所沢シティマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

今日は地元所沢で3年ぶりに開催された所沢シティマラソンに出場してきました。

このレースは地元ということもあり、実は初出場は今から29年前の大学1年の頃に遡ります。

当時はまだ20kmの部門で、コースもしっかりと「シティ(市街地)」を走る、なかなか魅力的なロードレースでした。

おそらく、本レースが企画された時点では、市内の要所を巡るかなり壮大な計画のもとに設定されたコースであったことが想像でき、折り返し地点は市役所で、郊外の大通りや国道の一部もコースになっていたほどでした。

ところが、この本格的ロードレースが時を経るごとに次第に様変わりし、コースも徐々に市の中心部を離れ、最終的には未舗装路やトレイル並みの急坂を繰り返し上り下りさせられる、「キワモノレース」となってしまったことは、正直残念なところです。

大会PRに「起伏に富んだタフなコース」と明記される累積標高差約300mのハーフマラソン。もちろん非公認。

所沢市は、西の外れにいくつもの丘陵地帯が広がり、平坦な道を数百mも取れないほど坂が多い地域なのですね。

そこを中心に21kmもコースを作ろうとすれば、それはそれはとんでもコースになるのは必至で。

今日も走っていて、平坦路が最も長く続いたのは貯水池の堤防上の道で、おそらく500mあるかないかといった感じでした。

他は、通常のロードレースで「アップダウン」と呼べるほどの起伏は数えきれないほどあり、緩やかな上り坂(下り坂)はどこへ行っても存在し、ロードレースでは絶対にありえないほどの急坂が2度ほどありました。

いってみれば、それを覚悟して出場するのがこの所沢シティマラソンであるため、今日もそうしたコースでどこまでペースを維持するかが、常に課題となるレース展開となったわけです。

本大会唯一の魅力は、プロ野球埼玉西武ライオンズの本拠地、ベルーナドームに立ち入れること、くらいでしょうか。

昨日のブログにも書きましたが、今日のレースはとにかくLT域に刺激を入れるためのトレーニング的要素の強いレースです。

系統立てて練習を積んできていませんので、ここで結果を出そうなどというつもりはなく、イーブンペースをある程度の余力を残して維持できればそれでよし、なレースにするつもりでした。

ところが、スタートしてすぐにどうにも体が(特に脚が)重く、数km走って温まればそれも改善するかと思いきや、結局常に脚の動きにキレがなく、おもりを履いて走っているような感覚がずっと付き纏いました。

アップの時など、一定のバネはあり、軽快にWSも走れる一方、LT域のようなある程度の強度を維持しようとすると、すぐにかったるくなってしまうこの状態は、やはり蓄積された疲労が抜けきれていない時によく体感される症状です。

とはいえ、走り出してしまえば、周囲のランナーのペースに乗っかり、強度的に無理のないペースであればそこに身を置いて走り続けてしまうのが、レースというものでしょう。

ただ、疲労もさることながら、数百m走れば緩急問わず必ずやってくる上り下りの繰り返しに、どうしても呼吸が整わず、何km走っても同じようなキツさを強いられながら走ることになってしまいました。

また、スタート前に時計のバッテリーが死んでしまい、細かなラップもわからず、自分が今どの程度のペースで走っているかが全くわからない状態。

脚の重さのためか、体感的には1km4分近くかかっていそうな気もしていて、レース中一度も気持ちよく走れた時間はなかったほどです。

そんな中で、前のランナーを常に追いながらペースを作り、後半に待ち受けている数度の急坂も死ぬほどのキツさで上りきり、ラスト3kmでようやく訪れた平坦路で若干走りが整ったかな、という感覚が得られました。

ただ、その頃にはもうほぼ脚は終わっていて、最後に待ち受けているラスト1kmの登り坂では完全に止まってしまったのは残念でした。

過去のハーフでの最高順位は30代の頃に一度5位というのがありました。だいぶ歳をとりました。

ところが、フィニッシュタイムを見たら思いの外悪いタイムではなく、このコースでは相当な走力がなければ15分台は難しい(年代別優勝者が15分35秒)ことを考えると、今回のタイムは想定以上に走れた結果になったと思いました。

ペースも平均すると1km3分40秒ですから、ちょうど今の実力のLT2くらいは維持できたことになり、練習としてはかなり良い刺激を入れられたと感じます。

調子はあまり良くないながらも、今日のレースで目標にしていたペースは維持でき、練習としての負荷もちょうどよくかけることができ、年代別入賞のおまけまでついてきた収穫のあるレースとなりました。

そして2022年のレースはこれで最後になり、故障期間の続いた今年の最後にどうにかロードレースをまともに走ることができ、なんとか立て直すことができたかな、といった印象です。

この次は1月にまたハーフマラソンを予定していて、その後は駅伝が続き、もう一度本命のハーフ、そして3月に本命のフルマラソンが計画されています。

ハーフはそのペースと長さから、最も故障の危険が高まりますので、その間にちょくちょく入ってくる駅伝のダメージやレース当日の脚の状態を常に気にしながら、慎重に練習を続けて行かなければと思っています。

11月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

少し遅れましたが、11月の振り返りです。

先月はなんといっても数年ぶりのフルマラソン完走と、その翌週のスカイレースがあり、疲労との兼ね合いで、練習量自体はかなり低下した月となりました。

一度フルを完走すると、どうしてもリカバリーの期間が長くなります

10月が故障明けのの割に無理をしてしまったため、ある意味11月はそれほど無理をしたくなったというのもあります。

フルは自己ベストに比べればだいぶ遅く、サブスリーがやっとの走りでしたが、それでもLT1程度の強度で30kmは走っているので、脚や体へのダメージは相当なものがあったと思います。

本当は翌週レースというのはかなりリスクの高いスケジュールでしたが、負荷のかかる場所の違うトレイルということもあって、どうにか無事に両レースを終えることができました。

ただ、そのあとは3日休んだものの、体のだるさや日中の眠気などはしばらく続き、先週あたりからようやく体の調子が戻ってきた印象です。

総走行距離が少ない中でその5分の1がMペースというのはやや負荷の掛け方にリスクがありました。

故障が明けたのがトレイルシーズン真っ只中だったこともあり、本来もう少し基礎的な脚力を戻してからレースに復帰すべきでしたが、半ば強引にレースを重ねてしまったため、総力が戻らぬまま疲労だけが溜まっていく状態が続きました。

予定では11月が終わった時点で、ある程度の脚作りが終わっている予定でしたが、疲労で練習が積めず、思ったよりも走力が戻らぬまま12月を迎えてしまいました。

11月は211km程度。12月はもう少し距離を重ねたいところです。

今月は、明日4日にまずは所沢シティマラソン(ハーフ)があります。

今回もレースでありながら、公認でもなく記録も狙えないコースでもあり、練習のつもりで走るレースになります。

絶対的な練習のボリュームが足りていないため、この状態であまり速いペースで20kmも走るのもリスクが高いので、明日は3’40”~50”程度のペースを一定距離守れればいいかな、と思っています。

10月、11月と、トレイルやフルを走る中で、割と幅広い強度のトレーニングが行えているので、一度落ちた力も幅広く戻りつつありますが、絶対的な持久的能力はまだまだ本来の力の1段階か2段階ほど下のような感覚です。

