ふかやシティハーフマラソンと2月まとめ

こんにちは、ランマニアです。

今日は久々にレースでやらかしましたね。

昨年4月の長野マラソン以来でしょうか。

昨年度開幕レースで豪快に失敗した長野マラソン

ここ数日、お腹の調子が悪く、また昼間から猛烈な眠気に襲われ、朝も起きれないという、体調が悪い時の諸症状が軒並み現れていました。

長野マラソンの数日前も立っているのがかったるく感じたり、車を運転していてすぐに眠くなるような症状があり、だいたいレースで走れない時はもうその数日前にはある程度予兆が表れているのですね。

先週、レース1週間前としては異例の30kmジョグをしてしまったことも一因である可能性は否定できませんが、それ以上に先週は睡眠が足りておらず、週の後半の連休でその疲労がどっと出てしまった印象です。

今日はアップの時から足が重く、あまり長く走りたくない感じがして、ちょっと嫌な予感はしていました。

調子の悪さに加え、猛烈な強風に見舞われた7年ぶりのふかやシティハーフ

スタートして、思ったより足が動くな、と思い1kmの通過を見ると3分30秒と、ほぼ予定通り。

呼吸も意外と楽で、今日はこのペースを維持して目標の14分台を達成しようと、序盤は比較的前向きな気持ちで走ることができました。

ところが、その後すぐに猛烈な向かい風に見舞われ、一気にペースダウンします。

ラップも3分40秒台まで落ち、ちょっと今日は記録を狙える条件ではないと感じました。

長身ランナーの後ろに周り、体力を温存しながら10kmあたりまで余力を残して走りました。

しかし、その後追い風区間になり、若干ペースは戻すものの14km付近で急に足が止まりました。

呼吸は楽ですし、足が終わったわけではなく、4月の長野のような体がしんどい感じです。

あ、残り7kmはちょっと厳しいな、と気が遠くなるようなしんどさを感じ始めました。

そうこうしているうちに、お腹も痛くなり、トイレが我慢できない状態になりました。

ああ、いつも疲れてる時によくなるやつだ・・・、と今日はもうダメなことに気づきます。

トイレに入り、まずは3分以上のロス。

その後、キロ3分40秒くらいでどうにか維持しましたが、残り2kmで再びトイレが我慢できなくなり2度目のトイレ休憩。

ここでも同様に4分近いロス。

その後ペースも戻らなくなり、結局1時間23分以上かかってのフィニッシュ。

残念ながら、このタイムでは東京マラソンの準エリート枠はかないません。別のレースでもう一度チャレンジです。

深谷ネギはシンプルに焼いて食べると絶品です

さて、今回は仕事の関係で、なかなか体調を維持するのが困難な状況になりました。

仕事をしている以上、こういうイレギュラーな対応は年に何度かあるわけで、そうした中でも体調を維持できるマネジメント力は競技者には要求されますね。

先週、30kmではなく20kmにしていればもう少し調子を維持できた可能性はありますが、本命が3月のフルである以上、2月は少しでも距離を踏んでおきたかったことは事実です。

予期せぬ仕事の対応と調子の維持が両立できる方法を、今後模索していく必要がありそうです。

走って稼げない以上、日常に仕事が存在するのはデフォルトなので、そこは言い訳にならないですからね。

リカバリーの観点からも労働時間のマネジメントは重要ですし、走るために必要な資金を手に入れている時間であるならそれも広い意味でトレーニングだと考えています。

とはいえ、この2月はようやく理想としている練習サイクルに戻しつつある月になりました。

練習日数は20日間で距離が220km。概ね月間300kmペースに戻し、かつ、レースを使ってLT域にかなりの刺激を入れられました。

レースがあったことで、どうしてもレストの期間を挟む必要がありましたが、その中で先月の奥むさし駅伝も含めると、一月位LT域に刺激を入れ続けることができました。

今日は集団走であったとはいえ、前回の埼玉県駅伝とほぼ同じペースで15kmほど持つようになったことで、だいぶ走力の回復を感じました。

駅伝と今日のレースを入れると、約一月で40kmほどLTペースで走ったことになります。

VO2Maxへの刺激が圧倒的に足りてなく、今日もキロ3分20秒台にかかると急激に呼吸がキツくなるので、本当はここへの刺激をもう少し入れたかったのですが、フルにはあまり必要でない能力なので、残りの3週間は大人しくジョグで繋ぐ予定です。

レースが続きなかなか距離が伸びませんが、20日で220kmなので負荷としては先月よりも増加しました。

さて、板橋シティマラソンまで残り3週間です。

今調子としては底なので、ここからどう回復させるかですが、まずは1週間は休もうと思います。

脚の疲労というより、体全体が疲れてしまっているので、そこを回復させてからでないと練習しても疲労が増すだけですから。

できれば毎日しっかり睡眠をとって調子を整えたいところですが、突発的な仕事が入るとそうもいかなくなります。

そういう時に、どうマネジメントするかが鍵となりそうですね。

いずれにしても、今シーズン最後はある程度の手応えを感じて、来シーズンの見通しが持てる程度の結果を残して終えたいと思っています。

所沢シティマラソンに出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

今日は地元所沢で3年ぶりに開催された所沢シティマラソンに出場してきました。

このレースは地元ということもあり、実は初出場は今から29年前の大学1年の頃に遡ります。

当時はまだ20kmの部門で、コースもしっかりと「シティ(市街地)」を走る、なかなか魅力的なロードレースでした。

おそらく、本レースが企画された時点では、市内の要所を巡るかなり壮大な計画のもとに設定されたコースであったことが想像でき、折り返し地点は市役所で、郊外の大通りや国道の一部もコースになっていたほどでした。

ところが、この本格的ロードレースが時を経るごとに次第に様変わりし、コースも徐々に市の中心部を離れ、最終的には未舗装路やトレイル並みの急坂を繰り返し上り下りさせられる、「キワモノレース」となってしまったことは、正直残念なところです。

大会PRに「起伏に富んだタフなコース」と明記される累積標高差約300mのハーフマラソン。もちろん非公認。

所沢市は、西の外れにいくつもの丘陵地帯が広がり、平坦な道を数百mも取れないほど坂が多い地域なのですね。

そこを中心に21kmもコースを作ろうとすれば、それはそれはとんでもコースになるのは必至で。

今日も走っていて、平坦路が最も長く続いたのは貯水池の堤防上の道で、おそらく500mあるかないかといった感じでした。

他は、通常のロードレースで「アップダウン」と呼べるほどの起伏は数えきれないほどあり、緩やかな上り坂(下り坂)はどこへ行っても存在し、ロードレースでは絶対にありえないほどの急坂が2度ほどありました。

いってみれば、それを覚悟して出場するのがこの所沢シティマラソンであるため、今日もそうしたコースでどこまでペースを維持するかが、常に課題となるレース展開となったわけです。

本大会唯一の魅力は、プロ野球埼玉西武ライオンズの本拠地、ベルーナドームに立ち入れること、くらいでしょうか。

昨日のブログにも書きましたが、今日のレースはとにかくLT域に刺激を入れるためのトレーニング的要素の強いレースです。

系統立てて練習を積んできていませんので、ここで結果を出そうなどというつもりはなく、イーブンペースをある程度の余力を残して維持できればそれでよし、なレースにするつもりでした。

ところが、スタートしてすぐにどうにも体が(特に脚が)重く、数km走って温まればそれも改善するかと思いきや、結局常に脚の動きにキレがなく、おもりを履いて走っているような感覚がずっと付き纏いました。

アップの時など、一定のバネはあり、軽快にWSも走れる一方、LT域のようなある程度の強度を維持しようとすると、すぐにかったるくなってしまうこの状態は、やはり蓄積された疲労が抜けきれていない時によく体感される症状です。

とはいえ、走り出してしまえば、周囲のランナーのペースに乗っかり、強度的に無理のないペースであればそこに身を置いて走り続けてしまうのが、レースというものでしょう。

ただ、疲労もさることながら、数百m走れば緩急問わず必ずやってくる上り下りの繰り返しに、どうしても呼吸が整わず、何km走っても同じようなキツさを強いられながら走ることになってしまいました。

