経ヶ岳バーティカルリミットに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日は6年ぶりに経ヶ岳バーティカルリミットというトレイルレース(スカイレースとは謳っていませんが、事実上その基準は満たしている)に出場してきました。

6年前に初出場した際は、この「バーティカル」という名称と、登って下る単純コース、さらには距離が21kmという、コースの見た目の印象から割とスピードレースになると勝手に想像してしまったことで、オーバーペースで半分も行かないうちにエネルギーを使い果たしてしまった苦い思い出があるレースです。

この時は、山頂に到着する前からすでにオールアウトしかけ、帰りの下りでは走ることもできなくなり、フィニッシュ後は2時間ほど立ち上がれなくなってしまったほどでした。

そんな印象のあまり良くないバーティカルリミットですが、今回は比較的練習が積めていることと、登りの走り方が当時よりも熟練してきたこと、さらには7月の富士登山競走のコースのように序盤は長いロードが続いてから登山コースが始まるという共通性から、この時期には最適なレースだと考えたのですね。

ちなみに、レース後の表彰式では同じように「富士登山競走の練習」と位置付けている選手も数人いて、やはり同じことをイメージできるようなコース設定であったことがわかります。

そうしたこともあり、6年前の苦い思い出がありながらも、今回のバーティカルリミットはエントリーしてからずっと楽しみにしていたレースとなりました。

今回はJSAのエリートランナーが招待選手として集結。これもテンションが上がる要因の一つでした。

スタート時の天候はほぼ快晴。やや風が強いものの気温も低く、快適なコンディション。

前回も天気は良く、またスタート地点の公園も気持ちの良いところで、レースの過酷さがありながらもなんとなく楽しい雰囲気のある良いレースの一つです。

今回のレースプランは、とにかく勝負は折り返してから。なんなら、トレイルを下り切った最後のロード4kmで勝負する、くらいの気持ちで、序盤から前半の登りまでは絶対に努力度を上げないで走る、というもの。

失敗すると大変しんどくなるコースなため、珍しくスタート時は緊張をし、オーバーペースになりそうだったため、スタート直後はとにかくリラックスして努力度はマラソンのペース感覚で走り続けました。(レースタイムも大体マラソンと同じ)

スタートから4kmはこのような雄大なロード区間。とにかく呼吸が上がらないように。

調子もかなり良かったのと、ここ数週間、週末の高強度練習でもいいペースで走れていたため、このロード区間は登り勾配であったにもかかわらず、楽にキロ5分台前半のペースを維持できました。

ロード区間が終わった後のダート林道も力強く走れ、余力を残して登山道に入っていくことができました。

登山道は、いきなり急登が始まりますが、普段走っているJSAのバーティカルコースに比べれば標準的な傾斜で、時折走りを織り交ぜながら余力を持って登っていけるちょうどいいコースでした。

6年前の画像。傾斜は急ですが、両手でよじ登らなければならないほどの斜面はありません。

ここから4.5kmで累積1000m以上を登っていくわけですので、絶対に無理をしてはいけません。

6年前は、これを登り切れば事実上終わりだ、という意識がありかなり力を込めて登り続けてしまった記憶があります。

その結果、登りが終わる前に脚が終わってしまい、帰りの下りで走る体力がなくなってしまいました。

なので、いつでもペースが上げられる、なんなら走りに変えることもできる、というくらいの余力を残しながらリズムよく登りを歩き続けました。

途中数人を抜かし、最終的に追いついたランナーがペースを上げたため、その方(コグラン・リチャードさん)に山頂手前の分岐点までついていくことになりました。ここで引っ張ってもらったことが、結果的にオーバーペースを防ぐことにつながった気もしています。

山頂の手前にかなり激しいアップダウンがあり、往復するだけでかなり消耗します。

山頂手前では、折り返してきたトップランナーたちとすれ違うのですが、この時点で9番目。思ったよりも順位が良く、元気が出ました。

大体の印象ですが、トップの松本選手とはおよそ20分差くらいかな、と感じていました。

フィニッシュ後、記録がちょうど20分差だったことから、帰りの下りは同じくらいのペースで行けたのではないかと考えました。

さて、折り返して登り返しもクリアして、分岐から復路専用ルートで一気に下っていきます。

この帰りのルートは急坂が少なく、かなり気持ちよく下りを走り通すことができます。

岩場もほとんどなく、足場は柔らかいシングルトラックで、温存した脚でガシガシ下っていきました。

6年前の画像。時折急坂はあるものの、足場は柔らかな土でつい調子に乗ってぶっ飛ばしたくなります。

トレイルの下りは約6km。最後のロードが4kmですので、決して短い下りではありません。

でも、ついつい飛ばせてしまうトレイル下りが気持ち良すぎて、久しぶりに下りを攻めて走りました。

しかし、思ったよりもトレイル区間が長く、ちょうど下りが半分ほど終わったあたりで脚の動きが悪くなりました。

ふくらはぎにも軽い痙攣が起こり、足捌きも若干怪しくなってきました。

そうこうしているうちに、振り戻した足のつま先が石に引っかかり、リカバリーが効かず、豪快にヘッドスライディング。

柔らかトレイルだったため、本当に運よく無傷ですみましたが、これが岩場だったりトラバースだったりしたら、おそらく無事ではすまなかったほどの大転倒でした。

その後も相変わらず脚の動きは悪く、それでも下りは続きますので、必死に脚を動かしてトレイルを下り続けます。

トレイル区間ラスト1kmあたりでも、再び石に躓き転倒。

この時は十九折のカーブ地点で横に転び、木と斜面に激突。まあ、これくらいのことはよくあるので、この時も少し痛いくらいですみました。

転倒したところは、写真にあるような柔らかいシングルトラック。危ない転倒でした。

そうこうしているうちに、なんとかトレイル区間も終わり、最後のエイドを通過していよいよ勝負どころと考えていた最後のロード4km区間。

しかし、当初考えていたよりもはるかに脚は残っておらず、ギリギリ最後まで持つかな、という微妙な疲労度でした。

それでも、下りはキロ3分台を維持し、途中で緩やかな登が1kmほど続きましたが、そこでも気持ちを切らさずにペースを維持し、最後まで走り続けることができました。

最後、フィニッシュ地点までの歩道から公園内のロード区間までの1kmは脚を攣りながらの厳しい走り。

フィニッシュ地点の公園までの歩道から公園内のロードに入るあたりでは、もう完全に脚は終わっていて、痙攣を繰り返しながら無理やり脚を動かす状態でした。

しかし、順位は一つ上げ、8番手でフィニッシュできることや、タイムもかなり良かったため気持ちも高揚し、脚の状態に反して会心の走りでフィニッシュラインを走り通すことができました。

6年前失敗した難コースをようやく克服できた実感を持てました。

最終結果は、6年前の記録を14分ほど上回る2時間40分03秒。

転んでなければ40分を切れただけに、ちょっと惜しい感じもしましたが、それも実力のうちですので、結果には満足です。

順位も、先頭から21分差の8位ですから申し分なし。

年代別は、JSAと違って入賞者を除くため、おまけのように優勝をいただき得した気分です。

できれば、宮川さん、牛田さんの次に入って40代総合3位に入りたかったのですが、一人強力な40代選手が3位に入っていて、全く勝負になりませんでした。

また、7位の選手はなんと50代。

JSAには参戦していない選手たちにもまだまだ強い選手はいるものだな、とここへきて新たな世界を知った気分になりました。

50代目前にして表彰台の一番高いところに立たせてもらったのはいいご褒美になりました。

今回も、前回の上田バーティカルと同様、山練習はほとんど入れずに臨んだトレイルレースでした。

昨年の経験から、とにかくロード、平地の練習でしっかりと地力を高めて、揺るぎない走力を身につけることでトレイルにはある程度応用できると感じていました。

今回も、週末ごとの主にLT走ではかなり手応えを感じていて、ロード区間だけでなく、トレイルの急登でもかなり余力を持ってペースを維持できることができました。

トレイルレースの強度では、以前からLTが重要な要素であると感じていてそこを中心に鍛えてきました。

また、昨年度のマラソン練習から月間あたりの走行距離も微増し、直近2ヶ月は月間400km程度を維持できていたことから、通常のジョグでもあまり疲れにくくなっていることに気づきました。