ピラミッドで言うと最下層の最も重要な基礎が十分できていない状態ですね。

12月、1月とちょくちょくレースは入りますが、高強度の練習はレースのみにして、他はできるだけ強度低め、時間長めを意識していこうと思います。

SJS年間順位が確定しました

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週のびわ湖バレイスカイランを持って、今シーズンのスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)も閉幕しました。

昨シーズンから本格的に「コンバインド」(VKとSKYを連日で走る)に挑戦し、年間を通して両種目でのポイント獲得を目指してきました。

昨シーズンは、後半戦、就職活動のためVKのみの出走になり、それが結果的に好結果につながり、VKの年間順位で総合10位、40代では6位に入ることができました。

https://drive.google.com/file/d/125RqF5fi4ZfvBMJSGTZo_7jBcwTiva8D/view?usp=drivesdk

最終戦のびわ湖がポイント2倍になることもあり、そこで一桁順位で走れたのが大きかったです。

昨年の経験から、今年こそ全5戦のコンバインドを達成し、VK、SKYの両種目で総合順位を狙いたいところでした。

ところが、5月の上田の開幕戦から体調管理に失敗し、VKの無得点、SKYの途中棄権という予想外の開幕となってしまいました。

あまりにも体調が悪すぎた今年の上田

しかし、そこから新しい仕事、新しい職場においてどう練習を組み込むかを模索した結果、通勤と週末を利用したトレーニングパターンがある程度かたまり、6月の東京バーティカルでは久々に会心の走りをすることができました。

何度も試走を行った東京バーティカルでは、ペース配分がガッチリはまったレースとなりました

一桁順位こそ逃しましたが、毎回どうしても勝つことのできなかった同世代の最強バーティカルランナーに僅差で先着することもでき、かなり嬉しかったのを覚えています。

ところが、このレースの前後に痛みが出始めていた、足底筋膜炎の症状がここから悪化の一途を辿ることになります。

この時は数週間で回復すると楽観的になっていましたが、結果的に今シーズンを大きく左右する大きな故障となってしまいました。

数日休んでは練習を再開し、痛みがひいたと思えばまた悪化させを繰り返し、誤魔化しながら出走したのが、東京バーティカルと対になるSKYの関東シリーズである嬬恋スカイランでした。

予想だにしなかった難コースに打ちのめされた嬬恋スカイラン

レース当日は調子も良く、中盤まではかなり良い順位で戦えていましたが、終盤補給を怠ったためか急激な体調悪化に見舞われ、大きく順位を落とすことになりました。

最終盤に待っていた登り区間で終戦となってしまいました。

そして、このレース以降、足底筋膜炎の痛みに悩まされることになります。

まず、最も楽しみにしていた富士登山競走のDNS。

八月も全く走れず、9月の蔵王にも結局間に合わず、こちらもDNS。

この時点で、まだ足に痛みが残っていたため、正直今シーズンはもう終わったと思っていました。

9月の下旬あたりから数kmずつ走り始め、10月の半ばでもまだ10km走るのがやっとの状態でした。

そんな中で、久々のレースとなった志賀高原エクストリームトレイルに出場しました。

トレイル練のつもりで出走したエクストリームトレイルでしたが、まさかのセカンドベスト

当初は、11月のびわ湖バレイに向けてのトレイル練再開のつもりで走る予定だったエクストリームトレイルでしたが、序盤から控えめに入ったことで、予想外の好走となりました。

久しぶりにトレイルを走ったため、脚へのダメージはそれなりにありましたが、序盤を抑えてゆっくりと走り切ったためか、思ったよりも疲労は残らず、翌週の烏帽子スカイランはどうにか最低限走れる状態では臨むことができました。

両レースとも、大した走りはできませんでしたが運よく14位に入ることができました。

VKでは、自身の力を過信し、前半から突っ込んでしまった結果、終盤は見るも無惨な走りとなりましたが、出場選手の関係でどうにか14位に入り、久々にポイント獲得となりました。

SKYも、マイペースを貫き、後半のロード区間も無難に走った結果、こちらも14位でポイント獲得。

シリーズ戦最終盤で、残すはポイントが2倍になるびわ湖を残すだけとなりました。

ところで、今シーズンは例年毎年のように参加していたつくばマラソンが再開され、そちらにもエントリーしていたのですね。

ここは、びわ湖に備えてロングジョグのつもりで走るつもりでしたが、走ったところで調子に乗ってしまい、結果的に後半の20kmはキロ4分の距離走を行うことになりました。

まあ、当然疲労は一気に溜まりましたね。

中盤以降、気持ちよくロードを快走してしまった5年ぶりのつくばマラソン

そして迎えた最終戦。

先日報告した通り、まさかの4レース連続14位というギネス並の結果で今シーズンのスカイレースを終えることになりました。

びわ湖テラスの景色は最高でした

そして、最終戦の結果を待って、SJSの総合順位も決定しました。

https://drive.google.com/file/d/1nk2XIUuAUYd9KKpV30_9KOQjce2Sssam/view?usp=drivesdk

VK部門は総合20位。年代別は今年から5歳ごとに細分化されたため、M45で2位という結果となりました。

40代の強豪ランナーたちと別カテゴリーになったおかげで、部門別2位になれたのは正直嬉しかったですね。

https://drive.google.com/file/d/1nrFrSvkPq4U31igYlTRLGy9q-cswAJJD/view?usp=drivesdk

SKY部門は総合25位。年代別は、こちらもM45になったことで3位というありがたい順位をもらえました。

こうして、故障やら不調やらでポイントすらつかないかと思われた今年のシリーズも、どうにか最低限の結果を残して終えることができました。

ただ、今年のシリーズ通して言えることですが、今回はどのレースも出場選手が若干寂しい感じはしました。

以前は、ワールドクラスで活躍している「あの」男性選手や、VKでは圧倒的な強さを誇っている「あの」女性選手もシリーズ通して出場していたSJSでしたが、いつしか彼らの主戦場が別の場所になっていったように思います。

それは、ここ数年トップクラスの選手がSJSから流出していってしまっているなぁと、薄々感じてはいました。

昨年度鮮烈デビューを果たした「あの」ユーチューバーさんも、今年は別のところで活躍されましたし。

確かに、あるところでトップを極めると、もうそこには留まりたくない気持ちはあるのでしょう。

このSJSは一つの到達点、通過点なのかもしれません。

そういう意味では、ここは若手の登竜門的な存在であり、これからもどんどん新しい若い選手が挑戦する場になっていくのかもしれません。

それは、自分たちのようにトップクラスではない平凡ランナーにとってはそこそこの順位争いができる、楽しいシリーズになることは間違い無いのですが、一方で、真の一流選手がチャレンジし続ける「挑み続ける価値あるレース」とはなっていない気もして、そのあたりに寂しさは感じるのですね。

ランマニア的には、まだまだここでチャレンジしたい気持ち満々ですし、シニアの部で世界選手権を目指したいなんて割と真面目に考えたりもしています。

来年度は、上位を独占している40代集団をもっともっと脅かす、若い選手たちがたくさん参加してくれることを期待しています。

びわ湖バレイスカイランに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

つくばマラソンから中5日。

初めてフルマラソンを完走した翌週にトレイルレースに参加することになりました。

フルのダメージは、自分で感じている以上に体内の様々な部分に残っているため、今回フルから中5日でトレイルを走るにあたっては、疲労の状態や脚のダメージに対し、いつも以上に注意を払って1週間を過ごしました。

