「走ってる時って、何考えてるんですか?」に答えてみる

こんにちは、ランマニアです。

ランナーであることが職場や友人に知られた時に、必ずと言っていいほど聞かれるのがこの質問。

「走ってる時って、何考えてるんですか?」

まあ、ランマニアも数え切れないほど聞かれましたよ、それは。そしてその質問の裏には「そんなに長く同じことしていて飽きないんですか?」が含まれてますよね、絶対。

走っている時に考えてることって、実に様々です。走る場所によって、走る距離によって、そしてなんと言っても走るペースによって全く違ってきます。

最も様々なことを考えてしまうのは、おそらく普段のジョグでしょう。

ランマニアは、だいたい平日のポイント練でないジョグは60分弱ですから、それはそれはたくさんのことを考えています。

実はこうしたブログのネタやTwitterの呟きなどは、ほとんどそうしたジョグ中に思い浮かんだことです。いや、本当に走っている時はどんどん色々な考えが頭に浮かびます。これ、全て文字に起こしたら辞典ができるんじゃないか、ってほどです。

そして、ランマニアはこう見えて(見えないか)意外と気持ちの切り替えが苦手なタイプなので、仕事で起きた嫌なことは結構引きずるんですね。

ジョグ練の時は、もう最後まで頭から離れないことなんてしょっちゅう

マラソンペースでも心のどこかに引っかかりながら。

最悪は、インターバルでも途中のあの地獄のような苦しさの合間に突然思い出したりして、急に辛さが倍増する、なんてこともしばしば。

冗談抜きで、仕事でやられたメンタル面は、練習にもかなり影響すると思っています。

ですが、こうしたジョグ練であっても、走りながらどうしょうもないことを考えているのは、練習効果的にはあまり良くないだろうな、と思っています。

ここから話が突然シリアスになるのですが、以前にも書いたとおり、筋肉は脳と神経系で結ばれています。その神経のワイヤーに電気的な刺激を発生させて情報を伝達し、筋を収縮させているわけです。

自分の脳で「意図」して筋を動かしているので、随意運動と言いました。

で、筋は筋繊維単体で動くわけではなく、神経系とセットで「運動単位」という一つのユニットを形成していて、それが総合的に機能しているわけですね。

ですから、筋(脚、足)さえ勝手に動いてくれればそれでいい、というわけではなく、自分で「意識」して、しっかりと脚に情報を送りそれで動かしてこそ初めて運動単位として機能するわけです。

そう考えると、上司に嫌味を言われたことをいつまでも引きずりながら走るのと、一歩一歩の接地から蹴り出し、下腿の振り出しからの接地などの一連の流れをしっかり意識して走るのとでは、運動単位にかかる負荷はまるで違うということになります。

そして、ランマニアは昔から走り方にやや問題ありなランナーなので、特に一歩一歩の接地を雑に行うと、比較的簡単に下腿を故障しやすいのです。

たかだか60分のジョグでさえ、歩数は万単位ですから、冗談ではなく何万回も接地に気を配り、丁寧に接地点と力を入れるタイミングを調節していることになります。

はじめの質問に答えるとすると、これが「走りながら考えていること」ですね。

多くの「一般人」は「んなばかな!」って顔しますが、ランナーの方ならまあこの感覚はお分かりになると思います。

なので、はじめの方で「メンタルが意外と大事」と言ったのはこういうことで、こうした「走ること」や「体の感覚」に常に意識を向け続け、それを注意深く監視できる精神状態、というのは意外なほど条件が整わないと難しいものだということです。

まあ、簡単に言えば「集中力」ということなんですが。

ランマニアがスカイランニングに挑戦しているのも、実は一つはこの能力を養うためでして、もともと色々なことを考えてしまいやすい自分の特徴から、走ることにしっかり集中するためにスカイランニングを走っている、という側面もあるのですね。

スカイランニングで最も集中力を発揮する場面は、もういうまでもなく下り区間です。いや、下りというよりもう「斜面」ですね。

あの斜面を駆け下りる時の緊張感と恐怖感は初めて体験した時は計り知れないものがありました。まさしく、一瞬の油断が命取り、というわけです。

ちょっとでも集中力を欠けば次の瞬間大クラッシュで大怪我です。まさしく「一歩一歩」に全集中力を動員して走るという感覚ですね。

この「一歩一歩」に常に気を配る癖がつくように、スカイランニングでその練習をしているというわけです。言ってみれば、「走る脳トレ」ですね、これは。(実際、集中力を発揮する前頭前野や運動機能を働かせる小脳などはかなり鍛えられると思っています)

だいぶ話は横道にそれましたが、「走ってる時って、何考えてるんですか?」の答えの一つは、「一歩一歩の足の感覚を確かめてるんだよ」でした。

インターバルやレースペースでの「考え事」(?)はまた別の機会で。

今日の変化はいつがきっかけか

こんにちは、ランマニアです。

このブログを読んでいただいている数少ない読者の方はもう何度も何度も聞かされたことですが、とにかくランマニアがここまで練習を継続できているのは、本当に珍しいことで(いや、初かもしれない)、とにかくこの状態を維持したいのであります。

そして今日は、そんな珍事の中でも珍事中の珍事、いやまさに「春の珍事」ともいうべき出来事があり驚いているのです。

それは、ポイント練のわずか2日後なのに、なんだかとっても調子がいい、ということなのです。

ランマニアの慢性疲労症状は、一回のポイント練を入れると程度の差あれ確実に多少は悪化します

全く走れないほどはないのですが、軽いジョグですら大幅にぺーすダウンするほどです。

ですから、以前も話したように、「努力度」「出力」を固定して、注意深く疲労の程度をモニタリングしているのですね。

そして、たいていポイント練明けの2日後あたりでは、この出力0ジョグですとだいたいキロ5分30秒以上はかかるほど疲れている場合がほとんどです。ひどい時は、6分程度かかることもあります。

ところが、今日は走り出しから自分でも信じられないほど足がよく(というか勝手に)動き、始めこそキロ5分を超えていたのが、最終的には4分40秒程度まで上がっていました。ポイント練2日後のジョグでペースがここまで上がることは記憶にありません。

