7月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

今月は毎日激動の日々で心理的な余裕がなく、ブログもかなり滞ってしまいました。

また、大した故障ではないと思っていた臀部の痛みが予想以上に長引いてしまい、7月最終週になりようやくまともに走れるようになった状態です。

とはいえ、前回のブログに書いたような腱や付着部の炎症ではなく、梨状筋症候群による坐骨神経痛だった可能性が高く、ストレッチやマッサージで急激に回復していったのは幸いでした。

さて、そんな7月ですが、本来ふくらはぎの肉離れから復帰して、いよいよ本格的な練習を再開しているはずでしたが、蓋を開けてみればこの1年半で最も走行距離の少ない月となってしまいました。

久々の200km切りです。

ただ、7月は仕事に復帰したことで、そうした練習不足が全く気にならないほどの毎日を過ごしていたので、「そんなに走れていなかったのか」と実際にはここまで走れなかった実感はありませんでした。

とにかく、今はようやく仕事をして帰ってきて練習に向かう、というかつてならなんでもなかった日常が戻ってきたことがとてもありがたく、練習不足だとかそういうことは二の次の状態です。

トータルで二週間ほどレストを入れた7月。さすがに脚はしっかり休めました。

今回は中途半端に休んで故障の再発を繰り返したくなかったことから、かなりまとまってレストを入れました。

少しでも痛みがあればジョグすらも入れなかったため、ふくらはぎを痛めていた頃よりもさらに走行距離が減りました。

急激に走行距離が落ちた7月。200kmを切ったのはここ数年記憶にありません。

とにかく、社会人ランナーになって25年目にもなると、こうしたアクシデントは度々訪れますので、後から振り返ればなんて事のない1ヶ月のうちの一つなんですが、それでも故障して走れない時期は長く感じるものです。

もう何ヶ月もジョグだけの生活を送っていますが、先日のWSでは思ったよりもスピードの低下は感じませんでした。

さて、8月は夏休みもあり、かなりまとまった距離を走れる一月になると思います。

ここのところ、安定して走れる期間が継続できていないので、8月こそは満足のいく練習をこなしたいなと考えています。

もちろん、練習をこなすことが走る目的ではありませんが、本格的な練習をこなせる体に戻すためにはどうしたってある程度の練習を継続できなければなりません。

その足掛かりを得るためにも、この8月は久しぶりに体を変えるほどの練習を継続できればと思います。

もちろん、やりすぎによる故障には細心の注意を払いながら、です。

故障の大半は治りにくい「腱」

こんにちは、ランマニアです。

更新、だいぶ滞ってしまいました。

さすがにこの2週間は怒涛の2週間で、ちょっとこっちに思考のリソースを振り分けるのは無理な状態でした。

さて、肝心の競技ですが、今回の故障も結構な重症で、前回のふくらはぎ同様2週間程度の休養が必要な状態になっていました。

先週まるまる1週間レストにし、少し走ったところなんとなく治りが悪い気がしたので結局合計10日ほどのレストになりました。

現在、最も酷かった時のように足を上げられないほどの痛みはないものの、片足でハーフスクワット状態から膝を伸ばしていくと、まだ患部が痛むので再開の時期に迷うところです。

ただ、何もしなくても劇的に良くならないのが、これまで痛めてきた筋の付着部「腱」に共通した症状で、ある程度の休養を経たのちには、徐々に走っていくうちに治っていく場合がほとんどでした。

なので、今回もその辺りを様子見すべく、今日は久しぶりにウォーキングをしてきたのですね。

ここ数年、ランマニア的に最も苦しんだ故障は、3年前の「足底筋膜炎」です。

これをやった人ならわかると思いますが、とにかく「最悪」な故障ですね。

まず治りが遅い。さらに治ったかに見えてすぐに再発する。

結局、通常の練習に戻るまでトータルすると半年くらいはかかった印象です。

足底筋膜炎、と言っても、痛む部分は足底筋が踵の骨にくっついている部分、「腱」に近づいている部分です。

ここが炎症して、目で見てわかるくらい腫れます。

指で押すと猛烈に痛いですし、その部分に体重をかけて立っているだけで徐々に痛みが増していきます。

しっかり休んだ後、ゆっくりとジョグから再開しましたが、再開時点でも指で押すと痛みましたし、立っていて痛みがなくなるまではかなりの時間がかかりました。

つまり、走ることでの炎症は引き起こされなくても、患部の損傷は相当な期間続いていたことになります。

同様の症状は、昨年だましだまし付き合った「アキレス腱炎」にも言えます。

こちらも接地のたびにアキレス腱が痛み、指でつまむとのたうち回るほどの痛みが走ります。

この痛みも、走ることで傷まなくなったとしても、圧痛(押して引き起こされる痛み)は1年くらいは引きませんでした。

このように、筋が骨にくっつく部分、「腱」を痛めてしまうと、部位に限らずとにかく治りにくく厄介なのですね。

そして今回の「ハムストリングス付着部炎」。

こちらも、「大腿屈筋群」である、大腿二頭筋、半腱様筋、半膜様筋がまとまってくっついている部分ですから、筋が腱になっているところです。

だからこうして、いつまで経っても痛みが消えてくれないのだなと推測しています。

ただ、これまでの経験からは、ある程度痛みが引いて、もう休んでもあまり変わらなくなってきたあたりから、徐々に運動を再開していくと、いつの間にか走れるようになっている、ということがよくあります。

どのあたりの痛みか、というのはなかなか難しいのですが、なんとなく「痛みの質」が変わってきた、という感覚がわかるので、その辺りの「感覚」に任せてしまっています。

本当なら、しっかりMRIとかで損傷・炎症の状態をみた方がいいのでしょうけど。

ところで、年齢を重ねてきてから、このような「腱」を痛めることが急増しています。

もちろん、年末からのふくらはぎの肉離れもあるにはあるのですが、ここ数年で最も多い故障は、この腱の故障です。

ネットなんかで見ると、どうやらこれにはコラーゲンが関係しているらしく、加齢とともに次第に減っていってしまうようですね。

確かに、食事だけで意図的にコラーゲンを補給するのは結構大変で、サプリとかをあまり使わないランマニア的には、練習量に比して圧倒的にコラーゲンが足りてなかったようにも思います。

