1月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

明日は駅伝だというのに、昨夜熱発して今も気だるさの残る中ブログを書いています。

1月も上旬に熱が出て無理矢理練習を継続しましたが、そのため月間の走行距離としては3年ぶりとなる400km台に乗せることができました。

2020年12月以来の月間400km到達。その時は直後の1月に肉離れをやりました。

昨年12月も380km台、その前も10月には390kmとここ数ヶ月連続して400km近い距離を走ってきまして、確実に脚の疲労への耐性や回復力の改善を実感できているところです。

ただ、経験上走行距離が400kmを超え、特に1km4分を切るようなロング走を継続してくると風邪を引く確率が急に上がる気がしていて、以前も書きましたが、学生時代は毎月のように風邪をひいている状態でした。

先月も、ほぼ毎週ロング走かレース(閾値ペース)を走り、体への負荷はかなりかかったと思われます。

そして何より、「最近痩せた?」と聞かれることが多くなり、体脂肪率もかなり低下している印象があります。

そもそもの練習自体が免疫を低下させやすい内容のものが多く(1回のマラソンを走ると免疫機能がかなり下がるとの報告)、体も絞れてきているため感染症に対する防衛力が、なんとなく低下しているように感じます。

とはいえ、防ぐ術はないわけではないため、こうしたトレーニングが継続できているときこそ、普段よりも生活で気をつけなければならないと痛感しているところです。

ふくらはぎの違和感や風邪などがあった中で理想としている練習パターンを維持できました

現在の最大の目標が3月の板橋Cityマラソンである以上、この1月2月はできるだけ目的を持って練習を重ねておきたいところです。

鍵となるのは、当然マラソンペースより若干遅めのペースで走るロング走で、これについては12月から週一の頻度で継続してきました。

1月も、ふくらはぎが危なくなったり、熱が出たりしたものの、どうにかこのスケジュールは維持でき、先週の駅伝でLT付近に刺激を入れたことで、自分の理想としているトレーニングサイクルを実現できたと思っています。

10月より走行距離が伸び、12月以降はレースも含めてロング走や閾値走の割合が急激に増加しました。

これらの疲れはいずれ確実に顕在化するはずで、どこかで一旦休みを入れて再起動をしなければならないと考えていました。

当初の予定では、明日の駅伝が終わったところで一旦休みを取り、その後3月上旬までの間に3回ほどのロング走(25km以上)を入れて仕上げようと計画していました。

そういう意味では、ここで熱が出て休養を余儀なくされたのは、不幸中の幸いで休みを入れる良いタイミングだったと思いました。

明日は6kmほどの距離であるため、それほど脚にダメージは残らないはずで、その上明後日以降雨も降るためまとまって休養を入れることで、だいぶ脚と体を休ませることができるのではないかと考えています。

ロング走を中心に据えつつ、どの速度域にもある程度刺激を入れられた理想とする1ヶ月となりました

とにかく、この時期疲労も蓄積し故障や感染症などのリスクはだいぶ上がる中でトレーニングを継続しなければならないのは変わりなく、それを如何に最小限に防ぐかが重要です。

今年に入って2度も熱が出ましたが、別の見方をすればこれで3月まではひとまず同様の感染症にはかかることはまずなく、体調を整えやすくなったとも言えます。

いずれ風邪を引くことになるのであれば、このタイミングが最適だったかもしれません。

2月はロング走の距離を伸ばし、ワンランク上の練習が続くため引き続き故障や体調管理には十分気をつけたいところです。

どうしたら箱根を走れたか

こんにちは,ランマニアです。

新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて,今年のお正月は久しぶりに箱根駅伝を割とちゃんと見て,青山学院大学の驚異的な走りに興奮していました。

箱根駅伝マニアではないランマニアでも,ここまでの3大駅伝を連覇していて,10000mのベストタイム27分台の選手が3人もいる駒澤大学のアドバンテージはそうそう揺るがないだろうと思っていた中での,圧倒的勝利。

1区,駒澤大学がトップで襷をリレーした際には「ああ,これでもう駒澤の独走優勝確定だわ」と呟いてしまったほどです。

かつてランマニア自身も箱根駅伝を本気で目指していたこともあり,自分にとっても人ごとではない駅伝ではあったのですが,ここ数年はようやくその想いも徐々に薄くなってきて,そろそろ「箱根走りたかったな」気分からも卒業かな,と思い始めていた中で,久々に勝負に引き込まれた箱根駅伝となったのですね。

そんな中,先ほどあるツイート(今はポストですか)が目に留まり,「そうそう,そうなんだよ。それはずっと考えてたんだよ」と共感しかない内容が書かれていて,思わずこんなタイトルのブログを書きたくなってしまいました。

そうなんです。「自分も走りたかったぁ」「でも,どうにもならなかった」

これ本当に,大学を卒業してからずっと思い続けてきた心境で,やっぱり一生続いちゃうのかなぁ,と。

では,自分自身の場合,どうしていれば箱根に出られたのか。

これについても,ちょうど先日も同じことを考えていたところで,うちでも話していたところだったのですが,一応自分の中ではある結論には到達していまして。

ランマニアは,中学,高校と長距離一筋で部活に取り組んでいて,過去のブログでも紹介ましたが,特に高校時代は自分自身が長距離に対してその後の競技人生を決めたと言っても過言ではないほどの重要な3年間を過ごしました。

当然,それまではなんとなくイメージしていた「箱根駅伝」というものに対して,ある程度具体的に「目標」として意識できる程度にはなっていたのがこの頃です。

もっというと,もう走ることを一生続けていきたいし,なんならそれに関連した仕事に就きたいとも思い始めたのもこの高校時代だったのですね。

しかし,そうした目標があったものの,当時のランマニアはあまりにも陸上が楽しすぎて,もう生活全てを陸上に捧げてしまっていて,将来の進路や陸上以外のことについては何も考えずに毎日走り続けていた状態でした。

もう走ることだけをして生きていきたい。それができるのは今しかない。

みたいなことを,当時考えていたのを思い出します。

なので,多くの長距離に取り組んでいる高校生と同様,3年生でも11月の高校駅伝の県予選までは部活を続け,そこから受験勉強を始める,というスタイルをランマニア自身も採ることになります。

当時もセンター試験は1月中旬。私立大の試験も2月上旬ということもあり,受験勉強を一切していなかったランマニアにとっては,約2ヶ月ちょっとで大学入試を迎えなければならないという,圧倒的に無謀な挑戦を強いられることになります。

もちろん,それは織り込み済みで競技を続けましたし,正直「当然浪人だよね」という気持ちはありました。

自分が在籍していた高校は,「4年生高校」と言われるほど浪人生を多数輩出していましたから,浪人すること自体,今ほど抵抗のない状況だったのですね。

それでも,一応は受験をしたわけですが,やはり箱根駅伝への憧れは明確にありました。当然,箱根に出れそうな私大を中心に受験をしました。その中には,のちに自分にとってこの時が分かれ道となってしまった「慶應大学」も入っていました。

