まさかこんな46歳を迎えられるとは

こんにちは、ランマニアです。

今日は46回目の誕生日でして、Twitterではたくさんの方に「いいね」のお祝いをいただきました。恐らく、人生で最もたくさんの方に祝福された日になったことでしょう。

さて、このブログでも何度か触れてきましたが、ランマニアは基本的に「全開」でトレーニングはできません。詳細は過去記事に書いてありますが、とにかく無理をして追い込むようなことをすれば、とたんに数日から数週間は走れなくなります。

なので、社会人になり競技に復帰したとは言え、常に「完全にはやれない状態」と付き合いなながら、なんとなく日々の練習で無理のない範囲でジョグをしたりインターバルをしたり、まあいってしまえばお茶を濁しながら練習をしてきたのですね。

記録更新を目指そうと思ってもレース当日の体調が優れず撃沈したり、相応の記録を目指すためのトレーニングに耐えられなかったりして、知らず知らずのうちに「もうこんなもんだろ」という感覚が染み付いていたのは事実です。

ところが、昨年の11月以降、ちょっとトレーニングへの向き合い方を変えてみる機会が訪れました。

それまでは、はじめに「こうあるべき」トレーニング内容が存在していて、それに自分の体を合わせようとして走ってきたのですが、これがどうも長く続けられず、調子もすぐに壊す悪循環が続いていました。その中で「たまたま」調子の良い時にレースに出ると記録更新(フルに限ってですが)、という感じでした。

しかし11月以降たまたまなんですが、ちょっと毎週のようにレースが続いた時期がありました。今にして思うとあまり良いことではなかったのですが、このサイクルが自分の練習への向き合い方を変えるきっかけになりました。

みなさん経験されている通り、レースに出るとかなりの負荷がかかりますから、その後しばらく疲労が抜けずまともな練習ができなくなります。

それでも練習は継続しなければなりませんから、レースとレースの間に何もしないわけにはいきません。ある程度の疲労を抱えたまま。

この時期、とにかく毎週のようにレースがあったものですから、この平日をどうこなすかが結構大きなテーマになっていました。

で、以前なら「スピード落とさないように一度くらいはポイント入れなきゃな」と思って、疲れていても無理にインターバルをしたりしていたのですね。

当然、体にはこたえます。新たな疲労を溜めて次の練習を迎えることになります。

なので昨年11月からは、この平日は「自分の疲労に従って強度、ペース、時間を決めよう」ということにしました。

先に「メニューありき」の練習を「トップダウン的アプローチ」とすれば、先に「体調ありき」の練習を「ボトムアップ的アプローチ」とでも言いましょうか。自分の体調に合わせて練習が決まっていく、非常に流動的で柔軟な練習方法です。

これがはまったのですね、久々に。

走っている最中に疲れが大きいと思えば、それ以上ペースを上げない。アップの時点で無理そうならもうスピード練はやらない。試合後2日間はだるいから走らない。

もうそんないい加減なテキトーな基準です。気持ちの赴くまま。

ところが、このサイクルでレースに出続けていたところ、毎週のようにそこそこ結果を残すことができ、疲労も以前のように一線を超えにくくなってきたのですね。

そうこうしているうちに、突然自粛生活が始まり、レースも無くなりました。

ここで考えました。「今なら系統立った計画的な練習ができるんじゃないか」と。

レースもない。1週間の調子の維持の仕方もなんとなくコツがわかってきた。在宅で時間もある。

これまさに「今でしょ」ってやつでしたね。

そしてたまたまダニエルズさんの第3版を手に入れて、体力向上プログラムなるものが目に止まり、内容をざっと見ると、週2回のQデー(質の高い練習の日)のメニューが、ギリギリランマニアでもこなせそうなレベル。残りの5日のジョグが思いの外長いのが気になりましたが、でもペースを抑えればなんとかいけるんじゃないか、と思ったのです。

とは言え、はじめはどうせ2週間くらいでいつも通り疲労がたまって終わるだろうと思っていました。キツければやめればいいんだし、と。

確かに、フェーズ1の1サイクル目は相当しんどかったです。400m10本なんて20年以上やってませんから、初めてこれやった日はその夜起き上がれないほどで。こりゃ無理だな、と。

でも、まあとにかく撃沈しようがどうしようが、ひとまず続けてみようと思い、ジョグのペースはしんどいならもうキロ6でもなんでもいいから時間まで走ってみようと。クオリティは考えずにとにかく書かれていることをやり続けてみよう、と。

それを繰り返しているうちに、46歳になってしまったんですね。

もうランマニア的には信じられない思いです。こんなに長い期間トレーニングを継続でき、しかもそれが週2回の高強度練習と週1回のロングランが入った内容ですからね。これが3ヶ月半も続いてしまったのです。

この数ヶ月で気付いたのは、以前Twitterにも書いたのですが、恐らくこれまではいきなり強度や負荷を一気に上げすぎたために体が耐えられなかった。これが最大の失敗だったと思っています。

そして、ランマニアのような不可逆的な疲労症状を抱えていても、しっかりと小さなステップを積み重ねていけば、本当に徐々に徐々にですが溜められる疲労のキャパシティーも上がっていくのかもしれない、と体感的に実感できたのですね。

まさに、ボトムアップから入りトップダウンに耐えられるようになった、そんな実感です。

それが実感できたら、もしかしたらこの先もこうして少しずつ練習の強度や負荷を積み上げていくことで、結構本格的なトレーニングもできるようになるんじゃないかと思っているところです。

昨年45歳の誕生日の時は、まさか翌年こんなことを考えられるようになるとは想像もできませんでした。

唯一残念なのはこの成果を発揮するためのレースがないことですが、しばらくは「私設」の記録会などに出走して現時点のパフォーマンスを確認してみようと考えています。

燃え尽きないために

こんにちは、ランマニアです。

今日はフェーズⅣに入って二度目のLTインターバル(クルーズインターバル)で、先週よりもだいぶ余裕を持って同じペースで走れるようになってきました。

疲労の関係もあるでしょうが、先月のフェーズⅢでは3分25秒ペースがかなりいっぱいいっぱいだったところ、先週今週は3分20秒を切ってしまうような回もあり、同じ3分25秒ペース(Tペース)がずいぶん余力を残して維持できるペースとなった気がしています。脚を割って顕微鏡でミトコンドリアなどを観察するわけにはいきませんので、こうした感覚だけが頼りなわけですね。

