高尾山へ登ってきました

こんにちは、ランマニアです。

今日は代休で高尾山へハイキングに行ってきました。

通常、平日の休みはトレランをしにいくことが多いのですが、今回はレース後2日は休むつもりでいたので、のんびりウォーキングをして気分をリフレッシュしてきました。

標高は低いものの、バリエーション豊富な登山道が用意されていて何度行っても飽きない山です。

いつもは舗装された急坂ロードを一点突破で山頂まで直登するのですが、今日は気分を変えて、少し距離のある6号路へ行ってみました。

ケーブルカー駅を横目に見ながら6号路へ向かいます。実はまだこれに乗ったことはありません。

6号路はしばらく舗装された緩やかな坂を登り、途中から登山道に入ります。

滝修行を行うための修験道になってます。

6号路は高尾山に二つある(一つは今回下山に利用した蛇滝)修行を行うための滝へ向かう修験道になっています。

そのため、登山道といっても登っていることに気づかないくらいの緩い勾配が続く、トレランには最適な山道です。

最後の急登まではずっと沢に沿って登っていくので、夏は涼しくて快適そうです。

最終的にこの沢が登山道に変わり、一部足を濡らしながら登る沢詰め状態になります。

本当にロードくらいの登り勾配なので、あまりに楽すぎて、最後にどんな勾配が待ち受けているか不安になります。

とは言え、標高はたかだか600mの山なので、最後の急登と言ってもちょっときついかな、という程度の階段登りで終わりです。

御前山や日の出山のような死にそうになる階段ではないのでご安心を。

登山道は一応山道ですし、そこそこの登り勾配で、時々岩場もあり、トレランビギナーが練習するには最適な場所だな、と。

山頂から小仏峠、陣馬山の方まで走りに行くにも、こっちのルートを登ったほうが脚を温存できていいかもしれませんね。

雨予報も外れ、まさか富士山が見えるとは。

そして、帰りも通ったことのない4号路を経由して、蛇滝コースへ。

蛇滝コースは短い代わりに勾配も急で、ここから一気に降ります。

こちらも、修行を行う滝がある修験道コースですが、高尾山の自然路に指定されていないため、かなりガチな登山道になっています。

と言っても、むしろこれくらいが普通の登山道ですので、「レジャー登山」ではなく、ちゃんとした登山をしたければ、こっちのコースから登ったほうが楽しめると思います。

蛇滝コースは人がすれ違えないほどの一般的な登山道が続きます。

それでも距離は短く、30分も歩けば下り切ってしまうお手軽コースです。

ただし、下山した先は圏央道の真下なので、高尾駅まではかなりあります。

ロード歩き(走り)が苦にならなければいいですが、面倒臭ければ1時間に3本(平日は1本)のバスに乗るほうが楽ですね。

高尾山をぶち抜いた圏央道の真下に降りてきます。

今回のコースは、距離にしてだいたい8km程度。時間にすると2時間程度です。

走れば1時間くらいであっという間に終わってしまいそうなお手軽ルートですので、練習には物足りないコースですね。

ただ、今まで使ったことのなかったコースを「下見」できたので、次回はどちらからか高尾山へアクセスして、尾根道を景信、陣馬、さらにその先まで走ってみたいと思います。

Adizero SLを買いました

こんにちは、ランマニアです。

さて今回は、久々にシューズレビューをしたいと思います。

アディダスのシューズレビューでは、昨年3月のAdizero Japan6以来、約1年ぶりとなりますね。

結局このシューズで1年間、4km程度の駅伝からフルマラソンまでオールラウンドにこなしてしまいました。

今回購入したのは、満を持して登場したAdizero SLです。

最近、ジョグ用シューズがほとんど厚底仕様になってしまい、もう少しオーソドックスなジョグ用のシューズが登場しないかな、といろいろ試していた中で、ようやく「これだ」と思えた久々のシューズになります。

先代モデルSL20とだいぶ印象が違いますが、履いてみると確かにSL20の延長線上にあるシューズな気はします。

これまで履いていたのは、コスパ最強のSL20でしたが、今回のSLは一気に値段が上がり定価14000円と、ワンランク上の価格帯となりました。

とはいえ、ようやくAmazonさんで8000円まで値下がりし、購入に至った次第です。

先代のSL20は、破格の6000円台で買えていましたが、実際その安さよりもフルLIGHTSTRIKEのミッドソールの履き心地が気に入っていて、若干薄いソールで足に負担がかかる以外は自分としてはベストの存在でした。

アッパー素材にコストをかけず、ミッドソールの性能を維持していたSL20

ただ、やはりソールの薄さが気になり、足への衝撃を考えるとこれで20kmも30kmもロードを走るのは気が引けていたのも事実です。

できれば、もう少しソールに厚みを持たせて、衝撃を低減させられるモデルが出ないかな、と。

そうした中で登場したのが、LIGHTSTRIKE素材がさらに増した、今回のAdizero SLだったのですね。

ちょっと高いけど、これは買うしかないな、と。

一見オールLIGHTSTRIKEに見えるミッドソールですが、切れ込みの隙間から前足部にLIGTSTRIKE Pro素材が一部確認でき、嵌入されているのがわかります。

実際履いてみると、ソールの厚みは歴然。足裏で感じる地面からの距離はだいぶ離れ、接地時の衝撃もSL20に比べだいぶ軽くなった印象です。

初見ではLIGHTSTRIKEオンリーだと思っていたミッドソールは、実は前足部にわずかにLIGHTSTRIKE Proが嵌入されており、心なしか蹴り出し時に反発が得られている感覚はあります。

ただ、おそらく本当に僅かな量のPro素材だと思われ、同じく前足部にPro素材がふんだんに用いられているAdizero Japanシリーズに比べると反発量は微々たるものです。