そして,当たり前のように2ヶ月の勉強で私大にそうそう受かるはずもなく。

しかし,自分のセンター試験の結果でも合格できそうな大学が一つだけありました。

あらかじめ長距離のコーチから誘いのあった,結果的に自分の母校となるある国立大学です。

ただし,この大学は国立大学ですから,当然箱根駅伝出場の可能性は限りなく少なくなります。

実は,この大学は当時の10年前の記念大会で箱根駅伝出場を果たしていて,ランマニアが入学する年がそれ以来の記念大会となる年に当たっていました。

せっかく現役で大学に入れるかもしれない。10年前は箱根駅伝に出場している大学。そして再び記念大会と重なる年。

そんなことを考えて,色々な思いはありましたが,結局この大学を受験することにしたのですね。そして結果的に入学に至ることになります。

毎年年末には母校でささやかな練習会と忘年会を開いています。当時のままの建物も・・。

そうして迎えた,初めての箱根駅伝予選会。

ランマニアは1年生ではありましたが,現在の 20km PBでもある,1時間4分58秒(当時は 20km)でフィニッシュしました。

しかし,残念ながらチームは予選回突破とはならず。事実上,自分自身の箱根駅伝挑戦は,この時に終了してしまいました。

そして先述した通り,この年は10年ごとの記念大会の年。当然,予選会通過の枠も拡大され,通常であればランクインできなかった大学もいくつか入ってきました。

その中でも国立大である「筑波大学」,そしてランマニアも受験した(落ちた)「慶應大学」の予選会突破は大いに話題となりました。

そして,当時,この結果を見て色々と複雑な思いを抱いたのを思い出します。

当時のランマニアの記録は,今ですらかすりもしない記録ですが,このタイムでも予選会総合95位。

箱根出場を果たした筑波と慶應の選手の中では,5番目とか8番目とかの記録でした。

そうなんです。

「どうしたら箱根を走れたか」

ランマニアにとってのこの答えは,「ちゃんと勉強していれば」ということだったのです。

もちろん,慶應大学に入るなど(しかも現役で),そう簡単なことではありません。

部活をやりながら現役合格を目指すなど,当時ほぼ無理なことだったと思っています。

しかし自分にとって,本当に箱根を走りたい気持ちがあったのなら,記念大会という状況も加味して,本気で合格を狙うという方法もあったのではないか,と,これは何年経っても考えてしまう事実なのですね。

とはいえ,選択した母校での生活や出会った仲間たちを思えば後悔はなく,むしろ今の今まで競技を続けられているのも,この大学を選択したからに他ならず,もし自分自身が箱根駅伝を走っていたら,果たしてここまで競技を続けていかというとそれも疑問です。

箱根は走れなかった。学生競技も猛烈に消化不良に終わってしまった。

それが結果的に細々と今も競技を続けられている理由である気がしています。

その後,「学連選抜」システムの誕生。この時も「ああ,自分らの時にこれがあったらなぁ」と,やっぱり未練は消えず。

何年か前に筑波が出た時や,学連選抜で慶應の選手が走った際も,やっぱり「おれも・・」みたない気持ちになったり。

まあ,結局何年経ってもなんだかんだで当時を思い出すわけで。

そうした中で,今日見つけたポスト「一生続くような気がする」は,なんだか猛烈に自分に刺さるフレーズだったのですね。

12月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

昨日母校のキャンパスコース(1周1km)で20kmのロング走を行い、今年の練習は終了しました。

12月に入ってから、3月の板橋に向けてロング走を開始しましたが、キロ4分を切るのがやっとの状態で、マラソンペースが相当に衰えていることを実感していたところでした。

ところが、昨日の練習では、これまでとは打って変わり、1km3分45秒前後のペースがかなり楽に感じ、20km走の練習としてはほぼベストに近い1時間13分台で終えることができたのですね。

今月に入ってのロング走は、チャレンジレースのハーフまでを走ったのが最初で、この時はキロ3分57秒イーブンが相当速く感じたものでした。

その後、ロング走は先週と今週20km走を入れたのみでしたが、急速にイーブンで維持できるペースが改善し、昨日は最終的に1km3分30秒台まで上がる状態にまで持久的能力が向上していました。

この感覚は、7年前に東京マラソンでPBを出した頃のロング走で感じていた感覚で、練習のペースとしてもほとんど同じものでした。

なぜ今月、この短期間のうちにこれほどマラソンペースが戻ってきたのでしょうか。

自分自身の感覚としては、一昨日、そして先週と続けた400mの解糖系インターバルがその要因として大きかったのではないかと感じています。

12月18日に出場した地元の駅伝で5kmを走った時、あまりのVO2Maxの衰えに危機感を感じ、しばらく取り入れていなかった解糖系を使うインターバルを取り入れる必要性を身をもって感じたのでした。

ここ数年、とにかくジョグよりも速いペースで走ろうとすると、脚は楽なのに呼吸が急速にキツくなる体験を繰り返していて、強度の高い運動に対する順応性が急速に落ちている気がしていました。

そこで、普段のジョグの中では絶対に使うことのない体の能力のギリギリのところを使いながら走る400mのほぼ全力走(全力疾走ではなく、400mを最後までギリギリ保てるペースで走ること)を繰り返し、マラソンのレースペースであるLT1付近のペースでも使える解糖系をもう一度鍛え直そうと考えたのですね。

結果、昨日のロング走では、明らかに巡行ペースの向上を感じ、多少呼吸がきつくても脚は良く動き、走動作に必要な筋のエネルギー供給系の効率がだいぶ改善されてきた印象でした。

後述しますが、今月は各能力を満遍なく使う練習をこなすことができ、久しぶりに一月で全ての速度域(強度)の練習をそこそこ取り入れることができましたが、後半の400mインターバルを取り入れて以降の体の変化は顕著なものがありました。

無論、この変化にはここまでに積み上げてきた下地があってのものであることは間違いはありませんが、それでも、強度の非常に高い解糖系を一定時間動かす練習は、そもそもの最大ペースを引き上げるために欠かすことのできない練習であると実感しました。

10年ほど前は、こうした練習を入れずとも絶対ペースの低下は感じなかったのですが、ここ数年、1000mのインターバルを走る度に脚の動かなさを痛感することが多く、危機感を感じていたのでした。

毎週負荷が高まることが予想された12月。故障の不安がありましたが、どうにか乗り切ることができました。

そして、今月はレースが3レース入りながらも、一月を通して定期的に高強度、高負荷の練習を継続でき、それに耐え得る脚と、エネルギー供給系の向上を実感することができました。

