「生真面目ランナー」より「気まぐれランナー」

こんにちは、ランマニアです。

多くの長距離ランナーは、基本とても真面目です。特に、社会人になっても競技を続けているような人は、競技に対するモチベーションも高く、練習も熱心に取り組む人が多いです。

これ、長距離・マラソン、という種目の特性なんでしょうね。

長い時間、同じ動作を延々と続ける、苦しくなってもその苦しさを我慢して耐え忍ぶ。

こういう競技が向いている人って、やっぱり真面目な人なんだと思います。

ところがです。

かなり若い頃から競技を続けている人は、なんとなくうすうす感じていることだと思いますが、部活やチームの中でエース級の人とかずば抜けて速い人って、なぜか「生真面目」に地道に練習を続ける人よりも、「気まぐれ」で練習している印象のひとが多かった気がしません

ランマニア自身、高校時代の陸上部がかなり強かったんですが、インターハイに出た二人のランナーはまさしくこのタイプ。

「なんかおれ、今日疲れてるから走るのやめとくわ」

とか、

「よーし、今日なんかやる気あるからちょっと本気出すぞ!」

とか言って、その日の気分で随分練習に対するイレコミ方が違うんですよね。そして、ふつーに練習サボる

さらに、大学時代の後輩でも、5000mが一番速かった後輩は、研究室のゼミがあるとかなんとかで、全体練習にはほとんど参加せず。でも、気まぐれ的にいきなりインターバルを一人でやってるのを見かけたり。なんでそんな気まぐれな練習で、あんなに速くなるんだよ(5000m14分36秒)と、いつも釈然としない気持ちでした。

一方で、毎日地道に練習するタイプの選手は、そこそこは強くなるものの、なんだかんだで怪我とか体調壊すとかで、劇的な記録向上は見られず、小さくまとまってしまう傾向がありました。ランマニアも、まさにこっちのタイプ。

これ、なんでだろうと、ずっと思っていたのですが、最近になってようやくこの謎が解けた気がしたのです。

いや、なんてことのない、謎なんてたいそうなものではないのですが、単純に、私たちは「練習のやり過ぎ」だったんじゃないか、と。

彼ら「気まぐれ」タイプは、たしかに「練習量」とか、「地道さ」という尺度で測れば、ビックリするほどいい加減なんですが、一方で、その分ポイント練習にかける集中力とか力の振り分けかたはある意味レースなみなんですね。なぜ、練習からそんな「全開」で走れるのか。

それは、「疲れてないから」なんじゃなか、と。

さっきも言いましたが、彼らは「平気で」練習休むんです。「疲れていれば走らない」「気乗りしなければ走らない」そんなの当たり前です

いわば、体に素直なんですね。

一方、地道コツコツタイプは、疲れていようが調子が悪かろうが、予定した練習をちゃんとこなそうとします。いや、それも大事なんですが、しかし、ヘタをすると「練習をこなすことが目的」になっている可能性が非常に高い。もっと言えば「月間走行距離」に縛られている「月間走行距離の呪縛」参照)。

ランマニア、ようやくこの年になって「サボる」ことを覚えたんです。

「今日、疲れてるからやめよう」とか、「調子がいい時だけポイント練やろう」とか、そういいきかせて、思い切って休む。

なんと、これが効果てき面だったんです。

調子は長い期間維持できるし、なにより、ポイント練の質を高めることができるので、練習効果も遥かに上がるわけです。

心拍数を上げるのが目的のインターバルトレーニングをやるのに、疲れ切っていたら、ペースも上がらず心拍数も高い値を維持することができないのです。

ああ、そうか、と思いまた。

あの「気まぐれ」な後輩たちは、常に疲れがない状態でポイント練に参加していたんだ。だから、私たちよりも遥かに体を追い込むことができ、結果、トレーニング効果が上がってたのか、と。