JapanシリーズよりもLIGHTSTRIKE素材の厚みが増し、Pro素材も前足部に搭載されたSL。一方Pro素材の量はJapanが圧倒的です。

そうはいっても、確実にJapanよりもクッション性能は優れ、今日30分ほど走った感じでは、十分ロングジョグ(30km程度)にも対応できるソールの厚みでした。

それでいて、重さは27cmで片足248g。

SL20より若干増量しましたが、体感的には全く誤差の範囲。ジョグ用に軽さは求めないのでこれもで十分過ぎる軽さですね。

足裏のラバー部分は、ここのところのAdizeroシリーズ特有のトレッドパターンで、ランマニア自身とても気に入っている独特のグリップ感覚が得られます。

流石にContinental®︎ラバーの採用はありませんが、Japanと同様のトレッドパターンでグリップ力は問題ありません。

アッパー素材は、SL20とはもはや別物で、だいぶコストのかかった作りをしています。

ランマニア自身、アッパー部分にこだわりはないので安っぽいのでも全然構わないのですが、SL20は樹脂が多用されていて靴擦れとかをする人はいたかもしれません。

SL20に比べると明らかに手の込んだ作りとなったアッパー部分。

シュータンも、伝統的な独立形式が採用されています。

レースシューズでよく見る包み込みような一体型シュータンではなく、独立タイプを採用。

こうした、大幅なアップデートが行われた今回のAdizero SLですが、わずか30分のランニングでもその効果のほどは体感できました。

練習のほとんどはジョグであるため、ここをケチるのは本末転倒ですが、今回のシューズは法外に高いわけではなく、それでいて日々のジョグを十分にこなせるだけの性能を兼ね備えた、非常にコスパの良いシューズだったと思います。

大昔、なかなか自分のニーズに合ったマラソンシューズが現れなかった頃、旧Adizero Japan(いわゆるハイレモデル)を10回では済まないほどリピート購入していました。

今回のSLも、それくらい自分の用途にハマるシューズである予感がして、できれば息の長いモデルになることを期待しています。

1月振り返りと奥むさし駅伝出場

こんにちは、ランマニアです。

気がつけば1月も最終週を迎え、今月の練習をまとめる時期となりました。

先月末から、夏に痛めた足底筋膜炎が再発しかけ、今月は新年早々10日ほどのレストを余儀なくされました。

いつもはそこそこ走る年始ですが、今年はその分ウォーキングに当てて練習に変えました。

毎年年始を過ごす松本で、今年は極寒のなかウォーキング(雪中行軍!)

その後、順調に距離を伸ばし、1月の3週目にはLTペース(低下していたので、以前ではマラソンレースペース)で1.6kmを3本ほど走れるほどには戻ってきました。

ただ、まだ遠慮なく接地し、足裏の筋を使ってはずむように走るのは怖いので、ジョグの延長のようなフォームで走るのが精一杯な状態です。

そんな中で今日(29日)予定されていた奥むさし駅伝も、正直レースペースで走って痛みが再発するのではないかと、かなり不安感を残しながらのレースとなりました。

4年ぶりに開催された奥むさし駅伝

この奥むさし駅伝、実は数年間の休止期間を経て再開された、実はかなり歴史のある駅伝です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/奥むさし駅伝競走大会

2003年に再開される以前の旧「奥武蔵駅伝競走大会」は、第1回大会が1952年と古く、第1回大会の高校の部優勝校は、実は母校だったりします。

ランマニアが高校時代も、全国高校駅伝の県予選と並んでチームを挙げて取り組む割と重要な駅伝として位置付けられていました。

埼玉県内の高校生にとっては、大きなレースだったのですね。

そのころの奥武蔵駅伝は、全国高校駅伝出場校や箱根駅伝出場大学が複数出場し、さらには県内の強豪実業団チームも多数出場するかなりの名物駅伝でして、さしずめ駅伝版天皇杯のような様相を呈していました。

そんな、ランマニアにとっては思い出深いこの奥武蔵駅伝が、国道の開通に伴い1999年に一旦廃止(休止)されます。

しかし、折しも駅伝ブームに後押しされ、2003年に「奥むさし駅伝」として復活を遂げ今に至るのですね。

出場チームは、この20年間一度も変更していません。

大学時代の陸上部のメンバーで、途中からそのお子さんが参加するようにはなりましたが、基本は不変のメンバー構成です。

なので、メンバーの年齢も、48、23、49、48、51、48と、とんでもないことになっています。

もう大学時代から30年の付き合いになりますね。

そんな我がチームですが、4年前の19回大会まで、実は一度の繰り上げスタートも味わっていません。

割と厳し目の設定である奥むさしの繰り上げ基準ですが、毎年どうにか回避できていたのですね。

しかし、今回、ついに5区から6区への関門で初の繰り上げを経験することになりました。

まあ、この年齢集団でよくここまでやってきたなと思います。

ついに(繰)の記載がついてしまった、今年の奥むさし駅伝。

個人的には、とにかく故障を再発させないことが最優先課題で、走行後も痛みが出なかったのは安心しました。

今月の練習がしょぼすぎる中で、LT近いペースで10km走るのはかなり無謀な行為でしたが、最後までキロ3分30秒台後半のペースを維持しつつ、足を痛めることなく終えらたのは結果オーライでした。(本当はそれではいけないのですが)

今回、年始のウォーキングも練習距離として計上しました。

今月はウォーキングを入れた結果走行距離はそれほど落ちなかったのですが、一旦戻しかけたLT能力はまた元に戻ってしまいました。

特に、駅伝のような距離を全開で走るにはVO2Maxもそこそこ戻しておかなければ、「エンジンの回転数」が頭打ちになってしまうような感覚があるので、脚に余裕があるのにペースが上がらない、というもどかしい状態が続きます。

今日の駅伝もそうでしたね。

今日の駅伝でだいぶLT域に刺激は入れられましたが、もう少しじっくりトレーニングを積み上げたいところです。

実は、来週も同じ10km程度の駅伝に出るのですが、今回入った刺激がどの程度効果を上げるか試したいところです。

今回はキロ3分40秒弱のペースでも結構息が上がってしまったので、次回はキロ3分35秒台をある程度余裕を持って走れればと思います。

3月にフルを予定している中で、この走行距離はいかんですね。

2月は最終週に「ふかやシティハーフ」という、かなり狙っているレースがあります。

12月の所沢シティマラソンのような「練習」ではなく、そこそこの本番仕様で走ろうと思っているため、今日と来週の駅伝は、ある意味LT強化の位置付けです。

絶対的な走行距離は足りていませんが、その中でハーフをどこまで走れるか試してみたい気がしています。

それには兎にも角にも「故障をしない」というのが最低限の条件になります。

2月は継続した練習が鍵となりそうですね。

12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は第一週にハーフに出場した以降はレースもなく、久々に練習に集中しようと考えていた一月でした。