こうした、特に派手な練習や山練を積んでいなくても、少しずつ負荷量や強度を上げ、それを継続することで、結果として走力が向上する過程は、変化は地味ですが確実なものであると改めて実感しました。

ここまで、幸い大きな故障をせずに練習を継続していますので、ここからも急激に練習量や負荷量を増やさずに、無理なくやれることを安定して続けていこうと思っています。

入賞者に贈呈される手作りの和紙賞状。このレースの魅力の一つですね。

4月振り返りと上田バーティカルレースについて

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は毎年恒例のスカイランニングレース、上田バーティカルの猿飛佐助コース(5kmで累積1000mのバーティカル)に出場してきました。

バーティカルとしては3年前の2021年が初めての挑戦で、今年でこのコースは4回目の挑戦。

序盤から急登が続くこのコースは、ランマニア的には最も苦手なコースの一つであったのですね。

2021年は、故障の影響で山歩きばかりをやっていたせいか、記録は53分50秒の今日までのベストタイム。

それ以降は、風邪を引いたりオーバーペースになったりで、まともに走れたことのなかったとても相性の悪いバーティカルレースでした。

今回は、昨年の反省をもとに、とにかくスタートから1kmのロード区間でのオーバーペースに気をつけることを最初の目標にして、慎重にレース運びをするイメージを持ってスタートしました。

上田のシンボル太郎山。直登すれば累積700mほどですが猿飛佐助コースは一旦下らされるため累積1000mにも及びます

10秒ごとの時間差スタートで一人ずつ走り始めるこのレースは、後ろに行くほどより速い選手が控えています。

昨年、V Gamesのランキングで10位に入ったランマニアの後ろには、強豪選手が6名ほどしかおらず、スタート直後にぶち抜かれるのは目に見えています。

今回は、すぐ後ろがOver48で最後までランキング1位を争った今井さん。

彼の方が実力的には圧倒的に上ですし、まして上田のコースは彼が得意とする急登続き。

当然勝てるわけがないため、今回の作戦としてはすぐに追い抜かれた後、そのまま行けるところまでついていく、というものでした。

案の定、トレイルに入ってすぐに追い抜かれ、彼のペースに合わせてペースを維持しました。

スタートは10秒おきの時間差スタート

ここで気づいたのが、例年自分のペースはかなりのオーバーペースだったということ。

今井さんのペースは思ったよりも楽に維持でき、呼吸も大体ハーフマラソンを走る時の感覚です。

走行時間は大体1時間ですから、呼吸のキツさはハーフのレースを走るくらいを目安にする必要がありました。

そのペースを維持して、累積が400mから500mに差し掛かったあたりで勾配もだいぶ急になってきました。

この辺りから同じ努力度で登っていると、徐々に今井さんに引き離されていく状態になりました。

ああ、流石にバーティカルのスペシャリストはこういうところが違うんだな、と一歩一歩の登る速さの違いを実感しながらとにかく自分のペースを維持することにしました。

その後に控えていた斜度40度の「壁区間」で、圧倒的な差をつけられここで勝負あり。

最終的につけられた差は40秒。

昨年よりも2分、PBよりも20秒以上速く走った自分でも敵わない52分台でフィニッシュされてはどうしようもなかったですね。

それでも、このコースで40秒差にとどめられたことは大きな自信になりましたし、今井さんのペースメイクを知ることができ、今後のバーティカルレースにも大いに活かせる体験をさせてもらいました。

フィニッシュ地点の山頂は快適そのもの。しばらくのんびり過ごしました。

さて、そんな今回のレースでしたが、山の練習を特段取り入れたわけではない中でのPB更新というのは、この年齢にあってかなり嬉しい体験です。

陸上競技に比べると、どちらかというと自分の能力的には未開の地であるバーティカルの種目において、特異性の高い練習をしたわけではなく、走力の持久的トレーニングをしての記録更新というところに、今回の手応えを感じた要因があります。

先月は主にLTと解糖系を中心にトレーニングを積みました

4月は毎週のようにLTレベルに刺激を入れる練習を取り入れ、練習の終わりには必ず200mの高出力走を入れました。

今日のレースで、急登をプッシュしている感覚が、ちょうどその200mを走り切る直前の感覚に似ていて、力の入れ方や出力の出し続け方に、どこか慣れた感覚を得ながらレースを進めている印象を持ち、苦しいながらもぐいぐいと押せる感覚も得ていたのですね。

斜度40度の壁のような斜面を登り切った後に、やや緩やかなシングルトラックに変わり、なんとしてでも走りに移行したいという苦しい局面でも、毎週入れていた200mのラストの感覚を思い出しながら腕をしっかり振って脚を前へ持っていくことができました。

もちろん、この200mのインターバルの効果が得られたのも、それ以前にマラソントレーニングのためにしっかりと距離を踏んできた数ヶ月の下積みがあるのはいうまでもありませんし、4月は一定期間の総走行距離がかなり伸びたことも走力の向上につながったものと考えています。

この数ヶ月は大きな故障もせず、安定して走行距離を積み上げられました。

このようにして、特にバーティカル用の練習をしたわけではなかったのですが、6月以降のトラックや10月のロードレースに向けて、長距離種目の記録向上の鍵を握るLTと解糖系のトレーニングを継続したことが、結果的に山のレースにも応用できたという事実が、ここ数年間仮説を立てて取り組んできたことが結果として身を結んだことに、ささやかながら喜びを感じたのでした。

割合としては微々たるものですが、解糖系を刺激する練習を定期的に入れたことの体の変化は決して少なくありませんでした。

さて、実は今年度このスカイランニングシリーズはバーティカルのみの出走となります。

昨年度は距離の長いスカイレースでだいぶ失敗をしたのと、体へのダメージが大きすぎることを懸念して、今年度はバーティカルに専念することにしました。

明日のスカイレースにも出走はしませんし、次のレースは5月25日の経ヶ岳バーティカルリミット(実は下りがあるので純粋なバーティカルではないのですが)になります。

前半戦の大きな目標は7月の富士登山競走となりますが、それまでに山レースを入れつつも、ベースは平地での陸上競技トレーニングを継続しながら走力を高めていくアプローチで臨もうと思っています。

3月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今年度も今日で終了。

今年度は前半と後半で一つずつ大きなレースが設定され、それぞれのレースにあたってしっかりとトレーニングを積んで臨むことができたシーズンとなりました。

結果はどちらも100点満点という訳にはいきませんでしたが、一つのレースに目標を絞り、そのレースで成功するために必要なトレーニングを計画。そしてそれに向けて練習を継続していく、というこれまでなかなか実現できなかったシーズンを送ることができました。

これを支えたのは、なんといっても大きな故障をせずに年間を通して安定して練習をつめたことだったと思います。

今シーズンは、一度踵の痛みが出て走行距離が減ったものの、安定して練習を継続できました

前半は、スカイランニングの世界選手権。

自分自身には最も苦手な超ロングレースということで、初めは出場を躊躇しましたが、結果的にはなんとか制限時間内に完走することができ、自身初の世界大会を無事終えることができました。

そして後半は、先日の板橋Cityマラソン。

およそ7年ぶりにしっかりと準備をして臨むことができたマラソンレース。残念ながら強風コンディションで記録を狙うことはできませんでした、久しぶりに自身の限界ギリギリのマラソンペースで終盤まで押していくレースができ、準備してきたことの手応えは感じられたレースとなりました。

