川内杯栗橋関所マラソンに出場してきました

今年もほとんと風の吹かない好条件

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日は今年最後のレース栗橋関所マラソン10kmに出走してきました。

昨年初めてこのレースに出場して、公認ではないものの、完全フラット河川敷折り返しコースで距離表示も正確、そして比較的ハイレベルなランナーが集まることで集団で競り合いながらレースを展開できる、非常に走りやすい10kmロードという印象を持ったレースでした。

昨年はインフルエンザ明けで体が動かず、かつ今年ほど練習を積んでいなかったこともあり、集団で先頭を入れ替えながら比較的ペースを維持しやすかったものの、タイムは34分を超えてしまい、走りの手応えよりは結果が伴わなかった印象の残るレースとなりました。

一転して今年はかなりの練習を積めてきた状態、しかも健康上の問題もなく、練習の疲労さえ影響しなければそれなりの結果は出さないといけないような条件の整った状態でレースを迎えることになったのですね。

アップの時は思ったよりも体がだるく、いつも調子のバロメーターにしているアップのペースも、キロ5分半近くかかってしまっていたことから、やはり先週のLTインターバルの疲労がちょうど出てきた頃かな、と少しネガティブになっていました。

とはいえ、これまでもQデーの日がだるくて仕方がなくても、走り出してしまえばそこそこの練習ができていたことを思い出し、今日も序盤のペースさえ間違えなければ、必ず中盤以降体が動いてくれるはず、と自分に言い聞かせてスタートラインに立ちました。

今年は自己申告制の実力別ウェーブスタート。

周囲には知り合いのエリート市民ランナーたちがたくさんいたり、Twitterで有名な速い人たちがいたりと、これは相当「ガチ」な10kmレースになるな、と久々に興奮を覚えました。

興奮はしたものの気持ちは意外と冷静で、とにかく初めの1kmが大事、ここを楽に抑えて入れればその後は必ず体が動くはず、とレース展開を想像しながらスタート時刻を待ちました。

そしていよいよスタート。

第1ウェーブの錚々たるメンバーたちが一斉にスタートしました。

おそらく先頭は29分台ですからそこはもう初めからスルー。その後ろの集団だって31分台に違いないのでそこもスルー、と思いきや、いつもの練習で掴んでいるLTペースの感覚で走っている中で、この第2、第3集団の選手たちは思ったよりも離れていきません。

あれ、これもしかしてペース速いか?と自信がなくなるも、自分の呼吸の感覚と脚の動きから、どう考えてもキロ3分10秒台ではない感覚。

こんなに楽に前の集団とほとんど変わらないペースで走れてるのか、と思うと気持ちもずいぶん楽になり、ストライドを無理に伸ばさず自分の楽なピッチを維持するよう心がけました。

早く知りたい初めの1km。待ち望んだ最初のキロ表示を通過。

3分20秒

「うわ、きた」と思わず心の中でガッツポーズ。

自分の体感ペースと実際のペースがぴたりと一致する時は大抵調子がいい時です。やはり自分の感覚は正しかった。

ただ、大切なのはここからで、楽だからといって、調子がいいからといってここで無理にペースをあげてはいけない、と自らを律します。

実はこの時すでに小集団(十名前後)が出来上がりつつあり、その先頭に立ってしまっていたのですね。まあよくある話です。

そっか3分20秒ペースを作りたい人たちなのね、そう思ってこの現状を受け入れることにしました。

前の集団はもうかなり前にいて、おそらく3分15秒前後のペース。流石にアレにつくのは無謀だし絶対に撃沈するので、自分の記録を狙いつつ終盤まで脚をもたせるにはもうこの状況で自分でペースを作るしかない、と覚悟を決めました。

それに、集団を引っ張っていながらも脚や呼吸は信じられないほど楽で、もう楽ならこのまま自分で記録を狙えばいいじゃないかと、自分の体の感覚だけに意識を向けるようにしました。