もちろん、体の回復力を無視してハードなトレーニングをすれば、どんなにいい食事をしてたって故障はするのでしょうけど。

そんなことで、今回の故障も治りが悪いなぁ、と思っていたら、そういえば「腱」を痛めてた、と改めて気づいたのですね。

今週からは少しは仕事にも慣れてきて、終業後のウォーキングを行う元気も残っていそうですので、夕涼みがてら歩きながら様子を見ていこうと思います。

戻るか、日常

こんにちは、ランマニアです。

大したことないと思っていた脚の痛みですが、思ったよりも深く傷めていたようで、少し走ってしまったことで治りが悪くなってしまいました。

いつも傷める膝から下ではなかったので、すぐ良くなるかなと思っていましたが、3、4日では良くならない程度の損傷(炎症)だったようです。

ところで、今週はそれよりも大事な(走れるないこともかなり大事なんですが)ことがひとつありました。

色々ご心配おかけした、休んでいた仕事に昨日から復帰したという出来事です。

4月から仕事ができなくなり、この3ヶ月は何事もないようにランツイを細々と続けてきましたが、正直先行きが全く見えずにメンタル的にはちょっとしんどかったですね。

そんな中、昨日からようやく(というかどうにか)仕事に戻ることができ、ひとまず生活に不安は無くなった状態です。

ただ、数ヶ月ぶりの仕事復帰で、まだまだ日々綱渡りな状態が続いていますので、現在の故障と相まって、なかなか走ることに気持ちを全振りするのは難しい状態ですね。

それでも、ひとまずは毎日自分の行き先があり、所属先があり、収入先が確保されている、というのは「走ること」に代表されるQOLに関わることの土台になるものだな、と改めて実感しているところです。

そして、そうした激動の3ヶ月を送ってきて、現在もその延長線上にある状態ですが、こんな時でもやはり「走ること」は自分の中では重要な「日常」なんですね。

いくら忙しくても、これまでよりも仕事にエネルギーとリソースが奪われても、「走ること」がない生活は、ちょっと考えられないです。

故障については、もう休むしかないわけで、ひとまずジタバタしても仕方がありません。

しかし、「早く走りたいな」と思っているだけでも「走ること」が「日常」にあるのが不思議な感覚です。

去年までは、仕事に行って帰ってきて走りにいく、なんていうことはなんでもないことだったのですが、今やものすごく難易度の高い、実現したら奇跡みたいに思える大イベントになってしまいました。

それこそ、お祝いでもしたいくらいの大イベントですね。

逆に言えば、そんなことでも実現すれば、この歳になって久々に味わう大きな達成感になるかもしれません。

と、心穏やかに、走ることを存分に楽しむにはもう少し時間がかかりそうですが、そうした「日常」がもう少しで戻ってきそうな、とりあえずの近況報告でした。

6月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

ここのところツイートやブログが滞り気味で、なんとなくランニングの方から意識が疎遠になっている感じでした。

ハムストリングス付着部炎が再発したこともあり、こういう時はツイートやブログのネタがあまり浮かんでこないのですね。

さて、そんな状況ですが6月もあっという間に終わってしまいました。

次回のブログで触れようと思いますが、ちょっと6月は仕事がらみで色々ありまして、気持ちのリソースをランの方に割く割合が減っていた状態です。

決して、モチベーションが下がっていたというのとは少し違うのですが、気持ちのエネルギーを別のところに使う必要があったのですね。

長年「社会人ランナー」を続けていれば、こういうことは度々起こるので、今に始まった事ではないのですが、やはり年に一度か数年に一度くらいはこういう時が訪れるので、社会人として競技を続けていくことはなかなか難しいものがあると思っています。

6月は、半年間泣かされたふくらはぎの肉離れも完治して、いよいよ本格的に距離を踏めるかな、と思って月間の走行距離もそこそこ伸びるかと思われた矢先、ここへきて古傷が再発してしまって、また足止めをくってしいました。

自分でも驚きましたが、6月はまさかの5月を下回る走行距離になってしまい、なかなかうまくいかないものだな、と。

故障も癒えた6月は走行距離を伸ばせるかと思いきや、まさかの5月以下の252km。

ふくらはぎに比べれば、深刻さの程度は軽いとはいえ、やはり休みを入れなければならないほどの故障であるには変わらず、走行距離は一旦落ちますよね。

練習内容としては、基本はジョグで、嬬恋の分のトレイルが次いで多く、さらにようやくLT付近のファルトレクが入ってきたという状況。

嬬恋前後で距離が低下し、その後の故障でレストが続きました。
嬬恋の分がトレイルの割合を高めました。

本来であれば、7月からは強度の高いVO2インターバルやLT走を徐々に入れていこうと思っていましたが、ちょっと今の状態ではそれがひと月くらい先に伸びそうです。

何か目指している大きなレースがあるわけではないとは言え、やはりこれだけ長い期間「ジョグおじさん」を続けていると、自分が一応の「アスリート」である意識がだんだん薄れてきてしまうのが怖いところです。

とは言っても、休むしかないわけですし、強度を上げるにもまずはジョグで基礎体力、基礎筋力を身につけなければ先には進めないのは変わりなく、またしばらくは負荷の低いジョグから続ける必要があります。

昨日少し無理して90分走ったところ、若干痛みが増してきてしまったので、もう少し休みを入れたほうが良さそうでした。

練習の方がなかなか軌道に乗っていきませんが、今はあまり焦らずに、脚に無理をかけないようにしなければなりませんね。

衝撃はどこで受け止めても大きさは変わらない

こんにちは、ランマニアです。

先週は31kmものトレイルレースを走りましたが、懸念されたふくらはぎはもうすっかり元に戻り、痛みや違和感など全く感じることなくレース後の一週間を過ごすことができました。

