長距離ランナーとしての地力の引き上げを目指して

こんにちは、ランマニアです。

世界選手権から2週間が経ち、そろそろあのレースやイタリアでの生活の記憶も次第に薄れてきた頃です。

帰国後しばらくは時差が戻らず、毎日眠くて仕方がない日々が続きましたが、先週あたりからようやく生活のリズムも戻ってきて、練習にも影響がでない状態になってきた印象です。

そんな昨日は、久しぶりにVO2 Maxに刺激を入れる1kmのインターバルを行いました。

先月のテーマはこのVO2Maxの向上(というか、少しでも元に戻す、といった程度ですが)で、本数は少ないですが、3週連続で1kmのインターバルを取り入れ、徐々に3分15秒前後のペースに余裕が出てきた状態でした。

世界選手権で2週ほど空いてしまい、昨日はそれ以来のインターバル走でした。

脚の疲労はそれほどなかったため、アップの段階で3本はやりたいな、と思っていました。

これまでは山練習の合間にインターバルを入れてきたため、どうしても疲労が残った状態で、3本目は難しい状態でした。

昨日は休養は十分だったため、久しぶりに3本できそうな脚の状態だったというわけです。

結果、3本とも3分16秒前後で走ることができ、体感的にもこの辺りが現状のVO2Maxなのかなと実感したところです。

正直、随分落ちたな、といった感じです。

2016年〜2017年にかけて、40代で最も速く走れていた時期があったのですが、この頃は1500mが4分15秒、5000mが15分50秒、ハーフが1時間12分台、マラソンが2時間39分台と、今にして思うと最強時代でした。

この頃の1kmのインターバルは、調子がいいと3分02秒、3分00秒、2分59秒と、今とは比べ物にならないほどのスピードでこなしていました。VO2Maxよりも若干速いペースでしたね。

体に最高強度の負荷をかけて、呼吸器系、循環器系を維持しようという意図があったように思います。

ところが、この後故障をして数ヶ月ジョグしかできない時期が続き、結果的に復帰はしたものの、次の時には同じスピードで1kmを走れなくなっていました。

どんなに頑張っても1kmで3分5秒が切れない。インターバルだと3分10秒くらいかかってしまうようになりました。

そこからさらに3年ほど経過したのが、現在。

インターバルでは3分15秒がやっと。自分の中では、この1kmのインターバルが持久的能力のベンチマークとなっているのですが、確実に衰えていくのを実感することとなりました。

確かに、練習の中心がジョグですし、定期的にVO2Maxの練習は入れてはいません。解糖系の練習なんてほぼ皆無です。

なので、衰えていくのは当然なのですが、実は7年前の最速だった頃も、特にそうした練習は入れてませんでした。

今と同じような練習でしたが、もともとの地力のようなものであれくらいの能力は維持できていたように思います。

昨日のインターバルも、7月に再開してからもう4回目となるのですが、タイムはほとんど変わらず。

以前も久しぶりに取り入れた際は、確かに若干衰えたな、と感じても、1、2回走ればすぐに元に戻っていました。3分10秒くらいは頑張れば出せていたのですね。

それが、昨日は3分10秒など到底出せそうにないほど、しんどく感じてしまいました。

確実に能力的な衰えを実感する状態でした。

X(旧Twitter)のプロフィール欄にあるように、自身の目標は、トラックやロード、スカイランニングなど、場所や距離を選ばず長距離種目をできるだけ速く走ることです。

7年前はそれがいい形でバランスよく実現できていて、あの状態が理想であると言えます。

とはいえ、故障もせず、体調も落とさず、1年間ずっといい状態で走り続けるのはなかなか難しいと思っているので、今はひとまず故障だけは避けながら、年間通してそこそこの調子を維持したいと考えています。

その中で、トラックやロード、スカイランニングにおいて、そこそこのパフォーマンスを発揮していければと思います。

そのためには、やはり長距離ランナーとしての地力を高め、それを維持することが重要と考えています。

具体的には、長く走る力、速く走る力、これを少しでも高めることですね。

長く走る力は、ここ数ヶ月である程度戻せてきたように思います。しかし、速く走る力は、もうここ何年かトレーニングとして取り入れてきていませんでしたので、意図的に実施しなければならないと思っています。

もう年齢も年齢なので、どこまでスピードを戻せるかわかりませんが、マスターズ最強の利根川さんが、あそこまでスピードを戻せているのを見ると、トレーニング次第でまだまだやれそうな気はしています。

また、ここからどこまで長距離ランナーとしての能力を戻していけるか、挑戦すること自体が楽しみなわけですね。

いずれにしても、故障をしてしまうと全てが振り出しに戻ってしまうので、そこだけには細心の注意を払いながら、再び次の目標に向けてステップを踏んでいこうと思います。

スカイランニング マスターズ世界選手権

こんにちは、ランマニアです。

3月に出走を決めた、スカイランニングマスターズ世界選手権。

マスターズの世界選手権は今年が第1回大会ということで、日本のみならず世界各地のベテランスカイランナーたちから大きな期待を持って迎えられました。

第1回大会は、イタリアはピエモンテ州にあるグランパラディーゾ国立公園内に設定されたコースを走る「Royal Ultra Sky Marathon」がその舞台となりました。

このRoyal Ultra Sky Marathonは、もともとこの地で2年おきに開催されてきた地元では有名レースで、前回大会はコロナ禍で中止となったものの、その前の大会はワールドシリーズにも設定されていたほどの本格的な上級者向けレースです。

この時は日本の上田瑠偉選手が3位に入る快挙を果たしました。

そんな、言ってみれば「国際基準」のレースであるため、コースもそれ相応の難易度となっており、距離は55km、累積標高差は+が4140m、−が4500mと、スカイレースとしては屈指のボリュームとなっています。

スカイランニングのカテゴリーとしては「SKY ULTRA」に位置し、スカイランニングとしては最も長い距離を走るカテゴリーとなります。

国内レースでは、過去には志賀高原エクストリームトレイルにこのULTRA部門が設定されたこともありましたが、1年を通して1度あるかないかの希少なカテゴリーとなっています。

ランマニアも、スカイレースではULTRA種目には出場したことがなく、最長でも40kmのSKY部門までです。

したがって、今回このレースに出場するにあたっては、相当な覚悟を決めてエントリーしたということになります。

正直なところ、エントリーした時点では、完走はほぼ難しいだろうなと思っていたほどです。何せ、これまで累積4000m越えは経験したことがなく、最長のトレイルレースでも52kmが精一杯なところでした。

本コースのプロフィール。大会公式ブリーフィング資料より引用。

このコースプロフィールを何度も見返し、4月の時点では、正直完走するだけでも相当な準備が必要になるだろうなと想像していました。

結果的に、そのために想定していた準備はどうにか完遂することができましたが、自分の中ではこのコースを走り切るにはまだまだ不十分であったと実感しています。

4ヶ月間、テーマを決めて計画的にトレーニングを行ってきましたが、ある程度は目標を達成できたと思っています。とはいえ、このレースを走るために必要十分であったかというと、そこは疑問が残ります。

さて、現地入りしたのち、前日は開会式がありました。各国の代表メンバーが国別に紹介され、いわゆる「お立ち台」でプレゼンテーションされます。

会場に集まったナショナルチームの様子を見ていると、これがまぎれもなく国際大会、しかも世界選手権の舞台なのだと強く実感しました。

各国の代表には地元の住民や居合わせたチームのメンバーから惜しみない声援が送られ、小さな村のこれまた小さな広場が一瞬で国際レースのメイン会場となってしまいました。

会場までの「足」がなかった我々を見つけて、急遽「乗っていけよ!」と声をかけてくれたセルビア・モンテネグロチーム。本大会では、多くの海外チームとの交流がありました。

