スカイランニング マスターズ世界選手権

こんにちは、ランマニアです。

3月に出走を決めた、スカイランニングマスターズ世界選手権。

マスターズの世界選手権は今年が第1回大会ということで、日本のみならず世界各地のベテランスカイランナーたちから大きな期待を持って迎えられました。

第1回大会は、イタリアはピエモンテ州にあるグランパラディーゾ国立公園内に設定されたコースを走る「Royal Ultra Sky Marathon」がその舞台となりました。

このRoyal Ultra Sky Marathonは、もともとこの地で2年おきに開催されてきた地元では有名レースで、前回大会はコロナ禍で中止となったものの、その前の大会はワールドシリーズにも設定されていたほどの本格的な上級者向けレースです。

この時は日本の上田瑠偉選手が3位に入る快挙を果たしました。

そんな、言ってみれば「国際基準」のレースであるため、コースもそれ相応の難易度となっており、距離は55km、累積標高差は+が4140m、−が4500mと、スカイレースとしては屈指のボリュームとなっています。

スカイランニングのカテゴリーとしては「SKY ULTRA」に位置し、スカイランニングとしては最も長い距離を走るカテゴリーとなります。

国内レースでは、過去には志賀高原エクストリームトレイルにこのULTRA部門が設定されたこともありましたが、1年を通して1度あるかないかの希少なカテゴリーとなっています。

ランマニアも、スカイレースではULTRA種目には出場したことがなく、最長でも40kmのSKY部門までです。

したがって、今回このレースに出場するにあたっては、相当な覚悟を決めてエントリーしたということになります。

正直なところ、エントリーした時点では、完走はほぼ難しいだろうなと思っていたほどです。何せ、これまで累積4000m越えは経験したことがなく、最長のトレイルレースでも52kmが精一杯なところでした。

本コースのプロフィール。大会公式ブリーフィング資料より引用。

このコースプロフィールを何度も見返し、4月の時点では、正直完走するだけでも相当な準備が必要になるだろうなと想像していました。

結果的に、そのために想定していた準備はどうにか完遂することができましたが、自分の中ではこのコースを走り切るにはまだまだ不十分であったと実感しています。

4ヶ月間、テーマを決めて計画的にトレーニングを行ってきましたが、ある程度は目標を達成できたと思っています。とはいえ、このレースを走るために必要十分であったかというと、そこは疑問が残ります。

さて、現地入りしたのち、前日は開会式がありました。各国の代表メンバーが国別に紹介され、いわゆる「お立ち台」でプレゼンテーションされます。

会場に集まったナショナルチームの様子を見ていると、これがまぎれもなく国際大会、しかも世界選手権の舞台なのだと強く実感しました。

各国の代表には地元の住民や居合わせたチームのメンバーから惜しみない声援が送られ、小さな村のこれまた小さな広場が一瞬で国際レースのメイン会場となってしまいました。

会場までの「足」がなかった我々を見つけて、急遽「乗っていけよ!」と声をかけてくれたセルビア・モンテネグロチーム。本大会では、多くの海外チームとの交流がありました。

特に日本選手団にはより多くの声援が送られ、遥か遠くアジアの小国からやってきた我々が、ヨーロッパ発祥の競技の中にあっていかに特異な存在であるかを知るに至りました。

もちろん、この声援の影には、前々回大会で3位に入った上田瑠偉選手や8位に入った高村貴子選手の存在があったことはいうまでもありません。

大声援に応える日本選手団。イタリア人親子から記念写真をせがまれる場面も。

そして、いよいよレース当日。

スタート地点へはシャトルバスで山道を1時間かけて移動しました。なんといってもスタート地点の標高は1800mもあります。車でもそう簡単に辿り着ける場所ではありません。

スタート地点へ立つと、動画で何度も見たこの地に、本当に自らの足で立ち、自分がこのレースの参加者となっていることがすぐには信じられない感覚に陥りました。

それほどまでに現実離れした光景、圧倒的なスケール感で迫ってくる山々の迫力に現実感が薄れていったのですね。

スタート地点は標高1800mにあるテレッチョ湖の堤防。

スタートして1kmほど走ると、登りはすぐに始まります。

今回は、とにかく完走を第一目標としたために、絶対にオーバーペースにならないようにとスタート位置をかなり後ろに構え、周囲のランナーに合わせて抑えめのペースで走ることにしました。

ところが、いきなり最初に用意されている累積1000mの登り区間は、思った以上に狭いシングルトラックで、ここで渋滞によってだいぶタイムロスをしてしまいました。

初っ端から渋滞に巻き込まれ、第一関門である累積1000m地点の通過タイムが気になり始めます。

とはいえ、まだまだ元気な状態では調子に乗ってオーバーペースに陥りやすいため、結果的にこれくらいのゆったりとしたペースで登り続けられて脚は温存できたのかもしれません。

最初のチェックポイントは約5km、累積1000mの地点にある岩だらけの峠です。

ここは、大きな岩が幾つも折り重なり、かろうじて人が数名そこを通れるようになっている場所であるため、選手のチェックと給水とでここでも渋滞が生じていました。

第一関門の制限時間は2時間15分。ここの通過は約1時間45分。渋滞にハマったので結構ギリギリでした。

レースプランでは、この始めの1000m登りでいかに脚を温存し、余裕を持って次のセクションに移れるかが鍵だと思っていました。

今回想定外の渋滞にハマりましたが、そのおかげで脚は十分温存でき、トータル4000m以上の累積標高のうち、初めの1000mをほぼ脚を使わずに登り切ることができたのでした。

さて、ここから先は下り基調で一旦また標高を下げます。ちょうど太陽の当たらない尾根の反対側に移ったせいか、気温も急激に下がり、持っていたアームウォーマーが再び必要になるほどの気温差でした。

おそらく一日中陽が当たらない場所であるためか、急斜面に雪渓が残りロープを使いながら滑り台のように滑り降りる場面もありました。

序盤の区間には雪渓が多く、前回大会では簡易アイゼンの装着が義務付けられていたほど。

ただ、本来はもう少し残雪が多く、この部分を一気に滑り降りられるため、むしろ雪がある方がフィニッシュタイムが良くなる傾向があるとのこと。(これは登り区間にも言えることです)

今回、この残雪が少ないことから、逆に序盤の関門が若干ゆるく設定されていました。

最後まで走って分かったのは、序盤のこの岩場区間が、結果的にこのコースで最もテクニカルな部分だったということ。各関門間のペースも、この序盤の岩場区間が最も遅くなっていました。

とはいえ、走りにくい(歩きにくい)区間はここまでで、この先はいよいよ文字通り「スカイランニング」と呼ぶに相応しい、天空の楽園(パラディーゾ)を舞台にしたセッションが待ち受けていました。