この二つのメインレースを軸にしながらも、このほかにもトレーニングの一環としてスカイランニングや駅伝、ハーフマラソンなどにもコンスタントに出場し、比較的安定した記録を残せたことも今シーズンがうまくいった点でした。

もう少しやりたかったトレーニングがあり、自身の課題も明らかになったものの、これまでずっと思い描いていた1シーズンの送り方を概ね実現できたことは、一定の成功体験となったことは事実でした。

いずれにしても、昨年のような長期離脱を余儀なくされるような大きな故障をせずに、安定してトレーニングを続けることが、成功への第一歩であることは間違いありませんし、逆に言えばそれがなかなか難しいことでもあります。

そのようにして、ある程度長い期間練習を継続し、さらには最後のレースがマラソンであったため、流石に3月の下旬は疲労や脚のダメージが尋常ではなく、しばらくの休養が必要になったことは言うまでもありません。

マラソン後はまとまった休養をいれ、先週も軽いジョグだけで3月は終了しました。

今月はレースに合わせた練習となったため、主にMペースが主流となりましたが、オプションの駅伝があったため、久しぶりにVO2Maxに刺激が入った月になりました。

この速度域は、1月以降の駅伝で若干刺激が入っていた程度でしたが、20日の駅伝は思いのほかよく走れました。

やはり、VO2Maxの速度域については、仮にその速度での練習をあまり積んでいなくても、ある程度走れてしまうことがわかりました。

とはいえ、今シーズンはとにかく「スピード」「解糖系」の大きな衰えに直面化したシーズンでもありました。

来季はこの辺りの能力を再開発し、もう一度1000mのインターバルのペースをもう少し上げられるように、そしてさらには1500mのレースにも再びチャレンジしたいと思っています。

走行距離は少なかったものの、結果的に満遍なく刺激を入れられた3月。

2024年シーズンの、前半は7月の富士登山競走。後半はやはりマラソン(一応東京マラソンには申し込んで)に再挑戦ということを念頭にトレーニングを積んでいこうと思います。

色々と鍛えたい部分を数えればキリがないですが、あくまでまずは故障をせずにトレーニングを継続すること。それを第一目標に置きつつ、今シーズン以上のステップアップを図れるように課題を克服していこうと思います。

板橋Cityマラソンに出場しました

こんにちは、ランマニアです。

10月から5ヶ月にわたって準備を進めてきたマラソンレース、板橋Cityマラソンに出場してきました。

2017年に東京マラソンを走り、現在のベスト記録を樹立して以降、しっかりと準備をして走るマラソンは実に7年ぶり。

7年の歳月は本当に長く、当時42歳だったランマニアも気づけば49歳。

この間、コロナ騒動があったり、自分自身では転職を経験したりと本当にさまざまなことがありました。

コロナ騒動で各地のマラソンレースが中止に追いやられ、自身の興味関心もスカイレースなどに移っていたこともあり、正直なところ、もう一度マラソンでPBを狙おうというようなモチベーションが次第に薄れていっていたのは事実でした。

しかし、X界隈やMGCなどでの多くのランナーの活躍を見るにつけ、「おれはこのまま終わってもいいのかな」ともう一度マラソンをしっかり走ってみたいという欲のようなものが出てきたのですね。

このブログでは何度も繰り返してきましたが、正直ランマニアはレース時間の長くなるマラソンはかなりの苦手種目です。

それは、慢性疲労症候群がもはや持病となってしまっているため、他の長距離種目に比べるとその影響が甚大なマラソンは、余程の体調でなければしっかりと走り切ることができないからなのですね。

一方で、マラソンのトレーニングはどうしても絶対的なボリュームと負荷が必要になってきます。

当然疲労が溜まりやすく、当日の調整の難易度は5000mやハーフとは比べ物にならないほどの難しさになります。

そんな中で、全てが噛み合った2017年東京マラソンの記録を更新することは、自分の中でほぼ不可能だと考えていたのですね。

しかし、多くの自分と同世代のランナーが2時間35分前後で走っていたり、また、この7年で大幅に進化したシューズの影響もあり、自分ももう一度やれるのではないかと考えるようになってきました。

ダメかもしれないけど、チャレンジしてみるか、と今年度はこの板橋に照準を合わせてトレーニングを積んでいくことにしました。

しかし、7年前と違い、とにかくほとんどの練習において当時のようなペースで走れなくなっている自分がいました。

VO2Maxのインターバルは1000mで10秒ほど遅くなっていました。

LTはそれでも維持できていましたが、ロング走もキロ3分50秒のペースが以前ほど楽ではなくなっていました。

それでも、7年前の東京の前に比べると、明らかにトレーニングが積めた期間は長かったですし、走行距離も圧倒的に今年の方が多く達成できていました。

これにスーパーシューズの補助を受け、疲労をしっかり抜けばあるいは当時と同程度のペースを維持できるのではないか、という淡い期待を抱いて今日の当日を迎えたのでした。

当日の朝は風もなく暖かい穏やかな絶好な気候条件。しかしこの後強風が吹き荒れました

スタートは、想定外のBエリア。ただ、オーバーペースを防ぐにはちょうどいいと前向きに捉え、走り始めます。

しかし、前のランナーが想定以上にペースが遅く、大渋滞が発生していました。

流石にこのペースに付き合っていると、ただでさえロスのあるスタートに加え、ペースを戻すまでに大幅な時間がかかってしまいます。

仕方なく、サイドから徐々にペースを上げていき、自分のペースを維持できるエリアまで順位を上げていきました。

5kmまでは風もなく快調に走れました。

アディオスプロ3の推進力は想像以上で、相当楽に走っていてもキロ3分45秒くらいを維持できていて驚きました。

しかし、10km過ぎから徐々に向かい風が強くなり、ペースは落ちるのを覚悟で集団の後ろに回ることにしました。

それでも一人先頭になってしまうことも多く、かなりの強風にさらされながらペースを維持する状況が増えてきました。

結果的に、今日の強風の条件では記録は諦め、もっと思い切ってペースを落としても良かったなと、レース後に振り返っていたところです。

この辺りの柔軟性に欠けたことが、今日の失敗の一つ目です。

とはいえ、やはりペースはかなり落ち、もう5kmを18分台でいくには風が強すぎる状況になっていました。

折り返しまでは思ったよりも早く到達した印象で、残りの脚の状況を考えると終盤ペースを上げられるのではないかと思えるくらい余裕を残して中間点を過ぎました。

厚底シューズの推進力と衝撃吸収力は想像以上で、ハーフまでをかなり楽にこなすことができました

しかし、ここに大きな落とし穴が待っていました。

折り返すと急激に追い風に変化したため、集団のペースが一気に上がりました。

振り返ると、この20kmから25kmまでのラップが2番目に良く、ランマニアが以前から気を付けていた「20kmから30kmは一旦休む」という鉄則を、奇しくも破ることになってしまったのですね。

この時は、かなりの追い風だったため、それほど脚は消耗しないだろうと楽観的に考えていましたが、この後の展開を考えると、ここでのペースアップは絶対にしてはいけなかったと確信しました。