つくばマラソンでは、ネガティブスプリットの走りによって完全に脚を使い切ってしまったため、びわ湖バレイは想定外の疲労状態で出場することになってしまいました。

キロ4分30秒でジョグのつもりが、後半はキロ4で20kmペース走となってしまったつくばマラソン

10月に練習を再開した当初は、つくばのフルはジョグ程度にとどめ、びわ湖で出し切る予定でいたのですね。

ところが、結果的につくばで出し切った形となり、今回のびわ湖は疲労を抱えた中で、どこまで勝負できるか、ある意味消耗戦のような様相を呈したレースとなりました。

初日のバーティカルは天気は快晴。フィニッシュ地点の打見山山頂、そして翌日の折り返し点蓬莱山山頂もくっきり。

今回、2日目のスカイレースは、悪天候プランに変更となり、コースはバーティカルのフィニッシュ地点である打見山山頂からさらに2kmほど、累積標高で300mほど進んだ蓬莱山を折り返すショート部門と同様となりました。

結果的には、この変更が自分にとって幸いし、2日目のスカイレースもどうにか勝負になるレース展開に持ち込むことができたのでした。

バーティカルのフィニッシュ地点から、スカイレースの折り返し地点蓬莱山頂が見渡せます。

初日のバーティカルは、4.5kmという距離に惑わされず、累積では900mも登るコースであることを念頭に、序盤から抑え気味で入りました。

昨年は、調子が良かったこともあり、序盤から相当に追い込み、累積300m手前ですでにオールアウト気味になった苦い失敗があります。

4.5kmという響きに頭が勘違いをし、まるで1500mレースさながらの追い込み方で坂を登り続け、早々にオールアウトした2021年大会

今回は、練習も詰めておらず、さらにはフルの疲労が相当に残っていたことから、とにかく終盤の急登に脚を温存するプランで臨みました。

案の定、序盤は最下位近くまで遅れを取り、流石に焦りましたが、思ったよりも長丁場になるこのコースの特性上、勝負は終盤になると踏んで、焦らず自分のキツさにだけ注意を集中しました。

ところが、それでもフルの疲労が常に付き纏い、途中に歩きを入れるくらいのスローペースでさえ、やめてしまいたいほどのしんどさに襲われました。

いつもは先行されることのないランナーにも遅れをとり、今回は流石にもうだめかな、と思っていたところ、後半、一旦勾配がゆるくなる区間で休めたことがきっかけで、もう一度脚が動くようになりました。

この現象は、翌日のスカイレースでも同じように現れました。

累積200mを切ったあたりで、もう脚は完全に止まっていましたが、バーティカルの場合、最後はたいてい我慢を効かせて踏ん張るしかないので、少しでも動くなら出し惜しみせず動かし続けたほうがどうにかなってしまいます。

フィニッシュタイムは、昨年よりも2分遅れでしたが、この疲労状態の中では割と走れた方だと、手応えは感じました。

VO2 Maxが相当に衰えている中で、巡行ペースは確実に落ち込んでいますが、最後までおおかたイーブンペースを維持できたのは、10月以降のレースの中で徐々に有酸素機能が回復してきた証拠かもしれません。

初日のバーティカルは42分47秒の14位。昨年の一桁順位はできすぎなので、これでも満足です。

さて、翌日のスカイレースも、ショートコースへの変更に伴い、走るコースはほとんどが同じ場所です。

序盤は、前日のバーティカルをそのままなぞります。

2日目は、前日に比べてさらに疲労状況が悪化しており、もう始めのゆるい登り坂でさえ走るのがかったるくて仕方がない状態でした。

累積500mすぎで、今日はもうやめてしまおうかと思うほどのだるさを感じていました。

さらに、いつもなら先着できる50代のランナーたちもずっと前を走っていて、自分のペースが相当に遅いことにも気づいていました。

ただ、そんなことを考えていても、動かないものは動かず、ただただ目の前の坂を、脚を使いすぎないように登ることだけを考えて、淡々と脚を動かすだけでした。

2日目は雨さえ降らなかったものの、山頂付近は猛烈な強風が吹き荒れ、一気に体温が奪われる状況でした。

それでも一つ目のピーク打見山山頂に到達し、そこから一度ゲレンデの急斜面を一気にダウンヒルする区間で、強制的に脚を動かされました。

なんともいえない脚のだるさによって、急降下するスピードに脚の回転がついていけず、何度も大転倒するのではないかとヒヤヒヤしながら坂を下り続けました。

下り切ると、折り返し地点の蓬莱山に向けて一気に標高差100m以上の急斜面を駆け上がります。

この区間を頭に入れていたため、思いの外ここでは脚が動き、ようやく前を行くランナーたちに一人ずつ追いつくことができました。

この区間で、最終的には折り返しまでに4〜5人順位を上げ、脚を残した状態で後半戦に突入しました。

遥か彼方に見えるリフトの終点あたりが折り返し地点。

折り返してすぐに、ゲレンデの急降下が待っています。

いつもは苦手なゲレンデ下りですが、登りで温存したせいか、この日は割とスムーズに脚が前へ前へと出て、軽やかにスピードに乗ることができました。

最後に900m一気下りが待っているため、ここでも使い切ることは許されませんが、それでも楽にスピードを出すことができ、行きに下ったゲレンデの最後の登りもどうにか脚を止めずに登り切ることができました。

そして最後は、バーティカルの逆コースです。

テクニカルな岩場が続く、スカイレースならではの下り区間ですが、ここでも脚がしっかりと動き、脚が止まった時に感じるような恐怖を感じることなく、軽快にトレイルを飛ばすことができました。

序盤に感じていた疲労感が嘘のように、割と元気に最後まで走り切ることができました。

実際、脚の疲労はかなり残っていたのでしょうが、体感的な疲労感は一時的に麻痺していたのでしょう。

スカイレースの最終順位も、前日のバーティカルと同様14位。

ロングバージョンであれば、2度目の蓬莱山登山を、おそらくこなすことができずにDNFしてたであろうスカイレースでしたが、ショートになったことが自分には幸運でした。

気づけば今シーズンのジャパンシリーズも終了。例年になくあっという間にシーズンが過ぎてしまいました。

さて、こうして今シーズンのジャパンシリーズも幕を閉じました。

春から色々なことがあり、一時は終盤戦まで勝負にならないのではないかと危惧された、今シーズンのスカイランニングでしたが、終わってみれば8レースに参加することができました。

シーズン全体の総括は、次回に回したいと思います。

びわ湖スカイランの最大の魅力はなんといっても山頂からの絶景です。これのために、単発で出場するのもありだと思います。

つくばマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

昨日は5年ぶりにつくばマラソンを走ってきました。

5年前は、ちょうど東京マラソンでフルのPBを出した年で、この時も今年と同じ故障明けで練習がままならず、友人のペースメーカーに徹し、サブ3ペースのイーブンペースを維持したレースとなりました。

