衝撃はどこで受け止めても大きさは変わらない

こんにちは、ランマニアです。

先週は31kmものトレイルレースを走りましたが、懸念されたふくらはぎはもうすっかり元に戻り、痛みや違和感など全く感じることなくレース後の一週間を過ごすことができました。

4月下旬に練習を再開してから約2ヶ月が経ちますが、やはり組織の再生にはそれくらいの時間がかかるのだなと、改めて感じているところです。

しかし、ここまでくる間は、やはりどうしても患部が「弱々しい」感覚がしていて(多分これは感覚だけでなく、実際の筋組織も元通りに戻りきっていなかった)、右ふくらはぎに力を込めて走るのははばかれる状態が続いていました。

なので、しばらく下腿に力を込めて走ることは控え(ランマニアは元々ものすごく下腿を使って走るタイプでした)、大腿部から臀部にかけての筋肉を多く使えるよう心がけていました。

なんとなくですが、下腿よりも大腿の方が丈夫なイメージがあったのですね。(接地時の筋収縮がどちらかというとコンセントリックな収縮が優位なイメージがあり。ただ、ここ数年、上り坂のようなコンセントリックな収縮でも故障が多くなってきた)。

普段のジョグでは、下腿の力を抜いて接地の瞬間はなるべく体に近い部分(大腿部から腰にかけて)に力を入れて反発を得るように意識し、この走り方もだいぶ板についてきた感覚がありました。

この意識で走ると、確かに下腿への負担が減り、ふくらはぎが張ったり「危うい感じ」がしたりすることも無くなっていきました。いかに、普段からふくらはぎに負担をかけてしまっていたのかがよくわかりました。

しかし、この意識によってちょっと無理がかかってしまったのが、5月下旬に何度か練習で走ったトレイルでした。

登山道のような登り区間を駆け上がる際には、どうしてもふくらはぎを使って小刻みに走った方が楽に長く走れるのですが、ここでもふくらはぎをいたわって、無理やり大腿部を引き上げ、階段を登るように「ぐいっぐいっ」と体を押し上げるフォームで登っていったのですね。

こうした登り方をしているうちに、いつの頃からか、昨年8月に痛めたハムストリングスの付着部がなんとなく痛むようになってきました。

もちろん、平地を走る分には全く問題ないのですが、あの登り坂で足を上げたくないような感覚です。

結局、ふくらはぎを庇えば、着地衝撃が別の部分に移動するだけなので、フォームを変えたり力の入れ方を変えたりしても、痛める場所が変わるだけなのですね。

ただ、相変わらずジョグでは問題ないので、若干下腿に力を分散して走る方法にもどし、練習を継続してきた結果、痛みの方も次第に引いていきました。

また、最も心配された嬬恋のレースでもレース中はもとより、レース後も痛みが悪化するようなこともなく、大腿部に大きな力をかけなければ徐々に良くなっていく様子が見られました。

なので、このままジョグで様子を見ようかとも思っていたのですが、先週久しぶりにスピードを上げてWSをやった見たところ、ジョグでは感じないような明らかな痛みが続くので、これはやっぱり休んだ方がいいな、ということになりました。

ふくらはぎの肉離れのように、周辺組織もダメージを受けてきて、いきなり「ピキッ」となるわけではないので、ジョグならやれそうな気もするのですが、中途半端に続けていくと、またいつまで経ってもスピードを上げられなくなってしまうので、ちょうどレース後ということもあり、少しの期間休むことにしました。

そして、嬬恋の疲労が思ったよりも大きく、今日もかなり脚が重たかったのですね。

こういう時は、大人しく休むのが一番だと思います。

さて、昨年かなり強めに痛めてしまった時は、1週間の完全休養に加え、1週間のとぼとぼジョグを経て回復していきました。

今回は、その時に比べるとはるかに軽い痛みなので、数日休めばよくなっていくものと思われます。

昨日一日休み、今日にはだいぶ軽快してきていることから、明日もう1日休めばジョグでは悪化しない程度まで回復しそうな気がします。

いずれにしても、しばらくレースはないので、今後のトレーニング内容を考えれば、ここで一旦休みを入れるのはちょうどいいかもしれません。

雨にぬれても

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日は雨の中のランニング。

これからの時期、どうしても雨天での練習が増えてきてしまいますね。

残念ながら、陸上競技は「全天候型」競技場でやる競技ですので、基本、どんな天候でもできてしまうスポーツなのですね。

正直なところ、ランマニアも雨の中走りに行くのはあまり好きな方ではありません。

ただ、経験上、雨を理由に練習を休みにしたこともあまりないのも事実です。

あまりにもひどい土砂降りや、気温の低い時の大雨なんかでは迷わずレスト確定ですが、大抵の雨なら、まあ普通に走ってしまいますね。

職場などでは、雨の日なんかはよく「今日も走るの?」と聞かれ、「ええ、もちろん」と答えると、「すごいなぁ、偉いなぁ」とか言われますが、意外と当の本人の意識としてはすごくもなければ偉くもないんですけどね。(多くの人は「苦痛に耐える」ことを「偉いこと」と捉えている)

では、なぜ雨でも走るのか。

これは、雨でも走る、と言うよりは、休む予定ではないから走る、といったほうがしっくりくると思います。

もちろん、1日、2日ズレたところで大した影響のない程度の練習計画ですから、予定を変更して休んでしまっても全く問題ないのですが、まあ元気なら走りに行くか、くらいの感覚です。

ただ、雨天時はそれなりのリスクがあるのも事実です。

冷えて風邪を引く。

滑って転ぶ。(経験あり)