特に日本選手団にはより多くの声援が送られ、遥か遠くアジアの小国からやってきた我々が、ヨーロッパ発祥の競技の中にあっていかに特異な存在であるかを知るに至りました。

もちろん、この声援の影には、前々回大会で3位に入った上田瑠偉選手や8位に入った高村貴子選手の存在があったことはいうまでもありません。

大声援に応える日本選手団。イタリア人親子から記念写真をせがまれる場面も。

そして、いよいよレース当日。

スタート地点へはシャトルバスで山道を1時間かけて移動しました。なんといってもスタート地点の標高は1800mもあります。車でもそう簡単に辿り着ける場所ではありません。

スタート地点へ立つと、動画で何度も見たこの地に、本当に自らの足で立ち、自分がこのレースの参加者となっていることがすぐには信じられない感覚に陥りました。

それほどまでに現実離れした光景、圧倒的なスケール感で迫ってくる山々の迫力に現実感が薄れていったのですね。

スタート地点は標高1800mにあるテレッチョ湖の堤防。

スタートして1kmほど走ると、登りはすぐに始まります。

今回は、とにかく完走を第一目標としたために、絶対にオーバーペースにならないようにとスタート位置をかなり後ろに構え、周囲のランナーに合わせて抑えめのペースで走ることにしました。

ところが、いきなり最初に用意されている累積1000mの登り区間は、思った以上に狭いシングルトラックで、ここで渋滞によってだいぶタイムロスをしてしまいました。

初っ端から渋滞に巻き込まれ、第一関門である累積1000m地点の通過タイムが気になり始めます。

とはいえ、まだまだ元気な状態では調子に乗ってオーバーペースに陥りやすいため、結果的にこれくらいのゆったりとしたペースで登り続けられて脚は温存できたのかもしれません。

最初のチェックポイントは約5km、累積1000mの地点にある岩だらけの峠です。

ここは、大きな岩が幾つも折り重なり、かろうじて人が数名そこを通れるようになっている場所であるため、選手のチェックと給水とでここでも渋滞が生じていました。

第一関門の制限時間は2時間15分。ここの通過は約1時間45分。渋滞にハマったので結構ギリギリでした。

レースプランでは、この始めの1000m登りでいかに脚を温存し、余裕を持って次のセクションに移れるかが鍵だと思っていました。

今回想定外の渋滞にハマりましたが、そのおかげで脚は十分温存でき、トータル4000m以上の累積標高のうち、初めの1000mをほぼ脚を使わずに登り切ることができたのでした。

さて、ここから先は下り基調で一旦また標高を下げます。ちょうど太陽の当たらない尾根の反対側に移ったせいか、気温も急激に下がり、持っていたアームウォーマーが再び必要になるほどの気温差でした。

おそらく一日中陽が当たらない場所であるためか、急斜面に雪渓が残りロープを使いながら滑り台のように滑り降りる場面もありました。

序盤の区間には雪渓が多く、前回大会では簡易アイゼンの装着が義務付けられていたほど。

ただ、本来はもう少し残雪が多く、この部分を一気に滑り降りられるため、むしろ雪がある方がフィニッシュタイムが良くなる傾向があるとのこと。(これは登り区間にも言えることです)

今回、この残雪が少ないことから、逆に序盤の関門が若干ゆるく設定されていました。

最後まで走って分かったのは、序盤のこの岩場区間が、結果的にこのコースで最もテクニカルな部分だったということ。各関門間のペースも、この序盤の岩場区間が最も遅くなっていました。

とはいえ、走りにくい(歩きにくい)区間はここまでで、この先はいよいよ文字通り「スカイランニング」と呼ぶに相応しい、天空の楽園(パラディーゾ)を舞台にしたセッションが待ち受けていました。

岩場区間を越えると、一気に視界は開け、大草原のコースが舞台となります。

この先に待ち受けているのは、本コースの最高地点である標高3000m超の峠までの登り区間。

先述した標高図を確認すると、ここを越えてもまだ距離も累積標高も半分にも満たないため、ここをクリアしてもまだまだ脚を取っておかなければなりません。

そのため、この気持ちの良い走れる区間でも極力ペースは抑えて、登りも下りもじっくりと歩を進めていく必要がありました。

自分でも、こんなにゆっくりでいいのか、と疑いたくなるほどの余裕があるペースでした。

距離が短ければ当然ぶっ飛ばすはずの快適なトレイル。ひたすらペースを抑えて我慢です。

ちなみに、この区間に少し大きめのエイドがあるのですが、心配されていたエイドの中身はそこそこ充実していました。

飲み物は、水、炭酸水、コーラ、スポドリ(まずい)。食べ物は、パイ、ウェハース、チョコ、角砂糖、柑橘系フルーツなど。

水はその場で湧き水を汲んできたものなので当然美味しいわけですし、ウェハースだけは口に合うお菓子だったのでこればかり食べていました。

なので、1L未満の水とカロリーメイトと羊羹だけしか持たずに走っても、最後まで補給についてはノープロブレムでした。

一際目立つスタッフさんの青とオレンジのTシャツ。トレードカラーのTシャツが見えるとそこがエイドだとわかる仕組みになっています。

このエイドを過ぎ、しばらく走ったところに第2関門があり、そこも約30分の猶予を残して通過。

そこからいよいよ標高3000mへ向けて一気に登りが始まります。

遥か彼方に見える窪みがコース最高地点。進めば進むほど酸素が薄くなり同じメースを維持するのがキツくなります。

このセクションは、初めは草原の中の気持ちの良い場所を比較的長めの九十九折りを繰り返しながら進み、後半は岩と砂礫だらけのやや急な登り坂をダラダラと進んでいきます。

みるみるうちに標高が上がっていくため、気がつくと呼吸がキツくなっています。それと同時に温存してきたはずの脚も次第にだるくなってきます。

まだ残り30km。累積は2000m以上残っています。

まだこの時点でも本当に完走できるか疑心暗鬼でした。

遠くに見えていたこの「コル(窪み・峠)」もいよいよ目前に。急傾斜と砂礫が体力を奪います。

実は、この登りの最中に同じジャパンチームのメンバーに追いつき、ここから二人で抜きつ抜かれつで一緒にレースを進めることになります。

お互い、下りと登りの得手不得手があり、結果必ずエイドごとに一緒になり、そこで励まし合いながら終盤までレースを展開していくことになりました。

国際大会においては、レース中のチームメイトの存在が本当に力になることを実感した瞬間でした。

さて、どうにかこの最高点を文字通り「乗り越え」、脚がどれくらい残っていたかというと、実は想像以上に脚のだるさが進んでいたのですね。

まだ残り半分以上ある中、この体のしんどさでどこまで持ち堪えられるか、正直全くの未知数でした。

しかし、壮大な景観と世界選手権を走っている高揚感、そしてチームメイトとのデッドヒートがモチベーションを維持させ、だるいながらも残っている脚力を少しずつ使いながら緩やかな下りを走り続けました。

3000m地点を越えると、そこからしばらく標高2500m付近を延々と走り続けることになります。思い返すと、このセクションでだいぶ酸欠が進んでいったように思います。