4月下旬に練習を再開してから約2ヶ月が経ちますが、やはり組織の再生にはそれくらいの時間がかかるのだなと、改めて感じているところです。

しかし、ここまでくる間は、やはりどうしても患部が「弱々しい」感覚がしていて(多分これは感覚だけでなく、実際の筋組織も元通りに戻りきっていなかった)、右ふくらはぎに力を込めて走るのははばかれる状態が続いていました。

なので、しばらく下腿に力を込めて走ることは控え(ランマニアは元々ものすごく下腿を使って走るタイプでした)、大腿部から臀部にかけての筋肉を多く使えるよう心がけていました。

なんとなくですが、下腿よりも大腿の方が丈夫なイメージがあったのですね。(接地時の筋収縮がどちらかというとコンセントリックな収縮が優位なイメージがあり。ただ、ここ数年、上り坂のようなコンセントリックな収縮でも故障が多くなってきた)。

普段のジョグでは、下腿の力を抜いて接地の瞬間はなるべく体に近い部分(大腿部から腰にかけて)に力を入れて反発を得るように意識し、この走り方もだいぶ板についてきた感覚がありました。

この意識で走ると、確かに下腿への負担が減り、ふくらはぎが張ったり「危うい感じ」がしたりすることも無くなっていきました。いかに、普段からふくらはぎに負担をかけてしまっていたのかがよくわかりました。

しかし、この意識によってちょっと無理がかかってしまったのが、5月下旬に何度か練習で走ったトレイルでした。

登山道のような登り区間を駆け上がる際には、どうしてもふくらはぎを使って小刻みに走った方が楽に長く走れるのですが、ここでもふくらはぎをいたわって、無理やり大腿部を引き上げ、階段を登るように「ぐいっぐいっ」と体を押し上げるフォームで登っていったのですね。

こうした登り方をしているうちに、いつの頃からか、昨年8月に痛めたハムストリングスの付着部がなんとなく痛むようになってきました。

もちろん、平地を走る分には全く問題ないのですが、あの登り坂で足を上げたくないような感覚です。

結局、ふくらはぎを庇えば、着地衝撃が別の部分に移動するだけなので、フォームを変えたり力の入れ方を変えたりしても、痛める場所が変わるだけなのですね。

ただ、相変わらずジョグでは問題ないので、若干下腿に力を分散して走る方法にもどし、練習を継続してきた結果、痛みの方も次第に引いていきました。

また、最も心配された嬬恋のレースでもレース中はもとより、レース後も痛みが悪化するようなこともなく、大腿部に大きな力をかけなければ徐々に良くなっていく様子が見られました。

なので、このままジョグで様子を見ようかとも思っていたのですが、先週久しぶりにスピードを上げてWSをやった見たところ、ジョグでは感じないような明らかな痛みが続くので、これはやっぱり休んだ方がいいな、ということになりました。

ふくらはぎの肉離れのように、周辺組織もダメージを受けてきて、いきなり「ピキッ」となるわけではないので、ジョグならやれそうな気もするのですが、中途半端に続けていくと、またいつまで経ってもスピードを上げられなくなってしまうので、ちょうどレース後ということもあり、少しの期間休むことにしました。

そして、嬬恋の疲労が思ったよりも大きく、今日もかなり脚が重たかったのですね。

こういう時は、大人しく休むのが一番だと思います。

さて、昨年かなり強めに痛めてしまった時は、1週間の完全休養に加え、1週間のとぼとぼジョグを経て回復していきました。

今回は、その時に比べるとはるかに軽い痛みなので、数日休めばよくなっていくものと思われます。

昨日一日休み、今日にはだいぶ軽快してきていることから、明日もう1日休めばジョグでは悪化しない程度まで回復しそうな気がします。

いずれにしても、しばらくレースはないので、今後のトレーニング内容を考えれば、ここで一旦休みを入れるのはちょうどいいかもしれません。

嬬恋スカイラン

こんにちは、ランマニアです。

今日はスカイランニングジャパンシリーズのSKY部門第2戦、嬬恋スカイランに出場してきました。

このジャパンシリーズは、SKY部門とVK(バーティカル)部門それぞれを年間5戦戦い、そのうち上位3戦で獲得したポイントを競うシリーズ戦です。

中学から始めた陸上競技ではこういった「シリーズ戦」方式が珍しく、ランマニアが初めてこの世界に足を踏み入れたときにとても斬新に感じた企画だったのですね。

初めの頃は、ポイント獲得順位である30以内に入ることがなかなか難しく、去年あたりからようやくコンスタントにポイントを獲得できるようになってきました。

今年も、第1戦である上田バーティカルレースでは、SKY、VK両種目とも30位以内に入ることができ、なんとかポイント争いの土俵に上がることができたのでした。

さて、そんなジャパンシリーズの第2戦ですが、今回はVKとSKYは別会場、別日程となっていました。

VKは東京は御前山へ駆け上る「東京バーティカルレース」

こちらは緊急事態宣言延長により秋に延期となりました。せっかく試走をしていたのですけどね。

そしてSKYは、今日の嬬恋スカイランの種目の中でも最も距離が長く過酷な「スカイリッジ ロング」の部だったのです。

https://www.tsumagoiskyrun.com/

今回のコースは、四阿山の山頂直下まで一気に駆け登った後、標高2000m級の稜線(「リッジ」:尾根)を御飯岳まで行って帰って来るという、ヨーロッパの山やまを彷彿とさせる壮大なコースでした。

これは、スカイランナーなら「是非走ってみたい!」を思わせる素晴らしいコースでしたが、残念ながら悪天候によりコース変更となりました(実際山頂近くで土砂降りになり、気温2度ほどで走行不能になったら確実に低体温の危険性がありましたね)。

