嬬恋スカイラン スカイリッジ(ロング)に出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

日曜日はスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)のSKY部門第2戦、嬬恋村で開催された、嬬恋スカイランに出場してきました。

このSJS第2戦は、先週がバーティカル(VK)部門、そして翌週にSKY部門が開催されるという「変則コンバインド」方式で行われることになりました。

先週はVK部門の第2戦が東京都で開催。

先週のVK前日あたりから、右足の足底にやや気になる痛みがあったため、レース翌日から3日ほど練習を休み(通常VKならそれほど休み入れません)、その回復具合によっては、今回の嬬恋がもしかすると危うい状況になる可能性も秘めていました。

結果的に今回のレースで症状が悪化することはなく(むしろ改善)、想定された故障の心配は杞憂に終わりましたが、先週はかなり足の状態に気持ちがナーバスになっていたのは間違いありません。

そんなことから、今回のレースを走るにあたっては、結果として練習がかなり落とせたことで疲労は抜け、割と絶妙にピーキングができていたように感じていました。

ただ、とにかくレース中に故障が発生したり、走行不能になったりしないかということだけが気がかりで、レースの序盤は常に右足の足底に気を配りながらのレース運びになりました。

かろうじて天候が回復し、予定通りのプランAでの開催となりました(昨年は地獄のプランB、2周コース)

今回のは、「スカイリッジ」という約2000m級の稜線を走り通す、本格的なスカイランニングレースです。

SJSが規定する、いわゆる「SKY」部門でも比較的距離が長く(38km)、累積標高も2600mに迫る、上田スカイに匹敵する難易度を誇ります。

しかし、高標高を走り通す上、途中にエスケープルートが確保できないため、悪天候時は危険回避のプランBになることがあり、昨年は同一コースを2周するルートに変更された経緯があります。

去年は悪天候プランB、脅威の「バーティカル2周」コースとなりました

今回も、前日は土砂降りの雨が降り、当日の天候も心配されましたが、なんとか翌日は天候も回復し、通常通りのコースを走ることができました。

このスカイリッジの特徴は、とにかく長い時間高標高を走り続けることにあります。

今回も走りながら気づいたのですが、やはり標高2000mを超えるエリアを走っているときは、明らかに呼吸の苦しさや視界の狭まりを感じ、場所によっては吐き気をもよおした区間もありました。

同様なコースで、秋に行われる「志賀高原エクストリームトレイル」というがありますが、あちらよりも、高標高のしんどさを感じやすいコースだったように思います。

天候が回復したとはいえ、絶景が拝めることはほとんどなく、毛無峠付近では暴風雨という想定外の展開に

そうした中でも、今回は練習を落としたおかげか、初めて到達する毛無峠や御飯岳までかなり余裕を持って走ることができ、折り返してゴンドラリフトの四阿山直下の稜線にたどり着くところまでは、かなりいい順位でレースを展開することができました。

ここまでで距離は大体26km、累積標高は2000mにせまるあたりでしたので、脚の残し方から無難にまとめられるのではないかと、甘い目論みでいたのですね。

ゴンドラの山頂駅付近からフィニッシュ方向を望む。あとは下るだけだと思ったら大間違いでした。

事態が急変したのは、その稜線を辿って、四阿山の山頂直下へ向かうまでの緩やかな登り。

残しておいたはずの脚が、急激に動かなくなり、これまで走れていたような勾配でもガッツリ歩きが入るようになってきました。

ここまで後ろから抜かれることがなかった中で、初めて後続のランナーにも抜かれるようになりました。

この急激な変化の前に起こった気掛かりな変化は、レース中に初めて体験する「空腹感」でした。

通常、トレイルレースでは、比較的こまめに給水、給食をしているので、あまりお腹が減るということはないのですが、今回は、足の故障が気になっていたため、レース前にしっかりとレースを走る意識があまりなく、補給食もいつもより少なめにしてしまったのですね。

また、コースプロフィールも「上田よりは楽だろう」という変な楽観的な見方をしていて、補給の重要性を忘れていたというのもありました。

その「空腹感」のあとにやってきたのが、体に全く力が入らない状態と、頭がくらくらする状態。

これがいわゆる「ハンガーノック」ってやつか?と、これに気づいた時には相当に焦りました(ただ、後で気づいたのですが、ちょうどこの区間は標高が最も高いエリアで、酸欠の影響も少なからずあったものと思います)。

かろうじて、最後の補給食「一本満足」を一つ残してあったため、それを急いで補給し、四阿山を下りながら、どうにかある程度は走れる状態にまで戻すことができました。

しかし、最後の最後に大きな大誤算が待ち受けていたのですね。

ラスト4km。残していた累積標高差が、ここで待っていました。

事前の説明会で、最後に急な登りがあることはわかっていました。

しかし、ここまでの長さと標高差とは思ってもなく、完全に終わっていた脚と、残されたエネルギーでは、ここを登ることはできませんでした。

最後は走ったり歩いたりから、歩いたり止まったりに変わり、完全にただの我慢大会になってしまったのが非常に残念でした。

下山する頃にはようやく天候が回復し、初めて晴れた嬬恋の景色を拝むことができました。

ただ、リザルトを見ると、かなりのエリート選手でもこのコースを苦戦していた様子がわかり、上位との差が、通常の5時間レベルのスカイレースよりも開いていないことに気づきました。

足が止まらなければ、と思いつつ、いつも上位に来る常連さんたちでも最後まで走り通すのが難しいコースだったことを考えると、ある程度の結果は残せたのかもしれないと、思いを改めました。

当然課題はいくつもありますが、先週のVKに引き続き今週のSKYでもポイントを獲得でき、大きな故障や怪我なく完走できたことで、ひとまずはSJSの第2戦の目標は達成できたと思っています。

念願だった、「グンマー帝国」に到達

東京バーティカルレース 上田の失敗から1ヶ月

こんにちは、ランマニアです。

今日はスカイランニングジャパンシリーズ、バーティカル部門(VK)第2戦、東京バーティカルレースに出走してきました。

もともと、この東京バーティカルは同じ東京にある大岳山を舞台に始まった、東京都初のバーティカルレースだったのですが、会場の都合やコロナ禍のために中止やコース変更などが続き、今日は2年ぶりの開催となったのですね(御前山での開催は初)。

ランマニアも、過去には大岳山のコースを試走したこともあり、とにかく数年来このレースを楽しみにしていた一人です。

さて、そんな東京都を舞台にした完全ホームグラウンドのバーティカルレースですが、ランマニア的には、今回のレースにはもう一つ重要な意味がありました。

今年度、転職を機に生活が大きく変わり、それを境にした4月、5月のレースはことごとく失敗が続いてしまったのですね。

なんとなく自分の中で、転職や仕事の内容、ライフスタイルのせいにしたくはなく、たまたま練習の疲れが出てしまったタイミングだったとか、風邪を引いたことが原因だったと思いたい部分があり、早く、新しい仕事を続けながらもレースでうまく走る機会が訪れないかと気持ちが急いていたことは事実です。

そんな中で、5月はかなり練習が積め、体調も悪くない中でようやくレースを迎えることができたのですね。

去年、今年と二度も試走をして馴染み深い御前山の東京バーティカル

この御前山のコースは、昨年から試走を行い、今年も2週間前に走ったばかりで、ある程度ペース配分やレースの見通しの持てる状態になってはいました。

ただ、4、5月の失敗の記憶がなかなか払拭できず、どうしてもレースで走れるいいイメージが持てないでいたのです。

それでも、アップの時から近くの坂はぐいぐい登れるし、脚は全く疲れないため、少なくとも上田よりは勝負になるんじゃないか、という予感はしていました。

初めの1kmはロードを含む急坂の下り。ここはアップのつもりで自重しました。(画像は昨年試走時のもの)

レース時間はおそらく1時間程度。

そうすると、呼吸のキツさや脚のしんどさの目安としては、大体ハーフマラソンのレースか、それより少し速いくらいのものをイメージして、1時間走り通す感覚を意識しました。

なので、序盤の川を渡るまでの下りもその感覚に集中して、ペースを上げすぎないように気をつけました。

このコースの特徴は、序盤にロード登りもかなりの間続くこと。登山道より勾配は緩いのに、進めてしまう分、登山道よりも呼吸、脚ともにキツくなります。(画像は昨年試走時のもの)

そして、このコースの特徴として、総距離の前半半分でトータルの累積標高の3分の2程度を稼いでしまう「超前半型」となっている点が注意すべきポイントです。

ロード区間を含むこの急勾配エリアで無理しすぎると、後半の平坦、もしくは下りのペースを上げられる区間で脚が動かなくなるリスクが伴います。

この辺りも考慮し、前半は、走れるペースではあるものの、一杯一杯にならない程度にキツさをセーブする、と言うことに意識を全集中させて走りました。

ロードが終わってもこの急勾配。抑えたつもりでも、このツケが終盤回ってきました。(画像は昨年試走時のもの)