また、スタート前に時計のバッテリーが死んでしまい、細かなラップもわからず、自分が今どの程度のペースで走っているかが全くわからない状態。

脚の重さのためか、体感的には1km4分近くかかっていそうな気もしていて、レース中一度も気持ちよく走れた時間はなかったほどです。

そんな中で、前のランナーを常に追いながらペースを作り、後半に待ち受けている数度の急坂も死ぬほどのキツさで上りきり、ラスト3kmでようやく訪れた平坦路で若干走りが整ったかな、という感覚が得られました。

ただ、その頃にはもうほぼ脚は終わっていて、最後に待ち受けているラスト1kmの登り坂では完全に止まってしまったのは残念でした。

過去のハーフでの最高順位は30代の頃に一度5位というのがありました。だいぶ歳をとりました。

ところが、フィニッシュタイムを見たら思いの外悪いタイムではなく、このコースでは相当な走力がなければ15分台は難しい(年代別優勝者が15分35秒)ことを考えると、今回のタイムは想定以上に走れた結果になったと思いました。

ペースも平均すると1km3分40秒ですから、ちょうど今の実力のLT2くらいは維持できたことになり、練習としてはかなり良い刺激を入れられたと感じます。

調子はあまり良くないながらも、今日のレースで目標にしていたペースは維持でき、練習としての負荷もちょうどよくかけることができ、年代別入賞のおまけまでついてきた収穫のあるレースとなりました。

そして2022年のレースはこれで最後になり、故障期間の続いた今年の最後にどうにかロードレースをまともに走ることができ、なんとか立て直すことができたかな、といった印象です。

この次は1月にまたハーフマラソンを予定していて、その後は駅伝が続き、もう一度本命のハーフ、そして3月に本命のフルマラソンが計画されています。

ハーフはそのペースと長さから、最も故障の危険が高まりますので、その間にちょくちょく入ってくる駅伝のダメージやレース当日の脚の状態を常に気にしながら、慎重に練習を続けて行かなければと思っています。

SJS年間順位が確定しました

こんにちは、ランマニアです。

さて、先週のびわ湖バレイスカイランを持って、今シーズンのスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)も閉幕しました。

昨シーズンから本格的に「コンバインド」(VKとSKYを連日で走る)に挑戦し、年間を通して両種目でのポイント獲得を目指してきました。

昨シーズンは、後半戦、就職活動のためVKのみの出走になり、それが結果的に好結果につながり、VKの年間順位で総合10位、40代では6位に入ることができました。

https://drive.google.com/file/d/125RqF5fi4ZfvBMJSGTZo_7jBcwTiva8D/view?usp=drivesdk

最終戦のびわ湖がポイント2倍になることもあり、そこで一桁順位で走れたのが大きかったです。

昨年の経験から、今年こそ全5戦のコンバインドを達成し、VK、SKYの両種目で総合順位を狙いたいところでした。

ところが、5月の上田の開幕戦から体調管理に失敗し、VKの無得点、SKYの途中棄権という予想外の開幕となってしまいました。

あまりにも体調が悪すぎた今年の上田

しかし、そこから新しい仕事、新しい職場においてどう練習を組み込むかを模索した結果、通勤と週末を利用したトレーニングパターンがある程度かたまり、6月の東京バーティカルでは久々に会心の走りをすることができました。

何度も試走を行った東京バーティカルでは、ペース配分がガッチリはまったレースとなりました

一桁順位こそ逃しましたが、毎回どうしても勝つことのできなかった同世代の最強バーティカルランナーに僅差で先着することもでき、かなり嬉しかったのを覚えています。

ところが、このレースの前後に痛みが出始めていた、足底筋膜炎の症状がここから悪化の一途を辿ることになります。

この時は数週間で回復すると楽観的になっていましたが、結果的に今シーズンを大きく左右する大きな故障となってしまいました。

数日休んでは練習を再開し、痛みがひいたと思えばまた悪化させを繰り返し、誤魔化しながら出走したのが、東京バーティカルと対になるSKYの関東シリーズである嬬恋スカイランでした。

予想だにしなかった難コースに打ちのめされた嬬恋スカイラン

レース当日は調子も良く、中盤まではかなり良い順位で戦えていましたが、終盤補給を怠ったためか急激な体調悪化に見舞われ、大きく順位を落とすことになりました。

最終盤に待っていた登り区間で終戦となってしまいました。

そして、このレース以降、足底筋膜炎の痛みに悩まされることになります。

まず、最も楽しみにしていた富士登山競走のDNS。

八月も全く走れず、9月の蔵王にも結局間に合わず、こちらもDNS。

この時点で、まだ足に痛みが残っていたため、正直今シーズンはもう終わったと思っていました。

9月の下旬あたりから数kmずつ走り始め、10月の半ばでもまだ10km走るのがやっとの状態でした。

そんな中で、久々のレースとなった志賀高原エクストリームトレイルに出場しました。

トレイル練のつもりで出走したエクストリームトレイルでしたが、まさかのセカンドベスト

当初は、11月のびわ湖バレイに向けてのトレイル練再開のつもりで走る予定だったエクストリームトレイルでしたが、序盤から控えめに入ったことで、予想外の好走となりました。

久しぶりにトレイルを走ったため、脚へのダメージはそれなりにありましたが、序盤を抑えてゆっくりと走り切ったためか、思ったよりも疲労は残らず、翌週の烏帽子スカイランはどうにか最低限走れる状態では臨むことができました。

両レースとも、大した走りはできませんでしたが運よく14位に入ることができました。

VKでは、自身の力を過信し、前半から突っ込んでしまった結果、終盤は見るも無惨な走りとなりましたが、出場選手の関係でどうにか14位に入り、久々にポイント獲得となりました。

SKYも、マイペースを貫き、後半のロード区間も無難に走った結果、こちらも14位でポイント獲得。

シリーズ戦最終盤で、残すはポイントが2倍になるびわ湖を残すだけとなりました。

ところで、今シーズンは例年毎年のように参加していたつくばマラソンが再開され、そちらにもエントリーしていたのですね。

ここは、びわ湖に備えてロングジョグのつもりで走るつもりでしたが、走ったところで調子に乗ってしまい、結果的に後半の20kmはキロ4分の距離走を行うことになりました。

まあ、当然疲労は一気に溜まりましたね。

中盤以降、気持ちよくロードを快走してしまった5年ぶりのつくばマラソン

そして迎えた最終戦。

先日報告した通り、まさかの4レース連続14位というギネス並の結果で今シーズンのスカイレースを終えることになりました。

びわ湖テラスの景色は最高でした

そして、最終戦の結果を待って、SJSの総合順位も決定しました。

https://drive.google.com/file/d/1nk2XIUuAUYd9KKpV30_9KOQjce2Sssam/view?usp=drivesdk

VK部門は総合20位。年代別は今年から5歳ごとに細分化されたため、M45で2位という結果となりました。

40代の強豪ランナーたちと別カテゴリーになったおかげで、部門別2位になれたのは正直嬉しかったですね。

https://drive.google.com/file/d/1nrFrSvkPq4U31igYlTRLGy9q-cswAJJD/view?usp=drivesdk

SKY部門は総合25位。年代別は、こちらもM45になったことで3位というありがたい順位をもらえました。

こうして、故障やら不調やらでポイントすらつかないかと思われた今年のシリーズも、どうにか最低限の結果を残して終えることができました。

ただ、今年のシリーズ通して言えることですが、今回はどのレースも出場選手が若干寂しい感じはしました。

以前は、ワールドクラスで活躍している「あの」男性選手や、VKでは圧倒的な強さを誇っている「あの」女性選手もシリーズ通して出場していたSJSでしたが、いつしか彼らの主戦場が別の場所になっていったように思います。