さて、このダニエルズのプログラムを始めてこれまで特に気を付けていることがあります。

それは、常に「余裕を持って走る」という意識です。

この「余裕を持つ」というのは、フィジカルな面でもあるしメンタルな面でもあるのです。

例えば、フィジカルな面で言えば、呼吸がいっぱいいっぱいにならないように、とか、脚の疲労が限界近くにならないように、といった身体からのサインに耳を傾けながら。

メンタルな面で言えば、「相当しんどいけど、ここは気持ちで押していくぞ」的な、「頑張る」状態をできるだけ避けるように、といった感じで。

これらは兎にも角にも、当然故障の防止という最大の目的があるのはいうまでもなく、さらにはランマニアの抱えている慢性疲労を悪化させないようにという、身体的、生理学的な目的が多くを占めています。

しかし、同時にもう一つ、ある重要な目的のためでもあるのですね。

それは「燃え尽きないため」

ランマニアは、学生時代から本当に走ることが好きで好きで、いまだにこれを超えられるような趣味や、これ以上に興味があるものに出会うことがないほど数十年にわたってこの趣味を続けてきました。まあ、やめる時は死ぬ時だろうな、というくらい、走ることのない生活は想像できない、といった具合です。

ところが、実はそんなランマニアが唯一、たった一度だけ「燃え尽きそう」になったことが、かつてありました。

それは、本当に最近のことなんですが、2017年にフルマラソンで自己ベストを出した時です。

2017年の東京マラソンで、ランマニアはそれまで絶対に切れるとは思っていなかった2時間40分を切って10年来の目標を達成したのですね。

その時の嬉しさといったらなく、大袈裟でなく「もう死んでもいいや」というくらいの達成感と充足感に満たされたのでした。

ところがそれから1ヶ月あまり、それまで経験したことのないような「無気力感」に苛まれることになります。

なんというか、もう走る目的がないというか、これ以上の記録の向上は想像もできないというか、とにかく感じたことのない気の遠くなるような絶望感に近い無気力感。

なぜ、こんな気持ちになってしまったのかというと、実はその東京マラソンまでの練習では過去にないほど体を追い込んでいたのですね(いや、そんな大した練習ではないのですが、ランマニア的にです)。正直、毎日仕事終わりにその練習を継続するのが本当にストレスになる程(今の状態がかなりいいので、当時の状態を振り返ると相当ストレスになっていたことに気づく)、我慢に我慢を重ねていたのです。

なので、ついに念願かなって到底たどり着けるとは思っていなかったような大記録を打ち立ててしまったときに、正直「もうこれ以上は頑張れない」という今まで一度も感じたことのないような感情が湧いてきました。

なんということだ、「走りたくない」という気持ちが芽生えている。

驚きましたね。走りたくない、なんて一度も思ったことのなかったランマニアがそんなことを考えていたのですから。

幸い、そこで少し気分を変えてスカイランニングの方にウェイトを置いたところ、いつの間にかまた走るのが楽しくなっていましたが、あの3月、4月は本当に危なかった。

人間は、「頑張っても頑張ってもその労力が報われない経験」を重ねると、「学習性無力感」という気持ちに支配されます。いわゆる「無気力」「やる気のなさ」というやつですね。

あの時のランマニアは、頑張って頑張ってそれが報われたのですが、その後、さらに記録を伸ばすには「もっと頑張らなければならない」という「気の遠くなる感じ」が、「擬似的に」無力感を感じる原因となっていたものと思われます。もうあんなにしんどい日々を我慢するのは無理、という感じですね。

ランナーは記録の向上のためならいくらでも(それは言い過ぎか)きついことを我慢できてしまう生き物です。しかし、ランナーとて人間ですから、その我慢にも限度がありそのキツさはしっかりと記憶に残ります。そうすると、本来楽しむためのランニングがいつの間にか「嫌悪刺激」に変わっていってしまうのですね。東京マラソンを目指していたランマニアが、まさにその状態でした。

これを避けるために、ランマニアは毎回の練習をできるだけ楽に、楽しく、快適に終えるよう心がけているのですね。

余裕を持って終えられると、その日の練習は必ず快適さの記憶が多く残って終えることができます(多少のしんどさは避けられませんがね)。しんどさにしても、適度なしんどさ、終えた後の爽快な気分が残る程度のしんどさに留めるよう心がけています。

その結果、この4ヶ月は、とにかく日々の練習が楽しみになりました。いえ、インターバルや閾値走の日はそれなりに憂鬱な時もありますが、それでも「今日はどれくらいで走れるだろうか」という楽しみもだいぶあります。

さらに、そうしたメンタル面だけでなく、生理学的な疲労の点でも余裕が出てきて、長い間練習を継続できる体調を維持できるようにもなりました。

とにかく、毎週無理なく練習を継続できるので、それ自体も楽しいのですね。

なので、インターバルにせよジョグにせよ、毎回の練習で「頑張りすぎない」「無理をしない」「追い込まない」をキーワードに、練習をする癖をつけてきました。

ただ、これは今の特殊な事情がそうさせているとも言えます。

3月以降のコロナ生活で、とにかくレースや練習会など「人と競う」機会が一切なくなりました。これはとても大きなことですね。

人と競わない、ぼっち練ばかり。これではどうしたって完全に自分のペースを守れますし、いい意味で「自分に甘く」なれるため、無駄なペースアップ、無駄な追い込みは無くなりますね。

ですから、この特殊な状況でなくなった後でも、今のスタイルを貫き続けられるかが、一つのポイントですね。

もちろん、練習会などで刺激をもらいながら、ペースを作ってもらいながら、自分の持てる以上の力を発揮する経験も時には必要なことなんですけどね。

痛いのに走るのはなぜ?