「休養」は、負荷をかけてダメージを負った体を回復させる効果がありますが、もう一つ、「練習の質を高める」効果も見逃せないと思うのです。

そして、特にポイント練習は「質が命」です。どれだけ負荷をかけられるか。ここがポイントです。

だから、「休養」は練習の質を高めるためにも、どうしても必要な要素なのだと思っています。

「気まぐれランナー」は、意図せずその「休養」を適度に入れて、常に質の高い練習をこなせる体を維持していたのだなぁと、ようやくわかってきたのです。

インターバルをやってみた

こんにちは,ランマニアです。

昨日は,久しぶりに少し速いペースでインターバルをやってみました。定番(?)の1000m×3です。

ランマニアは,ここのところちょっとふくらはぎの状態が危うく,ちょっと無理をすると肉離れになりそうな状態です。

ただ,少しずつつながってきた感覚があったので昨日は試運転でスピードを上げてみました。

ランマニアは,前にも話した通り,もともとつま先から着地をするフォアフット走行で,こういうふくらはぎが危ない時は,最も肉離れの危険性が高まります

なので,少しでも痛みが出そうな時は,あえてフォアフット走行をやめて,着地の後,極力ふくらはぎに力を入れないよう,太ももの裏(大腿二頭筋と言います)を使って脚を蹴るようにしています

昨日も,そんな走りを意識したので,ペースはそれほど上がりませんでしたが,ランマニアの走力から考えると最大酸素摂取量ペースよりもちょっと遅いくらいのペースまではあげることができました。

ダニエルズさんの換算式で計算すると,ランマニアが最大酸素摂取量を高めるためのトレーニング(主にインターバルですが)で必要な1000mのペースは,だいたい3分15秒くらいになります。

そうした中で,昨日は3本を,3分17秒,3分16秒,3分18秒で終えることができました。ふくらはぎが使えない分,推進力が体感的に30%ほど落ちていた印象ですが,それでもこれくらいのペースで走れたことに安堵しました。

前にも話しましたが,インターバルトレーニングは,そのペースで最低2分以上は持続させ,1000mで言えば,どんなに少なくても3本ほどはやらないといけません

昨日,3本目が終わった時点での心拍数は178くらいだったので,ランマニアの現在の年齢から算出される理論的な最大心拍数175は軽く超えるところまで追い込むことができました

なので,トレーニングとしてはひとまず及第点だった,と考えています。

燃え尽きないために

こんにちは,ランマニアです。

肺炎騒動で多くのマラソン大会や駅伝大会がなくなり,この時期のために練習してきたランナーたちにとっては,今とても目標がなくなりモチベーションも落ち気味かと思います。

特に,高校生や大学生などの,走れる期間が有限である立場の人たちは,なかなか受け入れがたい現実ではないかと想像しています。

例えば,全国高校駅伝は年に一回だけ。3年生の受験期まで部活を続ける人は限られると考えると,事実上二回しかチャレンジできないわけです。

そういう立場にある人たちにとって,一回の競技会が中止になるということは,ものすごく大きな損失であるし,自身のキャリアにも関わってくる死活問題です。

一方で,我々市民ランナーは気楽なもんです。

今年の深谷シティハーフマラソンがなくなったところで,また来年チャレンジすれば良いですし(準エリート枠が来年はないかもしれないのは痛いですが),別の大会を探せば済むことです

どうしてもその年の,その大会を走らなければならない,という追い詰められた状況があまりないのが,我々市民ランナーの気楽なところでもあります。

もっと言えば,高校生や大学生は,いついつまでにどれくらいの記録を残しておかないと,という様々な「期限」があります。

○○の標準記録を突破しておかないと,といった期限は様々な場面で訪れるでしょう。

確かに,市民ランナーの中でもスーパーエリートなランナーの人たちもたくさんいますから,そういう人たちは毎年標準切りへのプレッシャーの中で競技を続けているのだと思います。しかし,それとて,極端な事を言えば今年である必要はありませんし,余程の高齢でない限り,またチャレンジをすれば良いのです

こういう余裕のある競技への取り組み方を,社会人になって知ってから,学生時代は随分と生き急いでいたな,と今振り返ると思います。

そういう意味では,社会人ランナーになってからは競技に対して随分心の余裕が出ましたし,むしろ長いスパンで計画を立てられるので,純粋に走る事を楽しめている気がします。決して,競技に対するモチベーションが下がったわけではないのに。

