あの「合宿効果」の功罪について「若さゆえの成功体験」から考えてみます

こんにちは、ランマニアです。

毎年この暑い夏の時期になると思い出すのが、やはりあの「夏合宿」ですね。

ランマニアは高校、大学とどちらもだいたい同時期に5〜7日程度の夏合宿が組まれていて、毎年この時期になるとやや標高の高い避暑地におもむきハードな練習に明け暮れたものです。

今よりもずっと考えが浅はかだったあの当時は、「きっと合宿に行けばたくさん走るから強くなるだろう」とか「標高が少し高いから高地トレーニングの効果が期待できる」とか「涼しい場所で追い込めるから間違いなく強くなる」みたいなことを考えてきつい練習に耐えていた気がします。

しかしそれとて満更でもなく、当時まだ10代半ばから20代前半くらいまではとにかく疲れもすぐに回復するし、体もすぐに応答するしで、たった1週間程度の陸上漬けの毎日を送ったくらいでもその効果を実感するには十分な結果をその後数週間以内に出すことができてしまうのですね。

比較的夏に強かったランマニアは、この夏合宿後の自己ベスト更新率が異常に高く、高校1年から大学1年までに自己ベストを出した月が、9月が3回、8月が1回と、ほぼ毎年のように夏合宿明けには5000mのベストが出ていたことになります。

まあ言ってみれば「合宿効果」抜群だったわけで。

ところがこの時の経験は、のちにしばらくランマニアを誤った道へ誘い込むことになります。

いえ、若い頃ならそれもそうだったのかも知れませんが、ある程度の年を重ねてからは同じ考えは通用しないのだということを痛感することになるのです。

この「合宿効果」を存分に味わい、多くの成功体験をしてしまった結果、ランマニアは「短期間にまとめてハードな練習をすれば体は変わる」という危険な信念をしばらく持ち続けることになってしまったのですね。

これが、ランマニア自身の体験による「合宿効果」における功罪の「罪」の側面です。

社会人になり、ようやく徐々に走れるようになってからも、この当時の華々しい「合宿効果」がいつまでも頭から離れず、何度か「短期集中」的に走力を回復しようと試みていた時期がありました。

「あの頃の合宿では3部練してたんだから、もう一度それをやればまた体が応答するだろう」

「この1週間頑張れば、疲労を抜いた後に一気に速くなるに違いない」

くらいのことを考えて、一時期しゃにむに走ろうとしていた時期があります。

当然結果は散々なもので、そんな練習は1週間はおろか三日すら続けることができず、挙げ句の果てには無駄に疲労を溜めてしまって数日間走れなくなる、なんていう本末転倒な状況に陥ることもしばしばでした。

これはのちに気付くことになるのですが、若い頃とは疲れやダメージからの回復力に大きな差があるし、そもそも一度競技から離れて走力も体力も「一般人」並に落ちている中で、それほどの負荷は相対的に体が耐えられるものではなくなっている、という厳然たる事実があったのですね。

さらに言えば、トレーニングの効果を得るにはしっかりとした段階や順序があり、その原理原則に則らなければ定着しない、という大前提も無視したものです。

こういう「若さゆえの成功体験」は、ことスポーツに関しては様々な場面、観点で至る所に存在している気がしていて、ランマニアのように若い頃から今まで、中年を過ぎても同じように競技を続けている状況では、意外とそれらに縛られるというトラップがある気がしています。

もちろん、「若さゆえの成功体験」は競技を続ける動機付けや、もっとマクロな視点で見ると「人生を生き抜く強いメンタル」などにも影響すると考えているので決して悪いことではないのですが(それが功罪の功の部分かもしれません)、その体験が年齢を重ねても通用する「普遍的事実」とは限らない、ということを常に疑ってかからなければならないとも考えています。

人間誰しも「若い頃にうまくいったこと」の思い出は強烈に記憶に残っていて、ランマニアのように現在の置かれた状況や肉体、メンタルなどを鑑みた臨機応変な対応や変化を恐れることも少なくないと思います。

こうした変化や新しい試みは、なかなか自分1人では着想できなかったり行動に移すことが難しかったりするので、たまには仲間と走ってみたり、書籍や文献から最新の知見を得たり、Twitterで様々な考えに触れたりすることがいかに重要かを最近痛感しているところです。

あえてペースを落として取り組んでみる

こんにちは、ランマニアです。

さて8月に入り3連休。疲れが体感的になくなるまで休もうと思い、無期限休養に入りましたが、思ったよりも回復が早く3日休んだところで練習を再開しても良さそうな状態になりました。

この休養の間に今後の練習計画について考えていたのですが、やはりせっかくこの4か月を通して走れる体を作ってきたこともあり、来年のフルマラソンに照準を合わせるべくダニエルズさんのトレーニングを参考にすることにしました。

ダニエルズさんのマラソンプログラムはいくつかのパターンがあり、どれをやってもそれなりに強くなりそうでしたが、ランマニア的には「4週間サイクル」プログラムを26週にわたって取り組むものが、最も自分に合ってそうだと感じこれを軸に計画を進めていこうと思いました。

このプログラムの特徴は、これまでのゴールドプログラムと同様、週に2回のQデーがあります。そしてそれ以外は基本的にジョグで繋ぐので、これまでの練習パターンを大きく崩さずスムーズに移行できそうに感じました。

しかし今回のメニューで大きく異なるのが、1週間の走行距離を自分で決定し、だいたいそれを目安にジョグの長さを調整する、と言うものです。

そしてその走行距離は週ごとにボリュームが異なっていて、例えば今週は80%、来週は90%と言った具合に、全てが100%ではありません。もちろん100%の週もありますが、毎週というわけではなく、あっても一月に1週か多くて2週。

ランマニアは先月、1週間におおよそ90km程度の走行距離で回していましたので、今回の週間最大走行距離を100kmに設定しておけば、おそらくこれまで通りの週間走行距離でサイクルを維持できるのではないかと考えています。

ところが今回のプログラムで最も問題となりそうなのが週に2回あるQデー(質の高い練習日)のメニューです。

さすがにフルマラソン対応メニューということもあり、全体的にボリュームが多いのですね。

例えば、来週2回のQデーは、1回目は100分ジョグとこれは「常識的」な練習なのですが、2回目の方はTペース1.6kmを3本走ったあとIペースで3分を3本、そしてそこでは終わらずとどめのRペース200mを6本と、一度の練習の中に3つの心拍ゾーンの練習が組み込まれている日があるのです(全てではないですが、どれも本数が多く、Mペース練も加わります)。

これを見てランマニアは直感的に「無理だな」と感じました。

前回のゴールドプログラムの時も、フェーズⅢは完遂できない練習が何度かありました。特にIペースの時間が伸びたり本数が増えたりすると、ランマニアの疲労には最も影響が出ることがわかりました(心理的にカバーできる時間を超えてしまう)。

