こんにちは、ランマニアです。
ここのところブログに割ける時間が取れず、びわ湖バレイのレビューや11月の月間まとめができずにここまできてしまいました。
今日は毎年恒例の地元のレース、所沢シティマラソン(ハーフの部)に出場してきました。
第34回を数えるこのレースは、実は大学時代の第3回大会から出走していて、途中何度か欠場がありましたが、なんだかんだでもうかれこれ30年近くも関わり続けているレースとなりました。
学生時代は、おそらくランマニアが最も速かった頃で、この頃はまだコースも所沢の市街地を駆け抜け、中心部を巡りながら西武ドームに戻ってくる、かなり「シティ」なマラソン大会でした。
当時は距離も20kmで、箱根駅伝予選会を目標にしていた学生時代の自分にとっては、ちょうどいいベンチマークとなるレースだったのを記憶しています。
それがいつしか、交通規制や予算の関係か次第に「シティ」ではなく「ローカル」な部分を中心に走るコースへ変わり、現在では丘陵地帯の多い所沢の最深部をめぐる、もうほぼトレイル並みの斜度と獲得標高が存在するコースへと変貌してしまったのでした。
昨年も、じゃり道を2回走ったり、通常のロードレースではあり得ないような下り坂を一気に駆け下ったりするかなりアブノーマルなコースでしたが、今年はダートが1回になった代わりに、13km以降の急な坂道のアップダウンが小刻みに増えた印象です。
そうしたこともあり、今回は昨年以上に序盤を慎重に走り、終盤の「トレイル区間」でしっかり脚を残して走れるようにすることを目標にしていました。
ちょうど、マラソンを2時間36分台で走るチームメイトが近くを走っていて、ハーフくらいまでは自分と同程度の力を持っている彼に着いて、少しでも脚を温存することにしました。
とはいえ、実力的には彼の方が上なので、引っ張られながらも呼吸は終始きつく、おそらくLT2を超えるか超えないかくらいのギリギリ保てるペースで走ることを強いられました。
一方で比較的脚は良く動いたため、この苦しささえ我慢すればどうにかなりそう、という見通しを持てていたのも事実です。
というのも、年齢を重ねると、LTペースが若い頃に比べて若干呼吸がキツくなる傾向があり(確かダニエルズの最新版にそこらへんの補正についての記載があったような気が)、呼吸のキツさで判断する「体感LT」よりも、若干キツめでもLTペースとして維持できる傾向を、自分自身体感していました。
なので、そうしたことも頭に入れなが、脚を使いさえしなければあとは呼吸のキツさは我慢するしかないと思い、脚に余裕があるならばできるだけ彼についていくことにしたのですね。
そして、勝負は終盤ラスト7kmからの急激なアップダウンの繰り返される区間だと踏んでいたので、それまでは多少離されても気にせず自分のペースを守り、できるだけ脚を温存させる戦略でレースを進めていきました。
急坂登りはトレイルで鍛えた筋の使い方あったため、そうした区間では彼に追いつき、割と平坦で走力がものをいう区間では離されるというのを繰り返しながら、結局20kmまでレースは進んでしまいました。
キロ表示がほとんどなかったため、時計は一回も見ず、20km地点の定点タイマーの計時を見て、初めて自分のペースを知ることになりました。
1時間10分台後半。
ラスト1kmがかなりの上り坂のことを考えると、どんなに遅くても15分台では行けそうと思い、少し元気が出ました。
昨年は1時間17分ちょうどだったため、それよりも大幅に速いペースで走ってきたことに気づき、手応えを感じたのですね。
並走する彼は明らかに余裕があり、最後の登りでも逆転は不可能だなと思いました。
案の定、最後のカーブを曲がる手前でスパートをかけ、それにはついていくことはできませんでした。
ただ、正直、彼にここまで善戦できるとは想定もしていなかったため、21km手前まで一緒に走れただけでも十分満足してしまう自分がいて、とても勝とうなどとは微塵も思ってもいませんでした。
結局、今年から40代の部に入った彼が40代3位。今年で40代の部が最後となるランマニアが4位という結果となり、自分自身としてはもう十分満足できるレースとなりました。
さて、もともとハーフマラソンは自分の適性の中でもかなり上位に来る距離の一つで、フルに比べると圧倒的に失敗が少なく、良い時は終盤以降呼吸のキツさを押しながら脚でぐいぐい進んでいく感覚の得られるレースができる距離になります。
今回、数年ぶりにそうした感覚が得られ、練習次第ではまだまだ勝負できる距離なのだなと安堵したところです。
そこで、その要因を少し考えてみたいと思い、ひとまず11月の練習をここで改めて振り返ってみようと思います。
11月の一月だけをみても意味がないので、この一つ前の月を見ると、10月は毎週LT域に刺激を入れることを意識した月になっています。
こうしてみると、ダニエルズさんが提唱している「6週間は同じ練習を繰り返したい」という目標が概ね達成できていたことになり、自分自身もこのような期間を常々作り出したいと思っていたところでした。
それを成すために今年意識したのが、例年であればトレイルレースの多くなる9〜11月にそれらを入れず、また山練も最低限に控えたことが挙げられます。
11月はびわ湖バレイに出場したものの、その前後はVO2Maxに刺激を入れていて、びわ湖のバーティカルも事実上VO2Max負荷だったことを考えると、これにしても3週間は継続したことになります。
結果、故障明けの10月以降は6週以上のLT負荷と、3週程度のVO2Max負荷が継続され、今回のレースのタイミングが、体がやや強い負荷に順応してきた時期であったと想像されました。
引っ張られたペースが想定以上に速かったため、終始呼吸のキツさは気になりましたが、脚が最後まで動いたということは、練習のボリューム的にもどうにか最低限確保できていたことが予想されます。
こうして振り返ると、今年は4月以降スカイランニング世界選手権のためにある程度の距離を確保し、その時期に距離への適応が進み、一旦故障で休養を余儀無くされたものの、それが疲労をリセットする機会となり、高強度練習を継続できる状態になってきたと思われます。
先日のびわ湖バレイスカイレースもそうでしたが、トレイルレースの体にかかる負荷は想像以上で、例年、継続してきた練習が途絶えさせられる傾向が続いていました。
その結果、本来高めたかったロード&トラックの走力が思うように身に付かず、レースで思うような結果が出ない日々が続いていました。
今回意図的にトレイル系のレースや練習を控えることで、じっくりと純粋な持久的走力を高める練習に向き合うことができ(気持ちという意味ではなく、体力的に)、徐々に体が出来上がっていく実感を持つことができました。
今日のレースの様子を振り返ると、だいたい自身の上限に近い実力が出ていたと思われ、今後この強度域の練習を続けてもこの部分の走力を高めるには若干コスパが悪そうに思います。(本当はもう一度3分一桁で1000mのインターバルが継続できる体を作りたいのですが、おそらく故障するでしょう)
12月は、あとバーティカルが1回と5kmの駅伝が1回あるため、VO2Max刺激期間もちょうどそこまでとなると思います。
そうすると、このあたりの能力は一旦ここで開発し終え、少し休養を入れたあと、年明けからはいよいよマラソン向けの練習を入れていこうと考えています。
今年は3月の板橋一発勝負なので、1月、2月の二月間でロング走を中心に脚を作っていこうと思っています。
その間に挟まれる10km程度の駅伝は、LTやVO2Maxを最低限維持するための機会として走り、「最大強度」をかけられる体の機能を維持できればと思います。
今日は久しぶりにロードレースの楽しさを味わえるレース展開となり、もう一度ロードでも再起を図りたいと思えるきっかけとなったことは間違いありません。