岩場区間を越えると、一気に視界は開け、大草原のコースが舞台となります。

この先に待ち受けているのは、本コースの最高地点である標高3000m超の峠までの登り区間。

先述した標高図を確認すると、ここを越えてもまだ距離も累積標高も半分にも満たないため、ここをクリアしてもまだまだ脚を取っておかなければなりません。

そのため、この気持ちの良い走れる区間でも極力ペースは抑えて、登りも下りもじっくりと歩を進めていく必要がありました。

自分でも、こんなにゆっくりでいいのか、と疑いたくなるほどの余裕があるペースでした。

距離が短ければ当然ぶっ飛ばすはずの快適なトレイル。ひたすらペースを抑えて我慢です。

ちなみに、この区間に少し大きめのエイドがあるのですが、心配されていたエイドの中身はそこそこ充実していました。

飲み物は、水、炭酸水、コーラ、スポドリ(まずい)。食べ物は、パイ、ウェハース、チョコ、角砂糖、柑橘系フルーツなど。

水はその場で湧き水を汲んできたものなので当然美味しいわけですし、ウェハースだけは口に合うお菓子だったのでこればかり食べていました。

なので、1L未満の水とカロリーメイトと羊羹だけしか持たずに走っても、最後まで補給についてはノープロブレムでした。

一際目立つスタッフさんの青とオレンジのTシャツ。トレードカラーのTシャツが見えるとそこがエイドだとわかる仕組みになっています。

このエイドを過ぎ、しばらく走ったところに第2関門があり、そこも約30分の猶予を残して通過。

そこからいよいよ標高3000mへ向けて一気に登りが始まります。

遥か彼方に見える窪みがコース最高地点。進めば進むほど酸素が薄くなり同じメースを維持するのがキツくなります。

このセクションは、初めは草原の中の気持ちの良い場所を比較的長めの九十九折りを繰り返しながら進み、後半は岩と砂礫だらけのやや急な登り坂をダラダラと進んでいきます。

みるみるうちに標高が上がっていくため、気がつくと呼吸がキツくなっています。それと同時に温存してきたはずの脚も次第にだるくなってきます。

まだ残り30km。累積は2000m以上残っています。

まだこの時点でも本当に完走できるか疑心暗鬼でした。

遠くに見えていたこの「コル(窪み・峠)」もいよいよ目前に。急傾斜と砂礫が体力を奪います。

実は、この登りの最中に同じジャパンチームのメンバーに追いつき、ここから二人で抜きつ抜かれつで一緒にレースを進めることになります。

お互い、下りと登りの得手不得手があり、結果必ずエイドごとに一緒になり、そこで励まし合いながら終盤までレースを展開していくことになりました。

国際大会においては、レース中のチームメイトの存在が本当に力になることを実感した瞬間でした。

さて、どうにかこの最高点を文字通り「乗り越え」、脚がどれくらい残っていたかというと、実は想像以上に脚のだるさが進んでいたのですね。

まだ残り半分以上ある中、この体のしんどさでどこまで持ち堪えられるか、正直全くの未知数でした。

しかし、壮大な景観と世界選手権を走っている高揚感、そしてチームメイトとのデッドヒートがモチベーションを維持させ、だるいながらも残っている脚力を少しずつ使いながら緩やかな下りを走り続けました。

3000m地点を越えると、そこからしばらく標高2500m付近を延々と走り続けることになります。思い返すと、このセクションでだいぶ酸欠が進んでいったように思います。

ここから先は、標高2500m以上のルートで3回も急峻な登りが繰り返されます。斜度はこれまでで最大のところもあり、流石に完全に動きが止まる場面も出てきました。

急な登り坂では、歩いては止まり、止まっては歩くを繰り返さなければならなくなり、ペースもガクッと落ちてきました。

この頃になると、登り区間を中心に呼吸の苦しさが尋常でなくなり、脚よりも呼吸がきつくて動きが止まるようになってきました。

少し休めば呼吸が回復しまた進めるようになるので、だいぶ酸欠が進んでいたように思います。

そして、終盤のレースを最も苦しめることになる気持ちの悪さがこのあたりから徐々に進行してきました。

3回の急なアップダウンを繰り返した先にある3つ目の関門。ここでリタイアとなった選手も多く、私も残り時間30分とあまり猶予はありませんでした。

3回目のチェックポイントは観光道路が接続しているダムの堤防上で、久しぶりに平坦な整地路を走れる区間がありました。

しかし、この平坦ななんでもない道ですらジョグをすることがきつく、最後は歩いてしまうほど疲れはピークに達していました。

ここからしばらく下った後、一気に累積800mを登る本コースのラスボスが待っています。

レース中、とにかくこの最後のセクションを意識して体力を温存してきたのですが、この関門の時点で登りはおろか平坦でさえ走るのが厳しくなってきた状態でした。

まさに、本当の勝負はここから、です。

スマホのバッテーリーが切れ、ここから先は現地入りしてすぐに試走した際の写真。この地点は、最後の累積300mを上る手前の平坦区間を逆方向から見た場面。写真奥の方に最終関門があります。

ここでスマホのバッテリーがなくなり、すでに写真はないのですが、とにかく最終関門までの道のりが厳しく、関門までの累積500mの登りは尋常でないキツさでした。

もう完全に体を動かせる体力は尽きていましたが、一歩一歩脚を動かし、必ずこの登りに終わりは来ると言い聞かせて、最後の関門を目指しました。

ここでも、レース中止の時間まで残り30分程度。

止まりかけたとは言え、常に脚は動かし続けてきたことを思うと、この関門は相当厳しい設定だな、と思いました。

いや、そこはやはり世界選手権。普通に歩いて間に合うような関門設定ではないのだな、と改めてコース難易度の高さを実感することになりました。

中央に見える川のさらに下流に最終チェックポイントがあり、最終的にはこの撮影した場所まで登ってくることになります。

そしていよいよ、最後の登り。最後、累積300m。

これを登れば、もうあとは5kmの下りのみ。ここまできたらやり遂げるしかありません。

しかし、本当にきつい最後の登り。はてしなく長い累積300m。

上に見える大岩の下部がこの登りの到達点。目の前に見えるのに、全く近づいてこないあまりにも急峻な登山道。

脚を止めて休んだ回数は数えきれず。時には岩に腰をかけて休んでしまうことも。

気持ちの悪さで水さえ受け付けず、ただただ目の前の急坂と向き合うのみ。進まなければ終わりも来ず、進めばすぐに脚が止まり。

しかし、こんな状態で不思議なことにふと「これで終わってしまうのがなんだか残念な気もするな」という気持ちも芽生え、いよいよこの過酷なレースに終わりが近づいてきたことを悟り始める自分もいました。

きつくて吐きそうでさっさと終わりにしたいのに、楽しみにしてきたこのイベントがもうあと1時間もすれば終わってしまう寂しさみたいなものが、この期に及んで湧き上がってくるのですね。

最後のコルからは遥か下方にフィニッシュ地点のチェレゾーレ湖が一望できます。初見のランナーはあまりの遠さに絶望したことでしょう(我々は2日目に試走で訪れていました)。

最後の登りをクリアしても、まだ終わりません。

そこからフィニッシュ地点までは、残り5km、960mを一気に駆け下ります。

標高が高いため、下りですらも呼吸がきつく悪心も増してきます。着地を支える力も徐々に失われてきており、途中からは下りですら歩きに変わってしまう状態でした。

それでも、下り続ければ必ず終わりはやってくる。それだけを考え続け、最後のセクションと向き合い続けます。

下りの途中からようやく森林限界が終わり、木々に囲まれた登山道を進むことになります。写真は試走時のもので、本来ここを下ってきました。

試走時は1時間もかからなかったこの下り区間ですが、もう走ることもできなくなっていたため、コルの時点で走ればまだ11時間台も狙えた状態も、途中であっさり12時間を超えてしまい。

夜が長いとはいえ、流石に午後6時半を過ぎれば若干空気も夕方のそれに変わってきており、本当に1日を走り通してしまったのだな、と唖然とした気持ちになりました。

チームで10時間を切れたのはただ一人だったことを考えると、やはり相応の時間をかける必要のあるレースであると、改めて感じます。

日本と違って「転載禁止」などとセコいことは言わない公式さんの写真。JSA(日本スカイランニング協会)もそうですね。

最後、登山道を出ると700mほどのロード区間があります。

試走の時は、ウィニングロードだ、なんて思っていましたが、全くもってそんな気分にもなれず。ただ、走る脚は意外と残っていたため、おそらくキロ5分台では走り通すことはでき、最後の直線は生意気にスパートなんかをかける余裕もありました。

フィニッシュ後、主催者さんがこの順位でも待ち構えてくれていて、イタリア語でよくわからないことを叫ばれ、ものすごい握力で握手をされたのが印象深かったです(多分、「お前は凄い!これを完走しただけでも偉大だ!」みたいなことだったことにしておきます)。

今回の派遣メンバー。SNSでどんどん広めて、と言われているので遠慮なく掲載させていただきました。

最終結果は、176人完走中の143位。12時間35分47秒。

ジャパンチームは2人がDNFで3人が12時間台。3人が10時間台で1人が9時間台という結果でした。

国別順位は上位4人のトータルポイントで4位が決定。惜しくもメダルはなりませんでした。

4年前の上田瑠偉選手が6時間台。高村貴子選手が8時間台だったことを考えると、彼らが如何にずば抜けているかがわかります。

我々のメンバーも、国内ではそこそこの戦績を残している選手ばかりでしたからね。

とにもかくにも、自分自身の目標としていたマスターズ世界選手権で完走を果たすことは叶えることができました。

チーム内順位が最下位というのは、ちょっと悔しい部分もありますが、そこは超長距離が苦手分野の自分としては致し方ないところでもあるかなと思います。

いずれにしても、今回まさか自分のような平凡な一般ランナーがイタリアの地に飛び、世界選手権に日本代表として出場するなどという、通常得難い体験をすることができたことは、まさに夢のようでありました。

「信じれば夢は叶う」とか、いいおじさんがこの歳で吐くセリフではないですが、「イタリアでスカイレースに出たい」と思い続けてきたことが、本当に叶ってしまうのだな、と自分でも驚きながら走り続けた12時間でした。