しかし、これまでの練習の中で設定してきたTペースやIペースなどは実はランマニア的には少し無理のある速めのペースだったという事実があります。

ランマニアは基本的に練習中は多かれ少なかれ脚の疲労感を抱えたまま走らざるを得ない状態で練習を継続しています。これはもうある意味仕方がないことで、この疲労とうまく付き合っていかなければならないと諦めているのですが、問題はそれにより本来の生理的な機能が十分に発揮できず、VDOTなどの数値が実際よりも低く出てしまう難点があります。

例えば、ランマニアのVDOTでいうとTペースは3’30”/kmくらいなのですが、もしダニエルズさんの定義する「10km程度はもつペース」という努力度で走ってみると、だいたい3’25”/kmくらいのペースになってしまうのです(それでも脚の疲労がなければもっと速くなると思います)。

そうすると、多分生理学的には3’25”/kmの力はあるにもかかわらず、レースでは疲労の問題でタイムが伸びずVDOTが下がってしまっていると考え、練習では常に実際のVDOTよりも速めのペースで練習をしてしまっている、という実情がありました。

そして、今回のマラソンプログラムでは、これまでのメニューよりもQデーのボリュームが明らかに増えますので、おそらく今まで通りの調子で練習を続けていくと、疲労が一線を超えてしまい練習を継続できなくなると考えています。

そこで、今回のマラソンプログラムでは、思い切ってVDOT通りのペースで練習を行い、しっかりと求められている量をこなすように心がけてみることにしました。フルマラソンを走るにはどうしても絶対的な練習量は必要になってきますから、ペースを上げた結果距離が踏めなくなってしまっては元も子もないわけで。

確かに、Tペースでは3’30”/km、Iペースは3’15”/kmくらいというのは、ちょっと不安になるくらい余裕があるのですが、ここはあえて体に無理をさせず余裕を持たせて練習に取り組んだら体はどうなるのかを試してみようと思っています。

ゴールドプログラムで得られたもの

こんにちは,ランマニアです。

4月から4ヶ月にわたって継続してきたダニエルズさんの「体力向上のためのプログラム」。

そもそもこれを開始することになった経緯は,コロナ禍で大会が軒並み中止となり,しばらく練習にじっくり取り組める時間ができそうだったから,ということでした。

確かに改めて振り返ってみると,ランマニアの場合は9月10月はトレランやトラックレース,11月からはロードや駅伝,それが3月くらいまで続いて,また5月からトレランが始まる,という具合で,とにかく落ち着いてトレーニングを継続する生活をほとんど送れていなかったのですね。

それ以前に,ランマニアにとっては疲労との付き合い方が最大の課題ですから,本格的なトレーニングを積んで走力を着実に高めていく,という競技への取り組み方はもうできないものと思っていました。1000mのインターバルなんてよほど調子が良くなければ5本はできませんし,3本だってやっとの状態でしたから。

そんな背景があり,本来なら毎月のようにレースに出ているような時期に全くレースがない。逆にこれはこれまでしっかりと取り組めなかった練習に,もう一度向き合えるチャンスなのではないか,と思ったのですね。

そこでいつもお世話になっているダニエルズさんのトレーニング計画をもう一度読んでみたところ,そもそも本格的なトレーニングを開始する前の準備段階で行うと良い,という「体力向上プログラム」に目が止まりました。これは直感的なんですが,なんとなく,「これならやれそう」と感じるような内容だったんですね。

このプログラムには競技の経験値やレベルに応じて幾つかの段階があり,説明を読んでいると,どうやらランマニアは最もレベルの高い「ゴールドエリートプログラム」がちょうどいいことに気がつきます。「え,エリートかよ」って一瞬ひるみましたが,内容を見ていると,間のジョグのペースを抑えればギリギリ取り組めるのではないか,という本当にスレスレのラインでした。まあ,無理なら量を減らせばいいわけですし。

そんな経緯で始めたことのプログラム,もうその経過についてはこれまで何度も触れましたのでそちらを参照してもらえればと思いますが,では実際やってみて,「体は変わったのか?」これがとても大事ですよね。

フェーズⅠでは,4週目に右ふくらはぎに軽い痛みが出て大事をとってそこで終了。Rペース400mとTペース20分を週に一回ずつ繰り返す比較的軽めのフェーズ(走行距離も310km程度)であったにもかかわらず,ふくらはぎに来てしまったんですね。

次のフェーズⅡは,初めて全練習メニューを忠実にこなすことができました。これは自分でも驚きで,常に疲労状態を抱えていながらもどうにか1週間を回せるコツみたいなものが掴めたようにも思いました。そして何より大きかったのは,このサイクルで続けてもどこも足が痛まなかったことでしょう。このあたりからいわゆる「脚ができてきた」実感がわいてきました。

フェーズⅢはダニエルズさんが言うように,最もきついフェーズで,ランマニアの疲労状態では案の定全てをこなすことはできませんでした。特に,Hペース(きつペース)4分間を5本繰り返すインターバルはもうとにかく脚が動かなくなってしまい,久々に疲労によって練習をやめなければならない状態になりました。しかしそれでも,ようやく3週目で初めてこの4分H×5をやり切ることができたので,この時も体力がついたことを実感しましたし,疲労状態があってもこれをこなせるだけの回復力が身に付いたと感じました。

そしてフェーズⅣについては前回述べたとおり,フェーズⅡ以来のメニュー完遂でした。このフェーズは初めに内容を見た時から,今の体力ならそれほど苦労せずにやり切れるだろうと言うイメージは持てていました。

この「イメージをもてた」と言うのは,自分の中では結構重要だと思っていて,自分の「感覚」でこれはやれそうだ,このペースでは行けそうだ,と言うのが実感できるときは,実際にそうできてしまう,と言うのがこれまでもありました。詳しいことはわからないのですが,なんとなく,自分の身体的な状態について人間はある程度経験と照らし合わせて,大まかなイメージを持つことができる生き物なんじゃないかと,昔から思っていました。

この辺りのことを言葉にするのはとても難しいのですが,例えば,今日のインターバルを3分10秒で行け,と言われたときに,ああそれなら楽そうだ,と思える感覚や,3分05秒で行け,と言われると,いやそれはきついだろ,と感じる感覚。こう言うのは比較的ハードにトレーニングを積んでいる方ならなんとなくイメージできる感覚なのではないでしょうか。

そうやって色々と考えていると,結局,今自分の中で大きな変化があるとすればそうした「これくらいならやれそう」と言う練習の量なり質なりペースなりが,このプログラムを始める前よりも一段上に上がった気がするんですね。こう言うのを,もしわかりやすい言葉で表現するのなら「自信」に他ならないのかもしれません。