で,今こうして「大会なんかやってる場合ではない」状態になっても,確かに少し目標を失いがっかりした面はあるものの,それほどモチベーションがガタ落ちして練習のやる気が出ないということも,あまりありません。

この肺炎騒動もいずれは収束するでしょうから,その後に向けて今は準備をしていこうと前向きな気持ちになっています。

それは多分,普段の練習を,嫌になるまでやってないからだと思います。

ランマニアは,慢性疲労を抱えているため,普段の練習から常に「腹八分」なんですね。もう少しやったほうがいいんだろうな,というところでやめてしまうので,常に,この続きは次回にしよう,で終わるのです。

そうすると,いつも物足りなさを感じているので,練習もあまり嫌にならないんですね。

だから,普段からそんなに我慢して無理して精進しているわけではないので,大会の一つや二つなくなったところで,燃え尽きたりはしないということなんだと思います。

ヴェイパーフライの謎

こんにちは、ランマニアです。

ここまでランニングフォームの話を読んできて、勘の良い方は「それって今流行りの厚底が関係している?」と思ったに違いありません。

まさにその通り。ランマニアもあの厚底が登場し、ちょっとだけ履かせてもらった時、すぐにピンときました。

何がすごいって、まず履いて立っただけで体が前傾するんですから。自分で前傾姿勢作ろうとしなくたって、勝手に前傾させられる靴

さらに、カーボンフレームのおかげなのか厚いソウルのせいなのかはわかりませんが、とにかく跳ねる跳ねる。つまり、地面反力がもらえる

極め付けは、かかとが異常なまでに厚いため、これまた勝手にフォアフットになる

もう、ランニングの経済性を上げるための要素があの靴によってすべて満たされてしまう、とんでもない靴ですよ、アレは。

また、履いたランナーたちが共通して話しているのは、厚いソウルのおかげで長く走っても足への衝撃が伝わりにくく、疲れにくい、ダメージを受けにくい、利点もあるとのこと。

実は、前回まであまり触れなかったのですが、この「前傾姿勢」「地面反力」「フォアフット」が重なると、ものすごく「下腿(膝から下)」に負担がかかるんです。

効率よくスピードが出せる反面、人間の脚で最も大きな筋肉である大腿部(太もも)へ振り分けられていた負担が、かなり下腿部に持っていかれるんです。

だから、膝から下の故障がものすごく増えてきます

ランマニアはしょっちゅうふくらはぎの肉離れをしますし、アキレス腱や足の裏の筋肉や腱も痛めます

高校生や大学生のように、まだ回復力があり筋肉が柔軟な年頃であればそんなに怪我はしなくても、40過ぎたおじさんでは、もうこのような走りは限界に近いのだろうな、と常日頃感じています。

しかし、ここで厚底シューズの登場。ある研究では、これを履いて走ると、ふくらはぎへの負担がだいぶ軽減されたという報告もあるほど。

これは、一流ランナーだけでなく、我々一般の中高年ランナーにも朗報だと思っています。

ただ、ランマニアはもう少しアレに頼らずあがいてみようと思っています。

自分の中で、ここまで色々と自分の体を使って研究をしてきて、それで確実に速くなるトレーニング方法を考え出してきたので、その部分での伸び代に期待したい気持ちがあるからです。

フォアフット着地(接地)

こんにちは、ランマニアです。

前傾姿勢と地面反力

前回までで、この2つの要素がランニングの経済性を高めることに重要な役割を果たしていると述べました。

ところでみなさん、実際にこの走りを試した人の中には、何かとても違和感を感じた人はいませんでしたか?

普段走り出す時とは、ちょっとちがった感覚があったはずです。

前に倒れ込むようにして走り出し、体の真下付近に足を着地(我々は「接地」と呼んでいますが)しようとすると、足はつま先から着地しようとしていませんでしたか?