今回は、その時よりもさらに練習はできていない状態で、そもそもフルのレースを走って良い状態かも微妙な状況でした。

まず、本格的に練習を再開したのが10月になってからで、練習期間としては、延べ一月半ほど。

日々の練習は平均すると10km程度。走行時間は60分。

最大の走行距離は、トレイルを除くと20kmが最長という状態でした。

練習を再開してレースを迎えるまでのトータルの走行距離は、おそらく400kmを超えるか超えない程度。

10月はトレイル以外はただのジョグのみ、300km程度の走行距離でした。

こんな状況でしたから、もう今回のつくばは一定のペースで長い距離を走り切る「距離走」の扱いで十分だと考えたわけです。

そもそも42kmである必要もなく、キロ4分半で30kmも走れればトレーニングとしてはもう十分だったのですね。

なので、スタート前から気分的には楽なものでした。

アップもしないし、初めの10kmくらいまではのんびり走って終盤に備えれば良い、というゆったりとした気持ちで。

想定通り、スタートして10kmまでは、本当にただのジョグで、脚が動くままにただ走るだけ、といった感じです。

ノーアップでしたから、5kmまではなんとなく脚が重く、10kmくらいでようやく自然に脚が前へ前へ動いていく状態になりました。

ペースとしては、意識をしなくても1kmあたり4分20秒〜25秒くらいを維持できました。

10kmを過ぎたあたりでの脚の状態、体のしんどさから、今日はまずまず調子がよさそうだということにも気づき、ハーフまではしっかりこのペースを維持した後は、脚の状態次第でペースアップを検討しても良いかな、と思い始めました。

ところが、あまりにも脚が良く動くので、中間点まで我慢できず、20km手前あたりから徐々にペースが上がり始めました。

中間点までは我慢に我慢を続けて1km4分25秒ペースを維持。
中間点を通過したところから、スイッチを切り替えました。

それでも、中間点を過ぎたあたりで、ちょうど目指していた1km4分10秒台ペースを維持できそうなペーサーが追い抜いていき、そのランナーについていくことにしました。

この人のペースがドンピシャハマってしまい、25kmまでは自分で意識しなくてもペースを上げることができラッキーでした。

30kmすぎでもう一度ペースアップし、サブスリーを狙おうかと思っていたところ、やはり、気が急いてしまい、30km手前あたりから再び徐々にペースが上がり始めてしまいました。

ついていたペーサーも離れてしまい、30kmすぎからいよいよ一人旅が始まりました。

ちょっと早いかな、と思ったものの、もうこのペースでいくしかないと覚悟を決め、1km4分一桁台を維持することにしました。

ラスト10km。

まだ残りは長いな、と思いつつも、このペースを維持するだけを考え、とにかく「精神的に無理をしない」ことを心がけ、あくまでジョグの延長の意識でペースを維持。

それでも、流石に37kmすぎで脚の動きが鈍くなり、倦怠感との戦いになりました。

それまでの努力度とは明らかに様子が変わり、「精神的に無理」をしながらペースを維持し続けました。

完全に脚は止まっていましたが、サブ3というニンジンがぶら下がっている状態では、かなりメンタルの力で苦痛を抑え込むことができました。

1km毎のキロ表示を通過するたびに時計を確認すると、このペースを維持すれさえすればサブ3は確実だな、という状態になっていました。

40km通過。

フルを走った人なら誰でも知ってますが、ラスト2kmというのは本当にきつい瞬間です。

たった2kmがなぜあれほどきついのか。

まあ、体は40kmの時点で既に終わってるんですね。最後の2kmはほぼメンタルの力で無理やり走っている状態です。

そして迎えたつくばマラソン名物、最後の跨道橋。

ラスト1kmで登場するまさしく「ラスボス」。

たった数十mなのに、この坂が登れない。脚が止まる。そんな急坂です。

しかし、今年はこの坂の手前に大きなサプライズが用意されていました。

ランマニアがフルマラソンを始めた今から10年以上前から、つくばマラソンを含む茨城県のマラソン大会には必ず登場していた、あの「ロッキーおじさん」が、まさかの復活を遂げていたのです。

メディアでも取り上げられていた、一度は「引退」を表明していたロッキーおじさん。

41km、しかもラスボスの手前。

復活して登場するタイミングとしては、もうこれ以上ない条件の場所でした。

ここで元気をもらい、いよいよラスト1km。

もう全く動かない脚も、サブ3の目標を目前にすれば、なんとしても動かさねばならず、残りの距離が短くなればなるほど辛くなる体と闘いながら、どうにか競技場に帰還。

5年ぶりのフルマラソン完走。5年ぶりのサブスリーの喜びを噛み締めようと、最後のゲートが見えたその瞬間。

設置されていた大型デジタル時計の数字は、

3:00:00

え?

一瞬何が起こったのかわからず、考える気力もなく、うっすらと頭に浮かんだのは

「そういえば、スタート地点を通過するまで、タイムロスがあったっけ・・・」

という3時間前の記憶。

1km毎にチェックしてきたサブ3ペースは、完全に「ネットタイム」のそれだったのですね。

フィニッシュ後、がっかりはしたものの、ただ「騙されて」いなければ終盤ここまでペースを維持できなかったことを考えれば、まあ「嘘も方便」だったわけで、ポジティブに考えました。

こうして5年ぶりのつくばマラソンは幕を閉じましたが、個人的にはかなり収穫の多いマラソンレースとなりました。

・4月に長野マラソンを棄権して以来失っていたロードレースへの自信を取り戻せた

・最低限の練習でもサブスリー(ネット)を達成することができた

・「完全ネガティブスプリット」でフルを走り切ることができた

・現在の実力に合わせたペース設定で走ることで、フルでもその時点の実力を発揮できることに気づけた

などです。

最近は、トレイルがメインとなっていて、もうロードレースは楽しめないのかもしれない、と弱気になっていました。

そんな中で、今回のフル完走は、もう一度ロードレースでも勝負してみたいと、かつてフルマラソンでベスト記録を出すことに全力を注いできた頃の気持ちを、再び思い出させるレースとなったことは間違いありませんね。

烏帽子スカイラン SKYエリートに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて今回は、烏帽子スカイランの「SKY」部門のレースレビューです。

「SKY」部門は、JSA的にはいわゆる「スカイレース」の部門で、累積標高差がだいたい1000m〜3000m、移動距離が30km程度までの山岳レースを指します。

今回の烏帽子は、移動距離25km、累積標高差1550mという、SJSの中ではおそらく最も「走りやすい」スカイレースの部類に入ります。

個人的に最難関は、上田バーティカルレースにおけるスカイレース(塩尻コース)で、こちらは移動距離は25kmと変わらないものの、累積標高差はなんと3000m。

通常のランナー感覚からすると、「なんだ距離は変わらないじゃないか」と思われるかもしれませんが、同じ移動距離で累積標高差が倍近くあることに注目です。

スカイレース(バーティカルもですが)では、移動距離に対する累積標高差の比率がかなり重要でして、1kmあたり100mの獲得標高をはるかに上回る上田のコースは、それだけ急峻なコース設定がなされていることを意味します。

一昨年の塩尻コースは、出走3回のうち唯一まともに走り切れたレース。それほど攻略が難しい上田の塩尻コース。

こうしたスカイランニングの特徴を考えると、先日の烏帽子はかなり楽に走れる部類に入り、レース時間も2時間から3時間に収まる程度の、高速コースとなっています。

この烏帽子スカイレースの最大の特徴は、なんといっても、後半に相当な距離の「ロード区間」が待っていることですね。

通常、スカイレースでは一般的なトレイルランニングに比べて、林道やロード区間、あるいは快適に走れる平坦区間が限りなく少ないのが特徴ですが、この烏帽子に限っては、終盤はあたかもロードレースさながらの展開が待ち受けています。