つまり,4ヶ月前と今が最も大きく違うのは「自信がついた」と言うことなのです。

なんだそれ!って思われそうですが,この「自信」と言うのは,何も「これだけの練習やったんだからもうフルで2時間30分切れんだろ」と言うような「根拠のない自信」みたいなものではなく,自分がイメージできるもののレベルが上がったと言う「経験からくる自信」なんですね。これは,最大の変化と言っても過言ではありません。

4ヶ月練習して変わったのはそんなことかよ,と思われそうなので,もう一つ明らかに変わったのは「脚が痛まなくなった」と言うことですね。これもランマニアにとっては非常に大きいことです。

確かに,ちょっと短距離ダッシュをやりすぎて右の臀部から二頭筋にかけてが今ものすごく痛いんですが,それ以外の,いわゆる「長距離ランナーがよく痛める場所」については毎日不安なく走れているのです。ふくらはぎとか足底筋とか。

フェーズⅢからⅣにかけての2ヶ月間は,IペースとTペースがバンバン入ってきて,これまでだったら確実にふくらはぎをやってもおかしくない状態でしたが,結局一度も「チクっ」と言う痛みは一度も出なかったです。

と言うより,こういう脚の状態になってみて初めて,これまではいかに脚ができていない状態でインターバルとかをガンガンやってしまっていたんだな,と今更ながら気がついたところです。

こうして振り返ると,このプログラムを通して得られたものは,「走れることをイメージできる自信」と「少々のことでは怪我をしない脚」だったようにも思えますね。

この辺りは,今後マラソンプログラムを開始したときにわかってくることでもありそうです。

7月の振り返り

こんにちは、ランマニアです。

7月最終日、今日をもって4月から取り組んできたダニエルズの体力向上プログラム、ゴールドエリートプログラムが終了しました。

4ヶ月間、フェーズⅠから始めて4つのフェーズを一月ごとにクリアしてきました。今振り返ると、確かにフェーズⅠのころは「この程度の練習でヒーヒー言ってたのか」と、今の状態がかなり体力的に余裕が出てきたことに気がつきます。

さて、このゴールドプログラム自体の振り返りは別の機会に行うとして、今日は月末恒例の月ごとの振り返りをしたいと思います。

まず、今月の練習内容です。

1フェーズを完遂できたのはフェーズⅡ以来2回目。

今月のフェーズⅣはこれまでの3つのフェーズで行われてきた全てのペースの練習が組み合わされた、いわば「総まとめ」のフェーズでした。

はじめ、このメニューを見た時にQデー(火・金の質の高い練習日)の走行時間や本数が少なめに設定されていたので、印象としては楽にこなせるものと思っていました。

しかし、実際に取り組んでみると、1週間の走行距離の中では回復度がギリギリで、決して楽にこなせる練習ではありませんでした。もちろん、いっぱいいっぱいになって出力全開でやるほどではなかったのですが(そうなってしまうと、もっても2週間が限度でしょう)、火曜も金曜も終盤には結構脚が重くなってきて、やり遂げるのに苦労する状態でした。(月間走行距離は思ったよりも減らず、30日に揃えると5月6月と全く同じ距離になりました)

それでも、結果的にフェーズⅡ同様、すべてのメニューを計画通りこなせたことから、自分自身の体力的にはちょうど良かったものと考えています。

初めてMペース以外全てのゾーンが含まれる1ヶ月となったフェーズ。

そして今月は全てのペース域での練習が含まれた月になり、これが意外にもタフな1ヶ月になった原因となりました。本数が少ないとはいえ、IペースとTペースの練習の合間が中二日しかないのはランマニアの体力を考えるとかなりきつめの設定です。

フェーズⅡ以降の月間走行距離は計ったようにぴったり。30日に揃えると全て345km前後となった。

そしてこのゴールドプログラム期間中の走行距離です。このプログラムのほとんどは「時間走」(一部のLT走とレペ以外は全て)なので、変な話ゆっくり走れば短くなるし速く走れば長くなります。にも関わらず、5月以降の3ヶ月は全てほぼ同じ走行距離になったということは、だいたいランマニアの週当たりの疲労回復のキャパシティはこんなもんだったのかもしれません。週当たりだいたい90kmでしょうか。

とはいえ、ランマニアはQデー以外のジョグのペースを上げてしまうと、おそらくインターバルやLT走ができなくなってしまうので、この週90kmというのは質の高い練習を週2回組み込んだ中でギリギリ回していける最大値だったように思います。

さて、このゴールドエリートプログラムの触れ込みは「このプログラムを終えれば、いかなる練習、プログラムをこなす力が、誰にでもつく。」ということです。

これに従えば、ランマニアはこの後「どんな練習」もこなせる力がついたということになりますね。(いやいやいやそれはないでしょう)

そして、問題はこの後なんですが、できればランマニアはフルマラソンで記録を伸ばしたいと考えているので、「マラソンプログラム」に移行したいと考えているのですが、どうも今後のマラソンレースが向こう1年くらいに渡って(いやそれ以上かも)開催されない雰囲気が漂ってきました。

もちろん、レースがなくても今後も練習を続けていくことは可能です(この4ヶ月で練習をすることの楽しさを十分に満喫してしまったので)。

しかし、では目標とするレースがないのに数カ月に渡るマラソントレーニングを行う意義はあるのか、というところが最大の問題点でして。これを続けた先に何があるのか、と。

一つ考えているのは、これから始めようとしているダニエルズさんのマラソンプログラムは、最長で26週間ほどになるかなり長期的なプログラムです。だいたい半年以上ですね。ですから、このプログラムをひとまず開始して、それに取り組んでいる間に今後の状況も変化してくる可能性は十分あります。

例えば、現在、実は来年4月の長野マラソンは開催する予定で動いているところです。もしこれが本当に予定通り開催されれば今から半年のプログラムがちょうど終わる頃に当たります。なので、プログラムを継続していく合理的な理由も存在するわけです。

一方、もしその長野マラソンも無くなってしまった時でも、このマラソントレーニングは多分、少し長めのトレイルレースやバーティカルレースに対してもある程度対応できるものであると考えています(LT走が多くなるので)。これを考えると、決してランマニアにとってはマイナスではなく、自身のパフォーマンスを発揮するにはちょうどいい練習になる可能性もあると考えています。

せっかくこの4ヶ月を予定したプログラムに取り組み、自身でも手応えを感じている体が出来上がったところですから、今後いつレースが再開されてもいいように、ここからさらにステップアップしていきたいと考えているところです。