それは、ここ数年トップクラスの選手がSJSから流出していってしまっているなぁと、薄々感じてはいました。

昨年度鮮烈デビューを果たした「あの」ユーチューバーさんも、今年は別のところで活躍されましたし。

確かに、あるところでトップを極めると、もうそこには留まりたくない気持ちはあるのでしょう。

このSJSは一つの到達点、通過点なのかもしれません。

そういう意味では、ここは若手の登竜門的な存在であり、これからもどんどん新しい若い選手が挑戦する場になっていくのかもしれません。

それは、自分たちのようにトップクラスではない平凡ランナーにとってはそこそこの順位争いができる、楽しいシリーズになることは間違い無いのですが、一方で、真の一流選手がチャレンジし続ける「挑み続ける価値あるレース」とはなっていない気もして、そのあたりに寂しさは感じるのですね。

ランマニア的には、まだまだここでチャレンジしたい気持ち満々ですし、シニアの部で世界選手権を目指したいなんて割と真面目に考えたりもしています。

来年度は、上位を独占している40代集団をもっともっと脅かす、若い選手たちがたくさん参加してくれることを期待しています。

びわ湖バレイスカイランに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

つくばマラソンから中5日。

初めてフルマラソンを完走した翌週にトレイルレースに参加することになりました。

フルのダメージは、自分で感じている以上に体内の様々な部分に残っているため、今回フルから中5日でトレイルを走るにあたっては、疲労の状態や脚のダメージに対し、いつも以上に注意を払って1週間を過ごしました。

つくばマラソンでは、ネガティブスプリットの走りによって完全に脚を使い切ってしまったため、びわ湖バレイは想定外の疲労状態で出場することになってしまいました。

キロ4分30秒でジョグのつもりが、後半はキロ4で20kmペース走となってしまったつくばマラソン

10月に練習を再開した当初は、つくばのフルはジョグ程度にとどめ、びわ湖で出し切る予定でいたのですね。

ところが、結果的につくばで出し切った形となり、今回のびわ湖は疲労を抱えた中で、どこまで勝負できるか、ある意味消耗戦のような様相を呈したレースとなりました。

初日のバーティカルは天気は快晴。フィニッシュ地点の打見山山頂、そして翌日の折り返し点蓬莱山山頂もくっきり。

今回、2日目のスカイレースは、悪天候プランに変更となり、コースはバーティカルのフィニッシュ地点である打見山山頂からさらに2kmほど、累積標高で300mほど進んだ蓬莱山を折り返すショート部門と同様となりました。

結果的には、この変更が自分にとって幸いし、2日目のスカイレースもどうにか勝負になるレース展開に持ち込むことができたのでした。

バーティカルのフィニッシュ地点から、スカイレースの折り返し地点蓬莱山頂が見渡せます。

初日のバーティカルは、4.5kmという距離に惑わされず、累積では900mも登るコースであることを念頭に、序盤から抑え気味で入りました。

昨年は、調子が良かったこともあり、序盤から相当に追い込み、累積300m手前ですでにオールアウト気味になった苦い失敗があります。

4.5kmという響きに頭が勘違いをし、まるで1500mレースさながらの追い込み方で坂を登り続け、早々にオールアウトした2021年大会

今回は、練習も詰めておらず、さらにはフルの疲労が相当に残っていたことから、とにかく終盤の急登に脚を温存するプランで臨みました。

案の定、序盤は最下位近くまで遅れを取り、流石に焦りましたが、思ったよりも長丁場になるこのコースの特性上、勝負は終盤になると踏んで、焦らず自分のキツさにだけ注意を集中しました。

ところが、それでもフルの疲労が常に付き纏い、途中に歩きを入れるくらいのスローペースでさえ、やめてしまいたいほどのしんどさに襲われました。

いつもは先行されることのないランナーにも遅れをとり、今回は流石にもうだめかな、と思っていたところ、後半、一旦勾配がゆるくなる区間で休めたことがきっかけで、もう一度脚が動くようになりました。

この現象は、翌日のスカイレースでも同じように現れました。

累積200mを切ったあたりで、もう脚は完全に止まっていましたが、バーティカルの場合、最後はたいてい我慢を効かせて踏ん張るしかないので、少しでも動くなら出し惜しみせず動かし続けたほうがどうにかなってしまいます。

フィニッシュタイムは、昨年よりも2分遅れでしたが、この疲労状態の中では割と走れた方だと、手応えは感じました。

VO2 Maxが相当に衰えている中で、巡行ペースは確実に落ち込んでいますが、最後までおおかたイーブンペースを維持できたのは、10月以降のレースの中で徐々に有酸素機能が回復してきた証拠かもしれません。

初日のバーティカルは42分47秒の14位。昨年の一桁順位はできすぎなので、これでも満足です。

さて、翌日のスカイレースも、ショートコースへの変更に伴い、走るコースはほとんどが同じ場所です。

序盤は、前日のバーティカルをそのままなぞります。

2日目は、前日に比べてさらに疲労状況が悪化しており、もう始めのゆるい登り坂でさえ走るのがかったるくて仕方がない状態でした。

累積500mすぎで、今日はもうやめてしまおうかと思うほどのだるさを感じていました。

さらに、いつもなら先着できる50代のランナーたちもずっと前を走っていて、自分のペースが相当に遅いことにも気づいていました。

ただ、そんなことを考えていても、動かないものは動かず、ただただ目の前の坂を、脚を使いすぎないように登ることだけを考えて、淡々と脚を動かすだけでした。

2日目は雨さえ降らなかったものの、山頂付近は猛烈な強風が吹き荒れ、一気に体温が奪われる状況でした。

それでも一つ目のピーク打見山山頂に到達し、そこから一度ゲレンデの急斜面を一気にダウンヒルする区間で、強制的に脚を動かされました。

なんともいえない脚のだるさによって、急降下するスピードに脚の回転がついていけず、何度も大転倒するのではないかとヒヤヒヤしながら坂を下り続けました。

下り切ると、折り返し地点の蓬莱山に向けて一気に標高差100m以上の急斜面を駆け上がります。

この区間を頭に入れていたため、思いの外ここでは脚が動き、ようやく前を行くランナーたちに一人ずつ追いつくことができました。

この区間で、最終的には折り返しまでに4〜5人順位を上げ、脚を残した状態で後半戦に突入しました。

遥か彼方に見えるリフトの終点あたりが折り返し地点。

折り返してすぐに、ゲレンデの急降下が待っています。

いつもは苦手なゲレンデ下りですが、登りで温存したせいか、この日は割とスムーズに脚が前へ前へと出て、軽やかにスピードに乗ることができました。

最後に900m一気下りが待っているため、ここでも使い切ることは許されませんが、それでも楽にスピードを出すことができ、行きに下ったゲレンデの最後の登りもどうにか脚を止めずに登り切ることができました。

そして最後は、バーティカルの逆コースです。

テクニカルな岩場が続く、スカイレースならではの下り区間ですが、ここでも脚がしっかりと動き、脚が止まった時に感じるような恐怖を感じることなく、軽快にトレイルを飛ばすことができました。

序盤に感じていた疲労感が嘘のように、割と元気に最後まで走り切ることができました。

実際、脚の疲労はかなり残っていたのでしょうが、体感的な疲労感は一時的に麻痺していたのでしょう。

スカイレースの最終順位も、前日のバーティカルと同様14位。

ロングバージョンであれば、2度目の蓬莱山登山を、おそらくこなすことができずにDNFしてたであろうスカイレースでしたが、ショートになったことが自分には幸運でした。

気づけば今シーズンのジャパンシリーズも終了。例年になくあっという間にシーズンが過ぎてしまいました。

さて、こうして今シーズンのジャパンシリーズも幕を閉じました。

春から色々なことがあり、一時は終盤戦まで勝負にならないのではないかと危惧された、今シーズンのスカイランニングでしたが、終わってみれば8レースに参加することができました。

