第9回上田バーティカルレースに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

今年もシーズン開幕です。

昨年は散々な開幕を迎えた長野マラソン、そしてその後の上田バーティカルレースでしたが、あっという間に1年が経ってしまい、気づいたらまた太郎山に登っている、という感覚でした。

昨年は猛烈に体調が悪く、初日のバーティカルも過去最低記録、2日目のスカイもDNFという最悪の結果でした。

今年は、7月に予定しているマスターズ世界選手権に出場するため、もう4月からその準備のために練習しレースに出るようなもので、今回の上田バーティカルレースもまずは山をある程度の時間走り続ける耐性をつける目的もありました。

とはいえ、4月は3週連続で山へ走りにいき、それなりに練習を積んできましたので、今回のスカイレースでその仕上がり具合を確認したい気持ちは当然ありました。

わずか3回のトレイル練を入れただけですが、累積は最高で1800mまで伸ばしていたため、その中で上田のコースにどこまでアジャストできるか試してみたい気持ちはありました。

初日は例年通り、まずは垂直方向へ登りっぱなしのバーティカルです。

走行距離5kmで標高を1000m獲得します(ただし、上田のバーティカルは特殊で、途中で一旦200mほど標高を下げます)。

実は、今回このバーティカルの方には少し自信を持っていて、そこそこの山練と去年よりも戻せている有酸素能力とで、これまでで最も走れるのではないかと淡い期待を抱いていたのですね。

当日を迎えた時点での体調もだいぶ良好で、レース前に軽く登り坂を利用して走ったWSの感覚も過去最高に良く、登り坂が平坦に感じるんほどの力強さを感じていました。

しかし、こういう時は得てしてやらかしてしまうもので、異常に動く脚がオーバーペースを誘発してレースを失敗するんですね。

今回も登山口までの1kmほど続くロードコースで、呼吸の感じからVO2Max並のペースに上がってしまい、登山が始まった頃には呼吸が一杯一杯になってしまいました。

レースタイムが50分から60分ですので、当然VO2Maxペースでは速過ぎますし、せめてLT程度の感覚で行かなければ最後までは持ちません。

烏帽子バーティカルのような途中でジョグを入れられるようなコースならまだ挽回可能ですが、上田の登りはほとんど走れないほどの急登ですから、一旦酸素負債が高まると、ちょうど5000mのレースにOPで突っ込んで脚が止まった時のような絶望的な状態に陥ってしまいます。

結局、累積600m地点のわずかにある走れる区間でジョグになった以外は、全て歩きモードとなり、尋常でない呼吸の苦しさと戦う羽目になりました。

それでも、調子自体は良かったため、呼吸の苦しさの割には脚は動き、なんとか一昨年のPBの1分半遅れでとどめることができました。

相変わらず太郎山山頂からの眺望は見事なものがあります。このためにバーティカルをやっているようなもんですね。

今年からスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)のバーティカル部門は「V GAMES」と名称を変え、新たなシリーズ戦となりました。

スカイランニング協会に登録しているエリート部門は、年間シリーズの「GOLD」レースがポイントの対象となり、この上田と竜王、びわ湖バレイ、そしてグランドファイナルの吾妻のポイントでシーズンを競うことになります。

そして、今回から世界スカイランニング協会の基準に準拠し、マスターズ部門も新設され、幸運にも「Over48」クラスも設定されたのですね。

おかげで、PBよりも遅い55分台でもこのクラスで2位に入ることになり、まさかの表彰式にまで参加させてもらうことになりました。

マスターズクラスとはいえ、やはり表彰式は嬉しいものです。

総合でも25位に入り、かろうじてポイントを獲得することができました。ここは最低ラインだったので一安心でした。

さて、問題は2日目のスカイレースです。

何度も繰り返しますが、この上田の塩尻山城コース(エリート部門)は世界基準のコースでして、半端な練習では対応できない難易度を誇っています。

少しでも体調が悪ければ完走は不可能で、実績ある有力ランナーでもDNFとなるケースが決して珍しくないシリーズ最難関と行っても差し支えないでしょう(それが第1戦にあるのが理解できませんが・・・。)

昨年よりも体調ははるかに良く、また山へも何度か通っていたため、ある程度の走りはできるだろうなという予想はしていました。

しかし、わずか25kmの距離で累積3000mを登るコースの斜度は、どこも走れるような傾斜ではなく、最後に待ち構える2度目の太郎山登山で脚が動かなくなれば、棄権するための下山すらままならない危険な状況に追いやられることになります(なので辞めるなら2度目の太郎山の前です)。

なので、今回はここで記録を狙うつもりはさらさらなく、とにかく完走を唯一の目標に、序盤から相当抑えて走ることにしました。

1回目の太郎山登りは抑えに抑えて、一昨年よりも10分も遅い山頂到着

途中の通過タイムも、一昨年PBを出した時よりも常に10分以上遅れていましたが、特に気にせず脚の疲労状態だけに気を配り、下りでもペースを抑えてダメージを抑えて走りました。

それでも。それでもなんですね。2度目の太郎山を迎えるエイドポイント「秋和」の時点で、やっぱり、脚はギリギリ。

行けるとは思うが、決して余裕はない。そんな微妙な感覚です。

いつもはきつさが上回ってあまり怖く感じない「落ちたら死ぬで」の兔峰も、今年は余裕がありむしろ怖さで脚が震えたほどです。

案の定、太郎山登山の後半、完全に脚が止まりペースが一気に落ちました。

フィニッシュ後に、だいぶ前に抜いたはずのランナーとの差がかなり縮まっていたのは、ここからのペースダウンが響いたせいでしょう。

完全に練習不足。このコースで最後まで脚をもたせるには、あまりにも練習が足りていなかったのは明白です。

とはいえ、本番は7月ですので、今の時点でどの程度及ばないのかをしっかり把握できたのはある意味目標達成です。

世界選手権のコースは今回の2倍以上の距離で、累積は4000mですから、傾斜はこれよりは緩やかなはずです。

問題は10時間近く走り続ける絶対的な体力をこれからどこまで積み上げられるかですね。

文字通り「足の踏み場ものない」通称ゴーロ。眼下に見える町並みまでの距離がだいぶ迫ってきていることから、いかに標高を下げてきたかがわかります(また登ります・・・)