しばらくはこの余韻に浸らせてもらい、この先のことはまた少ししたら考えようと思います。

一旦「レポート編」としてこの記事は終了します。

なんだかこれが最後にならないような気がするノアスカの村。

第9回上田バーティカルレースに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

今年もシーズン開幕です。

昨年は散々な開幕を迎えた長野マラソン、そしてその後の上田バーティカルレースでしたが、あっという間に1年が経ってしまい、気づいたらまた太郎山に登っている、という感覚でした。

昨年は猛烈に体調が悪く、初日のバーティカルも過去最低記録、2日目のスカイもDNFという最悪の結果でした。

今年は、7月に予定しているマスターズ世界選手権に出場するため、もう4月からその準備のために練習しレースに出るようなもので、今回の上田バーティカルレースもまずは山をある程度の時間走り続ける耐性をつける目的もありました。

とはいえ、4月は3週連続で山へ走りにいき、それなりに練習を積んできましたので、今回のスカイレースでその仕上がり具合を確認したい気持ちは当然ありました。

わずか3回のトレイル練を入れただけですが、累積は最高で1800mまで伸ばしていたため、その中で上田のコースにどこまでアジャストできるか試してみたい気持ちはありました。

初日は例年通り、まずは垂直方向へ登りっぱなしのバーティカルです。

走行距離5kmで標高を1000m獲得します(ただし、上田のバーティカルは特殊で、途中で一旦200mほど標高を下げます)。

実は、今回このバーティカルの方には少し自信を持っていて、そこそこの山練と去年よりも戻せている有酸素能力とで、これまでで最も走れるのではないかと淡い期待を抱いていたのですね。

当日を迎えた時点での体調もだいぶ良好で、レース前に軽く登り坂を利用して走ったWSの感覚も過去最高に良く、登り坂が平坦に感じるんほどの力強さを感じていました。

しかし、こういう時は得てしてやらかしてしまうもので、異常に動く脚がオーバーペースを誘発してレースを失敗するんですね。

今回も登山口までの1kmほど続くロードコースで、呼吸の感じからVO2Max並のペースに上がってしまい、登山が始まった頃には呼吸が一杯一杯になってしまいました。

レースタイムが50分から60分ですので、当然VO2Maxペースでは速過ぎますし、せめてLT程度の感覚で行かなければ最後までは持ちません。

烏帽子バーティカルのような途中でジョグを入れられるようなコースならまだ挽回可能ですが、上田の登りはほとんど走れないほどの急登ですから、一旦酸素負債が高まると、ちょうど5000mのレースにOPで突っ込んで脚が止まった時のような絶望的な状態に陥ってしまいます。

結局、累積600m地点のわずかにある走れる区間でジョグになった以外は、全て歩きモードとなり、尋常でない呼吸の苦しさと戦う羽目になりました。

それでも、調子自体は良かったため、呼吸の苦しさの割には脚は動き、なんとか一昨年のPBの1分半遅れでとどめることができました。

相変わらず太郎山山頂からの眺望は見事なものがあります。このためにバーティカルをやっているようなもんですね。

今年からスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)のバーティカル部門は「V GAMES」と名称を変え、新たなシリーズ戦となりました。

スカイランニング協会に登録しているエリート部門は、年間シリーズの「GOLD」レースがポイントの対象となり、この上田と竜王、びわ湖バレイ、そしてグランドファイナルの吾妻のポイントでシーズンを競うことになります。

そして、今回から世界スカイランニング協会の基準に準拠し、マスターズ部門も新設され、幸運にも「Over48」クラスも設定されたのですね。

おかげで、PBよりも遅い55分台でもこのクラスで2位に入ることになり、まさかの表彰式にまで参加させてもらうことになりました。

マスターズクラスとはいえ、やはり表彰式は嬉しいものです。

総合でも25位に入り、かろうじてポイントを獲得することができました。ここは最低ラインだったので一安心でした。

さて、問題は2日目のスカイレースです。

何度も繰り返しますが、この上田の塩尻山城コース(エリート部門)は世界基準のコースでして、半端な練習では対応できない難易度を誇っています。

少しでも体調が悪ければ完走は不可能で、実績ある有力ランナーでもDNFとなるケースが決して珍しくないシリーズ最難関と行っても差し支えないでしょう(それが第1戦にあるのが理解できませんが・・・。)

昨年よりも体調ははるかに良く、また山へも何度か通っていたため、ある程度の走りはできるだろうなという予想はしていました。

しかし、わずか25kmの距離で累積3000mを登るコースの斜度は、どこも走れるような傾斜ではなく、最後に待ち構える2度目の太郎山登山で脚が動かなくなれば、棄権するための下山すらままならない危険な状況に追いやられることになります(なので辞めるなら2度目の太郎山の前です)。

なので、今回はここで記録を狙うつもりはさらさらなく、とにかく完走を唯一の目標に、序盤から相当抑えて走ることにしました。

1回目の太郎山登りは抑えに抑えて、一昨年よりも10分も遅い山頂到着

途中の通過タイムも、一昨年PBを出した時よりも常に10分以上遅れていましたが、特に気にせず脚の疲労状態だけに気を配り、下りでもペースを抑えてダメージを抑えて走りました。

それでも。それでもなんですね。2度目の太郎山を迎えるエイドポイント「秋和」の時点で、やっぱり、脚はギリギリ。

行けるとは思うが、決して余裕はない。そんな微妙な感覚です。

いつもはきつさが上回ってあまり怖く感じない「落ちたら死ぬで」の兔峰も、今年は余裕がありむしろ怖さで脚が震えたほどです。

案の定、太郎山登山の後半、完全に脚が止まりペースが一気に落ちました。

フィニッシュ後に、だいぶ前に抜いたはずのランナーとの差がかなり縮まっていたのは、ここからのペースダウンが響いたせいでしょう。

完全に練習不足。このコースで最後まで脚をもたせるには、あまりにも練習が足りていなかったのは明白です。

とはいえ、本番は7月ですので、今の時点でどの程度及ばないのかをしっかり把握できたのはある意味目標達成です。

世界選手権のコースは今回の2倍以上の距離で、累積は4000mですから、傾斜はこれよりは緩やかなはずです。

問題は10時間近く走り続ける絶対的な体力をこれからどこまで積み上げられるかですね。

文字通り「足の踏み場ものない」通称ゴーロ。眼下に見える町並みまでの距離がだいぶ迫ってきていることから、いかに標高を下げてきたかがわかります(また登ります・・・)

フィニッシュ後は、恒例の具合が悪くなり1時間以上寝たきりになり、耐性不足が露呈。

でも、またもやOver48で2位に入ってそうな事実がわかり、気持ちを立て直して表彰式会場へ。

今回は、上田駅前で大々的にセレモニーを実施していただき、とてもいい雰囲気で盛り上がりました。

なんというかこの鬼のようなコースを走り切った人たち同士の見えない一体感を感じられる素晴らしい機会を得ることができました。

上田駅前の広場が表彰式会場。背後のビルに「上田バーティカルレース」のノボリまで!

結局、記録は一昨年の15分遅れの5時間10分59秒で総合22位。

序盤の遅れ分だけタイムが嵩みましたが、終盤は一昨年とほとんど同じペースで走れたことになります。

これ以上のペースで走るには、絶対的に山を走る頻度と距離を延ばすしかないな、と感じますね。

あれほど苦しんだレースですが、やっぱりまたここに立ちたい気持ちになる楽しい上田バーティカルレース。

さて、7月の本番に向けてまずはその一歩を踏み出したわけですが、今回のレースで大体どのような1ヶ月の練習を組み立てれば良いのか、そして足りないことは何なのか、ある程度把握できた気がします。

確実に言えることは、いきなり手っ取り早く力は身に付かず、段階を踏んで徐々にできないことができるようになっていく過程を大切にしなければならないということですね。

次回は、早くも来週14日に控えている地元埼玉での50kmのレース。

この距離にして累積2000mでかつロード区間もある、カテゴリーとしてはいわゆる「トレイルランニング」のレースになります。

おそらく急傾斜の登り下りが繰り返されるようなことはないと思われ、どちらかというと距離に慣れることを目的にしています。

とにかく、足への負荷が高まりますので故障だけには気をつけ、あまりに疲労が大きい場合はDNFも躊躇なく決断しようと思います。

多摩湖駅伝に出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて今日は、毎年春分の日に開催されている地元の駅伝、多摩湖駅伝に出場してきました。

