し量ったりして、
カニズムを探求するようになりました。

大学の講義レベルの浅い知識では、
疲労」と「疲労感」は違う、ということは、
自分の感覚からも理解できました。
(最近になって、実はここに大きな落とし穴がありました)

数分歩いたり、数十分立っていたりすると、
(そもそも、そういった行為をする意欲がないほど、
常に倦怠感に襲われているのですが、)
足のだるさが急速に増していきます。
この状態では、別に筋が損傷したり、
グリコーゲンが枯渇したりしているわけではないので、
「筋疲労」ではないことは明らかでした。

意識を数秒間だけ集中させ、一時的に筋力を発揮しようと思えば、
なんとかそうすることはでき、少しの時間は走ることはできました。
しかし、すぐに体に力が入らなくなるのです。

だから、これは疲労感、
つまり脳が疲労を感じている状態に過ぎないのだ、
という結論に至り、
学生時代は、その仮説を支持していました。

確かに、常にしんどいのは、
目がはっきりと開けられないような、
何時間寝ても改善しない眠気。
何かをしたいと思えない倦怠感。
それが主訴であったため、
脳の中の何かが壊れたのだろうと考えるのは、
自然なことでした。

そして、
肉体的な疲労ではないと結論づけると、
そうした倦怠感に打ち勝てば、
筋肉や走力、持久力だけを高めることは可能なのではないか、
と考え、残されたわずかな学生競技生活を、
少しでも走ることで終えたいと思うようになりました。

日常的に、激しい睡魔と倦怠感に襲われながらも、
それを心理的に押さえ込み、
最初は100mから、
そして、毎日少しずつ距離を伸ばし、どうにか6kmまで、
ジョグを継続することができるようになりました。

つまり、仮説通り、
疲労感は改善しないものの、
筋力や持久力は着実に戻っていくことに気づきました。
しかし、そうした倦怠感を気持ちで抑え込めるのも限度があり、
少し無理をすれば、翌日の倦怠感は増幅し、
また走れなくなる、ということを繰り返していました。

それでも、こうして体力を戻すことで、
疲労感への耐性も徐々に高まり、
「常に眠い自分」「常いだるい体」が当然の状態で、
その中でどう生活するか、どう走ることと折り合いをつけるか、
という状態になりました。

昼間は、講義の間や、上手く時間を見つけて仮眠をとり、
なんとか体力を回復させては、生活の中でできることをする。
そうした生活習慣が身につき、
結局、それが卒業まで続きました。

それでも、4年の時には、
なんとか部活の練習の半分くらいはこなせるようになり、
数年ぶりに、国公立系の大会(5000mで16分半くらい)や、
箱根駅伝予選会(1時間14分近くかかった)にも出場でき、
大学の競技生活を終えました。

はじめ、こうした現実を受け入れるのはなかなか厳しいものがありましたが、
自分の人生の中で、何らかの意義があるのではないかと、自分を納得させ、
相変わらずいうことを聞かない体との付き合い方を模索しながら、
新しい、社会人としての生活が始まりました。

慢性疲労症候群について

こんにちは,ランマニアです。

今日から何回か,これまでのトレーニング論から離れて,ランマニア自身のことについて少し触れたいと思います。

ランマニアは,大学時代に慢性疲労症候群という病気になり,走ることを断念せざるをえなくなりました。

当時,慢性疲労症候群はかなりマイナーな病気で,症例も少なく周囲の理解も得られず精神的にもかなり苦しんだ記憶があります。

最近,Twitterの方で関心を持っていただき,いくつかお問い合わせもあり,私と同様苦しんでいる方がたくさんいるのだなと改めて実感したところでした。

今回は,ランマニアが過去に書き留めておいた自分自身の発症の経緯と回復までの道のりをこちらに掲載し,皆さんの参考にしてもらいたいと考えました。

発症の経緯は様々ですし,おそらくこの病気は一人一人によって原因も異なると思いますので,あくまで私ランマニアのケースでは,という観点で読んでいただければと思います。

発症の経緯

ランマニアは,大学2年の5月に走れなくなりました。

医者を6~7件回って様々な検査をしましたが、
結局、どこへ行ってもはっきりとした病名や原因は分からず、
最終的には、当時「慢性疲労症候群」の研究で有名だった、
帝京大学病院で、そう診断され、薬を処方されました。