こんにちは、ランマニアです。

フェーズⅣの1サイクル目もなんとか予定通りこなせ、今のところ脚の痛みなどもなく後3週間この練習を続ければ、ダニエルズさんのゴールドプログラムも終了となります。

この3ヶ月間、ランマニアとしては奇跡的に怪我をせずに練習をこなせていますが、このプログラム開始当初はそれでも一時ふくらはぎが危なくなることもありました。その時は思い切って3日ほど休みを入れましたが、そうやってしっかり休んで怪我を悪化させずに済むこともあれば、無理して3週間コースとなることもあります。

では人はなぜ痛いのに走るのでしょう(すみません、ランマニアだけかもしれませんが・・・)。

以前の記事でも書いたように、人が行動を起こす動機付けは大きく分けて2種類あると考えています(細かく分けるともっとあるのですが。ここば便宜上2種類にしておきます)。

一つは、それをすると何かいいことがある時。もう一つは、それをしないと何か嫌なことがある時。

それで考えると、「脚が痛い」となればすなわち「苦痛」ですから、それは「嫌なこと」、つまりその苦痛から逃れるために「走ること」はやめるはずなんですね。脚が痛けりゃ走らない。本来これが自然な反応です。

ところが、ランナーは走るのです。痛くても。

そこで考えてみました。どうして痛いのに走るのかを。

まず、痛いのに走るとその後に訪れる良いこととは何かを考えてみます。ランマニアならだいたい次のようなことでしょうか。

・この練習を予定していた。途中で止めるのはなんとなく気持ちが悪い。なんとか完遂させたい。→つまりやり遂げた「達成感」

これはよくあることです。練習計画に従って進めてきて、それを途中でやめたくない。やり遂げたい。「達成の欲求」、というやつですね。

・このまま走ってもこの痛みなら大丈夫。走った後は痛みも消えるだろう。だから走り続けよう。

これはそのまま走ることでの良いこと、というよりは、その痛みが「深刻ではない」という思い込み。「走りきる」「予定の練習をこなせる」という良いことが待っているため、痛みを我慢する。まあ、一つ目の理由に近いところはありますが、一つ目と違うのは脚の痛みを「楽観視」しているところでしょうか。ランマニア的には、これがものすごくあります。達成の欲求というより、痛みを深刻に捉えてない、という結果。そして、経験上、本当にことなきを得てしまうこともあるため、本当にヤバい時にも休めなくなってしまうのですね。これは非常に危ない罠です。

では、一方で、痛いのに走らないと何か嫌なことが待っているのか。

これは結構複雑な心理状態がある気がします。

・脚が痛い。でもここでやめたらどうしてもやっておきたかった練習がやれないことになる。→走力が高まらないかもしれない、という不安な気持ち(実際には1日休んだくらいではほとんど関係ない)

例えば、インターバルなど強度の高い練習をやろうとしていた時などは、それを一回やらないことでトレーニング効果が得られないことを心配しますね。実際には大したことではないのですが、なんとなく気持ちが悪いものです。それを回避するために、痛くても走ってしまう。これも、昔はよくありました。

・脚が痛い。でも、怪我をしたと認めたくない。ここでやめてしまったら、故障した事実に直面化させられる。走り続ければ、「やっぱり大丈夫だった」と思えるかもしれない。→故障した事実を認めたくない。走るのを止めると故障した事実を認めることになる。

これ、「そんなバカな」と思われるかもしれません。いや、こうして客観的に書くと本当に「馬鹿じゃねえの」って自分のことでもそう思いたくなりますが、ランマニアは以前実際にこうした心理状態に陥り、痛いのにやめられなくなったことがありました(当然悪化し長期離脱)。なんというか、怪我した事実を受け入れたくないんですね。「走れるじゃないか」みたいな。完全に事実から目を背ける「逃避」ですよ「逃避」。

まあ、ランマニア的にはこんなところですね、痛いのに走ってしまう時というのは。

一方、最近はほとんどこういうことはなくなりました。

なぜなくなったかと言いますと、やはり「痛い時はすぐにやめて悪化させずに済んだ経験」をしてきたからでしょう。

人間は「経験」から「学習」することができます。「こうしたら、こうなった」という経験を積むと、「こうすること」が機能することに気がつきます。それによって行動が変容することが「学習」なんですね。

で、もしこのようなことを学習するには、やはり「こうなった」という経験をしないことには学習は得られません。「痛いのに走る」を続けている以上、こうした経験は決して得られることはなかったでしょう。

少しの痛みで練習を中断をするのはとても勇気のいることです。勇気という表現には語弊があるかもしれませんが、止める決断をするのが意外と難しいのですね。

なぜそれが難しいかというと、やめて直ぐに得られる報酬がなく、やめることで得られる報酬はかなり先にあるからなんですね。(あの時やめておいてよかった、と思えるのは、かなり先になって痛みがひいた時)

ですので、ランマニアも走れそうな痛みでも途中で練習を止めるような時は、本当にしんどいのですが、頭の中で「今やめれば三日でよくなるよ。でもやめなければ3週間走れなくなるよ」と言い聞かせて思い切ってやめるようにしています。

そう思えるようになったのは、やはり、「練習は続けてなんぼ」と気づき、「今日の練習はなんとしても」のような刹那的な感覚を捨てたからなんだと最近は思います。

結局のところ負荷をかけることより回復させることを計算に入れてトレーニングするのが大事だと気づく

こんにちは、ランマニアです。

今月からダニエルズさんのゴールドプログラムもフェーズⅣに入り、いよいよこのプログラムも最後の仕上げとなってきました。

「仕上げ」と言っても、このプログラムが終了すると「どんな距離のトレーニングにも対応できるようになる」と言うことなので、何か劇的に走力がアップするとか(そもそもそれを目指していない)、いつでもPBが出せる状態になるとかそう言うことではありません。あくまで、「本格的なトレーニングを開始できる体の準備が整う」と言った状態でしょうか。

そんなゴールドプログラムは全部で4つのフェーズから成っていて、最初のフェーズでは400mのRペースとTペースの組み合わせ。次のフェーズでは200mのRペースとIペースの組み合わせ。そして最もきついフェーズⅢはIペースとTペースの組み合わせと、徐々に負荷を上げていきながら、様々な速度域(と言うか心拍域)の練習をこなせるようになっていく流れになっていたのですね。