一昨日の練習は、閾値ペースで押し通し、トータルの走行距離的にも17kmを超えていたので、決して楽な練習ではありませんでした(あ、これはランマニア的にですよ)。

そうした練習の後で今日の軽快さですから、これはもう「明らかに脚ができてきた」と判断できる証拠だと感じます。

ではなぜ、ここまでの変化が起きたのか。

少なくとも、先々週、もっといえば先週ですらここまでの変化は見られませんでした

大事なのは、「自分にとって何が効いたのか?」ということなのです。

ランマニアが高校生くらいの、まだまだ何もわかっていない勘違い野郎だった頃なら、きっと、「そりゃ、一昨日の閾値走が効いたんだよ」とか「いや、昨日休んだのが大きかっただろう」くらいにしか思わず、「よし、ならばこれから毎日閾値走で追い込むぞ」くらいなことを考えていたと思います。

多くの経験豊富、知識豊富なランナーの方なら、そんな短絡的な判断はまずしないと思います。

ただし、これは誰も筋肉を開いてその変化を視覚的に、一定期間モニタリングすることはできませんから、「何が効いていたか」などということを確信を持って断定できる人は正直いないと思うのです。

ですから、推測するしかないのですね。

では、ランマニアはどう推測したか。

自分の体なのだから、自分がよくわかっている、とは言い切れないのがマラソンの面白いところですが、まあ次のようなことを考えました。

一つ目は、30kmペース走

これは一定時間有酸素的な能力を維持して走り続け、代謝系に変容を起こす練習でした。できるだけ多くの酸素を利用しながら、糖質や脂質を利用して走り続ける。これにより、同じ強度の負荷でも、少しでも長持ちする(疲れにくくする)体質変容に向けて体に刺激が入った、というのが一つ目の仮説です。

二つ目は、実は200mのレペティション

人間は高強度の運動をすると、酸素をあまり必要としないエネルギー供給系が働き、乳酸という物質が体内に溜まってきます。この乳酸そものものが疲労物質なのではなく、乳酸により細胞内のph値が酸性に傾くことで、エネルギー供給系に関係する酵素の働きが悪くなる、というのが一つの説になっています。

そして、こうした酸性に傾いた細胞を元に戻す緩衝作用というものが人間には備わっていて、その能力は、先日の200m全力走行のような高強度負荷をかけることで高まるという報告があります。

ただし、この回復力は、もう少し短期的な回復力なので、今回のような1日や2日レベルの回復力を向上させるものではないかもしれません。

そして最も有力なのが、先週末の3連休

実はもうこれまでも体にはだいぶ変化が起きつつあったのに、休養が(ランマニアにとって)十分機能していなかったため、そうした変化が十分に発現していなかった、だから先日のまとまった休みを入れたことで、一気に開花した(超回復した)という仮説です。

ですから、ここ1、2週間の練習というよりは、それまでに継続してきた一定期間のトレーニングが前提にあり、それが休養によってここで効果が現れた、という考えです。

なので、結局、ランマニア的にも「これだ!」というものはなく、体に変化が起こるのには、それなりに一定の目的を持って練習を継続しなければならず、そしてその分のしっかりとした休養を取らなければならない、というごくごく当たり前のことを再確認した、というのに過ぎないのですね。

ですが、それでいいと思っています。

ひとまず、自分で実感できる変化が起き、それによりもう少し上の段階の練習を行えるようになれば

こうした変化の積み重ねが記録や走力の向上につながるわけですね。

あの1日は今日のためのもの

こんにちは、ランマニアです。

先週金曜日は、本当はダニエルズさんが提唱している「閾値トレーニング」を行う予定だったんですが、疲れと筋の張りから、思い切って休養に切り替えたのですね。

ランマニアのような多くの生真面目ランナーは、こうやって予定していた練習を変えるとかやめるとか、というのは、本当に精神的にしんどいことと思います。(「今日はやめとくか」と簡単にやめられる気まぐれランナーが本当に羨ましい)

ですがランマニアは、最近こういう時は必ずこう考えることにしているのです。

「この練習をどうしてもやりたいのは、予定を変えたくないだけなんじゃないか? 本来の目的は速くなることだろう? 速くなるために本当に大事なのは、ここで怪我をしないことなんじゃないのか?」(そういえば、昭和の時代に流行したある格闘系マンガで「今日より明日」なんていう名ゼリフがありましたが、まさにそれです)

と。

そう考えるとですね、もう一人の自分が「うんうん、そうだそうだ。だから今日はやめよう。」と言ってくれて、無事に怪我や疲労を回避することができるんですね。

さて、そうやって一苦労しつつもなんとか予定を変更し、3日間スライドさせて、今日もう一度「仕切り直し」となったわけです。

ですがね、3日もスライドさせると、今度は「下手に失敗できないぞ」変なプレッシャーが出てくるわけですね。先発ローテーションのピッチャーが、雨でスライドして「中7日になったんだからいい球投げられるだろう」とファンにプレッシャーかけられるのと一緒ですね(プレッシャーの次元が違うし)。

そんなこんなで、今日は万全を期して閾値走を敢行しました。

この閾値走(閾値トレーニング)は、ダニエルズさん的には持久的トレーニングの中核に捉えている大事なトレーニングで、詳しくは本を読めばわかりやすく書いてあるのですが、とにかく一人でやるのはなかなかしんどい練習です。

ダニエルズさんの規定しているVDOTでは、ランマニアの閾値ペースはだいたい3分26秒くらい。

この閾値ペースはダニエルズさん曰く50〜60分走れる「快適なきつさ」のペースらしいのですが、いやいやとんでもない

確かにこのペースはランマニア的にはハーフマラソンのレースペースとほぼ同じで、まさにその「60分程度」(ランマニアでは70分以上)もつペースで、ドンピシャなんですが、これ、決して「快適」じゃないんですよ。

いや、多分、もう少し(というかかなり)若ければもっと楽なんでしょうが、基本的に年齢を重ねれば最高心拍数が徐々に落ちてきてしまうので、同じ酸素量を確保するにはおそらく呼吸でカバーしなければならなくなっていると思うのです。

だから、呼吸が異常に苦しい

脚はそれこそ「快適なきつさ」そのものですが、呼吸は快適なんてもんじゃありません。控えめに言って「死にそう」です。心拍数も最大180まで上がってましたから、これ理論値(220ー年齢)を遥かに超えちゃってます。