ただ、先週久々にVO2Maxペースのインターバルをやったことと、先日200mを軽く数本走っていたせいか、呼吸が上がってきても、その荒い呼吸のままぐいぐいと押していける、昨年度のVKの感覚が戻っており、キツさの中にもレースで勝負できている手応えを常に感じながら走ることができたのも事実です。

もちろん、上田の2レース、先々週の試走を通して得られた「山慣れ」の効果があったことは言うまでもありません。

そうした、「登坂力」と「長距離走の持久力」との融合が、このバーティカルレースという種目のパフォーマンスを高めることに、改めて気付かされながら終盤を迎えます。

この表示からが最後の踏ん張りどころが続きます。この最後の区間で脚が止まると、一気に差がついてしまいます。(画像は昨年試走時のもの)

流石に、序盤の攻めが影響して、最後の1kmでは急坂を中心に歩きが入り始めました。

ただ、歩いては走り、走っては歩きを繰り返すことは可能で、決して脚が終わったわけではなく、最後まで勝負できている実感はありました。

週末の30km、LTインターバル、VO2Maxインターバル、200mレペティション、そしてトレイル走。

これらの全ての要素が久々にうまく融合し、最後まで脚が止まるか止まらないかのぎりぎりのペースを維持できたものと考えられました。

久々にフィニッシュラインで出し切って崩れ落ちました。むしろ、これくらい追い込める時ほど好調な証拠です。

脚は最後まで動き続け、フィニッシュ時は酸欠気味になりましたが、ここまで追い込めたのも久しぶり。

時計を見ると、まさかの58分台で、目標としていた60分台どころの話ではなく、久々に持てる力を全て出し切れたレースとなりました。

第2戦という早い段階でポイントを獲得できたのも収穫でした。

最終順位は12位で、ポイント獲得の30位以内も確保。

流石に第2戦でも失敗すると、いよいよ焦ってくるので、ここで獲得できたのは良かったです。

今回は、とにかく5月にしっかり練習が積めたこと。

そして、その中でも体調を維持できたこと。

この二つが成功の要因であったと思います。

そもそも、大きく変わったライフスタイルの中に、どう無理なく練習を組み込むかを試行錯誤して、一定の答えを出せたことが大きかったと思います。

上田バーティカルレース 走れなかった理由を考えてみる

こんにちは、ランマニアです。

スカイランニングジャパンシリーズ(SJS)の初戦が、今年も上田は太郎山を舞台に開催されました。

GWの穏やかな気候の中、新緑の山を駆け抜けることのできる毎年楽しみにしているレースです。

そんな心待ちにしていたSJSの開幕戦でしたが、残念ながら今年は過去最低の走りとなってしまいました。

もちろん、長年競技に取り組んでいればいい時も悪い時もあるので、今回のようなレースもまあちょくちょくあるのですね。

SJSの初戦は上田で開幕

ここで先日のレースを簡単に振り返ってみます。

まず、初日のバーティカル(5kmで1000mを一気に駆け登るレース)は、昨年よりも6分ほど遅い59分30秒で順位も50位を超えてしまいました。

累積300m地点で早くも体がしんどくなり(呼吸が苦しいとか脚が動かないとかそれ以前に、体全体に力が入らなくなり)、歩いたり、立ち止まったりしたくなるほど。

バーティカルのような短い距離では初めての経験でした。

ゴール後も非常に体調が悪く、翌日のスカイレースは棄権しようかと思えるほどで。

市街地から直登できる太郎山山頂からの眺めは、他の山岳レースとは一味違った独特の絶景

そして一晩寝てどうにか体調が回復し、だいぶ「走りたい」気持ちが戻ってスタートラインに立つことにした、翌日のスカイレース。

前日のバーティカルに比べ、明らかに体調は良く、中盤まではかなり余裕を持って登りも下りも走れていました。

しかし、累積1600mを超えたあたりから次第に脚に力が入らなくなり、登りのペースが体感できるほどに落ちていきました。

実は3年前に初めて出走したこの上田のスカイレースでも同じ状態になり、最終的には最後の太郎山に登るのも立ち止まりながらようやく山頂に辿り着き、下りも両足が痙攣してまともに体を支えられない状態でフニッシュしたことを思い出しました。

こうなると、ただの我慢大会となり、時間だけが無駄にかかってしまうため、まだ余力のあるうちにエスケープポイントで、離脱することにしました。

走行距離は16km、累積標高は2000mというポイントで、自分の中ではこの体調の中ではまずまず走れた方かな、という良い印象で終えることができました。

上田スカイレース最大の難所「兎峰」。この背後には恐怖の「ナイフリッジ」が待っています。

バーティカルではPBよりも6分遅れ。

スカイレースは初の途中棄権。

この結果に至った原因を、走りながら、そして昨年のこの時期の練習内容を振り返りながら考えたところ、大きく二つの要因に行き着くことができました。

一つ目は、もう明確でしたが体調を壊したこと。

4月の長野マラソンもそうですが、その疲労がどこかに残っていながら練習を続けた中で風邪を引き、疲労と風邪の二重の影響を受けたな、と自覚できるしんどさでした。

バーティカルでは、歩きで登るのもしんどくなりましたし、スカイレースでは3年前の同じく風邪をひいた状態で出場した上田を思い起こす疲労感でした。

よって、レース前に体調を整えられなかった、調整の失敗は主要な要因だと思っています。

もう一点は、昨年この時期の練習内容にヒントがありました。

昨年の4月は、故障明けでまだロードをまともに走れず、さらに仕事を休んでいたこともあり、平日昼間に相当数の山練を取り入れていたことを思い出しました。

昨年の上田バーティカルのレース報告でも、その直前数週間はほとんど走っていないにもかかわらず、山練の効果と疲労の抜けた効果がパフォーマンスに影響したことを述べていました。

つまり、トレイルレースにおいては、ある程度の有酸素能力とエネルギー代謝能力とが身についていれば、あとは山レース特有の力(トレイルレースに必要な特異的な能力)を集中的にトレーニングするだけで、平地のランの練習はほとんど必要ないことがわかりました。

むしろ、それでロードトレーニングの疲労を溜め込むくらいなら、山だけを走りに行った方が遥かに効果は高いと感じます。

つまり、今年の上田では、圧倒的に山練が足りていなかったということです。

それは、レース後の筋痛のひどさや、バーティカルにおいて急な登山道を爆発的な筋力を発揮して登っていくときの脚の弱さから実感できました。

去年分析に使った概念図。グレーやオレンジを高める練習が、今年は圧倒的に不足していました。

去年は、故障の影響でやむなくリハビリ的に山練を取り入れていましたが、結果的にそれがバーティカルやスカイレースには、むしろ効果的に働いていたことに、今年の失敗から気づくことができました。

去年の段階では、走トレーニングが絶対的に不足していたので、今年は故障もなくランのトレーニングを継続できれば、かなりの結果が残せると思い込んでいたのですね。

ところが、むしろそこは逆に、昨年の方が山に特化した練習をしていた(結果的にですが)ことで、トレイルレースで結果がついてきていたのだと、改めて実感することができました。

昨年4月の練習内容です。走行距離は200kmそこそこですが、トレイル率はなんと5割に迫る勢いです。
今年の4月の練習内容。走行距離は昨年よりも多く、Mペースでもそこそこ走っていますが、トレイルはほぼ0ですね。

こうして、昨年と今年の4月の練習内容を比較してみれば一目瞭然。去年がいかに山を走っていたかがわかります。

当然、急な登りや下りに対応できる脚ができていたかが想像できますね。

こうして整理してみれば、今年の結果はある意味必然的な結果であったと十分に納得いく事実が明らかになりました。

ある名監督の言葉を借りれば「負けに不思議の負けなし」というやつですね。

さて、課題が明確になったところで、今後どう対策していくかです。

これについては、また次回以降検討したいと思います。

羽村市駅伝に出場しました

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日はおよそ3年ぶりの駅伝への出場となりました。

前回は、このブログを立ち上げて間もない2020年2月の地元駅伝ですから、もうかなりの間駅伝レースからはご無沙汰していました。

実はこの羽村市駅伝、出場オファーがきた時にはまだ発出されていなかった通称「まんぼう」が、開催直前で延長され、正直ほとんど中止になるものと思われていたのですね。

ぶっちゃけな話、それこそ先週に入ってもやらないつもりでいまして、それもあって特にVO2Max域に刺激を入れるでもなく、淡々と4月の長野マラソンに向けてマイペースに練習を積んでいました。