そしてそれをこなしているうちに、本当に少しずつですがそれまでの練習が楽になっていくのでした。本当によくできています、このプログラム。

そうして段階を踏みながら徐々に練習をこなす体力(回復力や耐性)が高まってきたところで最後のフェーズⅣです。

フェーズⅣは、もう本当にこれまでの「総集編」。ついに、全ての速度域の練習が1週間に組み込まれることになりました。

月曜始まりの流れで始めた場合は、火曜日がIペース+Rペース、金曜日がTペースと言ったように、一回の練習に二つのゾーンの練習が組み込まれるようになりました。

そんな流れで今日はフェーズⅣ開始後初めてのQデー(質の高い練習日)。のっけからIペースとRペースの組み合わせです。

はじめこの練習を見た時、Iペース(表記上はHペースですが)が3分で3本、そのあと200mのレペティションを8本、と言うことで、正直「気が楽だな」と感じてしまいました。と言うのも、先月の4分インターバルがあまりにもしんどすぎて、それが3分に減りかつ3本で済むのが非常にありがたく感じたわけですね。

これは、一見メンタル的な「適応」のように思えますが、体が4Hインターバルに慣れかけていたので「楽に」感じる、結構フィジカル的な「適応」であると思っています。

そしてその後に控える200mレペも、フェーズⅡで行った16本の半分でいいわけですから、これも随分気が楽に感じました。

果たして今日はアップの時点でだいぶ調子がよく、昨日までの怠さが嘘のよう。実はランマニアは数日休んだ後は、筋の疲労はすぐに取れるのですが、神経系の疲労(疲労感、だるさ)の回復には結構時間がかかるのですね(それが慢性疲労が完治していない状態なのですが)。それがようやく今日になってだいぶ回復し、文字通り「心身共に」元気な状態で、この初めての組み合わせ練習を迎えることができました。

こう言う疲労が抜けて元気な時って、走る前になんとなくだいたい「これくらいペースを楽に行けそうだな」と言う感覚みたいものがわかるのですね。これは本当に不思議です。自分が楽に行けそうなペースが、頭に想像できてしまうのです。これは昔からそうでした。

で、今日もちょっと出力を上げて走れば多分3分一桁ではいけるだろうな、と言う感覚があったので、初めは少し様子見で走りました。

IペースはVO2maxに到達するペースですから、想像しているよりは意外と余裕のあるペースです(2分間以降は結構苦しくなりますが)。

その感覚は体が覚えていて、それくらいのピッチと出力で走り続けたところ、だいたいキロ3分10秒を切るくらいのペースで3分を終えました。先月の4分インターバルでは先に脚が疲れてしまって、もっと遅いペースでもこんなに楽ではありませんでした。

疲労がいかにパフォーマンスを低下させるかがよくわかる良い例です。

その後も出力固定で3本全て、だいたいキロ3分9秒程度のペースを維持でき余裕を持って200mを迎えることができました。

問題はこっちのレペティションで、想像ではもっと楽に気持ちよく走れると思っていたのですが、8本全てがかなりのキツさでした。呼吸というより脚の疲れですね。まあ、3分一桁ペースで3分間を3本も走ったのですから疲れがないわけはないのですが。

とはいえ、最低限Rペース(だいたい35秒くらい)は守ることができ、久しぶりにこのQデーの練習を完遂することができました。しかも余裕を持って。

ただし、先月よりも明らかに速いペースでインターバルを行なっているため、この疲労は必ず後になってどっとやってきます。本当はもっとペースを抑えなければならないところでしたが、疲労がうまく抜けていたのに加え、やはり先月までのトレーニング効果が出始めていたものと思います。キロ3分10秒ペースの余裕度が明らかに違いました。この後やってくる疲労に対して、どこまで対応できるかが重要です。

今日のように、一見余裕を持って終えたつもりでも、インターバルは5000mのレースペースを遥かに上回ってしまいましたし、200mという短い距離とはいえこのペースもかなりのペースです。ダメージがないわけがありません。下手したら、トータルすると5000mのレースを走ったくらいの負荷があった可能性すらあります。

なので調子がいい時ほどペースには気をつけなければならないのですね。

月初めに休んでリセットさせた後は、しばらく好調を維持できます。しかし、質の高い練習を継続しているうちにロープレのHPが少しずつ無くなっていくように、次第に元気が減っていきます。

それを最小限に食い止め、さらには1週間のサイクルの中で少しでも多く回復させ、求められた刺激をいかに体に与え続けられるかが、トレーニングの真髄だと今は考えています。

「気持ちで頑張る」とは

こんにちは,ランマニアです。

今週は昨日の閾値インターバルと金曜日のVo2Maxインターバルまでをやり,なんとかフェーズⅢを締めたいと思っていたのですが,結局昨日の練習はもうこれ以上「気持ちで押し通す」のも難しい状態になり,しっかりと休養をすることにしました。

そこそこの疲労状態にあっても,人間「気持ち」である程度カバーできるのは経験上みなさんも感じていることと思います。

これだけ「科学的な」根拠がたくさん溢れてきてもなお「気持ち」「気合」「根性」と言った,いわゆる「精神的な」要素がいまだに身体的パフォーマンスに影響することが重視され,ヘタをすると「それこそが最も重要なこと」とさえ捉えているとしか思えないような発言も聞かれたりもします。

しかし,実はランマニア的にはこうした「気持ち」がパフォーマンスに及ぼす影響は無視できないと考えています。

それはなぜかというと、「気持ち」のメカニズムを考えたときに、こちらもれっきとした「科学的に」説明できる仕組みが備わっているからなのですね。

過去の記事でも何度か触れましたが、「気持ち」の正体は言うまでもなく「脳の中」に存在しているものです。全てが解明されているわけではないですが、ある程度は明らかにされていて、「気持ち」を形作ると思われている部分、物質などもある程度わかってきています。

ランマニアは脳の専門家ではありませんので(多少の知識はありますが)ここで中途半端な説明をすることは避けますが、とにかく「気持ち」と言うのはざっくり言うと我々が覚醒している時の「意識」とか「集中力」とか「注意力」とか呼ばれているものの総称と考えられると思います。