フィニッシュ後は、恒例の具合が悪くなり1時間以上寝たきりになり、耐性不足が露呈。

でも、またもやOver48で2位に入ってそうな事実がわかり、気持ちを立て直して表彰式会場へ。

今回は、上田駅前で大々的にセレモニーを実施していただき、とてもいい雰囲気で盛り上がりました。

なんというかこの鬼のようなコースを走り切った人たち同士の見えない一体感を感じられる素晴らしい機会を得ることができました。

上田駅前の広場が表彰式会場。背後のビルに「上田バーティカルレース」のノボリまで!

結局、記録は一昨年の15分遅れの5時間10分59秒で総合22位。

序盤の遅れ分だけタイムが嵩みましたが、終盤は一昨年とほとんど同じペースで走れたことになります。

これ以上のペースで走るには、絶対的に山を走る頻度と距離を延ばすしかないな、と感じますね。

あれほど苦しんだレースですが、やっぱりまたここに立ちたい気持ちになる楽しい上田バーティカルレース。

さて、7月の本番に向けてまずはその一歩を踏み出したわけですが、今回のレースで大体どのような1ヶ月の練習を組み立てれば良いのか、そして足りないことは何なのか、ある程度把握できた気がします。

確実に言えることは、いきなり手っ取り早く力は身に付かず、段階を踏んで徐々にできないことができるようになっていく過程を大切にしなければならないということですね。

次回は、早くも来週14日に控えている地元埼玉での50kmのレース。

この距離にして累積2000mでかつロード区間もある、カテゴリーとしてはいわゆる「トレイルランニング」のレースになります。

おそらく急傾斜の登り下りが繰り返されるようなことはないと思われ、どちらかというと距離に慣れることを目的にしています。

とにかく、足への負荷が高まりますので故障だけには気をつけ、あまりに疲労が大きい場合はDNFも躊躇なく決断しようと思います。

4月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

新しいシーズンが始まり、あっという間に一月が過ぎてしまいました。

この4月は、レースを一度も入れず久々にトレーニングだけに集中して取り組めた1ヶ月間となりました。

昨年、故障から復帰して以降も、なんだかんだでレースはちょくちょく入っていて、継続した練習を続ける機会がほとんどなかったのですね。

「練習の一環」という意味合いで出たレースであっても、やはりレース会場に踏み入れた際の気分の高揚感は練習などとは別物で、あまり意気込んで走ったつもりはなくとも、脳や体は普段とは違う緊張感に置かれ、体にかかる負荷も相当なものがあったと思います。

そうした機会が月に何度もあると、回復が追いつかない程度の疲労が蓄積していき、練習の効果が発現しないまま、ダラダラと走る続けてしまう状況続いていた状態です。

4月は、そのような疲労を一旦リセットして、フレッシュな状態でジョグを中心に練習を継続することができました。

疲労がない状態であまり負荷をかけずに、淡々と日々走り続けるのは走ることへのストレスを感じず、練習そのものを楽しむことができた1ヶ月となりました。

一回の練習でもほとんど無理をしていないので、週1日のレストだけで十分回復は間に合い、次の1週間も余裕を持って走り続けることができました。

また、1週間練習を続ける毎に、次の週は若干ジョグの負荷が軽く感じるようになり、同じ練習をしても疲れにくくなっていくことを実感できました。

同じ練習をしても疲労が残りにくくなったので、さらに余裕を残して練習を終えることができ、最終的には無理なく距離を伸ばしていくことができました。

このような循環が生まれることをずっと理想としていて、これまで故障や疲労でなかなかこの状態を生み出せなかったのが悩ましいところでした。

一定のサイクルを1ヶ月間継続できたのは本当に久しぶりです。

ところで、今月からある取り組みを始めました。

7月に出場するスカイランニングマスターズ世界選手権に向けてのトレーニングです。

自分にとっては未知の、水平距離55km、累積標高差4100mという規模のレースを完走するには、相応の準備が必要だからですね。

そのためには、まずは登山道特有の急勾配を登れる(あるいは下れる)脚作りは不可欠で、これにはどうしても定期的な山練習を取り入れていく必要があります。

長距離を速く走る力は、これはこれで維持したい力なのでこれをおそろかにはしたくないので、メインはその練習をしつつも、山に特化した能力の開発と向上も同時に続けていく必要がありました。

なので、大体週に1回程度の頻度でトレイルを走る機会を確保し、徐々に山を長く走れる力を身につけていこうと考えました。

これに関しても、いきなり20kmも30kmも走るのは体に負荷がかかりすぎるため、まずは低い累積標高を軽い負荷で走ることから始め、徐々に距離と累積を延ばして行こうと思いました。

その結果、今月は週末に一日トレイルに出かける日を設け、ひとまず3回ほど山を走る機会を確保することができたのですね。

電車で30分ほどでアクセスできる「奥武蔵ロングトレイル」のコースが、無理なくトレイル力を鍛えられる最適なコースだということがわかりました。

初日は12km、翌週は14kmと延ばし、3週目は21kmをそれほど無理なく走破できるほどの体力が身についてきました。

トレイルはコース状況が目まぐるしく変化するため、実施後の疲労感の割に脚へのダメージが意外と軽く、翌日こそ脚の重さは残りますが、ゆっくりなジョグで繋いでいけば3日ほどで疲労は抜け、1週間練習を継続することへのマイナスの影響はそれほどありませんでした。