400mごとにラップがわからないロードレースで最も重要なのは体の感覚、疲労度にいかに敏感になれるか、だと思っています。

この呼吸のキツさであと9km持つだろうか?と体に問いかけます。9kmという距離を想像して、大丈夫そうだ、という感覚を維持します。その感覚を上回るようなしんどさになりそうならペースを抑えます。いってみれば、もうレースの終わりまでその繰り返しみたいなもんです。

実は、初めの1kmとか2kmとかではかなり余裕を持っていないと、こうしたLT付近のペースを最後まで維持するのは大変なことなのですね。

なので、こうして余裕を持たせて走るので当然次の1kmはペースがガクッときます。

3分25秒

はい、一気に落ちました。まあ楽しすぎたのですね。(後ろの人たちは相当楽だったんじゃないでしょうか)

脚には余裕があったので、ちょっと頑張ってペースを持ち直します。なんといってももう2kmは走ってしまったのですから、残り8km、少しは無理がききます。

3kmは3分22秒

ギリギリです。ここで留めておきたい、そう思いました。体のキツさも、満足いく結果を出すにも、ここが最低ラインです。

4kmは3分24秒

5kmまではまだ脚を使いたくなかったんですね。できるだけ貯めておきたい。間違いなくこの集団で最も体力を使っているのは自分だし、別に勝とうなんて思ってはいませんが後半揺さぶりにかけるにもできるだけ余力を残しておきたい、そう思うと、どうしても抑え気味になってしまいます。

そしていよいよ見えてきた折り返し地点。さあ、あれを回ったところで一気にペース上げるぞと、力を蓄え5kmを通過。

16分57秒

この1km3分26秒

やっちまった、これはまずい、と正直かなり焦りました。まあ、中弛み、なんていう言葉があるくらい、やっぱり残り半分より手前、っていう状況ではびびってペースを上げられないんですね。いや、心理的にだけでなく、足の状態としても「あと5kmならいけそうだけど6kmは無理」というのが、なんとなく体感的にわかるんですね。だから、こういう局面でペースは落ちるんです。(フルでも)

でも、このままズルズルいっては目標の33分台は出ないと判断し、折り返しの遠心力をフルに利用して大きくオーバーラン(河川敷の芝生にかかるくらい)しながらペースアップ。

一瞬、後ろの足音がまばらになり、「あ、ばらけた」という感覚が。

くどいようですが、別にこの集団を引き離して勝とうとか、決勝進出がかかってるとかそういうことは一切ないのですが、やっぱり先頭を引っ張ってると、あまり大人数が後ろについてくるのは気分がいいものではないのです。それって、自分が遅い、ってことですからね。

ここで明らかにペースアップした、って気づいてもらい、なんとか人数を絞りたい、そういう意図がありました。

もちろん、自分の記録が第一です。

そして6kmまでが3分20秒

自分でペースアップしておきながら、うおー上がったなー、とちょっと自分でもビビりました。

しかし上げちまったもんはしょうがない、とこうなってしまうともう止められません。

振り返るとだいぶ集団が絞られましたが、それでもまだかなりの人数が残っています。しかも楽そう・・・。

7kmは一度上げた反動が出て3分23秒くらいだったでしょうか。

この辺りで今日初めて脚が動かないかも、と思う瞬間がやってきました。でも残り3km。ここからは冗談抜きで「気持ちの勝負」になってきます(肉体的には終わりつつありますからね)。

しんどかったのであまり記憶にないのですが8kmも3分23秒くらい。

ラスト2kmは走りきれそうだけど、もう先頭を走るのは無理。みなさんどうぞ先に言ってください、というメッセージが聞こえたのかどうかは分かりませんが、ここから一気に後ろから抜かれ始めます。そしてそれになんとか食らいつきます。