そうなんです。これが「つま先着地」、最近はやりのいわゆる「フォアフット」着地なのです。

かつて、このフォアフット着地があまり知られていなかった頃は、黒人ランナーたちが皆かかとを着かずにマラソンを走っていることに驚愕されていました。

しかし、わたしから言わせるとそれは当然の話で、むしろかかとから着地していたら、あんなスピードで走れはしないだろう、と感じていました。

私たちは、特別な理由がない限り、ほとんどの人がかかとから着地して歩いていると思います。「歩く」という動きは、「走る」よりも重心がやや後ろに傾き、かかとをしっかり着いて足を交互に動かす動作です。

ですから、もし、かかとからガッツリ着地して走っている人は、おそらく「歩く」の延長線上に「走る」がある人なのではないかと考えています。

しかし、「走る」は一時的に両足が注意に浮く「歩く」とは全く別の動作という考えに立つと、本来「走る」は「歩く」の延長線上にある動きではないと考えられるのです。

何が言いたいかと言えば、「走る」を正しくやろうとすると、「フォアフット」あるいは「フラット」着地になるのが当然のことで、かかとから着地する走りは、そもそも「走る」動作ではないのかもしれないとまで思えてしまうのです。

もう一度言いますが、体を前に倒そうとして脚が自然に出るところから走り出せば、通常フォアフット着地になります。それが、「走る」動作なのです。

ただし、ペースがゆっくりなジョギングでは、この限りではなく、ジョグでもフォアフットで走れるのはトレーニングを重ねた一流エリートランナーくらいです。そして、筋力のないランナーが真似をすれば確実に故障を発生します。

まとめると、

前傾姿勢を作る

その状態で体の真下に近いところに着地する

自然にフォアフットまたはフラット着地になる

これが、ランニングエコノミーを高めるフォームの基本となる走りです。

しかし、この走りを会得するには、それなりの筋力が必要となるため、やはりジョギングだけの練習ではなかなか身に付かないと思われます。

そうすると、このブログの最初の最初に戻ってくるのですが、やはり「レースペース」での練習がものを言ってくる、というわけです。

地面反力

こんにちは、ランマニアです。

ここのところ、ランニングフォームの話です。

前回は、

前傾姿勢は推進力を得やすい

という話をしました。

そして今日は、走るフォームを語る上でどうしてもはずせない要素のもう一つ「地面反力」についてです。

走るという動作は、一時的に体が空中に浮いている時間があります。一度宙に浮いて、片足が降りてきて、また宙に浮く。これの繰り返しなわけです。

ところが、地球には重力が存在するので、この宙に浮いている時間は何らかのそれに逆らう力が働いてるはずで、それがいわゆる「地面反力」というわけです。

私たちが走っている際に、足を着地させると、関節や筋肉がバネと同じ役割をもち、重力に逆らって一時的に体を宙に浮かせ、前に進む力を発生させます。

このバネの力は、当然、その人の筋力にもだいぶ影響されますが、実は色々な実験や研究によって、もっともバネ効果(地面反力)が得られやすい足の着地点がわかっていて、それが、だいたい体の真下あたり。つまり、

脚はできるだけ体の真下近くに着地するのが地面反力を得られやすい

という事実があります。

とはいえ、厳密に真下というのは難しいので、現実には真下よりも少し前あたりになります。

これは、前回の「前傾姿勢」とも関係していて、前傾姿勢を保った方が、足の着地点も体近くになってきます

ですから、もう簡単に言えば、前傾姿勢を作って、脚が出たところに着地すれば、だいたい体の真下あたりに脚が降りてくるから、そのフォームがもっとも地面反力と推進力を得やすい、つまりはランニングエコノミーが高い走りになるということです。