ところが、ハーフマラソンは前半を抑えて入ったことで、比較的終盤まで体力が持ってしまい、思いのほか体力を使い切ってしまう走りになりました。

レースは上手く走れた方がダメージも大きく、その後の疲労も抜けにくくなる傾向がありますね。

数年ぶりに出場したハーフマラソン。思いのほか、出しきれてしまいました。

今月は週末ごとにLTペースの練習と、ロングジョグを取り入れようと思っていたのですが、ハーフの疲労が思ったよりも抜けず、翌週はロングジョグのみ、2週後にようやくLTクルーズインターバルと25kmのジョグを取り入れるのがやっとでした。

3週後は疲労がぶり返し、土曜のLT走はDNFで、翌日30kmのジョグを取り入れるのがやっとでした。

ダニエルズのTペースは、ランマニア的にはLT2相当で換算しているため、現時点では大体3’30”/km程度のペースでの練習となります。

そして、やはりハーフを走ったあとのダメージは大きかったようで、その後のLT走や、ロングジョグを継続しているうちに、9月まで発症していた足底筋膜炎が若干ぶり返し気味になってしまいました。

あの時ほどひどくはないものの、チクッとする特有の痛みが現れたのと、ジョグでもそれが軽快していかない様子から、このまま続けると再び悪化して数ヶ月コースになってしまう予感がしました。

なので、本来もう少し距離を伸ばしたかったのですが、今月終盤は芝生で60分程度のジョグを繰り返すだけとなり、月間としては300kmをわずかに超えるにとどまりました。

30日間で僅かに300kmを超える程度にとどまりました。

また、今月の目的であったLTペースでまとまった距離を走る、と言うのも、ハーフマラソンが大体それに近かった以外では、一度の練習機会にとどまってしまいました。

LT走の練習は、もう一回くらいは入れておきたかったところです、

とはいえ、ここ数ヶ月ではかなりロードの練習ができ、レースとはいえ、LT近いペースで一定時間走り続けることができました。

ここまでまとまったロードの練習も久しぶりで、いわゆる「陸上競技」として長距離・マラソンのための脚仕様に徐々に変わってきた印象です。

ただ、今の足底筋膜炎の状態だと、少しまとまって休まなければいつぶり返してもおかしくない状態なので、最低1週間、状態によっては2週間は休まなければならない感じです。

来週もLT走の一環でハーフに出る予定でしたが、今回は回避して治療に専念したいと思います。

2022年を振り返ると、今年は生活も変わり、故障も繰り返して、競技の方が低調に終わった1年になりましたね。

年齢的にも疲労やダメージからの回復が、かなり遅くなってきている印象を受け、色々と転換期にきている気もしています。

これまでと同じような練習を続ければ、故障もしやすく、疲労からの回復も遅れてきそうな予感がしています。

今回のように、故障のわずかな予兆を見逃さずに、一旦休みを取り入れるという柔軟な対応も必要になると考えられます、

数ヶ月の離脱になるよりは、1週間、2週間程度のブランクなら大したことはなく、むしろいい休養になる、くらいの心理的な余裕が必要なんだろうな、と思います。

来年は、1年を通して安定して練習を継続し、レースが少しでも楽しめるような状態を維持していこうと思います。

所沢シティマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

今日は地元所沢で3年ぶりに開催された所沢シティマラソンに出場してきました。

このレースは地元ということもあり、実は初出場は今から29年前の大学1年の頃に遡ります。

当時はまだ20kmの部門で、コースもしっかりと「シティ(市街地)」を走る、なかなか魅力的なロードレースでした。

おそらく、本レースが企画された時点では、市内の要所を巡るかなり壮大な計画のもとに設定されたコースであったことが想像でき、折り返し地点は市役所で、郊外の大通りや国道の一部もコースになっていたほどでした。

ところが、この本格的ロードレースが時を経るごとに次第に様変わりし、コースも徐々に市の中心部を離れ、最終的には未舗装路やトレイル並みの急坂を繰り返し上り下りさせられる、「キワモノレース」となってしまったことは、正直残念なところです。

大会PRに「起伏に富んだタフなコース」と明記される累積標高差約300mのハーフマラソン。もちろん非公認。

所沢市は、西の外れにいくつもの丘陵地帯が広がり、平坦な道を数百mも取れないほど坂が多い地域なのですね。

そこを中心に21kmもコースを作ろうとすれば、それはそれはとんでもコースになるのは必至で。

今日も走っていて、平坦路が最も長く続いたのは貯水池の堤防上の道で、おそらく500mあるかないかといった感じでした。

他は、通常のロードレースで「アップダウン」と呼べるほどの起伏は数えきれないほどあり、緩やかな上り坂(下り坂)はどこへ行っても存在し、ロードレースでは絶対にありえないほどの急坂が2度ほどありました。

いってみれば、それを覚悟して出場するのがこの所沢シティマラソンであるため、今日もそうしたコースでどこまでペースを維持するかが、常に課題となるレース展開となったわけです。

本大会唯一の魅力は、プロ野球埼玉西武ライオンズの本拠地、ベルーナドームに立ち入れること、くらいでしょうか。

昨日のブログにも書きましたが、今日のレースはとにかくLT域に刺激を入れるためのトレーニング的要素の強いレースです。

系統立てて練習を積んできていませんので、ここで結果を出そうなどというつもりはなく、イーブンペースをある程度の余力を残して維持できればそれでよし、なレースにするつもりでした。

ところが、スタートしてすぐにどうにも体が(特に脚が)重く、数km走って温まればそれも改善するかと思いきや、結局常に脚の動きにキレがなく、おもりを履いて走っているような感覚がずっと付き纏いました。

アップの時など、一定のバネはあり、軽快にWSも走れる一方、LT域のようなある程度の強度を維持しようとすると、すぐにかったるくなってしまうこの状態は、やはり蓄積された疲労が抜けきれていない時によく体感される症状です。