そして今回のコース変更により、もともと四阿山山頂直下まで登って帰りはゲレンデを下ってくる「ミドル」のコースを2周することになりました。

いやいや、今さらっと2周って言いましたが、このコース、走ればわかりますがものすごい急登が続くのですよ、1周だったとしても。

それを2周ですからね。

悪天候プランの方がコースがキツくなるとか、もうさすがは松本会長(日本スカイランニング協会)です。

この結果、本来の走行距離38km、累積標高差±2550mのコースが、走行距離31km、累積標高差±2300mに変更になりました。

数字だけ見ると、楽になったように見えるじゃないですか。

ところが、トレイルレースの難しいところはこうした数値(量的情報)よりも中身(質的情報)の方がレースのタイムに影響をするところなんですね。

1周目は晴れていたのでこのような絶景も拝めましたが・・。

元々のロングコースでは、最も上りが長く続き、最も勾配がきついのが、この序盤に設定されている四阿山までの一気登りです。

途中、両手で地面を掴みながら攀じ登る急斜面が2回ほどあり、これに加えて走るのは厳しい急坂がかなりの時間続きます。

それ以外が比較的なだらかな稜線沿いのトレイルだったり、緩斜面の下りだったとしても、こうした急斜面が一定時間続くと、猛烈に足にきてしまうのですね。

累積標高が大したことがなくても、こうした区間が長いとダメージも大きいのです(フルスクワットに近い状態になるので最大筋力も必要ですし、有酸素系のエネルギー供給系だけで補えないパワーが必要となるため)。

さらに、今回のレースはスタート地点がすでに標高1500m以上あり、コースの半分は2000mを超えるところを走ることになります。

前日入りして高所順応しているとはいえ、さすがに2000mでの「駆け上り」は呼吸がキツく、足も思うように動きませんでした。こうした中での急坂登りなわけです。

実際にコースは見たことはありませんでしたが、試走をした松本代表が「かなりきつい」というくらいですから、今回も序盤から無理して飛ばさず、「きつさ」をコントロールしながら走り続けることを意識してレースを展開しました。

この坂はまだ楽な方ですが、標高は2000mを軽く超えているので呼吸はかなりキツくなりました。

さて、そんな「悪天候バージョン」のコースでレースがスタートしました。

スタートしていきなり、ほとんどの選手が猛烈にダッシュを仕掛けて緩やかなゲレンデを上り始めたのには大変驚きました。

いやいやいや、それは持たんだろう、と。(ですがほとんどの選手は「持ちました」。エリートは凄い)

こちらはとにかく長丁場となるのがわかっていたので、終盤必ず逆転できると信じてペースを抑えに抑えて1周目の登りをクリアしていきました。

スタート地点をコース上からみて撮影。大した坂に見えませんが、こんな坂でも標高が高いと苦しいのです。

ちなみに、トレランで同じコースを2周というのは、練習でも経験したことはなく(というか経験したくない)、これの何が辛いかというと、1周目を走りながら「ここにもう一度来るんだよな」という「きつさ」を一度学習してしまうことなんですね。

これをもう一度やる、と頭に入れながら、常にペースは自重しながら上り続けなければなりません。

こうした時にランマニアがいつも意識しているのは「ジョグでこの距離を走るとしたら、こんなにきついペースでは走らないでしょ」と言い聞かせること。

冷静に考えて、31kmのロードジョグに出かける時、あるいは30kmのロードレースに出場するときに、絶対に「苦しくて仕方がない」ペースで走ったりはしないわけです。

「これなら30kmはもつ」というペースで走るに決まっていますよね。

これはトレイルでも同じです。

30kmのジョグができないペースで、30kmのトレイルを走れるわけがないのです。

では、ペースの把握ができないトレイルではどうやってペースをコントロールするのか。

これは以前も書きましたが、とにかく自身の体感による「きつさ」を常にモニタリングして、それをコントロールしながら走り(登り)続けるのですね。

登山道のような急な登り坂でも、ペースを抑えれば絶対に「はあはあ」息が上がってしまわないペースというものはあります。

今日のような高標高であっても、ペースこそ落ちますが、呼吸が乱れない程度のペースというのは必ず存在するのです(トレーニングを積んでいればですが)。

ライバルたちはどんどん先に行って見えなくなってしまうのですが、それを追っても仕方がないばかりではなく、確実に終盤撃沈しますから、それを無視してとにかく自身の「きつさ」に注意を集中します。

こんなところでも、極力息が上がらないように注意深くペースを維持します。

そうしてできるだけ「ジョグしている気分」を維持しながら、1周目を終えました。

そして、問題の2周目。

1周目にしっかりとペースを抑えたつもりでしたが、やはり最後の山頂までの急登(ほとんど崖)では完全に大腿部の筋肉が終わってしまい、「攣る寸前」まで行ってしまいました(まあ、練習不足ですね)。

それでも、体力的には比較的余裕があったので、転ばないように気をつけながらなんとか足を動かし続け、下りもそこそこのペースで下って来れました。

さまざまなトレイルレースでよくある「最後のゲレンデ下り」は、ランマニアの最も苦手とする区間ですが、そこで抜かれたのも珍しく一人だけでしたので、脚は残っていたといっていいでしょう。

序盤に相当数のランナーが自分の前を走っていたので、さすがに30位以内は無理かな、と思いましたが、どうやら1周目にかなりのランナーを追い抜いたのが効いていたようで、結果的に24位(後から修正されてました)にはいることができました。

どうにか、ポイント獲得です。

以前は、こうしたロング系の種目では終盤脚が止まりランク外に入ることが多かったのですが、ここのところ「きつさに注意を向ける作戦」が効いているようで、最後までよく足が持ってくれるようになりました(補給も意識しているというのもあります。過去記事参照)

タイム的には4時間40分というのが速いのか遅いのかはわかりませんが、トップ3の若者たちが3時間30とかのバケモノ記録で走ったのは別としても、女子の上位が4時間30分〜40分くらいまでに入っているのを考えれば、まあまあ健闘した方なのかもしれません。

さて、今日が終わるとしばらくトレイルレースへ出走予定はありません(遠征費含めると、結構「カネがかかる」スポーツなんですね、トレイルランニング)。

6月はじっくりトレーニングにあて、7月8月はトラックレースにでも出ようかと思っています。

また、冬にはロードレースにも出ようと思っているのですが、今回このトレイルレースで意識した「きつさに注意を向ける」というペース配分方法は、距離が正確にわからないロードレースや駅伝なんかでも有効だと思うので、普段の練習から意識していこうと思っています。