また、「トレーニングを継続する」という意識をかなり強く持っていたため、レースにしろ練習にしろ、序盤は抑えめに入り、終盤までフォームを崩さずに走り通すというスタイルを貫き通せたことも非常に大きかったと感じています。

練習ができている時は、こうした「序盤を抑える」という心理的な余裕が生まれるため、結果として故障や離脱するほどの疲労を溜めることなく練習を継続できることを経験的に知っていました。

練習ができていない時ほど、焦りから序盤からオーバーペース気味に突っ込んで、終盤フォームが崩れて故障をする、というパターンに陥りがちでした。

練習が継続できている時ほど、「今は無理をしなくても良い」という心の余裕がレースや練習のペースを抑えることに繋がり好循環が生まれるのを、久しぶりに実感することができた12月でした。

全ての速度域の練習を満遍なく取り入れることができ、ここ数年では最も手応えを感じられるひと月となりました。

本来であれば、12月はもう少しVO2Maxを中心に鍛えたかったのですが、あまりのスピード(解糖系)の衰えに、同じ1000mのインターバルを繰り返しても、ほとんど能力が頭打ちになっている感覚を得ていたのですね。

そこで、予定外ではありましたが急遽400mのインターバルに変更し、マラソン練習も前倒して開始することにしました。

3レースあった12月に、高負荷の練習を継続してボリュームも維持できたのは大きかったです

12月は第1週からハーフが入り、以降毎週レースかロング走&インターバルを行ってきましたが、どうにか故障せずに最後までやり遂げることができました。

総走距離も380kmを越え、大の月としても標準的なボリュームを維持することができました。

今年、久しぶりに故障もせず安定して練習を継続できた背景には、前回も述べたとおり、毎年秋に詰め込んでいたトレイル系のレースを控え、じっくりと走練習に集中して取り組んだことが大きかったと考えています。

スカイレースはとにかく勾配が急峻すぎることで、どうしてもふくらはぎを中心に大きなダメージが残りやすく、下腿や足首から下の故障が頻発した時期がありました。

今年は久しぶりにトレイルレースの少ないシーズンを送ったことで、普段の下腿の状況がいつもよりも楽なことに気づきました。

また、危うい痛みや張りをほとんど感じることなく練習を継続できて、本来の脚の状態に気づくことができました。

2023年は、前半はトレイルシーズンでスタートしましたが、後半は純粋に走る能力に向き合うことができ、久々に陸上競技が(練習も含め)楽しいと感じるシーズンとなりました。

ただ、こうした好調な期間もいつかは終わりが来るのは間違いありません。いわゆるピークアウトする時期をどう調整するかが鍵となりそうです。

そうした意味でも、とにかく今は故障だけには気をつけて、今シーズン最大の目標である板橋シティマラソンに向けて万全の状態を作り上げていく意識を持ちながら日々の練習に向き合っていこうと思います。

2023年を振り返る

こんにちは、ランマニアです。

今日は休みをもらって、近場の丘陵地帯で緩やかなトレイルを走ってきました。

冬場は日が短く、一日の使い方を計画的に考えないとあっという間に日が暮れてしまいます。

今日のように貴重な平日休みは、あれもしたいこれもしたいと欲張ると何もできずに暗くなって残念な気持ちになってしまうこともよくあります。

特に、半日かけて山に出かけてしまうと、移動時間で大半が割かれ、せっかくの休日が数時間の山登りで終わってしまうことになり、この時期の山練や登山はあまり好きではないのですね。

冬の、キンキンに冷えた空気の中落ち葉を踏み締める音だけを聞きながらトレイルを走るは好きなんですけどね。

そういうことなら、近くの丘陵(狭山丘陵)でも十分味わえるのではないか、と朝イチで2時間ほどゆっくりと冬の山道を堪能してきました。

標高の低い都市部の丘陵地帯は、夏には虫の集中砲火を浴びますから、近場を走るには冬は最適でした。

さて、冷えたトレイルをのんびり走りながら、今日は今年1年を思い返していました。

今年は、なんと言っても7月の自身初の世界選手権出場があり、4月から7月はほぼトレイル練に時間を割いていた時期でした。

ひどい走りになったものの、海外遠征の楽しさを存分に味わえた世界選手権

この時期は、ここまで頻繁にトレイルを入れたのも初めてというほど、毎週のようにトレイルに向かい、山を走る力を少しずつ高めていきました。

元々長い距離は困難な事情があるため、本番は全く歯が立たなかったとはいえ、それでも12時間ものトレイルを走り切れたことは、自分にとっての一つの財産にはなりました。

ただ、そのレースも含め、今年は国内で3レースほどでた「スカイレース」は全て惨敗し、改めて長い距離のトレイルレースは自分にとってなかなかのハードルであるなと感じました。

補給の重要性を甘くみたびわ湖バレイスカイレースでは人生初のハンガーノック状態となり、自力下山が不可能な状況にまで陥りました。

8月の嬬恋でも事実上の途中棄権。5月の上田もフィニッシュ後2時間も起き上がれなくなるほどのダメージを受けました。

何度チャレンジしても惨敗する上田スカイ

世界選手権も含め、このスカイレースという競技は、自分の適性がある一方、走行時間が長すぎることで現在の自分の体の状態では太刀打ちできない現実もあります。

今年は、2度のDNF状態を経験し、正直来年の参戦は今は迷っているのが正直なところです。

一方で、今年度から始まったバーティカルの国内シリーズ「VGAEMES Japan」においては、最終的に総合10位に入り、Over48の年代別では2位にランクインすることができました。

最終戦のポイントが2倍になることから、数ポイント差で10位に食い込むことができたVGAMES

以前にも書きましたが、ランマニア的には疲労症状が顕在化する前に終えることができる「短距離型トレイル」はおそらく自分のスイートスポットであり、登り適性と年齢の割に高いVO2Maxとで、割と上位で戦える種目となっているのは間違いありません。

特に、「竜王」や「びわ湖バレイ」のように、「走れる急坂」は最も自分に適性があり、この区間が長いレースほど(烏帽子スカイランなど)、同年代の選手に対してアドバンテージが得られる気がしています。

バーティカルが得意でスカイレースが苦手な理由

山を走るのは好きですし、練習でも取り入れたいと思ってはいますが、スカイレースまでは長過ぎて対応できず。そうなると、60分以内で終了するバーティカルは、来年以降自身のトレイル領域での主戦場にしても良いのかもしれないと思っています(3時間越えする富士登山競走も例外的に)。

そして、今年後半以降、例年と少し変えてみたことが、トレイルレースを極力控え、陸上練習を集中的に取り入れるというものです。

例年、10月以降はトレイルレースのハイシーズンで、志賀高原や烏帽子などほぼ毎週のようにトレイルレースが入る状況が続いていました。

これはこれで楽しいのですが、一方で、長いスカイレースが入るとどうしても疲労回復に時間を取られ、インターバルや閾値走など、高い強度の練習を取り入れる余裕がなくなってしまっていたのですね。