それでも、この段階ではまだまだ余裕があり、30kmからいよいよ本気を出していくか、と考えられるほどでした。

誤算だったのは、この後25km過ぎから再び猛烈な向かい風区間が待っていたこと。

ここでかなり消耗してしまって、28km過ぎで明らかに脚の動きが悪くなっているのを自覚しました。

当然、もうこの時点で記録は諦め、早々にペースを落として完走を目指すことにしました。

もうキロ4を超えてでも走り続けられれば、終盤止まったり歩いたりするよりは遥かに記録が良くなることは経験済みです。

35kmまでの10kmは明らかに体への負荷は下げ、堅実に2時間40分台を狙うことに切り替えました。

ところが、最大の誤算は、今まで経験したことのない38kmからの大失速でした。

これまで、35kmを過ぎて一定ペースを維持できていれば極端にペースが落ちることはありませんでした。

しかし、今日は38km過ぎで自分でも自覚できるほど、突然体がおかしくなり、それまでのキロ4分台のペースが一気に辛くなりました。

残り4kmを残し、ついにジョグですら厳しくなりたびたびある気が入るようになってしまいました。

いや、今日は絶対歩くまい、と思っていたのですが・・・。

もうこうなるとほとんどレースからは撤退と同じ状況です。1km走るのも続かず、時々歩いてエネルギーを貯めては走り出すという展開。

変更した2時間40分台という目標もほとんど難しくなり、最後までトボトボと歩くような速さでジョグをしてフィニッシュを迎えました。

フィニッシュ後はお決まりの「気持ち悪くなる」状態で、せっかくの露店は楽しめませんでした

38km過ぎの失速はなんだったのか。

推測としては、これまでのマラソンでは体験したことのないような強い向かい風の影響だったのではないだろうか、ということですね。

これはスカイレースの登りと同様、自分では意識していないところで風の抵抗に対処するためかなり糖分を使ってしまい、本来最後までペースを維持するための貴重なグリコーゲンが枯渇してしまったのではないかということです。

通常ならキロ4分超のペースでは有酸素性の糖代謝はそれほど使われないはずなのですが、向かい風で気付かぬうちに強度が高まってしまい、キロ4ペースを維持するために最低限必要な糖分が終わってしまった、と。

フィニッシュ後はめまいがひどく、貧血様の症状が出ていて、さらには昼にピッツァを食べた瞬間から徐々に気持ち悪さが回復したことから、血糖値の急激な低下は疑わしいところでした。

初めは食欲がなく絶対食べれそうになかったピッツァも、無理して食べているうちに元気が回復しました

とはいえ、今日は風がなくても2時間45分がせいぜいいいところで、7年前の39分など到底無謀な記録です。

なんだか、この7年間の時間の長さ、残酷さを感じ、帰りは少し寂しい感じがしてきたのも事実です。

でも、まあやるかやらないかと言われれば、「やる」一択なんですね。

チャレンジすることは誰にでも平等に与えられた権利です。

同世代のランナーで、まだまだ記録を伸ばし続けている強者も山ほどいる中で、簡単に諦めてはいけないのですね。

40代最後のマラソンは厳しい現実を突きつけられた示唆に富むレースでしたが、一方ではまだやらなければならない課題も見つかりました。

今回の板橋はあくまで通過点と考え、来シーズンはやりきれなかったトレーニングを重ねて、もう一度チャレンジをしたいと思います。

2月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

さて、いよいよ2月も終わり目標としてきた板橋シティマラソンまで2週間余りとなりました。

この2月は割と重要な月で、脚の痛みと発熱とで予定していた練習ができなかった1月に代わる、本番前最後の追い込みの時期となりました。

具体的には、マラソン向けの脚を作るロング走の距離と割合を増やし、ある程度走っても疲れない強靭な脚にしていく時期だったのですね。

マラソンのレースペースよりはやや遅いペースで20〜25km(自身の体調の関係で30kmまでは今は難しい状態)を安定して走る練習を、毎週積み上げていくことが目標でした。

2月に入ってすぐに再び発熱をしてしまいましたが、ここはちょうど1月の疲れが出ていた頃だったので、タイミングよくレストを入れることができました。

その後からはふくらはぎの状態が万全ではなかったものの、ロング走とジョグの距離を伸ばしながらどうにか最低限の距離を走ることはできたと自己評価しています。

2月はレスト期間を挟みましたが3週続けてロング走を取り入れ、だいぶ脚ができてきた印象です

12月からトータルすると、レースをロング走代わりにしたのも含めて、だいたい10回ほどのロング走を入れてきました。

ハーフのレースや大学のキャンパスで快調に走ってしまった時を除けば、ペースとしては大体キロ3分50秒〜57秒程度で、無理なく20km程度の距離を走り終えられる練習を継続しました。

月当たりの走行距離もほぼ350kmを越え、最低限のボリュームも確保できたかなと思っています。

体感的には、走行中の脚へのダメージ感(実際のダメージはどうか不明ですが、あくまで伝わる衝撃という意味で)はかなり軽減されてきた印象です。

大腿部をしっかり使って、一歩一歩力強く、推進力を感じながら走れる独特の感覚です。

言ってみれば、「走っても走っても疲れない感覚」でしょうか。

この感覚は学生時代に初めて体感したもので、やはり20km程度のロング走を繰り返して取り入れていくうちに体得できる独特の感覚でした。

このような脚の状態になっていかないと、42kmという長丁場はなかなか戦えません。

実際、昨年の板橋シティマラソンの走りは初めから一杯一杯で、脚へ伝わる衝撃も今よりも圧倒的に大きなものでした。

このブログでも何度か繰り返しましたが、「まるで乗り物に乗っているかのような感覚」ですね。

こうした脚の状態が、2月になってようやく体現してきたなという印象です。

今月もロング走の割合が15%と比較的多くなりました

さて、問題はここからの約2週間の過ごし方です。

だいぶ脚ができてきましたし、体力や回復力も以前に比べるとはるかに向上しているのですが、いかんせん、ランマニアの場合は「疲労」との付き合い方が一般のランナーとは違うのですね。

通常であれば、1週間前まで普通に負荷を高めても、1週間もあれば疲労はすぐに回復するでしょう。

実際自分自身も、慢性疲労に陥るまで平気で練習していましたからね。

まず確実に言えることは、1週間前はどんなに元気でもレースペース以上では走ってはいけないということです。

ロング走を入れようものなら、確実に本番は失敗します。

インターバルや閾値走もダメですね。

理想は完全レストにすることです。

ただし、このタイミングですっかり休んでしまうと体(というか脳)が一旦休止モードに入ってしまい、1週間で再起動してレースモードに戻すことに失敗する恐れもでてきます。

実際、1週間前の完全休養は、成功したパターンと失敗したパターンが大体半々なところで非常に迷うところです。

そこで今回は、明日明後日の土日は閾値ペースとロング走のペースで走る機会をそれぞれ確保し、月曜以降まとまって休む、という戦略をとろうかと思っています。

つまり、完全休養は十日以上前に一旦入れておくという作戦です。

一旦休みを入れると、脳は「気が抜けて」疲労がどっと出ることが予想されます。

この状態が慢性疲労症状としてしばらく続いてしまうのですが、少し遅れてそれも回復し、脚も体も非常に調子が良い状態に戻ることが多いです。

そして1週間前も軽いジョグで済ませ、睡眠もたくさん確保します。

そうしてようやく疲労が完全に抜けた状態で最後の1週間を過ごすことができるかな、と目論んでいます。

5ヶ月連続で350kmを超えましたが、これでようやく基礎づくりが終わったかなという状態です

ただ、実はそれでも今の状態はまだまだ基礎作りの段階ではあるな、と分析しています。

絶対的なボリュームもそうですが、脚の危うい状況を考えても、まだまだ本格的なマラソントレーニングに耐えうる体ではないと感じています。

ここまで練習を継続してきて、とりあえずマラソン向けの練習を一定期間継続する体力はついたかな、というくらいだと思っています。

本来であれば、週末のロング走以外には、平日にLTペースで走る時間も確保せねばならないと感じていますし、年間で考えれば、暖かくなってきた頃に解糖系を使うスピードや、VO2Maxに負荷をかけるペースで走る練習などを難なくこなせられるようになって初めて長距離ランナーの体かな、と思っています。