雨にぬれても

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日は雨の中のランニング。

これからの時期、どうしても雨天での練習が増えてきてしまいますね。

残念ながら、陸上競技は「全天候型」競技場でやる競技ですので、基本、どんな天候でもできてしまうスポーツなのですね。

正直なところ、ランマニアも雨の中走りに行くのはあまり好きな方ではありません。

ただ、経験上、雨を理由に練習を休みにしたこともあまりないのも事実です。

あまりにもひどい土砂降りや、気温の低い時の大雨なんかでは迷わずレスト確定ですが、大抵の雨なら、まあ普通に走ってしまいますね。

職場などでは、雨の日なんかはよく「今日も走るの?」と聞かれ、「ええ、もちろん」と答えると、「すごいなぁ、偉いなぁ」とか言われますが、意外と当の本人の意識としてはすごくもなければ偉くもないんですけどね。(多くの人は「苦痛に耐える」ことを「偉いこと」と捉えている)

では、なぜ雨でも走るのか。

これは、雨でも走る、と言うよりは、休む予定ではないから走る、といったほうがしっくりくると思います。

もちろん、1日、2日ズレたところで大した影響のない程度の練習計画ですから、予定を変更して休んでしまっても全く問題ないのですが、まあ元気なら走りに行くか、くらいの感覚です。

ただ、雨天時はそれなりのリスクがあるのも事実です。

冷えて風邪を引く。

滑って転ぶ。(経験あり)

視界が悪く、車に見落とされやすい。

などなど。

こうしたリスクとトレーニングをする意義とを天秤にかけて、走った方がいいかな、それでも走りたいと思うか、と考えて決行するか否かを決めているところはあります。

最もハードルが上がるシチュエーションとしては、「仕事終わり」「空腹感」「寒さ」そして「雨」と言う状況でしょうか。

仕事終わりで頭が疲れている。空腹感を常に感じ何かを食べたい。寒さはそのものが生理的にしんどい。

まあ、いってみればこの辺りは「苦痛」なわけですよね。

しかし、では「雨」ってなぜ嫌なのでしょう。

部屋の中で外の雨を見ていたってなんとも感じないわけですから、雨が嫌悪刺激というのは、実はよく考えるとおかしな話ですよね。なぜ雨の日は走りに行きたくないのか。

この理由の一つに、人間が感じる「刺激」に対する嫌悪感、と言うものがあると思っています。

雨のように、冷たい物体が体に突然付着し「冷たい!」と感じるのは、人間の危険察知センサーが働くことなので、なんとなく「不快」なんですよね。

さらに、乾いた靴の中に冷たい雨水がじわじわと染み込んでくるあの感覚も、同様です。

こういった、不快な刺激が雨に対して「嫌悪感」を感じる原因なのではないかと考えています。

一方、人間にはもう一つ、そうした「刺激」や「変化」に「慣れる」仕組みも備わっています。

基本的に、人間はあらゆることに「慣れ」が生じると言われていて、特に「不快感」とか「恐怖刺激」などは、だいたい15分も晒されていれば慣れてしまうと言われています(エクスポージャー:曝露、なんて言われていますね)。

例えば、クモ恐怖症、なんて言うものが実際にあるのですが、その治療法として、段階的にクモを見つめる時間を伸ばしていく、と言うものがあります。

ランマニアも、夏になると部屋に突然現れるあの「黒いもの」に恐怖を感じるのですが、「がなんばれ!15分だ!」と言い聞かせて、なんとか「彼」と対峙するのですね。

すると、不思議なことに、見つめているうちに次第に「彼」に対する恐怖心が薄れていくのを感じます。

これ、騙されたと思って実践してみてください。

15分、長いですが、途中でやめてはいけません。15分間は「格闘」してください。間違いなく怖さは減っていきますから。

話は逸れましたが、とにかく、人間はこうした恐怖や不快感には「慣れる」仕組みが備わっているため、今日のような「雨に濡れること」についてもその仕組みを利用すれば、確実に不快感を消し去ることができます。

なので、皆さんも経験済みだとは思いますが、雨がざんざん降っていても、意を決して「エイヤー」と外に走り出してしまうと、まあ、最初は「やっぱ冷たい、やめりゃよかった」と感じはしますが、もう後戻りはできないわけですからそのまま走り続けてしまいますよね。

すると、だいたい20分も走っているうちに、体に降り注ぐ雨も気にならなくなりますし、体も温まってくることで季節によってはむしろ快適にすら思えるようになってきます。

時々、水溜りに「着水」して「新たな刺激」に困惑することもありますが、そんなのも「一発」経験してしまえば、もうどうでも良くなります。

ちょうど、恐る恐る川で水遊びをしようと浅瀬に入り込んだ子供が、友達に水をかけられて一気に濡れてしまったら、もうどうでも良くなって最後は全身ずぶ濡れで泳いでしまう、と言うような状態。

とにかく、余程寒くてひどい土砂降りであったりしない限り、雨の不快感は「最初だけ」と言うわけです。

そんなことで、今日も朝起きた時はものすごい横殴りの雨で「はいレスト確定」だったのですが、昼過ぎになるとなんとなく体がウズウズしてきてしまい、結局走りに行ってしまったという始末です。

忘れじの破天荒ランナーたち

こんにちは、ランマニアです。

ここ数日、Twitterの方では学生時代共に競技に取り組んだ「破天荒な」ランナーたちを思い出して、立て続けに呟いていたところでした。

初めにお断りしておきますが、ランマニア的には「クズ野郎」は褒め言葉です。

性格的にどうしても真似することのできない、類まれな「いい加減さ」を備え、それでいて「やる時はやる」タイプのランナー。

残念ながらランマニアはどちらかというと「生真面目ランナー」(以前の記事参照)なので、こうした「気まぐれランナー」タイプには、ちょっとした憧れを感じるのですね。

破天荒4傑

ランマニアの高校、大学の陸上部時代、この人には絶対勝てない、という忘れられないランナーが4人ほどいます。

そして、これは偶然なのか必然なのか、この4人は皆、ランマニア的には相当な破天荒だったのですね。

ランマニアの学生時代は、毎日ちゃんと練習をする。練習前には入念にストレッチをし、アップからダウンまでとにかく黙々と集中して取り組む。靴は故障しないように定期的に新調し、常にクッション性能が高いものを履く。早く寝る。試合前は余計なことをして疲れさせないようにする。食べ物に気を配る。