ジョグだけでもある程度の力は維持できるのですが、この歳になると最高強度付近の力がどんどん衰えていくため、10年前と比べて意識的にこの辺りの練習を入れていかなければ取り返しのつかないことになっていくことに気づき始めていました。

10年前には何もしなくても維持できていた力が発揮できなくなってきたここ数年

なので、今年は世界選手権が終わって以降、トレイルレースは必要最低限にし、週末の練習をしっかり確保しようと意識しました。

9月に一旦故障で離脱しましたが、この効果を体感できたのは、この12月に久々にロードレースを走った時でした。

ギリギリ呼吸のキツさを我慢できつつ、脚は力強く動かし続けることのできるハーフマラソンは、自分にとって好きな種目の一つなのですが、今年久々にこの種目で手応えを掴むことができたのですね。

久しぶりにロードレースの楽しさを実感できた所沢シティマラソン

タイム的にはピーク期の1時間12分台には遠く及びませんでしたが、この非常に起伏の激しいコースで15分台(平地なら13分台から14分台)で走れたことから、40代前半の頃の最も強かった時期にかなり近づけた気がしました。

また、2週後の駅伝ではフラット5kmの単独走において16分46秒と、久々に16分台で5kmを走ることができ、練習やピーキング次第、またトラックであればもう一度16分30秒以内では走れるのではないかという手応えを感じることもできました。

ここ数週間の練習で、解糖系やVO2Maxの顕著な衰えを感じてやまないのですが、それでもまだまだチャレンジできそうな感覚は得ているところです。

そして、何より今年は大きな故障で長期離脱をすることなく、練習を継続できているのがとても大きいです。

通勤時に練習を入れるパターンが定着し、その中で走行距離を調整し、練習を分割することで脚へのダメージをだいぶ防ぐことに成功している気がします。

本当であれば平日にもう一日高強度の練習を入れたいところですが、間違いなく故障のリスクは跳ね上がると思われ、ひとまず欲張らず週末対応で継続していくのが無難でしょう。

ということで、2023年は久しぶりにロードを走る楽しさ、練習を継続することの楽しさを味わうことができ、近年スカイレースに偏りがちだったライフスタイルを、もう一度陸上寄りに戻したい意欲が出てきた年でした。

来年は、いよいよ50歳となります。

ですが、自分としてはいよいよここから再挑戦という気持ちが強く、トラックからマラソンまで楽しめる実力を取り戻していきたいと思っています。

所沢シティマラソン結果と11月の振り返り

こんにちは、ランマニアです。

ここのところブログに割ける時間が取れず、びわ湖バレイのレビューや11月の月間まとめができずにここまできてしまいました。

今日は毎年恒例の地元のレース、所沢シティマラソン(ハーフの部)に出場してきました。

第34回を数えるこのレースは、実は大学時代の第3回大会から出走していて、途中何度か欠場がありましたが、なんだかんだでもうかれこれ30年近くも関わり続けているレースとなりました。

学生時代は、おそらくランマニアが最も速かった頃で、この頃はまだコースも所沢の市街地を駆け抜け、中心部を巡りながら西武ドームに戻ってくる、かなり「シティ」なマラソン大会でした。

当時は距離も20kmで、箱根駅伝予選会を目標にしていた学生時代の自分にとっては、ちょうどいいベンチマークとなるレースだったのを記憶しています。

それがいつしか、交通規制や予算の関係か次第に「シティ」ではなく「ローカル」な部分を中心に走るコースへ変わり、現在では丘陵地帯の多い所沢の最深部をめぐる、もうほぼトレイル並みの斜度と獲得標高が存在するコースへと変貌してしまったのでした。

昨年はダートを2回走るコースでしたが、今年は1回になった代わりにアップダウンの回数がさらに増えた印象

昨年も、じゃり道を2回走ったり、通常のロードレースではあり得ないような下り坂を一気に駆け下ったりするかなりアブノーマルなコースでしたが、今年はダートが1回になった代わりに、13km以降の急な坂道のアップダウンが小刻みに増えた印象です。

そうしたこともあり、今回は昨年以上に序盤を慎重に走り、終盤の「トレイル区間」でしっかり脚を残して走れるようにすることを目標にしていました。

幸いなことにチームメイトとほぼ同じペースとなり、結局ラスト300mで引き離されるまでずっと引っ張ってもらえる良い展開になりました

ちょうど、マラソンを2時間36分台で走るチームメイトが近くを走っていて、ハーフくらいまでは自分と同程度の力を持っている彼に着いて、少しでも脚を温存することにしました。

とはいえ、実力的には彼の方が上なので、引っ張られながらも呼吸は終始きつく、おそらくLT2を超えるか超えないかくらいのギリギリ保てるペースで走ることを強いられました。

一方で比較的脚は良く動いたため、この苦しささえ我慢すればどうにかなりそう、という見通しを持てていたのも事実です。

というのも、年齢を重ねると、LTペースが若い頃に比べて若干呼吸がキツくなる傾向があり(確かダニエルズの最新版にそこらへんの補正についての記載があったような気が)、呼吸のキツさで判断する「体感LT」よりも、若干キツめでもLTペースとして維持できる傾向を、自分自身体感していました。

なので、そうしたことも頭に入れなが、脚を使いさえしなければあとは呼吸のキツさは我慢するしかないと思い、脚に余裕があるならばできるだけ彼についていくことにしたのですね。

そして、勝負は終盤ラスト7kmからの急激なアップダウンの繰り返される区間だと踏んでいたので、それまでは多少離されても気にせず自分のペースを守り、できるだけ脚を温存させる戦略でレースを進めていきました。

急坂登りはトレイルで鍛えた筋の使い方あったため、そうした区間では彼に追いつき、割と平坦で走力がものをいう区間では離されるというのを繰り返しながら、結局20kmまでレースは進んでしまいました。

キロ表示がほとんどなかったため、時計は一回も見ず、20km地点の定点タイマーの計時を見て、初めて自分のペースを知ることになりました。

1時間10分台後半。

ラスト1kmがかなりの上り坂のことを考えると、どんなに遅くても15分台では行けそうと思い、少し元気が出ました。

昨年は1時間17分ちょうどだったため、それよりも大幅に速いペースで走ってきたことに気づき、手応えを感じたのですね。

並走する彼は明らかに余裕があり、最後の登りでも逆転は不可能だなと思いました。

案の定、最後のカーブを曲がる手前でスパートをかけ、それにはついていくことはできませんでした。

ただ、正直、彼にここまで善戦できるとは想定もしていなかったため、21km手前まで一緒に走れただけでも十分満足してしまう自分がいて、とても勝とうなどとは微塵も思ってもいませんでした。

結局、今年から40代の部に入った彼が40代3位。今年で40代の部が最後となるランマニアが4位という結果となり、自分自身としてはもう十分満足できるレースとなりました。