一昨年は、そのあまりにも長いロード区間で完全にやられてしまい、序盤の烏帽子岳を登った爽快な気分が、ゴールではすっかり消えてしまったのを覚えています。

烏帽子岳登山を終えた後の下りで、若者ランナーに激ぬかれした一昨年の烏帽子スカイレース。

そんな苦い経験のある烏帽子スカイレースであったため、今回はある対策をしてみました。

それは、思い切ってロードシューズで走ってみよう、ということでした。

前半の烏帽子岳登山を含むトレイル区間は、総距離の約半分、12km程度です。

しかも、ほとんどが落ち葉が堆積した非常に走りやすい足場で、硬い岩場が現れるのは、山頂付近にとどまり、あとはトレイルシューズでなくとも思い切り着地のできるサーフェスが続きます。

前半、烏帽子岳までの登り区間はこのような快適なトレイルが続きます。これほど足場が整っているスカイレースも珍しいです。

一方、トレイル区間が終わった先は、2〜3km続く砂利道の林道区間、そしてその後はほぼ全てがロード区間となります。

つまり、走る距離の半分、時間にしても半分以上は砂利&ロードなのですね。

しかも、その後半の一般道区間はほとんどが下りで、足へのダメージもかなりのものがあります。

山頂から下ってくる急坂下りでやられた脚にとって、その後10km以上続く一般道は相当なダメージが上乗せされる嫌な区間です。

なので、一昨年はクッション性の低いトレイルシューズが終盤あだとなり、せっかくの高速区間がただのジョギングと化してしまったのでした。

唯一トレイルシューズの恩恵が受けられるのは、この山頂付近の岩場くらい。

果たして今回、この作戦はかなり功を奏しました。

序盤の烏帽子岳登山で、相当にペースを抑えたというのもありますが、山頂を過ぎてからの激坂下りも、足場の悪い林道区間も、全く恐怖はなく、思い切り膝下を前に出して豪快に飛ばすことができました。

もしかすると、スカイレースの下り区間で、ここまでぶっ飛ばしたのも初めてだったかもしれません。

それほど脚の動きも良く、また、着地の恐怖も軽減されていました。

そして、問題のロード区間についても、一昨年のようなジョギング大会ではなく、明らかに「レースしてるぞ」といったイメージで、現在のLT付近のペースを維持できていた印象です。

ただ、今回唯一失敗したのは、このロード区間で地味に繰り返されるアップダウンによって、思いの外脚を使わされてしまい、最終盤の「山登り」で脚が終わってしまったことでした。

せっかく、下り区間まで脚を取っておいたのに、これは非常にもったいなかったです。

スカイレースにありがちな、最終盤の登り区間。

このコースにも、最後の最後に3つの急登が用意されているのです。

禰津(ねつ)城。

お姫様の巨石。

そして、フィニッシュ地点に向かう最後の石段。

この3箇所に加え、ロード区間でも一旦登り区間があり、トータルで累積100m近くにはなる侮れない急登です。

今回は、ロードを飛ばし過ぎた結果、この3箇所の登りで、一気にペースダウンをしてしまったのが悔やまれます。

フィニッシュ地点へ駆け上る最後の石段。レース中は、常にこの存在が頭にあります。

最終的なタイムは2時間32分14秒。

一昨年よりも2分近くタイムを縮め、やったPBだと喜んだのも束の間、実は今回からスタート地点がこの石段ではなく、それよりも数百m進んだ先にある登り坂だったため、縮めた2分はちょうどその分であったことに気づきました。

今回から一斉スタートとなったため、スタート地点がだいぶ先になりました。

とはいえ、一昨年よりも練習が積めていない状態でほぼ同タイムで走れたことはかなりの収穫で、これは多少なりともレースに向けた対策が生きた結果となりました。

一つは、序盤の登りをかなり抑えたこと。

もう一つはロードシューズで走ったこと。

この2点の工夫が、今ある限られた実力を最大限に発揮できた要因だったと思います。

トレイルは、ロードレースやトラックレースに比べて、結果に影響する因子が膨大に上るため、ロード・トラックのようなシビアな世界ではありません。

単純に走力や登坂力だけでなく、ペース配分などの工夫をするだけで、かなりネガティブな要素を打ち消すことができる競技ですね。

そうした意味では、まだまだ自分の実力を開拓する余地は残されていますし、トレーニングのアプローチも工夫できそうに感じています。

いずれにしても、練習が十分積めていない状態で参加しても楽しめてしまうスカイレースは、トレーニングの中でちょうど良い気分転換になる種目であると、改めて感じた二日間でした。

烏帽子スカイラン VKエリートに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

故障から復帰後、第2戦目はここ数年連続で出場している「烏帽子スカイラン」です。

この烏帽子は、日本スカイランニング協会(JSA)のスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)戦にも位置付けられていて、バーティカル「VK」とスカイランニング「SKY」のそれぞれ「エリート」がそれに当たります。

このシリーズ戦で、毎試合登録者の中で30位に入るとポイントが加算され、そのポイント数で年間シリーズを戦う、魅力的なシステムになっています。

さて、そんなSJSの第4戦、烏帽子スカイランの、まずはVKのレースレビューです。

通常バーティカル競技は、累積標高差1000m程度を一気登り、登りっぱなしのコース設定となりますが、烏帽子は珍しく下りや平坦区間がかなり設定されています。

この烏帽子のVKは、ここ数年出場するたびに自身のコースレコード(PB)を更新し続けている縁起のいいレースとなっています。

比較的走れる区間が多く、また下りも存在する珍しいVKのためか、割と自分自身の特性にはマッチしたコースです。

昨年は、練習も積めていて、さらに当日の調子も良かったせいもあり、序盤からかなり飛ばし気味に入ったものの、終盤の失速も最小限に抑えられ、65分台のベスト記録を更新することができました。

昨年は自分でも驚きのPBで自信を深めたレースとなりました。

そうした良い印象のあるレースであるためか、今年のレースも、前週に志賀高原を走って中5日だというのに、さらに10月に練習を再開したばかりだというのに、何だか今年も昨年同様に走れてしまう根拠のない自信に満ち溢れていたのですね。

レースで失敗する時は大抵、こういった自身の体の状態を把握しきれずに、気持ちだけが先走った場合です。

今回も、アップの時からなんとなく脚が重く、上り坂で感覚を確かめようとしてもすぐに失速するような最悪の状態であったにも関わらず、スタートからそこそこのペースで駆け上がってしまいました。

スタートして1kmのロードが終わると登山道に入りますが、初めの尾根越えの時点で足が終わりかけて絶望しました。

疲れているため、きっとペースが遅いだろうと思っていたところ、かなりの序盤でいつも歯が立たない同年代の有名ランナーに追いついてしまい、これはもしやOPなのでは?と気づいた時には時既に遅し。

累積にしてわずか300m程度の段階で、既に脚の動きが鈍くなりかけていました。

こうなってしまうと、残りの900mを登るのはかなりしんどくなります。

本来、急登続きの終盤に脚を取っておかなければ、大幅なタイムロスが生じてしまうスカイランニングですから、この展開はかなりまずい展開でした。

案の定、例年ならまだまだぐいぐい押せていたはずの終盤の緩やかな登りでもある気が入ってしまい、急登では止まりそうなほどのペースダウンを強いられました。

また、練習不足から、一歩で登れる距離も短くなっていて、知らないうちに巡行ペースもかなり落ちていたようでした。

登山道のような急な登り坂は、いったん動きが止まると進むために必要な時間が2倍3倍と跳ね上がるので、ロードレースやトラックのように、脚が止まってもそこそこ進めるようなことはありません。