シーズン全体の総括は、次回に回したいと思います。

びわ湖スカイランの最大の魅力はなんといっても山頂からの絶景です。これのために、単発で出場するのもありだと思います。

烏帽子スカイラン SKYエリートに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

さて今回は、烏帽子スカイランの「SKY」部門のレースレビューです。

「SKY」部門は、JSA的にはいわゆる「スカイレース」の部門で、累積標高差がだいたい1000m〜3000m、移動距離が30km程度までの山岳レースを指します。

今回の烏帽子は、移動距離25km、累積標高差1550mという、SJSの中ではおそらく最も「走りやすい」スカイレースの部類に入ります。

個人的に最難関は、上田バーティカルレースにおけるスカイレース(塩尻コース)で、こちらは移動距離は25kmと変わらないものの、累積標高差はなんと3000m。

通常のランナー感覚からすると、「なんだ距離は変わらないじゃないか」と思われるかもしれませんが、同じ移動距離で累積標高差が倍近くあることに注目です。

スカイレース(バーティカルもですが)では、移動距離に対する累積標高差の比率がかなり重要でして、1kmあたり100mの獲得標高をはるかに上回る上田のコースは、それだけ急峻なコース設定がなされていることを意味します。

一昨年の塩尻コースは、出走3回のうち唯一まともに走り切れたレース。それほど攻略が難しい上田の塩尻コース。

こうしたスカイランニングの特徴を考えると、先日の烏帽子はかなり楽に走れる部類に入り、レース時間も2時間から3時間に収まる程度の、高速コースとなっています。

この烏帽子スカイレースの最大の特徴は、なんといっても、後半に相当な距離の「ロード区間」が待っていることですね。

通常、スカイレースでは一般的なトレイルランニングに比べて、林道やロード区間、あるいは快適に走れる平坦区間が限りなく少ないのが特徴ですが、この烏帽子に限っては、終盤はあたかもロードレースさながらの展開が待ち受けています。

一昨年は、そのあまりにも長いロード区間で完全にやられてしまい、序盤の烏帽子岳を登った爽快な気分が、ゴールではすっかり消えてしまったのを覚えています。

烏帽子岳登山を終えた後の下りで、若者ランナーに激ぬかれした一昨年の烏帽子スカイレース。

そんな苦い経験のある烏帽子スカイレースであったため、今回はある対策をしてみました。

それは、思い切ってロードシューズで走ってみよう、ということでした。

前半の烏帽子岳登山を含むトレイル区間は、総距離の約半分、12km程度です。

しかも、ほとんどが落ち葉が堆積した非常に走りやすい足場で、硬い岩場が現れるのは、山頂付近にとどまり、あとはトレイルシューズでなくとも思い切り着地のできるサーフェスが続きます。

前半、烏帽子岳までの登り区間はこのような快適なトレイルが続きます。これほど足場が整っているスカイレースも珍しいです。

一方、トレイル区間が終わった先は、2〜3km続く砂利道の林道区間、そしてその後はほぼ全てがロード区間となります。

つまり、走る距離の半分、時間にしても半分以上は砂利&ロードなのですね。

しかも、その後半の一般道区間はほとんどが下りで、足へのダメージもかなりのものがあります。

山頂から下ってくる急坂下りでやられた脚にとって、その後10km以上続く一般道は相当なダメージが上乗せされる嫌な区間です。

なので、一昨年はクッション性の低いトレイルシューズが終盤あだとなり、せっかくの高速区間がただのジョギングと化してしまったのでした。

唯一トレイルシューズの恩恵が受けられるのは、この山頂付近の岩場くらい。

果たして今回、この作戦はかなり功を奏しました。

序盤の烏帽子岳登山で、相当にペースを抑えたというのもありますが、山頂を過ぎてからの激坂下りも、足場の悪い林道区間も、全く恐怖はなく、思い切り膝下を前に出して豪快に飛ばすことができました。

もしかすると、スカイレースの下り区間で、ここまでぶっ飛ばしたのも初めてだったかもしれません。

それほど脚の動きも良く、また、着地の恐怖も軽減されていました。

そして、問題のロード区間についても、一昨年のようなジョギング大会ではなく、明らかに「レースしてるぞ」といったイメージで、現在のLT付近のペースを維持できていた印象です。

ただ、今回唯一失敗したのは、このロード区間で地味に繰り返されるアップダウンによって、思いの外脚を使わされてしまい、最終盤の「山登り」で脚が終わってしまったことでした。

せっかく、下り区間まで脚を取っておいたのに、これは非常にもったいなかったです。

スカイレースにありがちな、最終盤の登り区間。

このコースにも、最後の最後に3つの急登が用意されているのです。

禰津(ねつ)城。

お姫様の巨石。

そして、フィニッシュ地点に向かう最後の石段。

この3箇所に加え、ロード区間でも一旦登り区間があり、トータルで累積100m近くにはなる侮れない急登です。

今回は、ロードを飛ばし過ぎた結果、この3箇所の登りで、一気にペースダウンをしてしまったのが悔やまれます。

フィニッシュ地点へ駆け上る最後の石段。レース中は、常にこの存在が頭にあります。

最終的なタイムは2時間32分14秒。

一昨年よりも2分近くタイムを縮め、やったPBだと喜んだのも束の間、実は今回からスタート地点がこの石段ではなく、それよりも数百m進んだ先にある登り坂だったため、縮めた2分はちょうどその分であったことに気づきました。

今回から一斉スタートとなったため、スタート地点がだいぶ先になりました。

とはいえ、一昨年よりも練習が積めていない状態でほぼ同タイムで走れたことはかなりの収穫で、これは多少なりともレースに向けた対策が生きた結果となりました。

一つは、序盤の登りをかなり抑えたこと。

もう一つはロードシューズで走ったこと。

この2点の工夫が、今ある限られた実力を最大限に発揮できた要因だったと思います。

トレイルは、ロードレースやトラックレースに比べて、結果に影響する因子が膨大に上るため、ロード・トラックのようなシビアな世界ではありません。

単純に走力や登坂力だけでなく、ペース配分などの工夫をするだけで、かなりネガティブな要素を打ち消すことができる競技ですね。

そうした意味では、まだまだ自分の実力を開拓する余地は残されていますし、トレーニングのアプローチも工夫できそうに感じています。

いずれにしても、練習が十分積めていない状態で参加しても楽しめてしまうスカイレースは、トレーニングの中でちょうど良い気分転換になる種目であると、改めて感じた二日間でした。

烏帽子スカイラン VKエリートに参加してきました

こんにちは、ランマニアです。

故障から復帰後、第2戦目はここ数年連続で出場している「烏帽子スカイラン」です。

この烏帽子は、日本スカイランニング協会(JSA)のスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)戦にも位置付けられていて、バーティカル「VK」とスカイランニング「SKY」のそれぞれ「エリート」がそれに当たります。

このシリーズ戦で、毎試合登録者の中で30位に入るとポイントが加算され、そのポイント数で年間シリーズを戦う、魅力的なシステムになっています。

さて、そんなSJSの第4戦、烏帽子スカイランの、まずはVKのレースレビューです。

通常バーティカル競技は、累積標高差1000m程度を一気登り、登りっぱなしのコース設定となりますが、烏帽子は珍しく下りや平坦区間がかなり設定されています。

この烏帽子のVKは、ここ数年出場するたびに自身のコースレコード(PB)を更新し続けている縁起のいいレースとなっています。

比較的走れる区間が多く、また下りも存在する珍しいVKのためか、割と自分自身の特性にはマッチしたコースです。

昨年は、練習も積めていて、さらに当日の調子も良かったせいもあり、序盤からかなり飛ばし気味に入ったものの、終盤の失速も最小限に抑えられ、65分台のベスト記録を更新することができました。

昨年は自分でも驚きのPBで自信を深めたレースとなりました。

そうした良い印象のあるレースであるためか、今年のレースも、前週に志賀高原を走って中5日だというのに、さらに10月に練習を再開したばかりだというのに、何だか今年も昨年同様に走れてしまう根拠のない自信に満ち溢れていたのですね。