視界が悪く、車に見落とされやすい。

などなど。

こうしたリスクとトレーニングをする意義とを天秤にかけて、走った方がいいかな、それでも走りたいと思うか、と考えて決行するか否かを決めているところはあります。

最もハードルが上がるシチュエーションとしては、「仕事終わり」「空腹感」「寒さ」そして「雨」と言う状況でしょうか。

仕事終わりで頭が疲れている。空腹感を常に感じ何かを食べたい。寒さはそのものが生理的にしんどい。

まあ、いってみればこの辺りは「苦痛」なわけですよね。

しかし、では「雨」ってなぜ嫌なのでしょう。

部屋の中で外の雨を見ていたってなんとも感じないわけですから、雨が嫌悪刺激というのは、実はよく考えるとおかしな話ですよね。なぜ雨の日は走りに行きたくないのか。

この理由の一つに、人間が感じる「刺激」に対する嫌悪感、と言うものがあると思っています。

雨のように、冷たい物体が体に突然付着し「冷たい!」と感じるのは、人間の危険察知センサーが働くことなので、なんとなく「不快」なんですよね。

さらに、乾いた靴の中に冷たい雨水がじわじわと染み込んでくるあの感覚も、同様です。

こういった、不快な刺激が雨に対して「嫌悪感」を感じる原因なのではないかと考えています。

一方、人間にはもう一つ、そうした「刺激」や「変化」に「慣れる」仕組みも備わっています。

基本的に、人間はあらゆることに「慣れ」が生じると言われていて、特に「不快感」とか「恐怖刺激」などは、だいたい15分も晒されていれば慣れてしまうと言われています(エクスポージャー:曝露、なんて言われていますね)。

例えば、クモ恐怖症、なんて言うものが実際にあるのですが、その治療法として、段階的にクモを見つめる時間を伸ばしていく、と言うものがあります。

ランマニアも、夏になると部屋に突然現れるあの「黒いもの」に恐怖を感じるのですが、「がなんばれ!15分だ!」と言い聞かせて、なんとか「彼」と対峙するのですね。

すると、不思議なことに、見つめているうちに次第に「彼」に対する恐怖心が薄れていくのを感じます。

これ、騙されたと思って実践してみてください。

15分、長いですが、途中でやめてはいけません。15分間は「格闘」してください。間違いなく怖さは減っていきますから。

話は逸れましたが、とにかく、人間はこうした恐怖や不快感には「慣れる」仕組みが備わっているため、今日のような「雨に濡れること」についてもその仕組みを利用すれば、確実に不快感を消し去ることができます。

なので、皆さんも経験済みだとは思いますが、雨がざんざん降っていても、意を決して「エイヤー」と外に走り出してしまうと、まあ、最初は「やっぱ冷たい、やめりゃよかった」と感じはしますが、もう後戻りはできないわけですからそのまま走り続けてしまいますよね。

すると、だいたい20分も走っているうちに、体に降り注ぐ雨も気にならなくなりますし、体も温まってくることで季節によってはむしろ快適にすら思えるようになってきます。

時々、水溜りに「着水」して「新たな刺激」に困惑することもありますが、そんなのも「一発」経験してしまえば、もうどうでも良くなります。

ちょうど、恐る恐る川で水遊びをしようと浅瀬に入り込んだ子供が、友達に水をかけられて一気に濡れてしまったら、もうどうでも良くなって最後は全身ずぶ濡れで泳いでしまう、と言うような状態。

とにかく、余程寒くてひどい土砂降りであったりしない限り、雨の不快感は「最初だけ」と言うわけです。

そんなことで、今日も朝起きた時はものすごい横殴りの雨で「はいレスト確定」だったのですが、昼過ぎになるとなんとなく体がウズウズしてきてしまい、結局走りに行ってしまったという始末です。

忘れじの破天荒ランナーたち

こんにちは、ランマニアです。

ここ数日、Twitterの方では学生時代共に競技に取り組んだ「破天荒な」ランナーたちを思い出して、立て続けに呟いていたところでした。

初めにお断りしておきますが、ランマニア的には「クズ野郎」は褒め言葉です。

性格的にどうしても真似することのできない、類まれな「いい加減さ」を備え、それでいて「やる時はやる」タイプのランナー。

残念ながらランマニアはどちらかというと「生真面目ランナー」(以前の記事参照)なので、こうした「気まぐれランナー」タイプには、ちょっとした憧れを感じるのですね。

破天荒4傑

ランマニアの高校、大学の陸上部時代、この人には絶対勝てない、という忘れられないランナーが4人ほどいます。

そして、これは偶然なのか必然なのか、この4人は皆、ランマニア的には相当な破天荒だったのですね。

ランマニアの学生時代は、毎日ちゃんと練習をする。練習前には入念にストレッチをし、アップからダウンまでとにかく黙々と集中して取り組む。靴は故障しないように定期的に新調し、常にクッション性能が高いものを履く。早く寝る。試合前は余計なことをして疲れさせないようにする。食べ物に気を配る。

こんな「模範青年」。

ところが、この4人は、そんな生真面目な私を嘲笑うかのように、とにかく多くの面が「いい加減」。

いや、「いい加減が良い加減」などと肯定できるようなレベルではなく、もう本当にあらゆる面で自分とは違いすぎる、ある意味ぶっ飛んだランナーたちでした。

5000m県ランキング1位2位の最強コンビ

はじめの2人は高校の先輩。

この2人は、当時、厚底もスーパーシューズもない時代に珍しかった「高校生で14分台」と言うのを、2人揃って成し遂げたランマニアにとって伝説の先輩たちです。

スポーツ推薦などない「ただの」県立高校において、二人の14分台、しかも40秒台と言うのはまさに「偉業」以外何ものでもありませんでした。なんといっても、当時の県ランキング1位と2位ですから。