ここから先は、標高2500m以上のルートで3回も急峻な登りが繰り返されます。斜度はこれまでで最大のところもあり、流石に完全に動きが止まる場面も出てきました。

急な登り坂では、歩いては止まり、止まっては歩くを繰り返さなければならなくなり、ペースもガクッと落ちてきました。

この頃になると、登り区間を中心に呼吸の苦しさが尋常でなくなり、脚よりも呼吸がきつくて動きが止まるようになってきました。

少し休めば呼吸が回復しまた進めるようになるので、だいぶ酸欠が進んでいたように思います。

そして、終盤のレースを最も苦しめることになる気持ちの悪さがこのあたりから徐々に進行してきました。

3回の急なアップダウンを繰り返した先にある3つ目の関門。ここでリタイアとなった選手も多く、私も残り時間30分とあまり猶予はありませんでした。

3回目のチェックポイントは観光道路が接続しているダムの堤防上で、久しぶりに平坦な整地路を走れる区間がありました。

しかし、この平坦ななんでもない道ですらジョグをすることがきつく、最後は歩いてしまうほど疲れはピークに達していました。

ここからしばらく下った後、一気に累積800mを登る本コースのラスボスが待っています。

レース中、とにかくこの最後のセクションを意識して体力を温存してきたのですが、この関門の時点で登りはおろか平坦でさえ走るのが厳しくなってきた状態でした。

まさに、本当の勝負はここから、です。

スマホのバッテーリーが切れ、ここから先は現地入りしてすぐに試走した際の写真。この地点は、最後の累積300mを上る手前の平坦区間を逆方向から見た場面。写真奥の方に最終関門があります。

ここでスマホのバッテリーがなくなり、すでに写真はないのですが、とにかく最終関門までの道のりが厳しく、関門までの累積500mの登りは尋常でないキツさでした。

もう完全に体を動かせる体力は尽きていましたが、一歩一歩脚を動かし、必ずこの登りに終わりは来ると言い聞かせて、最後の関門を目指しました。

ここでも、レース中止の時間まで残り30分程度。

止まりかけたとは言え、常に脚は動かし続けてきたことを思うと、この関門は相当厳しい設定だな、と思いました。

いや、そこはやはり世界選手権。普通に歩いて間に合うような関門設定ではないのだな、と改めてコース難易度の高さを実感することになりました。

中央に見える川のさらに下流に最終チェックポイントがあり、最終的にはこの撮影した場所まで登ってくることになります。

そしていよいよ、最後の登り。最後、累積300m。

これを登れば、もうあとは5kmの下りのみ。ここまできたらやり遂げるしかありません。

しかし、本当にきつい最後の登り。はてしなく長い累積300m。

上に見える大岩の下部がこの登りの到達点。目の前に見えるのに、全く近づいてこないあまりにも急峻な登山道。

脚を止めて休んだ回数は数えきれず。時には岩に腰をかけて休んでしまうことも。

気持ちの悪さで水さえ受け付けず、ただただ目の前の急坂と向き合うのみ。進まなければ終わりも来ず、進めばすぐに脚が止まり。

しかし、こんな状態で不思議なことにふと「これで終わってしまうのがなんだか残念な気もするな」という気持ちも芽生え、いよいよこの過酷なレースに終わりが近づいてきたことを悟り始める自分もいました。

きつくて吐きそうでさっさと終わりにしたいのに、楽しみにしてきたこのイベントがもうあと1時間もすれば終わってしまう寂しさみたいなものが、この期に及んで湧き上がってくるのですね。

最後のコルからは遥か下方にフィニッシュ地点のチェレゾーレ湖が一望できます。初見のランナーはあまりの遠さに絶望したことでしょう(我々は2日目に試走で訪れていました)。

最後の登りをクリアしても、まだ終わりません。

そこからフィニッシュ地点までは、残り5km、960mを一気に駆け下ります。

標高が高いため、下りですらも呼吸がきつく悪心も増してきます。着地を支える力も徐々に失われてきており、途中からは下りですら歩きに変わってしまう状態でした。

それでも、下り続ければ必ず終わりはやってくる。それだけを考え続け、最後のセクションと向き合い続けます。

下りの途中からようやく森林限界が終わり、木々に囲まれた登山道を進むことになります。写真は試走時のもので、本来ここを下ってきました。

試走時は1時間もかからなかったこの下り区間ですが、もう走ることもできなくなっていたため、コルの時点で走ればまだ11時間台も狙えた状態も、途中であっさり12時間を超えてしまい。

夜が長いとはいえ、流石に午後6時半を過ぎれば若干空気も夕方のそれに変わってきており、本当に1日を走り通してしまったのだな、と唖然とした気持ちになりました。

チームで10時間を切れたのはただ一人だったことを考えると、やはり相応の時間をかける必要のあるレースであると、改めて感じます。

日本と違って「転載禁止」などとセコいことは言わない公式さんの写真。JSA(日本スカイランニング協会)もそうですね。

最後、登山道を出ると700mほどのロード区間があります。

試走の時は、ウィニングロードだ、なんて思っていましたが、全くもってそんな気分にもなれず。ただ、走る脚は意外と残っていたため、おそらくキロ5分台では走り通すことはでき、最後の直線は生意気にスパートなんかをかける余裕もありました。

フィニッシュ後、主催者さんがこの順位でも待ち構えてくれていて、イタリア語でよくわからないことを叫ばれ、ものすごい握力で握手をされたのが印象深かったです(多分、「お前は凄い!これを完走しただけでも偉大だ!」みたいなことだったことにしておきます)。

今回の派遣メンバー。SNSでどんどん広めて、と言われているので遠慮なく掲載させていただきました。

最終結果は、176人完走中の143位。12時間35分47秒。

ジャパンチームは2人がDNFで3人が12時間台。3人が10時間台で1人が9時間台という結果でした。

国別順位は上位4人のトータルポイントで4位が決定。惜しくもメダルはなりませんでした。

4年前の上田瑠偉選手が6時間台。高村貴子選手が8時間台だったことを考えると、彼らが如何にずば抜けているかがわかります。

我々のメンバーも、国内ではそこそこの戦績を残している選手ばかりでしたからね。

とにもかくにも、自分自身の目標としていたマスターズ世界選手権で完走を果たすことは叶えることができました。

チーム内順位が最下位というのは、ちょっと悔しい部分もありますが、そこは超長距離が苦手分野の自分としては致し方ないところでもあるかなと思います。

いずれにしても、今回まさか自分のような平凡な一般ランナーがイタリアの地に飛び、世界選手権に日本代表として出場するなどという、通常得難い体験をすることができたことは、まさに夢のようでありました。

「信じれば夢は叶う」とか、いいおじさんがこの歳で吐くセリフではないですが、「イタリアでスカイレースに出たい」と思い続けてきたことが、本当に叶ってしまうのだな、と自分でも驚きながら走り続けた12時間でした。

しばらくはこの余韻に浸らせてもらい、この先のことはまた少ししたら考えようと思います。

一旦「レポート編」としてこの記事は終了します。

なんだかこれが最後にならないような気がするノアスカの村。

7月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

世界選手権、無事完走し日本に戻ってきました。

その様子については別にまとめるとして、今回はひとまず遅れていた7月の振り返りをしたいと思います。

この7月は、月末に本番が控えていたこともあり、トレイルに特化した練習計画を組み、実際にそれを実行に移すことができました。

7月は1週目からトレイルを毎週取り入れ、脚を山に慣れさせました

本来であれば、7月中に一度は累積3000mを超えるロングトレイルを入れたかったのですが、暑さとスケジュールの関係で、なかなかそこまでの距離を踏むことができず、3週間でトータルの累積が5000m弱になるというのが精一杯のところでした。