では、なぜこういったものが私たちの取り組んでいる長距離走に関係するかと言うと、私たちが速く走ろうとすれば高い筋力を発揮しようとして「意識」を「集中」させたり、「気持ち」を「強く」込めるような状態になるかと思います。

このような「集中力を高めてそれを維持」したり「高い筋力を発揮しようと意識する」ようなことを「心的努力」と言ったりします。

で、この「心的努力」の正体こそが、以前からこのブログで定義してきた「筋などの末梢に向けて送られる電気的信号の強さ」と考えています。

つまり、「気持ち」とは「電気的信号の強さ」と同義だと思っています。

ところが、人間の体はこの「電気的信号」を際限なく強めていけるかと言えばそうはいかず、ある程度の「出力」がかかったところでそれ以上の信号が送れなくなっています。

それはなぜでしょう。

音楽を聴く時のスピーカーの仕組みを思い出してみましょう。

ボリュームを上げていくと電気的信号がどんどん強くなりスピーカーがどんどん大きく震えると思います。それが音量の大きさですね。しかし、想像がつくと思いますが、さらにボリュームを上げていけばいずれはスピーカーの強度は限界に達し最終的には破れてしまいます。

これを筋肉に置き換えてみてください。

「もっと速く走るぞ」「まだまだたくさん走るぞ」と脳からの出力(気持ち)をどんどん上げていけば、最終的には筋は壊れてしまいますよね。

これを防ぐために、人間は脳に対して「もう無理だよ」と言う信号を逆方向に送るようになっています。それが、「疲労感」であったり「痛み」であったりするわけです。いわば、人間に備わる「リミッター」のようなものですね。

人間が感じる「苦痛」や「不快感」は体を守るための大事な情報なんですね。

ところが厄介なのは、こうした末梢からの苦痛の情報に対しては、人間は「ある程度は」我慢ができたり「慣れ」たりできるようになっているのですね。いわゆる「頑張れてしまう」わけです。

「頑張れ!」とか「まだまだいけるぞ!」とか、周囲が激励するのは、結局こうした「苦痛」に対する「我慢」を促す声かけなんですね。

しかし末梢の器官はそろそろ危ない状態になっているわけです。だからこそ警戒信号を脳に送っているのです。その信号を「気持ち」でカバーして我慢し続けてしまえば、最終的には筋が簡単には修復できないほどの損傷を受けたり(つまり故障)、休んでも回復しないほどの疲労(慢性疲労)が溜まったりするわけですね。

とは言え、レース中に苦しくなったからと言って簡単にペースを落とすわけにはいきませんし、フルの終盤に脚が動かなくなったと言って簡単に自己ベストを諦めるわけにはいきません。ある程度は「頑張ら」ないといけない時もどうしてもあります。

それによって、自分の「肉体的な」限界を突破して、最高のパフォーマンスを発揮することができるわけです。

これが、「気持ちの力」がまんざらでもないと考えている理由です。いえ、むしろ、「気持ちの力」は私たちの肉体的な能力を最大限に引き出す「魔法の力」であるとも言えるでしょう。

それほどの効果を持つ「とっておきの力」なわけです。

だからこそ、こうした「とっておきの力」を濫用してはいけない、と思うのですね。

何でもかんでも「気持ちで解決」させようとする考えに賛成できない理由がここにあります。

なんと言っても本来「気持ちの力」を発動させているのは「体の危険信号を無視している状態」ですからね。この力を発動させているうちは、多かれ少なかれ「体が壊れ続けている」状態です。できれば最低限に、できればここぞと言うときにだけ、使うべき力なんだと思うのです。

「気持ちの力」の効果は絶大だと思っています。

でもその危険性には目を向けずに、その力に多くを頼る、あるいはあたかもそれが「スポーツの本質」とでも言わんばかりの価値観(いわゆる根性論、精神論)に賛成しかねるのは、そうした理由からなのですね。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

昼間にTwitterを見るとみなさん「6月まとめ」と月間走行距離を上げていたので、そうか今日は月末だった、とそれで気づきました。

実は今日の練習前までは次の金曜日の4分インターバルまでを入れて6月を振り返ろうと思っていたのですが、今日の練習を撃沈してしまい、もう今月はここまででいいかな、と思い、急遽ここでフェーズⅢを閉じることにしました。

先週火曜日に4分インターバルを撃沈したのはカウントせずに、今週のインターバルまでを入れようと思ったのですが、今日の練習が想定外に疲労困憊でこのまま練習を継続しても良いことは何もないなと思い、ここでいったんフェーズⅢを締めて明日から少し休養を入れようと思います。

先週の4分インターバルはなんとか5本こなし、その後120分ジョグと75分ジョグが入ってくる流れですので、当然疲労は抜けないだろうなと思っていましたがまさにその通りになりました。

いつもの火曜日はここでVo2Maxインターバルで、いつも5本完走することができていませんでした。

当初はこのメニュー自体が苦手なのかと思い込んでいましたが、今日は順番が逆になり閾値走となってもやはり始めから脚が重く、いつもより遅いペースでかつ3本しか持ちませんでした。

つまり、土曜日からの60分→120分→75分の流れが、今の自分の回復力ではそのあとの高負荷の練習には耐えられなかった、ということです。

いえ、毎回話している通り、脚の筋自体の疲労はないんです。とにかく、筋に出力を送り続ける時間が短くなる→つまりペースを維持できない、ということなのです。これはいつものランマニアの神経系の疲労。これの回復が間に合っていない、ということなんですね。

で、こういうときに無理に練習を継続すると、フォームのバランス(使う筋肉のバランス)が崩れ、非常に怪我をしやすくなるのです。

なので、今日で月末、しかもTペース練もIペース(Hペース)練もちょうど4回終わったところで切りがいいので、フェーズⅢを締める事にしました。本当は、もう一度4分インターバルを入れて、この前のがまぐれじゃなかったのを確認したかったのですけどね。

さて、ダニエルズさんも公言していた「最もきついフェーズ」であるフェーズⅢ、やはりランマニア的にはなかなかハードなスケジュールで、達成率は8割くらいに止まりました。フェーズⅡを100%で終えたので少しは自信になっていたのですが、まあこんなものですね。