今月は久々にLTやVO2に刺激を入れ、後半では最後にマラソンペースに近い速度でロング走を行って仕上げにしようと考えていたため、先週一月以上ぶりにLTペースでちょこちょこっと走った程度の練習でした。

そんな中、ついに前日を迎え「羽村市本気なんだ・・・」と急遽レースモードに心の準備を整えたというわけでした。

そうしたこともあり、今回の駅伝は3.8kmという「短距離」レースであるとはいえ、全くの準備不足。もうLTペースで軽く流せばいいや、くらいに考えてスタートラインに立ったのですね。

そして、先日購入したADIZERO JAPAN6がキロ3分半以内のペースに対応できるのかどうか、を試せればよく、襷をもらう直前まで、本当にレースに出るのか自分自身でも半信半疑の状態でした。

ところが、いざ襷をもらってスタートすると、脚は動く動く。なんだこれ?と自分でもよくわからない軽快さで、気づくとレースに入り込んでいる自分がいました。

正直に言わせてもらうと、これは確実にADIZERO JAPANのLIGHTSTRIKE Proの反発性能のお陰です。

自分が速くなった要因を、自ら「厚底」に言及するランナーは少ないと感じますが、私自身は、今日反発素材のアドバンテージを明らかに体感しました。

もう一度正直に言わせてもらうと、これはすごい。

とはいえ、この状態であってもレース展開を作り出すのは自分自身の出力の出し入れなわけですから、そういった「アシスト」を体感しつつも前のランナーとの差、残り距離、そして自身の「きつさ」から算出された「最適ペース」を探ることにしたのですね。

スタート前は「3分20秒で行ってもそこそこ形になるな」と思っていたので、その辺りを目安にしていました。

ところが、それくらいの意識で走ったところ、前を走る高校生(結構強豪校)との差がほとんど開かないので「これはもしや」と自分の体感ペースを疑い始めました。

予想通り、入りの1kmが3分09秒前後。

当然、そこそこの苦しさはあるもののいっぱいいっぱいな感じはなく、ひとまず前との差が開かないように視線は前のランナーから離さないようにしました。

1.5km過ぎから一気に下る坂道が続きます。

ここで、前の高校生の姿が明らかに大きくなり、更にはその先を行く白バイ(実はトップじゃなかった)まで見え、これはもしかするともしかするぞ、と急に元気が出ました。

3km手前で高校生をとらえます。

ところが、一気に下りを駆け抜けたせいか、左足のふくらはぎにちょっと危ない張りが出始め、ここで一旦ペースダウン。

幸いその後の上りで張りが消えたためことなきを得ましたが、後からわかったことは、ここのタイムロスで区間賞を逃したのでした。

脚の無事が確認できたところで、ラスト800mで前を行く白バイを追います。

400mほど走ったところで一気に追いつき、ついにトップに立ちました。

しかしそこは若い中学生。ここからの粘りは流石の走りで、しばらく食い下がりました。

ここで、脚のこともあるし中学生は部門外だから負けてもいいや、のモードに入り、結局最後のスパートでは中学生に抜かされ、一般の部1位でゴール!

と思いきや、実はその白バイは第2集団用で本当の1位はとっくの先にゴールしていたことが発覚(しかも区間賞)。

結局「その気になって」いたことによる勘違いモチベーションだったわけですが、結果的にそれが好走につながったのでよしとしました。

最終結果は区間2位で、全区間共通の総合成績でもおそらく3位くらいには入れていたと思うので、自分としては上出来な結果でした。

今回のレースに臨むにあたり、実はもう3ヶ月ほどVO2Maxに刺激を入れる練習はしてなかったのですね。

先月は週1のロングジョグと150mレペティションのみ。

その前の月も、週1のLT域が中心。

そしてその前は故障でほとんど走れず。

しかし今日のレースは確実にVO2域のペースです。

自分でも驚きなのですが、ここに長距離トレーニングの重要なポイントが隠されていると思うのですね。

これについてはまた機会を改めて考察していきたいと思います。

それにしてもイマドキのシューズはすごいわ。

びわ湖バレイスカイラン バーティカルに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

出場を迷っていたスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)の最終戦、びわ湖バレイスカイラン。

その前の烏帽子スカイランVK部門で予想外の好順位だったため、シリーズ戦のポイントがかなり加算され、最終順位に大きく絡むびわ湖バレイは無理してでも出走すべきと判断したのでした。

びわ湖バレイスカイランは、SJSの最終戦に位置付けられ、この最終戦のエリート部門だけはエリート登録(日本スカイランニング協会登録)者の中でも、年間シリーズでポイント獲得者のみが出場できる、文字通りエリート部門の「最終決戦」なわけです。

そのことから、この最終戦のみ、30位以内に付与されるポイントがなんと2倍に増額される特別扱いなレースなのですね。(なのに、強豪選手が激坂王にイッテしまうという・・・)

その名も「グランドファイナル」

そんな特別感満載なこのレースに、2年前「SKY」部門で初出場することができ、とても胸躍らせながらはるばる琵琶湖まで車を走らせた(7時間!)記憶があります。

そして今年は、あの頃よりもだいぶ戦績も向上し、SKY、VK両部門でこのグランドファイナルに進むことができていたのですが、残念ながら所用の関係で、土曜日のVKのみ参加可能な状態でした。

当初は、強行日程での出場を強いられるし、遠いし、お金もかかるしで、VK走りに行くだけではとてもコストに見合った成果は得られないな、とほぼ出場を諦めていました。

ところが、前走の烏帽子での好記録。

これはVKだけでもシリーズ戦を最後まで締めくくりたいな、とちょっとした欲が出てきたのですね。

そうした中での、VKエリート出走となったわけです。

2年ぶりの出場となったびわ湖バレイスカイラン

びわ湖のVKは、打見山山頂までの距離4.3km、獲得標高差900mのオーソドックスなバーティカルレースです。

烏帽子が7.5kmと、バーティカルとしてはやや長めの距離だったのに対し、びわ湖は4km程度で900m登りますから、どちらかというと本来のバーティカルらしいコース設定と言えます。

そして、烏帽子のように途中で下りが何度かあったり走れるシングルトラックが何箇所かあるわけではなく、最後までほとんど勾配が一定の、登りっぱなしで休めない、登り適性やスピードが試される誤魔化しの効かない、バーティカルオブバーティカル、と言ったコースです。

優勝タイムは例年35分前後(上田瑠偉さんは異次元の32分台)ですが、ランマニア的には40分台前半を目標に走ることにしました。

しかし、この週はちょっと練習で無理をしてしまい、疲労が思ったより抜けないままこの日を迎えてしまったため、アップの時から烏帽子ほどの好調さは感じられませんでした。

最終的に脚の疲労がボトルネックになるだろうな、というのはある程度折り込み済みで、終盤のペースダウンは覚悟をしていましたが、それでもレース時間は40分程度ということで、10kmレースより若干余裕を持たせた努力度で走り続けることを念頭に置きました。

このコースは、4.3kmのうち、初めの300mは激坂一気下りです。一旦谷まで一気に下り、そこから突然登山道の登り道が開始されます。

やや荒れた下り道なので、捻挫や転倒に気をつけながら、でもできるだけスピード上げて下り坂を駆け下ります。

下りが終わると、いよいよ本格的なバーティカルの開始です。

走れる程度の、しかしかなりの出力を要する登り坂が延々と続きます。

10kmレースの努力度なので、当然烏帽子のような努力度よりはワンランク上です。

ある程度「ハアハア」言いながらも、まだまだ脚を残して登っていったあの感覚ではなく、ちょっとした勾配の変化で脚が止まるやもしれない、ギリギリな呼吸のキツさ。

ここに意識を最大限に集中し、ストライドは伸ばさず、ピッチで小刻みに登り坂を削るように登っていきます。

累積が100を超えたあたりから、急勾配の九十九折りがが開始されます。

もう既に呼吸は前のランナーにも聞こえるほど上がっていて、まるで5000mのレースの後半のような大きな息遣い。

でもその荒い呼吸のまま、脚だけをしっかりと動かそうと意識します。

この九十九折りの曲がり角を曲がるたびに、どんどん脚がキツくなっていき、ついに初めて「歩き」が加わるようになります。

累積にしてまだ300m。

これは飛ばし過ぎたな、と思った時には既に遅いのですが、トレイルの急勾配では、走るのも歩くのもそれほど大きなスピードの差が生じないため、とにかく苦しくなったら歩き、回復したら走る、を繰り返して最低限のペースを維持します。