とはいえ、走り出してしまえば、周囲のランナーのペースに乗っかり、強度的に無理のないペースであればそこに身を置いて走り続けてしまうのが、レースというものでしょう。

ただ、疲労もさることながら、数百m走れば緩急問わず必ずやってくる上り下りの繰り返しに、どうしても呼吸が整わず、何km走っても同じようなキツさを強いられながら走ることになってしまいました。

また、スタート前に時計のバッテリーが死んでしまい、細かなラップもわからず、自分が今どの程度のペースで走っているかが全くわからない状態。

脚の重さのためか、体感的には1km4分近くかかっていそうな気もしていて、レース中一度も気持ちよく走れた時間はなかったほどです。

そんな中で、前のランナーを常に追いながらペースを作り、後半に待ち受けている数度の急坂も死ぬほどのキツさで上りきり、ラスト3kmでようやく訪れた平坦路で若干走りが整ったかな、という感覚が得られました。

ただ、その頃にはもうほぼ脚は終わっていて、最後に待ち受けているラスト1kmの登り坂では完全に止まってしまったのは残念でした。

過去のハーフでの最高順位は30代の頃に一度5位というのがありました。だいぶ歳をとりました。

ところが、フィニッシュタイムを見たら思いの外悪いタイムではなく、このコースでは相当な走力がなければ15分台は難しい(年代別優勝者が15分35秒)ことを考えると、今回のタイムは想定以上に走れた結果になったと思いました。

ペースも平均すると1km3分40秒ですから、ちょうど今の実力のLT2くらいは維持できたことになり、練習としてはかなり良い刺激を入れられたと感じます。

調子はあまり良くないながらも、今日のレースで目標にしていたペースは維持でき、練習としての負荷もちょうどよくかけることができ、年代別入賞のおまけまでついてきた収穫のあるレースとなりました。

そして2022年のレースはこれで最後になり、故障期間の続いた今年の最後にどうにかロードレースをまともに走ることができ、なんとか立て直すことができたかな、といった印象です。

この次は1月にまたハーフマラソンを予定していて、その後は駅伝が続き、もう一度本命のハーフ、そして3月に本命のフルマラソンが計画されています。

ハーフはそのペースと長さから、最も故障の危険が高まりますので、その間にちょくちょく入ってくる駅伝のダメージやレース当日の脚の状態を常に気にしながら、慎重に練習を続けて行かなければと思っています。

11月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

少し遅れましたが、11月の振り返りです。

先月はなんといっても数年ぶりのフルマラソン完走と、その翌週のスカイレースがあり、疲労との兼ね合いで、練習量自体はかなり低下した月となりました。

一度フルを完走すると、どうしてもリカバリーの期間が長くなります

10月が故障明けのの割に無理をしてしまったため、ある意味11月はそれほど無理をしたくなったというのもあります。

フルは自己ベストに比べればだいぶ遅く、サブスリーがやっとの走りでしたが、それでもLT1程度の強度で30kmは走っているので、脚や体へのダメージは相当なものがあったと思います。

本当は翌週レースというのはかなりリスクの高いスケジュールでしたが、負荷のかかる場所の違うトレイルということもあって、どうにか無事に両レースを終えることができました。

ただ、そのあとは3日休んだものの、体のだるさや日中の眠気などはしばらく続き、先週あたりからようやく体の調子が戻ってきた印象です。

総走行距離が少ない中でその5分の1がMペースというのはやや負荷の掛け方にリスクがありました。

故障が明けたのがトレイルシーズン真っ只中だったこともあり、本来もう少し基礎的な脚力を戻してからレースに復帰すべきでしたが、半ば強引にレースを重ねてしまったため、総力が戻らぬまま疲労だけが溜まっていく状態が続きました。

予定では11月が終わった時点で、ある程度の脚作りが終わっている予定でしたが、疲労で練習が積めず、思ったよりも走力が戻らぬまま12月を迎えてしまいました。

11月は211km程度。12月はもう少し距離を重ねたいところです。

今月は、明日4日にまずは所沢シティマラソン(ハーフ)があります。

今回もレースでありながら、公認でもなく記録も狙えないコースでもあり、練習のつもりで走るレースになります。

絶対的な練習のボリュームが足りていないため、この状態であまり速いペースで20kmも走るのもリスクが高いので、明日は3’40”~50”程度のペースを一定距離守れればいいかな、と思っています。

10月、11月と、トレイルやフルを走る中で、割と幅広い強度のトレーニングが行えているので、一度落ちた力も幅広く戻りつつありますが、絶対的な持久的能力はまだまだ本来の力の1段階か2段階ほど下のような感覚です。

ピラミッドで言うと最下層の最も重要な基礎が十分できていない状態ですね。

12月、1月とちょくちょくレースは入りますが、高強度の練習はレースのみにして、他はできるだけ強度低め、時間長めを意識していこうと思います。

SJS年間順位が確定しました

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週のびわ湖バレイスカイランを持って、今シーズンのスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)も閉幕しました。

昨シーズンから本格的に「コンバインド」(VKとSKYを連日で走る)に挑戦し、年間を通して両種目でのポイント獲得を目指してきました。

昨シーズンは、後半戦、就職活動のためVKのみの出走になり、それが結果的に好結果につながり、VKの年間順位で総合10位、40代では6位に入ることができました。

https://drive.google.com/file/d/125RqF5fi4ZfvBMJSGTZo_7jBcwTiva8D/view?usp=drivesdk

最終戦のびわ湖がポイント2倍になることもあり、そこで一桁順位で走れたのが大きかったです。

昨年の経験から、今年こそ全5戦のコンバインドを達成し、VK、SKYの両種目で総合順位を狙いたいところでした。

ところが、5月の上田の開幕戦から体調管理に失敗し、VKの無得点、SKYの途中棄権という予想外の開幕となってしまいました。

あまりにも体調が悪すぎた今年の上田

しかし、そこから新しい仕事、新しい職場においてどう練習を組み込むかを模索した結果、通勤と週末を利用したトレーニングパターンがある程度かたまり、6月の東京バーティカルでは久々に会心の走りをすることができました。