コロナ騒動で3年間開催が見送られてきた中、今年は4年ぶりにこのレースが戻ってきました。

毎年春分の日に開催される多摩湖駅伝。過去には、桜が満開の日も、雪の日も。

一昨日はマラソンを走ったばかりで、確実に無謀なスケジュールでの出走となりましたが、この多摩湖駅伝だけはどうしても外せない理由があるのですね。

この多摩湖駅伝に、今のメンバーで出場し始めたのは今を遡ること28年。我々がまだ大学2年生の頃です。

大学2年の頃はランマニア自身、体調を崩していて本格的にこの駅伝に参戦していた記憶が残っていないのですが、3年、4年と徐々に体調が戻ってきて以降、学生時代にはよくある「現役力」を発揮して市民大会で圧倒的な強さで優勝するぞ、という邪な考えで、年に一度レクリエーション的に参加し始めるようになった大会であったのですね。

ところが、この大会には毎年必ず、同じような考えでまさに「圧倒的な」強さで優勝を掻っ攫っていくチームが存在するようになっていきます。

時には自衛隊が。時には元オリンピック選手が。そして時には現在ニューイヤー駅伝に出場するようなチームが。

毎年のように我がチームの前に立ちはだかり、優勝を阻んでいくのでした。

そして我がチームといえば、常に2位か3位に甘んじて、何年出場してもどうしても優勝だけが成し遂げられない状態が続いていきます。

20代、30代の頃は、本気でこの大会で優勝するために毎年練習と試走を重ね、ベストメンバーを揃えて臨んだものでした。

今から10年以上前はこうして上位に名を連ねることが数年にわたって続く、ある意味本大会での有名チームとなりました。

こうして、次第にこの大会で優勝することへの執着心が増し、初めは軽い気持ちで出場し始めたこの多摩湖駅伝が、ランマニアや我がチームにとっていつの間にか重要な「ライフイベント」となって行ったのでした。

たかが多摩湖駅伝、されど多摩湖駅伝。

気づけばもう、30年近く同じメンバーでこの大会に出続けていることになるのですね。

そして、4年ぶりの開催となった本大会。

流石に我々も歳を重ね、本来であればもう「壮年の部」での出場権が得られる合計年齢となりましたが、それでもあえて「一般の部」で挑戦しました。

今年は高校の部も統合されてしまい、我々「年配」には少し厳しい現実。

結果はご覧の通り。

例年、高校生は別部門であったため、純粋な一般の中では9位くらいには入れる結果となりました。

かつては、区間順位も2位とか5位とか、その辺りをキープできていましたが、流石にもう10位に入るのがやっとの状態。スピードもかなり落ちたな、と感じます。

ただ、一方で30年近く経った今も、同じメンバーでこの位置にいられるのは、まだまだやれるんじゃないか、と手応えを感じたのも事実です。

多摩湖の築堤工事が終われば、再び一区間7km以上のロングコースとなるため、我々「壮年」にも若干の希望が見えてきます。

3年間この大会が開催されず、若干気持ちが遠のき始めた多摩湖駅伝ですが、久しぶりに出場してみると、やはり若い人たちと競い合うのは楽しいと感じました。

メンバーもなんとか走力を維持していて、まだまだ老け込む状態でないこともわかり、これからもこのメンバーで走り続けたいと再認識できた今回の多摩湖駅伝した。

北は仙台から西は兵庫まで、この日の為にお金と手間をかけて集まってくれるメンバーには本当にご苦労かけますが、年に一度の「同窓会」にこれからもお付き合いいただければと思います。

板橋Cityマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

マラソンは、難しいですね。

というより、自分の体の特性では、よほど調整がうまくいかない限り、この種目で結果を出すのは並大抵のことではないな、と毎回感じます。

今シーズンは、4月から計3回のマラソンに出場しました。

最も練習を積めていた4月の長野マラソンはDNF。

次に練習を積めていた今日の板橋はほぼDNFの3時間9分。

そして、最も練習ができていなかったつくばマラソンがネガティブスプリットのサブスリー。

つまり、自分の場合、練習が積めていたかどうかよりも、いかに疲労(自分の場合は慢性疲労症候群の症状)が抜けている状態であるかの方がとても重要だということなのですね。

一方、今日の失敗の遠因は(いやむしろ直接の要因とも言えますが)、7月から故障で3ヶ月走れなかったことではあります。

7、8、9月とほとんど練習皆無の3ヶ月を過ごしたのは、冬から春にかけてのマラソンを走るには大きな痛手でした

通常、2月3月のマラソンを走るためには、例年7月8月あたりはかなり走り込んでいた現実があります。

それにより、11月以降、レースが立て込んできてもその回復が遅れることもなく、むしろいい刺激となりながら冬場に体を仕上げていくことができていました。

ところが、今回3ヶ月ものブランクを作ってしまったことで、基礎的な持久力も回復力も一気に衰えてしまい、ようやく復帰した後もなかなか長い距離を重ねていく体力がなく、強度の高いレースばかり迎えているうちにどんどん調子が落ちていった、という感覚です。

今回、確かにハーフマラソンの後3週間でマラソンを走るのは、自分の体ではかなり無理がありますが、夏場からしっかりと距離を踏んでいれば、ここまで調子を落とすことも無かったのではないかと考えています。

昨年故障から復帰した後の11月からのトレーニングを振り返ると、月間の走行距離はフルマラソンを走るためには明らかに足りておらず、その一方でレースはコンスタントに出場している状態でした。

疲労が抜けていた分、レースではそこそこの結果を残すことができましたが、絶対的な回復力が高まっていない中で、高い強度のトレーニング(レース)を次々と入れていっては、そのうち調子が下降していくのは目に見えていました。

今にして振り返ると、2月に出た埼玉県駅伝が一つのピークだったと思われ、そこから徐々に調子は下降線をたどり、深谷の頃には慢性疲労症状が「走れない程度の閾値」を超えてしまったように思えます。

確かに、だいたいLT付近のペースで走り続けるレースが続いたことで、10kmとかハーフとかのペースで走り続ける力はそこそこついてきたという実感はありました。

ただ、そもそもマラソンを走るために必要な絶対的な距離は足りておらず、そのための練習を続けても疲労を溜めにくい体が、全く出来上がっていなかったと考えています。

とはいえ、実は練習が積めていた時期(月間で350km以上)にあっても、今日のようなマラソンでの失敗は数え切れずあり、疲れやすい自分の体で、トレーニングを重ねながら疲労を溜めないようにしていくのは相当な難易度であると思っています。

7年前に東京マラソンで2時間40分を切った時も、その4ヶ月前に出たさいたまマラソンでは3時間20分近くかかっています。

通常、いくらレースで失敗したと言っても、自分のベスト記録からここまで落ち込むことはそうそうなく(他の種目ならここまで落ち込まない)、マラソンのような長丁場になればなるほど、自分の疲労症状が影響しやすくなってくるのは明白です。

だからこそ、なんとかそこを克服・攻略して走れた時の喜びは何倍にもなるのですけどね。

さて、実は明後日にもう1レース駅伝が控えていて、マラソンの2日後で肉離れ等の心配がかなりあるのですが、なんとかそこを乗り越えれば今シーズンも一旦終了します。

そのあとは3月中は走らず、4月からのトレーニングに向けて体を一度リセットさせようと思っています。

ふかやシティハーフマラソンと2月まとめ

こんにちは、ランマニアです。

今日は久々にレースでやらかしましたね。

昨年4月の長野マラソン以来でしょうか。

昨年度開幕レースで豪快に失敗した長野マラソン

ここ数日、お腹の調子が悪く、また昼間から猛烈な眠気に襲われ、朝も起きれないという、体調が悪い時の諸症状が軒並み現れていました。

長野マラソンの数日前も立っているのがかったるく感じたり、車を運転していてすぐに眠くなるような症状があり、だいたいレースで走れない時はもうその数日前にはある程度予兆が表れているのですね。

先週、レース1週間前としては異例の30kmジョグをしてしまったことも一因である可能性は否定できませんが、それ以上に先週は睡眠が足りておらず、週の後半の連休でその疲労がどっと出てしまった印象です。