なので、このペースをダニエルズさんがエビデンスを示している「20分間」維持するには、それなりに調子の良い時でないと(ランマニア的には慢性疲労がある程度抜けている状態)難しいのですね。(実はこの辺はダニエルズさんもわかっていて、最新のVDOTでは「中高年用」があるらしいですね。原典の英文だったか、最新版だったか定かではないですが。)

そしてランマニアは、とにかく「20分」の方を優先させるため、ペースはいつも3分30秒を切るくらいに抑えて走るようにしています(力がつけばもっと上げようと思いますが)。

そんな閾値ペースでの練習でしたが、まず、最初の1kmは3分29秒とこれはまずまず。なんというか、狙った通りにペースが作れる時はだいたい調子がいい時です。

ところが、次は油断して3分33秒。多少向かい風の影響はあったものの、これは落ち過ぎ。

しかしその後は、ようやく脚の動きもよくなり、呼吸の苦しささえ我慢すればフォームも安定し、3分28秒、28秒、26秒と、最終的には本来の閾値ペースまで戻すことができました

こういう時に、「あの1日しっかり休んでよかった」と思うわけです。

ダニエルズさんのマラソン用プログラムでは、最終的にこの後60分のジョグを入れ、さらに20分閾値走をせよ、となっていますが、当然今のランマニアでは無理。

ただ、余裕はあったので、試しに30分だけジョグを入れて2本目をスタートさせましたが、まあいきなり3分52秒もかかりましたから全く話になりません

ただ、この閾トレーニングは、閾値ペースで走っている時のみならず、そのペースで走った脚の状態でさらに走り続けるところにポイントがありますから、ひとまずその劇遅なペースでも10分だけ走ってみました。(ていうか、快適っていうのは、これくらいのペース)

意外と余裕はあったのですが、ふくらはぎをいたわらなければならない状況なので、ここは我慢してやめました。「物足りないくらい」がちょうどいいのです。

こうして、あの金曜日の決断は結果的に功を奏しました

あの時、計画にこだわって無理に決行してしまっていたら、当然疲労でこんなタイムでは走れませんでしたし、たぶん肉離れもやっていたと思います。きっと今頃、「大後悔時代」に突入です。

ですから、練習量的には満足いくものではなくても、最低限のラインを維持できたことが今日は大きかったのです。

「嫌な予感」は体のサイン

ただの山登りも楽しいもんです。

こんにちは、ランマニアです。

この3連休、ランナーなら誰しも「よ〜し走りまくるぞ〜」とやる気満々で迎えた連休だったと思います。

ランマニアも、少なくとも1日は結構きつめのポイント練を入れる予定でした。サラリーマンランナーにとって、なかなかできない負荷の高いポイント練は、こうした連休はもってこいの機会ですからね。

しかし、ランマニアは今回はちゃんと休むことにしました

いや、この連休をまるまる休養に当てるのは、本当はもったいなくてしょうがないのですが、ここは我慢、今は無理しない、と決めました。

実は、昨日から今日にかけて、ちょっと超えてはいけない疲労のラインを超えつつある気配があり、このまま続けるのはあぶないな、と。

さらに、ランマニアのウィークポイントであるふくらはぎの張りについても、やはり超えてはいけないラインを超えつつあるので、こちらもあと一回無理するとあぶないな、と。

ランマニアの慢性疲労症状にしても怪我にしても、初期の「まだいけそう」な段階で取る行動が、走れなくなるかならないかの分水嶺だと考えています。

そして、今日はまさにその分水嶺で「嫌な予感」がしたので、今日はランをやめました。

「嫌な予感」って、体から発せられる何らかの異変を感じている証拠なので、ランマニア的には結構重視する感覚です(痛みの質とか疲労のレベルとか、言葉では言い表せない、なんとも言えない違和感を感じるとき)。

でも、せっかく天気もいいし体も動かしたいので、トレランではなく「ただの山登り」をしにいきました。

いつもなら力を込めてリズミカルに登っていく登山道も、ゆっくりゆっくり、のんびりと足を進めていくと、筋はまったく張らないし、むしろ適度に血流が良くなりほぐれてくる実感さえ味わえました。

帰りの下りは急坂を選ばず、ちょっと距離はありましたが、なだらかな尾根道を気持ちよく歩いてきました。

なだらかな尾根道は走りたくなる衝動を抑えながら

下は土で柔らかいし、坂も緩やかなのでふくらはぎにも負担はかからず、下山後はむしろ歩行中の下腿(膝から下)の軽さを感じるほどでした。

これ、おそらくアスファルトで「軽いジョグで様子見よう」とかやってしまったら、間違いなくふくらはぎは痛んだであろうし、疲労も軽快はしなかったと思います。

今日久しぶりにゆっくりハイキングをしてみて、改めて「走る」という行為は、かなりの負荷をかけているのだと、実感しました。

ジョグでさえ、脚にかかる負荷は相当なものです。

そして、走れないからといって、天気のいい休日に鬱々としているのもメンタルヘルス上よくないので、やれる楽しみを見つける、ということが意外と大事なのだろう、と。

とはいえ、周囲のラン友たちはみな、練習会やらタイムトライアルやらでとっても気になってたんですけどね。

ランマニアは故障マニア

こんにちは、ランマニアです。

昨日は久々の短距離練習。

200m全力走をやってみて、思ったよりも筋や神経系にダメージが出た感じがしたので、今日は思い切って休養にしました。

昨日の走行距離などは、アップ、ダウンを入れても7kmほどですから、以前のランマニアなら「7kmしか走ってないなら、今日もやれるだろ」と無理に走っていたと思います。

そういった、距離に拘らず、練習の負荷や脚への負担などを考慮して休めるようになったのは、やはり常日頃から自身の疲労や脚の感覚に目を向けられるようになったからだと思います。

さて、ランマニアは本格的に陸上を始めた高校生の頃から、多種多様な故障をしてきた経歴があります。

特に、30を過ぎた頃からの故障の頻度は、それまでよりも大幅に跳ね上がった印象があります。

高校では、長期間(3週間以上)にわたる故障はわずか2度しか経験していません。

一度は、長距離ランナーならおそらく誰もが経験する「シンスプリント(スネの内側の痛み)」です。比較的成長期の頃に起こりやすい故障ですね。ランマニアも、高1の頃発症し、2〜3週間程度休養を余儀なくされました。