トレイルの経験が積み上がり、練習への耐性ができてくると、さらに回復も早くなっていく実感も持てました。

こうして、漸増的に負荷を上げていき、4月は概ね想定していた通りの練習と、体の仕上がり具合を実現することができたなと感じます。

まだまだ世界選手権のコースを走破できるほどの走力には程遠いですが、そこに到達するためのひとまずのベースは構築できたかなと思います。

トレイルは3回に分け頻度を確保し、総距離も13%程度を維持できました。

5月は、まずは毎年恒例の上田バーティカルレース(バーティカルとスカイレース)があります。

バーティカルの方は、比較的追い込んで順位を記録を狙おうと思いますが、翌日のスカイレースはジャパンシリーズ中最難関のコースですので、これは世界選手権当日を想定して、序盤からしっかりと温存して余裕を持たせて走る練習にしたいと考えています。

実はまだ1度しか完走したことがない上田スカイレース。まずはこの累積3000mを余裕を持って攻略できなければ、世界選手権の完走はあり得ません。

そのほか、5月は中旬に累積は2000m程度ですが50km規模のレースが一度と、下旬にはTwitterの有馬さんにお誘いいただいた箱根外輪山での50kmのトレイルを予定しています。

5月はトレイルの距離が一気に延びるため、ここはかなり故障には気をつけなければなりません。逆にここを故障なく乗り切り、トレイルを走る力と耐性がワンランク上がれば、今まで見えなかった世界が見えてくる気がしています。

約1年ぶりに月間350kmを超えた月になりました。距離自体にこだわるのではなく、これくらいのボリュームを余裕を持って継続できる力を身につけていきたいのですね。

今月は久々に月間350kmを超えました。高強度練習はほとんど入れていなかったため、かなり余裕を持ってこの距離をこなす事ができましたが、これくらいのボリュームは最低ラインで、最終的には400kmから500kmくらいを走っても故障しない体を身につけたいと思ってはいます。かなり難しいことですが・・・。

ともあれ、レース本番までの4ヶ月で必要な準備のうち、まずはその最初の基礎を構築する段階はクリアできたと思います。

3月振り返り そして次の1年へ

こんにちは、ランマニアです。

今シーズン最後のレース、多摩湖駅伝が終わってから10日間。次のシーズンに向けての休養期間を置いていました。

1月以降はレースが続き、故障明けのため序盤のレースはトレーニングの代替的な位置付けでしたが、それでも負荷はそれなりにかかっていたため、絶対的な練習量はだいぶ不足していたのがわかります。

もともと故障明けで走行距離が減っていた10月以降ですが、1月以降もレース続きでフルを走るには無謀なほど距離が足りていませんでした。

3月は、板橋シティマラソンに向けてそれなりに距離を踏みつつ、一方では疲労を抜かなければならない難しい状況で、結果的にそのどちらも成し得なかったと言わざるを得ません。

1月から続いた10km駅伝シリーズと、2月の深谷ハーフの疲労は想像以上に残っており、マラソンを迎えるには、もう一月ほど猶予が欲しかったところです。

そもそも論として、本来故障をしなければ11月のつくばにピークを持っていく予定だったことを考えれば、スケジュール的に3月のマラソンに合わせようとしたこと自体にやはり無理があったなと。

当ブログでも再三触れましたが、とにかく6月の足底筋膜炎があまりにも痛すぎて、練習ができていない体で騙し騙しレースに出るのがやっとの状態だったわけで。

そんな状態で体を仕上げるには、あまりにも期間が足りなさすぎたというのが現状です。

ただ、シーズン最終盤ではレースがそこそこ刺激となり、最後の板橋や多摩湖駅伝などでは、今シーズン入れたことのなかったゾーンにかなりの刺激が入り、1月以降は満遍なくあらゆる強度の「トレーニング」を取り入れることができたのも事実です。

とはいえ、今シーズンもう少し余裕があれば、マラソンペースでのロング走をもう少し入れておきたかったのですが、それが0に終わってしまいまったのは誤算でした。

最後の最後の板橋でようやくそれが叶いましたが、練習で一度もやらずにいきなり本番では、当然結果など残せませんね。

さて、今シーズンは兎にも角にも、転職1年目で生活スタイルが大幅に変わったこと、それに伴ってトレーニング環境をどう整えるかに苦心した一年となりました。

一年を振り返ると、故障で走れない期間が過去最大になったという異例の事態もありましたが、それ以前に仕事が変わり大幅に生活スタイルが変化したことが、あらゆることに影響したなと実感しています。

まず、通勤時間が片道で約3倍になったということですね。

往復にすると、昨年までより約2時間ほど余計に時間を奪われることになりました。

この絶対的に変えられない状況の変化があり、どこにトレーニングの時間を取り入れるかというのがいまだに解決しきれていない大きな課題となっています。

最終的には往復の通勤経路で4.5km〜6kmほど走る区間を設け、平均して1日で10km程度距離を踏めるようなスタイルに落ち着きはしました。

昨年度は、故障でこれ以上距離を伸ばす機会がありませんでした、明日から練習を再開した後は、平日に1日は20km程度走る日を確保したり、LTやVO2Maxに刺激を入れるような練習も取り入れたりする工夫をして、もうワンランク上のトレーニングサイクルを維持できる生活スタイルを目指したいと思っています。

今シーズンはとにかく、新しい職場、全く新しい業務に体が慣れるのに相当な時間とエネルギーがとられ、過度なストレスもかかったことから、年間を通して練習を継続できただけでもひとまず及第点だったのかもしれません。