今日はアップの時から足が重く、あまり長く走りたくない感じがして、ちょっと嫌な予感はしていました。

調子の悪さに加え、猛烈な強風に見舞われた7年ぶりのふかやシティハーフ

スタートして、思ったより足が動くな、と思い1kmの通過を見ると3分30秒と、ほぼ予定通り。

呼吸も意外と楽で、今日はこのペースを維持して目標の14分台を達成しようと、序盤は比較的前向きな気持ちで走ることができました。

ところが、その後すぐに猛烈な向かい風に見舞われ、一気にペースダウンします。

ラップも3分40秒台まで落ち、ちょっと今日は記録を狙える条件ではないと感じました。

長身ランナーの後ろに周り、体力を温存しながら10kmあたりまで余力を残して走りました。

しかし、その後追い風区間になり、若干ペースは戻すものの14km付近で急に足が止まりました。

呼吸は楽ですし、足が終わったわけではなく、4月の長野のような体がしんどい感じです。

あ、残り7kmはちょっと厳しいな、と気が遠くなるようなしんどさを感じ始めました。

そうこうしているうちに、お腹も痛くなり、トイレが我慢できない状態になりました。

ああ、いつも疲れてる時によくなるやつだ・・・、と今日はもうダメなことに気づきます。

トイレに入り、まずは3分以上のロス。

その後、キロ3分40秒くらいでどうにか維持しましたが、残り2kmで再びトイレが我慢できなくなり2度目のトイレ休憩。

ここでも同様に4分近いロス。

その後ペースも戻らなくなり、結局1時間23分以上かかってのフィニッシュ。

残念ながら、このタイムでは東京マラソンの準エリート枠はかないません。別のレースでもう一度チャレンジです。

深谷ネギはシンプルに焼いて食べると絶品です

さて、今回は仕事の関係で、なかなか体調を維持するのが困難な状況になりました。

仕事をしている以上、こういうイレギュラーな対応は年に何度かあるわけで、そうした中でも体調を維持できるマネジメント力は競技者には要求されますね。

先週、30kmではなく20kmにしていればもう少し調子を維持できた可能性はありますが、本命が3月のフルである以上、2月は少しでも距離を踏んでおきたかったことは事実です。

予期せぬ仕事の対応と調子の維持が両立できる方法を、今後模索していく必要がありそうです。

走って稼げない以上、日常に仕事が存在するのはデフォルトなので、そこは言い訳にならないですからね。

リカバリーの観点からも労働時間のマネジメントは重要ですし、走るために必要な資金を手に入れている時間であるならそれも広い意味でトレーニングだと考えています。

とはいえ、この2月はようやく理想としている練習サイクルに戻しつつある月になりました。

練習日数は20日間で距離が220km。概ね月間300kmペースに戻し、かつ、レースを使ってLT域にかなりの刺激を入れられました。

レースがあったことで、どうしてもレストの期間を挟む必要がありましたが、その中で先月の奥むさし駅伝も含めると、一月位LT域に刺激を入れ続けることができました。

今日は集団走であったとはいえ、前回の埼玉県駅伝とほぼ同じペースで15kmほど持つようになったことで、だいぶ走力の回復を感じました。

駅伝と今日のレースを入れると、約一月で40kmほどLTペースで走ったことになります。

VO2Maxへの刺激が圧倒的に足りてなく、今日もキロ3分20秒台にかかると急激に呼吸がキツくなるので、本当はここへの刺激をもう少し入れたかったのですが、フルにはあまり必要でない能力なので、残りの3週間は大人しくジョグで繋ぐ予定です。

レースが続きなかなか距離が伸びませんが、20日で220kmなので負荷としては先月よりも増加しました。

さて、板橋シティマラソンまで残り3週間です。

今調子としては底なので、ここからどう回復させるかですが、まずは1週間は休もうと思います。

脚の疲労というより、体全体が疲れてしまっているので、そこを回復させてからでないと練習しても疲労が増すだけですから。

できれば毎日しっかり睡眠をとって調子を整えたいところですが、突発的な仕事が入るとそうもいかなくなります。

そういう時に、どうマネジメントするかが鍵となりそうですね。

いずれにしても、今シーズン最後はある程度の手応えを感じて、来シーズンの見通しが持てる程度の結果を残して終えたいと思っています。

所沢シティマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

今日は地元所沢で3年ぶりに開催された所沢シティマラソンに出場してきました。

このレースは地元ということもあり、実は初出場は今から29年前の大学1年の頃に遡ります。

当時はまだ20kmの部門で、コースもしっかりと「シティ(市街地)」を走る、なかなか魅力的なロードレースでした。

おそらく、本レースが企画された時点では、市内の要所を巡るかなり壮大な計画のもとに設定されたコースであったことが想像でき、折り返し地点は市役所で、郊外の大通りや国道の一部もコースになっていたほどでした。

ところが、この本格的ロードレースが時を経るごとに次第に様変わりし、コースも徐々に市の中心部を離れ、最終的には未舗装路やトレイル並みの急坂を繰り返し上り下りさせられる、「キワモノレース」となってしまったことは、正直残念なところです。

大会PRに「起伏に富んだタフなコース」と明記される累積標高差約300mのハーフマラソン。もちろん非公認。

所沢市は、西の外れにいくつもの丘陵地帯が広がり、平坦な道を数百mも取れないほど坂が多い地域なのですね。

そこを中心に21kmもコースを作ろうとすれば、それはそれはとんでもコースになるのは必至で。

今日も走っていて、平坦路が最も長く続いたのは貯水池の堤防上の道で、おそらく500mあるかないかといった感じでした。

他は、通常のロードレースで「アップダウン」と呼べるほどの起伏は数えきれないほどあり、緩やかな上り坂(下り坂)はどこへ行っても存在し、ロードレースでは絶対にありえないほどの急坂が2度ほどありました。

いってみれば、それを覚悟して出場するのがこの所沢シティマラソンであるため、今日もそうしたコースでどこまでペースを維持するかが、常に課題となるレース展開となったわけです。

本大会唯一の魅力は、プロ野球埼玉西武ライオンズの本拠地、ベルーナドームに立ち入れること、くらいでしょうか。

昨日のブログにも書きましたが、今日のレースはとにかくLT域に刺激を入れるためのトレーニング的要素の強いレースです。

系統立てて練習を積んできていませんので、ここで結果を出そうなどというつもりはなく、イーブンペースをある程度の余力を残して維持できればそれでよし、なレースにするつもりでした。

ところが、スタートしてすぐにどうにも体が(特に脚が)重く、数km走って温まればそれも改善するかと思いきや、結局常に脚の動きにキレがなく、おもりを履いて走っているような感覚がずっと付き纏いました。

アップの時など、一定のバネはあり、軽快にWSも走れる一方、LT域のようなある程度の強度を維持しようとすると、すぐにかったるくなってしまうこの状態は、やはり蓄積された疲労が抜けきれていない時によく体感される症状です。

とはいえ、走り出してしまえば、周囲のランナーのペースに乗っかり、強度的に無理のないペースであればそこに身を置いて走り続けてしまうのが、レースというものでしょう。

ただ、疲労もさることながら、数百m走れば緩急問わず必ずやってくる上り下りの繰り返しに、どうしても呼吸が整わず、何km走っても同じようなキツさを強いられながら走ることになってしまいました。

また、スタート前に時計のバッテリーが死んでしまい、細かなラップもわからず、自分が今どの程度のペースで走っているかが全くわからない状態。

脚の重さのためか、体感的には1km4分近くかかっていそうな気もしていて、レース中一度も気持ちよく走れた時間はなかったほどです。

そんな中で、前のランナーを常に追いながらペースを作り、後半に待ち受けている数度の急坂も死ぬほどのキツさで上りきり、ラスト3kmでようやく訪れた平坦路で若干走りが整ったかな、という感覚が得られました。

ただ、その頃にはもうほぼ脚は終わっていて、最後に待ち受けているラスト1kmの登り坂では完全に止まってしまったのは残念でした。

過去のハーフでの最高順位は30代の頃に一度5位というのがありました。だいぶ歳をとりました。

ところが、フィニッシュタイムを見たら思いの外悪いタイムではなく、このコースでは相当な走力がなければ15分台は難しい(年代別優勝者が15分35秒)ことを考えると、今回のタイムは想定以上に走れた結果になったと思いました。

ペースも平均すると1km3分40秒ですから、ちょうど今の実力のLT2くらいは維持できたことになり、練習としてはかなり良い刺激を入れられたと感じます。

調子はあまり良くないながらも、今日のレースで目標にしていたペースは維持でき、練習としての負荷もちょうどよくかけることができ、年代別入賞のおまけまでついてきた収穫のあるレースとなりました。