二度目は、これは少しレアな故障ですが、膝蓋骨(膝のお皿)を覆う滑膜が骨の隙間に入り込んで痛みを生じる「タナ障害」というものに罹りました。

これはかなり厄介で、一月ほどの長期離脱になった記憶があります。また、これは大学時代にも一度だけなり、その時もかなりの時間棒に振りました。

ランマニアは、若い頃から走り方の特徴として、どうしても大腿部(ふともも)の外側の筋肉を使いやすい傾向があります。この「タナ障害」は、大腿部の内側(内側広筋と言います)をしっかり使って走らなければ発症しやすく、この怪我をして以来、走る時には常にこのことに気を配るようにしています。

学生時代まではおおむねこの程度しか故障はせず(大学時代は病気をしたので故障もしなかった)、比較的順調にパフォーマンスを向上させることができました。

ランマニアの故障が増えてきたのは、30歳を過ぎたあたりです。

故障の部位は膝から下が圧倒的多数(というかタナ障害を一度やった以外は全て膝から下)で、ふくらはぎ、アキレス腱、そして足底筋(腱)の3箇所を何度も痛めてきました。

最も多いのがふくらはぎの肉離れです。

レース中に大規模なものを1回(外から見て出血が見えるほど。3週間ギプス固定です。)やった以外は、「チク」っとなって数週間休養、というのを何度もやりました。

ふくらはぎの肉離れは、どこかに「チク」が現れると、ほかの場所にも波及するので注意が必要です。なので、「チク」っとしたくらいでは走れなくもないのですが、こういう症状が出たときは、すぐに休むようにしています。

最も厄介なのは、「足底筋(腱)膜炎」です。

こいつは下手をすると数ヶ月単位での休養を余儀なくされる場合が多いです。

なぜそうなるかというと、「そこそこ走れてしまう」からです。

走れないほどの「激痛」ではないため、「ジョグくらいならできる。だからジョグで様子を見よう」という判断をしてしまうことが非常に多いのです。

ところが、この足底筋膜炎は、ジョグをしただけでも確実に悪化します。そして最終的には、気づかぬうちにポイント練はおろか、ジョグすらできなくなって、気がつくと全治1ヶ月、とかになってしまうわけです。

この怪我は、はじめに足裏の土踏まずの張りや、かかとの土踏まずよりのちょっとした痛みが現れます。本当に軽い痛みですが、はじめは「まあ、走れるか」と感じるので、スピード練とかも普通にやれてしまうんですね。

しかし、この状態でペースを上げると、間違いなく痛みは広がります

どんな故障でもそうですが、初期対応が非常に重要です。

足裏の痛みがどこかに少しでもあったら、すぐに休むことが賢明です

アキレス腱炎は、前兆はあるはずなんですが、ポイント練習やレースの後などに突然発症することがあります。

昨年やったときは、1000mのインターバル後、突如発症しました

ただ、アキレス腱炎はチェック方法があります。

通常アキレス腱はつまんだくらいでは痛まないのですが、炎症を起こし始めると軽くつまんだだけでも激痛が走ります。

走っても痛くないのに、つまむと痛い、という場合があるので、ランマニアは常日頃から、アキレス腱をつまんで痛みがないかどうか確認しています。

故障は、最初に少しだけ痛んだ時に、思い切って休めば数日でよくなる場合がほとんどです。

しかし、数日を我慢できず、1日やってしまっただけで全治1ヶ月とかになってしまうことがあります。

ランナーは走りたくて仕方がない生き物ですが、その1日を我慢する勇気を持てるようにしたいものです。

私のことなんですがね。

コスパのいい練習を考えてみる

こんにちは,ランマニアです。

今日は公園のタータンコースを使って、久しぶりに短距離ダッシュを入れてみました。

普段使わないエネルギー代謝系を、もう少し積極的に使った方がいいんだろうなぁと最近感じていまして、先週の疲れが抜けてきた頃合いを見計らって今日の実施となりました。

滅多にしてこなかった練習なので、苦しさやキツさがわりと新鮮で、そして思ったよりも快調に走れた(はたから見たら、変なおっさんがダッシュしてるよ、って感じだったでしょうが)ので、楽しく終えられました。

さて,ランマニアはかねてから,練習というのは経済の世界でいう「投資」と「リターン」「リスク」の関係に似ているのではないか,と考えていました。

今日は,そんな「ランニング」の「エコノミー」(経済)について考えてみようと思います(フォームの話じゃないんかーい)。

いうまでもなく我々の日々取り組んでいる「練習」は,自身の走力を高めるための「投資」です。間違えてはいけないのが,「走力を高めるためのもの」が投資なのですから「休養」も投資と考えることができるということです。表現を変えれば、「走る練習」と「走らない練習」と区別すれば良いでしょうか。

そして,その投資によって得られるものが「走力」です。もっと端的に言えば長距離走やマラソンでは「記録」です。

自分の体力や時間を使って「練習」し(投資し),満足のいく「記録」を得る(リターン)経済活動が,我々の日々行なっているトレーニングであると考えています。

しかし「投資」には必ず「リスク」が存在します。

「練習」によるリスクはいうまでもなく「疲労」や「故障」ということになります(もっと広い意味で考えると「記録が伸びず意欲が低下する」などの心理的な要素も含まれると推測します)。

そのような見方をすると、経済と同じで「ハイリスクハイリターン」な練習や「ローリスクローリターン」な練習が存在したり、その逆同士の練習もまたあるわけです。

そして、限りある人生、そして日々の限りある時間のなかで、できれば「コストパフォーマンス」に優れた「コスパの良い練習」をできるだけ多く選択して取り入れた方が、結果的にいつまでも息の長いランナーでいられるのではないか、というのがランマニアの考えです。

では、コストのかかる練習とは、どんな練習でしょう。

ランマニアが練習を選択する時に、コストがかかりそうだな、と思うのは、やはり「時間のかかる練習」「距離の長い練習」を想像します。また、強度の高い練習も「心理的なエネルギー」をかなり注ぎ込むので、これもコストがかかるなぁ、と感じます。

そしてコストのかかる練習は「リスクも高い」ということです。故障のリスク、疲労が長引くリスク。

できれば脚にダメージを残したくない、疲れさせたくない。ランマニアは結構この部分を重視してコスパを考えています。

そう考えると、おそらく最もコストのかからない練習は「走らない練習」、つまり「休養」ではないかと考えます。ただし、休養はあくまで「走ること」とセットなので、これ単体では投資にならないのが注意点です。