23日の4分インターバルはカウントしないつもりでしたが、疲労がピークなのでそれをカウントして締めました。
TとIの割合は本来同程度になるはずでしたが、Iは失敗が多かったのでTの方が若干増えました。
6月は1日足りないので、ほぼ5月と同等。インターバルで失敗が多かったので、全て完遂すると380近くいく計算

フェーズⅢ、完遂は出来ませんでしたが、ランマニア的には上出来です。4分インターバルを5本までこなせるようになりましたし、Tペースのインターバルも安定して5本やれました。

数年前なら、こんな練習をやるのは絶対に無理でした。4月からダニエルズさんの計画に基づいて徐々に負荷を高めていき、体の適応を進めてきました。

この年になって、これほどの練習ができるようになるとは正直思ってもみませんでした。

さあ、7月はついにゴールドプログラムの最終フェーズ。「このプログラムをこなせるようになればどんな距離のトレーニングにも対応できる」とダニエルズさんもいうように、最終フェーズが終わった時点で、ようやくこれから本格的なトレーニングを始められると考えています。

フェーズⅣは、みた感じⅢよりも若干負荷は軽そうなので、これまで取り組んで身につけた力を発揮して、トレーニング楽しむ余裕があるといいです。

最後の1本、やる?やらない?

こんにちは、ランマニアです。

今月に入って始めたフェーズⅢの練習で最後まで立ちはだかったVo2Maxペースでの4分間インターバル。

最初の挑戦では3本でリタイア。2回目では4本。そして今週火曜日はまさかの2本で終了。

いつもいつも調子を維持できるとは限らないとは言え、さすがにこの練習は出来なさすぎ。

ランマニア的にはちょうどこのペースは最も神経系に負担がかかり、呼吸の辛さはそれほどないものの先に脚が止まってしまうのですね。

こうなると、かなりの出力、努力度をあげないとペースを維持できなくなり、結果的にその後の練習に大きく影響してしまう、という悪循環に陥りやすい練習内容になっています。

しかし今週火曜日の練習では、ちょっと仕事関連で気持ちが落ちていて、全く走れる状態ではなかったので、疲労とかそういうことは関係なしに、2本で終わってしまいました。

せっかく5本に挑戦できる状態だったにもかかわらず、全く話にならなかったため、本来閾値走の金曜日である今日にスライドして再チャレンジすることにしたのです。

で、火曜日は2本で終えてあまり脚は使わず、その後75分ジョグ、完全休養と挟んで今日を迎えただけのことはあり、かなり脚の疲れがない状態でもう一度インターバルをやれる機会を得ました。

もう言い訳はできませんし、この状態で失敗はできません。

案の定、1本目から脚が良く動きすぎてしまい、これまでの最速の3分13秒ペースで4分間を完走。

自分でも結構脚を使ってしまったのがわかり、2本目はあえて落として3分17秒ペース。ちょっと落としすぎましたが、今日は5本やるつもりでいたので、ここから挽回しようと気持ちを立て直します。

その結果、3本目、4本目と無理にがむしゃらな走りにはならない程度の出力で3分14秒ペースを維持でき、いよいよ未知なる領域の5本目へ。

正直4本目の時点でもう脚は動かなくなっていたので、今日も5本目はDNFか、と頭をよぎりましたが、一方で今日はIペースではなく厳密に言えば「Hペース(きついペース)」な訳だから、多少落ちても5本目をやり切ることを優先しようと考え、始めから数秒遅くなるのを覚悟で5本目をスタート。

走りながらもう脚までの神経系に出力が伝わらなくなっていたので(これはあくまでイメージです)、脚は止まりかけていましたが、それでも多分3分20秒は切っていそうな感触はあったので、そのまま続行。案の定1km通過は3分18秒で、まあなんとかLTペースまでは落とさずギリギリVo2Max付近で止めることができました。

ランマニアのIペースはだいたい1kmあたり3分15秒ペースですから、今回のインターバルはできればそのくらいで5本を繰り返すのが目標です。

実はIペースというのは意外と呼吸はそこまで苦しくはなく、4分くらいは我慢が効くペースです(本来10分は持つペースですからね)。

ところがランマニアの場合は呼吸の辛さよりも先に脚が止まってしまうため、このペースが維持できなくなってきたときにどうするかはとても判断に迷うところです。

通常、ランマニアは最後の1本をやり切るために出力をほぼ20近くまで(つまり全力)上げる必要があるときには、もうそこで練習をやめます。最後の1本を出力20で押し切っても、それで得られる効果よりも、疲労や故障などのデメリットの方が大きくなるからです。

ですが、今日は4本目を終えた時点でもうその出力で5本目に同じペースを維持できないことはわかっていました。多分これは終盤はかなり出力を上げないと脚が止まってしまうな、と。

それでも5本目を決行したのは、今回のトレーニングの目的がVo2Maxペースで走る時間をなんとか「10分間」確保することだったからです。

10分間?

4分×5本で20分間では?と思われるでしょうが、ダニエルズのランニングフォーミュラーを読んだ人ならもうお分かりのとおり、Iペースで走行したときに、Vo2Maxレベルに到達するまでに最低2分はかかるという事実があります。つまり、4分走っても目的のペースでは2分しか走っていないことになります。

話を戻すと、例えば今日4本目で脚が止まったからそこで終えてしまうと8分間しか目的のペースを維持していないことになります。ダニエルズさんが5本を課しているのは、できれば10分間のVo2Maxペースを確保してほしいということからなのだと思うのです。

なので、今日は少ししんどかったのですが、多少の疲労は残るとしても「10分間のトータル走行時間」の方を優先しました。

結果、ペース的には3分18秒という実際のIペースよりは若干遅いペースとなってしまいましたが、3秒遅いくらいでもおそらくVo2Maxゾーンの代謝系は刺激しているはずですし、それをトータル10分間継続できたことで体への「新しい刺激」が入ったはずです。