そして2022年のレースはこれで最後になり、故障期間の続いた今年の最後にどうにかロードレースをまともに走ることができ、なんとか立て直すことができたかな、といった印象です。

この次は1月にまたハーフマラソンを予定していて、その後は駅伝が続き、もう一度本命のハーフ、そして3月に本命のフルマラソンが計画されています。

ハーフはそのペースと長さから、最も故障の危険が高まりますので、その間にちょくちょく入ってくる駅伝のダメージやレース当日の脚の状態を常に気にしながら、慎重に練習を続けて行かなければと思っています。

SJS年間順位が確定しました

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週のびわ湖バレイスカイランを持って、今シーズンのスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)も閉幕しました。

昨シーズンから本格的に「コンバインド」(VKとSKYを連日で走る)に挑戦し、年間を通して両種目でのポイント獲得を目指してきました。

昨シーズンは、後半戦、就職活動のためVKのみの出走になり、それが結果的に好結果につながり、VKの年間順位で総合10位、40代では6位に入ることができました。

https://drive.google.com/file/d/125RqF5fi4ZfvBMJSGTZo_7jBcwTiva8D/view?usp=drivesdk

最終戦のびわ湖がポイント2倍になることもあり、そこで一桁順位で走れたのが大きかったです。

昨年の経験から、今年こそ全5戦のコンバインドを達成し、VK、SKYの両種目で総合順位を狙いたいところでした。

ところが、5月の上田の開幕戦から体調管理に失敗し、VKの無得点、SKYの途中棄権という予想外の開幕となってしまいました。

あまりにも体調が悪すぎた今年の上田

しかし、そこから新しい仕事、新しい職場においてどう練習を組み込むかを模索した結果、通勤と週末を利用したトレーニングパターンがある程度かたまり、6月の東京バーティカルでは久々に会心の走りをすることができました。

何度も試走を行った東京バーティカルでは、ペース配分がガッチリはまったレースとなりました

一桁順位こそ逃しましたが、毎回どうしても勝つことのできなかった同世代の最強バーティカルランナーに僅差で先着することもでき、かなり嬉しかったのを覚えています。

ところが、このレースの前後に痛みが出始めていた、足底筋膜炎の症状がここから悪化の一途を辿ることになります。

この時は数週間で回復すると楽観的になっていましたが、結果的に今シーズンを大きく左右する大きな故障となってしまいました。

数日休んでは練習を再開し、痛みがひいたと思えばまた悪化させを繰り返し、誤魔化しながら出走したのが、東京バーティカルと対になるSKYの関東シリーズである嬬恋スカイランでした。

予想だにしなかった難コースに打ちのめされた嬬恋スカイラン

レース当日は調子も良く、中盤まではかなり良い順位で戦えていましたが、終盤補給を怠ったためか急激な体調悪化に見舞われ、大きく順位を落とすことになりました。

最終盤に待っていた登り区間で終戦となってしまいました。

そして、このレース以降、足底筋膜炎の痛みに悩まされることになります。

まず、最も楽しみにしていた富士登山競走のDNS。

八月も全く走れず、9月の蔵王にも結局間に合わず、こちらもDNS。

この時点で、まだ足に痛みが残っていたため、正直今シーズンはもう終わったと思っていました。

9月の下旬あたりから数kmずつ走り始め、10月の半ばでもまだ10km走るのがやっとの状態でした。

そんな中で、久々のレースとなった志賀高原エクストリームトレイルに出場しました。

トレイル練のつもりで出走したエクストリームトレイルでしたが、まさかのセカンドベスト

当初は、11月のびわ湖バレイに向けてのトレイル練再開のつもりで走る予定だったエクストリームトレイルでしたが、序盤から控えめに入ったことで、予想外の好走となりました。

久しぶりにトレイルを走ったため、脚へのダメージはそれなりにありましたが、序盤を抑えてゆっくりと走り切ったためか、思ったよりも疲労は残らず、翌週の烏帽子スカイランはどうにか最低限走れる状態では臨むことができました。

両レースとも、大した走りはできませんでしたが運よく14位に入ることができました。

VKでは、自身の力を過信し、前半から突っ込んでしまった結果、終盤は見るも無惨な走りとなりましたが、出場選手の関係でどうにか14位に入り、久々にポイント獲得となりました。

SKYも、マイペースを貫き、後半のロード区間も無難に走った結果、こちらも14位でポイント獲得。

シリーズ戦最終盤で、残すはポイントが2倍になるびわ湖を残すだけとなりました。

ところで、今シーズンは例年毎年のように参加していたつくばマラソンが再開され、そちらにもエントリーしていたのですね。

ここは、びわ湖に備えてロングジョグのつもりで走るつもりでしたが、走ったところで調子に乗ってしまい、結果的に後半の20kmはキロ4分の距離走を行うことになりました。

まあ、当然疲労は一気に溜まりましたね。

中盤以降、気持ちよくロードを快走してしまった5年ぶりのつくばマラソン

そして迎えた最終戦。

先日報告した通り、まさかの4レース連続14位というギネス並の結果で今シーズンのスカイレースを終えることになりました。

びわ湖テラスの景色は最高でした

そして、最終戦の結果を待って、SJSの総合順位も決定しました。

https://drive.google.com/file/d/1nk2XIUuAUYd9KKpV30_9KOQjce2Sssam/view?usp=drivesdk

VK部門は総合20位。年代別は今年から5歳ごとに細分化されたため、M45で2位という結果となりました。

40代の強豪ランナーたちと別カテゴリーになったおかげで、部門別2位になれたのは正直嬉しかったですね。

https://drive.google.com/file/d/1nrFrSvkPq4U31igYlTRLGy9q-cswAJJD/view?usp=drivesdk

SKY部門は総合25位。年代別は、こちらもM45になったことで3位というありがたい順位をもらえました。

こうして、故障やら不調やらでポイントすらつかないかと思われた今年のシリーズも、どうにか最低限の結果を残して終えることができました。

ただ、今年のシリーズ通して言えることですが、今回はどのレースも出場選手が若干寂しい感じはしました。

以前は、ワールドクラスで活躍している「あの」男性選手や、VKでは圧倒的な強さを誇っている「あの」女性選手もシリーズ通して出場していたSJSでしたが、いつしか彼らの主戦場が別の場所になっていったように思います。

それは、ここ数年トップクラスの選手がSJSから流出していってしまっているなぁと、薄々感じてはいました。

昨年度鮮烈デビューを果たした「あの」ユーチューバーさんも、今年は別のところで活躍されましたし。

確かに、あるところでトップを極めると、もうそこには留まりたくない気持ちはあるのでしょう。

このSJSは一つの到達点、通過点なのかもしれません。

そういう意味では、ここは若手の登竜門的な存在であり、これからもどんどん新しい若い選手が挑戦する場になっていくのかもしれません。

それは、自分たちのようにトップクラスではない平凡ランナーにとってはそこそこの順位争いができる、楽しいシリーズになることは間違い無いのですが、一方で、真の一流選手がチャレンジし続ける「挑み続ける価値あるレース」とはなっていない気もして、そのあたりに寂しさは感じるのですね。

ランマニア的には、まだまだここでチャレンジしたい気持ち満々ですし、シニアの部で世界選手権を目指したいなんて割と真面目に考えたりもしています。

来年度は、上位を独占している40代集団をもっともっと脅かす、若い選手たちがたくさん参加してくれることを期待しています。

びわ湖バレイスカイランに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

つくばマラソンから中5日。

初めてフルマラソンを完走した翌週にトレイルレースに参加することになりました。

フルのダメージは、自分で感じている以上に体内の様々な部分に残っているため、今回フルから中5日でトレイルを走るにあたっては、疲労の状態や脚のダメージに対し、いつも以上に注意を払って1週間を過ごしました。

つくばマラソンでは、ネガティブスプリットの走りによって完全に脚を使い切ってしまったため、びわ湖バレイは想定外の疲労状態で出場することになってしまいました。

キロ4分30秒でジョグのつもりが、後半はキロ4で20kmペース走となってしまったつくばマラソン

10月に練習を再開した当初は、つくばのフルはジョグ程度にとどめ、びわ湖で出し切る予定でいたのですね。

ところが、結果的につくばで出し切った形となり、今回のびわ湖は疲労を抱えた中で、どこまで勝負できるか、ある意味消耗戦のような様相を呈したレースとなりました。

初日のバーティカルは天気は快晴。フィニッシュ地点の打見山山頂、そして翌日の折り返し点蓬莱山山頂もくっきり。

今回、2日目のスカイレースは、悪天候プランに変更となり、コースはバーティカルのフィニッシュ地点である打見山山頂からさらに2kmほど、累積標高で300mほど進んだ蓬莱山を折り返すショート部門と同様となりました。