なので、さっきまであれほど順調に登り坂を進めていた様子から一変して、まるで別の競技に変わってしまったかのような動きと、進む速度に変わってしまうのですね。

ラスト200mある岩場に、10分近く要してしまいました。

結局、毎年苦しめられる最後の岩場も止まるような速度にまでペースが落ち、結果として昨年のPBから約4分遅れ、そしてまさかの自己ワーストタイムでフニッシュという結果となりました。

練習ができていない中でOPともなれば、簡単にワースト記録となってしまうバーティカルの恐ろしさも実感しました。

順位的には14位と、ポイントもかなり獲得でき、練習不足の割には満足いく結果と言えなくもないですが、レース終盤は潰れてしまった悪い印象が残り、軽快に気持ちよく登り坂を走るVK特有の楽しさを味わえなかったのはとても残念でした。

烏帽子の最大の魅力はやはり山頂からのこの絶景です。

ただ、それでも山頂に到達し、360度のパノラマビューに飛び込むことのできるこの烏帽子VKの最大の魅力は、その絶景にあります。

通常なら2時間も3時間もかけた先に待っているこの山頂の風景を、我々はわずか1時間足らずで目にすることができ、山頂がゴールのVKではそれにしばらく浸ることができます。

多少のタイムや順位の悪さも、この景色を前に、まあ許せてしまうのがVKの良いところですね。

翌日のSKYでは、ここを折り返し、一気に麓に向かって下っていきます。

体調や体力不足を見誤り、ペース配分を大きく間違えた初日のVKでしたが、2日目のSKYではその反省を生かしてレース展開を大きく変えることになりました。

次回は、SKYのレースレビューです。

10月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

8月、9月と走ることを封印してましたので、久しぶりの月間振り返りとなりました。

10月は色々あり、まとめたいことは山ほどあるのですが、ひとまず時間がないので10月のトレーニングとその内訳を簡単に報告します。

10月は基礎体力や脚の耐性を築き上げるための初歩段階として、ジョグをひたすら続けました。

実は、9月の中旬あたりから、様子見で1km、2km、最終的には6kmほど走れるようになっていたのですが、そこはあくまでトレーニングを積むためのリハビリ期間として設定していたので、走行距離として扱いませんでした。

もちろん、本来ならそこも記録してしっかりと距離管理をすべきですが、9月まではまだこのまま足が快復していく手応えを感じられなかったため、無理をしない意味でも記録はしていなかったのですね。

結果的に、今となっては完治に向けて足は変化していたのですが、当時は何度もぶり返す痛みに治せる自信を失っていたというのもあります。

なので、「これならもう大丈夫だろう」と確信を持てた時点で「トレーニング再開」と定義していたのでした。

それが今月に入っての練習です。

ほぼ毎日通勤時のランニング、週末のまとまったジョグ、というのを数週間繰り返し、終盤はトレイルのレースで長めの距離を走りました。

平均すれば、ほぼ1日あたり10km程度のジョグしかしてませんし、ウィンドスプリントも一本たりともしていません(電車に間に合うようにダッシュもしてません)。

そうした状況で、トレイルがどれほど走れるかかなり不安でした(特に志賀高原)が、どうにかセカンドベスト、それもわずか4分遅れで済ませることができたのは、大きな自信になりました。

結局、疲労を溜めずに、当日のペース配分さえ間違えず、補給をしっかり行えば、ジョグだけでかなりパフォーマンスを発揮できることに気付いたわけです。

練習再開後、トータル200km程度の走行距離で望んだ志賀高原エクストリームトレイル32km

昨日までの烏帽子スカイランにおいても、とにかく無理な負荷を体にかけず、コンディションを整えることのほうが、ハードなトレーニングを積んで体を壊すよりもはるかに良い結果が残せることを、改めて実感したのでした。

最後の2週でトレイル率が急増しましたが、練習回数として3回だけがトレイルです。

8月はほぼ練習皆無で、9月も本当に散歩程度のジョグ。10月にようやく練習らしくなってきましたが、それでも日数的には20日ほど。

こんな練習で、相当走力は落ちただろうな、と感じていましたが、昨日の烏帽子スカイレースの終盤のロードでは、一時、キロ4分ちょうどくらいのペースで巡航できるほど脚もよく動くようになっていました。

確かに、バーティカルでの呼吸のキツさは尋常ではなく、レース翌日に呼吸筋が筋肉痛になる程換気能が落ちている印象でしたが、そこを除けば、レースとして楽しめる程度には走力が戻ってきた感覚は得られました。

今年5月以来の月間300km超え。日々のジョグは行き帰りの通勤で分割されるため、体への負担は軽かったです。

さて、先週から2週連続で長めのトレイルを走ってしまい、サーフェスは比較的柔らかかったとはいえ、筋へのダメージは相当なものが残りました。

一月単位で見れば300km程度ですが、先週からのトータルでは週100kmほどに急増していますので、このタイミングは故障などが起こるリスクの高い時期だと考えます。

11月はそろそろロードでも距離を伸ばす予定であることから、今週は数日休養を入れ、筋の損傷を回復させなければなりません。

特に、筋痛が激しい時はフォームも制限され、思わぬ故障を誘発するため「走れても走らない」選択が重要となります。

いずれにしても本命レースは2月以降ですので、10月はようやくリハビリ終了、11月からトレーニング開始、でもその前に一旦休もう、くらいの気持ちでゆとりを持っていこうと思います。

志賀高原エクストリームトレイル JSA日本選手権(ミドル)に参加してきました

こんにちは,ランマニアです。

昨年は「就活」で参加できなかった志賀高原エクストリームトレイルに,二年ぶりに出走してきました。

早いもので,このレースに初めて参加したのは2018年で,そこからもう4年が過ぎてしまいました。

昨年は未出走ですが,それ以外は全てミドル(32km D±2000m)に出走し,今回のレースで4度目の参加となりました。

このレースは日本スカイランニング協会の日本選手権に位置づけられているということもありますが,それよりも本コースが関東近辺では屈指の「エクストリーム(極限)」なコースであることが,ランマニアが毎年参加している理由です。

年間通して参加しているトレイルレースの中でも屈指のエクストリームなコース設定です。

本大会を運営されている「北信濃トレイルフリークス」さん自らが,「終盤の絶壁(サンバレースキー場)」や「避けることのできない泥濘区間」,「ほとんど晴れない天候」などをそのエクストリームな理由にされていますが,ランマニアの中で最もエクストリームなのは,他のトレイルレースでは決して体験することのできない「志賀の山々」の真っ只中を全身で浴びながら走れることだと思っています。

ランマニアの嫌いなものベスト3に入るゲレンデ下りも,この絶景を前にしたら嫌とは言ってられません。

真のエクストリーマーになるには,やはり55km D±2800mのロングコースを走らなければならないのでしょうが,正直ランマニア的には今回のミドルで相当にお腹いっぱいになってしまうため,その一端を垣間見るに過ぎないと言ったところでしょう。

それでも,それなりのトレイル経験がなければこの32kmのミドルコースを完走するのも至難の業でして,それだけに,今回のような「練習不足」の状態で出走するのは相当なリスクを伴うものでありました。

一定の練習を積んでいなければ何が起こるかわからないのが志賀高原

今年は,6月中旬以降足底筋膜炎の快復に時間がかかり,山練はおろか通常のランも2ヶ月近く行えない状態が続いていました。

ようやく9月中旬に練習を再開して以降も,本当に軽い数kmのジョグを続ける毎日で,3週間前にようやく10km,2週間前から20kmがやっと走れるようになったばかりの状態でした。