トラックレースなら、確実に撃沈だし、たとえば5000mでは3000mでオールアウトしてしまったのとほぼ同じ状態。

しかし、トラックレースのように、数秒、数十秒でPBを狙う性質のレースではないため(とはいえ数秒で入賞を逃したりするのですが)、撃沈してもとにかく脚を動かし続けることが大事になります。

しんどいながらもなんとか歩きと走りを繰り返し、ようやく残り累積200m。

ここまで来れば、もうあとは気力でやり切るだけです。

途中巨大な岩の隙間をよじ登ったり、一瞬だけ巻道を走れたりしながら気を紛らわせ、いよいよ最後の急坂と階段が見えてきました。

もう完全に酸素の負債が限界で、乳酸も除去しきれなくなり、一二歩で止まりそうになる階段を気力で登り、なんとかフィニッシュ。

久しぶりにレース後倒れ込み、数秒間仰向けに、そして数秒間うつ伏せに。

ここまで苦しいレースは、もしかしたら高校生の頃以来かもしれません。

そして、無酸素域で走り続けた時の、あの独特の気持ち悪さも襲ってきて、なんだか体が中学生に戻った感覚になりました。

時計を見ると、40分19秒。

目標の40分は切れませんでしたが、過去の結果と照らし合わせると、40分はそこそこの選手が走っているタイムですし、今回も9位という順位が目に飛び込んできて、久々に自分の記録に大きな達成感を得たレースとなりました。

午後は京都観光を予定していたので、迷わずゴンドラ下山。まさに一瞬。

さて、今回のびわ湖バレイも、前回の烏帽子に引き続き、自身の中で大きな手応えと達成感を得られる好記録を残すことができました。

正直、今年のこの結果には自分自身も驚きを隠せないのですが、よくよく振り返ると、昨年を上回るパフォーマンスを発揮することができた要因に、いくつか思い当たる節がありました。

それについては、次回のブログにまとめようと思っています。

烏帽子スカイラン バーティカルに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて、昨日はここのところ3年連続で出走している「烏帽子スカイラン」のバーティカルを走ってきました。

JSA(日本スカイランニング協会)公認のジャパンシリーズの第4戦でもあります。

今年は、去年ほぼコンプリートしてきたこのジャパンシリーズには「上田(VK、SKY)」「嬬恋(SKY)」に出走するにとどまり、今回の烏帽子(VK)を含めても、VK2戦、SKY2戦という結果になりました。

このジャパンシリーズはエリート部門で30位までに入ればポイントが加算され、そのポイント数で年間シリーズを競います。

このポイントを獲得する30位以内にコンスタントに入れるようになったのが昨年だったことから、今年はさらに上位を狙うべく、シーズン序盤からかなり高いモチベーションでスカイレースに取り組んできたのですね。

そうした中で、この烏帽子スカイランのVK部門は、今年で3回目の出場となりました。

登頂後は絶景が味わえる、これぞ「ザ・バーティカル」な烏帽子スカイラン

2年前の初出場時は、初めてジャパンシリーズでポイントがついたレースとして、自分にとっては相性の良いレースでした。

比較的走れる区間が多く、長距離のロードやトラックの実力が反映されやすいのがその要因だと思っています。

さて、そんな自身にとって好印象な烏帽子スカイランですが、去年は2分近く初回の記録を上回り、そろそろこのレースやバーティカル部門での記録更新も頭打ちになりそうな感覚を得ていました。

まして今年は、前半故障が長引き、まともな練習を継続できたのは直近三ヶ月。

強度の高いいわゆるQデーについても、昨年週2回取り入れていたところ、今年は週1で回せるようになったのがやっとと言う状態です。

そうした中でレース当日を迎えたこともあり、今回は2年前の記録を上まわれば良いくらいの心持ちでスタートすることになりました。

しかし、アップの時点で調子はかなり良く、スタート直後の急なロードを軽く走ってみても、かなりの力強さで脚が動き、軽々と登って行ける状態でした。

この時点で「今日はかなり調子がいいぞ」とかなり気持ちは高まってきたのでした。

そしてスタート。

案の定、初めの1.5kmほどのロード登りで、これまで経験したことのないような軽快な走りを体験することができました。

むしろ、これまでのレースでは、日々の練習の疲れやレース翌週の脚の重さが残っていたことがよくわかるほど、本来疲労のない状態というのはこう言う感覚なのか、と改めて知ることができました。

この脚の軽さと力強さはトレイルに入っても変わらず、呼吸は荒くなっていくものの、その呼吸の大きさのままぐいぐいと登山道を駆け上がっていくことができました。

この感覚は、去年の関所マラソンの感覚そのもの。

苦しいながらも脚で押していける感覚。

この感覚が得られると言うことは、有酸素能力のベースがしっかり積み上げられていて、その上にLTやVO2Maxがそこそこに高められ、それらがバランス良く調和されている状態。

かつ、疲労がしっかりと抜けている状態。

若干オーバーペース気味だろうなと自覚はありましたが、もうこうなるといくしかないな、と覚悟を決めました。

バーティカルとしては比較的なだらかなコースとはいえ、走るのが困難な急登も繰り返されます

レースタイムは大体60分強と言うことで、負荷としてはハーフマラソンに近い状態ということもあり、しんどさとしてはLTレベルを参考にしました。

しかし、トレイルの難しいところは、路面状況は常に変化し続け、特に登り勾配が後半に向けてどんどん急峻になっていことです。

これはロードレースでは決してあり得ないシチュエーションで、同じペースを維持しようとすれば、強度的にはビルドアップしていくことを意味しています。

なので急な登りはペースを抑えたり、いざとなれば歩くなりして強度を調整していくのですが、それでも乳酸の除去が間に合わなくなっていけば、自然と体の動きは制限されていきます。

そして多くの酸素を使ってエネルギー供給を賄わなければならなくなり、トレイルの終盤はほぼVO2Maxレベルの強度が歩きを挟みながら繰り返される状態になっていくのです。

このフェーズがバーティカルの最も苦しい区間で、今回は初めて酸欠に近い状態でゴールをする羽目になりました。

結局、序盤しっかりとLT程度の努力度を維持して、ぐいぐい押していける状態を意識していたものの、結局ラストの20分くらいは、追い込めるだけ追い込んだら歩き、歩いて回復したらまた追い込む、の繰り返しになりました。

毎年のことですが、山頂直下のラスト200mの岩場は地獄の苦しみでした。

山頂直下、ラスト200mは累積100mを一気に駆け上がる文字通りバーティカル(垂直)

しかし、今回、脚の疲労がほとんどなかったことで、この最終盤のフェーズでもなんとか脚は動きました。

いえ、もっと手前の登山道が急峻になってくる段階でも、苦しさの中でも脚だけはしっかりと動かすことができました。

今回、昨年よりも1分以上自己ベストを更新できた要因は、ここにあると考えています。

では、なぜ今年はここまで疲労のない状態でトレーニングを継続でき、レース当日を迎えることができたのでしょうか。

まず、最大の要因は、Qデーを週1にしていたこと。

これは、故障明けで体力がまだ十分に戻っておらず、とても週2回もQデーを入れるのは無理な状態でした。

なので、最低でも週1回は心拍数を上げて、それぞれのゾーンに刺激を入れ、少しでも体の適応を図る意識で練習を続けてきました。

結果的に、これくらいの練習でも、最低限の適応を見ることはできたと考えています。しかも、大きな疲労を溜めることなく。

もう一つの要因は、週1回のロングジョグを30km(時間にして150分超)に伸ばしたことです。

昨年は、週に2回のQデーがあったため、週末のロングは120分固定でした。疲労の状態から、とても120分を超える時間走るのは限界でした。

しかし今年はQデーが1日と言うことで、割と週末のロングに余裕が生まれ、30kmまで距離を伸ばしても、その後の1週間の練習を、疲労なく継続することができました。

この30kmのジョグを6週近く繰り返すことができました。ひと月でも割と体は変わってきますが、6週も続けたことで、だいぶ脚ができてきた(要は疲労しにくくなってきた)印象を感じていました。

その自覚は、実際正しかったようで、週1のQデーでの平均タイムも少しずつ上がり、今回のレースもかなり疲労が軽い状態で臨むことができました。

つまり、絶対的な練習強度の問題で疲労が軽減され、ロングジョグの取り組みによって疲労しにくい脚になったことで、相対的に疲労が軽減された、と言う状態が今回のPBの要因だったと思います。