結果的には、この変更が自分にとって幸いし、2日目のスカイレースもどうにか勝負になるレース展開に持ち込むことができたのでした。

バーティカルのフィニッシュ地点から、スカイレースの折り返し地点蓬莱山頂が見渡せます。

初日のバーティカルは、4.5kmという距離に惑わされず、累積では900mも登るコースであることを念頭に、序盤から抑え気味で入りました。

昨年は、調子が良かったこともあり、序盤から相当に追い込み、累積300m手前ですでにオールアウト気味になった苦い失敗があります。

4.5kmという響きに頭が勘違いをし、まるで1500mレースさながらの追い込み方で坂を登り続け、早々にオールアウトした2021年大会

今回は、練習も詰めておらず、さらにはフルの疲労が相当に残っていたことから、とにかく終盤の急登に脚を温存するプランで臨みました。

案の定、序盤は最下位近くまで遅れを取り、流石に焦りましたが、思ったよりも長丁場になるこのコースの特性上、勝負は終盤になると踏んで、焦らず自分のキツさにだけ注意を集中しました。

ところが、それでもフルの疲労が常に付き纏い、途中に歩きを入れるくらいのスローペースでさえ、やめてしまいたいほどのしんどさに襲われました。

いつもは先行されることのないランナーにも遅れをとり、今回は流石にもうだめかな、と思っていたところ、後半、一旦勾配がゆるくなる区間で休めたことがきっかけで、もう一度脚が動くようになりました。

この現象は、翌日のスカイレースでも同じように現れました。

累積200mを切ったあたりで、もう脚は完全に止まっていましたが、バーティカルの場合、最後はたいてい我慢を効かせて踏ん張るしかないので、少しでも動くなら出し惜しみせず動かし続けたほうがどうにかなってしまいます。

フィニッシュタイムは、昨年よりも2分遅れでしたが、この疲労状態の中では割と走れた方だと、手応えは感じました。

VO2 Maxが相当に衰えている中で、巡行ペースは確実に落ち込んでいますが、最後までおおかたイーブンペースを維持できたのは、10月以降のレースの中で徐々に有酸素機能が回復してきた証拠かもしれません。

初日のバーティカルは42分47秒の14位。昨年の一桁順位はできすぎなので、これでも満足です。

さて、翌日のスカイレースも、ショートコースへの変更に伴い、走るコースはほとんどが同じ場所です。

序盤は、前日のバーティカルをそのままなぞります。

2日目は、前日に比べてさらに疲労状況が悪化しており、もう始めのゆるい登り坂でさえ走るのがかったるくて仕方がない状態でした。

累積500mすぎで、今日はもうやめてしまおうかと思うほどのだるさを感じていました。

さらに、いつもなら先着できる50代のランナーたちもずっと前を走っていて、自分のペースが相当に遅いことにも気づいていました。

ただ、そんなことを考えていても、動かないものは動かず、ただただ目の前の坂を、脚を使いすぎないように登ることだけを考えて、淡々と脚を動かすだけでした。

2日目は雨さえ降らなかったものの、山頂付近は猛烈な強風が吹き荒れ、一気に体温が奪われる状況でした。

それでも一つ目のピーク打見山山頂に到達し、そこから一度ゲレンデの急斜面を一気にダウンヒルする区間で、強制的に脚を動かされました。

なんともいえない脚のだるさによって、急降下するスピードに脚の回転がついていけず、何度も大転倒するのではないかとヒヤヒヤしながら坂を下り続けました。

下り切ると、折り返し地点の蓬莱山に向けて一気に標高差100m以上の急斜面を駆け上がります。

この区間を頭に入れていたため、思いの外ここでは脚が動き、ようやく前を行くランナーたちに一人ずつ追いつくことができました。

この区間で、最終的には折り返しまでに4〜5人順位を上げ、脚を残した状態で後半戦に突入しました。

遥か彼方に見えるリフトの終点あたりが折り返し地点。

折り返してすぐに、ゲレンデの急降下が待っています。

いつもは苦手なゲレンデ下りですが、登りで温存したせいか、この日は割とスムーズに脚が前へ前へと出て、軽やかにスピードに乗ることができました。

最後に900m一気下りが待っているため、ここでも使い切ることは許されませんが、それでも楽にスピードを出すことができ、行きに下ったゲレンデの最後の登りもどうにか脚を止めずに登り切ることができました。

そして最後は、バーティカルの逆コースです。

テクニカルな岩場が続く、スカイレースならではの下り区間ですが、ここでも脚がしっかりと動き、脚が止まった時に感じるような恐怖を感じることなく、軽快にトレイルを飛ばすことができました。

序盤に感じていた疲労感が嘘のように、割と元気に最後まで走り切ることができました。

実際、脚の疲労はかなり残っていたのでしょうが、体感的な疲労感は一時的に麻痺していたのでしょう。

スカイレースの最終順位も、前日のバーティカルと同様14位。

ロングバージョンであれば、2度目の蓬莱山登山を、おそらくこなすことができずにDNFしてたであろうスカイレースでしたが、ショートになったことが自分には幸運でした。

気づけば今シーズンのジャパンシリーズも終了。例年になくあっという間にシーズンが過ぎてしまいました。

さて、こうして今シーズンのジャパンシリーズも幕を閉じました。

春から色々なことがあり、一時は終盤戦まで勝負にならないのではないかと危惧された、今シーズンのスカイランニングでしたが、終わってみれば8レースに参加することができました。

シーズン全体の総括は、次回に回したいと思います。

びわ湖スカイランの最大の魅力はなんといっても山頂からの絶景です。これのために、単発で出場するのもありだと思います。

烏帽子スカイラン SKYエリートに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて今回は、烏帽子スカイランの「SKY」部門のレースレビューです。

「SKY」部門は、JSA的にはいわゆる「スカイレース」の部門で、累積標高差がだいたい1000m〜3000m、移動距離が30km程度までの山岳レースを指します。

今回の烏帽子は、移動距離25km、累積標高差1550mという、SJSの中ではおそらく最も「走りやすい」スカイレースの部類に入ります。

個人的に最難関は、上田バーティカルレースにおけるスカイレース(塩尻コース)で、こちらは移動距離は25kmと変わらないものの、累積標高差はなんと3000m。

通常のランナー感覚からすると、「なんだ距離は変わらないじゃないか」と思われるかもしれませんが、同じ移動距離で累積標高差が倍近くあることに注目です。

スカイレース(バーティカルもですが)では、移動距離に対する累積標高差の比率がかなり重要でして、1kmあたり100mの獲得標高をはるかに上回る上田のコースは、それだけ急峻なコース設定がなされていることを意味します。

一昨年の塩尻コースは、出走3回のうち唯一まともに走り切れたレース。それほど攻略が難しい上田の塩尻コース。

こうしたスカイランニングの特徴を考えると、先日の烏帽子はかなり楽に走れる部類に入り、レース時間も2時間から3時間に収まる程度の、高速コースとなっています。

この烏帽子スカイレースの最大の特徴は、なんといっても、後半に相当な距離の「ロード区間」が待っていることですね。

通常、スカイレースでは一般的なトレイルランニングに比べて、林道やロード区間、あるいは快適に走れる平坦区間が限りなく少ないのが特徴ですが、この烏帽子に限っては、終盤はあたかもロードレースさながらの展開が待ち受けています。

一昨年は、そのあまりにも長いロード区間で完全にやられてしまい、序盤の烏帽子岳を登った爽快な気分が、ゴールではすっかり消えてしまったのを覚えています。

烏帽子岳登山を終えた後の下りで、若者ランナーに激ぬかれした一昨年の烏帽子スカイレース。

そんな苦い経験のある烏帽子スカイレースであったため、今回はある対策をしてみました。

それは、思い切ってロードシューズで走ってみよう、ということでした。

前半の烏帽子岳登山を含むトレイル区間は、総距離の約半分、12km程度です。

しかも、ほとんどが落ち葉が堆積した非常に走りやすい足場で、硬い岩場が現れるのは、山頂付近にとどまり、あとはトレイルシューズでなくとも思い切り着地のできるサーフェスが続きます。