しかし、本当の「偉業」はその彼らの競技に対する取り組み方。

県内トップの14分41秒を出した一人は、もう自分の欲求に素直に生きる、まさに我が道をいくタイプ。

そこそこ「意識の高かった」部内にあって、練習後の帰り道ではただ一人カップ麺を買い食いし、暗黙のルールで「自粛」していた炭酸飲料を堂々と飲む。

でも、なんといっても県内1位ですから誰もそれを指摘できませんよね、当然。

もう一人の14分台、こちらも47秒で県内2位の彼もまた「破天荒」。

まず靴を変えない。

本当にボロボロのシューズをいつまでも履いていて、ロングジョグからインターバルまでなんでもこなす。

しかし、それでいながら合宿の「レスト」の日には、土砂降りの中一人で山道へ峠ジョグを敢行するという恐るべき精神力。故障などお構いなしにとんでもない距離を走り込む豪傑さ(靴も変えずに)。

まさに「野生」の香りのするワイルドでたくましいランナーでした。

酒もギャンブルも走りも全てにおいて無敵のランナー

3人目は先のツイートに登場した、大学の先輩。

タイム的には5000mが15分一桁と、それほどインパクトのある実力ではないですが、ランマニアの入学時は部内最速のランナー。

すでに紹介したように、彼も靴を変えず(買えず)、バイトで稼いだお金を飲みとギャンブルに注ぎ込み(もちろん生活費にも当ててましたけどね)、徹夜明けでもインターバル・ペース走を難なくこなす、一年生の我々には衝撃的すぎる最強ランナーでした。

強さの正体は欲求に素直になること

そして最後の4人目は、先に紹介したブログ「生真面目ランナーより気まぐれランナー」の中に登場する後輩、私の学生時代に出会ったランナーの中では最速の14分36秒で走った彼です。

彼についてはブログを参照してください。

この4人については、本当に「敵わないな」という一言。

一緒に走ってどうしても勝てない、と言うのもありますが、それ以上に「人間」としての「強さ」に敵わない、そんな印象です。

こう言う強さって、何なのだろう、といつも思うのですね。

単に、走るのが速い。タイムがすごい。そんな一面的なことではなく、なんというか総合的な強さ、みたいな。

一つ言えるのは、彼らは皆、「自身の欲求に正直」、「やりたいことをやりたいようにやる」と言う共通点があります。

もちろん、長距離の練習ですからある程度のしんどさはあり、練習に気が向かないと言うこともあるでしょうけど、それ以上に、走りたいように走るし、食べたいように食べるし、あそびたいように遊ぶ。お金も豪快に使う。

とにかく毎日を、生活を、もっと言えば人生を楽しんでるんですね。

我慢とか、節制とか、それこそ自粛とか、そういう印象はほとんどなく、いい意味での「マイペース」。

これ、意外と強くなるために大事なことなんじゃないかな、と最近思うのですね。

自分自身を振り返ると、やはりこうした「豪快さ」「大胆さ」があまりなく、練習にしても「やらなければ」「こうしなければ」といった、どこか窮屈な姿勢で取り組んでいるところがあります。

食べ物についても「ここは我慢しよう」とか「体に悪いしな」「高いしな」とか、好きに食べてない自覚もあります。

まあ、いってみれば小心なんですね。

もちろん、それによりうまくいっている部分もありますが、何かこう「突き破る」ような大きな変化も生まれにくい。

このあたりは、一長一短なんでしょうけど。

いずれにしても「ないものねだり」

自分にないこうした「大胆さ」「豪快さ」は羨ましいと思いますね。

5月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日で5月も終わり恒例の1ヶ月の振り返りです。

4月は練習量を落としたにもかかわらず、故障が再発してしまいこの1年では最も走行距離の短い月となりました。

特に、故障により2週間まるまる休養を入れたのはここ数年なかったことで、ランマニア自身この2週間はちょっとメンタルが落ち込んだ時期でもありました。

一方、そのおかげもありこの5月は上田のスカイレースなども含めて回復の兆しが見えた月になりました。

ここまで数ヶ月にわたってふくらはぎの肉離れ(実際には軽微な損傷で済んでいますが)の再発を繰り返してきたことから、今月の再開に当たってはかなり慎重に練習の計画を立てました。

最も大きな特徴は、やはり「1日おき練習」だったと思います。

上田スカイレースの疲労を抜いた後、ほぼ1日おきのペースで練習を再開しました

こうして振り返ると、練習日自体は18日足らずと、月に13日もレストを入れたことになりますが、それでも一度に走る時間は最終的に125分まで延び、距離としても23km前後を余裕を持って走れるようになりました(だいたいキロ5を切るくらいのペースまで上げています)。

また、スカイレースの頃はまだまだふくらはぎの違和感もあり、思い切りロードを走るのが心配になる状態でしたが、現時点では2時間近く走った後でもふくらはぎの「危うさ」みたいなものは消失している状態です。

この辺りは、ここひと月あまりのジョグの中で若干走り方(フォームではなく力の入れ方)を変えてきたことも大きかったと思います。このことについてはいずれ別記事にまとめようと考えています。

練習のボリュームを考える上で一つの参考になる「月間走行距離」についても、ここ4ヶ月は連続して落ち込み続けていましたが、今月はようやく前月を上回る距離を踏むことができました。

最も走れていた頃に比べれば7割程度ですが、それでも故障なくひと月走り通せたのは久しぶりで、走ることが日常になってきました。

先週あたりから、トレイルも含めて一度に走る距離がかなり伸びてきたので、久々に「走ることでの疲労」が増してきたように思います。

しかし、去年もそうでしたが、こうした疲労も少し我慢してジョグで繋ぐことで、「走ることへの耐性」が強化され、知らず知らずのうちに同じ練習をしても疲労度が軽くなっていきました。

一度体力が落ちてしまっている状態なので、どうしても長めに走ると疲れが出やすくなっていますが、徐々にボリュームを増やしていくことで同じ距離を走っても疲れにくくなっていくのは去年体験済みです。