40代の部最後の年となった今年のシティマラソン。

さて、もともとハーフマラソンは自分の適性の中でもかなり上位に来る距離の一つで、フルに比べると圧倒的に失敗が少なく、良い時は終盤以降呼吸のキツさを押しながら脚でぐいぐい進んでいく感覚の得られるレースができる距離になります。

今回、数年ぶりにそうした感覚が得られ、練習次第ではまだまだ勝負できる距離なのだなと安堵したところです。

そこで、その要因を少し考えてみたいと思い、ひとまず11月の練習をここで改めて振り返ってみようと思います。

11月は主にVO2Maxを中心に刺激を入れた月になりました

11月の一月だけをみても意味がないので、この一つ前の月を見ると、10月は毎週LT域に刺激を入れることを意識した月になっています。

10月は3回LT練を入れ、9月最終週と11月第1週を含めると、だいたい1か月半以上にわたってLT域に刺激を入れ続けてきたことになります

こうしてみると、ダニエルズさんが提唱している「6週間は同じ練習を繰り返したい」という目標が概ね達成できていたことになり、自分自身もこのような期間を常々作り出したいと思っていたところでした。

それを成すために今年意識したのが、例年であればトレイルレースの多くなる9〜11月にそれらを入れず、また山練も最低限に控えたことが挙げられます。

11月はびわ湖バレイに出場したものの、その前後はVO2Maxに刺激を入れていて、びわ湖のバーティカルも事実上VO2Max負荷だったことを考えると、これにしても3週間は継続したことになります。

結果、故障明けの10月以降は6週以上のLT負荷と、3週程度のVO2Max負荷が継続され、今回のレースのタイミングが、体がやや強い負荷に順応してきた時期であったと想像されました。

引っ張られたペースが想定以上に速かったため、終始呼吸のキツさは気になりましたが、脚が最後まで動いたということは、練習のボリューム的にもどうにか最低限確保できていたことが予想されます。

故障した9月は除いて、今年は春以降安定して月350km程度を維持できたことで、ある程度の練習に耐えられる脚ができてきた印象です

こうして振り返ると、今年は4月以降スカイランニング世界選手権のためにある程度の距離を確保し、その時期に距離への適応が進み、一旦故障で休養を余儀無くされたものの、それが疲労をリセットする機会となり、高強度練習を継続できる状態になってきたと思われます。

先日のびわ湖バレイスカイレースもそうでしたが、トレイルレースの体にかかる負荷は想像以上で、例年、継続してきた練習が途絶えさせられる傾向が続いていました。

その結果、本来高めたかったロード&トラックの走力が思うように身に付かず、レースで思うような結果が出ない日々が続いていました。

今回意図的にトレイル系のレースや練習を控えることで、じっくりと純粋な持久的走力を高める練習に向き合うことができ(気持ちという意味ではなく、体力的に)、徐々に体が出来上がっていく実感を持つことができました。

ある程度満遍なく負荷をかけられた11月

今日のレースの様子を振り返ると、だいたい自身の上限に近い実力が出ていたと思われ、今後この強度域の練習を続けてもこの部分の走力を高めるには若干コスパが悪そうに思います。(本当はもう一度3分一桁で1000mのインターバルが継続できる体を作りたいのですが、おそらく故障するでしょう)

12月は、あとバーティカルが1回と5kmの駅伝が1回あるため、VO2Max刺激期間もちょうどそこまでとなると思います。

そうすると、このあたりの能力は一旦ここで開発し終え、少し休養を入れたあと、年明けからはいよいよマラソン向けの練習を入れていこうと考えています。

今年は3月の板橋一発勝負なので、1月、2月の二月間でロング走を中心に脚を作っていこうと思っています。

その間に挟まれる10km程度の駅伝は、LTやVO2Maxを最低限維持するための機会として走り、「最大強度」をかけられる体の機能を維持できればと思います。

今日は久しぶりにロードレースの楽しさを味わえるレース展開となり、もう一度ロードでも再起を図りたいと思えるきっかけとなったことは間違いありません。

10月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

かなり遅れましたが、10月の振り返りをしたいと思います。

9月は故障でほとんど走れず、そこからの回復期がこの10月となりましたが、振り返ると結果的にかなり充実したトレーニング内容となりました。

もともと、9月の故障はそれほど重症ではなかったため、痛みはなかなか引かなかったものの、練習自体に影響することはあまりなく、休養期間も最低限で済んだことも大きかったと思います。

それよりも、世界選手権に向けたトレーニングと、その大会当日、そしてその後のトレイルレースでの疲労があまりにも大きく、9月にまとまって休めたのは結果的に良かったと思っています。

10月はジョグを中心に練習のボリュームを増やし、その中で週1の頻度で閾値レベルのトレーニングを軽めに入れていく、というプランでした。

定期的に閾値トレーニングを入れボリュームも確保できた10月でした

はじめは10km程度のジョグをしてもなかなか調子が戻らずにいましたが、徐々に距離を伸ばし、週末に無理のない程度の閾値走を取り入れていくうちに、終盤はジョグ自体が楽に感じるようになり、軽い努力度でも勝手に脚が進んでいく感覚が得られるようになりました。

今回は、1週間トレーニングを続けた後も、すぐに距離を延ばすのではなく、次の週もほんの少し距離を延ばして同等の負荷をもう一週維持する、という段階を踏みました。

例えば、20kmを走る日が週に1日だとすれば、次の週ももう一度20kmを走る日は1日に留め、同じサイクルをしっかり維持できてから次のステップに進むことを意識しました。

そうしているうちに、距離を踏んでも脚への衝撃があまり伝わらなくなっただけでなく、やや負荷の高い練習からのリカバリーもかなり早くなっていきました。

昨日の閾値トレーニングも、早朝に行って疲労感はかなりのものがありましたが、仕事を終えて夜帰宅する頃にはほとんど回復していた、というのを実感できるほどになりました。

月当たりのボリュームにしても約1年ぶりに月間390kmに乗せることができ、負荷に対する耐性もかなり仕上がってきた印象です。

月間390kmを超えたのは1年以上ぶり

とりあえず走力を戻したい時や、目指すレースがない時など、ひとまず強度の高い練習に備えたいという時には、おおよそ閾値レベルの練習を取り入れ、体を強い負荷に慣らしていくという手順を選択します。

これは全く根拠はないのですが、この進め方が、例えばその後駅伝などのかなり高い強度のレースが控えている時はVO2Maxトレーニングにスムーズに移行できますし、マラソンのような強度は中程度で負荷の高いトレーニングにも割と対応できる体が作られる実感を持てているのですね。