厚底を履かなかったわけ

こんにちは、ランマニアです。

ついに厚底シューズがレースで履けなくなるようですね(トラック、クロカンに限る)。

ランマニア的にはこれまで一度もいわゆる厚底シューズで練習もレースも走ったことがなかったので、今回の件はあまり影響しないと言えばそうなのですが。

厚底シューズを頑なに履かないランナーというのも相当数いると思います。いろいろなこだわりや理念があり、あえてそこには手を出さない、という方々。

ランマニアも、おそらく自分を知る周囲のランナー達からはそうみられていたかもしれません。確かに、「頑なに」履いてこなかったですからね。

正直に言うと、「なんでその靴でそんなに速く走れるの?」とか「なんでそのタイムで走る人なのにそのカッコなの?」みたいな、いわゆる「羊の皮を被った狼」的存在に少しの憧れがあるのは事実です。特に、服装みたいな「本質」ではない部分(もちろんレース中の服装はそれが大きく影響しますけど)にこだわっている割に遅い、みたいなスタイルはちょっと嫌だな、っていうのが自分にはあります。(ランマニアは基本レース会場には私服で行きます。夏なんかはいきなりGパン脱いでランパンになるのでラン仲間は驚きます。)

そんな、ちょっとした天邪鬼的な心理で厚底を履いてこなかったというのは、無いといえば嘘になります。

しかし、最も大きな理由は別にあるのですね。

それは、やはりちょっとマニアックな視点になるのですが、ランマニアにとって、トレーニングというのはある種の「実験」、研究なんですね。自分で色々と試行錯誤して「最適解」を探し出していく過程。

もちろん、速くはなりたいんです。PB大好きです。いや、そのために練習しています。

でも、実は「それまでの過程」にもちょっとしたこだわりがあって、そこすらも楽しみたい、という気持ちがあるのです。

で、研究や実験、そして統計なんかにちょっと詳しい方なら誰でも知っているように、こうした何らかの取り組みが本当に効果があったかどうかを調べるときというのは、その影響を及ぼしているであろうこと(ここではトレーニングですね)意外の条件を変えてはいけない、という大原則があるのですね。いわゆる「条件を統制する」というやつです。

つまり、トレーニング内容をいじったのであれば、それ以外の条件は変えてはいけない。変えてしまうと、万が一PBが出た時に、何が効果があったかが分からなくなってしまうからなんですね(トレーニング内容なのか、靴なのか、という具合に)。

そう考えると、ランマニアにとって、毎日のトレーニングはある意味「実験段階」にあるわけで、この実験からトレーニング効果があったかどうかを知るには、以前のレースと大体同じ条件で走らなければならないんですね。

ただ、これは相当に難しいことです。

生身の人間が集まって、さらに変動の激しい気候条件で同じ条件を作り出すなんていうことは、ほぼ不可能です。

比較対象としたいレースとは、まず気候条件が違うかもしれない。走る人数も、その人数を形成する走力も、その日の体調だって、何もかも同じであることはほぼあり得ませんね。

ですから、そこまでの厳密さを求めてしまうと、そもそものトレーニング効果って何?ということになってしまいます。

しかし、これまでPBを出したことのあるみなさんならお分かりのとおり、PBが出た時というのは、そうした変動する条件などを一切超越して、本当に自身の実力の向上によって記録が伸びたことを実感できると思います。

その日、たまたま調子が良かった、とか、気温がちょうど良かった、とか、確かにそういうのもあるかもしれませんが、そういうのを抜きにしても走っていて同じペースが明らかに楽になった、いうのは誰しも感じたことがあるものだと思います。

なので、個人の体調、形成する集団の走力、気候条件などは、影響は0では無いにしても、体感的にはあまり考えなくても良い条件なのかな、と個人的経験からそう思っています。

ところがです。

今回の厚底シューズだけは、そうした「微々たる差」とは到底思えないほどの圧倒的アドバンテージをもたらすシューズであろうことは、もう明白ですね。何しろ、どんな路面、どんな距離、どんな年齢層、どんな実力レベルの集団によるレースであっても、明らかにこの靴の影響としか考えられないような記録の向上が見られますから。

そんな靴ですから、当然ランマニアとてこれを履いてレースを走ればある程度のその恩恵を受けれるはずなのです。

で、話は初めの「条件を統制する」に戻ります。

もしランマニアが、あるトレーニングの効果を試そうと思って、新しいトレーニングを開始した。(変更した条件)

そのトレーニングをした後にレースを走った。

その結果記録が伸びていたら、それはそのトレーニングの効果が現れたと判断しても、まあ良さそうなものです。

しかし、新しいトレーニングを開始した。

プラス、厚底シューズを履いてレースを走った。(変更した条件2)

その結果記録が伸びた、ということになれば、それは果たして新しいトレーニングの影響なのか厚底の影響なのかが分からなくなってしまいますよね。

この辺の理屈は小学生でも理解できる子がいそうな、とても単純な理屈です。

なので、これまでランマニアは厚底シューズを履いてこなかったのです。本当に単純な理由で。

ランマニアは、トレーニングを色々試して自分の走力が上がっていくのがとても楽しいのですね。練習の段階で、「何だか最近速くなった気がするぞ」と感じられた時のあの喜びは、ランナーにしか分からない喜びですよね。

で、今回のトレーニングはうまくいった、よしレースで証明するぞ、という時に、厚底履いてもしPBでも出してしまったら、「なんだそんなもんか」というちょっと面白く無い結果になりそうで不安なんですね。(いやPBはPBだから嬉しいんでしょうけどね)

なので、ランマニアが仮に厚底を履くとしたら、一度厚底なしで走ってみて、トレーニングの効果を実感してから、と思っていたのです。履くのが嫌なのではなく、履くことでトレーニング効果を検証できないことが嫌なのですね。

いや、こんなこと自分で書きながら、何てめんどくせえやつなんだと思いますよ、本当に。職場でもいつも言われます、「めんどくさいなぁ、全く!」って。

山レースとの出会い

こんにちは、ランマニアです。

この4連休は自粛するつもりは毛頭なかったのですが、なんだか予想外の大雨で予定していた外出もキャンセルになり、結局あの緊急事態宣言が出されていた頃の「食う寝る走る(古!分かる人は同世代)」な生活に逆戻り。これはまさに想定外。

さて、Twitter界の情報を見ていると恐らく今年度はロードレースはおろか駅伝すらなくなる可能性が濃厚になり、今年のトレーニングプラン、レースプランを大幅に考え直さなければならない状況です。

まあ、ランマニアレベルのランナーでそんなたいそうなプランなんてものはないのですが、それでも現在のゴールドプログラムは10月の松本マラソンを想定して始めた練習でしたので、今後フルマラソンへ向けた練習をどうするかは本当に考えていかなければなりません(来年4月の長野マラソンは強気にやろうとしているので期待しているところですが)。

そんな中で、唯一「山レース」だけはどうやら予定通り開催してくれそうな気配があり、この連休の「擬似自粛生活」中にどんな予定で出走しようか考えていたところです。

ランマニアが山の世界に足を突っ込み始めたのは、もう今から遥か昔の2011年。きっかけは、当時マラソン界の話題をかっさらっていた川内選手(当時公務員ランナー)が積極的に山に出かけて登山道を激走しているという練習内容を紹介する番組を見たことでした。