レースで失敗する時は大抵、こういった自身の体の状態を把握しきれずに、気持ちだけが先走った場合です。

今回も、アップの時からなんとなく脚が重く、上り坂で感覚を確かめようとしてもすぐに失速するような最悪の状態であったにも関わらず、スタートからそこそこのペースで駆け上がってしまいました。

スタートして1kmのロードが終わると登山道に入りますが、初めの尾根越えの時点で足が終わりかけて絶望しました。

疲れているため、きっとペースが遅いだろうと思っていたところ、かなりの序盤でいつも歯が立たない同年代の有名ランナーに追いついてしまい、これはもしやOPなのでは?と気づいた時には時既に遅し。

累積にしてわずか300m程度の段階で、既に脚の動きが鈍くなりかけていました。

こうなってしまうと、残りの900mを登るのはかなりしんどくなります。

本来、急登続きの終盤に脚を取っておかなければ、大幅なタイムロスが生じてしまうスカイランニングですから、この展開はかなりまずい展開でした。

案の定、例年ならまだまだぐいぐい押せていたはずの終盤の緩やかな登りでもある気が入ってしまい、急登では止まりそうなほどのペースダウンを強いられました。

また、練習不足から、一歩で登れる距離も短くなっていて、知らないうちに巡行ペースもかなり落ちていたようでした。

登山道のような急な登り坂は、いったん動きが止まると進むために必要な時間が2倍3倍と跳ね上がるので、ロードレースやトラックのように、脚が止まってもそこそこ進めるようなことはありません。

なので、さっきまであれほど順調に登り坂を進めていた様子から一変して、まるで別の競技に変わってしまったかのような動きと、進む速度に変わってしまうのですね。

ラスト200mある岩場に、10分近く要してしまいました。

結局、毎年苦しめられる最後の岩場も止まるような速度にまでペースが落ち、結果として昨年のPBから約4分遅れ、そしてまさかの自己ワーストタイムでフニッシュという結果となりました。

練習ができていない中でOPともなれば、簡単にワースト記録となってしまうバーティカルの恐ろしさも実感しました。

順位的には14位と、ポイントもかなり獲得でき、練習不足の割には満足いく結果と言えなくもないですが、レース終盤は潰れてしまった悪い印象が残り、軽快に気持ちよく登り坂を走るVK特有の楽しさを味わえなかったのはとても残念でした。

烏帽子の最大の魅力はやはり山頂からのこの絶景です。

ただ、それでも山頂に到達し、360度のパノラマビューに飛び込むことのできるこの烏帽子VKの最大の魅力は、その絶景にあります。

通常なら2時間も3時間もかけた先に待っているこの山頂の風景を、我々はわずか1時間足らずで目にすることができ、山頂がゴールのVKではそれにしばらく浸ることができます。

多少のタイムや順位の悪さも、この景色を前に、まあ許せてしまうのがVKの良いところですね。

翌日のSKYでは、ここを折り返し、一気に麓に向かって下っていきます。

体調や体力不足を見誤り、ペース配分を大きく間違えた初日のVKでしたが、2日目のSKYではその反省を生かしてレース展開を大きく変えることになりました。

次回は、SKYのレースレビューです。

志賀高原エクストリームトレイル JSA日本選手権(ミドル)に参加してきました

こんにちは,ランマニアです。

昨年は「就活」で参加できなかった志賀高原エクストリームトレイルに,二年ぶりに出走してきました。

早いもので,このレースに初めて参加したのは2018年で,そこからもう4年が過ぎてしまいました。

昨年は未出走ですが,それ以外は全てミドル(32km D±2000m)に出走し,今回のレースで4度目の参加となりました。

このレースは日本スカイランニング協会の日本選手権に位置づけられているということもありますが,それよりも本コースが関東近辺では屈指の「エクストリーム(極限)」なコースであることが,ランマニアが毎年参加している理由です。

年間通して参加しているトレイルレースの中でも屈指のエクストリームなコース設定です。

本大会を運営されている「北信濃トレイルフリークス」さん自らが,「終盤の絶壁(サンバレースキー場)」や「避けることのできない泥濘区間」,「ほとんど晴れない天候」などをそのエクストリームな理由にされていますが,ランマニアの中で最もエクストリームなのは,他のトレイルレースでは決して体験することのできない「志賀の山々」の真っ只中を全身で浴びながら走れることだと思っています。

ランマニアの嫌いなものベスト3に入るゲレンデ下りも,この絶景を前にしたら嫌とは言ってられません。

真のエクストリーマーになるには,やはり55km D±2800mのロングコースを走らなければならないのでしょうが,正直ランマニア的には今回のミドルで相当にお腹いっぱいになってしまうため,その一端を垣間見るに過ぎないと言ったところでしょう。

それでも,それなりのトレイル経験がなければこの32kmのミドルコースを完走するのも至難の業でして,それだけに,今回のような「練習不足」の状態で出走するのは相当なリスクを伴うものでありました。

一定の練習を積んでいなければ何が起こるかわからないのが志賀高原

今年は,6月中旬以降足底筋膜炎の快復に時間がかかり,山練はおろか通常のランも2ヶ月近く行えない状態が続いていました。

ようやく9月中旬に練習を再開して以降も,本当に軽い数kmのジョグを続ける毎日で,3週間前にようやく10km,2週間前から20kmがやっと走れるようになったばかりの状態でした。

トレイルはロードとは違う能力を使うということはわかっていましたし,過去にはランがほとんど0でも山歩きだけで対応できた経験もあるにはありましたが,今回のコースの恐ろしさを過去幾度も経験している身としては,やはり「こんな練習」で走り切れるかどうかは本当に出たとこ勝負といったところでした。

昨年の上田スカイレースは,国内最難関コースでしたが山歩きだけで乗り切った経緯があります。ただし,今年は山すら一月以上登っていませんでした。

なので,今回出走するにあたっては,

①とにかく急な登りは全て歩き,走れる区間も軽いジョグで通す

②脚が終わったり,故障が再発したときは即リタイアする

を念頭に,確実に完走することを目標にして臨みました。

スタート後すぐのゲレンデは緩やかな登りが続きます。

昨年より,スタートはJSA日本選手権組は別スタートとなり,今年も一般よりも3分まにスタートとなりました。

ところが,昨年豪華メンバーだった日本選手権ミドルは,今年わずか13人の出走にとどまり,寂しいスタート風景となってしまいました。

それでも,女子も含め強豪ぞろいのメンバーですから,ランマニアのように初めはゆっくり走る,みたいな感覚で行くと,スタート後すぐに最後尾に追いやられてしまうのですね。

そんな状況で当然焦りも出てくるのですが,初めの横手山までの累積500m近い登りでは絶対に脚を使っていけません。

少しでも努力度が上がりそうになる勾配になれば,すぐに歩行に切り替え,軽いジョギングくらいの感覚が続く程度にペースを抑えて登り続けました。

横手山リフトまでがちょうど25分。歩いた割には思ったより早く到達できました。

JSAの集団からはどんどん離されますが,とにかくここはまだまだ序盤も序盤,始まってもいないくらいの感覚で,横手山の山頂を後にし,思ったよりも脚を使わずに山岳区間に入って行きました。