また、今月はトレイルレースがあったことから、トータルのトレイル率は比較的多くなりましたが、実際の練習回数としてはロード(あるいはダート)ジョグがほとんどで、一定時間一定ペースを維持して走り続けるという「ランニング練習の基本」「有酸素運動の基本」に時間を割くことができました。

トレイル率20%はほとんど上田スカイレースです。

ふくらはぎに不安があったときは、どうしてもロードを避けたく、また歩きながらでも有酸素能力を維持したく、山へ行くことが多くなりましたが、脚の不安が徐々になくなるにつれロードを走ることが増えた印象です。

さて、1ヶ月間まるまるジョグだけで過ごしてきました。

ジョグだけでもかなり走力は回復しましたし、体感的な脚の頑丈さみたいなものも戻ってきたように思います。

6月からは、今の1日おき練習から若干頻度を上げ(週2レストくらい)、かつ週1でファルトレクを芝生で行うくらいの強度の練習を取り入れていこうと思います。

6月は、あくまでまだ「本格的な練習を始める前の体作り」くらいの意識で練習を継続しようと思います。

そもそも「危ないけどやる」のがスポーツ

こんにちは、ランマニアです。

昨日、トレイル界に衝撃が走った中国の事故。

ネットニュースを見る限りではまだ速報的な記事しか目にすることがなく、これだけをみてああだこうだいうのもどうかと思いますが、いずれにしても恐らくこれだけの死者を出してしまったスポーツ種目は過去類をみないのではないでしょうか(もしかしたら、トライアスロンとかで大規模な海難事故があったかもしれませんが)。

記事に対するコメントや何人かの方のブログを見ますと、本当に見え方、考え方は様々です。

ただ、現時点の情報量だけで、ある特定の観点からある側面だけを「断罪」するのもどうだろう、というのが正直な感想です。

確かに、運営側の杜撰なリスクマネジメントが原因だった可能性も否定できませんし、参加する側の山岳レースに対する意識の問題ももちろんあるのかもしれません。

しかし、今回の事故を、例えば列車の脱線事故や航空機の墜落事故のような「限りなくゼロリスクを目指さなければならないもの」と同じ観点、そしてそれらと同列で論じるのはどうなのだろう、というのが、現時点での私の考えです。

もちろん、今回事故に遭われた方や遺族の方、それから関係者の方々の心情は想像を絶するものがあり、そうした方々と同じ立場に置かれたとしたら、同じような考えはできないかもしれません。

立場が変われば考えも変わる

気分が変われば考えも変わる

これはどんなことにも当てはまることで、だからこそ、ある一つの出来事を一定の価値観や考えだけで断罪してはならないと思うのですね。

(そういえば、最近こんな秀逸なツイートがありました)

そう前置きした上で、いくつか自分の考えをまとめてみることにしました。

そもそも「死」は身近に存在する特別でないもの

本当に事故に遭われた方や遺族の方の心情を無視して言ってしまっていますが、私自身、最近特にこれを感じるようになっています。

20代、30代の初め頃にはまだまだこんなことは考えたこともなかったのですが、40を過ぎた頃でしょうか。やはり生きていると色々なことが起こるのですね。「よくここまで生きて来られたな」と思うようなことに、そこそこ頻繁に遭遇するわけで。

また、周囲でも何もかも順調にことが進んでいる人なんて1人もおらず、変な話「ここまで生きてこられただけでも幸運なこと」に思えてしまうほど、本当に身近な人の人生一つとっても色々あるわけです。もちろん、若くして亡くなった知り合いもいます。

とにかく、生きていればもう死は避けられず、それをいかに防ごうと予防線を張ったとしても、予期せぬことで命を落としたり、危ない目にあったりするのが人生だと思っているのですね。

これは、何も「危ないこと」をやらずに、普通に生活していたってそうだということです。

人間は「生きているから死ぬ」のです。何で死ぬかは誰も予想ができず、それは生きている以上いつ訪れてもおかしくない。そう考えているのです。

行動することは「死のリスクを高める」こと

そうした前提に立った上で毎日の生活を送っていると、もう「行動することは死に向かうこと」と言えなくもない状況だとわかってきます。

例えば、様々な状況下における「死の確率」みたいなものがあるとして、それが家にいる時が1%くらいだとすると、多分、車を運転するなどということはそれが数十倍に跳ね上がると考えられます。

あるいは、リビングで横になってTVを見ているその時の確率が0.5%くらいだったとして、その後我々が大好きなランニングをしに行ったとすれば、それだけで死に遭遇する(心臓発作、交通事故等)確率は30%くらいになるのではないかと、というくらい、死ぬ確率は跳ね上がりますよね。

しかし、じゃあ死ぬリスクが高まるなら何もしないのかと言えば、決してそうではなく「危ないかもしれないけどそれを言い出したら何もできないから、そんなことを考えずに色々と行動する」というのが現実だと思います。

スポーツをするということは、それだけで死と隣り合わせ

そんな身の回りが「危険だらけ」な人生ですが(ていうか、野生の生き物は基本そう)、その中でも相当に「危険な行為」が実はスポーツだったりします。

スポーツは「身体活動」です。

身体を動かすのがスポーツであれば、もうそのものが物理的に「危険」を伴いますし、体の生理的なバランスを著しく崩しながら取り組むことになるのです。

特に、「走る」なんて行為は「いつ死んでもおかしくない行為」とさえ思える運動だと思っています。

なので、もう本当に縁起でもないことを言ってしまうと、ランマニアはかれこれここ10数年、毎日走りにいこうと玄関を出て扉を閉める際には「これが最後になるかもしれない」ということは、常々考えてしまいます。