来シーズンは、まずは今年度よりは仕事に対する慣れは進み、精神的な余力を持ってトレーニングを続けられるはずです。

昨年度は仕事に慣れるのに心理的に一杯一杯で、走っていてもなかなか走る方に集中を維持できない状態がしばらく続きました。

その分、来年度はメンタルのリソースをだいぶ練習のほうに割り振ることができると思われ、もう少し練習のボリュームから改善できるのではないかと期待しています。

そうした見通しから、次のブログでは来シーズンの年間の予定を改めて整理して報告しようと思います。

多摩湖駅伝に出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は、毎年春分の日に開催されている地元の駅伝、多摩湖駅伝に出場してきました。

コロナ騒動で3年間開催が見送られてきた中、今年は4年ぶりにこのレースが戻ってきました。

毎年春分の日に開催される多摩湖駅伝。過去には、桜が満開の日も、雪の日も。

一昨日はマラソンを走ったばかりで、確実に無謀なスケジュールでの出走となりましたが、この多摩湖駅伝だけはどうしても外せない理由があるのですね。

この多摩湖駅伝に、今のメンバーで出場し始めたのは今を遡ること28年。我々がまだ大学2年生の頃です。

大学2年の頃はランマニア自身、体調を崩していて本格的にこの駅伝に参戦していた記憶が残っていないのですが、3年、4年と徐々に体調が戻ってきて以降、学生時代にはよくある「現役力」を発揮して市民大会で圧倒的な強さで優勝するぞ、という邪な考えで、年に一度レクリエーション的に参加し始めるようになった大会であったのですね。

ところが、この大会には毎年必ず、同じような考えでまさに「圧倒的な」強さで優勝を掻っ攫っていくチームが存在するようになっていきます。

時には自衛隊が。時には元オリンピック選手が。そして時には現在ニューイヤー駅伝に出場するようなチームが。

毎年のように我がチームの前に立ちはだかり、優勝を阻んでいくのでした。

そして我がチームといえば、常に2位か3位に甘んじて、何年出場してもどうしても優勝だけが成し遂げられない状態が続いていきます。

20代、30代の頃は、本気でこの大会で優勝するために毎年練習と試走を重ね、ベストメンバーを揃えて臨んだものでした。

今から10年以上前はこうして上位に名を連ねることが数年にわたって続く、ある意味本大会での有名チームとなりました。

こうして、次第にこの大会で優勝することへの執着心が増し、初めは軽い気持ちで出場し始めたこの多摩湖駅伝が、ランマニアや我がチームにとっていつの間にか重要な「ライフイベント」となって行ったのでした。

たかが多摩湖駅伝、されど多摩湖駅伝。

気づけばもう、30年近く同じメンバーでこの大会に出続けていることになるのですね。

そして、4年ぶりの開催となった本大会。

流石に我々も歳を重ね、本来であればもう「壮年の部」での出場権が得られる合計年齢となりましたが、それでもあえて「一般の部」で挑戦しました。

今年は高校の部も統合されてしまい、我々「年配」には少し厳しい現実。

結果はご覧の通り。

例年、高校生は別部門であったため、純粋な一般の中では9位くらいには入れる結果となりました。

かつては、区間順位も2位とか5位とか、その辺りをキープできていましたが、流石にもう10位に入るのがやっとの状態。スピードもかなり落ちたな、と感じます。

ただ、一方で30年近く経った今も、同じメンバーでこの位置にいられるのは、まだまだやれるんじゃないか、と手応えを感じたのも事実です。

多摩湖の築堤工事が終われば、再び一区間7km以上のロングコースとなるため、我々「壮年」にも若干の希望が見えてきます。

3年間この大会が開催されず、若干気持ちが遠のき始めた多摩湖駅伝ですが、久しぶりに出場してみると、やはり若い人たちと競い合うのは楽しいと感じました。

メンバーもなんとか走力を維持していて、まだまだ老け込む状態でないこともわかり、これからもこのメンバーで走り続けたいと再認識できた今回の多摩湖駅伝した。

北は仙台から西は兵庫まで、この日の為にお金と手間をかけて集まってくれるメンバーには本当にご苦労かけますが、年に一度の「同窓会」にこれからもお付き合いいただければと思います。

板橋Cityマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

マラソンは、難しいですね。

というより、自分の体の特性では、よほど調整がうまくいかない限り、この種目で結果を出すのは並大抵のことではないな、と毎回感じます。

今シーズンは、4月から計3回のマラソンに出場しました。

最も練習を積めていた4月の長野マラソンはDNF。

次に練習を積めていた今日の板橋はほぼDNFの3時間9分。

そして、最も練習ができていなかったつくばマラソンがネガティブスプリットのサブスリー。

つまり、自分の場合、練習が積めていたかどうかよりも、いかに疲労(自分の場合は慢性疲労症候群の症状)が抜けている状態であるかの方がとても重要だということなのですね。

一方、今日の失敗の遠因は(いやむしろ直接の要因とも言えますが)、7月から故障で3ヶ月走れなかったことではあります。

7、8、9月とほとんど練習皆無の3ヶ月を過ごしたのは、冬から春にかけてのマラソンを走るには大きな痛手でした

通常、2月3月のマラソンを走るためには、例年7月8月あたりはかなり走り込んでいた現実があります。

それにより、11月以降、レースが立て込んできてもその回復が遅れることもなく、むしろいい刺激となりながら冬場に体を仕上げていくことができていました。

ところが、今回3ヶ月ものブランクを作ってしまったことで、基礎的な持久力も回復力も一気に衰えてしまい、ようやく復帰した後もなかなか長い距離を重ねていく体力がなく、強度の高いレースばかり迎えているうちにどんどん調子が落ちていった、という感覚です。

今回、確かにハーフマラソンの後3週間でマラソンを走るのは、自分の体ではかなり無理がありますが、夏場からしっかりと距離を踏んでいれば、ここまで調子を落とすことも無かったのではないかと考えています。