ランニングを始めたばかりの人は、まずはこの原理を頭に入れて、この原則だけをひとまず考えてフォームを意識するといいと思います。

次回、もう少しフォームの話を続けます。

前傾姿勢と地面反力

こんにちは、ランマニアです。

さて、前回はランニングエコノミーについて話しました。

いわゆる走る「フォーム」を意識することで、経済的な走りが実現でき、相対的に持久的能力が向上したことと同じになる、という話です。

では、どんなフォームが有効なのでしょう。

これについても、様々な観点から、様々な意見が述べられていますが、ランマニア的にもっともしっくりきた理論が

前傾姿勢と地面反力

の考え方です。

前傾姿勢

人間は、前に倒れようとすると、それを防ごうと、勝手に脚が前に出ます。

みなさんも、今その場に立って、前に倒れようとしてください。勝手に脚が前に出ますよね。

その出た一歩が、実は前に進む一歩である

という考え方です。

つまり、人間は、「走ろう」と意識しなくても、前に倒れ込もうとするだけで自然と「一歩」を踏み出せることができるのです

そして、その一歩が出た後にも、さらにそのまま前に倒れ込もうとすれば、もう片方の足が再び勝手に前に出るのではないでしょうか。

そうやって、どんどん前に倒れ込もうとすれば、あら不思議、いつのまにか走っているではないですか!

こうやって前に倒れることで自然に走り出してしまう現象を利用すれば、自分から前に進む力を生み出そうとしなくても、重力の力を利用して走り続けることができる、というのが「前傾姿勢」が有利である、という考え方です。

体を前に倒れ込ませようとすれば、そこには重力が働き始め、体の位置はその場よりも少しだけ前に向かって動き出します。ですから、少しでも前傾姿勢を維持することで、「前に進む力」を重力によって生み出すことができる、つまり、

自分の力を節約することができる

という理屈です。

無理にももを高く上げたり、腕を大きく振ったりしなくても、まずは前に倒れ込もうとするだけで、ある程度の推進力を得られる、という事実を知っておくことが大切です。

みなさんも、今度の東京マラソンのトップランナーたちの走りを是非見てください。特に黒人選手たち。みんな、見事なまでの前傾姿勢ですよ。後ろに反り返って走っているランナーは、おそらく一人もいないのではないでしょうか。

まだランニングを始めて間もない人も、それなりにトレーニングを積んできた人も、次練習をするときは、まず、その場で立った状態から前へ倒れ込もうとしながら走り出してみてください。そしてその姿勢を維持するのです。

ランマニアは、職場のランニング初心者にこれを教えたところ、大いに感動されました。

まずは、前傾姿勢を意識する。これが、ランニングエコノミーを向上させる基本となります。

次回は、「地面反力」について説明します。

ランニングエコノミー

こんにちは、ランマニアです。

以前、持久的能力を決定するのは、最大酸素摂取量と無酸素性作業閾値であると述べました。

世の中のランニング研究者やプロのコーチの方々も、おそらくこの2点が現時点で明らかになっている持久的能力を決定する大きな要素であることには異論はないと思います。

そして、実はもう一つ、長い距離を出来るだけ効率よく、省エネで走ることで、相対的に持久的能力が高まったのと同等の効果があるとされているのが、「ランニングエコノミー」という考え方です。「走りの経済性」とも言われています。

これ、簡単に言えば、走る時の「フォーム」のことです。

走る時のフォームが、出来るだけ効率よく、少ない運動量で大きな推進力を発揮できれば、そうでない人に比べて、長く走れるのではないかという考え方です。

これについては、色々な考え方があります。

卵が先か、鶏が先か、と同じ理屈で、

「速いからフォームが綺麗」

なのか、

「フォームが綺麗だから速い」

のか。

これは難しい問題ですね。ランマニア的な印象では、「遅い人に綺麗なフォームの人はいない」という感覚です。でも、「速い人でも変わったフォームの人はいる」とも感じています。

何が言いたいのかというと、ランマニア的には、「ランニングエコノミーはあくまで持久的能力の周辺的な能力」という考え方です。本質ではない、と。

フォームを変えることで、劇的に持久的能力が向上し、それだけで突然速くなることは、少し考えにくい、と、経験上感じています。

持久的能力の本質は、あくまで最大酸素摂取量無酸素性作業閾値であり、そこへのアプローチがまずは第一選択肢だろう、と。

ただし、そうしたトレーニングをするにあたって、

「できる限り効率の良い、経済性の高いフォームで走ることが重要である」

と考えています。

実は、ランニングのフォームを変えることは、そう簡単なことではありません。

人間は一人一人、骨格や筋肉のつき方、筋肉の柔軟性、関節の弛緩性、それからどの部分に力が入りやすいか(脳からの指令が届きやすいか)といったことは皆違うわけで、その人の一番心地よい走るフォームがあるからです。それを、半ば強制的に修正しようとすると、必ずどこかに歪みが来る、とランマニアは考えています。