次に「リターン」を考えてみましょう。

実はここがとても重要で、なぜ重要かというと、これは人それぞれに大きな違いがあるからです。そして、そこを見極めないと「リターン」だと思い込んでいたら、まったく「リターン」になっていなかった、ということになりかねません。

「リターン」とはすなわち「トレーニング効果」ですね。リターン0は効果0ということです。

で、その「効果」というのは、人それぞれに違いがあるのです。

例えば、ランマニアは元々生粋の長距離ランナーで、最大酸素摂取量や乳酸性閾値などは、だいぶトレーニングによって鍛えられてきた自覚があります。言い換えると、だいぶ伸び代はなくなりつつある、ということです。

こういうランナーにとって、例えばキツいインターバルトレーニングなどは、そのキツさに反してあまり効果(つまり「リターン」)が見込めません。もし効果を上げたいのなら、もっと強度や本数を伸ばすなどしなければならず、それは非常にリスクを高めます

一方で、たまたま今日行った、高強度の短距離走などは、これまであまり使ったことのない代謝系をかなり使うので、ここにはまだ伸び代が残されている気がしています。なので、自分にとっての「リターン」は、今日の練習の方が大きい可能性があります。

とはいえ、では、効果がないならインターバルはやらず、短距離ダッシュばかりやれば良いかというとそういうわけにもいきません。

そっちはそっちでやらなければその機能は急速に失われていきますから。

つまり、ランマニアにとってのインターバルトレーニングは、今の力を「維持する効果」があるのです。「維持」という大切なリターンが存在しているのです。

こうやって考えてくると、「自分にとっての効果(リターン)」とは果たしてなんだろう、という非常に複雑な問題をはらんできます。

最もコスパの良い練習は、言うまでもなく「ローリスクハイリターン」な練習です。

ですが、それを見極めるのは非常に難しい。

今日の200mレペティションだって、故障のリスクはそれなりに高いものでした。

また、練習の頻度によっても「リスク」の程度も変わってきます。しっかり疲労を抜いた状態でやる練習よりも、疲れながらも押し通す練習の方が何倍もハイリスクです。

そこでランマニアは、逆を考えることにしました

「ハイリスクローリターン」の極悪練習を避ける、と言う選択です。

ハイリスクローリターン、という大変コスパの悪い練習の代表格は、「ものすごく疲労が溜まっている時の、30kmや40kmのロングジョグ」などをランマニアはイメージします。

以前はこうした「疲れた状態で押し通す練習」がなんとなく効果がありそうに感じていたものですが、いまでは確信を持って「非常にコスパが悪い」と断言します。

とにかく「疲れている時の練習」というものが、そもそも「ハイリスク」なわけです。

そして、「リターン」は「休養」つまり「走らない練習」をしている時に得られるものなので、疲れている時の練習はみすみすそのリターンを手放しているのと同じなわけです。

ですから「ハイリスクローリターン」

そう考えると、コスパの良い練習がだんだん見えてきます。

それはもうお分かりのとおり「疲れていない時の練習」ということになります。

「疲れていない」という時点でかなりリスクは低い状況になります。その中で、自分の伸び代にとって必要な練習を選択し、それを無理なく継続することが、結局のところ「コスパの良い練習」になるのではないかと、ランマニアは考えています。

誰に習ったわけでもなく走れる私たち

こんにちは、ランマニアです。

ここ最近、ポイント練から次のポイント練までの間は、できるだけ疲労を取るためのゆっくりとしたジョグを続けています。

何度も繰り返している、「出力0」「努力度0」のジョグ、というやつです。

しかし、この感覚がイマイチ伝わりにくい表現だな、というのはずっと思っていて、ランマニアは今日もだらだら走りながら、そのことについてどう表現すれば伝わるかな、と考えていたところです。

走ってるんだから、努力度0とかそんなことあり得ないだろ、と、たぶん思われてるだろうな、と。

確かにですね、厳密にいうと0はないんです。0なら、なにもしてない状態ですからね。

そこでどんな状況を考えれば、その感覚を想像しやすいかなと色々頭に思い浮かべていて、今日たまたま下り坂を走っている時に、それを思いついたのです。

みなさんも、少し急な下り坂に差し掛かると、たぶん多くの人は脚が勝手に動いていくと思うんです。そりゃそうですよね、脚が動かなければ、そのまま転んで転がっていってしまいますからね。

じゃあ、なぜ、脚が勝手に動いて、走動作が自然と生まれるのでしょう。

これは、人間が二足歩行の動物で、もうそうやって歩いたり走ったりすることを前提として生まれてくるからですね。生まれた時から(いや、生まれる前から)人間の脳に組み込まれたプログラムなんです。

生まれてきた赤ん坊が、誰に教わったわけでもなく、いつのまにか立ち上がって、自然と二本の脚を交互に動かして歩けるようになりますよね(走れるようになりますよね)。赤ん坊が教わってもないことが自然とできるようになるのは、体の仕組みとしてプログラムされているからです(音に反応する、光に反応するなどもそうです)。

ですから、人間が前に進むための方法は、誰に教わったわけでもなく、みな共通にこの方法を自然と習得するのです。

ですから、重力が働いて、体が勝手に前に倒れそうになると、本当は色々な方法があってもいいのでしょうが、人間は誰でも自然と、この前に進む方法を用いて転ばないように歩を進めるわけですね(身体機能が衰えてきた老人などは別ですが)。

ランマニアは、基本的にこの原理が「走る」動作の原点であると考えています(というかそういう教え方をするスポーツバイオメカニクスの専門家がいます)。

しかし、この理論だけでは、下り坂とはいえ「勝手に進む」ことを説明することにはなりません。

例えば、もし下り坂で前に倒れ込んだ際、片足を着地した時に、どうしてそのまま倒れたり転げたりしないのでしょう。

それは、筋肉が骨を覆っているからです。

もし骨格だけで坂を下れば、そのまま前に倒れ込んでしまうでしょうが、そこを筋肉が防いでくれているのです。

ではどうしてそれが「勝手に進む」ことと関係しているのかといえば、筋肉は「引き伸ばされると勝手に収縮する仕組み」を持ち合わせているからなんです。

これもネット上にわんさかあふれてますから調べてもらうといいのですが、筋肉には「筋紡錘」とか「腱紡錘」とかいうセンサーみたいなものが備わっているのですね。

このうち「筋紡錘」は筋の長さを感知するセンサーで、これが「伸ばされた」と感知すると、脊髄にある神経に情報を送って「勝手に筋を収縮させる」命令が送られるようになっているのです。いわゆる「反射」というやつですね。