何度も試走を行った東京バーティカルでは、ペース配分がガッチリはまったレースとなりました

一桁順位こそ逃しましたが、毎回どうしても勝つことのできなかった同世代の最強バーティカルランナーに僅差で先着することもでき、かなり嬉しかったのを覚えています。

ところが、このレースの前後に痛みが出始めていた、足底筋膜炎の症状がここから悪化の一途を辿ることになります。

この時は数週間で回復すると楽観的になっていましたが、結果的に今シーズンを大きく左右する大きな故障となってしまいました。

数日休んでは練習を再開し、痛みがひいたと思えばまた悪化させを繰り返し、誤魔化しながら出走したのが、東京バーティカルと対になるSKYの関東シリーズである嬬恋スカイランでした。

予想だにしなかった難コースに打ちのめされた嬬恋スカイラン

レース当日は調子も良く、中盤まではかなり良い順位で戦えていましたが、終盤補給を怠ったためか急激な体調悪化に見舞われ、大きく順位を落とすことになりました。

最終盤に待っていた登り区間で終戦となってしまいました。

そして、このレース以降、足底筋膜炎の痛みに悩まされることになります。

まず、最も楽しみにしていた富士登山競走のDNS。

八月も全く走れず、9月の蔵王にも結局間に合わず、こちらもDNS。

この時点で、まだ足に痛みが残っていたため、正直今シーズンはもう終わったと思っていました。

9月の下旬あたりから数kmずつ走り始め、10月の半ばでもまだ10km走るのがやっとの状態でした。

そんな中で、久々のレースとなった志賀高原エクストリームトレイルに出場しました。

トレイル練のつもりで出走したエクストリームトレイルでしたが、まさかのセカンドベスト

当初は、11月のびわ湖バレイに向けてのトレイル練再開のつもりで走る予定だったエクストリームトレイルでしたが、序盤から控えめに入ったことで、予想外の好走となりました。

久しぶりにトレイルを走ったため、脚へのダメージはそれなりにありましたが、序盤を抑えてゆっくりと走り切ったためか、思ったよりも疲労は残らず、翌週の烏帽子スカイランはどうにか最低限走れる状態では臨むことができました。

両レースとも、大した走りはできませんでしたが運よく14位に入ることができました。

VKでは、自身の力を過信し、前半から突っ込んでしまった結果、終盤は見るも無惨な走りとなりましたが、出場選手の関係でどうにか14位に入り、久々にポイント獲得となりました。

SKYも、マイペースを貫き、後半のロード区間も無難に走った結果、こちらも14位でポイント獲得。

シリーズ戦最終盤で、残すはポイントが2倍になるびわ湖を残すだけとなりました。

ところで、今シーズンは例年毎年のように参加していたつくばマラソンが再開され、そちらにもエントリーしていたのですね。

ここは、びわ湖に備えてロングジョグのつもりで走るつもりでしたが、走ったところで調子に乗ってしまい、結果的に後半の20kmはキロ4分の距離走を行うことになりました。

まあ、当然疲労は一気に溜まりましたね。

中盤以降、気持ちよくロードを快走してしまった5年ぶりのつくばマラソン

そして迎えた最終戦。

先日報告した通り、まさかの4レース連続14位というギネス並の結果で今シーズンのスカイレースを終えることになりました。

びわ湖テラスの景色は最高でした

そして、最終戦の結果を待って、SJSの総合順位も決定しました。

https://drive.google.com/file/d/1nk2XIUuAUYd9KKpV30_9KOQjce2Sssam/view?usp=drivesdk

VK部門は総合20位。年代別は今年から5歳ごとに細分化されたため、M45で2位という結果となりました。

40代の強豪ランナーたちと別カテゴリーになったおかげで、部門別2位になれたのは正直嬉しかったですね。

https://drive.google.com/file/d/1nrFrSvkPq4U31igYlTRLGy9q-cswAJJD/view?usp=drivesdk

SKY部門は総合25位。年代別は、こちらもM45になったことで3位というありがたい順位をもらえました。

こうして、故障やら不調やらでポイントすらつかないかと思われた今年のシリーズも、どうにか最低限の結果を残して終えることができました。

ただ、今年のシリーズ通して言えることですが、今回はどのレースも出場選手が若干寂しい感じはしました。

以前は、ワールドクラスで活躍している「あの」男性選手や、VKでは圧倒的な強さを誇っている「あの」女性選手もシリーズ通して出場していたSJSでしたが、いつしか彼らの主戦場が別の場所になっていったように思います。

それは、ここ数年トップクラスの選手がSJSから流出していってしまっているなぁと、薄々感じてはいました。

昨年度鮮烈デビューを果たした「あの」ユーチューバーさんも、今年は別のところで活躍されましたし。

確かに、あるところでトップを極めると、もうそこには留まりたくない気持ちはあるのでしょう。

このSJSは一つの到達点、通過点なのかもしれません。

そういう意味では、ここは若手の登竜門的な存在であり、これからもどんどん新しい若い選手が挑戦する場になっていくのかもしれません。

それは、自分たちのようにトップクラスではない平凡ランナーにとってはそこそこの順位争いができる、楽しいシリーズになることは間違い無いのですが、一方で、真の一流選手がチャレンジし続ける「挑み続ける価値あるレース」とはなっていない気もして、そのあたりに寂しさは感じるのですね。

ランマニア的には、まだまだここでチャレンジしたい気持ち満々ですし、シニアの部で世界選手権を目指したいなんて割と真面目に考えたりもしています。

来年度は、上位を独占している40代集団をもっともっと脅かす、若い選手たちがたくさん参加してくれることを期待しています。

びわ湖バレイスカイランに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

つくばマラソンから中5日。

初めてフルマラソンを完走した翌週にトレイルレースに参加することになりました。

フルのダメージは、自分で感じている以上に体内の様々な部分に残っているため、今回フルから中5日でトレイルを走るにあたっては、疲労の状態や脚のダメージに対し、いつも以上に注意を払って1週間を過ごしました。

つくばマラソンでは、ネガティブスプリットの走りによって完全に脚を使い切ってしまったため、びわ湖バレイは想定外の疲労状態で出場することになってしまいました。

キロ4分30秒でジョグのつもりが、後半はキロ4で20kmペース走となってしまったつくばマラソン

10月に練習を再開した当初は、つくばのフルはジョグ程度にとどめ、びわ湖で出し切る予定でいたのですね。

ところが、結果的につくばで出し切った形となり、今回のびわ湖は疲労を抱えた中で、どこまで勝負できるか、ある意味消耗戦のような様相を呈したレースとなりました。

初日のバーティカルは天気は快晴。フィニッシュ地点の打見山山頂、そして翌日の折り返し点蓬莱山山頂もくっきり。

今回、2日目のスカイレースは、悪天候プランに変更となり、コースはバーティカルのフィニッシュ地点である打見山山頂からさらに2kmほど、累積標高で300mほど進んだ蓬莱山を折り返すショート部門と同様となりました。