それでも、5月の時点で、今よりもまだまだ山練が足りてなかった頃でも箱根外輪山の50km近い距離と3500mに迫る累積標高をクリアできていたことから、7月の練習くらいを積めておけば、本番はどうにかなるのではないかという期待はありました。

結果的にそれは正しかったのですが、なぜそこがうまくいったのかは、また別の機会に考察しようと思います。

総距離55kmのロングレースがあったとはいえ、月刊距離の約3分の1をトレイルが占めた7月

7月の総距離の約3割はトレイルとなりました。

レースも含めれば、累積標高差が10000m近くになるのも人生初です。

レースのために計画的にトレイルを入れてきたのですが、レースも含めると、結果的に7月はトレイルを走るための大きなトレーニング期間となったのは間違い無いでしょう。

8月には嬬恋スカイランという若干長めのスカイレースがありますが、それに向けてはとても良い集中的トレイル期間となったとも思っています。

7月は月間380kmを超えてきました

当然、55kmものレースがあったことは大きかったですが、ただそれを入れても月間走行距離が今シーズン最長の380kmに及んだことはレースに出走するにあたり、大きな自信となったことはいうまでもありません。

当日のレース内容が、過去最長の55km超(一説には59kmという話も)、累積標高が4100m超という未体験のボリュームであったため、7月までの4ヶ月間でクリアしなければならない課題がいくつかありました。

その中で、最も重要な要素は、①距離にして50km以上のトレイルを走り続ける脚力と有酸素能力、②4000mもの垂直移動(体重を持ち上げる脚力と衝撃に耐え続ける脚力)を可能にする脚力の2点でした。

結果、トレーニング期間中にそれを証明する機会は訪れませんでしたが、レース本番の内容と結果を考えれば、それは概ね達成できたものと考えて良いと思っています。

さて、この7月を含め、4月からの4ヶ月間に及んだトレーニングがレース本番にどう活かされたのか。そして、一方ではまだまだ足りていなかった要素は何なのか。

そのあたりは、次回のレース当日の内容をまとめた記事で考察していきたいと思います。

残り1週間

こんにちは、ランマニアです。

いよいよ人生初の海外レース、初の世界選手権まで残り1週間となりました。

出場が決まった4月から約4ヶ月間、走行距離55km、累積標高差4100mという未知なるコースの踏破に向けて、やれる準備はしてきたつもりです。

走行距離も獲得標高も、どちらも完走した経験はなく、実際体がどのような状態になってしまうのかいまだに想像もつきませんし、それを走り通すにはどうすれば良いかも正直わかっていませんでした。

しかし、確実に言えることは「山を長く走ることに慣れること」であり、そのための準備をするしかないと考えて4月からの練習を組み立てました。

4月は、自宅から最も近い山に毎週のように通い、「山を走る頻度」をあげました。

ゆっくりでもいいし、短時間でも、獲得標高も低くても、とにかくなんでもいいので毎週山を走る、ということを目標にひと月を過ごしました。

4月は自宅から最も近い飯能の山々へ向かい脚を慣らしました

続いて5月は、ちょうどスカイランニングのジャパンシリーズが開幕する月でしたので、そのレースも含めて近場のレースにもエントリーし、本格的にロングコースのトレイルを走る機会を確保しました。

秩父で行われた40kmレースでは、疲労とペース配分のミスとで完走できなかったのは痛かったですが、たまたま最終週にTwitterの有馬さんにお誘いいただき、Zakiさんと共に走ることのできた箱根外輪山トレイルが自分にとって大きな自信となりました。

というのも、このトレイルコースは47kmで累積3600mと、自分自身の最長距離トレイルとなったにも関わらず、練習自体もまだ2ヶ月程度しか継続していなかった中で、どうにか完走できたからでした。

自分にとって大きな自信となった箱根外輪山トレイルの完走。
休みを入れることとペースを落とすことの重要さを身をもって体感しました。

結果的に、このあと今日に至るまで、この日の練習を超える距離と累積標高を走ることはできていないため、このタイミングで一緒に練習をしていただいた有馬さんとZakiさんには正直大感謝なのですね。

本来であれば、この5月に出来上がりつつあった「山を走る脚」を使って、6月はもう一度長距離トレイルを走っておきたかったのですが、珍しく走ることに影響する程度の風邪を引いてしまい、予定では50km近くまで走るはずだった奥武蔵ロングトレイルのコースで、30kmDNFとなってしまったのですね。

しかもレース日を間違えるというしょうもないやらかしをし、いろいろ残念なロングトレイルとなりました。

とはいえ、5月はかなり無理をした感があったため、この6月を控えめに過ごせたことは、のちのちリカバリーの効果を上げるためには良い方向に機能したかなと思っています。

風邪で走れなくならなかった場合、7月のトレイル練と合わせるとかなり脚に負荷がかかってしまったであろうことは、容易に推測できます。

事実、今月は初めて予定外の休みを入れるほどの脚の違和感を感じ、山練のダメージが看過できないものとなってきてはいました。

幸い、走行不能な「故障」にまでは発展していませんが、6月に無理をしていたら、あるいはどうなっていたかわかりません。

暑さを避けて敢行した富士登山では、ロード登りで踵の痛みが生じ、その後の練習に対して慎重になりました。

おそらく、アキレス腱周囲炎になりかけた状態だったと思いますが、2日後に行った1kmのVO2Maxトレーニングではむしろ痛みは発生せず、日常の通勤ジョグでの方が若干違和感が多く出る状態でした。

ですので、おそらくそれほど症状は重くない感じはしていて、最悪痛くても走れる状態で当日を迎えさえすればどうにかなるかな、とどちらかというと現状維持を意識して練習を続けることにしました。

5月に箱根外輪山を完走したとはいえ、実際には55km累積4000m超えを余裕を持って走るには到底練習は足りていなかったため、最低限この7月はトレイルの頻度を確保したかったのは事実です。

そこで、今月は3度のトレイルを入れましたが、最後は松本の北アルプスへいき、可能な限り実戦に近いシチュエーションで山を走ることにしました。

北アルプスの常念岳を含むトレイルは、コース特徴が本番に酷似していて、
レース当日の初めの20kmをシミュレーションできる絶好のトレイルコースでした。

山を走る分には踵の痛みも出ず、最悪このまま当日を迎えてもなんとかなるかな、というある程度の見通しを持つことはできた印象です。

結果的に、そこから1週間経った今日に至っても重症化せず、今日は予定通りインターバルを行いましたが、痛みも出ずに無事終えることができました。

人生初の日の丸入りのユニフォーム。誰でも買えるとはいえ、やっぱりテンション上がります。

ということで、この4ヶ月を振り返ってみましたが、ほぼ計画通りのトレーニングを継続でき、当日走れなくなるような故障も今のところ発生せず、自分の中ではやれることはやったかなと。

もちろん、当日のコースを考えればまだまだ練習は足りていないのですが、最も重要なのは「計画したトレーニングを故障なく遂行すること」だと思っているので、「過ぎたるは及ばざるが如し」を防げたと思って、現時点では満足しています。

レースは現地時間の30日(日)6:30AMスタート。出国は26日夜で、現地には27日の昼前に着く予定です。

この土日は最後の週末となるため、遠征の準備は明日までに終えておきます。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