結論を先に言えば、現在もそれが根治しておらず、
自分のランニングパフォーマンスに大きく影響していることは、
まぎれもない事実です。

当時から、「心理的問題」と指摘する多くの方がいましたが、
もし、モチベーションや情熱、エフォートの問題であるならば、
こうして20年以上も同様な症状を自覚することはないでしょう。

慢性疲労症候群は、
ある共通した症状を持つ疾病、あるいは自覚症状の一群であるため、
それを決定づける生化学的、神経学的な指標や、特効薬などは存在せず、
同じような症状を抱える患者でも、
その発症機序や改善の過程は皆違います。

私の場合、発症のきっかけだけは、はっきりしています。

大学2年の5月、関東インカレの応援で、
一日中、季節外れの炎天下にさらされ、
その日の夜に熱中症を発症しました。

当時は、その重大さに気がつかず、
全く下がらなくなった体表面の温度を、氷嚢で冷やすのみ。

最近になって分かったことですが、
こうした体温調節機能の不全は、体内の電解質バランスを崩し、
水分を体外に排出しようとする働きが高まるようです。

その結果、翌日から経験したことのない下痢が24時間続くようになり、
簡単な流動食と水分だけを摂る生活が4~5日続きました。
この間の減少体重は4kg。
明らかに異常でした。

ようやく下痢はおさまり、食事も普通にとれるようになりましたが、
この1週間の衰弱は激しく、体に力が入らない状態が続いたため、
ひとまず病院で点滴だけは打つことにしました。

ここで本来、ひと月ほどはしっかり休むべきでした。

しかし、今と違って、学生時代は一月どころか、
一週間のブランクですら耐えがたいものがあり、
競技を再開したい焦りばかりが先行しました。

すぐにジョグを再開し、ジョグができれば次はポイント練と、
今から考えると非常に危険な行動をとりつづけていました。

案の定、6月からは原因不明の微熱が一月以上続きました。
免疫機能が極端に低下し、何らかの感染症が発症していたと考えられます。
それでも練習を継続し、
ついにある時、ジョグペースの練習であっても、途中で立ち止まるようになりました。

その後、症状は悪化を続け、
5分の立位ですら維持できず、
日常的に過眠の状態に陥りました。

何時間寝ても朝は起きれず、
日中は何をしていても眠気が襲います。
何をするのも億劫で、生活をする意欲すら消失していきました。

幸い、大学は夏休みに入り、
その年の8月は、ほとんどを家で寝て過ごすことになりました。

こうして、いわゆる慢性疲労状態が続いていくわけですが、
おそらく、この時の自分の体には、
細胞レベルでの、不可逆的な
非常に大きな損傷が生じていたことが推測されます。

栄養不良の状態で激しい身体活動を行い、
本来栄養素によって修復されるべき損傷した(後になって分かったのは、酸化した)細胞が、
完全に修復されないまま次の損傷が生じ、
結果的に、元に戻らなくなった状態です。

閾値トレーニング

こんにちは、ランマニアです。

持久的能力を決定するもう一つの要素、無酸素性作業閾値。今日はその高め方をお話しします。

何度も言いますが、こういうことを知りたければ、ダニエルズさんの本を読むのが手っ取り早いです。そこに書かれている以上のことをランマニアは書けません。

さて、ダニエルズさんは、このATを高めるための練習として「閾値トレーニング」というのを考案しています。まんまの名前ですね。

私たちが走るペースを上げていくと、やがて血中乳酸濃度が高まるポイントがあると言いました。

そのペースがダニエルズさんがいうところの「閾値ペース」ということになります。

で、このペース、どんなペースかというと、

最高心拍数の88%〜92%程度まで高まるペースだということです。

このペースで走ると、私たちはだいたい最低でも30分程度、長ければ1時間程度は走り続けられるとダニエルズさんは言っています。このペースで一定時間走る練習が「閾値トレーニング」というわけです。

中学から陸上を始めたランマニア、恥ずかしながら30代になるまでこのトレーニングを知らず、一度も取り入れたことがありませんでした。いえ、結果的にこのペースになって走る練習はありましたが、初めからこのペースでの練習を意図して取り入れたことは一度もありませんでした。