結果的には、この変更が自分にとって幸いし、2日目のスカイレースもどうにか勝負になるレース展開に持ち込むことができたのでした。

バーティカルのフィニッシュ地点から、スカイレースの折り返し地点蓬莱山頂が見渡せます。

初日のバーティカルは、4.5kmという距離に惑わされず、累積では900mも登るコースであることを念頭に、序盤から抑え気味で入りました。

昨年は、調子が良かったこともあり、序盤から相当に追い込み、累積300m手前ですでにオールアウト気味になった苦い失敗があります。

4.5kmという響きに頭が勘違いをし、まるで1500mレースさながらの追い込み方で坂を登り続け、早々にオールアウトした2021年大会

今回は、練習も詰めておらず、さらにはフルの疲労が相当に残っていたことから、とにかく終盤の急登に脚を温存するプランで臨みました。

案の定、序盤は最下位近くまで遅れを取り、流石に焦りましたが、思ったよりも長丁場になるこのコースの特性上、勝負は終盤になると踏んで、焦らず自分のキツさにだけ注意を集中しました。

ところが、それでもフルの疲労が常に付き纏い、途中に歩きを入れるくらいのスローペースでさえ、やめてしまいたいほどのしんどさに襲われました。

いつもは先行されることのないランナーにも遅れをとり、今回は流石にもうだめかな、と思っていたところ、後半、一旦勾配がゆるくなる区間で休めたことがきっかけで、もう一度脚が動くようになりました。

この現象は、翌日のスカイレースでも同じように現れました。

累積200mを切ったあたりで、もう脚は完全に止まっていましたが、バーティカルの場合、最後はたいてい我慢を効かせて踏ん張るしかないので、少しでも動くなら出し惜しみせず動かし続けたほうがどうにかなってしまいます。

フィニッシュタイムは、昨年よりも2分遅れでしたが、この疲労状態の中では割と走れた方だと、手応えは感じました。

VO2 Maxが相当に衰えている中で、巡行ペースは確実に落ち込んでいますが、最後までおおかたイーブンペースを維持できたのは、10月以降のレースの中で徐々に有酸素機能が回復してきた証拠かもしれません。

初日のバーティカルは42分47秒の14位。昨年の一桁順位はできすぎなので、これでも満足です。

さて、翌日のスカイレースも、ショートコースへの変更に伴い、走るコースはほとんどが同じ場所です。

序盤は、前日のバーティカルをそのままなぞります。

2日目は、前日に比べてさらに疲労状況が悪化しており、もう始めのゆるい登り坂でさえ走るのがかったるくて仕方がない状態でした。

累積500mすぎで、今日はもうやめてしまおうかと思うほどのだるさを感じていました。

さらに、いつもなら先着できる50代のランナーたちもずっと前を走っていて、自分のペースが相当に遅いことにも気づいていました。

ただ、そんなことを考えていても、動かないものは動かず、ただただ目の前の坂を、脚を使いすぎないように登ることだけを考えて、淡々と脚を動かすだけでした。

2日目は雨さえ降らなかったものの、山頂付近は猛烈な強風が吹き荒れ、一気に体温が奪われる状況でした。

それでも一つ目のピーク打見山山頂に到達し、そこから一度ゲレンデの急斜面を一気にダウンヒルする区間で、強制的に脚を動かされました。

なんともいえない脚のだるさによって、急降下するスピードに脚の回転がついていけず、何度も大転倒するのではないかとヒヤヒヤしながら坂を下り続けました。

下り切ると、折り返し地点の蓬莱山に向けて一気に標高差100m以上の急斜面を駆け上がります。

この区間を頭に入れていたため、思いの外ここでは脚が動き、ようやく前を行くランナーたちに一人ずつ追いつくことができました。

この区間で、最終的には折り返しまでに4〜5人順位を上げ、脚を残した状態で後半戦に突入しました。

遥か彼方に見えるリフトの終点あたりが折り返し地点。

折り返してすぐに、ゲレンデの急降下が待っています。

いつもは苦手なゲレンデ下りですが、登りで温存したせいか、この日は割とスムーズに脚が前へ前へと出て、軽やかにスピードに乗ることができました。

最後に900m一気下りが待っているため、ここでも使い切ることは許されませんが、それでも楽にスピードを出すことができ、行きに下ったゲレンデの最後の登りもどうにか脚を止めずに登り切ることができました。

そして最後は、バーティカルの逆コースです。

テクニカルな岩場が続く、スカイレースならではの下り区間ですが、ここでも脚がしっかりと動き、脚が止まった時に感じるような恐怖を感じることなく、軽快にトレイルを飛ばすことができました。

序盤に感じていた疲労感が嘘のように、割と元気に最後まで走り切ることができました。

実際、脚の疲労はかなり残っていたのでしょうが、体感的な疲労感は一時的に麻痺していたのでしょう。

スカイレースの最終順位も、前日のバーティカルと同様14位。

ロングバージョンであれば、2度目の蓬莱山登山を、おそらくこなすことができずにDNFしてたであろうスカイレースでしたが、ショートになったことが自分には幸運でした。

気づけば今シーズンのジャパンシリーズも終了。例年になくあっという間にシーズンが過ぎてしまいました。

さて、こうして今シーズンのジャパンシリーズも幕を閉じました。

春から色々なことがあり、一時は終盤戦まで勝負にならないのではないかと危惧された、今シーズンのスカイランニングでしたが、終わってみれば8レースに参加することができました。

シーズン全体の総括は、次回に回したいと思います。

びわ湖スカイランの最大の魅力はなんといっても山頂からの絶景です。これのために、単発で出場するのもありだと思います。

つくばマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

昨日は5年ぶりにつくばマラソンを走ってきました。

5年前は、ちょうど東京マラソンでフルのPBを出した年で、この時も今年と同じ故障明けで練習がままならず、友人のペースメーカーに徹し、サブ3ペースのイーブンペースを維持したレースとなりました。