あまりにも早く過ぎ去った6月。

いよいよ初の海外レース、初の世界選手権まで残り1ヶ月となりました。

5月に徹底的にトレイル力を高め、その反動で故障をするのを最も恐れていたのが6月。

この6月はトレイルを控え、その代わりにLT域に集中的に刺激を加え、総合的な走力を高めることに注力しました。

月に3回以上LT走を入れられたのは数年振り

5月のロングトレイル練習を繰り返した1ヶ月で、とても感覚的なのですが、長い距離を走っても脚への衝撃が感じにくくなった印象はあります。

その結果、毎週のようにLT走を入れつつ、それでいて週あたりの走行距離を維持させても、あまりダメージが長引かなくなりました。

今月、久々に毎週のように高強度練習を継続したにも関わらず、ギリギリパフォーマンスを維持できたのも、4、5月の下地づくりのおかげだったと考えています。

また、今月は1度だけミドルのトレイルを入れましたが、30kmで累積2000mという、昨年までならかなりダメージが残りそうなボリュームのトレイルを走っても、全く筋痛が発生しなかったのも進歩を感じました。

そうした意味でも、6月は、5月のダメージを取り除きつつも、一度作り上げた脚力、持久力をギリギリ維持する、意外と練習の計画を実行するのが難しい1ヶ月だったようにも思います。

トレイル率を減らし、その分LT域を取り入れた6月

そして、今月は30日しかない小の月でしたが、かろうじて今月も350kmを超えることができました。

月間あたりで区切ることはナンセンスですが、それでもこの3ヶ月間の平均したボリュームが、だいたいこの「月あたり350km」という目安は、長距離のトレーニングを継続するための最低条件な気がしています。

かろうじて月350kmを超え、3ヶ月連続でこの距離を維持できました

今月久々に取り入れた高強度練習が、あまり脚にダメージを残さなくなったことが何よりの証拠です。

週1回テンポ走やクルーズインターバルを入れたくらいで、下腿の張りが抜けなくなるようでは、到底マラソンの練習など取り入れることはできません。

昨年は、ここまでの脚を作る前に故障をして、結局練習を十分に積むこともでなかったのですね。

4月に練習を開始するにあたり、本番までの4ヶ月をかけて、長い距離を走ってもダメージの残りにくい脚を作っていくことを第一の目標にしていました。

最終的には500km走ってもダメージが残らない脚、って、まあそれはかなり難しいです

とはいえ、7月の本番はいまだ未踏の55km、D+4141m。

本来、この距離を難なく走れるようになるには、当然今のような練習では足りないわけで、今のライフスタイルでこの領域に到達するのはなかなか至難の業だと感じます。

しかし一方で、故障をせずに最低限の走力を身につけることもレースに臨むために必要な条件であるため、今回はいわばこの「B案」に向けて残り一月を送ることになりそうです。

7月は、明日、7日、17日の3回トレイルを入れ、もう一度トレイル脚を調整した上で、30日の本番を迎えようと思います。

5月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

1ヶ月間では過去最高距離のトレイルを走った5月も、どうにか無事に終えることができました。

上田スカイレースから始まり、FTM、箱根外輪山と、長距離かつ高負荷のトレイルが1ヶ月の間に立て続けに入り、最も心配していたのが故障。

上田やFTMの後には、一時的にふくらはぎが強く張って危ない時期もありましたが、そこはペースを極力抑えたジョグを継続することで、どうにか切り抜けることができました。

一方で、そうした脚へのダメージや疲労感からの回復が、トレイルを走るたびに少しずつ早くなっていく感覚が得られ、段階的に脚が出来上がっていく様子が体感できました。

おおよそ中10日のペースで3度のロングトレイルを取り入れた5月。心配された故障はどうにか回避できました。

今月はトレイル率が3割もあったため単純に比較することはできませんが、走行距離的には4月とほぼ同等の362km。

4月より1日多いため、平均すれば若干距離は抑えられましたが、トレイルの負荷はダメージが残ることを考えると、月あたりの総負荷量は格段に上であったと思います。

3分の1がトレイルとなった5月。

その意味でも、5月に入る際に最も気掛かりだったことは、やはり練習を間違えるとどこかで故障が発生してしまうだろうということ。

ただ、それは7月の本番までは常に付きまとうリスクであるため、今後も全く油断はできない状況です。

そして、この4月、5月は昨年の1月、2月以来、久しぶりに2ヶ月連続で月間350kmを超えた二月でもありました。

ここ数年で最も長く続いたのは3年前の5ヶ月でしたが、やはり月間350km超えが一定期間続くと故障のリスクは上昇します。

特に、昨年のように突然距離を延ばした時は確実に故障をするため(昨年は5月にいきなり390kmを走って6月に故障)、ここから先は特に慎重にならなければなりません。

久しぶりに2ヶ月連続で350kmを超えた、この4、5月。

さて、この5月までに、目標であったトレイルの走力を、7月のレースで完走できる程度にまでは高めるということは、おおかた実現できました。

この力を、長いようで短く、短いようで意外と長い残り2ヶ月、どう維持するかが課題です。

故障を恐れて何もしなければ、間違いなく走力は落ちますし、かといって50kmクラスのトレイルを何度も入れるのはリスクが高すぎます。

考えられる取り組みとしては、ここまで月3回程度取りれてきたトレイル練を、月2回ほどに抑えたり、一度に走る距離も30km、累積2500m程度に抑えるなどの工夫でしょうか。

55km、累積4000m超えという、もはや未知なるボリュームをやり切るためには、ペース配分が最大のポイントだと思われ、ある意味故障さえせずに今の状態で当日を迎えれば、走力要因よりもペース要因の方がはるかに影響を及ぼしそうな気もしています。

いずれにしても、日々の練習で常に脚の状態を注意深く監視し、やりすぎるくらいならやり足らない方を選択する意識を持って、慎重に練習を継続していこうと思います。

5月の到達目標

こんにちは、ランマニアです。

4月から開始した、7月の世界選手権のためのトレーニング。

移動距離55km、累積標高差4141mという未体験のレースとなるため、その完走のためにはかなり周到な準備が必要であると考えていました。

いきなりこの距離に挑戦するのは無謀なため、4ヶ月かけてこれを走り切る体を段階的に作っていく計画を立てていました。

まず、4月は30km程度の距離を走ってもあまりダメージの残らない脚を作ること。そして、累積で1500m程度の山を余裕を持って走れるようになること。

4月終了時点で、月間の走行距離が久々に350kmを超え、ひとまず前者はクリアした実感を持ちました。

また、3週連続で週末にトレイルを走り、最終的には距離21kmで累積1500m程度の山を、ダメージを残さず走れるようにはなりました。

4月に設定していた到達目標は、ひとまずクリアしたと言えるでしょう。

4月はいわば「基礎体力作り」の月。ひとまず目標は達成したと言えるでしょう。

そして、ひとまずの基礎体力が身についたところで、5月に入りました。

正直なところ、6月が終わるまでに55km、累積4000mを余裕を持って走れるようになるのが理想なのですが、レースの一月前にあまり無理をして故障をしたり、体調を壊したりするのはかなりのリスクだと思い、できれば5月中にどうにか完走できる程度の体には仕上げておきたい、と考えていました。

具体的には、移動距離50km程度で、累積3500m程度、と言ったところですね。

ちょうど、Twitterでフォローさせていただいている有馬さんから、ドンピシャの距離と累積の練習会(箱根外輪山一周)を、5月の最終週にご提案いただき、とにかく5月はこれを完走することを到達目標と考えて練習を続けることにしました。