なので、ランマニアはこの練習を取り入れた後に劇的に体が変わり、ハーフとフルマラソンの記録が一気に短縮されました。自分に欠けていたのはこのペースでの練習だったわけです。

ダニエルズさんは、自分が目標にしているレースによって、どれくらいの時間や距離をこのペースで走ればいいかについても書いています。

例えば、フルマラソンであれば、閾値ペースで20分間、それを2本とか、その程度です。ただ、普段の練習でこのペースで20分間走り続けるのは結構しんどいです。慢性疲労を抱えているランマニアでは、やはり20分+10分くらいが限度です。

ただ、やらないよりはやた方があきらかに効果はあります。

どの程度しんどいか、まずは試しに走ってみて、そのあとでどれくらいなら続けられそうか、ご自身で決めていけば良いと思います。

無酸素性作業閾値(乳酸性作業閾値)

こんにちは,ランマニアです。

前回は最大酸素摂取量を高めるための練習,インターバルトレーニングについて述べました。最大酸素摂取量は人間の持久的能力の中でも,酸素消費量に着目した能力。できるだけ多くの酸素を取り込み,それを消費できる力。それが高い方が,できるだけ速いペースで走ることができる。そういう理屈です。

今日紹介するのは、人間の持久的能力のもう一つの指標。それが

「無酸素性作業閾値(AT)」です。

ランマニア,大学時代は一応運動生理学を専門にしていて,主にこのATのことを調べている時期がありました。なので多少詳しいはずなんですが,こういう理論は日進月歩ですから,ランマニアが学んだ頃よりはだいぶ知見が蓄積されてきているかもしれません。詳しくは以下の厚労省のサイトを参照ください。

無酸素性代謝閾値 / AT

前回も話した通り,人間はエネルギーを得るために酸素を必要とします。筋肉中のミトコンドリアという細胞が酸素を使って糖や脂肪からエネルギーを作り出します。高校で生物を選択した人はATPがどうのこうの,クエン酸回路どうのこうの,っていうものを学んだと思います。

このエネルギー供給系が優れもので,一度に得られるエネルギー量はたいしたことはないものの,十分な酸素量と栄養があればかなりの長時間エネルギーを供給し続けることができるのです。

つまり,我々はこのエネルギー供給系を働かせて長時間走っていることになります。

ところが,もっとたくさんのエネルギーが必要な場面,例えば,800mとか400mとか,さらに言えば一瞬の爆発力で走るような短距離走とか,こういった場面ではこの「のんびり系」のエネルギー供給系ではエネルギーの量が全く足りなくなるのです。そして,これが人間のまた凄いところなのですが,そういう場合に働くエネルギー供給系も別に存在しているのです。それが,解糖系とかクレアチンリン酸系とか,爆発的なエネルギーが得られるものの,一瞬で枯渇してしまうタイプのエネルギー供給系です。

我々はゆっくりと走って,こののんびり系のエネルギー供給系を使えているうちはいいのですが,次第にペースを上げていくと,こののんびり系でエネルギーが足りなくなる場面がやってきます。するとエネルギー供給系を切り替えてさらに素早く多くのエネルギーを供給できる解糖系を使い始めます。そうすると,もうそのスピードで走れるのには限りが出てきます。なぜなら,解糖系はそれほど長くは持たないからです

そして,重要なのは,我々が長距離を走る際に使っているのんびり系のエネルギー供給系ではたくさん酸素が使われるのに対し,解糖系ではそれほど酸素を必要としないことです。しかし酸素なしでエネルギーを発生させると,「乳酸」という物質が血中に大量に現れます。(乳酸が疲労物質であるかどうかは議論されていて、最近では再び脳などのエネルギーに利用されるため、疲労物質という概念ではなくなりつつあるようです)

長い距離をいつまでも走れるペースで走っていたところから、次第にペースを上げていくと、あるところからこの血中の乳酸濃度が急激に上昇するポイントがありますのんびり系から解糖系も使われるようになるポイントです。この境目のことを、

無酸素性作業閾値(AT)または乳酸性作業閾値(LT)