これは衝撃でしたね。

実はランマニアも学生時代は合宿で訪れた車山高原でトレイル練習を入れたり、高尾山なども走りに行ったことはあったのですが、それこそそっちはほぼ「息抜き練習」、レクリエーションみたいなもんで、それが長距離走のパフォーマンスに影響するなどとは正直思ってなかったのですね。

そんな「山トレ」を当時2時間8分台でフルを走るランナーが行っている。これには度肝を抜かれましたね(いやその後に二郎系ラーメンの大盛りを平らげてる様子も映されていてそっちもでしたが)。

影響されやすいランマニアは早速彼が走っていた武甲山(埼玉県)に行き、同じルートで山練習をしてみました。

何を隠そう、ランマニアは「上り」にはちょっと自信があり、昔から上りコースではチーム内でも他のメンバーよりも速く走れ、自分には上り適性があるんじゃないかと少しばかり天狗になっていたのですね。

ところがですよ。登山道っていうのは我々ランナーが想像する「上り」じゃないんです。文字通り「登り」なんです。

登山道までの「上り」坂までは快調に飛ばしていたランマニアでしたが、いよいよ始まった「登山道」に差し掛かってものの10分でオールアウト。ふくらはぎがパンパンに張り、呼吸は極限に達し、もう走れなくなってしまったのですね。

「こ、この坂をノンストップで走り切ったのかあの公務員は!」とひとり山道で愕然としたのを覚えています。

結局その時は、走っては歩き、歩いては走るを繰り返しながらなんとか登頂し、初の「トレイルラン」というものの洗礼を受けたのでした。

しかしこの時の経験がなんだかやけに悔しく、その後何度もランマニアの自宅から最も近い奥武蔵近辺の山々で「山練」を重ねることとなったのです。

これがランマニアの山との出会い、トレイルランニングの始まりでした。

そして記念すべき初レースは早くもその翌年に実現します。今はなき「おんたけスカイレース2012」です(実は翌年も出走し、その一月後に噴火)。

なぜこのレースを初レースに選んだかというと、他のトレイルレースに比べ距離が短い(トレイルレースでの水平距離は正直あまり参考にはならない、ということに数年後気づきます)。レースレビューの写真がとても綺麗だった。とおおよそこの二つが理由で、完全にトレイルレースを舐め切った不純だ動機だったのですが、まあ本当に無知とは恐ろしいものです(のちに数々のレースに出ましたが、このおんたけスカイレースは屈指の難コース、しかし名レースでしたね)。

結果は皆さんの想像通りまあ酷いもので、序盤から登りをガンガンと飛ばして山頂に到達する前に脚が止まり、楽勝だと思っていた「お鉢巡り」区間では地獄を味わい、帰りは下りで足が支えられなくなる始末。なんとか完走したもののゴール直後は「もうこんなことは二度とやらない」と固く誓ったほどです。(ちなみに、トレイルレースに出る時は毎回そう誓いますが・・・)

しかし人間というものは不思議な生き物で、あの90%は苦しい記憶しか残らなかったレースの思い出も、残り10%の楽しかった記憶が強烈に頭に残るのですね。

自分の脚で駆け上がってきて迎えた標高2000mを超えたあたりの景色の美しさ。標高3000m近い地点にあるわずかな走れる区間を疾走する爽快さ。山でしか味わえない下り区間のスピード感。

ゴールした翌日にはこうした良い思い出ばかりが走馬灯のように蘇って「また走りたいな」と考えているおかしな自分がいるのです。苦しいことはすっかり忘れて。

そんなことで、その後様々なレースに出走し、正直かなり危険な目にも遭いながらもそうした魅力的な部分に取り憑かれてしまったランマニアは、とにかく「本業」のロードレースにあまり影響のない範囲でトレイルレース(ここ数年はもうスカイレースとバーティカルのみ。詳細は別記事にする予定)に出続けているのですね。

こうした「レジャー的」な目的以外にも、マラソンのためのトレーニング的要素があるとすれば、だいたい以下のようなことがあると仮定し、そのためにも定期的にトレイルレースに出走しています。

・どんなレースも走行時間は最低3時間はかかり、長い間脚を動かし続ける事で持久的能力が高められるのではないか、という仮説。

・平地には存在し得ない登り坂が繰り返されるため、心拍数を一定時間高めに維持して運動を継続できるのではないか、という仮説。

・激しいアップダウン(特に猛烈な下り坂)、バランスを取りづらい不整地を走り続けるため、姿勢維持のための筋肉(俗にいう体幹、上半身)が、筋トレをするより効率的に鍛えられるのではないか、という仮説。また、脚の関節の可動域が大きくなるので柔らかな脚の使い方を身につけられるのではないか、という仮説。

・緊張感を強いられる下り坂を一気に下ることで、反射神経や運動に関する脳領域(小脳など)を鍛えられることができるのではないか、という仮説。(これはマラソンにはあまり関係ないかもしれませんが、若さを維持するため。)

・夏場のロングジョグは平地ではかなりきついので、その代替練習として。

一方で、デメリットもあります。

・普段山練習をメインにしていないので、一度レースに出ると酷い筋痛に見舞われ、しばらくロードの練習ができなくなる。

・必携品の重量が2kg近くになり、かつ走行距離も長いため脚への負担が増大し故障を誘発しやすい。(実際トレイルレースが原因での故障を何度かしている)

これらの良し悪しを考慮して、通常ならば5月あたりから定期的にレースを入れてきたのですが、今年は7月まで全てのレースがなくなってしまいましたからね。

幸い、10月のレースは開催予定とのことでバーティカルやスカイレースを中心に予定を組んでいるところです。

ここ数年のトレイルランニングとの向き合い方についてはまた機会を改めて記事にしようと思っています。

ラス1とどう向き合うか

こんにちは、ランマニアです。

4ヶ月にわたって続けてきたこのゴールドエリートプログラムも、今日LTインターバル(クルーズインターバル)を終えて、いよいよ後1週間となりました。今月は、IもTもRもある総まとめの4週間でしたがどうにか3サイクルこなすことができました。

今日はLTペースなので、まあそれほどがむしゃらに苦しむような練習ではなく、1kmも3分25秒前後で気持ちよく走れば良い「快適なきつさ(ダニエルズ)」の練習でした。なので、ランマニアとしても少し余裕を持って、楽に、だいたいこのままであれば40分から60分くらいは持つペース(60分はよほど疲れていない時ですが)という感覚で走りました。それで1kmを3分25秒前後で行ければ御の字、というくらいの感覚で。

今月、ここまで2回のLT走ではだいたい3分23秒〜25秒くらい(結構不安定で時には19秒くらいから30秒くらいかかる時もありました)のペースを維持できていましたが、今日は1本目こそ3分24秒とちょうどいいペースだったものの、2本目以降はかなりペースが上がってしまい、21秒、21秒、19秒、19秒と、もうほとんど3分20秒/kmペースとなってしまいました。