昨年故障から復帰した後の11月からのトレーニングを振り返ると、月間の走行距離はフルマラソンを走るためには明らかに足りておらず、その一方でレースはコンスタントに出場している状態でした。

疲労が抜けていた分、レースではそこそこの結果を残すことができましたが、絶対的な回復力が高まっていない中で、高い強度のトレーニング(レース)を次々と入れていっては、そのうち調子が下降していくのは目に見えていました。

今にして振り返ると、2月に出た埼玉県駅伝が一つのピークだったと思われ、そこから徐々に調子は下降線をたどり、深谷の頃には慢性疲労症状が「走れない程度の閾値」を超えてしまったように思えます。

確かに、だいたいLT付近のペースで走り続けるレースが続いたことで、10kmとかハーフとかのペースで走り続ける力はそこそこついてきたという実感はありました。

ただ、そもそもマラソンを走るために必要な絶対的な距離は足りておらず、そのための練習を続けても疲労を溜めにくい体が、全く出来上がっていなかったと考えています。

とはいえ、実は練習が積めていた時期(月間で350km以上)にあっても、今日のようなマラソンでの失敗は数え切れずあり、疲れやすい自分の体で、トレーニングを重ねながら疲労を溜めないようにしていくのは相当な難易度であると思っています。

7年前に東京マラソンで2時間40分を切った時も、その4ヶ月前に出たさいたまマラソンでは3時間20分近くかかっています。

通常、いくらレースで失敗したと言っても、自分のベスト記録からここまで落ち込むことはそうそうなく(他の種目ならここまで落ち込まない)、マラソンのような長丁場になればなるほど、自分の疲労症状が影響しやすくなってくるのは明白です。

だからこそ、なんとかそこを克服・攻略して走れた時の喜びは何倍にもなるのですけどね。

さて、実は明後日にもう1レース駅伝が控えていて、マラソンの2日後で肉離れ等の心配がかなりあるのですが、なんとかそこを乗り越えれば今シーズンも一旦終了します。

そのあとは3月中は走らず、4月からのトレーニングに向けて体を一度リセットさせようと思っています。

ふかやシティハーフマラソンと2月まとめ

こんにちは、ランマニアです。

今日は久々にレースでやらかしましたね。

昨年4月の長野マラソン以来でしょうか。

昨年度開幕レースで豪快に失敗した長野マラソン

ここ数日、お腹の調子が悪く、また昼間から猛烈な眠気に襲われ、朝も起きれないという、体調が悪い時の諸症状が軒並み現れていました。

長野マラソンの数日前も立っているのがかったるく感じたり、車を運転していてすぐに眠くなるような症状があり、だいたいレースで走れない時はもうその数日前にはある程度予兆が表れているのですね。

先週、レース1週間前としては異例の30kmジョグをしてしまったことも一因である可能性は否定できませんが、それ以上に先週は睡眠が足りておらず、週の後半の連休でその疲労がどっと出てしまった印象です。

今日はアップの時から足が重く、あまり長く走りたくない感じがして、ちょっと嫌な予感はしていました。

調子の悪さに加え、猛烈な強風に見舞われた7年ぶりのふかやシティハーフ

スタートして、思ったより足が動くな、と思い1kmの通過を見ると3分30秒と、ほぼ予定通り。

呼吸も意外と楽で、今日はこのペースを維持して目標の14分台を達成しようと、序盤は比較的前向きな気持ちで走ることができました。

ところが、その後すぐに猛烈な向かい風に見舞われ、一気にペースダウンします。

ラップも3分40秒台まで落ち、ちょっと今日は記録を狙える条件ではないと感じました。

長身ランナーの後ろに周り、体力を温存しながら10kmあたりまで余力を残して走りました。

しかし、その後追い風区間になり、若干ペースは戻すものの14km付近で急に足が止まりました。

呼吸は楽ですし、足が終わったわけではなく、4月の長野のような体がしんどい感じです。

あ、残り7kmはちょっと厳しいな、と気が遠くなるようなしんどさを感じ始めました。

そうこうしているうちに、お腹も痛くなり、トイレが我慢できない状態になりました。

ああ、いつも疲れてる時によくなるやつだ・・・、と今日はもうダメなことに気づきます。

トイレに入り、まずは3分以上のロス。

その後、キロ3分40秒くらいでどうにか維持しましたが、残り2kmで再びトイレが我慢できなくなり2度目のトイレ休憩。

ここでも同様に4分近いロス。

その後ペースも戻らなくなり、結局1時間23分以上かかってのフィニッシュ。

残念ながら、このタイムでは東京マラソンの準エリート枠はかないません。別のレースでもう一度チャレンジです。

深谷ネギはシンプルに焼いて食べると絶品です

さて、今回は仕事の関係で、なかなか体調を維持するのが困難な状況になりました。

仕事をしている以上、こういうイレギュラーな対応は年に何度かあるわけで、そうした中でも体調を維持できるマネジメント力は競技者には要求されますね。

先週、30kmではなく20kmにしていればもう少し調子を維持できた可能性はありますが、本命が3月のフルである以上、2月は少しでも距離を踏んでおきたかったことは事実です。