ですから、私たちが何気なく自然と走り出そうとすると、自分のやりやすい、心地よいフォームが形成されるので、そのフォームでの筋肉、筋力、走力がついていきます

そして、もし、そうして身についたフォームのランニングエコノミーが低ければ、非常に効率の悪いフォームでの走力しか身に付かなくなってしまうのではないか、と、考えるのです。

で、一度身についたフォームを修正するのは並大抵のことではなく、またそのフォームでの筋力を作り直さなければなりませんし、怪我のリスクも高まります。

何が言いたいのかというと、もしフォームをいじるのであれば、

これからランニングを始めようとする人は、最初から経済性の高いフォーム(これは次回紹介します)で練習をする

ある程度染み付いてしまったフォームを変えるのなら、少しずつ時間をかけて変える必要がある

ということ。

もうある程度の走力のある人が、ちょっと走りを変えればいきなり速くなる、というようなことはあり得ない、とランマニアは考えるのです。これは、ランマニア自身がフォーム改造に繰り返し取り組んできた経験から感じることです。

懐の深いマラソン

こんにちは、ランマニアです。

ここまで全6回にわたって自身の慢性疲労症候群について述べてきました。

いまも少し無理をすれば、いつでも再発してしまうので、完治はしてないのですが、練習量と疲労回復のバランスを気をつけることでなんとか練習を継続できています。

さすがに、慢性疲労症候群を発症する前の全盛期の頃まで記録を戻すことは、もう無理だと思いますが、慢性疲労症候群になってからの記録は、今もなんとか伸び続けています。

それは、これまでに書いたようなトレーニング理論がとても役に立っているのですが、逆にいうと、マラソンって、こんな私のような慢性疲労を抱えている人間でも、ある程度記録を伸ばすことのできる種目なんです。

これ、何が言いたいかというと、

誰でも練習をすれば記録が伸びるのがマラソン

どんなに足が遅い、と思っている人でも、運動が苦手、と思っている人でも、一度もマラソンなんてやったことのない人でも、どんな人でも、記録を伸ばすことができるスポーツ、だと、ランマニアは信じています。

だから、マラソンはとても懐が深いスポーツ

多くの人が記録を伸ばして楽しめるスポーツ

そう考えています。

次回、長距離を早く走るために必要なことについて、最大酸素摂取量、無酸素性作業閾値に加えて、もう一つの要素について紹介します。

慢性疲労症候群 最終回

こんにちは,ランマニアです。

このシリーズもいよいよ最終回。今回もほとんどがマラソンのパフォーマンスに関連したことなので,一般的な慢性疲労症候群の症状について参考になる情報は少ないかもしれません。

とは言え,胸肉の効果は絶大でしたので,慢性疲労だけでなく,一般的なランナーの疲労回復法としても広められたらと思っています。

20年の時を経て

その翌日の感覚は、
今でも忘れられません。

長い間、ずっと両脚にまとわりついていた、
疲労」という名の重りのような薄い膜が、
全て剥ぎ取られたような、
すっと、軽くなったような、
今までの感覚が、いかに異常だったかを実感できるような、
劇的な変化が、体に現れました。

普通のジョグでさえ脚が重く、
「調子の良さ」というものを、すっかり忘れていた状態から、
脚が勝手に動いていく、あの本来のジョグの感覚がよみがえり、
まるで自分が自分でないような感覚にすら陥りました。