ところが、これは結構無理して維持したペースではなく、きつさとしてはいつもの3分25秒くらいで走っていた時と同じくらいの呼吸のきつさ、脚のきつさを維持していたので、それほど飛ばしたわけではなかったのですね。ですから、恐らくこの数ヶ月の取り組みで、次第にLTペースも向上してきた感はあります。

そしてこれだけいいペースで走って、最後の1本を迎えました。ここまでがほぼLTペースですので、まあ余裕はあると言えばあります。「最後の1本。これで今日の練習は終わりだ!」とか思うと、ついつい早く切り上げたくなったり最高タイムで終えることで練習の充足感を味わえたりします。

過去の記事で何度も触れた通り、人間はメンタルの力によって結構疲労感や苦痛をカバーすることができるのですね。ですから、こういう「あと1本」とか「あと1km」「あと1周」みたいな「いよいよ終わりが見えてきた状態」というのは元気が湧いてきて、ついついペースも上がってしまいがちなんです。

若い頃のランマニアは、練習ではほぼ毎回こういう時に気持ちに任せてできるだけ「出し切って」最後の1本、最後の1km、最後の1周をそれまでの最高ペースで終えていました。まあ、なんでも「尻上がり」というのは気持ちがいいものです。

でも、今は事情が違います。若い頃のようにすぐに疲労は取れませんし、数ヶ月にわたって一定の水準の練習を継続するには、翌日、いやもっと先の練習をこなすことまで考える必要があります。そういう状態では「ラスト1本出し切って」しまうようなことはそれこそ命取りなんですね。

それはわかっているのですが、やはり練習中の興奮状態では、なかなか抑制がきかずついつい「最後の1本」を攻めてしまいそうになるのです。

そこで今日は、ちょっと勇気がいたのですが、あえて「最後の1本は力を抜いて走る」というのを試してみました。調子は悪くなく、最後の1本も快調に走れそうでしたが、そこを「あえて」力を抜くのです。

それまでの1kmは3分19秒くらいできていましたから、気持ちの中ではだいたい3分25秒くらいでいいや、くらいの気持ちでスタートしました。

しかし結果はそれでも3分21秒。

そうなんです。「ラスト1本」の精神状態では、相当抑えても想定よりもかなり速くなってしまうのですね。ですから、もしこの時いつも通り走っていたら、恐らく3分19秒より速くなってしまったいたと思われます。

こんな走り方は、高校時代などではとてもとても考えられませんでした。それこそ集団練習で常にバチバチ競り合ってますし、そんな時に「ラスト1本は力を抜く」なんて考えもできませんでした。当時はそれでも、疲れが溜まるなんてことはほとんどなかったですし。

そういうこともあり、ここ数週間はとにかくVO2Maxインターバルも、LT走もかなり余裕を持ってその日の練習を終えることができ、それがまた次の練習への余裕につながり、いい循環が生まれていると思います。

一回の練習における余裕度が上がってくると、常に疲れを溜めずに練習を継続できるので、一定の質を保った練習の続けられる期間が長くなってくるのですね。

さて、ここでも「残りあと1週間」という「ラス1」を迎えてしまっていますが、まだまだゴールは先にあるという意識で、あまり出し切らないように気を付けていこうと思います。

まさかこんな46歳を迎えられるとは

こんにちは、ランマニアです。

今日は46回目の誕生日でして、Twitterではたくさんの方に「いいね」のお祝いをいただきました。恐らく、人生で最もたくさんの方に祝福された日になったことでしょう。

さて、このブログでも何度か触れてきましたが、ランマニアは基本的に「全開」でトレーニングはできません。詳細は過去記事に書いてありますが、とにかく無理をして追い込むようなことをすれば、とたんに数日から数週間は走れなくなります。

なので、社会人になり競技に復帰したとは言え、常に「完全にはやれない状態」と付き合いなながら、なんとなく日々の練習で無理のない範囲でジョグをしたりインターバルをしたり、まあいってしまえばお茶を濁しながら練習をしてきたのですね。

記録更新を目指そうと思ってもレース当日の体調が優れず撃沈したり、相応の記録を目指すためのトレーニングに耐えられなかったりして、知らず知らずのうちに「もうこんなもんだろ」という感覚が染み付いていたのは事実です。

ところが、昨年の11月以降、ちょっとトレーニングへの向き合い方を変えてみる機会が訪れました。

それまでは、はじめに「こうあるべき」トレーニング内容が存在していて、それに自分の体を合わせようとして走ってきたのですが、これがどうも長く続けられず、調子もすぐに壊す悪循環が続いていました。その中で「たまたま」調子の良い時にレースに出ると記録更新(フルに限ってですが)、という感じでした。

しかし11月以降たまたまなんですが、ちょっと毎週のようにレースが続いた時期がありました。今にして思うとあまり良いことではなかったのですが、このサイクルが自分の練習への向き合い方を変えるきっかけになりました。

みなさん経験されている通り、レースに出るとかなりの負荷がかかりますから、その後しばらく疲労が抜けずまともな練習ができなくなります。

それでも練習は継続しなければなりませんから、レースとレースの間に何もしないわけにはいきません。ある程度の疲労を抱えたまま。

この時期、とにかく毎週のようにレースがあったものですから、この平日をどうこなすかが結構大きなテーマになっていました。

で、以前なら「スピード落とさないように一度くらいはポイント入れなきゃな」と思って、疲れていても無理にインターバルをしたりしていたのですね。

当然、体にはこたえます。新たな疲労を溜めて次の練習を迎えることになります。

なので昨年11月からは、この平日は「自分の疲労に従って強度、ペース、時間を決めよう」ということにしました。

先に「メニューありき」の練習を「トップダウン的アプローチ」とすれば、先に「体調ありき」の練習を「ボトムアップ的アプローチ」とでも言いましょうか。自分の体調に合わせて練習が決まっていく、非常に流動的で柔軟な練習方法です。

これがはまったのですね、久々に。

走っている最中に疲れが大きいと思えば、それ以上ペースを上げない。アップの時点で無理そうならもうスピード練はやらない。試合後2日間はだるいから走らない。

もうそんないい加減なテキトーな基準です。気持ちの赴くまま。

ところが、このサイクルでレースに出続けていたところ、毎週のようにそこそこ結果を残すことができ、疲労も以前のように一線を超えにくくなってきたのですね。

そうこうしているうちに、突然自粛生活が始まり、レースも無くなりました。

ここで考えました。「今なら系統立った計画的な練習ができるんじゃないか」と。

レースもない。1週間の調子の維持の仕方もなんとなくコツがわかってきた。在宅で時間もある。

これまさに「今でしょ」ってやつでしたね。

そしてたまたまダニエルズさんの第3版を手に入れて、体力向上プログラムなるものが目に止まり、内容をざっと見ると、週2回のQデー(質の高い練習の日)のメニューが、ギリギリランマニアでもこなせそうなレベル。残りの5日のジョグが思いの外長いのが気になりましたが、でもペースを抑えればなんとかいけるんじゃないか、と思ったのです。