予期せぬ仕事の対応と調子の維持が両立できる方法を、今後模索していく必要がありそうです。

走って稼げない以上、日常に仕事が存在するのはデフォルトなので、そこは言い訳にならないですからね。

リカバリーの観点からも労働時間のマネジメントは重要ですし、走るために必要な資金を手に入れている時間であるならそれも広い意味でトレーニングだと考えています。

とはいえ、この2月はようやく理想としている練習サイクルに戻しつつある月になりました。

練習日数は20日間で距離が220km。概ね月間300kmペースに戻し、かつ、レースを使ってLT域にかなりの刺激を入れられました。

レースがあったことで、どうしてもレストの期間を挟む必要がありましたが、その中で先月の奥むさし駅伝も含めると、一月位LT域に刺激を入れ続けることができました。

今日は集団走であったとはいえ、前回の埼玉県駅伝とほぼ同じペースで15kmほど持つようになったことで、だいぶ走力の回復を感じました。

駅伝と今日のレースを入れると、約一月で40kmほどLTペースで走ったことになります。

VO2Maxへの刺激が圧倒的に足りてなく、今日もキロ3分20秒台にかかると急激に呼吸がキツくなるので、本当はここへの刺激をもう少し入れたかったのですが、フルにはあまり必要でない能力なので、残りの3週間は大人しくジョグで繋ぐ予定です。

レースが続きなかなか距離が伸びませんが、20日で220kmなので負荷としては先月よりも増加しました。

さて、板橋シティマラソンまで残り3週間です。

今調子としては底なので、ここからどう回復させるかですが、まずは1週間は休もうと思います。

脚の疲労というより、体全体が疲れてしまっているので、そこを回復させてからでないと練習しても疲労が増すだけですから。

できれば毎日しっかり睡眠をとって調子を整えたいところですが、突発的な仕事が入るとそうもいかなくなります。

そういう時に、どうマネジメントするかが鍵となりそうですね。

いずれにしても、今シーズン最後はある程度の手応えを感じて、来シーズンの見通しが持てる程度の結果を残して終えたいと思っています。

高尾山へ登ってきました

こんにちは、ランマニアです。

今日は代休で高尾山へハイキングに行ってきました。

通常、平日の休みはトレランをしにいくことが多いのですが、今回はレース後2日は休むつもりでいたので、のんびりウォーキングをして気分をリフレッシュしてきました。

標高は低いものの、バリエーション豊富な登山道が用意されていて何度行っても飽きない山です。

いつもは舗装された急坂ロードを一点突破で山頂まで直登するのですが、今日は気分を変えて、少し距離のある6号路へ行ってみました。

ケーブルカー駅を横目に見ながら6号路へ向かいます。実はまだこれに乗ったことはありません。

6号路はしばらく舗装された緩やかな坂を登り、途中から登山道に入ります。

滝修行を行うための修験道になってます。

6号路は高尾山に二つある(一つは今回下山に利用した蛇滝)修行を行うための滝へ向かう修験道になっています。

そのため、登山道といっても登っていることに気づかないくらいの緩い勾配が続く、トレランには最適な山道です。

最後の急登まではずっと沢に沿って登っていくので、夏は涼しくて快適そうです。

最終的にこの沢が登山道に変わり、一部足を濡らしながら登る沢詰め状態になります。

本当にロードくらいの登り勾配なので、あまりに楽すぎて、最後にどんな勾配が待ち受けているか不安になります。

とは言え、標高はたかだか600mの山なので、最後の急登と言ってもちょっときついかな、という程度の階段登りで終わりです。

御前山や日の出山のような死にそうになる階段ではないのでご安心を。

登山道は一応山道ですし、そこそこの登り勾配で、時々岩場もあり、トレランビギナーが練習するには最適な場所だな、と。

山頂から小仏峠、陣馬山の方まで走りに行くにも、こっちのルートを登ったほうが脚を温存できていいかもしれませんね。

雨予報も外れ、まさか富士山が見えるとは。

そして、帰りも通ったことのない4号路を経由して、蛇滝コースへ。

蛇滝コースは短い代わりに勾配も急で、ここから一気に降ります。

こちらも、修行を行う滝がある修験道コースですが、高尾山の自然路に指定されていないため、かなりガチな登山道になっています。

と言っても、むしろこれくらいが普通の登山道ですので、「レジャー登山」ではなく、ちゃんとした登山をしたければ、こっちのコースから登ったほうが楽しめると思います。

蛇滝コースは人がすれ違えないほどの一般的な登山道が続きます。

それでも距離は短く、30分も歩けば下り切ってしまうお手軽コースです。

ただし、下山した先は圏央道の真下なので、高尾駅まではかなりあります。

ロード歩き(走り)が苦にならなければいいですが、面倒臭ければ1時間に3本(平日は1本)のバスに乗るほうが楽ですね。

高尾山をぶち抜いた圏央道の真下に降りてきます。

今回のコースは、距離にしてだいたい8km程度。時間にすると2時間程度です。

走れば1時間くらいであっという間に終わってしまいそうなお手軽ルートですので、練習には物足りないコースですね。

ただ、今まで使ったことのなかったコースを「下見」できたので、次回はどちらからか高尾山へアクセスして、尾根道を景信、陣馬、さらにその先まで走ってみたいと思います。

Adizero SLを買いました

こんにちは、ランマニアです。

さて今回は、久々にシューズレビューをしたいと思います。

アディダスのシューズレビューでは、昨年3月のAdizero Japan6以来、約1年ぶりとなりますね。

結局このシューズで1年間、4km程度の駅伝からフルマラソンまでオールラウンドにこなしてしまいました。

今回購入したのは、満を持して登場したAdizero SLです。

最近、ジョグ用シューズがほとんど厚底仕様になってしまい、もう少しオーソドックスなジョグ用のシューズが登場しないかな、といろいろ試していた中で、ようやく「これだ」と思えた久々のシューズになります。

先代モデルSL20とだいぶ印象が違いますが、履いてみると確かにSL20の延長線上にあるシューズな気はします。

これまで履いていたのは、コスパ最強のSL20でしたが、今回のSLは一気に値段が上がり定価14000円と、ワンランク上の価格帯となりました。

とはいえ、ようやくAmazonさんで8000円まで値下がりし、購入に至った次第です。

先代のSL20は、破格の6000円台で買えていましたが、実際その安さよりもフルLIGHTSTRIKEのミッドソールの履き心地が気に入っていて、若干薄いソールで足に負担がかかる以外は自分としてはベストの存在でした。