エクストリーム名物,どろんこ区間

横手山から寺子屋峰までの山岳区間は,ミドルコースの第2セッションともいうべき区間です。

一般的なトレイルレースでよくあるような急激な登りや下り,岩場やシングルトラックなどバラエティに富む景色を楽しめる区間となっています。

体力的にもまだまだ余裕があり,標高2000m弱の文字通り「天空」を走れるスカイレースらしい区間です。

この区間を楽しみたいがためにこのレースに出走するといっても過言ではないほど,この区間はスカイランナー好みのコースになっていると思います。

晴れさえすれば,このような絶景を浴びながら天空の稜線を走り続けられる区間が存在します。

この第2セッションはまだまだ序盤ですが,最初のハイライトが赤石山です。

割と樹林帯や笹藪の多い山岳区間にあって,珍しく視界がひらけ、山頂から下界を望めるピークとなります。

赤石山山頂から大沼池を振り返る。まだ疲労も軽い段階で最も楽しめる時間です。ここまでで累積1000m。

ここまでくると,だいたい累積標高が1000mとなり,登り区間の約半分が終わったことになります。

時間としては2時間前後なので,だいぶ走った気になりますが,体力的には半分以上残していなければ終盤大変なことになります。

初期の頃は,何度かここで飛ばし過ぎて終盤動けなくなったことがありました。

この後,横手山以来最もハードな登りが続く,寺子屋峰までの直登区間をクリアすると,一の瀬エイドへ4km、一気にゲレンデを下って行きます。

寺子屋峰で累積1250m程度。水平距離もまだまだ13km程度ですから、ここで脚が動かなくなってきているときは相当やばい状態です。

今回は抑えに抑えたため、一の瀬までのゲレンデ直滑降も比較的楽にこなせました。

一の瀬までのゲレンデ下りはおそらく下り勾配が最大となっている区間です。ここでかなり脚がやられるので注意が必要です。ランマニアはゲレンデ下りが大嫌いです。

ところで、今回もう一つ意識したのが、エネルギー切れを防ぐということです。

前回の嬬恋スカイランでは終盤血糖値が大幅に低下したような感覚(ハンガーノック)を味わい、危うく動けなくなりそうになった経験をしました。走行時間が4時間を超えてきたあたりで、補給をろくにしていなかったことが原因だったと思いますが、今回はその経験を踏まえて、かなり早い段階(70分程度)で一度200キロカロリーほど、さらに2時間経過後にもう200キロカロリーほど補給しました。

その一環で、一の瀬エイドでも普段は食べないお饅頭をひとついただき、もう一つを携行することにしました。

これは後々かなり効きました。

一の瀬エイドから先が実際の後半戦です。風光明媚な区間が続く一方で、確実に脚は終わりに近づきます。

初出場だった時は、この一の瀬エイドまできたらもう残りはわずかだと思っていました。

累積標高も残すところ600m程度ですし、距離も10数km。景色も綺麗で、最後は楽しみながらゴールかな、と、甘々な考えで走り続けたのを覚えています。

個人的には、一の瀬エイドから先が最終の第3セッションと捉えていて、ここをどうまとめるかが最終タイムに最も影響すると思っています。

特に、「ジャイアントスキー場」「サンバレースキー場」の2大ゲレンデまで脚を残しておき、いかに走り続けるか、走れないまでも止まらずに歩き続けるかがタイムの短縮に大きく影響します。

一の瀬エイドからジャイアントスキー場までの山岳区間は、高低差がないものの、斜面に申し訳程度に取り付けられたシングルトラックを走る区間があり、ここで意外と脚を使わされてしまい、知らず知らずのうちに溜まった疲労に気づいた頃に、第一の難関、ジャイアントスキー場を迎え撃つことになります。

初めて見た時は、誰でも「まじかー!」と叫ぶと思いますが、残念ながらここで累積100m近く一気に登らされるのです。

しかしここを越えると、蓮池、エイド、琵琶池、といったん平和な時間が久しぶりに訪れます。

ジャイアントスキー場を登った後にこうした時間が来るので、初出場だと、これでもう終わりだろう、と誰しも勘違いするはずです。

ジャイアントスキー場を後にすると、紅葉に色づく快適なロードや湖畔を走る区間、気持ちの良い緩やかな遊歩道が続き、いよいよゴールが近付いたことに気付かされます。いや、勘違いさせられます。

少々マニアックな例えをすると、少年の頃やり込んだRPGで、最後のボス戦でHPとMPを使い切り、もうゲームクリアだと思ってそのまま進んでしまったような、あの感覚です。

なんとも言えない達成感。もうやりきったぞ、という脱力感のまま、エンディングを見ようとその場を去ろうと、愚かにもHPをそのままに帰路につこうとするあの感覚です。

しかし、ここは志賀高原、エクストリームトレイルなのです。

GPS時計を持っている人は、もう一度確認してみてください。累積標高がまだ300mほど残っているはずです。

このまま終わるはずはないのです。

姿を現したラスボス、サンバレースキー場。我々にとってはまさに死の壁、「デスバレー」です。

ランマニアも初めて出場してこの場に立った時には目を疑いました。

ここまで散々登り続けてきて、もうあとは小刻みなアップダウンがあるくらいだろう、と勝手に思っていたんですね(実はコースマップの高低差の図ではこの壁は分かりにくくなっている)。

実際に坂に、いや壁に取り付いてみればわかりますが、ここまで登ってきた勾配の中では群を抜く急勾配です。

もちろん、登山道にはこれよりも急な岩場はありますが、ここまで長い距離を登り続けさせられる急登は他にはありません。

脚が終わっている人は、途中で登れなくなるんじゃないかと心配になる勾配です。

実際の視界にはこのように映ります。エリートはここを走って登れるので信じられません。

今年も、序盤からここを意識して脚を温存してきたこともあり、前回のPBを出した時と同様、ここでもなんとか歩き続けることはできました。

このサンバレーをクリアすると、だいたい累積150mくらい。残りの累積標高はいよいよ100m少しとなります。

ここから先は、いったん下った後に少し長めの歩行区間が続きます。

この歩行区間の中に2度ほど急な登りがあり、残りの累積標高をだいぶ稼ぐことになります。

ここが歩けるのは正直助かりますが、タイムを狙う人たちには大きなロスになることは間違いありません。

歩行区間が終わるとラスト3.5km。湿原の向こうに見える小高い丘が最後の上りです。きついですが、ここまでくると気合ですね。

歩行区間を終えると、もうあとは3.5km、走り切るだけです。登り区間もいくつかありますが、脚が残ってさえいれば、出し惜しみせず突っ走ってもなんとかんるでしょう。

今回は、序盤の温存と、そしてこまめな栄養補給が効いたせいか、このラスト3kmで珍しく「スパート」をかけることができました。

トレイルでも終盤まで脚を残し、今回のように脚を動かし続けることができれば、だいぶタイムを短縮できるものと思われます。

序盤抑えたとはいえ、結果的に最後まで走り切ることができ、大幅なタイムロスはありませんでした。

ゴールタイムは、4時間34分で、一昨年の自己ベストからおよそ4分遅れに止めることができました。

今回、走行中は常に呼吸の苦しさを感じ、標高が高いところで走り続ける能力が前回よりもだいぶ低下している印象で、その分の遅れだったと思います。

この辺りは、もう一度LTやVO2Maxを鍛えて、戻すことでだいぶ改善されるように思いました。

とにかく、序盤からペースを抑え、ジョギングを続ける感じ、ハイキングを続ける感じで走り続ければ、この一月の練習程度でも十分トレイルは走れることがわかりました。

当然、最低限のジョグを続ける期間は必要ですが、当日はオーバーペースとエネルギー補給に気をつけさえすれば、脚は意外と持つものだと改めて実感できました。

逆にいえば、どんなにトレーニングを積んでいても、ペースを間違えたり、補給をおろそかにしたりすれば、簡単に失敗するのがトレイルであると感じたのも事実です。

いずれにしても、長く苦労した故障期間が明け、またこうしてレースに参加でき、脚の痛みもなく走り通せただけで、今回は満足でした。

嬬恋スカイラン スカイリッジ(ロング)に出場してきました

こんにちは、ランマニアです。

日曜日はスカイランニングジャパンシリーズ(SJS)のSKY部門第2戦、嬬恋村で開催された、嬬恋スカイランに出場してきました。

このSJS第2戦は、先週がバーティカル(VK)部門、そして翌週にSKY部門が開催されるという「変則コンバインド」方式で行われることになりました。

先週はVK部門の第2戦が東京都で開催。

先週のVK前日あたりから、右足の足底にやや気になる痛みがあったため、レース翌日から3日ほど練習を休み(通常VKならそれほど休み入れません)、その回復具合によっては、今回の嬬恋がもしかすると危うい状況になる可能性も秘めていました。

結果的に今回のレースで症状が悪化することはなく(むしろ改善)、想定された故障の心配は杞憂に終わりましたが、先週はかなり足の状態に気持ちがナーバスになっていたのは間違いありません。