そしてその練習会が昨日行われたのですが、結論から言うと、休憩をしっかり取りながらどうにかこの距離と累積のコースを走り切ることができたのですね。

箱根外輪山トレイルは、一周47km、累積標高差3600mほどという、今回の到達目標としてはまさにうってつけのトレールコース。

5月は第1週の上田シリーズ(バーティカルとスカイレース)を皮切りに、そこから中10日でFunTrailMinano(50km 累積2500m)があり、そしてそこから中11日で昨日の外輪山が計画されている、結構ハードな1ヶ月だったのです。

上田スカイレースは、25kmで累積3000mというワールドクラスなコース設定のため、はっきり言って4月くらいのトレーニングで到底太刀打ちできるコースではないため、案の定終盤お粗末な走りになりました。

完走はできたものの、2年前のPBにははるかに及ばず。

そして、その10日後に行われたFunTrailMinanoは、本番を想定してのレースだったため、距離は50km。ただし、累積は2500mとやや楽な設定で、まずは50kmという距離感覚を知ろうと出場したレースでした。

ところが、思ったよりも上田の疲労が抜けきれず、また勾配が若干緩やかであったことから、登りも下りもそこそこ走り通した結果、40kmでDNFという結果となりました。

ただ、この時点ではまだ50kmという距離は全く走れていなかったため、自分としては40kmも走ればそれで十分かな、という割り切りはありました。正直、ここで50kmはまだ走れなくてもいいや、という具合に。

トレイル率がわずか60%のFunTrailMinano。長距離のロードランニングは思いの外脚に来ました。

むしろ、このFTMはロードの区間がかなり長く(20km程度はロード)、一定のペースでロードを走り続けるような耐久性を身につけるには、ちょうどいいレースだった気もします。

5月に入って、負荷を若干急激に上げてしまった感は否めませんが、それでも、4月にゆっくりと身につけた基礎体力を使いながら、レースの中でトレイルを長く走る力を高めていけた気はしています。

その結果として、昨日の箱根外輪山の走りがありました。

昨日も、確かにトレイル連戦の疲れがなんとなく残っている感じがして、序盤から登りも下りも体がだるく、脚も重い感じはしていました。

そのため、8時間以上の身体活動を継続させるためには、相当な余力を残しながら終盤を迎えない限り、完走はありえないだろうと考えていました。

40km近く走ってきたあと、最後に待ち受けている壁のような登り坂。脚が残っていなければ、この屏風山は克服できなかったと思います。

前回のFTMでは、登りは抑えたつもりも、下りの方はあまり自重せずにリズミカルに走り続けてしまいました。テクニカルな下りでは、相当な集中力を使い、意外と頭が疲れてくる感覚があります。脳が疲れてくる印象ですね。

なので、昨日の外輪山では、序盤は登りだけでなく、下りでも無駄に飛ばしても意味のない区間では早々に歩きを取り入れ、気持ちもリラックスしてなるべく「頭」を使わないようにしたのですね。

登りでも、意識して「力を込める」くらいの負荷がかかる時はすぐさま「歩き」に変え、できるだけ「努力感」が高まらないように気をつけて走り続け(歩き続け)ました。

さらに、計画的にこまめに休憩を入れていただいたおかげで、定期的に脚(と脳)を休ませることができました。

すると、次のセクションまでは、一旦体がリフレッシュされた状態で走ることができ、疲労が積み重ならないような好循環が維持された印象です。

この二つの対策が功を奏し、どうにかこの5月の到達目標であった「50km程度で累積3500m」を、パスすることができたのですね。

補給ポイントでは10分以上休憩をとり、そこでは明確な体力の回復が実感できました。

ゴール後も、脚自体はまだ余力が残されており、もしこれがレースであったら、あと8km、累積500mは、最後の力を振り絞ってやりきれたと思います。

5月の到達目標であった、「55km、累積4141mをどうにか完走できそうなイメージを持つ」というところは、ひとまず達成できたのではないかと考えています。

ただし、それをいつでも確実に成し遂げられるほどの、絶対的な体力・走力はまだまだみについておらず、今回のようにしっかりと休憩をとり、ペースを間違えなければ、という条件付きの完走イメージです。

レース当日は、確実に舞い上がってしまい、冷静さを欠くことは容易に想像できますから、思わずペースが上がってしまったり、休憩を十分に取る心の余裕もあまりないと予想されます。

そういう意味でも、できれば6月中にもう一回くらい、50km、累積3000m以上の練習は入れておきたいところです。

とはいえ、この5月はハードなスケジュールの中、どうにか3回のトレイルトレーニングをこなすことができ、体力・走力のベースをワンランク上げることができたと考えています。

第9回上田バーティカルレースに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

今年もシーズン開幕です。

昨年は散々な開幕を迎えた長野マラソン、そしてその後の上田バーティカルレースでしたが、あっという間に1年が経ってしまい、気づいたらまた太郎山に登っている、という感覚でした。

昨年は猛烈に体調が悪く、初日のバーティカルも過去最低記録、2日目のスカイもDNFという最悪の結果でした。

今年は、7月に予定しているマスターズ世界選手権に出場するため、もう4月からその準備のために練習しレースに出るようなもので、今回の上田バーティカルレースもまずは山をある程度の時間走り続ける耐性をつける目的もありました。

とはいえ、4月は3週連続で山へ走りにいき、それなりに練習を積んできましたので、今回のスカイレースでその仕上がり具合を確認したい気持ちは当然ありました。

わずか3回のトレイル練を入れただけですが、累積は最高で1800mまで伸ばしていたため、その中で上田のコースにどこまでアジャストできるか試してみたい気持ちはありました。

初日は例年通り、まずは垂直方向へ登りっぱなしのバーティカルです。

走行距離5kmで標高を1000m獲得します(ただし、上田のバーティカルは特殊で、途中で一旦200mほど標高を下げます)。

実は、今回このバーティカルの方には少し自信を持っていて、そこそこの山練と去年よりも戻せている有酸素能力とで、これまでで最も走れるのではないかと淡い期待を抱いていたのですね。

当日を迎えた時点での体調もだいぶ良好で、レース前に軽く登り坂を利用して走ったWSの感覚も過去最高に良く、登り坂が平坦に感じるんほどの力強さを感じていました。

しかし、こういう時は得てしてやらかしてしまうもので、異常に動く脚がオーバーペースを誘発してレースを失敗するんですね。

今回も登山口までの1kmほど続くロードコースで、呼吸の感じからVO2Max並のペースに上がってしまい、登山が始まった頃には呼吸が一杯一杯になってしまいました。

レースタイムが50分から60分ですので、当然VO2Maxペースでは速過ぎますし、せめてLT程度の感覚で行かなければ最後までは持ちません。

烏帽子バーティカルのような途中でジョグを入れられるようなコースならまだ挽回可能ですが、上田の登りはほとんど走れないほどの急登ですから、一旦酸素負債が高まると、ちょうど5000mのレースにOPで突っ込んで脚が止まった時のような絶望的な状態に陥ってしまいます。

結局、累積600m地点のわずかにある走れる区間でジョグになった以外は、全て歩きモードとなり、尋常でない呼吸の苦しさと戦う羽目になりました。

それでも、調子自体は良かったため、呼吸の苦しさの割には脚は動き、なんとか一昨年のPBの1分半遅れでとどめることができました。

相変わらず太郎山山頂からの眺望は見事なものがあります。このためにバーティカルをやっているようなもんですね。

今年からスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)のバーティカル部門は「V GAMES」と名称を変え、新たなシリーズ戦となりました。