また、11月と12月には最後のスカイランニングが待っているのですが、閾値ペースの練習さえしておけば最低限山にも対応できた経験があります。

欲を言えばVO2 Maxに刺激を入れておきたいところですが、そこは無理して故障しては元も子もないので、ここは最低限で留めておくだけでも十分かと思っています。

ただ、当然それはまとまった期間の最低限のボリュームは確保したということが前提です。

この辺りの目安としては、だいたい月間350km程度、週あたりでは最低でも80kmくらいかなと思っています。理想は400kmです。

迷ったらLT、というのが基礎作りのパターンですね

さて、昨日の閾値走が10月から4回目で、一週トレイルで飛ばしましたが、5週間ほどLTあたりに刺激を入れ続けたことになります。

このペースだけではそろそろ頭打ちなので、次週はVO2Maxレベルの練習を取り入れ、18日からのびわ湖バレイスカイランに備えようと思います。

12月はロードレースと駅伝、1日だけバーティカルがありますが、レース三昧となります。

ここは高強度が続くため最も心配なのが故障ですが、ここを乗り越えると一旦体が最高強度の刺激に体が慣れると思われるため、少し休んだ後は1月からいよいよマラソンに向けたトレーニングを入れていく予定です。

そういう意味では、今の時点で月間400km付近に乗せられたのは、今後の故障のリスクを少なからず軽減できるかなと思っています。

9月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

さて、9月は何もしないままあっという間にひと月が過ぎてしまいました。

世界選手権後もレースが続いていたせいか、8月はずっと体がだるいまま、脚も重いまま、レースでも終盤バテ気味の1ヶ月を送っていました。

そんな疲労症状にトドメを刺されたのが、9月2日のMKディスタンス5000m。

この日はレース時の気温が35度と、とても長距離レースに出れるような気候ではなかったのですが、スタート後も明らかに気温だけではないしんどさが脚に残っていて、わずか2000mで途中棄権となるほどの調子の悪さでした。

また、7月上旬に傷めていた左足踵(アキレス腱付着部)についても、ずっと誤魔化しながら練習を続けてきてしまっていたため、この疲労をとることと合わせて、少し長めに休養を取らなければと思っていたところでした。

そうしたことから、しばらくレースのない9月は、タイミング的に休養を入れるにはちょうどよく、MKディスタンスの翌日から1、2週間を目安に休みを入れることにしたのですね。

結果的に2週間の長期休養となった9月

思いのほか踵の痛みが強かったため、結果的に2週間の長期休養となりました。

痛いながらもだましまだし走ってきたことで、思ったよりも深くダメージを負ってしまっていたようです。

2週間の休養後に再開しても、走行中の違和感は若干残っていたので、その後2週間は軽いジョグで戻す必要がありました。

9月が終わる時点で、トレイルが走れるまでには戻ってきたので、来週あたりからLTペースくらいの練習は入れてみようと思います。

約一月ぶりのトレイルは奥多摩三山の一つ、三頭山へ

また、明日予定されていた高島平ハーフは当然ながらDNS。

まずはLTペースで走れるように戻して、11月のびわ湖バレイに間に合わせたいところです。

レースのVO2 Maxペースはもう一月も前なのであまりあてになりません

昨日のトレイルは、14km累積標高1000mと、以前なら大した負荷にはならないのですが、昨日は久しぶりに山の負荷をかけたせいか、翌日の今日はかなりの疲労感を感じました。

10月は走行距離も延ばしながら、もう一度体力を戻さないと山のレースにも全く対応できないと感じました。

約1年ぶりに月間100kmまで走行距離が落ちました

完全休養は2週間と言っても、その後のジョグも軽めのジョグであるため、実際は3週間以上まともな負荷をかけていないため、体が強い負荷に耐えられるようになるには、一月程度は距離を重ねていく必要があります。

なので、故障で2週間休むと、実際には2週間分の休養期間で済むわけではないのですね。

足首から下の故障は戻し方を間違えると思いのほか長引くので、10月も引き続き慎重に練習を進めていこうと思います。

8月振り返りとMKディスタンス

こんにちは、ランマニアです。

今日は3年ぶりのトラック5000mを走ってきまして、本来であれば現在の全開で走れる走力をある程度計りたかったのですが、残念ながら2000mまでしか持たず、人生初のトラック5000mDNFとなってしまいました。

気温35℃の最悪コンディションであったこともありますが、強度を上げた時に脚の深いところに疲労が残っている感覚がする独特のだるさがあり、すぐに脚が止まってしまいました。

入りの1000mは3分15秒のペースメーカーについていったところ、今の自分にはちょっと速すぎる3分12秒になってしまい、ここで一気に脚にきてしまった印象です。

とはいえ、呼吸がそれほど苦しかった訳ではなく、いわゆるオーバーペースで酸素負債が一気に増加して脚が止まったのとはちょっと違う感覚で、とにかく脚が鉛のように重くなってしまった状態でした。

暑さで気持ちも切れてしまい、もうほとんどジョグのようなリズムになってしまい、これ以上走る意義を見出せず、2000mで競技を終了しました。

終えた後もなんだか脚がものすごくだるく、ぐったりしてしまったので、体の芯から疲れが出てしまったような感覚です。

さすがにこの状態では、暑さを克服して走るのは無理でしたね。

そもそもこの時期に5000mを入れていたこと自体無理もあり、嬬恋の時点で世界選手権の疲労がある状態で、その翌週にもバーティカルで出し切ってしまい、事実上そこまでで脚は終わっていたように思います。

今日もウィンドスプリントの時点で長続きしない感覚があり、なんか疲れてるなぁと自覚していたのも事実です。

エントリーした時点では、もう少し疲労はない状態だと想像していたんですけどね。

思ったよりもトレイルの疲れは大きかったです。

さて、世界選手権が終わった翌月の8月でしたが、予定通り走行距離のボリュームは一気に落ちました。

5ヶ月ぶりに300kmも割り込み、レストの日数もかなり多くなりました。

もちろんこれは想定内で、世界選手権の後に長期の休みを入れ、さらにはレース続きであったことからレース前後の走行距離が減ったためです。

それでも、詳しく31日間の練習を振り返ると、そこそこ強度の高い練習が頻回に入れており、こういう疲れは結構尾を引くだろうなと言う印象です。

先週のバーティカルのあと、いつもよりもかなりぐったりした疲労が出たのでちょっとおかしいなとは思っていました。

通常、バーティカルのレースはそれほど体に堪えることはなく、翌日まで尾を引くような疲労は残らないのですが、先週は珍しく翌日走りたくない感じがしました。

ああした状態から、疲労の度合いを推し量っておくべきでした。

疲労が積み上がると、疲れていない時では現れない疲労の上書きが起きてしまうのですね。

一月単位で見ると、走行距離も減り、脚のだるさも抜けてきていたのですが、あくまでバネのような表面的な力が回復していただけで、神経系の疲労に代表される、運動を長く続けられないような疲労はなかなか抜けていなかったようでした。