それでも、ここまでロング走を繰り返しても大きな疲労に見舞われない状態はここ数年ではありないことだったので、ようやくここまで辿り着けたかなと実感しています。

なので、今回はまだまだ通過点の状態で板橋を走ろうと考えていて、ここまで作り上げてきた脚でどこまで走れるか、今はそれを試すのが楽しみな状態です。

1月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

明日は駅伝だというのに、昨夜熱発して今も気だるさの残る中ブログを書いています。

1月も上旬に熱が出て無理矢理練習を継続しましたが、そのため月間の走行距離としては3年ぶりとなる400km台に乗せることができました。

2020年12月以来の月間400km到達。その時は直後の1月に肉離れをやりました。

昨年12月も380km台、その前も10月には390kmとここ数ヶ月連続して400km近い距離を走ってきまして、確実に脚の疲労への耐性や回復力の改善を実感できているところです。

ただ、経験上走行距離が400kmを超え、特に1km4分を切るようなロング走を継続してくると風邪を引く確率が急に上がる気がしていて、以前も書きましたが、学生時代は毎月のように風邪をひいている状態でした。

先月も、ほぼ毎週ロング走かレース(閾値ペース)を走り、体への負荷はかなりかかったと思われます。

そして何より、「最近痩せた?」と聞かれることが多くなり、体脂肪率もかなり低下している印象があります。

そもそもの練習自体が免疫を低下させやすい内容のものが多く(1回のマラソンを走ると免疫機能がかなり下がるとの報告)、体も絞れてきているため感染症に対する防衛力が、なんとなく低下しているように感じます。

とはいえ、防ぐ術はないわけではないため、こうしたトレーニングが継続できているときこそ、普段よりも生活で気をつけなければならないと痛感しているところです。

ふくらはぎの違和感や風邪などがあった中で理想としている練習パターンを維持できました

現在の最大の目標が3月の板橋Cityマラソンである以上、この1月2月はできるだけ目的を持って練習を重ねておきたいところです。

鍵となるのは、当然マラソンペースより若干遅めのペースで走るロング走で、これについては12月から週一の頻度で継続してきました。

1月も、ふくらはぎが危なくなったり、熱が出たりしたものの、どうにかこのスケジュールは維持でき、先週の駅伝でLT付近に刺激を入れたことで、自分の理想としているトレーニングサイクルを実現できたと思っています。

10月より走行距離が伸び、12月以降はレースも含めてロング走や閾値走の割合が急激に増加しました。

これらの疲れはいずれ確実に顕在化するはずで、どこかで一旦休みを入れて再起動をしなければならないと考えていました。

当初の予定では、明日の駅伝が終わったところで一旦休みを取り、その後3月上旬までの間に3回ほどのロング走(25km以上)を入れて仕上げようと計画していました。

そういう意味では、ここで熱が出て休養を余儀なくされたのは、不幸中の幸いで休みを入れる良いタイミングだったと思いました。

明日は6kmほどの距離であるため、それほど脚にダメージは残らないはずで、その上明後日以降雨も降るためまとまって休養を入れることで、だいぶ脚と体を休ませることができるのではないかと考えています。

ロング走を中心に据えつつ、どの速度域にもある程度刺激を入れられた理想とする1ヶ月となりました

とにかく、この時期疲労も蓄積し故障や感染症などのリスクはだいぶ上がる中でトレーニングを継続しなければならないのは変わりなく、それを如何に最小限に防ぐかが重要です。

今年に入って2度も熱が出ましたが、別の見方をすればこれで3月まではひとまず同様の感染症にはかかることはまずなく、体調を整えやすくなったとも言えます。

いずれ風邪を引くことになるのであれば、このタイミングが最適だったかもしれません。

2月はロング走の距離を伸ばし、ワンランク上の練習が続くため引き続き故障や体調管理には十分気をつけたいところです。

どうしたら箱根を走れたか

こんにちは,ランマニアです。

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて,今年のお正月は久しぶりに箱根駅伝を割とちゃんと見て,青山学院大学の驚異的な走りに興奮していました。

箱根駅伝マニアではないランマニアでも,ここまでの3大駅伝を連覇していて,10000mのベストタイム27分台の選手が3人もいる駒澤大学のアドバンテージはそうそう揺るがないだろうと思っていた中での,圧倒的勝利。

1区,駒澤大学がトップで襷をリレーした際には「ああ,これでもう駒澤の独走優勝確定だわ」と呟いてしまったほどです。

かつてランマニア自身も箱根駅伝を本気で目指していたこともあり,自分にとっても人ごとではない駅伝ではあったのですが,ここ数年はようやくその想いも徐々に薄くなってきて,そろそろ「箱根走りたかったな」気分からも卒業かな,と思い始めていた中で,久々に勝負に引き込まれた箱根駅伝となったのですね。

そんな中,先ほどあるツイート(今はポストですか)が目に留まり,「そうそう,そうなんだよ。それはずっと考えてたんだよ」と共感しかない内容が書かれていて,思わずこんなタイトルのブログを書きたくなってしまいました。

そうなんです。「自分も走りたかったぁ」「でも,どうにもならなかった」

これ本当に,大学を卒業してからずっと思い続けてきた心境で,やっぱり一生続いちゃうのかなぁ,と。

では,自分自身の場合,どうしていれば箱根に出られたのか。

これについても,ちょうど先日も同じことを考えていたところで,うちでも話していたところだったのですが,一応自分の中ではある結論には到達していまして。

ランマニアは,中学,高校と長距離一筋で部活に取り組んでいて,過去のブログでも紹介ましたが,特に高校時代は自分自身が長距離に対してその後の競技人生を決めたと言っても過言ではないほどの重要な3年間を過ごしました。

当然,それまではなんとなくイメージしていた「箱根駅伝」というものに対して,ある程度具体的に「目標」として意識できる程度にはなっていたのがこの頃です。

もっというと,もう走ることを一生続けていきたいし,なんならそれに関連した仕事に就きたいとも思い始めたのもこの高校時代だったのですね。

しかし,そうした目標があったものの,当時のランマニアはあまりにも陸上が楽しすぎて,もう生活全てを陸上に捧げてしまっていて,将来の進路や陸上以外のことについては何も考えずに毎日走り続けていた状態でした。

もう走ることだけをして生きていきたい。それができるのは今しかない。

みたいなことを,当時考えていたのを思い出します。

なので,多くの長距離に取り組んでいる高校生と同様,3年生でも11月の高校駅伝の県予選までは部活を続け,そこから受験勉強を始める,というスタイルをランマニア自身も採ることになります。

当時もセンター試験は1月中旬。私立大の試験も2月上旬ということもあり,受験勉強を一切していなかったランマニアにとっては,約2ヶ月ちょっとで大学入試を迎えなければならないという,圧倒的に無謀な挑戦を強いられることになります。

もちろん,それは織り込み済みで競技を続けましたし,正直「当然浪人だよね」という気持ちはありました。

自分が在籍していた高校は,「4年生高校」と言われるほど浪人生を多数輩出していましたから,浪人すること自体,今ほど抵抗のない状況だったのですね。

それでも,一応は受験をしたわけですが,やはり箱根駅伝への憧れは明確にありました。当然,箱根に出れそうな私大を中心に受験をしました。その中には,のちに自分にとってこの時が分かれ道となってしまった「慶應大学」も入っていました。