前半、烏帽子岳までの登り区間はこのような快適なトレイルが続きます。これほど足場が整っているスカイレースも珍しいです。

一方、トレイル区間が終わった先は、2〜3km続く砂利道の林道区間、そしてその後はほぼ全てがロード区間となります。

つまり、走る距離の半分、時間にしても半分以上は砂利&ロードなのですね。

しかも、その後半の一般道区間はほとんどが下りで、足へのダメージもかなりのものがあります。

山頂から下ってくる急坂下りでやられた脚にとって、その後10km以上続く一般道は相当なダメージが上乗せされる嫌な区間です。

なので、一昨年はクッション性の低いトレイルシューズが終盤あだとなり、せっかくの高速区間がただのジョギングと化してしまったのでした。

唯一トレイルシューズの恩恵が受けられるのは、この山頂付近の岩場くらい。

果たして今回、この作戦はかなり功を奏しました。

序盤の烏帽子岳登山で、相当にペースを抑えたというのもありますが、山頂を過ぎてからの激坂下りも、足場の悪い林道区間も、全く恐怖はなく、思い切り膝下を前に出して豪快に飛ばすことができました。

もしかすると、スカイレースの下り区間で、ここまでぶっ飛ばしたのも初めてだったかもしれません。

それほど脚の動きも良く、また、着地の恐怖も軽減されていました。

そして、問題のロード区間についても、一昨年のようなジョギング大会ではなく、明らかに「レースしてるぞ」といったイメージで、現在のLT付近のペースを維持できていた印象です。

ただ、今回唯一失敗したのは、このロード区間で地味に繰り返されるアップダウンによって、思いの外脚を使わされてしまい、最終盤の「山登り」で脚が終わってしまったことでした。

せっかく、下り区間まで脚を取っておいたのに、これは非常にもったいなかったです。

スカイレースにありがちな、最終盤の登り区間。

このコースにも、最後の最後に3つの急登が用意されているのです。

禰津(ねつ)城。

お姫様の巨石。

そして、フィニッシュ地点に向かう最後の石段。

この3箇所に加え、ロード区間でも一旦登り区間があり、トータルで累積100m近くにはなる侮れない急登です。

今回は、ロードを飛ばし過ぎた結果、この3箇所の登りで、一気にペースダウンをしてしまったのが悔やまれます。

フィニッシュ地点へ駆け上る最後の石段。レース中は、常にこの存在が頭にあります。

最終的なタイムは2時間32分14秒。

一昨年よりも2分近くタイムを縮め、やったPBだと喜んだのも束の間、実は今回からスタート地点がこの石段ではなく、それよりも数百m進んだ先にある登り坂だったため、縮めた2分はちょうどその分であったことに気づきました。

今回から一斉スタートとなったため、スタート地点がだいぶ先になりました。

とはいえ、一昨年よりも練習が積めていない状態でほぼ同タイムで走れたことはかなりの収穫で、これは多少なりともレースに向けた対策が生きた結果となりました。

一つは、序盤の登りをかなり抑えたこと。

もう一つはロードシューズで走ったこと。

この2点の工夫が、今ある限られた実力を最大限に発揮できた要因だったと思います。

トレイルは、ロードレースやトラックレースに比べて、結果に影響する因子が膨大に上るため、ロード・トラックのようなシビアな世界ではありません。

単純に走力や登坂力だけでなく、ペース配分などの工夫をするだけで、かなりネガティブな要素を打ち消すことができる競技ですね。

そうした意味では、まだまだ自分の実力を開拓する余地は残されていますし、トレーニングのアプローチも工夫できそうに感じています。

いずれにしても、練習が十分積めていない状態で参加しても楽しめてしまうスカイレースは、トレーニングの中でちょうど良い気分転換になる種目であると、改めて感じた二日間でした。

烏帽子スカイラン VKエリートに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

故障から復帰後、第2戦目はここ数年連続で出場している「烏帽子スカイラン」です。

この烏帽子は、日本スカイランニング協会(JSA)のスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)戦にも位置付けられていて、バーティカル「VK」とスカイランニング「SKY」のそれぞれ「エリート」がそれに当たります。

このシリーズ戦で、毎試合登録者の中で30位に入るとポイントが加算され、そのポイント数で年間シリーズを戦う、魅力的なシステムになっています。

さて、そんなSJSの第4戦、烏帽子スカイランの、まずはVKのレースレビューです。

通常バーティカル競技は、累積標高差1000m程度を一気登り、登りっぱなしのコース設定となりますが、烏帽子は珍しく下りや平坦区間がかなり設定されています。

この烏帽子のVKは、ここ数年出場するたびに自身のコースレコード(PB)を更新し続けている縁起のいいレースとなっています。

比較的走れる区間が多く、また下りも存在する珍しいVKのためか、割と自分自身の特性にはマッチしたコースです。

昨年は、練習も積めていて、さらに当日の調子も良かったせいもあり、序盤からかなり飛ばし気味に入ったものの、終盤の失速も最小限に抑えられ、65分台のベスト記録を更新することができました。

昨年は自分でも驚きのPBで自信を深めたレースとなりました。

そうした良い印象のあるレースであるためか、今年のレースも、前週に志賀高原を走って中5日だというのに、さらに10月に練習を再開したばかりだというのに、何だか今年も昨年同様に走れてしまう根拠のない自信に満ち溢れていたのですね。

レースで失敗する時は大抵、こういった自身の体の状態を把握しきれずに、気持ちだけが先走った場合です。

今回も、アップの時からなんとなく脚が重く、上り坂で感覚を確かめようとしてもすぐに失速するような最悪の状態であったにも関わらず、スタートからそこそこのペースで駆け上がってしまいました。

スタートして1kmのロードが終わると登山道に入りますが、初めの尾根越えの時点で足が終わりかけて絶望しました。

疲れているため、きっとペースが遅いだろうと思っていたところ、かなりの序盤でいつも歯が立たない同年代の有名ランナーに追いついてしまい、これはもしやOPなのでは?と気づいた時には時既に遅し。

累積にしてわずか300m程度の段階で、既に脚の動きが鈍くなりかけていました。

こうなってしまうと、残りの900mを登るのはかなりしんどくなります。

本来、急登続きの終盤に脚を取っておかなければ、大幅なタイムロスが生じてしまうスカイランニングですから、この展開はかなりまずい展開でした。

案の定、例年ならまだまだぐいぐい押せていたはずの終盤の緩やかな登りでもある気が入ってしまい、急登では止まりそうなほどのペースダウンを強いられました。

また、練習不足から、一歩で登れる距離も短くなっていて、知らないうちに巡行ペースもかなり落ちていたようでした。

登山道のような急な登り坂は、いったん動きが止まると進むために必要な時間が2倍3倍と跳ね上がるので、ロードレースやトラックのように、脚が止まってもそこそこ進めるようなことはありません。

なので、さっきまであれほど順調に登り坂を進めていた様子から一変して、まるで別の競技に変わってしまったかのような動きと、進む速度に変わってしまうのですね。

ラスト200mある岩場に、10分近く要してしまいました。

結局、毎年苦しめられる最後の岩場も止まるような速度にまでペースが落ち、結果として昨年のPBから約4分遅れ、そしてまさかの自己ワーストタイムでフニッシュという結果となりました。

練習ができていない中でOPともなれば、簡単にワースト記録となってしまうバーティカルの恐ろしさも実感しました。

順位的には14位と、ポイントもかなり獲得でき、練習不足の割には満足いく結果と言えなくもないですが、レース終盤は潰れてしまった悪い印象が残り、軽快に気持ちよく登り坂を走るVK特有の楽しさを味わえなかったのはとても残念でした。

烏帽子の最大の魅力はやはり山頂からのこの絶景です。

ただ、それでも山頂に到達し、360度のパノラマビューに飛び込むことのできるこの烏帽子VKの最大の魅力は、その絶景にあります。

通常なら2時間も3時間もかけた先に待っているこの山頂の風景を、我々はわずか1時間足らずで目にすることができ、山頂がゴールのVKではそれにしばらく浸ることができます。

多少のタイムや順位の悪さも、この景色を前に、まあ許せてしまうのがVKの良いところですね。

翌日のSKYでは、ここを折り返し、一気に麓に向かって下っていきます。

体調や体力不足を見誤り、ペース配分を大きく間違えた初日のVKでしたが、2日目のSKYではその反省を生かしてレース展開を大きく変えることになりました。

次回は、SKYのレースレビューです。