あまりにも長い間、
体のだるい状態が自然な状態になっていたため、
元気な自分、脚に疲れがない自分を、
はじめは受け入れるのに戸惑いました。

「こんなはずはない」と。

しかし、そんな自分の戸惑いとは裏腹に、
結果はその翌日、早くも現れました。

胸肉を食べ始めた2日後、
ちょうど小江戸ハーフマラソンに出場しました。

ハーフマラソンとしては、2008年に仙台を走って以来、
約6年ぶりの出走で、
それまでの社会人ベスト、1時間13分台後半くらいで走れれば御の字、
くらいにしか考えていませんでした。

ところが、スタート直後、
それまでの自分とは、
まるで違うスピードで走れる自分がそこにいました。

これまで、ハーフのレースに出れば、
終盤のペースダウンを恐れ、
スタート直後は慎重にラップを刻んでいくのが慣例になっていましたが、
この時は、気がつくと周りに学生の集団がおり、
意図的にペースを抑えなければ、5kmを16分台で入る勢いでした。

その後も、しばらく17分台前半のラップを刻みながら、
こんなペースで、本当に大丈夫なのか、と、
自分の体の変化に、恐れすら感じながら、
そのままラップを刻み続けていきました。

その後、13kmすぎにはいつもの脚の重さが現れ、
結局、次第にラップを落としていきました。
自分としては、ある程度予想はしていた流れでしたが、
しかし、ゴールタイムは社会人ベストを40秒近く上回る、
1時間13分台前半。
終盤つぶれてのこのタイムには、
大きな手応えを感じました。

完治はしていない。
しかし、確実に良くはなっている。

この事実は、その後の練習内容を、
大きく変えることになりました。

まず、それまで週に一度ポイント練を入れれば、
一週間は空けなければ、次の練習ができない状態でしたが、
週に二回の頻度でポイント練を入れても、
調子を維持できるようになりました。

さらに、そのペースも、
1000mで言えば、3分20秒近くかかっていたインターバルが、
3分一桁から2分台のペースで行えるようになるにまで、
強度を上げることができるようになれました。

練習の強度が上がれば、試合での記録にも好影響をもたらし、
1500m、5000mと、立て続けにここ数年のベストや社会人ベストが出るようになり、
ある程度の調整であれば、だいたいこれくらいで走れるだろう、
という安定感も出てきました。

そして、19歳で慢性疲労状態に陥る前には、当然のようにできていた、
「苦しい中でも脚の力で押していける走り」が戻ってきたのが、
2016年、ふかやシティハーフマラソンでした。

ここでも、結局最後の5kmで失速するのですが、
16kmまでは、力強い脚の力を実感しながらペースを維持し続ける、
あの大学1年のころの走りでした。

ゴールタイムは、小江戸からさらに1分縮める、1時間12分台前半。

確かに、練習内容が大幅に変わったことは間違いないですが、
それまでの15年で縮めたタイムを、大幅に上回る記録更新であることから、
自分の体が元に戻りつつあることを確信するには、十分な事実でした。

その後も、「食事を作るところからトレーニングの一環」と考え、
毎日のように鳥の胸肉を料理に取り入れ、
現在まで食べ続けています。

練習内容はさらに充実し、
これまで、どうしても結果を出すことができなかったフルマラソンでも、
最後の壁を突破することができました。

初めてサブスリーを達成した時、
自分は、2時間40分をきれずに人生を終えれば、
この病に敗北したことになる、と考えていました。

2017年の東京で、その戦いにも決着がついたと考えています。

日常生活には、ほとんど影響がないほど、
疲労状態は、改善しました。
フルマラソンで、2時間40分を切れる状態で、
「病んでいる」とは、もう言わなくてもいいでしょう。

確かに、完治はしていません。

完治はしてないけれど、
ここからさらに、記録を更新するための練習を積み、
競技としてランニングに取り組んでいく程度の体調には戻っている印象です。

むしろ、一度ああなってしまった自分の体が、
どこまで快復し、記録をどこまで伸ばせるか、
そうした期待感を感じられる自分がいます。

これからも、トレーニングについての、
普遍的な理論を考えていく作業は変わらず、
自分自身の体を使って、それを具現化していこうと思っています。