トレーニングの目的は「苦しむこと」ではなく「目的のペースで目的の時間を走ること」なので、今日は最低限の苦しさで目的は達成できたものと考えています。

この最後の1本は、たかが1本されど1本で、やるもやらぬも思いほのかメリットやリスクが大きい、非常に判断に迷う選択を迫られる1本だと毎回考えさせられます。

走る理由を考えてみる

こんにちは、ランマニアです。

ちょっと今週はブログを書こうにも「ランマニア撃沈日記」になりそうなので、ちょっと趣向を変えて練習以外の話題について。

そもそもランマニアは、もうかれこれ30年以上も走り続けていますがなぜそこまでして走り続けるのでしょうか。

途中体を壊して(走ることが理由ではないですが)満足に走れなくなってしまった後にも、これまで執念深く(?)走る理由はなんなのか、とふと考えることがあるのですね。

人間が何か行動を起こしたりその行動を維持したりする原動力のことを「動機付け」と言ったりしますが、ではランマニアにとって「走る動機付け」とはいったいなんなのでしょう。

人間がある行動に対して動機付けが発生し、その行動が維持される際には、大きく分けて二つのパターンが存在するとランマニアは考えています(というか学説的にも)。

一つは、その行動をとるとなんらかの報酬が得られる場合。

この場合の「報酬」とは、なにも物質的なご褒美や金銭的なお給料みたいなものに限らず、人間が「快」に感じるものであればなんでも良いのです。他者からの称賛、自己満足、達成感、気持ち良い感覚など、どんなものでも「報酬」として機能します。

もう一つの動機付けは、その行動をとるとなんらかの罰を回避することができる場合。

この場合の「罰」も、身体的な苦痛や懲罰のようなものに限らず、単純に「不快」なものであればなんでも機能します。他者からの叱責、自責の念、不快感、など、「嫌だな」と感じるものは全て「罰」として機能します。

人間の行動は、だいたいこの二つのパターンによって維持されていると考えています。

では、ランマニアのランニング、長距離走、これらの行動が毎日維持されている動機付けとはいったいなんなのでしょう。

自覚しているものとしては、やはり上にあげた二つのパターンが両方とも存在しています。

まず「報酬」が得られることによる動機づけについて。

一つ目は、なにはさておき、やはり「走る」という行為自体の「楽しさ」があります。脚を動かしてリズミカルに衝撃を感じながら前へ進む感じ。呼吸や腕振りなどが気持ちよく同期して力強く体が同調する感じ。体全体に感じられる風の心地よさ。さらには走ることで脳の中で出る「気持ちよくなる物質」の効能。こう言った「感覚的」な楽しさは、この走ることの醍醐味と言えると思います。こういった「その場で得られる」報酬を、即時的な報酬と呼ぼうと思います。

二つ目は、練習をすることで自分の体が強くなり、走力が向上する楽しさ。達成感。充実感。自己有能感。効力感。なんだか訳のわからない自信。このような心理的な充足感を得られるのもランニングに限りませんがスポーツの醍醐味の一つでしょう。ただし、これはその場では得られず、ある程度練習を重ねてその成果として遅れてやってくる「報酬」なので、遅延報酬と呼ぼうと思います。

三つ目は、健康な体を得られること。走りすぎさえしなければ、いつまでも健康的で若々しい肉体でいられます。病気もしにくいでしょう。ご飯もとても美味しい(というか美味しく食べるために走っている)。極端に歪んだボディイメージは持ってはいませんが、やはりそれなりに引き締まった体でいられることは嬉しいことです。これもやはり報酬として機能していて、こちらについても若干遅延的な報酬と言えるかもしれません。

四つ目は、他者からの称賛、評価。人間、褒められて嫌な気持ちになる人は、ある特定のタイプの方以外はほとんどいないものと思います。褒められたくて仕方がない、というほどではなくても、多かれ少なかれ褒められることは「報酬」として機能するはずです。ランマニアも、やはり職場やラン仲間以外の集まりで「走るのすごいんだって?」と言われたり、あるいはラン仲間やSNS上で記録を褒められたりすることは嬉しいものです。これも、即時的に得られる報酬というよりは遅延的かあるいは偶発的かもしれません。

では、もう一つのパターン、「罰」を回避するための動機付けとはなんでしょう。

これもいくつかあり、一つ目は、「遅くなる」ことへの不安。走るのをやめて走力が落ちてしまうことへの怖さ、これはランナーなら誰しも感じることと思います。その恐怖(罰)を回避するために練習をしている、というのは、残念ながら0ではありませんね。

二つ目は、健康でなくなることへの不安、恐怖。もうこの年齢ですから、少し練習から遠ざかれば一気に体力は衰えていきますし、体型も変化してしまうでしょう。そうしたことへの不安感はないとは言えません。(まあ、中核的なものではありませんけどね)

そして、これはもう今ではほぼ確実に0に近くなりましたが、中学や高校、ギリギリ大学くらいまでは感じていたのが、「練習を休むことへの自責の念」ですね。今にして思うと、まあなんでまたこんなことで休むことを恐れていたんだろう、と思うようなどうでもいいことなんですが、部活のような集団で取り組むスポーツでは非常に感じやすい「危険な」罰刺激ですね。いわゆる「サボっている」という自覚、背徳感、自責の念。こうしたことも「罰」として機能するでしょう。スポーツはあくまで「自主的」「自律的」なものですから、そもそも「サボる」という概念はないはずなんですけどね。

こうして振り返ると、ランマニアの走る理由がだいたい整理されてきました。まあ、30年以上も続いている活動ですから、動機付けも多彩ですし、特に「報酬」へむかう動機付けは強いものがありますね。

とは言え、明日は週に一度のレストの日。

ランニングは楽しいと言っても、仕事の疲れを押しての活動で、のんびりしたい気持ちもなくはないですし、ジョグとて身体には負荷のかかる運動です。

だからやっぱり休みの日は嬉しいものです。

調子がいい時だから試せること

こんにちは、ランマニアです。

今週は火曜日にVo2Max強度での4分間インターバル、そして今日はLT強度での1.6km走5本。

今週は先週感じたような疲労がだいぶ抜けていて、火曜日のインターバルではようやく本来のペースでの練習ができ調子が上向いてきた感じでした。

で、今日は朝から一日雨で、しかも降り方も久しぶりに本降りで、通常ならこんな日に強度の高い練習はやりたくないものですが、今日はなぜか「雨でも走りたい」などと考えていたのですね。