トレイルはロードとは違う能力を使うということはわかっていましたし,過去にはランがほとんど0でも山歩きだけで対応できた経験もあるにはありましたが,今回のコースの恐ろしさを過去幾度も経験している身としては,やはり「こんな練習」で走り切れるかどうかは本当に出たとこ勝負といったところでした。

昨年の上田スカイレースは,国内最難関コースでしたが山歩きだけで乗り切った経緯があります。ただし,今年は山すら一月以上登っていませんでした。

なので,今回出走するにあたっては,

①とにかく急な登りは全て歩き,走れる区間も軽いジョグで通す

②脚が終わったり,故障が再発したときは即リタイアする

を念頭に,確実に完走することを目標にして臨みました。

スタート後すぐのゲレンデは緩やかな登りが続きます。

昨年より,スタートはJSA日本選手権組は別スタートとなり,今年も一般よりも3分まにスタートとなりました。

ところが,昨年豪華メンバーだった日本選手権ミドルは,今年わずか13人の出走にとどまり,寂しいスタート風景となってしまいました。

それでも,女子も含め強豪ぞろいのメンバーですから,ランマニアのように初めはゆっくり走る,みたいな感覚で行くと,スタート後すぐに最後尾に追いやられてしまうのですね。

そんな状況で当然焦りも出てくるのですが,初めの横手山までの累積500m近い登りでは絶対に脚を使っていけません。

少しでも努力度が上がりそうになる勾配になれば,すぐに歩行に切り替え,軽いジョギングくらいの感覚が続く程度にペースを抑えて登り続けました。

横手山リフトまでがちょうど25分。歩いた割には思ったより早く到達できました。

JSAの集団からはどんどん離されますが,とにかくここはまだまだ序盤も序盤,始まってもいないくらいの感覚で,横手山の山頂を後にし,思ったよりも脚を使わずに山岳区間に入って行きました。

エクストリーム名物,どろんこ区間

横手山から寺子屋峰までの山岳区間は,ミドルコースの第2セッションともいうべき区間です。

一般的なトレイルレースでよくあるような急激な登りや下り,岩場やシングルトラックなどバラエティに富む景色を楽しめる区間となっています。

体力的にもまだまだ余裕があり,標高2000m弱の文字通り「天空」を走れるスカイレースらしい区間です。

この区間を楽しみたいがためにこのレースに出走するといっても過言ではないほど,この区間はスカイランナー好みのコースになっていると思います。

晴れさえすれば,このような絶景を浴びながら天空の稜線を走り続けられる区間が存在します。

この第2セッションはまだまだ序盤ですが,最初のハイライトが赤石山です。

割と樹林帯や笹藪の多い山岳区間にあって,珍しく視界がひらけ、山頂から下界を望めるピークとなります。

赤石山山頂から大沼池を振り返る。まだ疲労も軽い段階で最も楽しめる時間です。ここまでで累積1000m。

ここまでくると,だいたい累積標高が1000mとなり,登り区間の約半分が終わったことになります。

時間としては2時間前後なので,だいぶ走った気になりますが,体力的には半分以上残していなければ終盤大変なことになります。

初期の頃は,何度かここで飛ばし過ぎて終盤動けなくなったことがありました。

この後,横手山以来最もハードな登りが続く,寺子屋峰までの直登区間をクリアすると,一の瀬エイドへ4km、一気にゲレンデを下って行きます。

寺子屋峰で累積1250m程度。水平距離もまだまだ13km程度ですから、ここで脚が動かなくなってきているときは相当やばい状態です。

今回は抑えに抑えたため、一の瀬までのゲレンデ直滑降も比較的楽にこなせました。

一の瀬までのゲレンデ下りはおそらく下り勾配が最大となっている区間です。ここでかなり脚がやられるので注意が必要です。ランマニアはゲレンデ下りが大嫌いです。

ところで、今回もう一つ意識したのが、エネルギー切れを防ぐということです。

前回の嬬恋スカイランでは終盤血糖値が大幅に低下したような感覚(ハンガーノック)を味わい、危うく動けなくなりそうになった経験をしました。走行時間が4時間を超えてきたあたりで、補給をろくにしていなかったことが原因だったと思いますが、今回はその経験を踏まえて、かなり早い段階(70分程度)で一度200キロカロリーほど、さらに2時間経過後にもう200キロカロリーほど補給しました。

その一環で、一の瀬エイドでも普段は食べないお饅頭をひとついただき、もう一つを携行することにしました。

これは後々かなり効きました。

一の瀬エイドから先が実際の後半戦です。風光明媚な区間が続く一方で、確実に脚は終わりに近づきます。

初出場だった時は、この一の瀬エイドまできたらもう残りはわずかだと思っていました。

累積標高も残すところ600m程度ですし、距離も10数km。景色も綺麗で、最後は楽しみながらゴールかな、と、甘々な考えで走り続けたのを覚えています。

個人的には、一の瀬エイドから先が最終の第3セッションと捉えていて、ここをどうまとめるかが最終タイムに最も影響すると思っています。

特に、「ジャイアントスキー場」「サンバレースキー場」の2大ゲレンデまで脚を残しておき、いかに走り続けるか、走れないまでも止まらずに歩き続けるかがタイムの短縮に大きく影響します。

一の瀬エイドからジャイアントスキー場までの山岳区間は、高低差がないものの、斜面に申し訳程度に取り付けられたシングルトラックを走る区間があり、ここで意外と脚を使わされてしまい、知らず知らずのうちに溜まった疲労に気づいた頃に、第一の難関、ジャイアントスキー場を迎え撃つことになります。

初めて見た時は、誰でも「まじかー!」と叫ぶと思いますが、残念ながらここで累積100m近く一気に登らされるのです。

しかしここを越えると、蓮池、エイド、琵琶池、といったん平和な時間が久しぶりに訪れます。

ジャイアントスキー場を登った後にこうした時間が来るので、初出場だと、これでもう終わりだろう、と誰しも勘違いするはずです。

ジャイアントスキー場を後にすると、紅葉に色づく快適なロードや湖畔を走る区間、気持ちの良い緩やかな遊歩道が続き、いよいよゴールが近付いたことに気付かされます。いや、勘違いさせられます。

少々マニアックな例えをすると、少年の頃やり込んだRPGで、最後のボス戦でHPとMPを使い切り、もうゲームクリアだと思ってそのまま進んでしまったような、あの感覚です。

なんとも言えない達成感。もうやりきったぞ、という脱力感のまま、エンディングを見ようとその場を去ろうと、愚かにもHPをそのままに帰路につこうとするあの感覚です。

しかし、ここは志賀高原、エクストリームトレイルなのです。

GPS時計を持っている人は、もう一度確認してみてください。累積標高がまだ300mほど残っているはずです。

このまま終わるはずはないのです。

姿を現したラスボス、サンバレースキー場。我々にとってはまさに死の壁、「デスバレー」です。

ランマニアも初めて出場してこの場に立った時には目を疑いました。

ここまで散々登り続けてきて、もうあとは小刻みなアップダウンがあるくらいだろう、と勝手に思っていたんですね(実はコースマップの高低差の図ではこの壁は分かりにくくなっている)。