走り出して数歩で心臓が止まるかもしれないし、その道の角を曲がったら車に轢かれるかもしれない。

そうした「危険」の数々をくぐり抜けて帰って来れれば、今日も幸運だった。そう思うようにしているのですね。

で、何が言いたいか、もうお分かりですよね。

そもそも、そうした日々のジョギング・ランニングだって十分危険な行為なのに、それを2000m級の山々で行うトレイルランニングはもちろんのこと、肉体の限界ギリギリのペースを攻めて42kmも走り続けてしまうフルマラソンだって、もう文字通り「死ぬ覚悟」で取り組むほどのスポーツだということです。

リビングで寝っ転がっていることに比べれば、恐らく死のリスクが100倍くらいに跳ね上がるほどのことをやっていると言っても過言ではありません。

「正常性バイアス」でやれてしまう私たち

では、なぜそんな危険なことを、こうまでして普通にやれてしまうのか。

ここには、私たち人間が陥りやすい「楽観的思考」、「正常性バイアス」というものがあります。

人間は、何か危機的な状況が迫りつつある時でも、何の根拠もなく「自分は大丈夫だろう」「まあ、なんとかなるだろう」という楽観性が優先されてしまう傾向があります。

これから「起こるかもしれない」目に見えない「異常」よりも、今目の前に見えている「正常」な状態の方に思考が支配されやすく、この正常な状態が想像もできない危機的な状況に変貌するなどということが、文字通り「想像できない」のですね。

特に、いつも走りに行くたびに無事に帰って来れれば「今日も大丈夫だろう」と無意識のうちに考えるわけで、それが「死ぬかもしれない」という危険性を、いつの間にか忘れさせてしまっているのです。(いや、だからこそ人間は色々なことにチャレンジできるのですが)

この人間の、誰もが持つ傾向を「さも自分だけはそうでないような物言い」で非難するのは、果たしてどうだろう、ということなのです。

今回の事故の様子を見ていますと、運営側も選手側も同様に、この正常性バイアスが強く働いてしまっていたのではないかと、色々推測しているのですね(予測が非常に難しい気象条件もそれを後押しした可能性が高い)。

山における正常性バイアス=「山を舐める」

こう短絡的に考えるのは、果たしてどうだろう、ということです。

電車に乗ることや飛行機に乗ることとは根本的に違う「参加」

そしてもう一つ、いくつかのコメントから考えたことがあります。

それは、今回の事故を「列車が脱線した、どうしてくれるんだ!」「飛行機が墜落した、安全基準はどうなってるんだ!」と同じような理屈で語られている記事があったということです。

電車や飛行機などの公共交通機関を利用する際は、色々な危険性はあるものの、ある程度「ほぼ100%の安全」を前提としてこちら側も利用しています。

乗る前に「脱線するかもしれませんよ」「堕ちるかもしれませんよ」などと注意されてから乗る電車や飛行機なんかありませんからね。

一方で、トレイルランニングなんていうスポーツは、「死ぬかもしれませんよ」と暗黙に言われているスポーツだと思っています。

そして、そのことを「参加者も理解している」という点が大きな違いだと思っているのです。

電車に乗る際、誰も「死ぬかもしれない」などと思って利用する人はいないと思います。

しかし、トレイルレースは「死ぬ危険性のあるレース」という認識のもと「参加」をするわけです。

それは、運営側が個人の体の状態や天候などに代表される自然の力を、全てコントロールすることは不可能だからです。

ですから、今回の事故の原因全てを運営側の責任にすることは、列車の脱線や航空機の墜落などと同列に捉えているのではないかと勘繰ってしまうのですね。

最も恐れているのが「危ないことはやらなければいい」

今回の事故の責任については、もうそれは法廷が決めることで、我々外野がどうこういうものではないと思っています。

亡くなった方は気の毒だったし、その遺族の方にしてみれば運営側を追及したくなるのは当然のことだと思います。

ですが、我々はそれについてこうだと断罪できかねる理由は今まで書いてきた通りです。

一方ここで、私自身最も危惧しているのが「こんな危険なスポーツはやめた方が良い」という風潮が蔓延ってしまうことです。

もうすでに、別のところでも「トレイルレースは禁止」という意見もありました。

もちろん、人それぞれ様々な考えがあるのはわかるし、それはそれで否定するものではありません。

しかし、もし、この「危ないからやめる」理屈が通ってしまうと、もうほとんどありとあらゆる「スポーツ」自体ができなくなってしまうのですね。

波や海水温の影響を受けるからトライアスロンは危険だ。

時速100kmを超えるスピードが出るアルペンスキーは死ぬ可能性がある。

そのほかにも、スキーのジャンプ、乗馬、ラグビー、アメフト、等々、上述した通り、スポーツはみんな危険で「死と隣り合わせ」なんです。

確かに、今回の事故は一度に多くの死者を出してしまった異例の出来事でした。

当然、運営側の対策で防ぐことができた部分もかなりあると思います。

だからこそ、もう一度その危険性を再確認して対策をし、参加者側も運営側も「正常性」に振られたバイアスを「異常性」にシフトさせる機会にしなければならないと考えています。

そして危険を理由に活動をやめるのではなく、危険性を最小限に止める努力を、参加者のできること、運営側のやるべきことを整理して行い、活動を継続していかなければならないと思っています。

わかり始めたマイレボリューション

こんにちは、ランマニアです。

のっけから40代未満の方を置き去りにするタイトルですが、ようやく安定的に練習を継続できるようになって「わかり始めた」今の心境をタイトルにしたらコレになりました。

今日は久しぶりに「フルアスファルト」ジョグを行いましたが、まあとにかく以前のふくらはぎのやばかった頃に比べて、だいぶ下腿(膝下)の「剛性感」が増してきた印象です。