アッパー素材にコストをかけず、ミッドソールの性能を維持していたSL20

ただ、やはりソールの薄さが気になり、足への衝撃を考えるとこれで20kmも30kmもロードを走るのは気が引けていたのも事実です。

できれば、もう少しソールに厚みを持たせて、衝撃を低減させられるモデルが出ないかな、と。

そうした中で登場したのが、LIGHTSTRIKE素材がさらに増した、今回のAdizero SLだったのですね。

ちょっと高いけど、これは買うしかないな、と。

一見オールLIGHTSTRIKEに見えるミッドソールですが、切れ込みの隙間から前足部にLIGTSTRIKE Pro素材が一部確認でき、嵌入されているのがわかります。

実際履いてみると、ソールの厚みは歴然。足裏で感じる地面からの距離はだいぶ離れ、接地時の衝撃もSL20に比べだいぶ軽くなった印象です。

初見ではLIGHTSTRIKEオンリーだと思っていたミッドソールは、実は前足部にわずかにLIGHTSTRIKE Proが嵌入されており、心なしか蹴り出し時に反発が得られている感覚はあります。

ただ、おそらく本当に僅かな量のPro素材だと思われ、同じく前足部にPro素材がふんだんに用いられているAdizero Japanシリーズに比べると反発量は微々たるものです。

JapanシリーズよりもLIGHTSTRIKE素材の厚みが増し、Pro素材も前足部に搭載されたSL。一方Pro素材の量はJapanが圧倒的です。

そうはいっても、確実にJapanよりもクッション性能は優れ、今日30分ほど走った感じでは、十分ロングジョグ(30km程度)にも対応できるソールの厚みでした。

それでいて、重さは27cmで片足248g。

SL20より若干増量しましたが、体感的には全く誤差の範囲。ジョグ用に軽さは求めないのでこれもで十分過ぎる軽さですね。

足裏のラバー部分は、ここのところのAdizeroシリーズ特有のトレッドパターンで、ランマニア自身とても気に入っている独特のグリップ感覚が得られます。

流石にContinental®︎ラバーの採用はありませんが、Japanと同様のトレッドパターンでグリップ力は問題ありません。

アッパー素材は、SL20とはもはや別物で、だいぶコストのかかった作りをしています。

ランマニア自身、アッパー部分にこだわりはないので安っぽいのでも全然構わないのですが、SL20は樹脂が多用されていて靴擦れとかをする人はいたかもしれません。

SL20に比べると明らかに手の込んだ作りとなったアッパー部分。

シュータンも、伝統的な独立形式が採用されています。

レースシューズでよく見る包み込みような一体型シュータンではなく、独立タイプを採用。

こうした、大幅なアップデートが行われた今回のAdizero SLですが、わずか30分のランニングでもその効果のほどは体感できました。

練習のほとんどはジョグであるため、ここをケチるのは本末転倒ですが、今回のシューズは法外に高いわけではなく、それでいて日々のジョグを十分にこなせるだけの性能を兼ね備えた、非常にコスパの良いシューズだったと思います。

大昔、なかなか自分のニーズに合ったマラソンシューズが現れなかった頃、旧Adizero Japan(いわゆるハイレモデル)を10回では済まないほどリピート購入していました。

今回のSLも、それくらい自分の用途にハマるシューズである予感がして、できれば息の長いモデルになることを期待しています。

1月振り返りと奥むさし駅伝出場

こんにちは、ランマニアです。

気がつけば1月も最終週を迎え、今月の練習をまとめる時期となりました。

先月末から、夏に痛めた足底筋膜炎が再発しかけ、今月は新年早々10日ほどのレストを余儀なくされました。

いつもはそこそこ走る年始ですが、今年はその分ウォーキングに当てて練習に変えました。

毎年年始を過ごす松本で、今年は極寒のなかウォーキング(雪中行軍!)

その後、順調に距離を伸ばし、1月の3週目にはLTペース(低下していたので、以前ではマラソンレースペース)で1.6kmを3本ほど走れるほどには戻ってきました。

ただ、まだ遠慮なく接地し、足裏の筋を使ってはずむように走るのは怖いので、ジョグの延長のようなフォームで走るのが精一杯な状態です。

そんな中で今日(29日)予定されていた奥むさし駅伝も、正直レースペースで走って痛みが再発するのではないかと、かなり不安感を残しながらのレースとなりました。

4年ぶりに開催された奥むさし駅伝

この奥むさし駅伝、実は数年間の休止期間を経て再開された、実はかなり歴史のある駅伝です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/奥むさし駅伝競走大会

2003年に再開される以前の旧「奥武蔵駅伝競走大会」は、第1回大会が1952年と古く、第1回大会の高校の部優勝校は、実は母校だったりします。

ランマニアが高校時代も、全国高校駅伝の県予選と並んでチームを挙げて取り組む割と重要な駅伝として位置付けられていました。

埼玉県内の高校生にとっては、大きなレースだったのですね。

そのころの奥武蔵駅伝は、全国高校駅伝出場校や箱根駅伝出場大学が複数出場し、さらには県内の強豪実業団チームも多数出場するかなりの名物駅伝でして、さしずめ駅伝版天皇杯のような様相を呈していました。