今回は、その時よりもさらに練習はできていない状態で、そもそもフルのレースを走って良い状態かも微妙な状況でした。

まず、本格的に練習を再開したのが10月になってからで、練習期間としては、延べ一月半ほど。

日々の練習は平均すると10km程度。走行時間は60分。

最大の走行距離は、トレイルを除くと20kmが最長という状態でした。

練習を再開してレースを迎えるまでのトータルの走行距離は、おそらく400kmを超えるか超えない程度。

10月はトレイル以外はただのジョグのみ、300km程度の走行距離でした。

こんな状況でしたから、もう今回のつくばは一定のペースで長い距離を走り切る「距離走」の扱いで十分だと考えたわけです。

そもそも42kmである必要もなく、キロ4分半で30kmも走れればトレーニングとしてはもう十分だったのですね。

なので、スタート前から気分的には楽なものでした。

アップもしないし、初めの10kmくらいまではのんびり走って終盤に備えれば良い、というゆったりとした気持ちで。

想定通り、スタートして10kmまでは、本当にただのジョグで、脚が動くままにただ走るだけ、といった感じです。

ノーアップでしたから、5kmまではなんとなく脚が重く、10kmくらいでようやく自然に脚が前へ前へ動いていく状態になりました。

ペースとしては、意識をしなくても1kmあたり4分20秒〜25秒くらいを維持できました。

10kmを過ぎたあたりでの脚の状態、体のしんどさから、今日はまずまず調子がよさそうだということにも気づき、ハーフまではしっかりこのペースを維持した後は、脚の状態次第でペースアップを検討しても良いかな、と思い始めました。

ところが、あまりにも脚が良く動くので、中間点まで我慢できず、20km手前あたりから徐々にペースが上がり始めました。

中間点までは我慢に我慢を続けて1km4分25秒ペースを維持。
中間点を通過したところから、スイッチを切り替えました。

それでも、中間点を過ぎたあたりで、ちょうど目指していた1km4分10秒台ペースを維持できそうなペーサーが追い抜いていき、そのランナーについていくことにしました。

この人のペースがドンピシャハマってしまい、25kmまでは自分で意識しなくてもペースを上げることができラッキーでした。

30kmすぎでもう一度ペースアップし、サブスリーを狙おうかと思っていたところ、やはり、気が急いてしまい、30km手前あたりから再び徐々にペースが上がり始めてしまいました。

ついていたペーサーも離れてしまい、30kmすぎからいよいよ一人旅が始まりました。

ちょっと早いかな、と思ったものの、もうこのペースでいくしかないと覚悟を決め、1km4分一桁台を維持することにしました。

ラスト10km。

まだ残りは長いな、と思いつつも、このペースを維持するだけを考え、とにかく「精神的に無理をしない」ことを心がけ、あくまでジョグの延長の意識でペースを維持。

それでも、流石に37kmすぎで脚の動きが鈍くなり、倦怠感との戦いになりました。

それまでの努力度とは明らかに様子が変わり、「精神的に無理」をしながらペースを維持し続けました。

完全に脚は止まっていましたが、サブ3というニンジンがぶら下がっている状態では、かなりメンタルの力で苦痛を抑え込むことができました。

1km毎のキロ表示を通過するたびに時計を確認すると、このペースを維持すれさえすればサブ3は確実だな、という状態になっていました。

40km通過。

フルを走った人なら誰でも知ってますが、ラスト2kmというのは本当にきつい瞬間です。

たった2kmがなぜあれほどきついのか。

まあ、体は40kmの時点で既に終わってるんですね。最後の2kmはほぼメンタルの力で無理やり走っている状態です。

そして迎えたつくばマラソン名物、最後の跨道橋。

ラスト1kmで登場するまさしく「ラスボス」。

たった数十mなのに、この坂が登れない。脚が止まる。そんな急坂です。

しかし、今年はこの坂の手前に大きなサプライズが用意されていました。

ランマニアがフルマラソンを始めた今から10年以上前から、つくばマラソンを含む茨城県のマラソン大会には必ず登場していた、あの「ロッキーおじさん」が、まさかの復活を遂げていたのです。

メディアでも取り上げられていた、一度は「引退」を表明していたロッキーおじさん。

41km、しかもラスボスの手前。

復活して登場するタイミングとしては、もうこれ以上ない条件の場所でした。

ここで元気をもらい、いよいよラスト1km。

もう全く動かない脚も、サブ3の目標を目前にすれば、なんとしても動かさねばならず、残りの距離が短くなればなるほど辛くなる体と闘いながら、どうにか競技場に帰還。

5年ぶりのフルマラソン完走。5年ぶりのサブスリーの喜びを噛み締めようと、最後のゲートが見えたその瞬間。

設置されていた大型デジタル時計の数字は、

3:00:00

え?

一瞬何が起こったのかわからず、考える気力もなく、うっすらと頭に浮かんだのは

「そういえば、スタート地点を通過するまで、タイムロスがあったっけ・・・」

という3時間前の記憶。

1km毎にチェックしてきたサブ3ペースは、完全に「ネットタイム」のそれだったのですね。

フィニッシュ後、がっかりはしたものの、ただ「騙されて」いなければ終盤ここまでペースを維持できなかったことを考えれば、まあ「嘘も方便」だったわけで、ポジティブに考えました。

こうして5年ぶりのつくばマラソンは幕を閉じましたが、個人的にはかなり収穫の多いマラソンレースとなりました。

・4月に長野マラソンを棄権して以来失っていたロードレースへの自信を取り戻せた

・最低限の練習でもサブスリー(ネット)を達成することができた

・「完全ネガティブスプリット」でフルを走り切ることができた

・現在の実力に合わせたペース設定で走ることで、フルでもその時点の実力を発揮できることに気づけた

などです。

最近は、トレイルがメインとなっていて、もうロードレースは楽しめないのかもしれない、と弱気になっていました。

そんな中で、今回のフル完走は、もう一度ロードレースでも勝負してみたいと、かつてフルマラソンでベスト記録を出すことに全力を注いできた頃の気持ちを、再び思い出させるレースとなったことは間違いありませんね。