「走りたい」という気持ちがあるかどうかは、結構調子のバロメーターとしては重要で、疲れている時はたいてい走ることそのものが億劫に感じるものです(今日みたいな雨の日はなおさら)。

そしてアップの時点でも久しぶりに簡単にキロ4分台までペースがあがり(ランマニアのジョグは基本遅いです。キロ5分20秒くらい。)、「今日は間違いなく走れるぞ」という感覚で本練習を開始。霧雨の中、本気の高校生しか走っていない中で、やけにモチベーションの高いおっさんでした。

スタートして案の定、とにかく脚は全く疲れがなく、リラックスして無理のないフォームでペースを維持。疲れている時はLTペースくらいだとなかなかフォームを意識する余裕はないのですが、今日は無理のないフォームを作りながら走ることも可能でした。

かなり余裕があったので、多分1kmは3分30秒くらいだろうなと思って時計を見ると、3分25秒。このペースをこんなに楽に走れたのは久々で、これは調子がいいだけでなく体も変わってきたのかなと思えるほど。そのまま余裕を持って1.6kmを終えましたが、LTペースの定義通り、このペースなら10kmくらいは持つんじゃないかと思えるほどの余力がありました。

そして、疲れがない時はとにかくペースが安定するのですね。

自分の脚の動きや呼吸の荒さ、きつさなど、そうした生理的反応の微妙な違いにも気付くことができ、時計など見なくてもその感覚を維持するだけでペースも維持できてしまいます。

これは非常に重要なことで、例えばロードレースや駅伝など、正確なペースを知ることができない時などは自分の体の感覚だけが頼りになります。その体の感覚と実際のペースとが一致させられるようになると、自分の出力を調整するだけで自在にペースを操れるようになってくるのです。

そしてそれはやはり、疲れがない時に練習するしかないわけで(疲れている時は、自分の感覚とペース、出力との関係にズレが生じる)。

で、今日はまさにうってつけな状態で、調子がいい中でLTペースという若干余裕のあるペースでそれを試すことができるという最高の場面でした。

結局5本走って、ペースの増減は1.6kmで±4秒程度。正確なコースをトレースできないロードコースでかつ距離表示のない場所で4秒程度は誤差の範囲ですので、かなり自分の生理的情報と実際のペースとが一致していたのがわかります。

こういうことは疲れている時には絶対できない経験なので、本来ならば今日くらいの調子を常に維持したいところです。

前回のインターバルはかなり余力を残して練習を終えることができ、今日の練習もそれよりもさらに余力を残せました。余力を残せば次の練習をさらに余力を残せますし、良い循環が生まれます。

とはいえ、ここまでに持ってくるのが一苦労なんですがね。

神経系の疲労が筋疲労を抑制している(リミッターがかかりすぎている状態)

こんにちは、ランマニアです。

先週火曜日のVo2Maxインターバルで途中棄権してから中二日でしたが、昨日は先週も行ったLTペースの1.6km×5本を実施しました。

先週行った際はその前に3連休を入れていたため、そこそこ走れてもおかしくないな、と思っていてその通りになりましたが、今週は三日前のインターバルをこなせなかったこともあり、それほど走れるとは思っていませんでした。

ところが、アップの時から思ったよりも脚がよく動き、あまりだるさも感じなかったのですね。

そして週に2回しかない強度の比較的高めの練習を二度とも失敗するわけにはいかなかったので、昨日は若干慎重になり、初めは様子見で出力を抑えて(あまり脚に力を込めず、軽く動くところでやめておく)走り始めました。

しかし1kmの通過が3分27秒と思ったよりも速かったので、だいぶスピードに余裕を感じ、その後も出力を上げずに余力を残してLTペースを維持し続けることができました。

4本目には1km3分24秒くらいまでペースが上がってしまったので、次のインターバル走のために余力を残したいと思い、ラストの1本は3分30秒くらいまでペースを落として疲れを残さないよう練習を終えました。

前回も述べましたが、ランマニアの疲労は神経系のものだと考えられているので、三日前にあのような結果になっても、脚の筋肉自体に疲労があるわけではないので、昨日のように突然復活してしまうことがあるのですね。

それどころか、昨日は先週よりも速いペースで走ったにもかかわらず、走行後も今日も脚の疲れがほとんどなく、日常生活でも脚の重さをあまり感じない状態になっています。

神経系の疲労があると実際の筋疲労以上にものすごく疲れたように感じてしまうのですが、その疲れに隠れて、いつの間にか筋肉が疲れにくく回復しやすいものに発達してきたようです。

なので、ランマニアにとってはこの神経系の疲労とうまく付き合うことで(悪化させないようにし、すぐに回復させられるようにする)、本当に少しずつですが筋繊維の適応を促すことができると考えています。

それを、練習をやりすぎたりペースを上げすぎたりして神経系の疲労が数日で回復しなくなるまで追い込んでしまうと、筋肉への刺激が足りなくなってしまい、さらにワンランク上の適応を促すこともできなくなってしまうのですね。

つまり、現状ランマニアの走力向上は神経系の疲労度が鍵を握っていて、「神経系の疲労以上の練習ができない=神経系の疲労以上に筋疲労を引き起こせない」、ということになります。

それが今まではどうしても記録向上を焦るあまり、神経系が疲労し切ってしまうほどの練習をしてしまったがために、継続して筋に刺激を与えることができなくなっていたのですね。

(もっとも、これは体のリミッターが必要以上に多めにかかっていることでもあるので、そのおかげで筋に過大な負荷がかからずに済んでいるというメリットもあるんですけどね。)

ところがこのダニエルズのゴールドプログラムが、ちょうど神経系の疲労が走れなくなるほどまで追い込まなくて済む程度に設定されていて(まあこれはたまたまなんですが)、漸次的に筋疲労を引き起こせるようになっているのが大変ランマニアにフィットしているところです。

なので、今月に入ってフェーズⅢに移行しても、やはり無理なく練習を継続して少しずつ力がついてきている実感があります。昨日のLT走でも走力の向上を感じましたし。

さてそんな状況でも、やはり火曜の4分インターバルはまだ5本完遂できる自信がないですね。Vo2Maxレベルの出力となるとかなり神経系にも負荷がかかるためだと思っています。