この「反射」という仕組みは、脳を経由せずに「不随意的(意図せず)」に筋を収縮させることができるため、自分の意思とは無関係な筋収縮なわけです。

つまり、「意図せず筋力を発揮できてしまう」わけです。

こうした筋の「伸長反射」は、特に重力に逆らう時に発揮する筋(抗重力筋)で起こりやすく、「下り坂を走る」などはまさにそうした状況なわけです。

さあ、勘の良い方ならそろそろお分かりかと思いますが、この伸長反射による筋収縮は、「脳からの指令は0」、つまりランマニアがよく言っている「脳からの出力0」で発揮できる筋収縮と言い換えることができます。

そうなんです。ランマニアが常々「できるだけ頑張らない、できるだけ出力0」と言っているのは、この人間の体の仕組みとして備わっている「脳からの指令なしで筋を収縮させる仕組み」を意識することだったのです。

そして、前述の、人間がほぼ反射的にとってしまう「歩行動作」「走動作」の関係を加えて、

勝手に歩行(走行)動作を取ろうとする仕組み

勝手に筋収縮を発揮する仕組み

とを、うまく利用しながら前に進む(走る)意識のことだったのです。

この二つの力をできるだけ借りながら走る意識が「出力0」というわけです。

ところが、当然これは「下り坂」に限った話で、通常の平坦な道や、ましてや登り坂などではこんな「出力0」なんて、自分で言うのもなんですが、ありえません。

ですが、軽い下り坂ならほぼこの仕組みを利用できますし、平坦路でも体を前に倒そうとすれば勝手に脚が出ますから、そのまま脚を着地するだけで、「ある程度は」伸長反射が起こり、反力を補うことができるわけです。で、足りない分は「自分の意思」、つまり「努力」で筋力を発揮し前へ進もうとするのです。

そしてこの「努力」の部分を調整しながらペースをコントロールするわけです。「出力を変える」というのは、つまりはこういうことです。

では、この前のペース走の後のように筋が極度に疲労していたり、あるいは微細な損傷が起こっていたりするときはどうでしょう。

ここはランマニアの想像なのですが、こうした伸長反射によって発揮される筋力がだいぶ低下してる(動員できる筋肉と神経の単位が減っている)のではないかと考えるのです。

だから同じ「脳からの出力0」では、元気な時と同じような筋力は発揮されず、より「努力」の部分に頼らなければ前に進まなくなるのではないかと考えています。

そして、そのように疲労している状態で、無理に脳から強い指令(出力)を出して筋を収縮しようとすれば、疲労している筋にもダメージが加わるだけでなく、高出力を加え続けられる「神経系」(電気が流れるリード線みたいなもの)にもダメージが出るのではないかとも考えています。

ランマニアが疲れを取る時に常に「出力0」を意識するのは、こうした理屈からなのです。

「今は速くならなくてもいい」

こんにちは、ランマニアです。

昨日自己最長距離のペース走を行なって、今日はどうなってしまうかと戦々恐々としていたところ、思ったよりも元気なので拍子抜けしています。

ですがね、こういう時が一番危険なのですよ。

前にも話しましたが、結構脚にはダメージがあるにもかかわらず、脳が元気、みたいなギャップがある時期なんです、翌日は。だから、ここはもうこの脳からの「暗黒面」への誘惑に負けてはいけない時期です。

絶対に走らない

さて、もうブログで何回も書きましたが、ランマニアはとにかく今の調子の良さをできるだけ長く維持したいと考えています。

昨日の30kmペース走でも、ほどほどの疲労感でやめておいたので、たぶんしっかり休めばまた来週もいけるでしょう。

このサイクルを、しつこいようですがとにかく維持なんです。

ちょうどいま、当分試合がないこともあって、変な話、練習しながら「今は別に速くならなくてもいいかな」って思いながら練習している自分がいます。

今は速くならなくてもいいから、これ以上無理はしない

今は速くならなくてもいいから、やれそうにないことにはチャレンジしない

今は速くならなくてもいいから、物足りないくらいでやめておく

この毎日ですね。

「速くならなくてもいい」と思うと、先に練習メニュー決めて「それをなんとしてもこなさなきゃ」がなくなってきます。

確かに、来週は閾値走やろう、とかインターバルやろう、とかおおまかな予定はあるのです。

でも、例えば、前日とかの調子で、「う〜ん、明日は3本でいいかな」とか「いけそうだから30kmチャレンジするか」といった具合に調子に合わせてメニュー組んでいる状態です。(これはぼっち練の最大の恩恵ですね。)

なぜそんなにおおらかでいられるかと言えば、やっぱり「今は速くならなくていい」と思ってるからですね。

今はまだいいのです。今はまだ、毎週のポイント練をこなせる程度で。

ですが、そんなことを言っても、心の奥底の奥底では、「こうやって『今は速くならなくていい』なんて練習していたら、もしかして速くなったりするんかな・・・」とか囁いている悪いランマニアもいるんですが。

こいつが暗黒面の正体です。

曖昧な概念を具体化してみました

こんにちは、ランマニアです。

ランマニアは、今日ついに30kmペース走をやってみたんですよ。実は、これランマニアにとっては初めてのことなんです。

これまで、レースでは当然42kmを走っていますし、ジョグならそれくらいの距離は何度もあります。しかし、ダニエルズさんの理論で言われているマラソンペースでの練習では最長なんですね。

このマラソンペースでの練習は、マラソンのトレーニングの中では重要なトレーニングの一つとして考えられており、本来はもう少し頻繁に取り入れなければならないのですが、比較的長い距離、時間が必要となることから、それを確保できる時間や体調を調整しなければならない点で、ランマニア的には若干ハードルの高い練習かなと思っています。