トレーニング効果と疲労との関係は、過去に上田スカイレースで述べました。

こうした、疲労を溜めずに練習を継続できたことが、PBを出せた最大の要因だと思っています。

これはなにもトレイルに限ったことではなく、通常の長距離トレーニングであっても非常に重要な要素であると思うのですね。

私たちは、「強くなりたい」強烈な願望のもと毎日ハードなトレーニングを積んでしまいがちですが、実のところ重要なのは、「ハードなトレーニングを積むこと」よりも「疲労を溜めないこと」なのではないかと、今回ほど強く感じたことはありませんでした。

何せ、昨年よりも練習が全くできていないのですから(疲労しにくい脚を作り、疲労なく練習を継続できるスケジュールで練習を継続することこそが良い練習であるならば、今年の方が練習はできている)。

直近半年は、昨年同時期に比べ圧倒的に練習が足りてません。

今年度は、5月の上田、10月の烏帽子と、昨年度よりも練習が思うように積めていないにもかかわらず、昨年を上回るパフォーマンスを発揮することができました。

これは自分の中で、トレーニングに対する概念を大きく変える出来事になりました。

疲労が溜まらない程度のスケジュールを維持する

疲労しにくい脚を作ってから強度の高い練習を取り入れていく

この二つのポイントは、我々のような中高年ランナーには、こと重要な要素であると考えるに至りました。

ただし、今回初めて実戦投入した、サロモン「SENSE Pro」シリーズは相当な軽量シューズ+フォアフットが容易なトレイルシューズで、この恩恵を受けたことは否定できません。

あたかもロードシューズのような軽量さとフォアフットの反発性能は、膝下の足捌きを容易にし、バネの効く走りができたことは正直な感想です。PB1分更新のうち、30秒くらいは靴のおかげだったかもしれませんね。

嬬恋スカイラン

こんにちは、ランマニアです。

今日はスカイランニングジャパンシリーズのSKY部門第2戦、嬬恋スカイランに出場してきました。

このジャパンシリーズは、SKY部門とVK(バーティカル)部門それぞれを年間5戦戦い、そのうち上位3戦で獲得したポイントを競うシリーズ戦です。

中学から始めた陸上競技ではこういった「シリーズ戦」方式が珍しく、ランマニアが初めてこの世界に足を踏み入れたときにとても斬新に感じた企画だったのですね。

初めの頃は、ポイント獲得順位である30以内に入ることがなかなか難しく、去年あたりからようやくコンスタントにポイントを獲得できるようになってきました。

今年も、第1戦である上田バーティカルレースでは、SKY、VK両種目とも30位以内に入ることができ、なんとかポイント争いの土俵に上がることができたのでした。

さて、そんなジャパンシリーズの第2戦ですが、今回はVKとSKYは別会場、別日程となっていました。

VKは東京は御前山へ駆け上る「東京バーティカルレース」

こちらは緊急事態宣言延長により秋に延期となりました。せっかく試走をしていたのですけどね。

そしてSKYは、今日の嬬恋スカイランの種目の中でも最も距離が長く過酷な「スカイリッジ ロング」の部だったのです。

https://www.tsumagoiskyrun.com/

今回のコースは、四阿山の山頂直下まで一気に駆け登った後、標高2000m級の稜線(「リッジ」:尾根)を御飯岳まで行って帰って来るという、ヨーロッパの山やまを彷彿とさせる壮大なコースでした。

これは、スカイランナーなら「是非走ってみたい!」を思わせる素晴らしいコースでしたが、残念ながら悪天候によりコース変更となりました(実際山頂近くで土砂降りになり、気温2度ほどで走行不能になったら確実に低体温の危険性がありましたね)。

そして今回のコース変更により、もともと四阿山山頂直下まで登って帰りはゲレンデを下ってくる「ミドル」のコースを2周することになりました。

いやいや、今さらっと2周って言いましたが、このコース、走ればわかりますがものすごい急登が続くのですよ、1周だったとしても。

それを2周ですからね。

悪天候プランの方がコースがキツくなるとか、もうさすがは松本会長(日本スカイランニング協会)です。

この結果、本来の走行距離38km、累積標高差±2550mのコースが、走行距離31km、累積標高差±2300mに変更になりました。

数字だけ見ると、楽になったように見えるじゃないですか。

ところが、トレイルレースの難しいところはこうした数値(量的情報)よりも中身(質的情報)の方がレースのタイムに影響をするところなんですね。

1周目は晴れていたのでこのような絶景も拝めましたが・・。

元々のロングコースでは、最も上りが長く続き、最も勾配がきついのが、この序盤に設定されている四阿山までの一気登りです。

途中、両手で地面を掴みながら攀じ登る急斜面が2回ほどあり、これに加えて走るのは厳しい急坂がかなりの時間続きます。

それ以外が比較的なだらかな稜線沿いのトレイルだったり、緩斜面の下りだったとしても、こうした急斜面が一定時間続くと、猛烈に足にきてしまうのですね。

累積標高が大したことがなくても、こうした区間が長いとダメージも大きいのです(フルスクワットに近い状態になるので最大筋力も必要ですし、有酸素系のエネルギー供給系だけで補えないパワーが必要となるため)。

さらに、今回のレースはスタート地点がすでに標高1500m以上あり、コースの半分は2000mを超えるところを走ることになります。

前日入りして高所順応しているとはいえ、さすがに2000mでの「駆け上り」は呼吸がキツく、足も思うように動きませんでした。こうした中での急坂登りなわけです。

実際にコースは見たことはありませんでしたが、試走をした松本代表が「かなりきつい」というくらいですから、今回も序盤から無理して飛ばさず、「きつさ」をコントロールしながら走り続けることを意識してレースを展開しました。

この坂はまだ楽な方ですが、標高は2000mを軽く超えているので呼吸はかなりキツくなりました。

さて、そんな「悪天候バージョン」のコースでレースがスタートしました。

スタートしていきなり、ほとんどの選手が猛烈にダッシュを仕掛けて緩やかなゲレンデを上り始めたのには大変驚きました。

いやいやいや、それは持たんだろう、と。(ですがほとんどの選手は「持ちました」。エリートは凄い)

こちらはとにかく長丁場となるのがわかっていたので、終盤必ず逆転できると信じてペースを抑えに抑えて1周目の登りをクリアしていきました。

スタート地点をコース上からみて撮影。大した坂に見えませんが、こんな坂でも標高が高いと苦しいのです。

ちなみに、トレランで同じコースを2周というのは、練習でも経験したことはなく(というか経験したくない)、これの何が辛いかというと、1周目を走りながら「ここにもう一度来るんだよな」という「きつさ」を一度学習してしまうことなんですね。

これをもう一度やる、と頭に入れながら、常にペースは自重しながら上り続けなければなりません。

こうした時にランマニアがいつも意識しているのは「ジョグでこの距離を走るとしたら、こんなにきついペースでは走らないでしょ」と言い聞かせること。

冷静に考えて、31kmのロードジョグに出かける時、あるいは30kmのロードレースに出場するときに、絶対に「苦しくて仕方がない」ペースで走ったりはしないわけです。

「これなら30kmはもつ」というペースで走るに決まっていますよね。

これはトレイルでも同じです。

30kmのジョグができないペースで、30kmのトレイルを走れるわけがないのです。

では、ペースの把握ができないトレイルではどうやってペースをコントロールするのか。

これは以前も書きましたが、とにかく自身の体感による「きつさ」を常にモニタリングして、それをコントロールしながら走り(登り)続けるのですね。

登山道のような急な登り坂でも、ペースを抑えれば絶対に「はあはあ」息が上がってしまわないペースというものはあります。

今日のような高標高であっても、ペースこそ落ちますが、呼吸が乱れない程度のペースというのは必ず存在するのです(トレーニングを積んでいればですが)。

ライバルたちはどんどん先に行って見えなくなってしまうのですが、それを追っても仕方がないばかりではなく、確実に終盤撃沈しますから、それを無視してとにかく自身の「きつさ」に注意を集中します。

こんなところでも、極力息が上がらないように注意深くペースを維持します。

そうしてできるだけ「ジョグしている気分」を維持しながら、1周目を終えました。

そして、問題の2周目。

1周目にしっかりとペースを抑えたつもりでしたが、やはり最後の山頂までの急登(ほとんど崖)では完全に大腿部の筋肉が終わってしまい、「攣る寸前」まで行ってしまいました(まあ、練習不足ですね)。

それでも、体力的には比較的余裕があったので、転ばないように気をつけながらなんとか足を動かし続け、下りもそこそこのペースで下って来れました。

さまざまなトレイルレースでよくある「最後のゲレンデ下り」は、ランマニアの最も苦手とする区間ですが、そこで抜かれたのも珍しく一人だけでしたので、脚は残っていたといっていいでしょう。