正直、まるで自分の脚がガラスでできてるんじゃないかと思えるほど、何かのきっかけで「ピキ」って言ってしまうんじゃないかとヒヤヒヤする状態でしたね、一時は。

「イケてる」時は、足裏でバシバシ路面を叩いて豪快に進めるんですが、そんなことをしようものならふくらはぎが粉々になるんじゃないかと。

さすがに前足部でバシバシ路面を叩けるほどの剛性感ではないものの、今日のロードジョグはまたそういう走りが戻るんじゃないかと予感させるくらい脚の頑丈さを実感できた練習になったのですね。

しかしここに至るにはやはりそれなりの苦労があったのも事実です。

最も大きなターニングポイントは、やはり4月下旬に設定した2週間のノーラン期間でしょうか。

あそこで一旦、微細な損傷・断裂してしまった筋繊維を修復させ、そこから改めて筋を鍛え直していったことが大きかったように思います。

それまでも、ノーランデーを何日か設けてはいたのですが、わずか数日の休みでは「回復」はしても「修復」には至らない状態であったのだな、と改めて感じます。

筋繊維がしっかり「修復」されなければ、少しの刺激でまた損傷してしまい、痛みは生じないものの体感できないレベルでのダメージが残っていて、少しの刺激(ジョグ)でもその弱っている部分からじわじわと「亀裂」が広がっていくイメージでしょうか。

そして実際にはもう糸が数本でつながっている状態になった時、なんでもないジョグの最中の「次の一歩」でピキっとなるのですね。

とにかく、一度筋肉の状態をある程度健全な状態に戻し、その上で本当に少しずつ刺激を与え、適応を促す、という言われてみれば当たり前の過程を踏まなければならないのが故障からの復帰なのです。

初めは山歩き。数日おいて、歩くようなペースでの軽いジョグ。しかも頻度も1日おき。

途中上田スカイレースというとんでもなく危ないイレギュラーなイベントが入り込みましたが、本来であればああいうことはないほうがベストです(結果的に何もなくて良かったですが)。

そして先週からは少し長めのジョグを1日おきに入れてきました。

走行時間が100分を超えたあたりで、さすがに疲労が溜まりましたが、そこから回復したあたりで心なしか「脚の頑丈さ」「疲れにくさ」が徐々に戻ってきた感じを受けました。

ウォーキングを含め練習を再開して大体ひと月くらいでしょうか。総走行距離にしておよそ200km弱といったところ。

この10年、もうこのふくらはぎの肉離れは幾度となく繰り返していますが、どうしても「やめ時」「始め時」が掴めないんですよね。

痛けりゃやめればいいのに、って思うのですが、本当にやばい痛みでない気もしたり(実際そういう時もあり)、痛くないから走ったらキレたり。

そういうのがわかってくれば、文字どおり「マイレボリューション」なんですけどね。

とにかく、今年に入っての練習継続期間が最長の1ヶ月に近づきつつあります。前回4月は最短の二週でキレましたから、一日置き練習が基本とはいえようやく脚の状態も元に戻りつつあるのではないかと。

明日は久々の「連日練」を入れ、その後練習頻度を距離を抑えながら元に戻し、5月を乗り切れれば6月からいよいよファルトレクなんかを入れていこうと思います。

改めて薄底について考えてみる

昨日のレースでも活躍してくれた旧世代のTakumi戦シリーズ

こんにちは、ランマニアです。

昨日のレースは地面がアスファルトのロードレース。しかも距離が10kmとそこそこ長いこともあり、当然のことながら走力を問わずほとんどのランナーが厚底シューズでレースに臨んでいました。

知り合いも皆ナイキやアディダスの厚底で、みなさん一様に「ランマニアさんは厚底履かないんですか?」と心配され。

確かに、こうして底の厚い靴に見慣れてくると、手にもつランマニアの「Takumi戦」シリーズの底の薄さは本当に頼りなく感じ、自分で選択しておきながら「本当にこれで大丈夫か?」と自分で心配になるほど。

しかし、実際にアップシューズからTakumi戦に履き替えて流しを入れてみると、やっぱりこのビュンビュンスピードが上がる感じは自分にはぴったりだな、と結局ここに落ち着いてしまうのですね。

ランマニアが本格的に陸上を始めた高校時代のレースでは、アシックスの「ソーティーマジック」という靴が席巻していて、他の練習シューズに比してはるかに高価な(12000円くらいだった記憶、なんという安さ!)レースシューズで、レースのような特別な時に履く靴、といった他のシューズとは一線を画す存在でした。

ランマニアも高校3年の頃に初めてこのソーティーマジックを購入し、以降大学生までこのソーティーシリーズでロードレースを走っていました。

このシューズ最大の特徴はその軽量さで、当時どの練習シューズよりも軽く、今のシューズで重視されているクッション性や反発力などほとんど皆無、とにかく軽さだけを追求したシューズでした。

また、それ以前からよりプロフェッショナルな雰囲気を醸し出していた「ソーティジャパン」シリーズよりもアウトソールのグリップ力が強化され、「軽くて物凄く力が加わる靴」というイメージの強いレースシューズでした。

以降、ランマニアは大学時代の箱根駅伝予選会20kmレースまでこのソーティーシリーズでロードレースを戦いました。20kmも!と思われるかもしれませんが、当時はソーティーでフルマラソンを走るのでさえ当然の世の中でしたから、20kmぐらいはなんでもないことだったのですね。当然、ラスト5kmあたりから物凄く足裏や下腿が痛くなってくるのですけど。

しかしとにかく、このソーティーシリーズの「空を飛ぶような軽さ」は、当時レースが特別なものとして実感できるツールの一つでして、練習では決して味わうことのできない「自分の本当の速さ」を体感できる貴重な時間だったわけです。本来なら、練習の時から短距離や中距離の選手がスパイクで練習をするように、我々もソーティーで練習する機会を持っていればよかったのですけどね。