そんな、ランマニアにとっては思い出深いこの奥武蔵駅伝が、国道の開通に伴い1999年に一旦廃止(休止)されます。

しかし、折しも駅伝ブームに後押しされ、2003年に「奥むさし駅伝」として復活を遂げ今に至るのですね。

出場チームは、この20年間一度も変更していません。

大学時代の陸上部のメンバーで、途中からそのお子さんが参加するようにはなりましたが、基本は不変のメンバー構成です。

なので、メンバーの年齢も、48、23、49、48、51、48と、とんでもないことになっています。

もう大学時代から30年の付き合いになりますね。

そんな我がチームですが、4年前の19回大会まで、実は一度の繰り上げスタートも味わっていません。

割と厳し目の設定である奥むさしの繰り上げ基準ですが、毎年どうにか回避できていたのですね。

しかし、今回、ついに5区から6区への関門で初の繰り上げを経験することになりました。

まあ、この年齢集団でよくここまでやってきたなと思います。

ついに(繰)の記載がついてしまった、今年の奥むさし駅伝。

個人的には、とにかく故障を再発させないことが最優先課題で、走行後も痛みが出なかったのは安心しました。

今月の練習がしょぼすぎる中で、LT近いペースで10km走るのはかなり無謀な行為でしたが、最後までキロ3分30秒台後半のペースを維持しつつ、足を痛めることなく終えらたのは結果オーライでした。(本当はそれではいけないのですが)

今回、年始のウォーキングも練習距離として計上しました。

今月はウォーキングを入れた結果走行距離はそれほど落ちなかったのですが、一旦戻しかけたLT能力はまた元に戻ってしまいました。

特に、駅伝のような距離を全開で走るにはVO2Maxもそこそこ戻しておかなければ、「エンジンの回転数」が頭打ちになってしまうような感覚があるので、脚に余裕があるのにペースが上がらない、というもどかしい状態が続きます。

今日の駅伝もそうでしたね。

今日の駅伝でだいぶLT域に刺激は入れられましたが、もう少しじっくりトレーニングを積み上げたいところです。

実は、来週も同じ10km程度の駅伝に出るのですが、今回入った刺激がどの程度効果を上げるか試したいところです。

今回はキロ3分40秒弱のペースでも結構息が上がってしまったので、次回はキロ3分35秒台をある程度余裕を持って走れればと思います。

3月にフルを予定している中で、この走行距離はいかんですね。

2月は最終週に「ふかやシティハーフ」という、かなり狙っているレースがあります。

12月の所沢シティマラソンのような「練習」ではなく、そこそこの本番仕様で走ろうと思っているため、今日と来週の駅伝は、ある意味LT強化の位置付けです。

絶対的な走行距離は足りていませんが、その中でハーフをどこまで走れるか試してみたい気がしています。

それには兎にも角にも「故障をしない」というのが最低限の条件になります。

2月は継続した練習が鍵となりそうですね。

12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は第一週にハーフに出場した以降はレースもなく、久々に練習に集中しようと考えていた一月でした。

ところが、ハーフマラソンは前半を抑えて入ったことで、比較的終盤まで体力が持ってしまい、思いのほか体力を使い切ってしまう走りになりました。

レースは上手く走れた方がダメージも大きく、その後の疲労も抜けにくくなる傾向がありますね。

数年ぶりに出場したハーフマラソン。思いのほか、出しきれてしまいました。

今月は週末ごとにLTペースの練習と、ロングジョグを取り入れようと思っていたのですが、ハーフの疲労が思ったよりも抜けず、翌週はロングジョグのみ、2週後にようやくLTクルーズインターバルと25kmのジョグを取り入れるのがやっとでした。

3週後は疲労がぶり返し、土曜のLT走はDNFで、翌日30kmのジョグを取り入れるのがやっとでした。

ダニエルズのTペースは、ランマニア的にはLT2相当で換算しているため、現時点では大体3’30”/km程度のペースでの練習となります。

そして、やはりハーフを走ったあとのダメージは大きかったようで、その後のLT走や、ロングジョグを継続しているうちに、9月まで発症していた足底筋膜炎が若干ぶり返し気味になってしまいました。

あの時ほどひどくはないものの、チクッとする特有の痛みが現れたのと、ジョグでもそれが軽快していかない様子から、このまま続けると再び悪化して数ヶ月コースになってしまう予感がしました。

なので、本来もう少し距離を伸ばしたかったのですが、今月終盤は芝生で60分程度のジョグを繰り返すだけとなり、月間としては300kmをわずかに超えるにとどまりました。

30日間で僅かに300kmを超える程度にとどまりました。

また、今月の目的であったLTペースでまとまった距離を走る、と言うのも、ハーフマラソンが大体それに近かった以外では、一度の練習機会にとどまってしまいました。

LT走の練習は、もう一回くらいは入れておきたかったところです、

とはいえ、ここ数ヶ月ではかなりロードの練習ができ、レースとはいえ、LT近いペースで一定時間走り続けることができました。

ここまでまとまったロードの練習も久しぶりで、いわゆる「陸上競技」として長距離・マラソンのための脚仕様に徐々に変わってきた印象です。

ただ、今の足底筋膜炎の状態だと、少しまとまって休まなければいつぶり返してもおかしくない状態なので、最低1週間、状態によっては2週間は休まなければならない感じです。

来週もLT走の一環でハーフに出る予定でしたが、今回は回避して治療に専念したいと思います。

2022年を振り返ると、今年は生活も変わり、故障も繰り返して、競技の方が低調に終わった1年になりましたね。

年齢的にも疲労やダメージからの回復が、かなり遅くなってきている印象を受け、色々と転換期にきている気もしています。

これまでと同じような練習を続ければ、故障もしやすく、疲労からの回復も遅れてきそうな予感がしています。

今回のように、故障のわずかな予兆を見逃さずに、一旦休みを取り入れるという柔軟な対応も必要になると考えられます、

数ヶ月の離脱になるよりは、1週間、2週間程度のブランクなら大したことはなく、むしろいい休養になる、くらいの心理的な余裕が必要なんだろうな、と思います。

来年は、1年を通して安定して練習を継続し、レースが少しでも楽しめるような状態を維持していこうと思います。