こんな「模範青年」。

ところが、この4人は、そんな生真面目な私を嘲笑うかのように、とにかく多くの面が「いい加減」。

いや、「いい加減が良い加減」などと肯定できるようなレベルではなく、もう本当にあらゆる面で自分とは違いすぎる、ある意味ぶっ飛んだランナーたちでした。

5000m県ランキング1位2位の最強コンビ

はじめの2人は高校の先輩。

この2人は、当時、厚底もスーパーシューズもない時代に珍しかった「高校生で14分台」と言うのを、2人揃って成し遂げたランマニアにとって伝説の先輩たちです。

スポーツ推薦などない「ただの」県立高校において、二人の14分台、しかも40秒台と言うのはまさに「偉業」以外何ものでもありませんでした。なんといっても、当時の県ランキング1位と2位ですから。

しかし、本当の「偉業」はその彼らの競技に対する取り組み方。

県内トップの14分41秒を出した一人は、もう自分の欲求に素直に生きる、まさに我が道をいくタイプ。

そこそこ「意識の高かった」部内にあって、練習後の帰り道ではただ一人カップ麺を買い食いし、暗黙のルールで「自粛」していた炭酸飲料を堂々と飲む。

でも、なんといっても県内1位ですから誰もそれを指摘できませんよね、当然。

もう一人の14分台、こちらも47秒で県内2位の彼もまた「破天荒」。

まず靴を変えない。

本当にボロボロのシューズをいつまでも履いていて、ロングジョグからインターバルまでなんでもこなす。

しかし、それでいながら合宿の「レスト」の日には、土砂降りの中一人で山道へ峠ジョグを敢行するという恐るべき精神力。故障などお構いなしにとんでもない距離を走り込む豪傑さ(靴も変えずに)。

まさに「野生」の香りのするワイルドでたくましいランナーでした。

酒もギャンブルも走りも全てにおいて無敵のランナー

3人目は先のツイートに登場した、大学の先輩。

タイム的には5000mが15分一桁と、それほどインパクトのある実力ではないですが、ランマニアの入学時は部内最速のランナー。

すでに紹介したように、彼も靴を変えず(買えず)、バイトで稼いだお金を飲みとギャンブルに注ぎ込み(もちろん生活費にも当ててましたけどね)、徹夜明けでもインターバル・ペース走を難なくこなす、一年生の我々には衝撃的すぎる最強ランナーでした。

強さの正体は欲求に素直になること

そして最後の4人目は、先に紹介したブログ「生真面目ランナーより気まぐれランナー」の中に登場する後輩、私の学生時代に出会ったランナーの中では最速の14分36秒で走った彼です。

彼についてはブログを参照してください。

この4人については、本当に「敵わないな」という一言。

一緒に走ってどうしても勝てない、と言うのもありますが、それ以上に「人間」としての「強さ」に敵わない、そんな印象です。

こう言う強さって、何なのだろう、といつも思うのですね。

単に、走るのが速い。タイムがすごい。そんな一面的なことではなく、なんというか総合的な強さ、みたいな。

一つ言えるのは、彼らは皆、「自身の欲求に正直」、「やりたいことをやりたいようにやる」と言う共通点があります。

もちろん、長距離の練習ですからある程度のしんどさはあり、練習に気が向かないと言うこともあるでしょうけど、それ以上に、走りたいように走るし、食べたいように食べるし、あそびたいように遊ぶ。お金も豪快に使う。

とにかく毎日を、生活を、もっと言えば人生を楽しんでるんですね。

我慢とか、節制とか、それこそ自粛とか、そういう印象はほとんどなく、いい意味での「マイペース」。

これ、意外と強くなるために大事なことなんじゃないかな、と最近思うのですね。

自分自身を振り返ると、やはりこうした「豪快さ」「大胆さ」があまりなく、練習にしても「やらなければ」「こうしなければ」といった、どこか窮屈な姿勢で取り組んでいるところがあります。

食べ物についても「ここは我慢しよう」とか「体に悪いしな」「高いしな」とか、好きに食べてない自覚もあります。

まあ、いってみれば小心なんですね。

もちろん、それによりうまくいっている部分もありますが、何かこう「突き破る」ような大きな変化も生まれにくい。

このあたりは、一長一短なんでしょうけど。

いずれにしても「ないものねだり」

自分にないこうした「大胆さ」「豪快さ」は羨ましいと思いますね。

5月振り返り

こんにちは、ランマニアです。

さて、今日で5月も終わり恒例の1ヶ月の振り返りです。

4月は練習量を落としたにもかかわらず、故障が再発してしまいこの1年では最も走行距離の短い月となりました。

特に、故障により2週間まるまる休養を入れたのはここ数年なかったことで、ランマニア自身この2週間はちょっとメンタルが落ち込んだ時期でもありました。

一方、そのおかげもありこの5月は上田のスカイレースなども含めて回復の兆しが見えた月になりました。

ここまで数ヶ月にわたってふくらはぎの肉離れ(実際には軽微な損傷で済んでいますが)の再発を繰り返してきたことから、今月の再開に当たってはかなり慎重に練習の計画を立てました。

最も大きな特徴は、やはり「1日おき練習」だったと思います。

上田スカイレースの疲労を抜いた後、ほぼ1日おきのペースで練習を再開しました

こうして振り返ると、練習日自体は18日足らずと、月に13日もレストを入れたことになりますが、それでも一度に走る時間は最終的に125分まで延び、距離としても23km前後を余裕を持って走れるようになりました(だいたいキロ5を切るくらいのペースまで上げています)。

また、スカイレースの頃はまだまだふくらはぎの違和感もあり、思い切りロードを走るのが心配になる状態でしたが、現時点では2時間近く走った後でもふくらはぎの「危うさ」みたいなものは消失している状態です。