そしてこの時のロードレースの体験がいつも頭にあるため、厚底が主流となった今となっても、どうしてもあの「飛ぶような走り」(厚底は“跳ぶような“走りなのでしょうか)を再現したく、今でもダイレクトに地面を掴んで蹴り上げることのできる底の薄い靴を選んでしまうのでしょう。

そうですね、ちょうどスポーツカーのホイールがタイヤいっぱいまでインチアップして、路面の感触がダイレクトに運転手に伝わってくる感覚、コーナーで全くゴムがたわむことなくボディをロールさせずに旋回するような感覚。ああいった感覚を走りの中でも得たい気持ちがどこかにあるのだと思います。

昨日も流しを入れながら、接地した瞬間に前足部が路面に吸い付き(Takumi戦シリーズは前足部にブーストフォームが入っていて接地の際路面に足裏がしっかり密着するようにできています)、アスファルトと相性のいいアウトソールのぶつぶつが路面をしっかり捉えて蹴り進むことができるのです。この感触がたまらなく気持ちが良く、「やっぱり今日もこれで走りたい」と思ってしまうのでした。

この僅かなブーストフォームのおかげで、体重がかかると足裏全体が路面に密着します

このスピードの出し方に慣れてしまっているランマニアが、もし厚底に移行しようとすれば、まず確実に走り方を変えなければならなくなります。厚底シューズを実際にしっかりと履いたことがないのでなんともいえませんが、あの形状と柔らかさから推測するに、おそらく足裏のトラクションをフルに利用して前に進もうとする今の走り方では、全く通用しないシューズであると考えられます。

しかし、やはり、というか当然というか、昨日のレースでも終盤の脚へかかる強い負荷は薄いソールならではのダメージの大きさで、次第に脚が止まってくるのも事実です。

しっかり路面を捉えて蹴り進む、ということは、それだけ力がロスしない、ということでもありますからね。下腿にかかる負荷、ダメージの大きさは想像以上のものがあります。

足裏のちょうど中間あたりが大きくすり減ってきているので、接地はフラット気味に修正された印象です

仮に、序盤の軽やかにかつ力強く地面を蹴れる状態が最後まで全く衰えることなく継続できるのであれば、昨日のタイムはもっと良かったに違いありません。それを可能にするのが厚底シューズなのでしょうけど。

その最後まで衰えない脚力、ダメージ耐性を靴で得るか、それとも練習によって得るか。

練習によって得ようとするのは並大抵のことではありません。あんなに練習したって、最後は脚が止まるのですから。

そう考えると効率よくタイムを向上させるには、厚底を選択することはとても手っ取り早い手段です。

しかし、ランマニアはこの最後まで衰えない脚力を、練習によって獲得したいと考えているのですね。その理由は昨日のブログに示した通りです。

薄底シューズは、そうした練習によって獲得されたダメージ耐性みたないものをとてもよく感じやすいシューズなのです。

まあ、簡単にいってみれば自己満です。もともとスポーツなんてものは自己満足の世界ですから、それでいいんだと思います。

しばらくレースもなく、また薄底シューズを試す機会もあまりない状況ですが、ひとまずしばらくは厚底シューズを購入してレースで使用する予定はありません。

とはいえ、昨今のランシュー事情を鑑みると、そんなランマニアが「まさかの厚底に」といった記事を書く日が来るのも時間の問題かもしれません。

3シーズンくらいはいてしまった現在のレースシューズ。いい加減引退させます。次もTakumi戦シリーズかもしかしたらニューバランスあたりでしょうか。

9月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

恒例の月間振り返りのコーナーです。

9月は、8月に痛めたハムストリングス付着部に痛みや張りがあったため、前半は軽いジョグしかできず、その後も恐る恐るペースを上げていった月でした。

ほとんどがジョグ中心の練習。

中旬にようやくMペースまで上げることができ、月の終わり頃からようやくLT走を通常モードで行えるようになりました。

これまでで最もトレイル率の高い月となりました。

そして、無理にペースが上げられない時期が続いたことから、ウォーキングや登山といった軽めの運動を長く続ける練習が多くなり、結果的にトレイル(登山)の割合がこれまでで最も多くなりました。

月間でまとめると、30日間だった9月は同じく30日間の6月を上回る走行距離を達成できました。

一方で、ジョグが中心だったこともあり、月間での走行距離は思いのほか伸びて、同じく30日間の6月よりも多く走ることができました。これはちょっと意外でした。

ただ、今週は1週間で100km走ることを目標にしているので、あまり今日が区切りの日には感じず、残り4日で50km程度走らなければならない、ということの方が頭にある状態です。

当然のことながら「月間走行距離」とか「月間のまとめ」というのは、たまたま区切りが一月というだけのことで、実際には色々な取り組みの最中であったり、もう少しミクロな目で見ると1週間の途中であったりするので、あまり意味のある指標ではないようにも思います。

とはいえ、直近1ヶ月でおおよそどれくらいの距離を走ったかどうかという目安にはなるので、例えばそろそろ一回休みを入れた方がいいかな、とか、疲れているのは当然だよな、といった体の状態を予測するには参考になる指標かもしれませんね。

出力の左右差ってある気がします

こんにちは、ランマニアです。

先週から故障明けのリハビリ週間で、軽いジョグを毎日継続しているところです。

今回やってしまったところは、ちょっと今までの故障とはタイプが異なり(ある意味同じ面もありますが。後述。)、通常脚の接地時に力が掛かって脚が痛む故障が多かったのに対し、今回は前へ進む際の推進力を得ようとする際に痛む故障です。

なので、これまでの足底筋膜炎やふくらはぎの肉離れでは、とにかく着地に気を使い、治らずに練習を再開すると脚を着けば着くほど悪化していくのが常でした。

しかし今回の怪我は、大腿二頭筋を中心としたハムストリングスに力をかけた時だけ痛む故障なので、変な話、下り坂のような勝手に前へ進んでくれるような場所では全く痛まない変わった故障なのですね。