とは言え、はじめはどうせ2週間くらいでいつも通り疲労がたまって終わるだろうと思っていました。キツければやめればいいんだし、と。

確かに、フェーズ1の1サイクル目は相当しんどかったです。400m10本なんて20年以上やってませんから、初めてこれやった日はその夜起き上がれないほどで。こりゃ無理だな、と。

でも、まあとにかく撃沈しようがどうしようが、ひとまず続けてみようと思い、ジョグのペースはしんどいならもうキロ6でもなんでもいいから時間まで走ってみようと。クオリティは考えずにとにかく書かれていることをやり続けてみよう、と。

それを繰り返しているうちに、46歳になってしまったんですね。

もうランマニア的には信じられない思いです。こんなに長い期間トレーニングを継続でき、しかもそれが週2回の高強度練習と週1回のロングランが入った内容ですからね。これが3ヶ月半も続いてしまったのです。

この数ヶ月で気付いたのは、以前Twitterにも書いたのですが、恐らくこれまではいきなり強度や負荷を一気に上げすぎたために体が耐えられなかった。これが最大の失敗だったと思っています。

そして、ランマニアのような不可逆的な疲労症状を抱えていても、しっかりと小さなステップを積み重ねていけば、本当に徐々に徐々にですが溜められる疲労のキャパシティーも上がっていくのかもしれない、と体感的に実感できたのですね。

まさに、ボトムアップから入りトップダウンに耐えられるようになった、そんな実感です。

それが実感できたら、もしかしたらこの先もこうして少しずつ練習の強度や負荷を積み上げていくことで、結構本格的なトレーニングもできるようになるんじゃないかと思っているところです。

昨年45歳の誕生日の時は、まさか翌年こんなことを考えられるようになるとは想像もできませんでした。

唯一残念なのはこの成果を発揮するためのレースがないことですが、しばらくは「私設」の記録会などに出走して現時点のパフォーマンスを確認してみようと考えています。

燃え尽きないために

こんにちは、ランマニアです。

今日はフェーズⅣに入って二度目のLTインターバル(クルーズインターバル)で、先週よりもだいぶ余裕を持って同じペースで走れるようになってきました。

疲労の関係もあるでしょうが、先月のフェーズⅢでは3分25秒ペースがかなりいっぱいいっぱいだったところ、先週今週は3分20秒を切ってしまうような回もあり、同じ3分25秒ペース(Tペース)がずいぶん余力を残して維持できるペースとなった気がしています。脚を割って顕微鏡でミトコンドリアなどを観察するわけにはいきませんので、こうした感覚だけが頼りなわけですね。

さて、このダニエルズのプログラムを始めてこれまで特に気を付けていることがあります。

それは、常に「余裕を持って走る」という意識です。

この「余裕を持つ」というのは、フィジカルな面でもあるしメンタルな面でもあるのです。

例えば、フィジカルな面で言えば、呼吸がいっぱいいっぱいにならないように、とか、脚の疲労が限界近くにならないように、といった身体からのサインに耳を傾けながら。

メンタルな面で言えば、「相当しんどいけど、ここは気持ちで押していくぞ」的な、「頑張る」状態をできるだけ避けるように、といった感じで。

これらは兎にも角にも、当然故障の防止という最大の目的があるのはいうまでもなく、さらにはランマニアの抱えている慢性疲労を悪化させないようにという、身体的、生理学的な目的が多くを占めています。

しかし、同時にもう一つ、ある重要な目的のためでもあるのですね。

それは「燃え尽きないため」

ランマニアは、学生時代から本当に走ることが好きで好きで、いまだにこれを超えられるような趣味や、これ以上に興味があるものに出会うことがないほど数十年にわたってこの趣味を続けてきました。まあ、やめる時は死ぬ時だろうな、というくらい、走ることのない生活は想像できない、といった具合です。

ところが、実はそんなランマニアが唯一、たった一度だけ「燃え尽きそう」になったことが、かつてありました。

それは、本当に最近のことなんですが、2017年にフルマラソンで自己ベストを出した時です。

2017年の東京マラソンで、ランマニアはそれまで絶対に切れるとは思っていなかった2時間40分を切って10年来の目標を達成したのですね。

その時の嬉しさといったらなく、大袈裟でなく「もう死んでもいいや」というくらいの達成感と充足感に満たされたのでした。

ところがそれから1ヶ月あまり、それまで経験したことのないような「無気力感」に苛まれることになります。

なんというか、もう走る目的がないというか、これ以上の記録の向上は想像もできないというか、とにかく感じたことのない気の遠くなるような絶望感に近い無気力感。

なぜ、こんな気持ちになってしまったのかというと、実はその東京マラソンまでの練習では過去にないほど体を追い込んでいたのですね(いや、そんな大した練習ではないのですが、ランマニア的にです)。正直、毎日仕事終わりにその練習を継続するのが本当にストレスになる程(今の状態がかなりいいので、当時の状態を振り返ると相当ストレスになっていたことに気づく)、我慢に我慢を重ねていたのです。

なので、ついに念願かなって到底たどり着けるとは思っていなかったような大記録を打ち立ててしまったときに、正直「もうこれ以上は頑張れない」という今まで一度も感じたことのないような感情が湧いてきました。

なんということだ、「走りたくない」という気持ちが芽生えている。

驚きましたね。走りたくない、なんて一度も思ったことのなかったランマニアがそんなことを考えていたのですから。

幸い、そこで少し気分を変えてスカイランニングの方にウェイトを置いたところ、いつの間にかまた走るのが楽しくなっていましたが、あの3月、4月は本当に危なかった。

人間は、「頑張っても頑張ってもその労力が報われない経験」を重ねると、「学習性無力感」という気持ちに支配されます。いわゆる「無気力」「やる気のなさ」というやつですね。

あの時のランマニアは、頑張って頑張ってそれが報われたのですが、その後、さらに記録を伸ばすには「もっと頑張らなければならない」という「気の遠くなる感じ」が、「擬似的に」無力感を感じる原因となっていたものと思われます。もうあんなにしんどい日々を我慢するのは無理、という感じですね。

ランナーは記録の向上のためならいくらでも(それは言い過ぎか)きついことを我慢できてしまう生き物です。しかし、ランナーとて人間ですから、その我慢にも限度がありそのキツさはしっかりと記憶に残ります。そうすると、本来楽しむためのランニングがいつの間にか「嫌悪刺激」に変わっていってしまうのですね。東京マラソンを目指していたランマニアが、まさにその状態でした。

これを避けるために、ランマニアは毎回の練習をできるだけ楽に、楽しく、快適に終えるよう心がけているのですね。

余裕を持って終えられると、その日の練習は必ず快適さの記憶が多く残って終えることができます(多少のしんどさは避けられませんがね)。しんどさにしても、適度なしんどさ、終えた後の爽快な気分が残る程度のしんどさに留めるよう心がけています。