この辺りは、ここひと月あまりのジョグの中で若干走り方(フォームではなく力の入れ方)を変えてきたことも大きかったと思います。このことについてはいずれ別記事にまとめようと考えています。

練習のボリュームを考える上で一つの参考になる「月間走行距離」についても、ここ4ヶ月は連続して落ち込み続けていましたが、今月はようやく前月を上回る距離を踏むことができました。

最も走れていた頃に比べれば7割程度ですが、それでも故障なくひと月走り通せたのは久しぶりで、走ることが日常になってきました。

先週あたりから、トレイルも含めて一度に走る距離がかなり伸びてきたので、久々に「走ることでの疲労」が増してきたように思います。

しかし、去年もそうでしたが、こうした疲労も少し我慢してジョグで繋ぐことで、「走ることへの耐性」が強化され、知らず知らずのうちに同じ練習をしても疲労度が軽くなっていきました。

一度体力が落ちてしまっている状態なので、どうしても長めに走ると疲れが出やすくなっていますが、徐々にボリュームを増やしていくことで同じ距離を走っても疲れにくくなっていくのは去年体験済みです。

また、今月はトレイルレースがあったことから、トータルのトレイル率は比較的多くなりましたが、実際の練習回数としてはロード(あるいはダート)ジョグがほとんどで、一定時間一定ペースを維持して走り続けるという「ランニング練習の基本」「有酸素運動の基本」に時間を割くことができました。

トレイル率20%はほとんど上田スカイレースです。

ふくらはぎに不安があったときは、どうしてもロードを避けたく、また歩きながらでも有酸素能力を維持したく、山へ行くことが多くなりましたが、脚の不安が徐々になくなるにつれロードを走ることが増えた印象です。

さて、1ヶ月間まるまるジョグだけで過ごしてきました。

ジョグだけでもかなり走力は回復しましたし、体感的な脚の頑丈さみたいなものも戻ってきたように思います。

6月からは、今の1日おき練習から若干頻度を上げ(週2レストくらい)、かつ週1でファルトレクを芝生で行うくらいの強度の練習を取り入れていこうと思います。

6月は、あくまでまだ「本格的な練習を始める前の体作り」くらいの意識で練習を継続しようと思います。

そもそも「危ないけどやる」のがスポーツ

こんにちは、ランマニアです。

昨日、トレイル界に衝撃が走った中国の事故。

ネットニュースを見る限りではまだ速報的な記事しか目にすることがなく、これだけをみてああだこうだいうのもどうかと思いますが、いずれにしても恐らくこれだけの死者を出してしまったスポーツ種目は過去類をみないのではないでしょうか(もしかしたら、トライアスロンとかで大規模な海難事故があったかもしれませんが)。

記事に対するコメントや何人かの方のブログを見ますと、本当に見え方、考え方は様々です。

ただ、現時点の情報量だけで、ある特定の観点からある側面だけを「断罪」するのもどうだろう、というのが正直な感想です。

確かに、運営側の杜撰なリスクマネジメントが原因だった可能性も否定できませんし、参加する側の山岳レースに対する意識の問題ももちろんあるのかもしれません。

しかし、今回の事故を、例えば列車の脱線事故や航空機の墜落事故のような「限りなくゼロリスクを目指さなければならないもの」と同じ観点、そしてそれらと同列で論じるのはどうなのだろう、というのが、現時点での私の考えです。

もちろん、今回事故に遭われた方や遺族の方、それから関係者の方々の心情は想像を絶するものがあり、そうした方々と同じ立場に置かれたとしたら、同じような考えはできないかもしれません。

立場が変われば考えも変わる

気分が変われば考えも変わる

これはどんなことにも当てはまることで、だからこそ、ある一つの出来事を一定の価値観や考えだけで断罪してはならないと思うのですね。

(そういえば、最近こんな秀逸なツイートがありました)

そう前置きした上で、いくつか自分の考えをまとめてみることにしました。

そもそも「死」は身近に存在する特別でないもの

本当に事故に遭われた方や遺族の方の心情を無視して言ってしまっていますが、私自身、最近特にこれを感じるようになっています。

20代、30代の初め頃にはまだまだこんなことは考えたこともなかったのですが、40を過ぎた頃でしょうか。やはり生きていると色々なことが起こるのですね。「よくここまで生きて来られたな」と思うようなことに、そこそこ頻繁に遭遇するわけで。

また、周囲でも何もかも順調にことが進んでいる人なんて1人もおらず、変な話「ここまで生きてこられただけでも幸運なこと」に思えてしまうほど、本当に身近な人の人生一つとっても色々あるわけです。もちろん、若くして亡くなった知り合いもいます。

とにかく、生きていればもう死は避けられず、それをいかに防ごうと予防線を張ったとしても、予期せぬことで命を落としたり、危ない目にあったりするのが人生だと思っているのですね。

これは、何も「危ないこと」をやらずに、普通に生活していたってそうだということです。

人間は「生きているから死ぬ」のです。何で死ぬかは誰も予想ができず、それは生きている以上いつ訪れてもおかしくない。そう考えているのです。

行動することは「死のリスクを高める」こと

そうした前提に立った上で毎日の生活を送っていると、もう「行動することは死に向かうこと」と言えなくもない状況だとわかってきます。

例えば、様々な状況下における「死の確率」みたいなものがあるとして、それが家にいる時が1%くらいだとすると、多分、車を運転するなどということはそれが数十倍に跳ね上がると考えられます。

あるいは、リビングで横になってTVを見ているその時の確率が0.5%くらいだったとして、その後我々が大好きなランニングをしに行ったとすれば、それだけで死に遭遇する(心臓発作、交通事故等)確率は30%くらいになるのではないかと、というくらい、死ぬ確率は跳ね上がりますよね。

しかし、じゃあ死ぬリスクが高まるなら何もしないのかと言えば、決してそうではなく「危ないかもしれないけどそれを言い出したら何もできないから、そんなことを考えずに色々と行動する」というのが現実だと思います。