スカイランニング協会に登録しているエリート部門は、年間シリーズの「GOLD」レースがポイントの対象となり、この上田と竜王、びわ湖バレイ、そしてグランドファイナルの吾妻のポイントでシーズンを競うことになります。

そして、今回から世界スカイランニング協会の基準に準拠し、マスターズ部門も新設され、幸運にも「Over48」クラスも設定されたのですね。

おかげで、PBよりも遅い55分台でもこのクラスで2位に入ることになり、まさかの表彰式にまで参加させてもらうことになりました。

マスターズクラスとはいえ、やはり表彰式は嬉しいものです。

総合でも25位に入り、かろうじてポイントを獲得することができました。ここは最低ラインだったので一安心でした。

さて、問題は2日目のスカイレースです。

何度も繰り返しますが、この上田の塩尻山城コース(エリート部門)は世界基準のコースでして、半端な練習では対応できない難易度を誇っています。

少しでも体調が悪ければ完走は不可能で、実績ある有力ランナーでもDNFとなるケースが決して珍しくないシリーズ最難関と行っても差し支えないでしょう(それが第1戦にあるのが理解できませんが・・・。)

昨年よりも体調ははるかに良く、また山へも何度か通っていたため、ある程度の走りはできるだろうなという予想はしていました。

しかし、わずか25kmの距離で累積3000mを登るコースの斜度は、どこも走れるような傾斜ではなく、最後に待ち構える2度目の太郎山登山で脚が動かなくなれば、棄権するための下山すらままならない危険な状況に追いやられることになります(なので辞めるなら2度目の太郎山の前です)。

なので、今回はここで記録を狙うつもりはさらさらなく、とにかく完走を唯一の目標に、序盤から相当抑えて走ることにしました。

1回目の太郎山登りは抑えに抑えて、一昨年よりも10分も遅い山頂到着

途中の通過タイムも、一昨年PBを出した時よりも常に10分以上遅れていましたが、特に気にせず脚の疲労状態だけに気を配り、下りでもペースを抑えてダメージを抑えて走りました。

それでも。それでもなんですね。2度目の太郎山を迎えるエイドポイント「秋和」の時点で、やっぱり、脚はギリギリ。

行けるとは思うが、決して余裕はない。そんな微妙な感覚です。

いつもはきつさが上回ってあまり怖く感じない「落ちたら死ぬで」の兔峰も、今年は余裕がありむしろ怖さで脚が震えたほどです。

案の定、太郎山登山の後半、完全に脚が止まりペースが一気に落ちました。

フィニッシュ後に、だいぶ前に抜いたはずのランナーとの差がかなり縮まっていたのは、ここからのペースダウンが響いたせいでしょう。

完全に練習不足。このコースで最後まで脚をもたせるには、あまりにも練習が足りていなかったのは明白です。

とはいえ、本番は7月ですので、今の時点でどの程度及ばないのかをしっかり把握できたのはある意味目標達成です。

世界選手権のコースは今回の2倍以上の距離で、累積は4000mですから、傾斜はこれよりは緩やかなはずです。

問題は10時間近く走り続ける絶対的な体力をこれからどこまで積み上げられるかですね。

文字通り「足の踏み場ものない」通称ゴーロ。眼下に見える町並みまでの距離がだいぶ迫ってきていることから、いかに標高を下げてきたかがわかります(また登ります・・・)

フィニッシュ後は、恒例の具合が悪くなり1時間以上寝たきりになり、耐性不足が露呈。

でも、またもやOver48で2位に入ってそうな事実がわかり、気持ちを立て直して表彰式会場へ。

今回は、上田駅前で大々的にセレモニーを実施していただき、とてもいい雰囲気で盛り上がりました。

なんというかこの鬼のようなコースを走り切った人たち同士の見えない一体感を感じられる素晴らしい機会を得ることができました。

上田駅前の広場が表彰式会場。背後のビルに「上田バーティカルレース」のノボリまで!

結局、記録は一昨年の15分遅れの5時間10分59秒で総合22位。

序盤の遅れ分だけタイムが嵩みましたが、終盤は一昨年とほとんど同じペースで走れたことになります。

これ以上のペースで走るには、絶対的に山を走る頻度と距離を延ばすしかないな、と感じますね。

あれほど苦しんだレースですが、やっぱりまたここに立ちたい気持ちになる楽しい上田バーティカルレース。

さて、7月の本番に向けてまずはその一歩を踏み出したわけですが、今回のレースで大体どのような1ヶ月の練習を組み立てれば良いのか、そして足りないことは何なのか、ある程度把握できた気がします。

確実に言えることは、いきなり手っ取り早く力は身に付かず、段階を踏んで徐々にできないことができるようになっていく過程を大切にしなければならないということですね。

次回は、早くも来週14日に控えている地元埼玉での50kmのレース。

この距離にして累積2000mでかつロード区間もある、カテゴリーとしてはいわゆる「トレイルランニング」のレースになります。

おそらく急傾斜の登り下りが繰り返されるようなことはないと思われ、どちらかというと距離に慣れることを目的にしています。

とにかく、足への負荷が高まりますので故障だけには気をつけ、あまりに疲労が大きい場合はDNFも躊躇なく決断しようと思います。

4月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

新しいシーズンが始まり、あっという間に一月が過ぎてしまいました。

この4月は、レースを一度も入れず久々にトレーニングだけに集中して取り組めた1ヶ月間となりました。

昨年、故障から復帰して以降も、なんだかんだでレースはちょくちょく入っていて、継続した練習を続ける機会がほとんどなかったのですね。

「練習の一環」という意味合いで出たレースであっても、やはりレース会場に踏み入れた際の気分の高揚感は練習などとは別物で、あまり意気込んで走ったつもりはなくとも、脳や体は普段とは違う緊張感に置かれ、体にかかる負荷も相当なものがあったと思います。

そうした機会が月に何度もあると、回復が追いつかない程度の疲労が蓄積していき、練習の効果が発現しないまま、ダラダラと走る続けてしまう状況続いていた状態です。

4月は、そのような疲労を一旦リセットして、フレッシュな状態でジョグを中心に練習を継続することができました。

疲労がない状態であまり負荷をかけずに、淡々と日々走り続けるのは走ることへのストレスを感じず、練習そのものを楽しむことができた1ヶ月となりました。

一回の練習でもほとんど無理をしていないので、週1日のレストだけで十分回復は間に合い、次の1週間も余裕を持って走り続けることができました。

また、1週間練習を続ける毎に、次の週は若干ジョグの負荷が軽く感じるようになり、同じ練習をしても疲れにくくなっていくことを実感できました。

同じ練習をしても疲労が残りにくくなったので、さらに余裕を残して練習を終えることができ、最終的には無理なく距離を伸ばしていくことができました。

このような循環が生まれることをずっと理想としていて、これまで故障や疲労でなかなかこの状態を生み出せなかったのが悩ましいところでした。

一定のサイクルを1ヶ月間継続できたのは本当に久しぶりです。

ところで、今月からある取り組みを始めました。

7月に出場するスカイランニングマスターズ世界選手権に向けてのトレーニングです。

自分にとっては未知の、水平距離55km、累積標高差4100mという規模のレースを完走するには、相応の準備が必要だからですね。

そのためには、まずは登山道特有の急勾配を登れる(あるいは下れる)脚作りは不可欠で、これにはどうしても定期的な山練習を取り入れていく必要があります。

長距離を速く走る力は、これはこれで維持したい力なのでこれをおそろかにはしたくないので、メインはその練習をしつつも、山に特化した能力の開発と向上も同時に続けていく必要がありました。