そして,当たり前のように2ヶ月の勉強で私大にそうそう受かるはずもなく。

しかし,自分のセンター試験の結果でも合格できそうな大学が一つだけありました。

あらかじめ長距離のコーチから誘いのあった,結果的に自分の母校となるある国立大学です。

ただし,この大学は国立大学ですから,当然箱根駅伝出場の可能性は限りなく少なくなります。

実は,この大学は当時の10年前の記念大会で箱根駅伝出場を果たしていて,ランマニアが入学する年がそれ以来の記念大会となる年に当たっていました。

せっかく現役で大学に入れるかもしれない。10年前は箱根駅伝に出場している大学。そして再び記念大会と重なる年。

そんなことを考えて,色々な思いはありましたが,結局この大学を受験することにしたのですね。そして結果的に入学に至ることになります。

毎年年末には母校でささやかな練習会と忘年会を開いています。当時のままの建物も・・。

そうして迎えた,初めての箱根駅伝予選会。

ランマニアは1年生ではありましたが,現在の 20km PBでもある,1時間4分58秒(当時は 20km)でフィニッシュしました。

しかし,残念ながらチームは予選回突破とはならず。事実上,自分自身の箱根駅伝挑戦は,この時に終了してしまいました。

そして先述した通り,この年は10年ごとの記念大会の年。当然,予選会通過の枠も拡大され,通常であればランクインできなかった大学もいくつか入ってきました。

その中でも国立大である「筑波大学」,そしてランマニアも受験した(落ちた)「慶應大学」の予選会突破は大いに話題となりました。

そして,当時,この結果を見て色々と複雑な思いを抱いたのを思い出します。

当時のランマニアの記録は,今ですらかすりもしない記録ですが,このタイムでも予選会総合95位。

箱根出場を果たした筑波と慶應の選手の中では,5番目とか8番目とかの記録でした。

そうなんです。

「どうしたら箱根を走れたか」

ランマニアにとってのこの答えは,「ちゃんと勉強していれば」ということだったのです。

もちろん,慶應大学に入るなど(しかも現役で),そう簡単なことではありません。

部活をやりながら現役合格を目指すなど,当時ほぼ無理なことだったと思っています。

しかし自分にとって,本当に箱根を走りたい気持ちがあったのなら,記念大会という状況も加味して,本気で合格を狙うという方法もあったのではないか,と,これは何年経っても考えてしまう事実なのですね。

とはいえ,選択した母校での生活や出会った仲間たちを思えば後悔はなく,むしろ今の今まで競技を続けられているのも,この大学を選択したからに他ならず,もし自分自身が箱根駅伝を走っていたら,果たしてここまで競技を続けていかというとそれも疑問です。

箱根は走れなかった。学生競技も猛烈に消化不良に終わってしまった。

それが結果的に細々と今も競技を続けられている理由である気がしています。

その後,「学連選抜」システムの誕生。この時も「ああ,自分らの時にこれがあったらなぁ」と,やっぱり未練は消えず。

何年か前に筑波が出た時や,学連選抜で慶應の選手が走った際も,やっぱり「おれも・・」みたない気持ちになったり。

まあ,結局何年経ってもなんだかんだで当時を思い出すわけで。

そうした中で,今日見つけたポスト「一生続くような気がする」は,なんだか猛烈に自分に刺さるフレーズだったのですね。

12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

昨日母校のキャンパスコース(1周1km)で20kmのロング走を行い、今年の練習は終了しました。

12月に入ってから、3月の板橋に向けてロング走を開始しましたが、キロ4分を切るのがやっとの状態で、マラソンペースが相当に衰えていることを実感していたところでした。

ところが、昨日の練習では、これまでとは打って変わり、1km3分45秒前後のペースがかなり楽に感じ、20km走の練習としてはほぼベストに近い1時間13分台で終えることができたのですね。

今月に入ってのロング走は、チャレンジレースのハーフまでを走ったのが最初で、この時はキロ3分57秒イーブンが相当速く感じたものでした。

その後、ロング走は先週と今週20km走を入れたのみでしたが、急速にイーブンで維持できるペースが改善し、昨日は最終的に1km3分30秒台まで上がる状態にまで持久的能力が向上していました。

この感覚は、7年前に東京マラソンでPBを出した頃のロング走で感じていた感覚で、練習のペースとしてもほとんど同じものでした。

なぜ今月、この短期間のうちにこれほどマラソンペースが戻ってきたのでしょうか。

自分自身の感覚としては、一昨日、そして先週と続けた400mの解糖系インターバルがその要因として大きかったのではないかと感じています。

12月18日に出場した地元の駅伝で5kmを走った時、あまりのVO2Maxの衰えに危機感を感じ、しばらく取り入れていなかった解糖系を使うインターバルを取り入れる必要性を身をもって感じたのでした。

ここ数年、とにかくジョグよりも速いペースで走ろうとすると、脚は楽なのに呼吸が急速にキツくなる体験を繰り返していて、強度の高い運動に対する順応性が急速に落ちている気がしていました。

そこで、普段のジョグの中では絶対に使うことのない体の能力のギリギリのところを使いながら走る400mのほぼ全力走(全力疾走ではなく、400mを最後までギリギリ保てるペースで走ること)を繰り返し、マラソンのレースペースであるLT1付近のペースでも使える解糖系をもう一度鍛え直そうと考えたのですね。

結果、昨日のロング走では、明らかに巡行ペースの向上を感じ、多少呼吸がきつくても脚は良く動き、走動作に必要な筋のエネルギー供給系の効率がだいぶ改善されてきた印象でした。

後述しますが、今月は各能力を満遍なく使う練習をこなすことができ、久しぶりに一月で全ての速度域(強度)の練習をそこそこ取り入れることができましたが、後半の400mインターバルを取り入れて以降の体の変化は顕著なものがありました。

無論、この変化にはここまでに積み上げてきた下地があってのものであることは間違いはありませんが、それでも、強度の非常に高い解糖系を一定時間動かす練習は、そもそもの最大ペースを引き上げるために欠かすことのできない練習であると実感しました。

10年ほど前は、こうした練習を入れずとも絶対ペースの低下は感じなかったのですが、ここ数年、1000mのインターバルを走る度に脚の動かなさを痛感することが多く、危機感を感じていたのでした。

毎週負荷が高まることが予想された12月。故障の不安がありましたが、どうにか乗り切ることができました。

そして、今月はレースが3レース入りながらも、一月を通して定期的に高強度、高負荷の練習を継続でき、それに耐え得る脚と、エネルギー供給系の向上を実感することができました。

また、「トレーニングを継続する」という意識をかなり強く持っていたため、レースにしろ練習にしろ、序盤は抑えめに入り、終盤までフォームを崩さずに走り通すというスタイルを貫き通せたことも非常に大きかったと感じています。

練習ができている時は、こうした「序盤を抑える」という心理的な余裕が生まれるため、結果として故障や離脱するほどの疲労を溜めることなく練習を継続できることを経験的に知っていました。

練習ができていない時ほど、焦りから序盤からオーバーペース気味に突っ込んで、終盤フォームが崩れて故障をする、というパターンに陥りがちでした。

練習が継続できている時ほど、「今は無理をしなくても良い」という心の余裕がレースや練習のペースを抑えることに繋がり好循環が生まれるのを、久しぶりに実感することができた12月でした。

全ての速度域の練習を満遍なく取り入れることができ、ここ数年では最も手応えを感じられるひと月となりました。

本来であれば、12月はもう少しVO2Maxを中心に鍛えたかったのですが、あまりのスピード(解糖系)の衰えに、同じ1000mのインターバルを繰り返しても、ほとんど能力が頭打ちになっている感覚を得ていたのですね。

そこで、予定外ではありましたが急遽400mのインターバルに変更し、マラソン練習も前倒して開始することにしました。

3レースあった12月に、高負荷の練習を継続してボリュームも維持できたのは大きかったです

12月は第1週からハーフが入り、以降毎週レースかロング走&インターバルを行ってきましたが、どうにか故障せずに最後までやり遂げることができました。

総走距離も380kmを越え、大の月としても標準的なボリュームを維持することができました。

今年、久しぶりに故障もせず安定して練習を継続できた背景には、前回も述べたとおり、毎年秋に詰め込んでいたトレイル系のレースを控え、じっくりと走練習に集中して取り組んだことが大きかったと考えています。