烏帽子スカイラン SKYエリートに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて今回は、烏帽子スカイランの「SKY」部門のレースレビューです。

「SKY」部門は、JSA的にはいわゆる「スカイレース」の部門で、累積標高差がだいたい1000m〜3000m、移動距離が30km程度までの山岳レースを指します。

今回の烏帽子は、移動距離25km、累積標高差1550mという、SJSの中ではおそらく最も「走りやすい」スカイレースの部類に入ります。

個人的に最難関は、上田バーティカルレースにおけるスカイレース(塩尻コース)で、こちらは移動距離は25kmと変わらないものの、累積標高差はなんと3000m。

通常のランナー感覚からすると、「なんだ距離は変わらないじゃないか」と思われるかもしれませんが、同じ移動距離で累積標高差が倍近くあることに注目です。

スカイレース(バーティカルもですが)では、移動距離に対する累積標高差の比率がかなり重要でして、1kmあたり100mの獲得標高をはるかに上回る上田のコースは、それだけ急峻なコース設定がなされていることを意味します。

一昨年の塩尻コースは、出走3回のうち唯一まともに走り切れたレース。それほど攻略が難しい上田の塩尻コース。

こうしたスカイランニングの特徴を考えると、先日の烏帽子はかなり楽に走れる部類に入り、レース時間も2時間から3時間に収まる程度の、高速コースとなっています。

この烏帽子スカイレースの最大の特徴は、なんといっても、後半に相当な距離の「ロード区間」が待っていることですね。

通常、スカイレースでは一般的なトレイルランニングに比べて、林道やロード区間、あるいは快適に走れる平坦区間が限りなく少ないのが特徴ですが、この烏帽子に限っては、終盤はあたかもロードレースさながらの展開が待ち受けています。

一昨年は、そのあまりにも長いロード区間で完全にやられてしまい、序盤の烏帽子岳を登った爽快な気分が、ゴールではすっかり消えてしまったのを覚えています。

烏帽子岳登山を終えた後の下りで、若者ランナーに激ぬかれした一昨年の烏帽子スカイレース。

そんな苦い経験のある烏帽子スカイレースであったため、今回はある対策をしてみました。

それは、思い切ってロードシューズで走ってみよう、ということでした。

前半の烏帽子岳登山を含むトレイル区間は、総距離の約半分、12km程度です。

しかも、ほとんどが落ち葉が堆積した非常に走りやすい足場で、硬い岩場が現れるのは、山頂付近にとどまり、あとはトレイルシューズでなくとも思い切り着地のできるサーフェスが続きます。

前半、烏帽子岳までの登り区間はこのような快適なトレイルが続きます。これほど足場が整っているスカイレースも珍しいです。

一方、トレイル区間が終わった先は、2〜3km続く砂利道の林道区間、そしてその後はほぼ全てがロード区間となります。

つまり、走る距離の半分、時間にしても半分以上は砂利&ロードなのですね。

しかも、その後半の一般道区間はほとんどが下りで、足へのダメージもかなりのものがあります。

山頂から下ってくる急坂下りでやられた脚にとって、その後10km以上続く一般道は相当なダメージが上乗せされる嫌な区間です。

なので、一昨年はクッション性の低いトレイルシューズが終盤あだとなり、せっかくの高速区間がただのジョギングと化してしまったのでした。

唯一トレイルシューズの恩恵が受けられるのは、この山頂付近の岩場くらい。

果たして今回、この作戦はかなり功を奏しました。

序盤の烏帽子岳登山で、相当にペースを抑えたというのもありますが、山頂を過ぎてからの激坂下りも、足場の悪い林道区間も、全く恐怖はなく、思い切り膝下を前に出して豪快に飛ばすことができました。

もしかすると、スカイレースの下り区間で、ここまでぶっ飛ばしたのも初めてだったかもしれません。

それほど脚の動きも良く、また、着地の恐怖も軽減されていました。

そして、問題のロード区間についても、一昨年のようなジョギング大会ではなく、明らかに「レースしてるぞ」といったイメージで、現在のLT付近のペースを維持できていた印象です。

ただ、今回唯一失敗したのは、このロード区間で地味に繰り返されるアップダウンによって、思いの外脚を使わされてしまい、最終盤の「山登り」で脚が終わってしまったことでした。

せっかく、下り区間まで脚を取っておいたのに、これは非常にもったいなかったです。

スカイレースにありがちな、最終盤の登り区間。

このコースにも、最後の最後に3つの急登が用意されているのです。

禰津(ねつ)城。

お姫様の巨石。

そして、フィニッシュ地点に向かう最後の石段。

この3箇所に加え、ロード区間でも一旦登り区間があり、トータルで累積100m近くにはなる侮れない急登です。

今回は、ロードを飛ばし過ぎた結果、この3箇所の登りで、一気にペースダウンをしてしまったのが悔やまれます。

フィニッシュ地点へ駆け上る最後の石段。レース中は、常にこの存在が頭にあります。

最終的なタイムは2時間32分14秒。

一昨年よりも2分近くタイムを縮め、やったPBだと喜んだのも束の間、実は今回からスタート地点がこの石段ではなく、それよりも数百m進んだ先にある登り坂だったため、縮めた2分はちょうどその分であったことに気づきました。

今回から一斉スタートとなったため、スタート地点がだいぶ先になりました。

とはいえ、一昨年よりも練習が積めていない状態でほぼ同タイムで走れたことはかなりの収穫で、これは多少なりともレースに向けた対策が生きた結果となりました。

一つは、序盤の登りをかなり抑えたこと。

もう一つはロードシューズで走ったこと。

この2点の工夫が、今ある限られた実力を最大限に発揮できた要因だったと思います。

トレイルは、ロードレースやトラックレースに比べて、結果に影響する因子が膨大に上るため、ロード・トラックのようなシビアな世界ではありません。

単純に走力や登坂力だけでなく、ペース配分などの工夫をするだけで、かなりネガティブな要素を打ち消すことができる競技ですね。

そうした意味では、まだまだ自分の実力を開拓する余地は残されていますし、トレーニングのアプローチも工夫できそうに感じています。

いずれにしても、練習が十分積めていない状態で参加しても楽しめてしまうスカイレースは、トレーニングの中でちょうど良い気分転換になる種目であると、改めて感じた二日間でした。