その結果、この4ヶ月は、とにかく日々の練習が楽しみになりました。いえ、インターバルや閾値走の日はそれなりに憂鬱な時もありますが、それでも「今日はどれくらいで走れるだろうか」という楽しみもだいぶあります。

さらに、そうしたメンタル面だけでなく、生理学的な疲労の点でも余裕が出てきて、長い間練習を継続できる体調を維持できるようにもなりました。

とにかく、毎週無理なく練習を継続できるので、それ自体も楽しいのですね。

なので、インターバルにせよジョグにせよ、毎回の練習で「頑張りすぎない」「無理をしない」「追い込まない」をキーワードに、練習をする癖をつけてきました。

ただ、これは今の特殊な事情がそうさせているとも言えます。

3月以降のコロナ生活で、とにかくレースや練習会など「人と競う」機会が一切なくなりました。これはとても大きなことですね。

人と競わない、ぼっち練ばかり。これではどうしたって完全に自分のペースを守れますし、いい意味で「自分に甘く」なれるため、無駄なペースアップ、無駄な追い込みは無くなりますね。

ですから、この特殊な状況でなくなった後でも、今のスタイルを貫き続けられるかが、一つのポイントですね。

もちろん、練習会などで刺激をもらいながら、ペースを作ってもらいながら、自分の持てる以上の力を発揮する経験も時には必要なことなんですけどね。

痛いのに走るのはなぜ?

こんにちは、ランマニアです。

フェーズⅣの1サイクル目もなんとか予定通りこなせ、今のところ脚の痛みなどもなく後3週間この練習を続ければ、ダニエルズさんのゴールドプログラムも終了となります。

この3ヶ月間、ランマニアとしては奇跡的に怪我をせずに練習をこなせていますが、このプログラム開始当初はそれでも一時ふくらはぎが危なくなることもありました。その時は思い切って3日ほど休みを入れましたが、そうやってしっかり休んで怪我を悪化させずに済むこともあれば、無理して3週間コースとなることもあります。

では人はなぜ痛いのに走るのでしょう(すみません、ランマニアだけかもしれませんが・・・)。

以前の記事でも書いたように、人が行動を起こす動機付けは大きく分けて2種類あると考えています(細かく分けるともっとあるのですが。ここば便宜上2種類にしておきます)。

一つは、それをすると何かいいことがある時。もう一つは、それをしないと何か嫌なことがある時。

それで考えると、「脚が痛い」となればすなわち「苦痛」ですから、それは「嫌なこと」、つまりその苦痛から逃れるために「走ること」はやめるはずなんですね。脚が痛けりゃ走らない。本来これが自然な反応です。

ところが、ランナーは走るのです。痛くても。

そこで考えてみました。どうして痛いのに走るのかを。

まず、痛いのに走るとその後に訪れる良いこととは何かを考えてみます。ランマニアならだいたい次のようなことでしょうか。

・この練習を予定していた。途中で止めるのはなんとなく気持ちが悪い。なんとか完遂させたい。→つまりやり遂げた「達成感」

これはよくあることです。練習計画に従って進めてきて、それを途中でやめたくない。やり遂げたい。「達成の欲求」、というやつですね。

・このまま走ってもこの痛みなら大丈夫。走った後は痛みも消えるだろう。だから走り続けよう。

これはそのまま走ることでの良いこと、というよりは、その痛みが「深刻ではない」という思い込み。「走りきる」「予定の練習をこなせる」という良いことが待っているため、痛みを我慢する。まあ、一つ目の理由に近いところはありますが、一つ目と違うのは脚の痛みを「楽観視」しているところでしょうか。ランマニア的には、これがものすごくあります。達成の欲求というより、痛みを深刻に捉えてない、という結果。そして、経験上、本当にことなきを得てしまうこともあるため、本当にヤバい時にも休めなくなってしまうのですね。これは非常に危ない罠です。

では、一方で、痛いのに走らないと何か嫌なことが待っているのか。

これは結構複雑な心理状態がある気がします。

・脚が痛い。でもここでやめたらどうしてもやっておきたかった練習がやれないことになる。→走力が高まらないかもしれない、という不安な気持ち(実際には1日休んだくらいではほとんど関係ない)

例えば、インターバルなど強度の高い練習をやろうとしていた時などは、それを一回やらないことでトレーニング効果が得られないことを心配しますね。実際には大したことではないのですが、なんとなく気持ちが悪いものです。それを回避するために、痛くても走ってしまう。これも、昔はよくありました。

・脚が痛い。でも、怪我をしたと認めたくない。ここでやめてしまったら、故障した事実に直面化させられる。走り続ければ、「やっぱり大丈夫だった」と思えるかもしれない。→故障した事実を認めたくない。走るのを止めると故障した事実を認めることになる。

これ、「そんなバカな」と思われるかもしれません。いや、こうして客観的に書くと本当に「馬鹿じゃねえの」って自分のことでもそう思いたくなりますが、ランマニアは以前実際にこうした心理状態に陥り、痛いのにやめられなくなったことがありました(当然悪化し長期離脱)。なんというか、怪我した事実を受け入れたくないんですね。「走れるじゃないか」みたいな。完全に事実から目を背ける「逃避」ですよ「逃避」。

まあ、ランマニア的にはこんなところですね、痛いのに走ってしまう時というのは。

一方、最近はほとんどこういうことはなくなりました。

なぜなくなったかと言いますと、やはり「痛い時はすぐにやめて悪化させずに済んだ経験」をしてきたからでしょう。

人間は「経験」から「学習」することができます。「こうしたら、こうなった」という経験を積むと、「こうすること」が機能することに気がつきます。それによって行動が変容することが「学習」なんですね。

で、もしこのようなことを学習するには、やはり「こうなった」という経験をしないことには学習は得られません。「痛いのに走る」を続けている以上、こうした経験は決して得られることはなかったでしょう。

少しの痛みで練習を中断をするのはとても勇気のいることです。勇気という表現には語弊があるかもしれませんが、止める決断をするのが意外と難しいのですね。

なぜそれが難しいかというと、やめて直ぐに得られる報酬がなく、やめることで得られる報酬はかなり先にあるからなんですね。(あの時やめておいてよかった、と思えるのは、かなり先になって痛みがひいた時)

ですので、ランマニアも走れそうな痛みでも途中で練習を止めるような時は、本当にしんどいのですが、頭の中で「今やめれば三日でよくなるよ。でもやめなければ3週間走れなくなるよ」と言い聞かせて思い切ってやめるようにしています。

そう思えるようになったのは、やはり、「練習は続けてなんぼ」と気づき、「今日の練習はなんとしても」のような刹那的な感覚を捨てたからなんだと最近は思います。