なのでこの手の練習は、よほど調子の良い時でないと、ランマニア的には遂行不能なわけですね。

しかし、以前も話した通り、今ランマニアは体調維持が非常にうまくいっていて、今ならやれるんじゃないかと考えたわけです。

そこで今日は、1周1050mのタータンコースがある公園で、ぐるぐるぐるぐると、気が遠くなるような練習を敢行したのです。

本来このペース走は、ダニエルズのVDOTではMペースと呼ばれるゾーンで行わなければならないのですが、今日はなんとか30kmを達成したい、という自己満足的な目的があったので、スタートから無理にペースは設定せず、「これなら30kmはもつ」という努力度(後で説明します)でペースを維持しました。

その結果、だいたい1kmあたり4分一桁から3分58秒くらいのペースで推移しました。

そして、結論から言いますと、おおむねそのペースを維持したまま、最終的に2時間1分40秒くらいでなんとかゴールすることができました。まあ、ひとまず目標達成です。

しかし今回はちょっとある試みをしてみたんです。

先日、自分がペースを維持する時に「どれくらいの努力感」でそのペースを作っているか、ということを常に意識して走る、という話をしましたが、その「自覚的努力感」を今日の30km中、ずーっとモニタリングして走った、ということです。

ちょっと話はそれますが、その例の「自覚的運動強度(Rate of Perceived Exertion)」を直訳すると、ランマニアが定義した言葉とそのまま同じ「自覚的努力感(exertion=努力)」になってしまうんですね。ですから、本来のこのRPEって、ランマニアが想定しているような「心的な努力」のことについて測りたかったのではないのかな、と思ったりもするわけですね。実際の健康診断なんかでの使われ方をみていると「今のしんどさは?」っていう印象ですから、ニュアンスとしてどうなんだろう、と。

で、今日もそうなんですが、ランマニアが意識したい「ペースを維持する際の心的な努力」というのは、「きつさ」とかとはちょっと違うんです。これ、ランナーにしかわからない感覚だと思うんですが、あるペースを維持したり上げたりするときって、ちょっと「頑張る」わけじゃないですか。

その「頑張り」って厳密にいうと「きつさ」とは微妙に違うというか。別にきついわけではなく、意識を集中しなければならないというか、う〜ん、やっぱり「努力」なわけですよね。ランマニア的には「出力を調整する」っていう表現が自分としてはしっくりくるんですけどね。

なので、ランマニア的にはここは明確に分けるために、もう一つの「努力」を示す英語として「effort」を用いようと思います(こっちもEで紛らわしい!)。

なので、ランマニア的に定義した「自覚的努力度」は「RPEffort」と表記します。

そして、今日の30km走行中、1kmごとのラップとRPEffortとを重ねたグラフがこれになります。

折れ線グラフがラップ(秒)ですが、下に行くほど速いことになります。また、RPEffortはMAX20で考えています。

まあ、「自覚的」ですから、自分の体感的な「努力度」なんて非常に曖昧なんですが、このグラフで面白いのは、いったんペースが上がってからRPEffortが下がる時間帯があるってことですね。

特に、序盤はまだ体が目覚めてなく、心臓も動きにくいこともあり、ペース作るのにちょっと力入れなければならないのですが、体が温まり出すと、同じペースでも意識しなくても勝手に維持できるんですよね。

これ、多分レース中はこれよりももっと速いペースでもRPEffortが4とか5の時間帯が多くなると思います。理由は昨日書いた通りです。興奮して麻痺するんですね。

で、今回ランマニアが特に着目したいのは、最後の4〜5kmで急速にRPEffortが上昇している部分です。

この部分は呼吸がキツくてこうなってるんじゃなく(元祖RPEはそっちの意味合いが強いですよね)、とにかく「頑張らないと」脚が動いてくれない、っていう感覚です。マラソンやったことのあるかたならよくイメージできると思います。

なぜ着目したいかというと、ランマニアにとって、この時間帯が長いと疲労が抜けにくくなるんじゃないか、って想像しているんです。

この時間帯って、もちろん筋が疲労したりダメージを受けたりしているんだと思いますが、それを動かそうと「神経系」もかなり頑張っちゃってるんですよ。「動け動け!」って。

ランマニアの慢性疲労が神経系の疲労だとすると、こういう「努力感」の強い時間帯が続くと疲労症状が急速に悪化するわけですね。

今日の最後の4、5kmはランマニア的に相当負担がかかったと思っています。

で、今後長期的にこれをモニタリングしていこうと思っているのですが、もしこのRPEffortが15を超える前に練習やめておくとどうなるか、っていうのもちょっと検証したいな、と。

たぶん、調子の良い状態は保てると思うんです。

でも、トレーニング効果はどれほど望めるのか、というのが重要です。

インターバルにせよ、レぺにせよ、閾値走にせよ、全部この努力度の15くらいでやめてしまう。そしたらどうなるか、ランマニア的には大変興味深く思っています(インターバルやレぺが果たして努力度15以内で収まるかは疑問ですが)。

こんな練習で正気か?と思われそうですが、実はランマニアは結構本気で今から2時間35分を切ろうと目論んでいます

それには慢性疲労症状をいかに抑えながら練習を継続するかがポイントだと思っていまして、そのためにこの方法はどうだろう、と考えているのです。

オーバーペースの心理学

こんにちは、ランマニアです。

ランナーなら誰しも経験があるオーバーペース。

オーバーペースの定義って難しいですが、例えば、レースの後半の方がペースが上がる「ネガティブスプリット」以外は全部オーバーペース、と言ってしまうのは少し乱暴な気がします。

例えば、フルマラソンなどは日本記録が出るときさえもネガティブスプリットとはいかないですからね。日本記録が出てもオーバーペースと言うのはやはり語弊があると思います。

とはいえ、ランナーの皆さんなら、オーバーペースと言えば「ああ、ああ言う状態でしょ」と言う共通認識はありますよね。もう思い出したくもないあのレース終盤の悲惨な状況。惨状