序盤に相当数のランナーが自分の前を走っていたので、さすがに30位以内は無理かな、と思いましたが、どうやら1周目にかなりのランナーを追い抜いたのが効いていたようで、結果的に24位(後から修正されてました)にはいることができました。

どうにか、ポイント獲得です。

以前は、こうしたロング系の種目では終盤脚が止まりランク外に入ることが多かったのですが、ここのところ「きつさに注意を向ける作戦」が効いているようで、最後までよく足が持ってくれるようになりました(補給も意識しているというのもあります。過去記事参照)

タイム的には4時間40分というのが速いのか遅いのかはわかりませんが、トップ3の若者たちが3時間30とかのバケモノ記録で走ったのは別としても、女子の上位が4時間30分〜40分くらいまでに入っているのを考えれば、まあまあ健闘した方なのかもしれません。

さて、今日が終わるとしばらくトレイルレースへ出走予定はありません(遠征費含めると、結構「カネがかかる」スポーツなんですね、トレイルランニング)。

6月はじっくりトレーニングにあて、7月8月はトラックレースにでも出ようかと思っています。

また、冬にはロードレースにも出ようと思っているのですが、今回このトレイルレースで意識した「きつさに注意を向ける」というペース配分方法は、距離が正確にわからないロードレースや駅伝なんかでも有効だと思うので、普段の練習から意識していこうと思っています。

上田バーティカルレース【記録編】

こんにちは、ランマニアです。

12月に故障したふくらはぎが、結局4月になっても再発を繰り返している中で、ついにこのレースを迎えることになりました。

12月の時点で、まさかこのレースに影響を及ぼすほどの故障になるとは想像もしてなかっただけに、ギリギリまで出走を迷っていたのが本音でした。

ところが、結果は以下の通り。

バーティカル エリート【猿飛佐助コース】   記録 53分50秒 SJS 28位

累積1000mを5kmの距離で一気に駆け上がる「バーティカル」。途中両手を使う「攀じ登り」もあり。

スカイレース エリート【塩尻山城コース】   記録 4時間55秒21(PB) SJS 20位

国内屈指のテクニカルなコース。短い距離で標高を稼ぐためコースのほとんどが急峻な坂道。

4月上旬に再びふくらはぎを痛め、そこから2週間はランを封印。

ただ、今回はこれまでのうちで最も軽症なうちに走行を中止したため、走りさえしなければ確実に回復すると見込み、最低でも上田バーティカルを「歩いて参加」が可能な状態には戻したい、という思惑がありました。

そこで、その2週間のうちに2〜3回は山歩き(状態次第では登りだけ小走り)を入れてみて、脚の状態はどうなるのか、数時間歩く体力は維持できるのか、その辺りを確認しようと考えました。

初めは、累積標高1000mほどの登山をゆっくり行い、脚が問題ないのを確認したのち、次は20km以上の山歩きを数時間かけて行いました。この間は2日ほど空けました。

20kmもの距離ではありましたが、全て歩きで通したため、ふくらはぎにはほとんど負荷をかけることなく、しかも数時間もの間心拍数は120前後を維持できるという発見もありました。今にして思うと、この経験が「基礎体力の維持」に一役買っていたように思います。

その後も、累積標高1500m、2000mと獲得高度を上げ、脚の状態と相談しながら登りでは少しずつランも入れ、心拍数も170近くまで上げられるようになりました。

ただし、ふくらはぎの回復を確実に促すため、これらの「山練習」の間は必ず2〜3日は空けるというマイルールを設定。

また、この2週間はまるまるロードを走ることは控え、2週間の休養を経た後も1日おきに30分〜60分までの時間をキロ7分から、上げても6分までのペースでジョグをしたにとどめました。

脚を痛めて以降の4月の練習内容。3週間でロードランニングは僅かに3回。しかもキロ7分〜6分。

この後、5月は1日に50分ほどキロ6で走ったのみです。つまり、今回の上田バーティカルレースの前3週間は、ロードのジョグを4回、登山やトレイルランニングを5回行ったのみで、正直なところレースになど出てはいけない練習内容だったと改めて感じます。

ちなみに、これ以前の練習はといえば、3月もほぼジョグのみで月間200km程度、2月はファルトレクを少々、Mペース(と言ってもキロ4)を2度入れたのみ、1月はファルトレクを数回入れた以外はほぼジョグで月間300km越えです。心拍数を上げ、LT以上のペースを維持した時間はこの4ヶ月では微々たるものでした。

この4ヶ月間の練習まとめ。LT走を定義する「黄色」はファルトレクがほとんど。

2月以降圧倒的に練習のボリュームが減ってきたことから、今回の上田では「駆け登り」のみの「バーティカル」はまだしも、通算走行距離が25kmを越え、累積標高差が3000mにも及ぶ国内屈指の難コースである「スカイレース」の方は、間違いなく最後まで走れないだろう(故障の再発も含め)という予想のもと当日を迎えたわけです。(以下スカイレースのダイジェスト動画。日本スカイランニング協会制作。)

このコースを無事走り切れたことがいまだに信じられません。

しかし結果は報告の通り。

バーティカルの方はコースの難易度と出走メンバーから考えて、総合31位、SJS順位で28位というのはかなり走れた方だと考えています。

VO2Maxや解糖系など、かなり「パワー系」に振られた競技であり、そっちの練習(例えばVO2ペースのインターバル、時間の長めなLT走)を全くしていない中で、昨年のバーティカル日本選手権(尾瀬岩鞍VK)に近いくらいの結果(集団内での順位位置的な意味で)が出せたことは驚きでした。

そして、小手先のごまかし(今回のような何度か山へ行って練習したつもりになるような)が通用しないスカイレースの方は、さらに意外な結果で、総合21位、SJS順位20位という想像もしていなかった位置で走り切ることができました。

そもそも、このジャパンシリーズに参加するようになってから、30位以内のポイント獲得順位に入ること自体なかなか難しく、始めてしばらくはポイントを取るのがやっとの状態でした。

特に、この上田は屈指の難コースである上に、今回の出場メンバーから考えれば事実上ほぼ「日本代表」選手権に近く、その中で20位というのは自分でも何が起きたかよくわからない状況です。

また、自分自身の中で比較してみても、一昨年に比べ1時間近い記録の更新がありました。

もちろん、ペース配分等かなり意識した部分はあります。しかし、それだけでこの変化はあり得ないでしょう。

ではなぜ、今回「あの程度」の練習でここまでの結果を残すことができたのか。

これについては、次回の【検証編】で詳しく分析しようと思います。

2020年を振り返ってみました

こんにちは、ランマニアです。

さて今年も残り2日となりましたが、とにかくこの2020年はランマニアにとってエキサイティングな1年となったのですね。

まず今年は一念発起して、本ブログとTwitterをこの歳になって始めてみました。

以前から知り合い向けの非常に世界の狭いブログは発信していたものの、本ブログのような世界中の(といっても日本の人しか知らないと思いますが)誰もが見れるブログ、読み手にとってブロガーが全く赤の他人で素性の知れない人間、という状態で書くブログというのは初めてのことでした。

始めた頃は公開することに大変勇気が要りましたし、そして初めの数週間はどこにも引っ掛からず全世界でPV 0という状態がずっと続きましたからね。これは本当に厳しい現実でした。

しかし、さらに大きな一歩を踏み出してTwitterなるものに挑戦してみたところ、こちらも初めこそ「いいね0」「フォロワー0」が続いたものの、しばらく続けているうちに非常に多くの方と交流することができ、こんな一市民ランナー(しかもいい歳したおっさん)の練習内容や呟きに関心を持っていただける方にも恵まれました。

これはまさに2020年最大のニュースでしたね。

そしてそれらをきっかけに、これまで取り組んだことのなかった(というより無理だと思っていた)練習メニューにも挑戦することになり、結果的にそれを通年継続することができ、多くのレースで手応えを掴むことができました。

まずはスカイランニング。

残念ながら昨年Aチームに入ることのできたJSAのジャパンシリーズは中止となってしまいましたが、幸いレース自体はいくつも開催され、10月からほぼ毎週のようにレースに参加することができました。

特に、今年は本格的に「バーティカル」レースにも参加しようと思い、日本選手権ともなった尾瀬岩鞍バーティカル、そして初のコンバインド参戦となった烏帽子バーティカルの2レースを走ることができました。

スカイランニング初戦となった尾瀬岩鞍バーティカルレース。坂という坂が全て急登、そして途中にその下りも存在し想像以上にテクニカルなコースでした。(名物「ジャイアントウォール」はむしろおまけ)