実際に坂に、いや壁に取り付いてみればわかりますが、ここまで登ってきた勾配の中では群を抜く急勾配です。

もちろん、登山道にはこれよりも急な岩場はありますが、ここまで長い距離を登り続けさせられる急登は他にはありません。

脚が終わっている人は、途中で登れなくなるんじゃないかと心配になる勾配です。

実際の視界にはこのように映ります。エリートはここを走って登れるので信じられません。

今年も、序盤からここを意識して脚を温存してきたこともあり、前回のPBを出した時と同様、ここでもなんとか歩き続けることはできました。

このサンバレーをクリアすると、だいたい累積150mくらい。残りの累積標高はいよいよ100m少しとなります。

ここから先は、いったん下った後に少し長めの歩行区間が続きます。

この歩行区間の中に2度ほど急な登りがあり、残りの累積標高をだいぶ稼ぐことになります。

ここが歩けるのは正直助かりますが、タイムを狙う人たちには大きなロスになることは間違いありません。

歩行区間が終わるとラスト3.5km。湿原の向こうに見える小高い丘が最後の上りです。きついですが、ここまでくると気合ですね。

歩行区間を終えると、もうあとは3.5km、走り切るだけです。登り区間もいくつかありますが、脚が残ってさえいれば、出し惜しみせず突っ走ってもなんとかんるでしょう。

今回は、序盤の温存と、そしてこまめな栄養補給が効いたせいか、このラスト3kmで珍しく「スパート」をかけることができました。

トレイルでも終盤まで脚を残し、今回のように脚を動かし続けることができれば、だいぶタイムを短縮できるものと思われます。

序盤抑えたとはいえ、結果的に最後まで走り切ることができ、大幅なタイムロスはありませんでした。

ゴールタイムは、4時間34分で、一昨年の自己ベストからおよそ4分遅れに止めることができました。

今回、走行中は常に呼吸の苦しさを感じ、標高が高いところで走り続ける能力が前回よりもだいぶ低下している印象で、その分の遅れだったと思います。

この辺りは、もう一度LTやVO2Maxを鍛えて、戻すことでだいぶ改善されるように思いました。

とにかく、序盤からペースを抑え、ジョギングを続ける感じ、ハイキングを続ける感じで走り続ければ、この一月の練習程度でも十分トレイルは走れることがわかりました。

当然、最低限のジョグを続ける期間は必要ですが、当日はオーバーペースとエネルギー補給に気をつけさえすれば、脚は意外と持つものだと改めて実感できました。

逆にいえば、どんなにトレーニングを積んでいても、ペースを間違えたり、補給をおろそかにしたりすれば、簡単に失敗するのがトレイルであると感じたのも事実です。

いずれにしても、長く苦労した故障期間が明け、またこうしてレースに参加でき、脚の痛みもなく走り通せただけで、今回は満足でした。

1からやり直し

こんにちは、ランマニアです。

8月上旬に練習ツイートをしてから約2ヶ月間、Twitterもブログもせず,完全に雲隠れしていました。

もしかしたら,ランマニア競技やめたか?と思われていたかもしれませんが,実際一時的にはそれくらいの気持ちで休まないといけないな,と思っていたのは事実です。

というのも,今回の故障は本当に快復が悪く,何もせず休んでいても一向に痛みが引いていかない日々が長い間続いていたのですね。

通常,これまでの故障であれば(足底筋膜炎でも)目安として1週間丸々休めば,だいぶ痛みが引いていったのですが,今回かなり焦ったのは,1週間走らず過ごしていても患部の痛みが全く変わらなかったことです。

一時期は,もうこのまま走れなくなるんじゃないか,とかなり先行きを心配して、メンタル的にやられた時期もありました。

ではなぜ,今回の故障はここまで長引いてしまったのか。

振り返ると,いくつか思い当たることがあります。

①6月に痛みに気づいたあと数週間,レースも含めかなり走ってしまった

②痛みが引いた後の休養期間が十分でなかった(最大2週間入れた時もありましたが,結果的に3週間の休養が必要な故障だった)

③そもそも治りにくい足底筋膜炎

④老化による回復力の低下

この辺りが自分なりに思い当たったところです。

①については,故障のかなりの早期に休みを入れたつもりでした。事実,あの頃(6月上旬)は1日の休みで軽快する幅も大きく,これならすぐに復帰できるな,と感じていました。

しかし,せっかく快復した患部をしっかり休ませずに,長めの距離を走ったりレースに出てしまったことが,損傷部分をさらに深く,広範に傷つけてしまった印象があります。

②は、これも当初1週間丸々休めば大体の故障は痛みが軽くなるため,その状態で数km走る分には全く問題なかったのですが,今回の故障は,①と③の理由から,ほんの数km,もっといえば数百m走っただけで故障が悪化する時期もあったほどでした。ここでせっかく治した患部の炎症がまた最初の状態に戻ってしまい,そこから改めて快復させるために同じだけの時間が必要になってしまう,それを何度か繰り返してしまったことが長引いた原因でした。

ここまでの状態が,6月下旬から8月中旬まで続き,少しよくなったと思って走り始めてまた元に戻る,を二月近く続けてしまったことになりました。

そして,そこから3週間ほど完全に走ることから遠ざかり,中途半端に走ってしまったりしないよう,自分が競技者であることを一時的に忘れて生活しようと考えました。

Twitterやブログで近況報告や記録をつけてしまうと,ついつい走ってしまうので,それも一切やめ(読むのも),生活の中に走るという気配を全て消し去ることにしました。

走れていた頃やレースのことを考えてしまうと,どうしても「再開すること」が目標になり「治すこと」を忘れてしまうからですね。

ただ,これについては,今年に限っては,転職したてでまずは仕事に集中してそれに慣れるという意味では,むしろそれは必要な時期ではあったと前向きに考えました。

これほどまでに長い間まともに走らなかったのは人生で二度目くらいだったので,まあそれなりにしんどい時期ではありましたが。

9月の中旬から,ようやく土日に少しだけ走ってみて,翌日の患部の様子を確認しました。

痛みが変わらないようではダメなので,走っても次の日にはさらに良くなっているかどうかが重要な基準でした。

もう大丈夫,と思って走り始めても,翌日か2日後辺りにまた再発するというのを繰り返していたので,少し走れたくらいではまだツイートするのはやめようと思っていて,とりあえず,10km程度まで走れるようになるまでは「復帰」という言葉を使うのは控えていました。

2週間前から,毎日1〜3km程度走っても悪化しなくなり,先週からは通勤時のランニングを再開することができました。

そして先週の木曜あたりから通勤時の往復にランを入れられるようになり,トータルで10km走れるようになったことから,この土日は2日とも芝生を中心に60分のジョグを入れることができました。

足底筋膜炎は完全に痛みが引くのに1年ほどかかるため,練習が再開できても数ヶ月は違和感が残ります。ただ,走行中に痛みがなく,朝起きた時の一歩目の痛みが悪化していなければ練習を続けても問題ないので,連日10kmの練習がここまで続けられれば,「もう復帰と言って差し支えない」だろうと判断したのですね。

いやここまでくるのに本当に長かったですが,一時期はもう二度と走れないのではないか,と思っていたことを考えると,今はこうして毎日走ることが日常になり,週末には60分のジョグができるようになったことで,とにかく復帰できたことの喜びの方が遥かに大きい状態です。

今後のレースプランはまた別に紹介することにして,ひとまずは練習復帰の報告がてら,2ヶ月以上ぶりのブログ投稿になりました。