と、後ろについた瞬間、まるでターボがかかったかのように一気に脚が軽やかになりペースを持ち直します。

「うしろってこんなに楽なんかーい」ともう笑うしかなく、今までみなさんこんなに楽してたのね、と。

後ろに回ると再び元気を取り戻し、もう一度集団の横に出てペースアップ。

9kmは3分19秒と今日最速ラップを記録。

滅多に思いませんが、流石にこの時ばかりは「おれ、速いかも」と頭をよぎったのも束の間、待ってましたと言わんばかりにラスト1kmで集団全員がスパート。

はい終戦。

もう2度目はありません。

流石に貯めていた人のスパートはレベルが違います。こっちは脚が終わっている中でスピードを出そうとしますが、この時のために余力を残していた人のスパートは動きが違いすぎます。

それでもあとは自分の記録との勝負です。集団のスパートの力を借りながら最後の力を振り絞ります。

とはいえ、もう脚が完全に動いていないのが自分でもわかります。呼吸もほぼ限界。気力だけですよね、気力。

そして、もう無理、というところで無事フィニッシュ。

手元の時計で33分47秒(正式ネットタイムは45秒)

いや、我ながら最後までよくやりました。

タイムはしょぼいですが、数字に現れない力強い走りや自分でペースをコントロールした感覚、呼吸の辛さを脚のパワーでカバーして押していける感覚など、意外に思われるでしょうが結構「会心」の走りだったと実感できるレースになりました。

人間の能力ですから、人と比べて速いとか遅いとかそういう基準で見ればいくらでも評価は変わってくるのは当然です。

しかし、自分の体感として感じられる手応え(というかこの場合は脚応え?)のようなものに、他者との優劣や比較は存在しないので、ランマニアがここまで競技を続けてこられたのも、こうした自分の感覚の変化や成長などにこだわり続けてきたからではないかとも思っています。

もうこの歳になると、正直PBだけを追っていると確実にモチベーションは低下します。

また、大したことはないですが過去の「栄光」に囚われていると、それこそその落差の大きさに落胆するだけになります。

重要なのは、自分自身の中で得られる手応えや感覚、変化、そして自分自身の生理学的な変化をコントロールしきれたという実感、などを感じる瞬間なのではないかと、今日のレースで改めて感じたところです。

さて、そのような自身の変化を感じられた背景にはやはり今年春から取り組んできた練習の効果を抜きに考えることはできないと思っています。

今日はっきりと感じた手応え、変化というのは、やはり走っても走っても疲れてこない強靭な脚の感覚に他なりません。

7kmすぎから流石に動きは鈍くなりましたが、それまでは「いつでもあげられるぞ」という脚の余力を常に維持したまま今日のペースを保つことができました。

これは、間違いなくダニエルズさんの練習により大幅に練習のボリュームが増え、疲労しにくい脚ができてきたからだと思っています。

また、今回のレースはちょうど月末に行われ、練習計画のなかでは最も疲労が溜まっていてもおかしくない状況でレースを迎えることになったのですが、その影響についてもさほど出なかった印象です。

特に、先週はランマニア自身経験したことのないような強度も負荷も高い練習を入れたにもかかわらず、中4日でその疲労も概ね回復し、今日のレースを走り切ることができました。

これについても、そこそこの練習を積んでもその疲労がすぐに回復できるような脚が出来上がってきたことが考えられます。

つまり、いずれにしてもダニエルズさんの練習によって脚ができたというわけです。

筋トレをして、今まで持ち上げられなかった物が軽々と持ち上げられるようになるのが楽しいのと同じで、これまでならすぐに脚に来てしまったようなペースで延々と走り続けられるようになるというのは、ただ純粋に楽しく感じるわけですね。この変化や成長に楽しさを感じているわけです。

さて、2020年もどうにか概ねいい形で締め括ることができましたが、実はこの1年ずっと感じ続けている課題も存在しています。

これまで何度か触れてきたことですが、現時点で走力のボトルネックとなっている問題です。

これについてはまた長くなるので別の機会にお話ししようと思います。

今日は多くのレースが中止に追いやられる中、果敢に開催に踏み切っていただいた大会事務局及び主催者の方々、そしてスタッフの皆さんに大変感謝をしています。

ありがとうございました。

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