尾瀬岩鞍は、さすが日本選手権とも言える豪華メンバー勢揃いで、順位的には全く歯が立ちませんでしたが(40位以降)、序盤から攻めた走りをして心肺をかなり追い込むことができました。「短くて速い」バーティカルレースは、どちらかというと若い人の方がパフォーマンスを発揮しやすい印象を持っていますが、そうした中でまだまだ心肺機能をフルに使って戦えることがわかったことは大きな収穫でした。

尾瀬岩鞍のコースは、とにかく坂が全て急勾配。この、まさに立ちはだかる壁に挑戦するのが、尾瀬岩鞍最大の特徴であり難しさ、そして魅力であると思っています。

烏帽子バーティカルは、これぞスカイランニングと呼ぶにふさわしい、まさに空に向かって駆け上がる登山競走。

そして2つ目は昨年も出場した烏帽子バーティカル。勾配はやや緩やかながら、一定の苦しさを60分以上維持しなければならない、バーティカルとしては比較的距離の長いバーティカルレース。しかし、むしろ長距離ランナーとしての有酸素能力や無酸素性作業閾値がかなり活きてくるコースであるため、ランマニア的には自分の力をフルに使って走ることができるとても好きなコースです。

昨年は目標の30位以内に入り、今年はさらに上を目指し20位以内を目指したところ、なんとか昨年の記録を上回り20位以内に滑り込むことができました。これは相当自信になりました。

続いてスカイレース。

こちらも2戦に出場しました。

志賀高原エクストリームトレイルは、過去あまりいい思い出がないレースですが、ランマニア的にはとても気に入っているコース。色々な意味で「エクストリーム」ですが、目まぐるしく変化するコースが最大の魅力だと思っています。

1戦目はもう3度目の挑戦となる志賀高原エクストリームトレイル。一昨年はコースロスト、昨年は終盤低血糖に陥り、とにかく毎年このエクストリームなコースに打ちのめされてきました。

今年は長距離ランナーとしての練習をかなり積めてきたので、この30km以上のトレイルコースをしっかり走りきれるかある意味楽しみでした。

結果は、最終盤の山場「サンバレースキー場」の激坂も半分以上走り通すことができ、最後はキロ5分程度のペースを維持してゴールまで走り切ることができました。歩行区間が2箇所に増えたにもかかわらずコースベストを出すこともでき、この辺りから練習の手応えも感じていたところでした。

今年から正式種目になった烏帽子スカイレース。前日のバーティカルとは逆側から烏帽子岳を一気に駆け上り、下山後はなんとロードレースと化す非常にエキサイティングなスカイレースです。

そして2戦目は前日のバーティカルとのコンバインドとなった烏帽子スカイレース。以前のランマニアなら、絶対にコンバインド(2日連続2種目レース)など不可能でしたが、本当に今年はいわゆる「脚ができて」きた感覚を得ていたので、思い切って2種目にエントリーしてみたのですね。

結果は、2日目のスカイレースでも20位以内に入ることができ、コンバインドとしても十分すぎる結果を残すことができました。前日のバーティカルの疲労を、なんとか1日で回復させられるような脚ができてきたんだと、この時はとても大きな手応えを感じました。

そして今年はトラックレースにも2戦出場しました(マイルリレーを入れると3戦ですが・・)。ゴセンとセンゴです。

織田フィールドは学生時代5000mのPB(つまり今のPB)を出した思い出深い競技場。

1戦目はM×Kディスタンスの5000m(公認)です。

この5000mという種目は、自分の中でずっとこだわり続けてきた種目なので、何度走っても緊張しますし失敗するのがとても怖い種目なんですね。

特に、この時は志賀高原に出場した翌週のレースで、おそらくかなりの疲労が溜まっている中でしたから、正直しっかり走れる自信はなかったのです。

なんとなく脚は重いし、イメージする3分10秒ペースがとても速く感じていました。

結果的にどうにか16分11秒というここ数年では最も速いタイムを出すことができましたが、3分12秒ペースがとてつもなく速く感じてしまったのは少し残念でしたね。

そして2戦目は先日走った1500mです。

今にして思えば、全く実力通りのタイムだったのですが、4年半前のタイムを考えるとあまりにもかけ離れた記録だったため、ここで受けたショックは相当大きかったですね。

4分27秒。

いわゆるキロ3ですか。キロ3なんてかつてはインターバルで走ってたようなペースですからね。これでセンゴが精一杯、っていうのがかなり残念。

いずれにしても今の自分の最大の課題がわかったレースでした。

そして最後はつい先日のロードレース。今年唯一のロードレースとなってしまいました。

結果は先日書いた通り。久しぶりにネガティブスプリットでペースをコントロールできた、非常に満足度の高いレースとなりました。

ただし、その脚の余裕に比べて呼吸の方がリミットに近く、つまりは「長くは走れても速くは走れない」状態。センゴで課題になったことが10kmロードでも如実に現れた結果となりました。

さて、こうしてみると2020年、自分の中では確実に「走れる脚」が出来上がり、練習量や距離に対してだいぶ自信がついてきた一年でした。

その一方で、高強度の練習が不足しているため、短時間で大量のエネルギーを産出させるようなエネルギー供給系に全く刺激が入っておらず、1500mや5000mのような比較的短い距離で出せるスピードが頭打ちになっている印象を持ちました(10kmでも、ある一定のペースを上回ると急激に苦しくなる)。

現在取り組んでいるダニエルズのマラソントレーニングは、まだあと2ヶ月ほど残っているので、ちょうど寒い冬の時期はこのトレーニングを継続し、フルマラソンをしっかり走りきれるような脚が出来上がったあたりで一旦休養を入れ、その後は少し短い距離で強度の高い練習に比重を置いて、もう一度トラックにも通用する体を作りたいと思っています。

それがそのまま2021年の目標になりますね。

川内杯栗橋関所マラソンに出場してきました

今年もほとんと風の吹かない好条件

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日は今年最後のレース栗橋関所マラソン10kmに出走してきました。

昨年初めてこのレースに出場して、公認ではないものの、完全フラット河川敷折り返しコースで距離表示も正確、そして比較的ハイレベルなランナーが集まることで集団で競り合いながらレースを展開できる、非常に走りやすい10kmロードという印象を持ったレースでした。

昨年はインフルエンザ明けで体が動かず、かつ今年ほど練習を積んでいなかったこともあり、集団で先頭を入れ替えながら比較的ペースを維持しやすかったものの、タイムは34分を超えてしまい、走りの手応えよりは結果が伴わなかった印象の残るレースとなりました。

一転して今年はかなりの練習を積めてきた状態、しかも健康上の問題もなく、練習の疲労さえ影響しなければそれなりの結果は出さないといけないような条件の整った状態でレースを迎えることになったのですね。

アップの時は思ったよりも体がだるく、いつも調子のバロメーターにしているアップのペースも、キロ5分半近くかかってしまっていたことから、やはり先週のLTインターバルの疲労がちょうど出てきた頃かな、と少しネガティブになっていました。

とはいえ、これまでもQデーの日がだるくて仕方がなくても、走り出してしまえばそこそこの練習ができていたことを思い出し、今日も序盤のペースさえ間違えなければ、必ず中盤以降体が動いてくれるはず、と自分に言い聞かせてスタートラインに立ちました。

今年は自己申告制の実力別ウェーブスタート。

周囲には知り合いのエリート市民ランナーたちがたくさんいたり、Twitterで有名な速い人たちがいたりと、これは相当「ガチ」な10kmレースになるな、と久々に興奮を覚えました。

興奮はしたものの気持ちは意外と冷静で、とにかく初めの1kmが大事、ここを楽に抑えて入れればその後は必ず体が動くはず、とレース展開を想像しながらスタート時刻を待ちました。

そしていよいよスタート。

第1ウェーブの錚々たるメンバーたちが一斉にスタートしました。

おそらく先頭は29分台ですからそこはもう初めからスルー。その後ろの集団だって31分台に違いないのでそこもスルー、と思いきや、いつもの練習で掴んでいるLTペースの感覚で走っている中で、この第2、第3集団の選手たちは思ったよりも離れていきません。

あれ、これもしかしてペース速いか?と自信がなくなるも、自分の呼吸の感覚と脚の動きから、どう考えてもキロ3分10秒台ではない感覚。

こんなに楽に前の集団とほとんど変わらないペースで走れてるのか、と思うと気持ちもずいぶん楽になり、ストライドを無理に伸ばさず自分の楽なピッチを維持するよう心がけました。