8月までに、VO2Maxまで刺激を入れてこられたおかげで、今日の5000mでも、思いの外3分12秒ペースに余裕がありました。

脚の疲れがなければ、呼吸の苦しさはそれほどでもなかっただけに、有酸素系から解糖系までが平均してワンランクほど上がってきた実感はありました。

実際、先週のバーティカルで手応えを感じられていたわけで、一旦深い疲労を取り除く必要があるなと思います。

次のレースは、10月1週目の高島平ハーフです。

来週はゆっくりジョグだけをして体を整えて、9月はじっくりトレーニングに集中したいと思います。

8月のトレイルレースは、もう少し楽にこなせると思ったのですが、やはり甘くはなかったですね。

明暗を分けた嬬恋と竜王

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週までは2週連続のトレイルレース(厳密にはスカイランニング)に出場してきましたが、先々週は登りと下りのあるスカイレースで、翌週は登りだけのバーティカルでした。

初めのスカイレースは、嬬恋スカイランのスカイリッジ40km ±2700mに対し、バーティカルは竜王の4.5km +1000mと、全く違うカテゴリーと距離特性の種目でした。

そしてその結果も、スカイが最後はDNFに近い酷いレース展開であった一方、バーティカルはかなり手応えを感じる過去最高順位と、はっきりと明暗が別れたのですね。

嬬恋スカイランの、スカイリッジ。登りと下りのを繰り返すのがスカイレースの特徴です

JSAのスカイランニングジャパンシリーズを転戦している人や、世界選手権を一緒に走ったランナーからすると、なぜこれほどまでにスカイとバーティカルで成績が大きく変わるのか、理解に苦しむだろうな、と思います。

世界選手権では日本チームでは完走した中で最下位でしたし、嬬恋にしても先日のバーティカルの順位から比べると、あまりにも結果が悪すぎます。

しかし、当の本人はというと、この結果には全く疑問を感じておらず、むしろ当然こうなるであろうなと、完全に想定内の成績なのですね。

ジャパンチームでも最下位だった世界選手権

古くからこのブログを読んでいる方や、Xのフォロワーさんならご存知だと思いますが、ランマニアは学生時代の慢性疲労症状が完治しておらず、練習やレースにおいてかなりの影響を受けている状態です。

特に、距離や走行時間が伸びれば伸びるほどその影響は顕著になり、本来の各種有酸素能力や持久的能力からすると、あまりにも走れなさすぎることで、よく周囲から疑問を持たれます。

一番目立つ成績は、ハーフマラソンがそのタイムなのに、なぜマラソンはその程度なの?ということですね。

同じ理屈で、スカイレースでも同様な状態が起こります。

バーティカルではしばしば一桁順位に食い込む一方で、距離の長いスカイレースになると一気に順位を落とす、ということも。

5月に40kmのトレイルレースで棄権をしたのもこれが原因ですね。

なので、世界選手権の55kmなどは、大袈裟でなく、完走はほぼほぼ無理だと思っていたため、自分にとっては限りなく奇跡に近い結果でした。

繰り返しますが、とにかくこの影響は、走行時間や距離が伸びれば伸びるほど顕著になります。

バーティカルが得意なのは、登りが強いのではなく、単純に時間が短いからなのです。スカイが苦手なのは、下りが苦手なのではなく、時間が長いからで。

距離が30kmを超えるようなスカイレースでは、疲労症状がてきめんに現れます

このことについては、初期の頃のブログに詳細に書いてあります。興味のある方は参考にしてください。

この2つの記事では「神経系(脳)」の疲労について仮説を立てています

このような、筋を長時間にわたって何度も収縮させる運動を続けると、当然筋肉は疲労します。また、筋収縮のためのエネルギーが徐々に減っていき、最後は枯渇します。

通常、特に健康上問題のないランナーであれば、走りのパフォーマンスの低下は、これらによって引き起こされます。

筋の物理的ダメージかエネルギーの枯渇、また筋繊維の酸化によってももしかしたら走運動が困難になるかもしれません。

ところが、何らかの要因で、筋を収縮させるための電気刺激を発生させる神経系、そのスタート地点は脳にありますが、そこがダメージを受けていると、筋などの抹消組織よりも先に神経系が機能不全を起こすことが、ある程度わかってきました。

これについては、先日Xで 竹井尚哉さんがかなり詳しく解説してくれていました。

ランマニアが学生時代に患ったのは、おそらくオーバートレーニングによるこれであると思われ、以降、長距離種目に対してかなりのハンデを追うことになったのですね。

しかし、竹井さんも言及している通り、この疲労は短距離走ではあまり発現しないとのこと。

これで、今回のランマニアのスカイランニングでの結果にもある程度説明がつきます。

短時間で、しかも比較的速筋繊維が動員されやすいバーティカルにおいてはそこそこの結果が残せ、ほぼ遅筋繊維と有酸素能力を使い続けるスカイレースでは終盤の疲労症状が猛烈に悪化するという現象についてです。

4月からそこそこの距離を走り込み、トレイルの距離も伸びてきたことから、ある程度の有酸素能力や山耐性はできてきたはずです.

なので、世界選手権で55kmを走った後でもそれほど脚のダメージ、肉体的なダメージは残っておらず、練習の効果は実感できました.

それでも、神経系の疲労にはどうしても勝てずに、レース終盤は走ることもできないほどの疲労感に襲われていました.

筋のダメージやエネルギーの枯渇ではなく、神経系が機能しなくなってしまった状態.ここが改善しない限りは、距離の長いスカイレースで満足いく結果を残すのはなかなか難しいだろうなと感じています.

なお、このような神経系の疲労は、努力度とも密接に関係していると考えていて(努力度≒神経系の電気信号の強さ、と考えています)、長い時間を走るには、できるだけ努力度を抑えてペースを維持することが重要であるとも思っています.

筋の出力を上げるには電気出力を上げる必要があり、それこそが「努力度」ではないかと仮説を立てました

一方、ジョグを通して長い距離を走り、心・血管系、呼吸器系、さらにはミトコンドリアなどを適応させていけば、同じペースで走るにも努力度を抑えることができることは変わりありません.

なので、神経系の機能不全があったとしても、長距離能力を高めることは、速く走る為のアプローチとしても変わりはなく、実際、過去そのアプローチでマラソンで2時間40分を切るところまでは到達することができたのですね.

そして、逆に短期決戦で終わるバーティカルなら、まだまだ上位と張り合える力は発揮できることがわかり、現在の状態でも十分競技を楽しめることはできそうだなと感じます.

今年、世界選手権とその後の比較的疲れていた状態で走った嬬恋のレースでは、正直、この体の状態でこの競技を続けるのはかなり厳しいのではないかと思ったのは事実です.