ランマニアが自覚しているオーバペースレースで最も古いものは、高校1年生でのデビュー戦5000mです。

中学まではレースで走ってもせいぜい3000mでしたから5000mなんて未知の世界だったわけです。しかも、長距離のなんたるやも全くわかっていない勘違い野郎

初レースで張り切っていたのでしょう。スタート直後から猛烈ダッシュですよ。多分ですね、100mのベストタイムより100mの通過は速かった気がします。

ですが、それでも意外と持つんですね。うっすらですが2000mくらいまでは「これいけんじゃね」って思ってた記憶があります。

しかし、様相が激変したのは3000m過ぎです。

呼吸が猛烈に苦しくなり、顎が上がり、脚がピタリと止まったのです。若かりしランマニアには訳がわかりません。まさに「なんじゃこりゃぁ〜」です。

そしてもうそこからは皆さんのご想像通り。まあひどい走りです。ジョグですよジョグ。後続の選手たちに、まるでランマニアが電柱に見えるほど豪快に抜かれ続けます。

タイムは16分50秒切るくらいだったでしょうか。100mをベストで通過しながらこのタイムですから、いかに終盤ペースが落ち込んだかがよくわかります。

これが皆さんの想像するオーバペースですね。

さて、これはランマニアの若気の至りで済まされますが、実は大学でも社会人になっても、そしてこんなおっさんになっても、こうしたオーバーペースの失敗って、程度の差あれ数年に一度やらかします。学習しろよ、って思うんですが、いまだにやらかします。去年などはスカイレースですらやらかしました。

オーバーペースは、「そのレースの距離を走り切るためにあきらかに相応しくないエネルギー供給系を序盤に使って走るペースのこと」、だと思っています。

マラソンレースなら5000mとか10000mのペース、5000mレースなら800mとかのペース、です。

マラソンのような比較的長い距離におけるオーバーペースと、5000mくらいの短めの距離におけるレースペースでは、その生理学的な機序はやや異なると思います。しかし、いずれも序盤の「速すぎるペース」がたたって後半に大失速するという状況は共通しています。

こうした体内で起こっている生理学的な変化は体内の仕組みですから、一度そうなってしまうともう自分の力ではどうにもできない現象です。

しかし、「速いペースで突っ込む」という「状況」は、ある意味自身の意思や判断によって作り出された「状況」ですので、これはコントロール可能な心理的な問題です。

そこで、今回ランマニアは、こうした状況が起こってしまう心理学的観点から、人がオーバペースに陥るメカニズムを解明しようと試みました。

なぜ人はオーバーペースで突っ込むのか

この状況を考えるにあたり、抑えておきたいのが人間の脳のメカニズムです。

人間とて動物の一種ですから、脳の中には人間が進化の過程で人間になる前から備わっている、古い脳の領域があります。それが中学や高校で学んだ記憶があると思いますが、大脳の「辺縁系」という部位です。

この辺縁系には人の動物としての本能的な欲求や感情(情動)が生起する部分があり、そこが興奮すると、人間といえども「動物」と化してしまいます

腹が減る、眠りたい、恐怖を感じる、攻撃したい、逃げ出したい、といった感情や欲求が生起した状態です。

そして、ランナーにもそうした動物と化してしまう瞬間があると、ランマニアは考えています。

それが、スタート前、スタートする瞬間です。

人間は動物だった頃の名残で、恐怖を感じたり、脅かされる存在(外敵)に遭遇した際には、辺縁系にある「扁桃体」という部分が急激に興奮するようにできています。

ここが興奮すると、人間(動物はすべて)は「闘争か逃走」の反応が引き起こされます。つまり、交感神経が優位となり、瞬時に「戦闘モード」に切り替わるのです。

交感神経が優位になると、心拍数が上昇し、瞳孔が開き、手のひらに汗をかき、神経系の伝達スピードがマックスになります。もう、自身の身体的機能を最大限に発揮するためにフル機能が発現するのです(古い話ではスーパーサイヤ人みたいなもんです)。

長距離レースも含め、スポーツは「擬似的な戦闘体験」です。長距離は自分のタイムとの競争だとはいえ、スタート時に他のランナーに囲まれれば自然と彼らは「敵」と脳は判断してしまいます。敵を前にして「相手に勝つ」というのは本能的な習性です。

さあ、ランナーの多くはこうしたスタート前にはたいがい緊張するものです。この緊張感こそ、扁桃体の「情動反応」で、「闘争逃走反応」が引き起こされている状態です。

つまり、スタート前のランナーは、すぐにでも身体機能を総動員して敵に勝つ(あるいは逃げ切る)準備が完了した状態なのです。「かかってこんかい!」の状態です。

この闘争逃走反応の目的は、とにかく「その場を凌いで」生きながらえることです。敵を倒すか逃げ切るか。その場さえ凌げればいいのです

しかしどうでしょう。長距離種目は、その場さえ凌げば良いわけではありません。10000mでさえ30分以上、マラソンなんぞは3時間近くです。

つまりランナーは、体は「その場しのぎの臨戦態勢」になっているにもかかわらず、レース自体はそうではない、というギャップが生じていることになります。

これこそが、オーバーペースの原因なのではないかとランマニアは考えてみたのです。

その場しのぎの臨戦態勢でスタートを切って走り出したことを想像してみてください。近所の野良猫が、こちらの気配に気付いて一目散に逃げ出すような状態です。

もう迷わず、全開走行ですよね。

LT超えないようにとか、有酸素性糖代謝をできるだけ使いながら、などと、そんな悠長なことを考えている暇はありません敵は目の前にいるのですから。

その状態でスタートを切って走り出してしまった状態が、オーバーペースなわけです。いや、マラソンだからオーバーペースですが、人間が生き残るための行動としては至極当然な適応的な行動です。

つまり、本来は人間としてまっとうな反応なんですが、長距離種目という人間が勝手に決めたスポーツルール上ではオーバーペース、という概念にあてはまるということなんだろう、と。

では人間はそうした本能のまま行動してしまうかというと、決してそうではありません

脳にはもう一つ前頭前野と呼ばれる、扁桃体の反応を制御する部分があります。人間が生活する上で、自身の欲求や感情を抑えて社会的に適応するために働く部分です。

オーバーペースに陥らないランナーは、この前頭前野をしっかり働かせて、みずからの闘争逃走反応をうまく制御していると考えられます。

「本当は、スタートから全開で走ってしまいそう」、「でも、ここは終盤に備えてしっかりペースを押さえるんだ」というように。

ようやくここでランマニア的に解明できました。

オーバーペースは本来持っている人間の反応によるもの

それを防げる人は、しっかり前頭前野を働かせて走れる人

では、前頭前野をうまく働かせるには?

これもひじょーに長くなるので、また別の機会で。