なので、大体週に1回程度の頻度でトレイルを走る機会を確保し、徐々に山を長く走れる力を身につけていこうと考えました。

これに関しても、いきなり20kmも30kmも走るのは体に負荷がかかりすぎるため、まずは低い累積標高を軽い負荷で走ることから始め、徐々に距離と累積を延ばして行こうと思いました。

その結果、今月は週末に一日トレイルに出かける日を設け、ひとまず3回ほど山を走る機会を確保することができたのですね。

電車で30分ほどでアクセスできる「奥武蔵ロングトレイル」のコースが、無理なくトレイル力を鍛えられる最適なコースだということがわかりました。

初日は12km、翌週は14kmと延ばし、3週目は21kmをそれほど無理なく走破できるほどの体力が身についてきました。

トレイルはコース状況が目まぐるしく変化するため、実施後の疲労感の割に脚へのダメージが意外と軽く、翌日こそ脚の重さは残りますが、ゆっくりなジョグで繋いでいけば3日ほどで疲労は抜け、1週間練習を継続することへのマイナスの影響はそれほどありませんでした。

トレイルの経験が積み上がり、練習への耐性ができてくると、さらに回復も早くなっていく実感も持てました。

こうして、漸増的に負荷を上げていき、4月は概ね想定していた通りの練習と、体の仕上がり具合を実現することができたなと感じます。

まだまだ世界選手権のコースを走破できるほどの走力には程遠いですが、そこに到達するためのひとまずのベースは構築できたかなと思います。

トレイルは3回に分け頻度を確保し、総距離も13%程度を維持できました。

5月は、まずは毎年恒例の上田バーティカルレース(バーティカルとスカイレース)があります。

バーティカルの方は、比較的追い込んで順位を記録を狙おうと思いますが、翌日のスカイレースはジャパンシリーズ中最難関のコースですので、これは世界選手権当日を想定して、序盤からしっかりと温存して余裕を持たせて走る練習にしたいと考えています。

実はまだ1度しか完走したことがない上田スカイレース。まずはこの累積3000mを余裕を持って攻略できなければ、世界選手権の完走はあり得ません。

そのほか、5月は中旬に累積は2000m程度ですが50km規模のレースが一度と、下旬にはTwitterの有馬さんにお誘いいただいた箱根外輪山での50kmのトレイルを予定しています。

5月はトレイルの距離が一気に延びるため、ここはかなり故障には気をつけなければなりません。逆にここを故障なく乗り切り、トレイルを走る力と耐性がワンランク上がれば、今まで見えなかった世界が見えてくる気がしています。

約1年ぶりに月間350kmを超えた月になりました。距離自体にこだわるのではなく、これくらいのボリュームを余裕を持って継続できる力を身につけていきたいのですね。

今月は久々に月間350kmを超えました。高強度練習はほとんど入れていなかったため、かなり余裕を持ってこの距離をこなす事ができましたが、これくらいのボリュームは最低ラインで、最終的には400kmから500kmくらいを走っても故障しない体を身につけたいと思ってはいます。かなり難しいことですが・・・。

ともあれ、レース本番までの4ヶ月で必要な準備のうち、まずはその最初の基礎を構築する段階はクリアできたと思います。

3月振り返り そして次の1年へ

こんにちは、ランマニアです。

今シーズン最後のレース、多摩湖駅伝が終わってから10日間。次のシーズンに向けての休養期間を置いていました。

1月以降はレースが続き、故障明けのため序盤のレースはトレーニングの代替的な位置付けでしたが、それでも負荷はそれなりにかかっていたため、絶対的な練習量はだいぶ不足していたのがわかります。

もともと故障明けで走行距離が減っていた10月以降ですが、1月以降もレース続きでフルを走るには無謀なほど距離が足りていませんでした。

3月は、板橋シティマラソンに向けてそれなりに距離を踏みつつ、一方では疲労を抜かなければならない難しい状況で、結果的にそのどちらも成し得なかったと言わざるを得ません。

1月から続いた10km駅伝シリーズと、2月の深谷ハーフの疲労は想像以上に残っており、マラソンを迎えるには、もう一月ほど猶予が欲しかったところです。

そもそも論として、本来故障をしなければ11月のつくばにピークを持っていく予定だったことを考えれば、スケジュール的に3月のマラソンに合わせようとしたこと自体にやはり無理があったなと。

当ブログでも再三触れましたが、とにかく6月の足底筋膜炎があまりにも痛すぎて、練習ができていない体で騙し騙しレースに出るのがやっとの状態だったわけで。

そんな状態で体を仕上げるには、あまりにも期間が足りなさすぎたというのが現状です。

ただ、シーズン最終盤ではレースがそこそこ刺激となり、最後の板橋や多摩湖駅伝などでは、今シーズン入れたことのなかったゾーンにかなりの刺激が入り、1月以降は満遍なくあらゆる強度の「トレーニング」を取り入れることができたのも事実です。

とはいえ、今シーズンもう少し余裕があれば、マラソンペースでのロング走をもう少し入れておきたかったのですが、それが0に終わってしまいまったのは誤算でした。

最後の最後の板橋でようやくそれが叶いましたが、練習で一度もやらずにいきなり本番では、当然結果など残せませんね。

さて、今シーズンは兎にも角にも、転職1年目で生活スタイルが大幅に変わったこと、それに伴ってトレーニング環境をどう整えるかに苦心した一年となりました。

一年を振り返ると、故障で走れない期間が過去最大になったという異例の事態もありましたが、それ以前に仕事が変わり大幅に生活スタイルが変化したことが、あらゆることに影響したなと実感しています。

まず、通勤時間が片道で約3倍になったということですね。

往復にすると、昨年までより約2時間ほど余計に時間を奪われることになりました。

この絶対的に変えられない状況の変化があり、どこにトレーニングの時間を取り入れるかというのがいまだに解決しきれていない大きな課題となっています。

最終的には往復の通勤経路で4.5km〜6kmほど走る区間を設け、平均して1日で10km程度距離を踏めるようなスタイルに落ち着きはしました。

昨年度は、故障でこれ以上距離を伸ばす機会がありませんでした、明日から練習を再開した後は、平日に1日は20km程度走る日を確保したり、LTやVO2Maxに刺激を入れるような練習も取り入れたりする工夫をして、もうワンランク上のトレーニングサイクルを維持できる生活スタイルを目指したいと思っています。

今シーズンはとにかく、新しい職場、全く新しい業務に体が慣れるのに相当な時間とエネルギーがとられ、過度なストレスもかかったことから、年間を通して練習を継続できただけでもひとまず及第点だったのかもしれません。

来シーズンは、まずは今年度よりは仕事に対する慣れは進み、精神的な余力を持ってトレーニングを続けられるはずです。

昨年度は仕事に慣れるのに心理的に一杯一杯で、走っていてもなかなか走る方に集中を維持できない状態がしばらく続きました。

その分、来年度はメンタルのリソースをだいぶ練習のほうに割り振ることができると思われ、もう少し練習のボリュームから改善できるのではないかと期待しています。

そうした見通しから、次のブログでは来シーズンの年間の予定を改めて整理して報告しようと思います。