あまりのしんどさに「引退」の二文字もよぎった今年の嬬恋

とはいえ、やれないこともない、というのも事実であり、つまるところ「やるか」「やらないか」なのですね。

今シーズンのスカイレースは、残すところあと1試合(びわ湖バレイ)。

若干走時間が短いとはいえ、かなりの難コース。それまでのトレーニングでどこまで対応できるかを試してみたいと思っています。

なお、明後日は久々のトラック5000mへ出場します。

「短期決戦」ですし、主な強度はVO2 Maxレベルなので、現在の持久的能力のベンチマークとして参考にしたいと思います。

竜王スカイランに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

レースが続き、なかなかブログが書けませんでしたが、とりあえず記憶に新しい一昨日のバーティカルについてまとめます。

今年度の日本スカイランニング協会(JSA)による年間シリーズは、スカイ部門のジャパンシリーズと、バーティカル部門のVGames Japanの二つのカテゴリーに別れました。

スカイ部門の方は、また別の項で取り上げるとして、今回はバーティカル部門であるVGamesについて簡単に説明します。

例年通り、このVamesも年間シリーズに参戦して、その順位に基づいてポイントが加算されるシリーズ戦となっています。

今年度からは総合成績に加え、年代別ごとの「マスターズ部門」が設定され、ランマニアはその中のOver48(48歳から55歳まで)のカテゴリーに属しています。

総合成績は、年間数試合あるVGames対象レースの中の上位4戦の合計ポイントを競いますが、マスターズ部門はそのうちのJSA登録選手しか出場できない「ゴールド」レース3試合と最終戦の4戦のうち上位3戦の合計ポイントで競うことになります。(詳しくはJSAのHPを参照)

今年度からバーティカル部門が別れV GAMES JAPANとして新たにスタート

つまり、最低4戦を走ればどちらの部門も年間ランキングに反映されるため、効率を考えて両部門に共通するゴールドレース3戦と、最終戦を走る計画を立てたのですね。

しかも、ゴールドレースはポイントが1.5倍。最終戦(グランドファイナル)は2倍となるため、この4戦に出場しない手はないわけです。

今年はすでにゴールドレースの上田バーティカルが5月に行われており、そこでランマニアはオーバーペースで失敗し、Over48では2位に入ったものの、総合では25位に沈みました。

調子は良かったもののペース配分を豪快に失敗して25位に沈む

ポイントとしては、総合で18ポイント、マスターズでは132ポイントを獲得しています。

まあ、総合は日本のバーティカル界のエリート相手に戦わなければならないため、ここで上位に食い込むのは相当なレベルに到達しなければならないのですけどね。

とはいえ、マスターズ部門では暫定2位ですから、ここはなんとか最終戦までこの順位以上を維持したいところです。

そんな状況で迎えたのが、今回のゴールドレース、竜王スカイランのバーティカルでした。

ゴールドレースでは第2戦となる竜王スカイラン

前回上田では、調子は最高に良かったものの、それが裏目に出てあまりにもひどいオーバーペースに陥ってしまい、まるでトラックの5000mで1500mのレースペースで突っ込んでしまった時のような足の止まり方をやってのけてしまいました。

酸素の負債が全く解消されないまま急登を登らなければならなくなり、脚の力は残しているのに、全く体が動かなくなってしまったのですね。

そんな苦い経験があったため、今回の竜王では、とにかく序盤は余裕を持って走る、というのをテーマに走りました。

具体的には、10000mを走るときのような「呼吸はかなり上がるものの、これなら40分くらいは脚をしっかり動かし続けられるようなキツさ」を意識しました。

トータル4.5km中、ちょうど半分の2.3kmはゲレンデのやや緩やかな登りです。

ここはしっかり脚を動かして走れますので、呼吸の上がり方と脚のしんどさに注意を払い、慎重になりすぎず、かといってそれなりに力を込めてグイグイと坂を登っていきました。

序盤のゲレンデを上から見た図。はるか下に見えるスタート地点から駆け上がります。

調子が良かったのと、7月にVO2Maxにしっかり刺激を入れていたせいか、久しぶりに登りを力強く走ることができ、中間点の時点で順位も4、5番に着ける快調な走りを見せることができました。

出場選手の層がかなり薄かったのは否めませんが、それでもジャパンシリーズで一桁順位を維持するのは滅多にない機会なので、自ずとテンションも上がりました。

しかし、この快調な走りも、斜度36度の壁のような急傾斜コースに入った途端に一変します。

最後の急登。この傾斜36度の激坂が後半2km続きます。

初めこそ一歩一歩力強く脚を動かすことができていましたが、それも1kmほど過ぎたところで完全に動きが鈍り、後ろから追ってきたマスターズ最強の今井さんにあっという間に抜かれてしまいます。

その後もペースは落ち続け、最後は完全に山力に勝るもう一人のランナーにも、登頂直前で抜かれてしまいました。

一時は4位にまで順位を上げていましたが、最後は山練習の差が露呈した感じです。

結局6位でフィニッシュ。ジャパンシリーズの総合順位としては最高順位でした。

最終順位は6位。強豪が出場していなかったとはいえ、ジャパンシリーズでこの順位に入れる日が来るとは、ちょっと信じられない気持ちでした。

自分より前にいる選手は皆、この世界では超有名エリートばかりですから、おそらくリザルトを見た人は「この6位の人誰?」状態だったと思います。

フィニッシュ地点のゴンドラの山頂駅付近はちょっとした公園になっていました。

フィニッシュ地点は、びわ湖バレイのようなちょっとした公園になっていて、おしゃれなカフェも併設されていました。

バーティカルの最高なところは、こうやってフィニッシュ後に観光できたり、ゴンドラで景色を眺めたりできる余裕があるところですね。

雷が鳴っていたので足早に下山してしまいましたが、本来ならばもう少しこの天空のリゾートを満喫したかったところです。

絶景が見下ろせる展望カフェで。

最終結果は、48分47秒で総合6位。Over48で2位。

昨年出場した選手の記録が、暑さで昨年比約1分遅れの様子だったので、昨年であれば47分台。

そうすると昨年の順位では10番台となるため、まあ妥当なところでしょうか。

急登を登る脚が全くできていないことを考えると、現状、今出せる力は出し切れたように思います。

バーティカルで総合の表彰式に出れるのは貴重な体験です。

さて、今回のレースでは総合で6位となり、ポイントはおそらく96点が加算されます。

マスターズでは再び2位(というか1位は常に今井さんなので、最終戦まで下手したら2位以下でしょう)ということで、132点が加算されます。

ゴールドレースは残すところ11月のびわ湖バレイスカイランのみ。

流石に次回も一桁順位というのはなかなか難しいと思いますが、今回ひとまずバーティカルでの走り方のコツを掴めた印象なので、次回までにもう一度走力の地力を高めて、苦手な急登での差を相殺できるようにしたいと思います。

9月10月はトラックとロードに1試合ずつ出場し、長距離ランナーとしての地力を引き上げたいと思います。