と呼んでいるのです。

つまり、このATが高い人ほど、より速いペースで長く走れる力がある、ということです。

なぜでしょう。

ATが高い、ということはそれだけ速いペースでも解糖系が使われない、ということです。逆にいうと、ATの高い人は、ATが低い人にとって速いと感じられるペースで走っていても、のんびり系のエネルギー供給系を使い続けて走り続けることができる、ということです。

みなさんも、トップアスリートがフルマラソンを走っている時のペースを見たことがあると思います。もう信じられないスピードです。テレビ中継で横を走る子供たちがあっという間にバテているのに、あたかもジョギングのような涼しい顔でいつまでも走り続けています。なぜなら、彼らにとってあのスピードはATのペースにもなっていないのんびり系のエネルギー供給系を使っているペースだからです。

みなさんもうお分かりだと思います。

長い距離をできるだけ速く走りたければ、ATを高めること。

これが必須の条件になります。

次回は、このATを高めるための練習について話します。

インターバルトレーニング

こんにちは、ランマニアです。

長距離やマラソンを始めると必ず避けては通れないトレーニング、「インターバルトレーニング」

ランマニアも中学から陸上を始め、以来、最も嫌いな練習の一つです(笑)

一流のエリートランナーでさえ、おそらく嫌いであろうこのインターバルトレーニングは、まあとにかく苦しいのです。

通常、人間はスピードを上げて走ろうとすればそれに応じた酸素が必要となります。なぜなら、スピードを上げて走るためにはより多くのエネルギーが必要となり、そのエネルギーを生み出すためには酸素が必要となるからです。

その酸素をどうやって筋肉に送り込むか、が問題です。

一つは、息を吸って酸素を肺に送り込み、肺胞から血中に酸素を取り込み筋肉へ届けます。だから、速く走ると呼吸が苦しくなるんですね。たくさん酸素を吸おうとしますから。

もう一つは心臓です。できるだけ大量の酸素を筋肉に届けるには、できるだけ速く多くの血液を全身に行き渡らせなければなりません。だから、速く走ると心拍数が上がるのですね。

つまりです。心拍数を上げるには速く走らねばならんのです。そして、悪いことに、心拍数を上げるような運動は苦しさも伴います。

「インターバルトレーニング」は、要は「心拍数を上げ続けるトレーニング」と言い換えることもできます。だから、とても苦しいトレーニング、でも、長距離を速く走るにはどうしても避けて通れないトレーニングです。

ダニエルズさんは、このインターバルトレーニングを使って最大酸素摂取量を高めることを想定しています(ダニエルズさんだけでなく、おそらく世界中のコーチ、選手たちも)。

しかし、ダニエルズさんがすごいのは、このトレーニングはだいたいどの程度行えばもっともトレーニング効果が得られるか、ということを、たくさんのデータを集めて証明しているところです。

子供から大人まで、このインターバルトレーニングの代表格はおそらく「1000mのインターバル」だと思います。長距離選手なら誰しも行ったことのある定番トレーニングです。ではなぜ、1000mなのか。

これについては実はダニエルズさんが証明しています。

最大酸素摂取量を高めるためには、「最低でも3~5分間、最大心拍数の98%以上の心拍数を維持しなければならない」と。

通常、私たちが全力で1000mを走るとだいたい3分そこらです(エリートは2分台ですが)。つまり、「最低でも3分間」の条件を満たすには、だいたい1000mくらいは走らないとならん、ということなんです。だから、1000mなのです。

しかも、その人の最大心拍数の98%以上ということは、ランマニアであれば185かそれ以上。これを3分以上継続。

こんな拷問のような練習、想像しただけで嫌になります。

そして極め付けは、この1000mのインターバル、みなさん走ってみればわかりますが、1000mを一本走っただけでは、そこまで心拍数は上がらないのです。二本、三本、と繰り返すうちに徐々に心拍数が上がり、三本目くらいからようやく目指すところまで上がってきます。

1000mのインターバルは、一本と一本の間は軽いジョギンングを入れ、決して立ち止まって休むことはしません。休んでしまうと、せっかく上げた心拍数がまた元に戻ってしまうからです。心拍数が戻る前にもう一度1000mを走ることで、その前の一本よりもさらに心拍数を上げることができるのです。こうして徐々に高めた心拍数がある一定の高さで止まり、安定したら、さらにその心拍数をできるだけ長く維持して走り通す。