スポーツをするということは、それだけで死と隣り合わせ

そんな身の回りが「危険だらけ」な人生ですが(ていうか、野生の生き物は基本そう)、その中でも相当に「危険な行為」が実はスポーツだったりします。

スポーツは「身体活動」です。

身体を動かすのがスポーツであれば、もうそのものが物理的に「危険」を伴いますし、体の生理的なバランスを著しく崩しながら取り組むことになるのです。

特に、「走る」なんて行為は「いつ死んでもおかしくない行為」とさえ思える運動だと思っています。

なので、もう本当に縁起でもないことを言ってしまうと、ランマニアはかれこれここ10数年、毎日走りにいこうと玄関を出て扉を閉める際には「これが最後になるかもしれない」ということは、常々考えてしまいます。

走り出して数歩で心臓が止まるかもしれないし、その道の角を曲がったら車に轢かれるかもしれない。

そうした「危険」の数々をくぐり抜けて帰って来れれば、今日も幸運だった。そう思うようにしているのですね。

で、何が言いたいか、もうお分かりですよね。

そもそも、そうした日々のジョギング・ランニングだって十分危険な行為なのに、それを2000m級の山々で行うトレイルランニングはもちろんのこと、肉体の限界ギリギリのペースを攻めて42kmも走り続けてしまうフルマラソンだって、もう文字通り「死ぬ覚悟」で取り組むほどのスポーツだということです。

リビングで寝っ転がっていることに比べれば、恐らく死のリスクが100倍くらいに跳ね上がるほどのことをやっていると言っても過言ではありません。

「正常性バイアス」でやれてしまう私たち

では、なぜそんな危険なことを、こうまでして普通にやれてしまうのか。

ここには、私たち人間が陥りやすい「楽観的思考」、「正常性バイアス」というものがあります。

人間は、何か危機的な状況が迫りつつある時でも、何の根拠もなく「自分は大丈夫だろう」「まあ、なんとかなるだろう」という楽観性が優先されてしまう傾向があります。

これから「起こるかもしれない」目に見えない「異常」よりも、今目の前に見えている「正常」な状態の方に思考が支配されやすく、この正常な状態が想像もできない危機的な状況に変貌するなどということが、文字通り「想像できない」のですね。

特に、いつも走りに行くたびに無事に帰って来れれば「今日も大丈夫だろう」と無意識のうちに考えるわけで、それが「死ぬかもしれない」という危険性を、いつの間にか忘れさせてしまっているのです。(いや、だからこそ人間は色々なことにチャレンジできるのですが)

この人間の、誰もが持つ傾向を「さも自分だけはそうでないような物言い」で非難するのは、果たしてどうだろう、ということなのです。

今回の事故の様子を見ていますと、運営側も選手側も同様に、この正常性バイアスが強く働いてしまっていたのではないかと、色々推測しているのですね(予測が非常に難しい気象条件もそれを後押しした可能性が高い)。

山における正常性バイアス=「山を舐める」

こう短絡的に考えるのは、果たしてどうだろう、ということです。

電車に乗ることや飛行機に乗ることとは根本的に違う「参加」

そしてもう一つ、いくつかのコメントから考えたことがあります。

それは、今回の事故を「列車が脱線した、どうしてくれるんだ!」「飛行機が墜落した、安全基準はどうなってるんだ!」と同じような理屈で語られている記事があったということです。

電車や飛行機などの公共交通機関を利用する際は、色々な危険性はあるものの、ある程度「ほぼ100%の安全」を前提としてこちら側も利用しています。

乗る前に「脱線するかもしれませんよ」「堕ちるかもしれませんよ」などと注意されてから乗る電車や飛行機なんかありませんからね。

一方で、トレイルランニングなんていうスポーツは、「死ぬかもしれませんよ」と暗黙に言われているスポーツだと思っています。

そして、そのことを「参加者も理解している」という点が大きな違いだと思っているのです。

電車に乗る際、誰も「死ぬかもしれない」などと思って利用する人はいないと思います。

しかし、トレイルレースは「死ぬ危険性のあるレース」という認識のもと「参加」をするわけです。

それは、運営側が個人の体の状態や天候などに代表される自然の力を、全てコントロールすることは不可能だからです。

ですから、今回の事故の原因全てを運営側の責任にすることは、列車の脱線や航空機の墜落などと同列に捉えているのではないかと勘繰ってしまうのですね。

最も恐れているのが「危ないことはやらなければいい」

今回の事故の責任については、もうそれは法廷が決めることで、我々外野がどうこういうものではないと思っています。

亡くなった方は気の毒だったし、その遺族の方にしてみれば運営側を追及したくなるのは当然のことだと思います。

ですが、我々はそれについてこうだと断罪できかねる理由は今まで書いてきた通りです。

一方ここで、私自身最も危惧しているのが「こんな危険なスポーツはやめた方が良い」という風潮が蔓延ってしまうことです。

もうすでに、別のところでも「トレイルレースは禁止」という意見もありました。

もちろん、人それぞれ様々な考えがあるのはわかるし、それはそれで否定するものではありません。

しかし、もし、この「危ないからやめる」理屈が通ってしまうと、もうほとんどありとあらゆる「スポーツ」自体ができなくなってしまうのですね。

波や海水温の影響を受けるからトライアスロンは危険だ。

時速100kmを超えるスピードが出るアルペンスキーは死ぬ可能性がある。

そのほかにも、スキーのジャンプ、乗馬、ラグビー、アメフト、等々、上述した通り、スポーツはみんな危険で「死と隣り合わせ」なんです。

確かに、今回の事故は一度に多くの死者を出してしまった異例の出来事でした。

当然、運営側の対策で防ぐことができた部分もかなりあると思います。

だからこそ、もう一度その危険性を再確認して対策をし、参加者側も運営側も「正常性」に振られたバイアスを「異常性」にシフトさせる機会にしなければならないと考えています。

そして危険を理由に活動をやめるのではなく、危険性を最小限に止める努力を、参加者のできること、運営側のやるべきことを整理して行い、活動を継続していかなければならないと思っています。