スカイレースはとにかく勾配が急峻すぎることで、どうしてもふくらはぎを中心に大きなダメージが残りやすく、下腿や足首から下の故障が頻発した時期がありました。

今年は久しぶりにトレイルレースの少ないシーズンを送ったことで、普段の下腿の状況がいつもよりも楽なことに気づきました。

また、危うい痛みや張りをほとんど感じることなく練習を継続できて、本来の脚の状態に気づくことができました。

2023年は、前半はトレイルシーズンでスタートしましたが、後半は純粋に走る能力に向き合うことができ、久々に陸上競技が(練習も含め)楽しいと感じるシーズンとなりました。

ただ、こうした好調な期間もいつかは終わりが来るのは間違いありません。いわゆるピークアウトする時期をどう調整するかが鍵となりそうです。

そうした意味でも、とにかく今は故障だけには気をつけて、今シーズン最大の目標である板橋シティマラソンに向けて万全の状態を作り上げていく意識を持ちながら日々の練習に向き合っていこうと思います。

2023年を振り返る

こんにちは、ランマニアです。

今日は休みをもらって、近場の丘陵地帯で緩やかなトレイルを走ってきました。

冬場は日が短く、一日の使い方を計画的に考えないとあっという間に日が暮れてしまいます。

今日のように貴重な平日休みは、あれもしたいこれもしたいと欲張ると何もできずに暗くなって残念な気持ちになってしまうこともよくあります。

特に、半日かけて山に出かけてしまうと、移動時間で大半が割かれ、せっかくの休日が数時間の山登りで終わってしまうことになり、この時期の山練や登山はあまり好きではないのですね。

冬の、キンキンに冷えた空気の中落ち葉を踏み締める音だけを聞きながらトレイルを走るは好きなんですけどね。

そういうことなら、近くの丘陵(狭山丘陵)でも十分味わえるのではないか、と朝イチで2時間ほどゆっくりと冬の山道を堪能してきました。

標高の低い都市部の丘陵地帯は、夏には虫の集中砲火を浴びますから、近場を走るには冬は最適でした。

さて、冷えたトレイルをのんびり走りながら、今日は今年1年を思い返していました。

今年は、なんと言っても7月の自身初の世界選手権出場があり、4月から7月はほぼトレイル練に時間を割いていた時期でした。

ひどい走りになったものの、海外遠征の楽しさを存分に味わえた世界選手権

この時期は、ここまで頻繁にトレイルを入れたのも初めてというほど、毎週のようにトレイルに向かい、山を走る力を少しずつ高めていきました。

元々長い距離は困難な事情があるため、本番は全く歯が立たなかったとはいえ、それでも12時間ものトレイルを走り切れたことは、自分にとっての一つの財産にはなりました。

ただ、そのレースも含め、今年は国内で3レースほどでた「スカイレース」は全て惨敗し、改めて長い距離のトレイルレースは自分にとってなかなかのハードルであるなと感じました。

補給の重要性を甘くみたびわ湖バレイスカイレースでは人生初のハンガーノック状態となり、自力下山が不可能な状況にまで陥りました。

8月の嬬恋でも事実上の途中棄権。5月の上田もフィニッシュ後2時間も起き上がれなくなるほどのダメージを受けました。

何度チャレンジしても惨敗する上田スカイ

世界選手権も含め、このスカイレースという競技は、自分の適性がある一方、走行時間が長すぎることで現在の自分の体の状態では太刀打ちできない現実もあります。

今年は、2度のDNF状態を経験し、正直来年の参戦は今は迷っているのが正直なところです。

一方で、今年度から始まったバーティカルの国内シリーズ「VGAEMES Japan」においては、最終的に総合10位に入り、Over48の年代別では2位にランクインすることができました。

最終戦のポイントが2倍になることから、数ポイント差で10位に食い込むことができたVGAMES

以前にも書きましたが、ランマニア的には疲労症状が顕在化する前に終えることができる「短距離型トレイル」はおそらく自分のスイートスポットであり、登り適性と年齢の割に高いVO2Maxとで、割と上位で戦える種目となっているのは間違いありません。

特に、「竜王」や「びわ湖バレイ」のように、「走れる急坂」は最も自分に適性があり、この区間が長いレースほど(烏帽子スカイランなど)、同年代の選手に対してアドバンテージが得られる気がしています。

バーティカルが得意でスカイレースが苦手な理由

山を走るのは好きですし、練習でも取り入れたいと思ってはいますが、スカイレースまでは長過ぎて対応できず。そうなると、60分以内で終了するバーティカルは、来年以降自身のトレイル領域での主戦場にしても良いのかもしれないと思っています(3時間越えする富士登山競走も例外的に)。

そして、今年後半以降、例年と少し変えてみたことが、トレイルレースを極力控え、陸上練習を集中的に取り入れるというものです。

例年、10月以降はトレイルレースのハイシーズンで、志賀高原や烏帽子などほぼ毎週のようにトレイルレースが入る状況が続いていました。

これはこれで楽しいのですが、一方で、長いスカイレースが入るとどうしても疲労回復に時間を取られ、インターバルや閾値走など、高い強度の練習を取り入れる余裕がなくなってしまっていたのですね。

ジョグだけでもある程度の力は維持できるのですが、この歳になると最高強度付近の力がどんどん衰えていくため、10年前と比べて意識的にこの辺りの練習を入れていかなければ取り返しのつかないことになっていくことに気づき始めていました。

10年前には何もしなくても維持できていた力が発揮できなくなってきたここ数年

なので、今年は世界選手権が終わって以降、トレイルレースは必要最低限にし、週末の練習をしっかり確保しようと意識しました。

9月に一旦故障で離脱しましたが、この効果を体感できたのは、この12月に久々にロードレースを走った時でした。

ギリギリ呼吸のキツさを我慢できつつ、脚は力強く動かし続けることのできるハーフマラソンは、自分にとって好きな種目の一つなのですが、今年久々にこの種目で手応えを掴むことができたのですね。

久しぶりにロードレースの楽しさを実感できた所沢シティマラソン

タイム的にはピーク期の1時間12分台には遠く及びませんでしたが、この非常に起伏の激しいコースで15分台(平地なら13分台から14分台)で走れたことから、40代前半の頃の最も強かった時期にかなり近づけた気がしました。

また、2週後の駅伝ではフラット5kmの単独走において16分46秒と、久々に16分台で5kmを走ることができ、練習やピーキング次第、またトラックであればもう一度16分30秒以内では走れるのではないかという手応えを感じることもできました。

ここ数週間の練習で、解糖系やVO2Maxの顕著な衰えを感じてやまないのですが、それでもまだまだチャレンジできそうな感覚は得ているところです。

そして、何より今年は大きな故障で長期離脱をすることなく、練習を継続できているのがとても大きいです。

通勤時に練習を入れるパターンが定着し、その中で走行距離を調整し、練習を分割することで脚へのダメージをだいぶ防ぐことに成功している気がします。

本当であれば平日にもう一日高強度の練習を入れたいところですが、間違いなく故障のリスクは跳ね上がると思われ、ひとまず欲張らず週末対応で継続していくのが無難でしょう。

ということで、2023年は久しぶりにロードを走る楽しさ、練習を継続することの楽しさを味わうことができ、近年スカイレースに偏りがちだったライフスタイルを、もう一度陸上寄りに戻したい意欲が出てきた年でした。

来年は、いよいよ50歳となります。

ですが、自分としてはいよいよここから再挑戦という気持ちが強く、トラックからマラソンまで楽しめる実力を取り戻していきたいと思っています。

所沢シティマラソン結果と11月の振り返り

こんにちは、ランマニアです。

ここのところブログに割ける時間が取れず、びわ湖バレイのレビューや11月の月間まとめができずにここまできてしまいました。

今日は毎年恒例の地元のレース、所沢シティマラソン(ハーフの部)に出場してきました。

第34回を数えるこのレースは、実は大学時代の第3回大会から出走していて、途中何度か欠場がありましたが、なんだかんだでもうかれこれ30年近くも関わり続けているレースとなりました。