早く知りたい初めの1km。待ち望んだ最初のキロ表示を通過。

3分20秒

「うわ、きた」と思わず心の中でガッツポーズ。

自分の体感ペースと実際のペースがぴたりと一致する時は大抵調子がいい時です。やはり自分の感覚は正しかった。

ただ、大切なのはここからで、楽だからといって、調子がいいからといってここで無理にペースをあげてはいけない、と自らを律します。

実はこの時すでに小集団(十名前後)が出来上がりつつあり、その先頭に立ってしまっていたのですね。まあよくある話です。

そっか3分20秒ペースを作りたい人たちなのね、そう思ってこの現状を受け入れることにしました。

前の集団はもうかなり前にいて、おそらく3分15秒前後のペース。流石にアレにつくのは無謀だし絶対に撃沈するので、自分の記録を狙いつつ終盤まで脚をもたせるにはもうこの状況で自分でペースを作るしかない、と覚悟を決めました。

それに、集団を引っ張っていながらも脚や呼吸は信じられないほど楽で、もう楽ならこのまま自分で記録を狙えばいいじゃないかと、自分の体の感覚だけに意識を向けるようにしました。

400mごとにラップがわからないロードレースで最も重要なのは体の感覚、疲労度にいかに敏感になれるか、だと思っています。

この呼吸のキツさであと9km持つだろうか?と体に問いかけます。9kmという距離を想像して、大丈夫そうだ、という感覚を維持します。その感覚を上回るようなしんどさになりそうならペースを抑えます。いってみれば、もうレースの終わりまでその繰り返しみたいなもんです。

実は、初めの1kmとか2kmとかではかなり余裕を持っていないと、こうしたLT付近のペースを最後まで維持するのは大変なことなのですね。

なので、こうして余裕を持たせて走るので当然次の1kmはペースがガクッときます。

3分25秒

はい、一気に落ちました。まあ楽しすぎたのですね。(後ろの人たちは相当楽だったんじゃないでしょうか)

脚には余裕があったので、ちょっと頑張ってペースを持ち直します。なんといってももう2kmは走ってしまったのですから、残り8km、少しは無理がききます。

3kmは3分22秒

ギリギリです。ここで留めておきたい、そう思いました。体のキツさも、満足いく結果を出すにも、ここが最低ラインです。

4kmは3分24秒

5kmまではまだ脚を使いたくなかったんですね。できるだけ貯めておきたい。間違いなくこの集団で最も体力を使っているのは自分だし、別に勝とうなんて思ってはいませんが後半揺さぶりにかけるにもできるだけ余力を残しておきたい、そう思うと、どうしても抑え気味になってしまいます。

そしていよいよ見えてきた折り返し地点。さあ、あれを回ったところで一気にペース上げるぞと、力を蓄え5kmを通過。

16分57秒

この1km3分26秒

やっちまった、これはまずい、と正直かなり焦りました。まあ、中弛み、なんていう言葉があるくらい、やっぱり残り半分より手前、っていう状況ではびびってペースを上げられないんですね。いや、心理的にだけでなく、足の状態としても「あと5kmならいけそうだけど6kmは無理」というのが、なんとなく体感的にわかるんですね。だから、こういう局面でペースは落ちるんです。(フルでも)

でも、このままズルズルいっては目標の33分台は出ないと判断し、折り返しの遠心力をフルに利用して大きくオーバーラン(河川敷の芝生にかかるくらい)しながらペースアップ。

一瞬、後ろの足音がまばらになり、「あ、ばらけた」という感覚が。

くどいようですが、別にこの集団を引き離して勝とうとか、決勝進出がかかってるとかそういうことは一切ないのですが、やっぱり先頭を引っ張ってると、あまり大人数が後ろについてくるのは気分がいいものではないのです。それって、自分が遅い、ってことですからね。

ここで明らかにペースアップした、って気づいてもらい、なんとか人数を絞りたい、そういう意図がありました。

もちろん、自分の記録が第一です。

そして6kmまでが3分20秒

自分でペースアップしておきながら、うおー上がったなー、とちょっと自分でもビビりました。

しかし上げちまったもんはしょうがない、とこうなってしまうともう止められません。

振り返るとだいぶ集団が絞られましたが、それでもまだかなりの人数が残っています。しかも楽そう・・・。

7kmは一度上げた反動が出て3分23秒くらいだったでしょうか。

この辺りで今日初めて脚が動かないかも、と思う瞬間がやってきました。でも残り3km。ここからは冗談抜きで「気持ちの勝負」になってきます(肉体的には終わりつつありますからね)。

しんどかったのであまり記憶にないのですが8kmも3分23秒くらい。

ラスト2kmは走りきれそうだけど、もう先頭を走るのは無理。みなさんどうぞ先に言ってください、というメッセージが聞こえたのかどうかは分かりませんが、ここから一気に後ろから抜かれ始めます。そしてそれになんとか食らいつきます。

と、後ろについた瞬間、まるでターボがかかったかのように一気に脚が軽やかになりペースを持ち直します。

「うしろってこんなに楽なんかーい」ともう笑うしかなく、今までみなさんこんなに楽してたのね、と。

後ろに回ると再び元気を取り戻し、もう一度集団の横に出てペースアップ。

9kmは3分19秒と今日最速ラップを記録。

滅多に思いませんが、流石にこの時ばかりは「おれ、速いかも」と頭をよぎったのも束の間、待ってましたと言わんばかりにラスト1kmで集団全員がスパート。

はい終戦。

もう2度目はありません。

流石に貯めていた人のスパートはレベルが違います。こっちは脚が終わっている中でスピードを出そうとしますが、この時のために余力を残していた人のスパートは動きが違いすぎます。

それでもあとは自分の記録との勝負です。集団のスパートの力を借りながら最後の力を振り絞ります。

とはいえ、もう脚が完全に動いていないのが自分でもわかります。呼吸もほぼ限界。気力だけですよね、気力。

そして、もう無理、というところで無事フィニッシュ。

手元の時計で33分47秒(正式ネットタイムは45秒)

いや、我ながら最後までよくやりました。

タイムはしょぼいですが、数字に現れない力強い走りや自分でペースをコントロールした感覚、呼吸の辛さを脚のパワーでカバーして押していける感覚など、意外に思われるでしょうが結構「会心」の走りだったと実感できるレースになりました。

人間の能力ですから、人と比べて速いとか遅いとかそういう基準で見ればいくらでも評価は変わってくるのは当然です。

しかし、自分の体感として感じられる手応え(というかこの場合は脚応え?)のようなものに、他者との優劣や比較は存在しないので、ランマニアがここまで競技を続けてこられたのも、こうした自分の感覚の変化や成長などにこだわり続けてきたからではないかとも思っています。

もうこの歳になると、正直PBだけを追っていると確実にモチベーションは低下します。

また、大したことはないですが過去の「栄光」に囚われていると、それこそその落差の大きさに落胆するだけになります。

重要なのは、自分自身の中で得られる手応えや感覚、変化、そして自分自身の生理学的な変化をコントロールしきれたという実感、などを感じる瞬間なのではないかと、今日のレースで改めて感じたところです。

さて、そのような自身の変化を感じられた背景にはやはり今年春から取り組んできた練習の効果を抜きに考えることはできないと思っています。

今日はっきりと感じた手応え、変化というのは、やはり走っても走っても疲れてこない強靭な脚の感覚に他なりません。

7kmすぎから流石に動きは鈍くなりましたが、それまでは「いつでもあげられるぞ」という脚の余力を常に維持したまま今日のペースを保つことができました。

これは、間違いなくダニエルズさんの練習により大幅に練習のボリュームが増え、疲労しにくい脚ができてきたからだと思っています。

また、今回のレースはちょうど月末に行われ、練習計画のなかでは最も疲労が溜まっていてもおかしくない状況でレースを迎えることになったのですが、その影響についてもさほど出なかった印象です。

特に、先週はランマニア自身経験したことのないような強度も負荷も高い練習を入れたにもかかわらず、中4日でその疲労も概ね回復し、今日のレースを走り切ることができました。

これについても、そこそこの練習を積んでもその疲労がすぐに回復できるような脚が出来上がってきたことが考えられます。

つまり、いずれにしてもダニエルズさんの練習によって脚ができたというわけです。

筋トレをして、今まで持ち上げられなかった物が軽々と持ち上げられるようになるのが楽しいのと同じで、これまでならすぐに脚に来てしまったようなペースで延々と走り続けられるようになるというのは、ただ純粋に楽しく感じるわけですね。この変化や成長に楽しさを感じているわけです。

さて、2020年もどうにか概ねいい形で締め括ることができましたが、実はこの1年ずっと感じ続けている課題も存在しています。

これまで何度か触れてきたことですが、現時点で走力のボトルネックとなっている問題です。

これについてはまた長くなるので別の機会にお話ししようと思います。

今日は多くのレースが中止に追いやられる中、果敢に開催に踏み切っていただいた大会事務局及び主催者の方々、そしてスタッフの皆さんに大変感謝をしています。

ありがとうございました。