逆に、上り坂ではいまだに患部が張ってきて、最終的には痛みもまだあるので、極力上り坂を避けて走っているところです。

なので、平坦な道を走っている分には、ペースを上げさえしなければ、もうほとんど故障をしている自覚がなく、着地するときに無意識に脚を庇うとか、変に着地ポイントを変えて走るとか、そういった「二次障害」を誘発するような動きは全くないのが救いとなっています。

しかし、ただ一点、普段と違う走り方になっているのは、前に進む際に患部のある右足で思い切り踏ん張れない、ということです。

今回の故障は、前に進もうと力を入れたときに痛む場所なので、前に進もうとする力を当然弱めて走ることになります(つまりペースが落ちる、ということ)。

そうなると前に進む推進力をどこでカバーするかというと、今回は自分の利き脚でない「左脚」ということになります。

多分、多くのランナーがそうだと思いますが、走っている時の力の入り具合は、明らかに利き脚の方が大きくなっているのではないでしょうか。ランマニアも例外ではなく、ふくらはぎは右脚の方が圧倒的に太いですし、力も入りやすいです。逆に左足はうまく使えている感覚がなく、ベタベタとまるで反発が得られない劣化したバネのような走り方になってしまっています。

実際左右の筋力差を測ったことはありませんが、感覚的には右60の左40くらいは離れていそうな出力差です。

しかし、今のように利き脚が十分機能していないと、当然出力を100%発揮できず、その分逆の脚で前に進もうとしてしまいます。

ところがこうして右脚が制限されてみると、最低でも左脚をうまく使おうとして、自然とスムーズで高出力な脚の使い方を人間はするのだな、とちょっと感心しているところでした。

これまで嫌いだった左脚のベタベタした走り方がなりを潜め、軽快にタッタッタとフラットに接地をして短時間で蹴り上げまでの動作を終えられるようになっているのです。

両脚が使えていた時にはやろうとしたって全くできなかった走り方で、変な話右脚が左脚になったような不思議な感覚で脚を使うことができているのです。これにはちょっとした驚きがありました。

とはいえ、ここで最も気を付けなければならないのが、普段使っていなかった筋肉、使っていなかった脚にかなりの負荷がかかり始めているために、そっちの故障の心配が出てくることです。

これはふくらはぎを肉離れした時によくあるのですが、大抵やってしまった方を庇うために、逆の脚に負荷がかかり元々の方が治る頃に逆側をやってしまう、というパターン。

今回も、左脚を気持ちよく使え、これで右脚が復活すれば左右差がだいぶ縮まり、非常に効率の良い走りができそうな気がしていますが、ここで気をつけないとそうなる前に左をやってしまい、すべては1からやり直し、ということになりかねません。

なので、やはりどちらかの脚に不安がある時にはペースを上げない、というのが大原則なわけですね。

現状、故障の快復を妨げない程度の最低ラインはキロ5分30秒くらいのペースです。下りならもう少し上げても大丈夫。

しかし平坦コースでキロ5まで上げようとするとちょっと不安がありますし、上り区間では明らかに患部に張りが出てきます。

日々軽快はしている実感はありますが、やはり絶対的に時間は必要になりそうです。

なので今は焦らずにやれる範囲でのペース、距離の中で、今回の左右差のような普段では体感できないようなことを試していこうと思っています。

8月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

ブログの方もご無沙汰してしまいました。

本当は、怪我の経過でも載せていこうかと思ってはいたのですが、やはり走れないとどうも無意識のうちにテンションが落ち、書きたい内容が思い浮かんでこないのですね。

「いい休養だ」と思って、せっかくの休みを楽しんでしまえば良いものを、そういう気持ちにならないところが、まあ一つのビョーキなんですね。ランナー病。

そして1週間休んでいる間に気温も一気に涼しくなり、季節が進み、8月も終わってしまいました。

で、恒例の月間振り返りです。

今月は、予定ではダニエルズさんのマラソントレーニング4週サイクルの1サイクル目でして、TペースやMペースの練習がどんどん入ってくるはずでした。

それがだいたい半分くらいしか消化できずに終わってしまったのですが、実際に8月を振り返ってみると、思ったよりも走行距離は走れた印象です(故障中のWalkも便宜上E練習に計上しました)。

最後の2週間は高強度が一気に減ってしまいました。

ペースごとに見てみると、圧倒的にEペースが多いのは当然として、今月から始まったM練習の割合が若干目立つところです。これはマラソントレーニングならではの練習内容ですね。

一応、Mは7割、Iは完遂したことになります。怪我をした週はTペースメインのRペースが若干入る予定でした。

今年に入るまで、ランマニアの月間走行距離は200台がデフォルトだったので、ここ数ヶ月続いた300kmオーバーはかなり異例のことで。以前なら今月の280kmでもわりと十分な感じでした。

8月は最後の10日で急速に走行距離が減ったので、月のトータルで報告するのはあまり意味がないのですが。

今回はダニエルズのゴールドプログラムが終わった時点で、もう少し長い休養を入れるべきでしたね。

臀部の痛みもあったわけですし、4ヶ月間の疲労はかなりのものがあったはずなので、最低1週間は休養を入れるべきでした。

しかしそのツケがここで回ってきて、結果的に1週間の休養、そして現在のリハビリジョグに至るわけです。高強度ができるまでに完治するにはトータルで数週間かかることを考えると、8月の頭に1週間休んでおけば、となるわけで。

とはいえ、患部が患部なだけに無理をしていたら肉離れの危険性もあった中、ダメージはギリギリ最小限に留められたかと思います。

今週は、ペースを抑えたジョグで様子を見て、その結果次第で来週以降徐々にペースを上げた練習を織り交ぜていこうと思います。