学生時代は、おそらくランマニアが最も速かった頃で、この頃はまだコースも所沢の市街地を駆け抜け、中心部を巡りながら西武ドームに戻ってくる、かなり「シティ」なマラソン大会でした。

当時は距離も20kmで、箱根駅伝予選会を目標にしていた学生時代の自分にとっては、ちょうどいいベンチマークとなるレースだったのを記憶しています。

それがいつしか、交通規制や予算の関係か次第に「シティ」ではなく「ローカル」な部分を中心に走るコースへ変わり、現在では丘陵地帯の多い所沢の最深部をめぐる、もうほぼトレイル並みの斜度と獲得標高が存在するコースへと変貌してしまったのでした。

昨年はダートを2回走るコースでしたが、今年は1回になった代わりにアップダウンの回数がさらに増えた印象

昨年も、じゃり道を2回走ったり、通常のロードレースではあり得ないような下り坂を一気に駆け下ったりするかなりアブノーマルなコースでしたが、今年はダートが1回になった代わりに、13km以降の急な坂道のアップダウンが小刻みに増えた印象です。

そうしたこともあり、今回は昨年以上に序盤を慎重に走り、終盤の「トレイル区間」でしっかり脚を残して走れるようにすることを目標にしていました。

幸いなことにチームメイトとほぼ同じペースとなり、結局ラスト300mで引き離されるまでずっと引っ張ってもらえる良い展開になりました

ちょうど、マラソンを2時間36分台で走るチームメイトが近くを走っていて、ハーフくらいまでは自分と同程度の力を持っている彼に着いて、少しでも脚を温存することにしました。

とはいえ、実力的には彼の方が上なので、引っ張られながらも呼吸は終始きつく、おそらくLT2を超えるか超えないかくらいのギリギリ保てるペースで走ることを強いられました。

一方で比較的脚は良く動いたため、この苦しささえ我慢すればどうにかなりそう、という見通しを持てていたのも事実です。

というのも、年齢を重ねると、LTペースが若い頃に比べて若干呼吸がキツくなる傾向があり(確かダニエルズの最新版にそこらへんの補正についての記載があったような気が)、呼吸のキツさで判断する「体感LT」よりも、若干キツめでもLTペースとして維持できる傾向を、自分自身体感していました。

なので、そうしたことも頭に入れなが、脚を使いさえしなければあとは呼吸のキツさは我慢するしかないと思い、脚に余裕があるならばできるだけ彼についていくことにしたのですね。

そして、勝負は終盤ラスト7kmからの急激なアップダウンの繰り返される区間だと踏んでいたので、それまでは多少離されても気にせず自分のペースを守り、できるだけ脚を温存させる戦略でレースを進めていきました。

急坂登りはトレイルで鍛えた筋の使い方あったため、そうした区間では彼に追いつき、割と平坦で走力がものをいう区間では離されるというのを繰り返しながら、結局20kmまでレースは進んでしまいました。

キロ表示がほとんどなかったため、時計は一回も見ず、20km地点の定点タイマーの計時を見て、初めて自分のペースを知ることになりました。

1時間10分台後半。

ラスト1kmがかなりの上り坂のことを考えると、どんなに遅くても15分台では行けそうと思い、少し元気が出ました。

昨年は1時間17分ちょうどだったため、それよりも大幅に速いペースで走ってきたことに気づき、手応えを感じたのですね。

並走する彼は明らかに余裕があり、最後の登りでも逆転は不可能だなと思いました。

案の定、最後のカーブを曲がる手前でスパートをかけ、それにはついていくことはできませんでした。

ただ、正直、彼にここまで善戦できるとは想定もしていなかったため、21km手前まで一緒に走れただけでも十分満足してしまう自分がいて、とても勝とうなどとは微塵も思ってもいませんでした。

結局、今年から40代の部に入った彼が40代3位。今年で40代の部が最後となるランマニアが4位という結果となり、自分自身としてはもう十分満足できるレースとなりました。

40代の部最後の年となった今年のシティマラソン。

さて、もともとハーフマラソンは自分の適性の中でもかなり上位に来る距離の一つで、フルに比べると圧倒的に失敗が少なく、良い時は終盤以降呼吸のキツさを押しながら脚でぐいぐい進んでいく感覚の得られるレースができる距離になります。

今回、数年ぶりにそうした感覚が得られ、練習次第ではまだまだ勝負できる距離なのだなと安堵したところです。

そこで、その要因を少し考えてみたいと思い、ひとまず11月の練習をここで改めて振り返ってみようと思います。

11月は主にVO2Maxを中心に刺激を入れた月になりました

11月の一月だけをみても意味がないので、この一つ前の月を見ると、10月は毎週LT域に刺激を入れることを意識した月になっています。

10月は3回LT練を入れ、9月最終週と11月第1週を含めると、だいたい1か月半以上にわたってLT域に刺激を入れ続けてきたことになります

こうしてみると、ダニエルズさんが提唱している「6週間は同じ練習を繰り返したい」という目標が概ね達成できていたことになり、自分自身もこのような期間を常々作り出したいと思っていたところでした。

それを成すために今年意識したのが、例年であればトレイルレースの多くなる9〜11月にそれらを入れず、また山練も最低限に控えたことが挙げられます。

11月はびわ湖バレイに出場したものの、その前後はVO2Maxに刺激を入れていて、びわ湖のバーティカルも事実上VO2Max負荷だったことを考えると、これにしても3週間は継続したことになります。

結果、故障明けの10月以降は6週以上のLT負荷と、3週程度のVO2Max負荷が継続され、今回のレースのタイミングが、体がやや強い負荷に順応してきた時期であったと想像されました。

引っ張られたペースが想定以上に速かったため、終始呼吸のキツさは気になりましたが、脚が最後まで動いたということは、練習のボリューム的にもどうにか最低限確保できていたことが予想されます。

故障した9月は除いて、今年は春以降安定して月350km程度を維持できたことで、ある程度の練習に耐えられる脚ができてきた印象です

こうして振り返ると、今年は4月以降スカイランニング世界選手権のためにある程度の距離を確保し、その時期に距離への適応が進み、一旦故障で休養を余儀無くされたものの、それが疲労をリセットする機会となり、高強度練習を継続できる状態になってきたと思われます。

先日のびわ湖バレイスカイレースもそうでしたが、トレイルレースの体にかかる負荷は想像以上で、例年、継続してきた練習が途絶えさせられる傾向が続いていました。

その結果、本来高めたかったロード&トラックの走力が思うように身に付かず、レースで思うような結果が出ない日々が続いていました。

今回意図的にトレイル系のレースや練習を控えることで、じっくりと純粋な持久的走力を高める練習に向き合うことができ(気持ちという意味ではなく、体力的に)、徐々に体が出来上がっていく実感を持つことができました。

ある程度満遍なく負荷をかけられた11月

今日のレースの様子を振り返ると、だいたい自身の上限に近い実力が出ていたと思われ、今後この強度域の練習を続けてもこの部分の走力を高めるには若干コスパが悪そうに思います。(本当はもう一度3分一桁で1000mのインターバルが継続できる体を作りたいのですが、おそらく故障するでしょう)

12月は、あとバーティカルが1回と5kmの駅伝が1回あるため、VO2Max刺激期間もちょうどそこまでとなると思います。

そうすると、このあたりの能力は一旦ここで開発し終え、少し休養を入れたあと、年明けからはいよいよマラソン向けの練習を入れていこうと考えています。

今年は3月の板橋一発勝負なので、1月、2月の二月間でロング走を中心に脚を作っていこうと思っています。

その間に挟まれる10km程度の駅伝は、LTやVO2Maxを最低限維持するための機会として走り、「最大強度」をかけられる体の機能を維持できればと思います。

今日は久しぶりにロードレースの楽しさを味わえるレース展開となり、もう一度ロードでも再起を図りたいと思えるきっかけとなったことは間違いありません。