なので、どうしても三本以上、できれば五本程度は必要になってくるのです。

これ、何をしているかというと、

要は「心臓の筋トレ」です。

もっといえば、心筋の筋トレ。

心臓は鍛えると、心拍数を上げやすく下げやすい心臓に変わってきます。

インターバルトレーニングを始めると、一本目はやけに苦しいのに、二本目以降は苦しさの中にも余裕が出てきます。これは心臓がウォーミングアップし終え、より速く動けるようになるからです。

ところが、鍛えまくったエリートランナーは、もう、一本目から心臓は全開まで動いてくれます。だからエリートランナーは、最初から結構なペースで押していけます。ここらへんが、ランマニアのような普通のランナーとエリートランナーとの違いです。

1000mのインターバルをどれくらいのペースで行えば良いかについては、各ランナーの走力ごとに違いがあります。それについては、ダニエルズさんのランニングフォーミュラに詳しい計算式があります。ネット上にも計算式がありますが、本を参考にした方がわかりやすくて良いでしょう。

ある程度ジョギングを継続でき、少しずつペースが上がってきたら、ぜひ、このインターバルトレーニングに挑戦してみてください。

心拍数を上げよ 〜最大酸素摂取量〜

こんにちは,ランマニアです。

前回話した,持久力に影響する要素の一つ「最大酸素摂取量」

これがどう言う値で,どうやって測るかは,各サイトを見れば一目瞭然なので,そちらを参考にしてください。

我々ランナーがこの能力をどのようにして高めれば良いのか,それが重要です。

最大酸素摂取量は,その人が消費できる最大の酸素量です。

マラソンや長距離走のような長時間の運動では,酸素をたくさん使ってエネルギーを産出しているため,できるだけ多くの酸素を使える人の方が断然有利になります。

できるだけ多くの酸素を使える人の方が,できるだけ長く,多くのエネルギーを生み出せるので,より速いペースでも長い時間走れることになります。

そして,人間は酸素を肺で取り込み,心臓のポンプ作用で全身に送り届けます。

つまり,最大酸素摂取量は,肺の機能と心臓(血管)の機能に非常に影響されると言うことになります。

肺は肺活量,心臓は心拍数や心拍出量(心臓から送り出される血液の量)などによってその性能が表されます。

ここでは,主に心臓の機能について簡単に述べます。

実は,人間の最大心拍数(その人の心臓がどれだけ速く動けるか)は理論的にある計算式で推定されます。これが大変ショックな現実で・・・

最大心拍数=220ー年齢

年齢ですよ,年齢。

ここから何が言えるかというと,

最大酸素摂取量は年齢とともに確実に衰える

ということです。

だから,1500mとか5000mとか,最大酸素摂取量がものをいう種目では,おじさんたちがどんどん活躍できなくなっていくのはそのためです。フルマラソンやウルトラマラソンなどで,ある程度年齢を重ねてもおじさんが強いのは,5000mなどに比べて最大酸素摂取量の影響を受けにくい種目だからです。

ちなみに,ランマニアは今45歳なので,最大心拍数は理論的には175ということになります。

しかし,これはあくまで理論値。実際,ランマニアは心拍計をつけて走っていますが,インターバルトレーニングなどをすると,まだまだ190近くまで心拍上がります。

私の知り合いの45歳ランナーも,この前「192まで上がった!」って喜んでいました。

つまり,私たち人間はトレーニング次第でまだまだこの年齢の限界を引き上げることが可能だということです。これ,超重要な事実です。

そして,最大心拍数を上げるということは,心臓の機能を高めたり維持したりすることです。心臓の機能を高めるのですから,心臓をたくさん使う必要があります。

前にも言いました。人間は,その環境に適応しようとしてしまう,と。

心臓も同じです。

毎日,最高でも100くらいしか心拍数を上げなければ,「もうそれくらいでいいや」と思ってしまい,どんどん最大心拍数も下がってきてしまいます。

だから,私たちは,日常生活でできるだけ心臓を速く動かす必要があるのです。できるだけ心拍数を上げる必要があるのです。

そのために必要なトレーニングが,

インターバルトレーニング