そんなことから、今回のレースを走るにあたっては、結果として練習がかなり落とせたことで疲労は抜け、割と絶妙にピーキングができていたように感じていました。

ただ、とにかくレース中に故障が発生したり、走行不能になったりしないかということだけが気がかりで、レースの序盤は常に右足の足底に気を配りながらのレース運びになりました。

かろうじて天候が回復し、予定通りのプランAでの開催となりました(昨年は地獄のプランB、2周コース)

今回のは、「スカイリッジ」という約2000m級の稜線を走り通す、本格的なスカイランニングレースです。

SJSが規定する、いわゆる「SKY」部門でも比較的距離が長く(38km)、累積標高も2600mに迫る、上田スカイに匹敵する難易度を誇ります。

しかし、高標高を走り通す上、途中にエスケープルートが確保できないため、悪天候時は危険回避のプランBになることがあり、昨年は同一コースを2周するルートに変更された経緯があります。

去年は悪天候プランB、脅威の「バーティカル2周」コースとなりました

今回も、前日は土砂降りの雨が降り、当日の天候も心配されましたが、なんとか翌日は天候も回復し、通常通りのコースを走ることができました。

このスカイリッジの特徴は、とにかく長い時間高標高を走り続けることにあります。

今回も走りながら気づいたのですが、やはり標高2000mを超えるエリアを走っているときは、明らかに呼吸の苦しさや視界の狭まりを感じ、場所によっては吐き気をもよおした区間もありました。

同様なコースで、秋に行われる「志賀高原エクストリームトレイル」というがありますが、あちらよりも、高標高のしんどさを感じやすいコースだったように思います。

天候が回復したとはいえ、絶景が拝めることはほとんどなく、毛無峠付近では暴風雨という想定外の展開に

そうした中でも、今回は練習を落としたおかげか、初めて到達する毛無峠や御飯岳までかなり余裕を持って走ることができ、折り返してゴンドラリフトの四阿山直下の稜線にたどり着くところまでは、かなりいい順位でレースを展開することができました。

ここまでで距離は大体26km、累積標高は2000mにせまるあたりでしたので、脚の残し方から無難にまとめられるのではないかと、甘い目論みでいたのですね。

ゴンドラの山頂駅付近からフィニッシュ方向を望む。あとは下るだけだと思ったら大間違いでした。

事態が急変したのは、その稜線を辿って、四阿山の山頂直下へ向かうまでの緩やかな登り。

残しておいたはずの脚が、急激に動かなくなり、これまで走れていたような勾配でもガッツリ歩きが入るようになってきました。

ここまで後ろから抜かれることがなかった中で、初めて後続のランナーにも抜かれるようになりました。

この急激な変化の前に起こった気掛かりな変化は、レース中に初めて体験する「空腹感」でした。

通常、トレイルレースでは、比較的こまめに給水、給食をしているので、あまりお腹が減るということはないのですが、今回は、足の故障が気になっていたため、レース前にしっかりとレースを走る意識があまりなく、補給食もいつもより少なめにしてしまったのですね。

また、コースプロフィールも「上田よりは楽だろう」という変な楽観的な見方をしていて、補給の重要性を忘れていたというのもありました。

その「空腹感」のあとにやってきたのが、体に全く力が入らない状態と、頭がくらくらする状態。

これがいわゆる「ハンガーノック」ってやつか?と、これに気づいた時には相当に焦りました(ただ、後で気づいたのですが、ちょうどこの区間は標高が最も高いエリアで、酸欠の影響も少なからずあったものと思います)。

かろうじて、最後の補給食「一本満足」を一つ残してあったため、それを急いで補給し、四阿山を下りながら、どうにかある程度は走れる状態にまで戻すことができました。

しかし、最後の最後に大きな大誤算が待ち受けていたのですね。

ラスト4km。残していた累積標高差が、ここで待っていました。

事前の説明会で、最後に急な登りがあることはわかっていました。

しかし、ここまでの長さと標高差とは思ってもなく、完全に終わっていた脚と、残されたエネルギーでは、ここを登ることはできませんでした。

最後は走ったり歩いたりから、歩いたり止まったりに変わり、完全にただの我慢大会になってしまったのが非常に残念でした。

下山する頃にはようやく天候が回復し、初めて晴れた嬬恋の景色を拝むことができました。

ただ、リザルトを見ると、かなりのエリート選手でもこのコースを苦戦していた様子がわかり、上位との差が、通常の5時間レベルのスカイレースよりも開いていないことに気づきました。

足が止まらなければ、と思いつつ、いつも上位に来る常連さんたちでも最後まで走り通すのが難しいコースだったことを考えると、ある程度の結果は残せたのかもしれないと、思いを改めました。

当然課題はいくつもありますが、先週のVKに引き続き今週のSKYでもポイントを獲得でき、大きな故障や怪我なく完走できたことで、ひとまずはSJSの第2戦の目標は達成できたと思っています。

念願だった、「グンマー帝国」に到達

東京バーティカルレース 上田の失敗から1ヶ月

こんにちは、ランマニアです。

今日はスカイランニングジャパンシリーズ、バーティカル部門(VK)第2戦、東京バーティカルレースに出走してきました。

もともと、この東京バーティカルは同じ東京にある大岳山を舞台に始まった、東京都初のバーティカルレースだったのですが、会場の都合やコロナ禍のために中止やコース変更などが続き、今日は2年ぶりの開催となったのですね(御前山での開催は初)。

ランマニアも、過去には大岳山のコースを試走したこともあり、とにかく数年来このレースを楽しみにしていた一人です。

さて、そんな東京都を舞台にした完全ホームグラウンドのバーティカルレースですが、ランマニア的には、今回のレースにはもう一つ重要な意味がありました。

今年度、転職を機に生活が大きく変わり、それを境にした4月、5月のレースはことごとく失敗が続いてしまったのですね。

なんとなく自分の中で、転職や仕事の内容、ライフスタイルのせいにしたくはなく、たまたま練習の疲れが出てしまったタイミングだったとか、風邪を引いたことが原因だったと思いたい部分があり、早く、新しい仕事を続けながらもレースでうまく走る機会が訪れないかと気持ちが急いていたことは事実です。

そんな中で、5月はかなり練習が積め、体調も悪くない中でようやくレースを迎えることができたのですね。

去年、今年と二度も試走をして馴染み深い御前山の東京バーティカル

この御前山のコースは、昨年から試走を行い、今年も2週間前に走ったばかりで、ある程度ペース配分やレースの見通しの持てる状態になってはいました。

ただ、4、5月の失敗の記憶がなかなか払拭できず、どうしてもレースで走れるいいイメージが持てないでいたのです。

それでも、アップの時から近くの坂はぐいぐい登れるし、脚は全く疲れないため、少なくとも上田よりは勝負になるんじゃないか、という予感はしていました。

初めの1kmはロードを含む急坂の下り。ここはアップのつもりで自重しました。(画像は昨年試走時のもの)

レース時間はおそらく1時間程度。

そうすると、呼吸のキツさや脚のしんどさの目安としては、大体ハーフマラソンのレースか、それより少し速いくらいのものをイメージして、1時間走り通す感覚を意識しました。

なので、序盤の川を渡るまでの下りもその感覚に集中して、ペースを上げすぎないように気をつけました。

このコースの特徴は、序盤にロード登りもかなりの間続くこと。登山道より勾配は緩いのに、進めてしまう分、登山道よりも呼吸、脚ともにキツくなります。(画像は昨年試走時のもの)

そして、このコースの特徴として、総距離の前半半分でトータルの累積標高の3分の2程度を稼いでしまう「超前半型」となっている点が注意すべきポイントです。

ロード区間を含むこの急勾配エリアで無理しすぎると、後半の平坦、もしくは下りのペースを上げられる区間で脚が動かなくなるリスクが伴います。

この辺りも考慮し、前半は、走れるペースではあるものの、一杯一杯にならない程度にキツさをセーブする、と言うことに意識を全集中させて走りました。

ロードが終わってもこの急勾配。抑えたつもりでも、このツケが終盤回ってきました。(画像は昨年試走時のもの)

ただ、先週久々にVO2Maxペースのインターバルをやったことと、先日200mを軽く数本走っていたせいか、呼吸が上がってきても、その荒い呼吸のままぐいぐいと押していける、昨年度のVKの感覚が戻っており、キツさの中にもレースで勝負できている手応えを常に感じながら走ることができたのも事実です。

もちろん、上田の2レース、先々週の試走を通して得られた「山慣れ」の効果があったことは言うまでもありません。

そうした、「登坂力」と「長距離走の持久力」との融合が、このバーティカルレースという種目のパフォーマンスを高めることに、改めて気付かされながら終盤を迎えます。

この表示からが最後の踏ん張りどころが続きます。この最後の区間で脚が止まると、一気に差がついてしまいます。(画像は昨年試走時のもの)

流石に、序盤の攻めが影響して、最後の1kmでは急坂を中心に歩きが入り始めました。

ただ、歩いては走り、走っては歩きを繰り返すことは可能で、決して脚が終わったわけではなく、最後まで勝負できている実感はありました。

週末の30km、LTインターバル、VO2Maxインターバル、200mレペティション、そしてトレイル走。

これらの全ての要素が久々にうまく融合し、最後まで脚が止まるか止まらないかのぎりぎりのペースを維持できたものと考えられました。

久々にフィニッシュラインで出し切って崩れ落ちました。むしろ、これくらい追い込める時ほど好調な証拠です。

脚は最後まで動き続け、フィニッシュ時は酸欠気味になりましたが、ここまで追い込めたのも久しぶり。

時計を見ると、まさかの58分台で、目標としていた60分台どころの話ではなく、久々に持てる力を全て出し切れたレースとなりました。

第2戦という早い段階でポイントを獲得できたのも収穫でした。

最終順位は12位で、ポイント獲得の30位以内も確保。

流石に第2戦でも失敗すると、いよいよ焦ってくるので、ここで獲得できたのは良かったです。

今回は、とにかく5月にしっかり練習が積めたこと。

そして、その中でも体調を維持できたこと。

この二つが成功の要因であったと思います。

そもそも、大きく変わったライフスタイルの中に、どう無理なく練習を組み込むかを試行錯誤して、一定の答えを出せたことが大きかったと思います。

上田バーティカルレース 走れなかった理由を考えてみる

こんにちは、ランマニアです。

スカイランニングジャパンシリーズ(SJS)の初戦が、今年も上田は太郎山を舞台に開催されました。

GWの穏やかな気候の中、新緑の山を駆け抜けることのできる毎年楽しみにしているレースです。

そんな心待ちにしていたSJSの開幕戦でしたが、残念ながら今年は過去最低の走りとなってしまいました。

もちろん、長年競技に取り組んでいればいい時も悪い時もあるので、今回のようなレースもまあちょくちょくあるのですね。

SJSの初戦は上田で開幕

ここで先日のレースを簡単に振り返ってみます。

まず、初日のバーティカル(5kmで1000mを一気に駆け登るレース)は、昨年よりも6分ほど遅い59分30秒で順位も50位を超えてしまいました。

累積300m地点で早くも体がしんどくなり(呼吸が苦しいとか脚が動かないとかそれ以前に、体全体に力が入らなくなり)、歩いたり、立ち止まったりしたくなるほど。

バーティカルのような短い距離では初めての経験でした。

ゴール後も非常に体調が悪く、翌日のスカイレースは棄権しようかと思えるほどで。

市街地から直登できる太郎山山頂からの眺めは、他の山岳レースとは一味違った独特の絶景

そして一晩寝てどうにか体調が回復し、だいぶ「走りたい」気持ちが戻ってスタートラインに立つことにした、翌日のスカイレース。

前日のバーティカルに比べ、明らかに体調は良く、中盤まではかなり余裕を持って登りも下りも走れていました。

しかし、累積1600mを超えたあたりから次第に脚に力が入らなくなり、登りのペースが体感できるほどに落ちていきました。

実は3年前に初めて出走したこの上田のスカイレースでも同じ状態になり、最終的には最後の太郎山に登るのも立ち止まりながらようやく山頂に辿り着き、下りも両足が痙攣してまともに体を支えられない状態でフニッシュしたことを思い出しました。

こうなると、ただの我慢大会となり、時間だけが無駄にかかってしまうため、まだ余力のあるうちにエスケープポイントで、離脱することにしました。

走行距離は16km、累積標高は2000mというポイントで、自分の中ではこの体調の中ではまずまず走れた方かな、という良い印象で終えることができました。

上田スカイレース最大の難所「兎峰」。この背後には恐怖の「ナイフリッジ」が待っています。

バーティカルではPBよりも6分遅れ。

スカイレースは初の途中棄権。

この結果に至った原因を、走りながら、そして昨年のこの時期の練習内容を振り返りながら考えたところ、大きく二つの要因に行き着くことができました。

一つ目は、もう明確でしたが体調を壊したこと。

4月の長野マラソンもそうですが、その疲労がどこかに残っていながら練習を続けた中で風邪を引き、疲労と風邪の二重の影響を受けたな、と自覚できるしんどさでした。

バーティカルでは、歩きで登るのもしんどくなりましたし、スカイレースでは3年前の同じく風邪をひいた状態で出場した上田を思い起こす疲労感でした。

よって、レース前に体調を整えられなかった、調整の失敗は主要な要因だと思っています。

もう一点は、昨年この時期の練習内容にヒントがありました。

昨年の4月は、故障明けでまだロードをまともに走れず、さらに仕事を休んでいたこともあり、平日昼間に相当数の山練を取り入れていたことを思い出しました。

昨年の上田バーティカルのレース報告でも、その直前数週間はほとんど走っていないにもかかわらず、山練の効果と疲労の抜けた効果がパフォーマンスに影響したことを述べていました。

つまり、トレイルレースにおいては、ある程度の有酸素能力とエネルギー代謝能力とが身についていれば、あとは山レース特有の力(トレイルレースに必要な特異的な能力)を集中的にトレーニングするだけで、平地のランの練習はほとんど必要ないことがわかりました。

むしろ、それでロードトレーニングの疲労を溜め込むくらいなら、山だけを走りに行った方が遥かに効果は高いと感じます。

つまり、今年の上田では、圧倒的に山練が足りていなかったということです。

それは、レース後の筋痛のひどさや、バーティカルにおいて急な登山道を爆発的な筋力を発揮して登っていくときの脚の弱さから実感できました。

去年分析に使った概念図。グレーやオレンジを高める練習が、今年は圧倒的に不足していました。

去年は、故障の影響でやむなくリハビリ的に山練を取り入れていましたが、結果的にそれがバーティカルやスカイレースには、むしろ効果的に働いていたことに、今年の失敗から気づくことができました。

去年の段階では、走トレーニングが絶対的に不足していたので、今年は故障もなくランのトレーニングを継続できれば、かなりの結果が残せると思い込んでいたのですね。

ところが、むしろそこは逆に、昨年の方が山に特化した練習をしていた(結果的にですが)ことで、トレイルレースで結果がついてきていたのだと、改めて実感することができました。

昨年4月の練習内容です。走行距離は200kmそこそこですが、トレイル率はなんと5割に迫る勢いです。
今年の4月の練習内容。走行距離は昨年よりも多く、Mペースでもそこそこ走っていますが、トレイルはほぼ0ですね。

こうして、昨年と今年の4月の練習内容を比較してみれば一目瞭然。去年がいかに山を走っていたかがわかります。

当然、急な登りや下りに対応できる脚ができていたかが想像できますね。

こうして整理してみれば、今年の結果はある意味必然的な結果であったと十分に納得いく事実が明らかになりました。

ある名監督の言葉を借りれば「負けに不思議の負けなし」というやつですね。

さて、課題が明確になったところで、今後どう対策していくかです。

これについては、また次回以降検討したいと思います。